HOME > THE WORLD > Latinoamerica > Ecuador > Diario > Diario2005 > 050528

エクアドル日記(2005年5月)
5月28日(土) 晴れ時々スコール(プーヨ)

ライブ en プーヨ

いよいよ今日はプーヨライブ当日。我々ラ・ぼんちにとって初の大きなライブである。

バーニョスのチョロチョロ滝⇔山々の風景

俺は朝早くから、雨模様のバーニョス郊外の山道を、猿のように這いずり回っていた。やっとの思いで見つけた滝は、ショボショボのチョロチョロだった。
「こんな物を見るために俺はここまで来たのか?」
絶望の鐘が頭の中でグァングァンと鳴り響くのを聴きながら、足を棒にして再び急な山道を登る。今日の夜はライブだってのに、朝の数時間でほとんど今日1日分の体力を使い切った。

昼前、アホでマヌケな白人どもが我が物顔で闊歩する温泉観光地・バーニョスからバスに乗り、およそ1時間半。バスは、みるみるうちにあれよあれよと高度を下げ、クエンカ仕様でトレーナーにウィンドブレーカーまで着込んだ俺の身体は、「あれっ、何だか暑いな」と気がついたときにはもう全身気持ち悪い汗でグチョグチョになっていた。そしてふと外を見ると、いつの間にかグロテスクな形をした真緑色の植物が所狭しとギューギュー詰めに生い茂っている風景が広がっている。オリエンテにやって来たのだ。
プーヨのテルミナルに降り立つと、いきなり十二単並みに多重構造のジメッとした超多湿空気が覆いかぶさってきた。次から次へとジトジトが肌にまとわりついてくる感じである。オリエンテ地方の気候というのは、高温多湿が基本である。すぐ近くには、アマゾン流域のジャングル、広大な緑の地獄が広がっているのである。のどかで、あまりに暑くてジトッとしてるから人はみんなやる気なくてのんびりとしたオリエンテの街・プーヨに、ヤマトロック魂をディープ・インパクトすべく俺達はやって来た。

プーヨのサカナ食堂

アルマジロスープ

ラ・ぼんちメンバー+プーヨ隊員で、セントロのサカナ食堂でビールをひっかけながら昼飯を食う。ここでは、ティラピアやナマズ等の川魚、そしてアルマジロが食べられる。俺はアルマジロの巨大な肉の塊が一つだけ、その他には全く何も入っていないスープを食べた。鶏肉を臭くしたような、これといって特徴のない、ウマイかマズイかと聞かれれば、どちらかと言えばマズイと答えざるを得ない味だ。
その後、リハーサルのため早速会場へ。会場は、県営スタジアム横のだだっ広い駐車場だ。そこに続く道路まで使って立錐の余地も与えなければ、1万人は収容できるだろう。まだ開始3時間も前なので、もちろん観客は誰もいないが、今晩はここが人波で埋め尽くされ、その人の絨毯の上をギターを弾きながら仰向けに遊泳している俺自身の姿をそっと頭に思い浮かべる。と同時に、ここはプーヨセントロからは少しはなれたところにあって交通の便も悪そうなので、ひょっとしたら誰も来んかもしれんな、という不吉な思いもチラッとかすめる。
「もちろんここが客で一杯に埋まんなけりゃ、俺達は演奏しネェけどな!こちとらわざわざクエンカくんだりから来てんだよ、バーカ。」

さて、ここでこのライブの概要を説明しておこう。
このライブのテーマは、何と「ロック・クリスティアーノ」、つまりは、「キリスト教ロック」である。ここプーヨには、キリスト教の一派「エバンヘリコ」(福音主義・福音派、英語で言うとEvangelism)の教徒が多く住んでおり、このエヴァンヘリコ達が主催するライブのようである。そして、エヴァンヘリコの教会も協力しているらしく、当日は教会関係者を名乗る記者から我々も出演者としてインタビューを受けた。
この教派はキリスト教の中でもより聖書(福音書)の教えを忠実・厳格に実践する宗派らしい。歴代のプーヨ隊員のホームステイ先はエヴァンヘリコの家庭が多く、彼らは非常に道徳的に厳しいと言う。夜遊びダメ、アルコールダメ、タバコダメ。まぁ、そういう厳しい戒律を守って生きてるっていうのは、社会にとってはいいことではあるんだけれど。

ライブの副題は、ご丁寧にも「ノー・アルコール、ノー・タバコ、ノー・ドラッグ、ノー・セックス」だそうである。こんなテーマのロックコンサート、聞いたことあるかい?野外ロックコンサートなんてものは、客席で酒飲んでタバコ吸って、60〜70年代反ベトナム戦争のヒッピー世代なら、ウッドストックの映像見れば分かるとおり、マリファナやって野外セックスしてる、そんなもんだろ?それらをすべて禁止しているのである。会場では酒はおろかタバコもダメ。臨時にできた小さな売店で売っているのは、ソフトドリンクのみ。
なぜこんなテーマからしてクソライブに俺達が参加することになったのか?それは、このライブの主催者がプーヨ隊員の同僚であり、奴が「ぜひ出演してください」と平身低頭で懇願してきたからである。どう考えてもコンセプト的にロックコンサートじゃねぇよな、と思いつつも、それなりの規模のコンサートで客も集まるだろうから、腑抜けエクアドル人どもにヤマトロックの一石を投じてやろうという、俺達は俺達なりの意図をもって出演することにしたのである。プーヨは、クエンカから直接来るとすると、バスを乗り継いで10時間。

日が傾き、昼の明るさが夜の闇に少しずつ侵食され始めている。午後5時半の開始予定時刻になったが、観客はまだほとんどいない。俺達はトップバッターの予定だったので、「おいおい、本当に客来るのかよ?」と呆れていたが、観客も時間通りには来ないし、ライブも時間通りには始まらない。これがエクアドルである。

昼間、ステージ設営作業

ラ・ぼんち第5回ライブ(プーヨ)

宗教ロッカーたち

6時を過ぎて、観客は徐々に集まってきた。だが、見渡す限りの人の海とは程遠い。そして、午後7時前、いよいよライブがスタートした。予定より1時間半近く遅れている。
俺達は颯爽とステージに上がった。いきなり出てきたアジア人バンドに、観客達が騒然となる。奴らの眼前、真正面から、ヤマトロックを爆発させてやった。日本語で歌っているので奴らエクアドル人どもには分からなかっただろうが、曲の後の歓声を聞くと、なかなか盛り上がっていたようだ。
出演時間は20分くらいだったろうか。演奏後、「オトラ!」(アンコール)の大合唱をもらうが、もちろんそんな声は完全無視して涼しい顔でステージを降りる。実際にはもうやる曲がないからなんだが・・・。

俺たちの演奏後、早くもヤマトロック魂にディープインパクトされた数人のガキどもが、会場を駆けずり回りながら俺たちが演った曲を歌っていた。
「リンダリンダー、リンダリンダー、リンダリンダー」
さすがにガキどもは素直で洗脳されやすい生き物である。嬉々として歌う奴らを見て、俺達はステージの裏からほくそ笑んだ。

演奏後、なるべく観客に見つからないようにこっそりと、俺たちの後から続々とステージに上がるバンドたちを斜めに見ていた。何しろもう今や俺達は、日本から来た「神風ロックバンド」として、ここにいる見渡す限り無数の観客達 -- 人数にして100〜150人くらいだろうか -- に面が割れていて、見つかったらいきなり80人くらいに囲まれてサイン攻めに遭うかもしれない、そうしたらここには警備員も警官もいないから大変なことになるぞ、などと逆噴射妄想していたのだ。
だが、俺のそんな危惧をよそに、観客は俺たちを見て、ちょっとした笑顔を顔に浮かべるだけだった。あぁ良かった良かった、とガッカリしながらバンド演奏をぼんやりと眺める。3バンドくらい終わったところで、俺はムカムカと気分が悪くなり、ゲロを吐きそうになった。なぜかって?決ってんだろ、俺たち以外のバンドは、どいつもこいつもみんないきなり新興宗教の教祖状態なのさ!!

奴らは曲の合間のMCで、突然神父様になったかのようにキリスト教の教えを説き始めたのである!
「キリストはまだ生きている!」
「キリストの聖なる血が・・・。」
「この世界を愛で満ちたものにしよう!」
「神は言った、『汝の信仰が汝をいやせり』」
「僕達がしなくちゃいけないことは・・・・。」
「あの人は言った、現世で泣くものは幸いなれ、天国で微笑まん。」
「終わりなき命を信じよう!」

こういうことだったか、「キリスト教ロック」。主催者の意向はこうだ。「ロックコンサートを通じて青少年達にエヴァンヘリコの正しい道を教え、正しい道に導く」。宗教布教、正しい道徳流布の目的としてのロックコンサート。ロックが宗教と結びつくとまるで無味乾燥なこうもつまらないものになってしまうのか、と愕然とする。トップの俺達の演奏が終わった後、会場は瞬く間に怪しい宗教団体の宗教儀式場に様変わりしたのだ。カラッホ!
出てくるバンド出てくるバンド、どいつもポーランドもそんな調子。観衆に向かって、諭すように聖書の言葉を並び立て、自分の宗教観をぶちまける。聞こえてくるサウンドはロックなんだけど、やってることはミサみたいなものなのだ。
1バンドだけいた高校生バンドのガキどもまでがそんな大層な聖書の教えをのたまい、声高に叫ぶのである。
「さぁ、みんなで祈ろう!」

そうか、お前らこんな大観衆の前でそんな立派なことを言えるんなら、お前らはキリスト教の教えを忠実に守って婚前SEXはしねぇんだな?あっ?答えてみろよ、テメェラ!
だがある意味これはすごい。こんなことを言えるなんて、宗教心のない日本の高校生には絶対に真似できない芸当だ。

このような、ロックを宗教的結束・洗脳の道具として使うコンセプトがクソなら、音楽そのものもションベンだ。ヨーロッパ系のちょっとクラシック調が入ったロックばっか。いわゆる様式美重視の、太古のハードロック・ヘビーメタル系である。きっとスペインとかヨーロッパから輸入してサルマネしたもんだろう。面白さもオリジナリティも何もあったもんじゃない。こういうくだらない音楽やるならせめて聖飢魔Uみたく顔塗りたくるとか、メンバー全員インディヘナの民族衣装着るとか、お前らチッとは考えろよな!だが、エクアドルで「ロック」というとこれを指すようで、ロック好きなガキどもは、こんなのばかり聴いている。
そして、きっと歌の内容自体もとんでもない洗脳用宗教ロックに違いない。「キリスト万歳!」とか、「イスラエルを奪い返せ!」とか、「マリア像の目から血の涙!!」とか、「全能の神の前にひれ伏せ!」とか、「キリストは我々のために罪をかぶられた!」とか、「使徒の言葉を聴け!」とか、「嵐吹き荒れるシナイの荒野!」とか、「左右の頬を用意しとけ!」とか、「ゴルゴダの丘を登れ!」とか、「神の御意思は俺達には分からない!」とか、「パンとぶどう酒で乾杯!」とか、「あなたの導くままに!」とか、「懺悔する者は救われる!」とか、ロックの歪んだギターのサウンドとビートに載せて、そんなことをのたまっていたはずだ。
だが、よく考えてみると、ロックというのは「自己主張」であり「自己表現」である。平たく陳腐に言えば、「言いたいことを言う」である。いやいや、極論すれば、「自分教の披露」と言えるかもしれない。とすれば、このロックというのは、宗教布教活動をするにあたって非常に好都合な音楽なのである。キリスト教の教えを、ロックのビートとサウンドに乗せる。本当にその教えを信じて歌っているのなら、これは「言いたいことを言う」、まさにロックである。これは奴らも考えたな。新たな布教方法だ。いや、実は新しくないか。思い返してみると麻原彰晃も大川隆法もキム・ジョンイルも、音楽というものを有効に使ってインチキ宗教・イデオロギーを流布していたような気がする。ロックの場合、観客はロッカーズ・ハイ、いやロックコンサート・ハイでアドレナリンが出まくっている状態なので、まことに洗脳効果が100倍は高まると言っても良かろう。

俺達合わせて全部で7バンド出演したのだが、最後の2バンドはセミプロらしい。凄まじく高度なテクニックと、音楽そのものの低劣さとの恐ろしいまでのギャップ。猫に小判。テクニックが芸術性にはほとんど関係ないということの完璧な証明。そして、あまりの宗教丸出しのMCに、もう聴いていられなくなって退散した。セミプロでエクアドル国内に知名度もそこそこあるらしく、観客達はMCの一言一言に大歓声を上げている。ロック洗脳、ここに極まれり。

もう少しで、本当にもう少しで、完全にロック洗脳されて瞳の焦点が合わなくなってる大観衆のキリスト教徒の前で、大声でこう叫びそうだった。
「神なんかいねぇんだよ!バーカ。」

午後9時過ぎ。ずっと大音響で宗教シャウトしてる奴らを残し、俺達はマインドコントロールを解くための酒を飲みに会場を去った。


>次の日の日記へ

HOME > THE WORLD > Latinoamerica > Ecuador > Diario > Diario2005 > 050528