HOME > Every Day Life > Diary > 2008.8.


日記
(2008年8月)
2008/8/9 (Sat.)〜8/16 (Sat.)

中伊豆の観光名所、地獄極楽めぐり

土肥海水浴場

大井川鉄道のSL

大井川

大井川鉄道、車窓の風景
 
広島城(広島県広島市)

原爆ドーム

今年最後の広島市民球場

試合後のグラウンド整備

JRバスの赤名駅。廃屋のような建物()

歩道橋空(島根県雲南市)

古い街並み(島根県横田町付近) 
 

今年のキャンプは、雨にたたられた

千と千尋の神隠し(船通山山頂)
 

「天叢雲の剣 出剣の地」の碑(船通山山頂)
 
中国山地の山並み(船通山山頂より)

トマトとオレンジを冷やした川

山を降りる。質問する看板。

今年の夏休み

僕は今、零細工場の多い東京都大田区に住んでいる。毎日コンクリートを踏みしめて歩く。ドアトゥードアで40分ほどの会社への道すがら、土を踏むことはただの一度もない。コンクリートの道をたどり、コンクリートの駅の階段を登り、鉄の箱に車輪がついた乗り物に揺られ、会社へたどり着く。都市の風景は、コンクリートのくすんだ灰色に覆い尽くされ、その生気のない無味乾燥色に慣れた、痩せて澱んだ目には、鮮やかな天然色が数倍鮮やかに映る。
会社は、巨大なコンクリートの塊だ。完全無欠の人工物。毎日、この無機質の空間の中で一日の大部分を過ごし、そしてその中でどんどん何か、生気というか生命エネルギーのようなものを吸いとられてゆく。
一日のうち、土の上で草の香りを嗅ぐことなど、いや土を踏みしめることすらない生活。人工物に囲まれ、自然物が全く周りにない都会にいると、いつも大自然の中に戻らねばならない、という強迫観念にも似た衝動に突き動かされる。今年も、1週間の夏休みを利用して、大自然の深奥へと向かう。

(去年2007年の一人キャンプの様子は、コチラで。)


ただしその前に。車で静岡と広島を回った。8月9日土曜日出発。
静岡では、御殿場のアウトレットに立ち寄った後、中伊豆の隠れた人気観光施設「地獄極楽めぐり」を楽しむ。仏教の教えに基づき、地獄と極楽をおどろおどろしい人形とジオラマにより再現。真っ暗な順路に、怪色ライトでアップされた、閻魔大王やら三途の川やらの霊界景色が展開する。このアナクロ感は素晴らしい。そして地獄極楽めぐりが終わると、隣に併設された「秘宝館」へ。もちろんここは、全国津々浦々にある怪しい秘宝館同様、エログロの展示が満載。写真撮影禁止、20歳未満入場禁止。
夜は西伊豆の土肥温泉に泊る。翌日8月10日日曜日は土肥海水浴場で海水浴、土肥金山観光、そして堂ヶ島、恋人岬という西伊豆有数の観光スポットを周った。もちろん、加山雄三ミュージアムには行かなかったが、併設のレストランで涼んだ。

8月11日月曜日。大井川鉄道に乗車。ただし名物のSL(一日2往復)は残念ながら切符売り切れで乗れず。しかし、普通列車でも新金谷と千頭間の、広々とした大井川と山々の開放的な風景や、斜面いっぱいに広がる茶畑、寂びれた極小駅の風情を満喫できた。

広島訪問の唯一の目的は、今年が最後の広島市民球場で中日戦を見ること。大井川鉄道乗車後、午後3時ごろに掛川を車で出発し、東名→名神→山陽自動車道を一路西へ。渋滞はほとんどなかったが、走っても走っても広島には着かない。夜になり夜中になり、午前2時半にやっと広島直前の小谷サービスエリアに滑り込み、車を止めて仮眠を取る。8月12日火曜日朝7時過ぎに広島へ向け再出発。広島インター前で5kmの事故渋滞につかまる。9時前、やっとのことで高速を降り、広島市内へ入る。まずは大通りの100円パークに車を入れ、喫茶店のモーニングを食べた後、ネットカフェに入ってホテルを予約。

その後広島城を見る。僕は広島に来るのは二度目だが、広島城はおそらく初めてである。天守閣から、深緑の水を湛えたお堀と、広島市街を見下ろす。城内には広島と広島城の歴史を示す様々な展示があり、参考になる。毛利氏。

灼熱の広島。気温36℃。寝不足と暑さでグッタリ。午後になってホテルに待望のチェックイン。夕方、疲れた身体に鞭打って平和記念公園、原爆ドームを周る。平和記念公園の被爆死者慰霊碑の前で、親子が歓声を上げながら無邪気に写真を取っている。まるで遊園地で写真を撮るように。僕は心の中で悲痛な叫びを上げる。
(お前ら、ここがどういう場所だか分かってるのか?)
一方、原爆ドームでは、あるおばちゃんが場をわきまえた発言をしていた。彼女は、ドームの近くから相生橋のほうへ、カメラを手に移動してきた。相生橋の上から、川の向こうに全景を現したドームを見ていわく、
「あぁ、ここからはええ景色だわ。・・・なんてこといったら怒られてしまうけど・・・。」
この原爆ドームというものが一体何なのか、僕らはそれを見るたびに想像力の限りを尽くして黙考する必要がある。原爆がここ広島に落とされてから、63年と6日経って、僕はその場所にいる。

ついに本日のメインエベント、広島−中日戦。3連戦の初戦は、午後6時に薄暮の中試合開始。球場は満員。9割方が広島ファン。球場の壁には、『ありがとう、市民球場』の文字。
この球場でのビジターチームは、正真正銘のアウェイだ。おそらく巨人はこんなことないのだろうが、中日ファンは数えるほどしかいない。しかも中日の攻撃時にはなぜか鳴り物の応援がない。静まり返った球場に、わずかなレフトスタンド中日ファンの蚊の鳴くようなやけくその応援歌が、風に乗って3塁側内野席2階に陣取った僕の耳にかろうじて届く。3塁側だというのに、僕の周りも広島ファンだらけだ。
一転して広島の攻撃時は、球場全体が揺れる。大歓声が球場のすり鉢を反響し共鳴し、地響きのようなうねりとなって観客の身体を通り抜ける。広島ファンの打ち振る赤いメガホンで、観客席の野原に一面の赤い花が風に揺れるように、球場全体が鮮赤一色となる。これじゃ不公平だ。いや、これが本当のホーム。

よく考えてみると、これがヨーロッパのサッカーの試合だったら、アウェイチームが勝った場合、そのサポーターは身の危険を感じなくてはならないところだ。昔のローマ人なら、観客同士で殺し合いでもしているかもしれない。その点日本の野球の試合はファンが穏やかだ。呉越同舟の3塁側でも、険悪な雰囲気になるようなことはなく、現代人としての理性が場を支配し、心の中ではお互いビビリ、嫉み、やっかみがあるけれど、それを行動として表面化させることはない。もしくは、ファンの穏健性の理由は、野球というスポーツの特性によるものかもしれない。アメリカでもそうだが、プロ野球をスタジアムに見に来る野球ファンは、ファン同士でけんかなどしない。これがヨーロッパサッカーや、アメリカで言えばアメフトとかバスケの試合では、攻撃的な若者のファンが多い。ファン層の違いもあるのだろうが(野球は結構親子連れが多い)、ファンの好戦性は、スポーツそのものの特徴からきているのだろう。つまり、サッカーやアメフトやバスケは、いわば肉弾戦であり格闘技と言ってもよい。これに対し、野球は基本的に接触プレーがない。前者では見てる観客の方も自分が肉弾戦をやっているかのように興奮しアドレナリンが分泌されるおかげで攻撃的になるのだろう。

この四面楚歌の逆境の中、われらが中日ドラゴンズの竜戦士たちは、やってくれました。4−0とリードして楽勝かと思いきや、球場全体の広島ファンの後押しによってあれよあれよという間に4−4に追いつかれるも、9回表、イ・ビョンギュの値千金の勝ち越しホームラン。北京五輪のため抑えの岩瀬は不在だったけれど、9回裏の広島の攻撃を、代役高橋がピシャリ。やった、やりました。中日勝ちました。

試合後、バックネット裏に降りて、誰もいなくなったグラウンドの写真を取る。今シーズンで最後の球場を目に焼き付ける。
悔しげな広島ファンと一緒に球場を出る。目の前の横断歩道と路面電車の駅は大混雑だ。満ち足りた、だけど少し寂しげな気持ちで、歩いてひとりホテルへ戻る。

広島市民球場映像

広島には外人の姿が多い。「ヒロシマ」は、エクアドル人でも知っているくらい、世界的に有名な街である。もちろん、史上初めて原爆が落とされた人間の街、という負の意味でだが。外人の姿は、夜のヒロシマにも目立つ。

話はちと違うが、僕がいつも苦々しく思うのは、いわゆる途上国と言われる国々で、いわゆる欧米人どもが、そうした国々に奴ら用に作られた欧米料理を出すレストランやバーで、くだを巻いて我が物顔で騒いでいる姿を見ることである。きゃつらは、世界中の国々を植民地として蹂躙した人間達の末裔である。で今でも奴らは彼らが昔陵辱した国々で、我が物顔の振る舞いをしているかのように映るのである。もちろん、これは僕の一面的な見方、ごくごく私見なのだけれど。

日本はまるでかつて欧米の植民地だったかのようにどこもかしこも欧米化されてしまっているので話にならないけれども、欧米文化に毒されていない、まだ豊かな伝統文化が残っている国々では、欧米風のバーなんて作らないで、とことんその国風のものを全面に押し出してほしいものである。もちろん、実際にはそれらの国々でも、ほとんどが以前欧米各国によって、独自文化を全面的にもしくは部分的に破壊され歪曲されてしまっているし、加えて、観光で欧米人に金を落としてもらうには、欧米人の口に合うレストランや欧米風のバーを作るのが手っ取り早くて効果的だというのは分かるのだが。さらには、かつての日本人と同じように、「欧米的なもの」というのが人々に憧れられ、好かれるというのは、一部は事実である。

とにかく、ヒロシマにもそんな欧米人用のバーなどがないことを祈るばかりであるが、きっとあるんだろうなぁ。奴ら欧米人にとって、「日本のナイトライフはつまらない」という国を目指してほしいものである。「てめぇら、原爆ドーム見に来てんだろ、夜は被爆して死んでいった人々のことを想像して、悶々としてろ!」と言いたい。ま、大多数の欧米人は、夜酒飲むために広島に来ているのでは決してないだろう。

広島 写真集(原爆ドーム、平和公園、広島城、広島市内、など)

夜、テレビのニュースは、北京五輪で女子マラソンの野口が欠場することを大きく伝えている。
NHKの女子アナウンサーが、いつもながらであるが、またアホなことを言っている。
「残りの代表二人には、ぜひがんばってほしいと思います」
なんじゃ、そりゃ。違うだろ!


翌8月13日水曜日。午前中、広島市内のホームセンター、ダイキに寄る。お盆だけあって、灯篭などのお盆グッズを売っている。僕はキャンプに必要な数点の品物を買った後、僕はいよいよ中国山地へと車のタイヤを向けた。今日の広島も暑い。
国道54号を北上し、三次を過ぎ、島根県に入る。赤名にある生協系スーパーでキャンプ食料を買い込む。缶詰、インスタント味噌汁、トマト、オレンジ、おとなのふりかけ、菓子パン、袋入り小ドーナツ、ミネラルウォーター、カップラーメン。

綿あめ雲が幾重にも広がってきた。ポツポツと雨が落ちる。途中、あの世界遺産、石見銀山へ抜ける道を横目に見ながら、僕は車を松江方面へ向ける。深く鮮やかな緑を湛えた山が連なり、その中を縫うように国道が走る。そして雲南市の手前で進路を東にとり、県道へ入る。ここからさらに深い山中へ分け入り、今回の野営地を探すのである。

一人キャンプの地を選定するに当たっては、人が近くにいない山奥に行く必要がある。そういう場所を探すにはどうすればいいか。地図を見て、何も文字が書かれていないところを探せばいい。地図上で文字がないということは、街でも村でも観光地でも景勝地でも山の山頂でもないわけですなわち人がいない、ということである。だが車なので、その近くまで道が通っていてアクセス可能でなければならないところが難しい。道のあるところ、人はいがちだからである。だが、寂れた林道などは、一日にほとんど通行がないというところもある。そういう道の近くの、渓谷川沿いの森の中、というのが僕の追い求める場所である。
地図上でそういう場所に目星をつけて行ってみるが、どうも芳しくない。今ひとつ山奥感が出てこない。すぐ近くに農家があったり、田んぼがあって昼間は農作業をしていたりする。また、何といっても川沿いのいい場所を探すのが難しい。うまい具合に川がないのである。

そうこうしてトライアンドエラーを繰り返し、午後6時前、ついに僕はまずまず納得のいく場所を見つけた。細い林道をたどっていくと、鳥取県日南町と島根県奥出雲町の県境にある船通山(1142m)という山の登山道の入り口に行き当たり、そこにはちょっとした原っぱがあって、テントを建てるのに理想的である。そして肝心の川も、少し道を下ったところに渓流が流れていた。去年と比べると、人工的な原っぱということで、若干山奥感に欠けるが、ここを今年の野営地と定めた。標高は、720mほどである。広島都心の気温に比べると、大分涼しい。

テントを建て、例によって蚊取り線香を焚く。それから炊事を始める。僕が作るのは飯ごう飯とお湯だけである。お湯でインスタント味噌汁やカップラーメンやコーヒー、お茶を作る。おかずは基本的に缶詰だ。そしてビタミン源として今回はトマトとオレンジを買い込んだ。
初日の夕食は、ご飯、ふりかけ、鯖缶、野菜サラダ、インスタント味噌汁、麦茶。作っている間に日が暮れて真っ暗となり、さらに雨が降り出した。傘を差しながら炊事を続ける。ようやくご飯が炊き上がり、お湯も沸いて、雨の中傘の下で飯にありつく。

飯を食い終わるとすぐにテント内へ避難。しばらくすると雨はやんだ。涼しい。
この山の中でやることといえば、本を読むかラジオを聴くくらいである。というかもともと何もしない時間を過ごすために、毎日仕事に追われる東京からこの山奥へやってきたのである。こんな山奥にも、ラジオの電波はどこかにあるアンテナからちゃんと届いている。ここのところラジオは、終日北京五輪の模様を伝えている。いよいよ今夜から金メダルを狙う星野ジャパンの野球競技が始まる。しかし大事な初戦のキューバ戦、ダルビッシュが打たれ、2−4で敗戦。悔しいスタート。
夜のテントの中、虫の音はするが、動物の声は聞こえない。森の中ではなく広場なので、虫の集まりも鈍い。電池式ランタンの明かりを頼りに、本を読む。夜が更ける。

8月14日木曜日。晴れ。朝飯を作りながら、といってもお湯を沸かすだけなのであるが、ラジオが帰省ラッシュを伝えているのを聞く。明日からもうUターンラッシュが始まるという。その後は高校野球。菓子パン、オレンジ、コーヒーの朝食。
早朝早く、船通山に登る登山客の車がやって来た。僕が野営している原っぱのすぐ先に船通山の登山道入り口があり、そこに3台ほどの車が停められるスペースがあるのだ。登山者というのはこんな山奥までやって来るのだなぁと感心した。釣り人とか登山者は、自然への分け入り度がよろしい。数時間後の昼過ぎ、彼らは下山してきて、車で帰っていった。

北京五輪中継では、平泳ぎの北島が2つ目の金メダル獲得。凄い。それにつけても『君が代』は独特だ。各国の国歌を聴き比べるとよく分かる。すべてが欧米風になってしまった日本で、残された日本らしさか。

今日はほとんど何もせず、テントの中と外で過ごした。日中は、日差しが出たり隠れたり。時々パラパラと雨が降る。日差しがあると、ここは日陰ではないのでさすがにテントの中では暑くていられない。日が陰っている時間帯はテントの中で寝た。昼食は、ご飯、カップ焼きそば、味噌汁、トマト。
この原っぱには、アブが多い。羽音がものすごいので始めは蜂かとビビるのだが、大半はアブである。今回はアブにたくさん刺された。アブに刺されると、蜂に刺されるほど痛くはないのだが、腫れがひどい。皮膚がパンパンに腫れ上がる。キャンプを終了する頃、両足のひざ下はアブのおかげでいたるところが腫れ上がっていた。蜂はあの黄色と黒の警告色のためにビビるのだが、アブの場合は、あの顔である。まさにザ・フライの世界。ハエを巨大化したようなあの顔。複眼がデカイ。しかも体も結構デカイので、あれが自分の体に止まっているのを発見すると、恐怖のあまりかなり騒ぐことになる。

PM7時前、川に飯ごうを洗いに行っていると、突然大雨が降り出した。ゲリラ豪雨。昨日もこの時間に雨が降ったが、今日は半端ない大雨。凄まじい雨と雷。大自然の只中で一人ぼっちでいると、こんなめったに見ない大雨だと、結構ビビる。最近、ゲリラ豪雨であり得ない冠水とか河川氾濫とか多いからね。川からは遠いので水にやられる恐れはないが、どっちかというと雷が怖い。日が暮れてきて、迫り来る闇の中で自然の猛威を肌で感じる。気が引き締まる。

7時を過ぎ、雨は小降りとなる。豪雨は20分ほど。8時ごろには雨は上がった。8時半夕食。どんべえ坦々麺、ご飯、焼き貝ひも、オレンジ。
夜は真っ暗。人工的な灯りは全くない。僕のランタンの灯りだけ。
9時過ぎ、再び雨が降り始める。15分ほどですぐに止む。大雨でテントの中に一部に水が入ってしまった。最悪。フライシートが機能してない。水をかき出す。寝袋が濡れた。夜のテント内で、北京五輪の野球をラジオで聞く。星野ジャパン、台湾戦は快勝。
夜は涼しい。雨のためさらに涼しい。

8月15日金曜日。晴れ時々曇り。63回目の終戦記念日。昨晩の雨は上がった。だが、ビニール袋に入れて川で冷やしていたトマト1個とオレンジ2個が雨による増水により流されてしまった!これは痛い。ビタミンピーンチ!残るはパイナップルの缶詰1個だけ。これだけが今日1日のビタミン源。近くの野草でも食うか(笑)。
昨日の大雨による川の増水はそれほどでもないが、水はかなり濁っている。

ラジオを聞いていると、島根県地方は午後から雨だというので、雨になる前に、船通山へ登ってみることにした。午前11時20分、登山口を出発。登山口の標高は720m、1142mの山頂まで2.6kmの道のり。登山道は、森の中、澄んだ渓流に沿って続いている。途中、川の上の木の小橋とか飛び石とかで川を向こうに渡ったりこっちに戻ったりし、道は川と絡み合うように登っていく。川の音がシャワーのようにずっと森の中に響いている。
高い梢が頭の上を覆う。空は、木々に遮られ、ほとんど見えない。森の中には植物が作った清涼な空気が流れている。日が現れると、木々の間の空から光が筋となって森の中に降り注ぐ。太陽は、雲に隠れたり雲から出たりを繰り返す。その度に森の中の調光が変わる。
始めのうちは傾斜は緩やかで楽勝。登山口で注意書きしてあった、マムシとスズメバチも出現しない。
だが、歩き始めて40分後くらい、頂上が近づくにつれ、急に勾配が急になる。そして、マムシとスズメバチのオンパレードとなる。マムシは山頂までに4匹、カサカサと落ち葉の間を波打ちながら、道を横切っていった。恐ろしい。スズメバチや熊蜂の大型蜂は、常に山道を張っているようで、巣がいたるところにあるらしく、頂上近くの道では、歩きながら常時蜂に追われた。奴らは、縄張り侵入者を威嚇するのである。スズメバチの羽音と大きさは尋常でないので、それだけでビビる。蜂を刺激しないようにできるだけ早足で通り過ぎようとするが、何せ坂道が急で標高も高くなってきたので息が切れる。
マムシとスズメバチの脅威からやっとのことで逃れ、ようやく山頂へ到達。到着は12時半。登り始めてからおよそ1時間10分で到着。
登る前は楽勝だと甘く見ていたが、急勾配となってからが長かった。かなりハード。まさに心臓破りの山道。それに加えマムシとスズメバチ。途中、一組の登山者グループ(男4人組)とすれ違った。僕が山頂に到着するとすぐ、後ろから一人の男性と、3代親子連れの3人組(おじいちゃん、お父さん、男の子)が山頂にやって来た。親子3代の3人組は、山頂でお弁当を広げはじめた。そして、子供がお母さんに電話をかけている。驚きだ。こんな山奥の山頂でも今や携帯が通じると言うわけだ。

山頂は、不思議な空間だった。森の中を抜けると、そこは雲がすぐ近く頭上を流れ、広々とした緑の丘だった。青い空に白い雲が速く流れる。山頂部分は木が切られ、こんもりとした更地となっていて、社が立てられ、神が祭られている。鳥居、棒状の碑、社、それらが雲をバックに、緑の芝生にぽつねんとして建っている。頭上には青い空と白い雲。うっそうとした森の中から、突然開けた場所に、もう長い間手付かずのような人工物が建っている。何年も人が入っていない場所に、久しぶりにさまよいこんだ感じ。空と雲と鳥居たちはそこに変わらず存在していたけれども、今まで何年も人の目にさらされていなかったような感覚。
ちょうど、映画『千と千尋の神隠し』で、トンネルを抜けた後千尋の眼前に展開する、誰もいない緑の丘のような風情だ。その先には、長いこと打ち捨てられた遊園地の廃墟がある。そんなイメージとぴったり重なった。前述の登山客がいなくて、僕一人でいたならば、その感覚はきっと増幅されただろう。
ともかく、山頂は不思議なところだった。標高1142m。周囲には、中国山地の山々が360°のパノラマで展開している。北が松江市、米子市、北東に大山(鳥取県)、西に大万本山、東に花見山、南には道後山、南西には庄原市、等々。無数の山々の頂が、この船通山の周りに眺望できる。

この船通山の山頂には、スサノオノミコト(須佐之男命)がヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時にその尾から出たという「草薙の剣」が出土したということで、「天叢雲(あめのむらくも)の剣出剣の地」の碑が立っている。このあたりは、ヤマタノオロチ伝説がある場所である。眼下の伯耆、出雲は、神話の里として知られる。

激疲れで僕は、山頂にいくつかある、木のベンチに横になった。空を見上げる。青い空を雲がすばやく流れていく。しばらく居眠りをする。
親子3代のおじいちゃんの声が聞こえる。彼は、お父さんと孫に対して、船通山のことを解説している。毎年開山時(4月か5月くらいだろうか?)には、社の神官がこの山道を登ってきて、開山の儀式、きっと安全祈願とかだろう、をするのだそうだ。彼らの言葉は、「〜じゃけん」とか「〜けん」というよく広島弁の特徴として言われる方言である。島根弁も広島弁に近いのだろうか。

山頂では、「船通山のイチイ」という有名なイチイの木を見て、下山することにした。山頂滞在時間は1時間半近く。疲れと不思議な感覚とで、二組の登山客が下山した後もしばらく一人で留まっていた。

船通山写真集

帰りは、スズメバチやマムシには遭遇せずに、きのこやカエルに遭遇。下りはさすがに楽だ。だが雲行きが怪しくなってくる。どうやら天気予報は当たりそうだ。登山道入り口に帰り着いたのが午後2時半。下りは40分ほどで踏破。

雨が降りそうなのですぐに炊事。腹はペコペコ。3時過ぎ、案の定雨が降り始める。大雨。傘差しながら炊事して食事。ご飯、さんまの缶詰、味噌汁、パイナップルの缶詰。
雨が降ったおかげで涼しい。降ったり止んだり。夕方には日が差してきた。焚き火をして可燃ゴミを焼却する。今日は夏の日差しはほとんどない。テントの中でも快適。雨の進入だけが厄介。

三度夜が来る。夜の灯りは何もない。これが自然。人間が作った登山道も静まり返っている。夜の暗闇で、あの山道を絶対に歩きたくない。きっとマムシやスズメバチが暗躍し放題だろう。彼らが夜行性かどうかは知らないが。これが自然なのだ。夜、人間が容易に足を踏み入れられない場所はまだまだある。それを、人間は今までどんどんと破壊してきた。道を作り、街灯を建て、自分達がビビらないように、住みやすく、生活しやすいように自然を破壊してきた。もはや都市では、コンクリートで覆われてない場所を探すことすら難しい。もともとあった地球の土は、すべてコンクリートの底に姿を消してしまった。そこでは、バクテリアから虫から両生類から小動物から大きな動物まで、また無数の種類の植物、そこに住むものたちをすべて虐殺して破壊したのである。日本列島改造計画だが何だか知らないが、とにかく日本人は、高度経済成長と引き換えに、大切なものを自ら破壊して失った。
せめてこれからは、この登山道のように、夜は何の灯もなく、人が近づけないような場所をそのままにしておかなければならない。

今夜もラジオはプロ野球、北京五輪の野球を放送している。こんな山奥でも電波は届いている。きっと東京のキー局の放送をそのまま中継しているのだろう、こんな島根の山奥で、首都圏のマンションや店のCMをやっている。八千代、君津、四街道、千葉ロッテマリーンズ、全部千葉のCMじゃないか。
夜は涼しい。コンクリートに囲まれた夜とは大違い。今晩はもう雨は降らなさそうだ。絶え間ない虫の音が豊かに聞こえる。


8月16日土曜日。曇り時々雨。天気はあまりよくない。今日はテントをたたんで丸一日かけて東京に帰る。朝飯を食って、徹営。すべての荷物を車に積み込み、ゴミが落ちてないか確認。朝9時過ぎ、車で今年の野営地を後にする。3泊4日のキャンプ生活は終了。

県道108。気温は23℃。雨のため若干蒸し蒸しはするが、何と涼しいことか。
車は東へ。鳥取県日南町に入り、岡山県新見市に入る。県道8号は、アマゴ釣りのポイントの続く川沿いをくねくねと走る。山の緑が濃い。川の上にJR伯備線の足立駅がある。あぁ、この山深さは、横溝正史の世界だ。彼の作品の舞台の多くが、彼が戦時疎開していた岡山県と瀬戸内海であるが、いままさにあの金田一耕助の世界に突入しているのだ。だが、もっと山中に入っていかないと、あの日本の原風景的な山里には遭遇できないのだろう。立派な県道から見る深い山々は、近代が入り過ぎている。

岡山県内をしばらく中国自動車道沿いに東に走る。そして、昼過ぎ、津山ICから中国自動車道に上がる。ここから東京までいったい何時間かかるか分からない。兵庫県に入り、午後3時ごろ、大雨が降り始める。これまた今まであまり経験したことのない豪雨だ。大雨経験が豊富な僕でも(笑)、最近は本当に気候がおかしいと感じる。何事も激しくなっている。社PAに入り、車の中から大雨を眺める。
再び走り始める。フロントガラスを大粒が激しく叩き、ラジオの音がよく聞こえなくなる。ラジオでは、高校野球をやっている。しばらくして、甲子園でも雨が降り出したことを伝えている。甲子園のある西宮市は、この先だ。雨雲がどんどん東へ移動している。今西宮に雨の最前線が到達したわけである。僕はその雨雲とともに東へ移動しているのか。
途中、何度か渋滞に巻き込まれる。中国道から名神へ。午後6時前、名神の大津SAで休憩。巨大なSAだが、混雑しているのとすべてが高いことに閉口する。レストランは1500円が普通。普通は安いスナックコーナーの定食でも1050円。結局ここでは何も食わず。

名神から東名。東京は遠い。帰り、海老名SAで最後のガソリンを入れる。ハイオクは198円/リッター。全く世の中どうかしている。今回の旅では、広島まで車で行ったこともあるが、とにかくガソリン代がアホみたいにかかった。去年の今頃もハイオクがリッター150円くらいでバカ高だったけれど、今はさらにそこから現実離れして世の中狂っているという状況に突入している。今やリッター180円前後なのである。

大田区の自宅に帰着したのは、午前2時前。最高に疲れていたが、3日間風呂に入っていないので、風呂だけには入って、泥の眠りについた。

(おわり)
2008/8/22 (Fri.)
北京オリンピックを見て

橋と土俵 (栃木県奥鬼怒)

日本人オリンピックアスリートの競技後のインタビューを聞いていると、みんな判で押したように同じことを言う。
「これまで私を支えてくれたすべての人たちに感謝します。」
前回のアテネ五輪を僕は見ていないけれど、シドニー五輪まではこんなコメントばかりじゃなかったはずだ。アスリートの、いや日本人の意識が変わってきていると感じる。

いい子ちゃん社会。それはそれで良いことだ。いい人は、見ていて気持ちよい。それはいい。上記発言は、きっと彼らの心底の本音なのだろう。だが、勝手なもので、みんながみんな同じことを言っていると、何となく物足りなさを感じる。
今の世の中は、イキがる人がコテンパンに叩かれる。出る杭は、完全に叩き潰される。亀田一家は叩かれ、朝青龍はボコボコにされ、話はちょっと違うが、不祥事を犯した会社は、立ち直れないくらいに糾弾され、やられる。世の中の一般の人たちに。メディアはそれら悪役達をこぞって競って取り上げ、一般人に紹介するという重要な役割を果たす。今やケータイにも駅にも電車にも街の電光大スクリーンにも即座に情報が流れ、同じ情報を一瞬にして無数の人々が手にする。昔では考えられなかったことだ。
もちろん悪が排除される自浄作用は大切な社会の機能だが、ある一面だけがクローズアップされ、ある人や組織が壊滅していく危惧がないとはいえない。例えば個人でいえば、すばらしい才能があっても、その素行のおかげでその才能が潰されていく可能性がある。朝青龍なんか、その典型例だ。もちろん彼の言動を擁護する気はさらさらないけれど、それにしても彼は世論にリンチされている感がある。
ファシズムへ走ったドイツを見ても分かるように、ある出来事に対して、一つの見方だけが強調され、それが流布されると、群集心理というのは恐ろしいもので、それがたった一つの真実であるかのように大衆の頭の中が洗脳され、大きく世論が動くことになる。
なんか最近の日本社会を見ているとその傾向が強くなっているように感じる。もちろん、情報公開というのは価値があることなのだけれど。

話が脈絡なくなりましたが、話を元に戻せば、誰か、僕らをハラハラドキドキさせてくれる突き抜けた人が現れないかなぁ、と、オリンピックを見て思う今日この頃なのであります。

HOME > Every Day Life > Diary > 2008.8.