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日記(2012年8月)
2012/8/11 (Sat.)〜8/19 (Sun.)
夏休み(福山⇒松山⇒安居渓谷⇒高知)
8月11日(土)
今年のお盆休みは、墓参りにも行かず、四国に向かう。
出発直前に、ついにカーオーディオを新調した。車が20年以上経っているだけあって、カーステも20年選手なわけだが、ついに2年ほど前に壊れてしまい、以来車の中では音楽やラジオを全く聞かずに運転してきた。さすがに四国まで行くとなれば、無音状態で1000kmも退屈しないで走れるわけがない。
そしてエアコン。本当はエアコンの方が長距離運転には重要だ。エアコンも効かなくなってから2年近く経つ。風は出てくるが、暖房も冷房も効かない。ディーラーや車屋に相談したところ、コンプレッサがやられているので、総取替えで15〜20万円かかるという。さすがにそこまでの決断は出来ず、結局今夏も猛暑の中冷房なしで窓を全開にして汗だくで運転している。四国まで、クーラーなしで過酷な旅が始まる。再び。
昼過ぎに郡山を出発、いきなり東北自動車道で下り仙台方面50kmの渋滞。僕は郡山ジャンクションまでたった2km乗るだけなのに、大失敗。これなら下道で磐越道に乗ればよかった。ようやく磐越道に乗り、スムーズに流れ始める。磐越道は常に空いている。だが、さすがにいつもよりちょっと車の量は多い。
新潟から北陸道。いつものルート。渋滞はない。しかしまたまた通行止めに遭遇。朝日IC⇒黒部ICの間が重大事故発生のため通行止めとなっていた。「重大事故」とはどのような事故かは分からない。先月高岡に行ったときと同様、高速を降りる羽目になる。朝日IC出口手前で大渋滞。そして朝日ICで降りた後も下道の国道8号は当然渋滞。ここで大きく時間をロス。1時間かかって7時過ぎ、再び黒部ICから北陸道に乗る。もう日は暮れた。
気を取り直してスピードを上げる。このままだと福山に着くのが何時になることか。予約してあるビジネスホテルに電話を入れ、遅れることを連絡する。
敦賀で一旦高速を降り、国道28号で小浜へ。小浜ICから舞鶴若狭道に乗り、南下する。吉川ジャンクションで中国自動車道に乗る。福崎から播但道、山陽姫路東からついに山陽自動車道。もう午前1時近い。あと140km。福山へひた走る。すでに12時間近く走っている。もっと早く郡山を出るべきだったと嘆いてももう遅い。
山陽自動車道には九州や四国へ向かう高速夜行バスが走っている。昨今の高速バスの事故を思い出す。追い越し車線から脇をすり抜けるときには細心の注意を払う。
長崎行きの「クラバー号」が前に現れる。高知行きは「龍馬号」、萩行きなら「晋作号」に違いない。もう乗客は眠ってしまっているだろうか。高い窓からは灯りは漏れていない。アクセルを踏み込んで、長崎まで行くクラバーの横を通り抜ける。
福山東ICを降り、福山市内のビジネスホテルにたどり着いたのは、午前2時を過ぎていた。宿の人は律儀にも起きて僕を待っていてくれた。
「遅くなり申し訳ありません」
平謝りに謝る。宿の人はいい人だった。近くの駐車場まで自転車で僕を先導してくれる。
夜中2時過ぎだというのに、通りには若い男女が闊歩している。浴衣を着ている女性が多い。どうやら今日は福山の夏祭りがあったらしい。コンビニでおにぎりとサンドイッチを買う。
チェックインし、食べてシャワーを浴びて寝たのは3時過ぎ。1000km近い距離を午後から走るのは無謀だと思い知らされる。途中の通行止めも痛かった。
8月12日(日)
朝9時起床。宿をチェックアウト。車を駅近くの駐車場に入れ、福山の街を歩く。福山駅前には、釣り竿を持った老人の銅像が建っている。
福山駅のすぐ北側にそびえる福山城。五層の天守を持つ壮麗な城だ。家康の母方縁者、水野勝成が1619年に建築した(天守は昭和41年再建)。天守からは、すぐ脇にある福山駅を発着する電車、そして福山の街の拡がりが一望できる。
そしていよいよ福山競馬場へ。車で向かうも道が分からなくなり途中コンビニの若いネーちゃんに聞く。
「競馬場?あぁ、この先の大きな交差点を左です。「はるやま」のところ。馬のかぐわしい匂いがするから、分かりますよ」
なかなかうまいこと言うじゃないか。
やっとのことで競馬場にたどり着く。もう1レーススタートの時間を過ぎていたため、駐車場は一杯。入り口から少し離れた第14駐車場でようやくスペースを見つけ、入る。
福山シティ競馬。市が運営しているのだろう。日曜日の福山競馬場は、なかなか活気があった。
3軒並んだ競馬新聞売り場。どれがいいか分からなかったので、適当に選ぶ。「キンキ」という新聞、550円。腹が減っていたので、数軒並んでいる食堂のうちの一つに入る。中は涼しい。常連的なオヤジ連中が、店の中のテレビで観戦している。すぐそこにパドックがあるのに、涼しい店内で一杯やりながらテレビを見て予想するのだ。なるほどね。
定番「勝つ」カレーを喰らい、腹が満たされてようやく一息つく。パドックへ。昔ながらの競馬場だ。JRAの競馬場に比べ、生粋の馬券師といった風情のおじさんたちが目立つ。パドック脇の馬頭観音にお参りした後、パドックで馬を見始める。今日は疲れているし暑いしで、あまり馬券にはこだわらずに、競馬場の雰囲気を楽しもうと思っていた。パドックは小さい。10頭くらい入ったらもう一杯だが、地方競馬の競馬場はたいていそうなのであるが、各レース最大でも10頭程度の小頭数レースがほとんどである。
馬券師たちはなかなか熱い。途中、福山、高知競馬で活躍し、平地最多勝記録を更新した福山の英雄、モナクカバキチ号の引退式が執り行われる。セレモニーには馬主、調教師、主戦ジョッキーが台上に上がる。福山市長が駆けつけ、祝辞でモナクカバキチのこれまでの貢献に対して謝意を述べる。
結局3レース馬券を買って3連敗。1万円ちょっと負け。普段買っているJRAと何が違うというわけではない。競馬は競馬。金沢では勝ったけど、福山ではダメだった。どうしても穴狙いに行ってしまう。
福山競馬場 写真集
午後6時、福山競馬場を後にし、しまなみ海道を通って四国は愛媛県へ渡る。しまなみ海道は、瀬戸内海にある島々を渡り、広島県尾道と愛媛県今治を結ぶ高速道路。島々を繋ぐ巨大高架橋を渡るたび、車から雄大な瀬戸内海の風景、海に無数の島が点在する様子を眺めることが出来る。僕は左側の走行車線をゆっくりと走る。橋に来るたび、運転そっちのけで眼下の海と島を眺める。
四国に上陸した頃には日が沈んだ。今治から国道196号で松山へ。途中闇に忽然と表れる巨大な工場。建設中の巨大戦艦のごとく、闇の中にライトアップされた煙突やタンク状の建造物。突然夜の闇に現れた要塞。どうやら石油精製工場らしい。
松山に着いたのは夜9時前。予約しておいたビジネスホテルにチェックイン。飯を食いに出るが、松山城の北側にあるホテルの周りにはほとんど飲食店らしきものはない。結局、10分ほど歩いたところにあった中華料理屋で酢豚定食。ボリュームがあってなかなか良い。
やっと夜になって涼しくなった。大通りを路面電車が走っている。
10時過ぎ、ホテルに戻ると、フロントに人がいない。いくら呼んでも誰も出てこないので、裏の扉から勝手にフロントに入り込み、鍵置き場から自分の部屋のキーを取って部屋に戻った。とんでもないホテルである。これじゃぁ泥棒し放題じゃないか。
8月13日(月)
今日は一日かけて松山市内観光を敢行する。昼前、まずは歩いて松山城へ。途中、自転車で走る人々、自転車屋さんが通り過ぎる。そういえば昨晩も自転車に乗っている人が多かったっけ。通りには自転車専用レーンがある。
(なるほど、この街は自転車の街だな。)
と思いながら歩くと、通りに、句碑が点在している。正岡子規の句だ。そう、ここは偉大な俳人、正岡子規の故郷である。
路面電車が大きくカーブする通りを右折。松山城に登るロープウェイ乗り場がどこにあるか、タバコ屋のオバちゃんに聞く。
ロープウェイ乗り場には、『坊ちゃん』の登場人物や『坂の上の雲』の主人公達の顔くりぬきボードがあり、子供達が裏から顔をのぞかせて親が記念写真を撮っている。
一人乗りリフトまたはロープウェイで広大な松山城公園のいいところ(8合目)まで上がる。そこからは松山城までの登城道で歩いて10分。松山城は標高132mの勝山山頂に加藤嘉明が築いた名城である。現在の天守は1854年に再建されたもので、国内現存12天守のうちの一つ。
ロープウェイを降りたところに何軒かの茶屋、お土産屋があり、俳句ポストがある。この街は、俳句の街だということが分かる。子規を輩出した街は、街全体で俳句を盛り上げるために俳句ポストをいたるところに設置して市民からの俳句を募っている。
松山や秋より高き天守閣 (子規、明治24年)
山の上に建つ松山城、その天守は、松山の人々が見上げる存在だったのであろう。
さて、登城道を登り、松山城の天守閣にたどり着く。松山城のキャラクターは「よしあきくん」というが(加藤嘉明のことだろう)、人気は出そうもない。天守に登ると、松山の街がかなり大きいことが実感できる。さすが四国有数の都市だ。遠くに瀬戸内海が見渡せる。
城内には鎧兜試着コーナーがあり、観光客が鎧兜を身に着けて写真に納まっている。
再びリフトに乗って山を下る。城を囲む木々からうるさいくらいのせみしぐれが降り注ぐ。
坂の上の雲ミュージアムへ。そう、松山は、『坂の上の雲』の主人公達、秋山好古、真之、正岡子規という3人を生んだ街である。司馬遼太郎の小説は、NHKでドラマ化され、数年にわたって放映された。これにより小説や上述3人の知名度が上がり、博物館をオープンすることになったのだろう。館内は、斬新な建築。順路に沿って展示を読み込む。小説の背景となった日露戦争当時の時代解説、3人を育んだ松山という土地柄、3人の人間を語る諸物品。さらには、新聞に連載された『坂の上の雲』全話が、当時の新聞で壁一杯に展示されている。様々な作家やジャーナリストが、「松山」や「坂の上の雲」に関する文章を寄稿している。一つ一つ読んでみる。面白い。伊予人気質に言及している人が多い。「何でも受け入れる寛容さ」がある、とNHKアナウンサーの松平氏は書いていた。3人をはじめ幾多の著名人を輩出した伊予松山という土地は、どのようなところか、興味がある。旅行ではなかなかそれを感じ取ることは難しいだろうけれど。ここの展示を見たからではないが、著名人を多く輩出した街には、独特の気質がある気がする。長州の正義感のように。
松山の繁華街といえば、「大街道」と呼ばれるアーケード街である。入り口の横断歩道は、多くの人々が集まっている。SLの路面電車、「坊ちゃん電車」が通過する。そして、街頭活動をする人々が、「伊方原発再稼動をストップしましょう」と声高に叫んでいる。放射能に汚染された福島の現状を力説する演説に、福島から来た僕は心の中で頷く。まぁ、だけど当事者でなければなかなか現状は分からない、と思う。しかし、愛媛県も伊方原発という原発を抱える県だけに、人々の意識は高いのかもしれない。
ラフォーレの壁には大きな文字で「いで湯と文学のまち、まつやま」という文字が刻まれている。確かにそうだ。が初めてここを訪れた僕が思うのは、こうだ。
「自転車と俳句のまち、まつやま」
アーケード街で腹ごしらえをしようと思うが、なかなか地元の大衆食堂たるものは見つからない。もっとも、松山名物料理というものは、取り立てて存在しないように思える。
結局、メシも食わずに道後温泉へ。路面電車に乗る。15分ほどであっという間に終点道後温泉に到着。しかし万札しかないことに気づき、客が全員降りた後運転手さんに告げると、彼は電車を降りて外にある事務所に走っていった。戻った彼は僕にお釣りを渡す。
「どうもありがとうございました」
松山は、街からすぐのところに、3000年の歴史を誇る日本最古の温泉があるという、特異な街である。道後のアーケード街は、無数の観光客で賑わっている。温泉街なので、浴衣を着た人々が目立つ。松山名産のみかんを使った商品がお土産に所狭しと売られている。みかんジュース、いよかんジュースから、みかん醤油、みかんの入浴剤まで様々。
道後温泉本館は、アーケードの出口前に堂々と鎮座する、木造の公衆浴場である。百十年以上前に立てられた、国の重要文化財。入り口両側に木造建築が展開し、そこにはたくさんの浴場と畳の大広間があり、湯とお茶で休憩が楽しめる。『千と千尋の神隠し』に登場する湯屋のモデルとなったといわれることに納得する。
日が暮れた。今日は温泉には入らずに、明日入ることにしよう。やっと入った大衆食堂で、「坊ちゃん定食」なる定食を頼む。カツオ、野菜に味噌汁、白米、という質素なお袋の味的定食。
夜、湯屋がライトアップされる。僕的には夏は温泉の季節ではないと思うが、ここは季節に関わらずその風情を味わえる。
松山・道後温泉 写真集
8月14日(火)
今日は午前中道後温泉本館の公衆風呂に入り、いよいよ山間部に分け入ることにする。
朝からあいにくの雨。しかし少しは涼しくてよい。道後温泉の一番安いチケットは400円だが、昨日のうちにホテルで割引チケットを売っていたので買っておいた(360円)。しかもホテルは入浴セット(大小タオル、石鹸)をフロントロビーに置いてあり、自由に取っていいのである。本当はタオルは返却してください、とのことだったが、今日はチェックアウトしてから風呂に入りに行くので残念ながら返せない。
道後温泉本館の1階にある湯は「神の湯」と呼ばれ、小説『坊ちゃん』にも出てくる。ここには2つの浴室があるが、いずれもこじんまりとしている。渋い。地元の人は銭湯感覚で入りに来るという。
一風呂浴びて、これで文明社会から離れる準備は整った。
国道11号に乗る。途中マックで昼飯。さらにホームセンターのおばさん店員に道を聞き、スーパーへ。ここで食料の買出し。缶詰などある程度は郡山で買ってあったが、さらにトマトやオレンジ、コーヒー、菓子パンなどをここで買い足す。松山も、街を出るとすぐに田んぼの風景が広がる。稲穂はその重みですでに頭を垂れている。収穫はそう遠くない。
11号線から国道494号へさらに山の中へ。雨は降ったり止んだり。石垣を積んだ棚田、山間に点在する集落、古めかしい木造家屋。日本の原風景がここにもある。また戻ってきた。黒森峠に登るつづら折れの道路の途中、唐岬の滝(からかいのたき)という看板を発見。ここに、夏目漱石や正岡子規といった松山ゆかりの文人たちも訪れたという滝があるそうだ。僕は車を降りて見に行くことにした。しばらく山道を歩く。林を通り過ぎると、背丈1メートルくらいもある草が生える草地へ。廃車が1台、草の中、丘の斜面に放置されている。さらに草道を降りる。再び林に入り、川の音が聞こえてくる。20分ほど歩いて、ついに唐岬の滝にたどり着く。黒光りする岩壁を5段に分かれて水が流れ落ちる。なるほど、爽快だ。
来た道を戻る。お母さんと中学生くらいの娘の二人組とすれ違う。
「(滝は)ここから遠いですか?」
「あと10分くらいです」
再び車に乗り込む。494号を黒森峠まで登り切り、下りに転じる。面河ダムでは霧が山肌を這い上がって、真夏なのに冷涼な風景をさらけ出している。
日が暮れる。街灯のない山間の小さな国道を走り続ける。境野隧道という県境のトンネルを越えると、高知県仁淀川町。山を下ってゆく。すると突然、提灯が灯された小さな商店街に迷い込んだ。この時の感覚は、ベトナムのホイアンの路地に入ったときの感覚と重なった。ホイアンでは夜を過ごすことはなかったが、入ったときに感じた暖かいものは一致していた。幻想の中に入り込む感覚。だが、夢ではなく、厳然と実在する世界。
夜8時。お盆の迎え火だろう、小さな国道の両側に佇む、昔ながらの小さな商店街に灯された灯籠。今がお盆なのだということが実感される。道に人気はないが、なぜかこの灯籠の暖かげな光のために、全然寂しい感じがしない。先祖の霊がどんどんこの迎え火に引き寄せられているから、ということではあるまいが。人工的な街灯の光とは全く異なる、灯籠の明かり。なぜかその中にいると不思議と安閑とした気持ちになる。暖かい光の列。僕は車を止め、外に出てしばらくその光の中に佇んだ。誰もいないけど孤独感がない。灯籠の薬効。
川の音がしている。闇の中で流れは見えないが、土居川だ。
いよいよ夜の安居渓谷に突入する。細い山道、県道362号を車で登っていく。真っ暗。時折小さな集落を通り過ぎる。安居渓谷の入り口に、バンガローや休憩所がある。車でやってきた人々が情報収集しているのだろうか。さらにそこから登っていくが、真っ暗なのでもう野営場所を探すことは無理だ。だが細い道を車で走り続ける。雨が激しくなってくる。どこをどう走っているのか分からないまま、1時間くらい真っ暗な林道を走り続ける。真っ暗で車のライトが照らすところ以外何も見えない。車の車輪を踏み外そうものなら大変な事態となる。行き止まりになったらバックして転回などは恐ろしくて出来ないような細い道だ。結局迷路のような林道を一周した挙句、元の道に戻ってしまった。結局この日は林道の避難帯に車を停めて、車の中で眠ることにする。雨は断続的に降り続いている。
電池式のランタンをつけようとして気づいたのだが、ランタンがつかない。おかしい。電池が古いのだろうか。ランタンを諦め、頭につけるヘッドライトで車の中でしばらく本を読む。ラジオは短波が入る。北京の放送局はなんと日本語放送をやっている。キャスターは日本人と中国人。内容は中国のニュースやトレンド情報。面白い。
真夜中0時過ぎ。1台だけ車が横を通った。こんな夜中にどこに行くのだろうか。まさか死体を運んでどこかに埋める人じゃないだろうな。
真夜中の山中、外は完全な暗闇のように見える。明かりがなければ何も見えない。だが、雨が落ちてくる空を見上げると、空は白っぽい。雲が広がっているのだろう。森の中は闇に沈んでいるが、空は闇ではないのだ。空よりも闇が濃いのは、森である。そして、完全な暗闇というものは、ここまで人里離れても、洞窟にでも入らない限り、自然には存在しないように思えてくる。それは人工的にしか実現できないかのようだ。
車の屋根を雨が叩く音を聞きながら、1時半までかかって三島由紀夫の小説を読了。『憂国』はとんでもない小説だ。今までにこのようなものを読んだことがない。
シートを倒し、雨は降っているが窓を少しだけ開けて眠る。雨だからか、暑くて死ぬことはなさそうだ。
8月15日(水) 終戦記念日
朝、シートの上で目が覚める。時々横を車が通り過ぎる。雨は止んだ。日が差している。昨日は真っ暗で周りがどうなっているかまるで見えなかったが、朝になって安居川沿いの山の中の様子が初めて認識される。道の西側にそびえる岩肌に、滝のように水筋が流れ落ちている。さすがに車の中で寝たので清々しい朝とはいかないが、そうでなかったら間違いなく気持ちのいい山の中の空気と緑と水である。
今日はまず、一旦山を降りて、ランタン用の電池を買う。さらにはガソリンも入れたい。ということで山道を下る。国道494号に出、しばらく車を走らせると、池川町という小さな街がある。昨日迷い込んだ灯籠の街は、ここだった。土居川にかかる橋を渡り、狭い道の脇に車を停め、雑貨屋に入る。朝は晴れていたが、再び雨模様となる。
「おはようございます。ここ、電池売ってますか?」
オバちゃんが答える。
「ここには売ってないよ。そこのガス屋さんにあるよ。」
「ありがとうございます」
ではす向かいのガス器具屋さんに入る。ガスコンロが並んでいる。ガス器具の出張セットもしているのだろう。
「すみません、こちら単一電池売ってますか?」
「ありますよ。だけど100均みたいに安くないけどいいですか?」
100均とは、100円均一ショップのことだろう。こんな田舎のガス屋のおじさんから「100均」という言葉が出てくることに驚いたが、見ると店から奥の居間に通じる場所にあるパソコンでは、子供達がネットサーフィンをしている。今は地理的にどんな田舎でも、ネットがあればあらゆる情報が手に入る。
さて、なるほど普通の、昔ながらの店だ。こういう店で汎用品を買う場合、当然スーパーや量販店で買うような値段というわけにはいかない。しかしそれをわざわざ買おうとしている客に言ってくれるとは、善意というか誠意が伝わってくる。
「いいですいいです。」
こうして単1乾電池を4本手に入れ、ランタンに入れてみたが同じようにつかない。やはり電池切れではなかったのだ。困った。とすると故障だ。電球切れだろうか。
この商店街に電気屋があるのを思い出し、そこに行ってみた。対応に出たのは主人ではなく、奥さんだろう、初老のおばさん。
「これを修理したいんだけど出来ますかね?」
「うちのお父さんはよう直さんの。電気工事一筋やから。3軒隣のおっちゃんなら直せる思うで、堪忍な。」
「そうですか、じゃぁ行ってみます。」
なるほど、3軒先に、もう1軒の電気店、パナソニックの森本電気店があった。こんな近くに電気屋さんが2軒。だけど屈託なく困った客は渡す。まあ、電気工事を専門にしている店と、家電販売・修理とで棲み分けをしているのだろう。
森本さんのおやっさんは優しげな人で、ランタンをいじり回していたが、こう言った。
「電球切れの可能性が高いけど、電球が取り外しできんね。」
確かに電球部の取り外し方が分からない。
結局、15分くらい二人してあーでもないこーでもないとランタンをいじっていたが、断念した。代わりに、店にあった、「立ててろうそく代わりにもなる懐中電灯」を1000円で買った。ランタンがなくともこれがあれば夜は大丈夫だ。
修理は出来なかったが代替品を1000円で買えたので、これでようやく野営活動に入れる。
とその前に、ガソリンを入れようと思い、森本さんにガソリンスタンドが近くにないかを聞いてみる。
「それなら、この先に1件だけあるよ。この街でたった1件のスタンドだよ」
ガソリンスタンドに行ってみると、なるほど小さなスタンドだ。
「レギュラーリッターいくらですか?」
「ここは高いよ。国道を10分くらい行ったところに1件ガソリンスタンドあるよ、そこで入れたほうが安い」
え?せっかくの客なのに他のスタンドを紹介しちゃうの?それでいいのでしょうか?僕が旅行者であることがすぐ分かったのだろうか。スタンドのおじさんは、「自分の商売のことはいい、客に喜んでもらいたい」という気持ちだったのだろうか。
「高い電池だけどいいかい?」と聞いてくれるガス店のおじさん、客を競合店に渡す電気屋のオバちゃん、さらにこのスタンドでは、他の安いスタンドを紹介してくれる。僕はここに及び、この辺りの人々の誠実さを思い知らされる。ここの人たちは、そういう人たちなのだ、きっと。伊予なのか土佐なのか、とにかくここ高知と愛媛の境辺りの人々の、欲をかかない率直さというものに僕は心を打たれたといっていい。島国日本でも、土地土地の人々の、受け継がれてきた独自の精神性というのがある。やはり人だ。旅でこういう、人々の素朴でいてかつ普遍的な人間性に出会うと、旅に出てよかったと思う。
結局僕は、ガソリンを勧められたスタンドで入れ(笑)、再び山に戻った。昼を過ぎ、天気は再び持ち直している。渓谷の下のほうの白砂の川岸には、すでに家族連れがキャンプを張っていた。僕はもっと上流に登り、川沿いのいい草地を見つけ、そこにテントを張ることに決めた。
が、再び雨が降り始める。仕方なく僕は車道で昼飯を作ることにする。湯を沸かしカップヌードルを食べる。すると川に降りていく家族連れが僕の横に車を止めた。彼らは、道でカップラーメンとシーチキンを食べている僕を、奇異の目でちらちらと見つめる。何しろ僕は、傘を差しながら、道端でカップラーメンを食べているのである。これが面白くなくて何が面白い?
その後、雨が小降りになったのを見計らって速攻でテントを設営。荷物を車からテント内に運び込む。川に下りてポリタンクに水を汲む。そして、トマト、オレンジ、フルーツの缶詰を袋に入れ川に沈める。
ようやく落ち着く。外はまだぐずついている。横になり小説を読んで過ごす。ここ安居渓谷の山の中は、AMラジオが入らない。昼間は特に電波が悪い。せっかくの高校野球がなかなか聞けない。
4時前、二人の釣り人がやってきた。本格的な釣り師の格好をしている。一人はサングラスをしており、まさに魚紳さん状態だ。
「こんにちは、虫はいますか?」
「えぇ、アブが結構いますよ」
そんな会話をした後、一人は僕がテントを張る目の前で、もう一人は少し上流で釣り糸を下ろした。
(こんなところで釣れないだろ、だって俺がこんな目の前でキャンプしているのに・・・)
と僕の目の前で釣っていた男の竿に当たりがあり、またたく間に彼は一匹釣り上げてしまった。僕はほぉーと目を見張る。銀色の腹が川面に反射した光にきらりと光る。すると、程なく彼は2匹目を上げる。そして3匹目。わずか20分ほどの間に、彼は4、5匹釣り上げてしまった。
こりゃ本物の魚紳さんか?それともこの川の魚はみんな腹ペコなのだろうか?
おそらくあれはヤマメだ。これほど簡単にヤマメたる渓流魚が釣れるのを僕は初めて見た。
二人は、竿を上げ下ろししながら、徐々に上流へ移動していき、見えなくなった。
5時過ぎ、日は暮れかけ、ヒグラシの声が控えめに聞こえてくる。
6時前、再びまとまった雨が降り始める。さっきは晴れ間まで出て、今日はもう降らないと思ったのに、どうも雨がちだ。テントの風入口をすべて閉める。フライがあるものの、時々雨粒がテントの中に入り込んでくる。風入口を閉めても、雨のおかげで暑くない。テントの中は快適だ。いつものようにテントの下にはダンボールを敷いてあるし、テントの中にはアルミ断熱マットも敷いてあるので、冷たいことも湿ることもない。
ヒグラシが雨の中を鳴く。雨だからか、強烈ではない。去年の三重はヒグラシの声が圧倒的だった。ヒグラシの森。
夜になり、雨が小ぶりになった隙を突いて外に出て野グソをする。今日は一度もしてない。だがケツを出したとたんに、アブにたかられ、柔らかいケツを次々と刺される。このあたりは、アブがやけに多い。野グソ一つするにも大変だ。だが我慢していただけあって良く出た。
その後夕食。日は完全に暮れた。コンロに火をつけ、飯を炊く。キャベツ、トマト、ぺヤングソース焼きそば、ふりかけご飯、さんま蒲焼(缶詰)、味噌汁の豪華夕食。夕食を終えると、再びテントの中。あとは眠くなるまで本を読み、ラジオを聴くだけだ。夜になってAMラジオも大分入るようになってきた。ナイターでは中日が勝利。ニュースでは、今日阿波踊りが最終日であることを伝える。四国2大祭りは、阿波踊りとよさこい祭り。いずれも踊りが特徴。
昼間に買ったろうそくのように立つ懐中電灯を立てる。おかげで180cm角くらいのテントは、大いなる自分の領地となる。
今日は終戦記念日。四国山中といえば、『海辺のカフカ』で日本兵が現れるのが四国ではなかったっけか。
僕は日本の山奥で、テントで寝ている。戦争で、ジャングルで死んでいった人たちのことを思うと泣けてくる。食べるものもなく、着替えもなく、病気と飢えと怪我を抱えて山の中で過ごすというのは、どれだけ過酷なことだろうか。生きるだけで精一杯の環境の中、人殺しを強要される戦争というものを、とても今の僕には想像できない。
11時過ぎ、外に出てタバコを一服し、2日ぶりに歯を磨く。雨はほとんどやんだが、霧雨のように水が空中を漂っている。空を見上げると、星がまばらに光っている。雲が流れているようだ。やはりここでは空が一番明るい。
テントに入り、しばらくポール・オースターを読む。12時過ぎに眠くなって眠りに落ちる。寝袋に入ってちょうどいいほどに涼しい。
8月16日(木)
朝、何度か目が覚める。雨は降っていない。天気は回復したようだ。暑くもない。まだ寝袋に入っていても大丈夫だ。
9時頃暑くなり、テントの風入口を開け、風を入れる。結局11時半まで寝てしまった。10時ごろには暑くて寝袋からは出たが、よく寝た。前日は窮屈な車の中で不自然な格好で寝たからよほど疲れていたのだろう。
曇りだが時々晴れ間がやってくる。久々に気持ちのいい天気だ。テントの外に出て伸びをする。パンとコーヒーの朝食後、本を読み、ラジオを聴きながら過ごす。
四国は山深い。西日本最高峰はここから近い石鎚山(1982m)である。中国山地よりも四国山地のほうが標高が高い。日本の山の多くは、森が深い。ここも木の密度が濃い。
安居渓谷はキャンプ禁止でないようで、よろしい。去年の三重の宮川周辺はどこもかしこもキャンプ禁止で野営地が見つからずに苦労した。危険だから禁止するのか?それとも環境保全のためか?自由にキャンプが出来る日本であって欲しい。
それにしてもここ安居渓谷の山中では、昼間AMラジオが入らないのが大誤算だ。高校野球が聞けないではないか。一番よく入るのが韓国語の放送なのだから情けない。ただ夜になると名古屋から大阪から九州の放送局まで、何局も受信できる。
ここにはアブがやたらと多い。奴らは所構わず僕の肌の上に降り立ち、刺してくる。チクリとしてしばらくするとかゆくなる。蚊と違い大型なので自分の肌の上でつぶすのに抵抗があるが、やるしかなるまい。しかし、動きがメチャクチャ速いので、殺害するのが大変だ。二匹、三匹でたかられると、気が狂いそうになる(笑)。川辺で足を刺され、危うくサンダルを川に放り出しそうになってしまった。
昼までは頭上に張り出した梢のおかげでテントは日陰に入っているが、昼を過ぎると太陽が頭上に移動し、テントに直射が当たる。さすがに暑くなってくる。僕は目の前の川で泳ぐことにした。ここは安居川。日本一水がきれいだという仁淀川の支流、水は緑色に透き通っている。「仁淀ブルー」と呼ばれる青い清流。
ヤマメがいるくらいだから水は恐ろしく冷たいかと思ったが、日が強烈に水を温めているからか、思ったよりは冷たくない。
僕は水中眼鏡をして水の中を観察する。魚がうじゃうじゃいる。美しい茶色の斑点を持つヤマメだ。みんな急流に頭を向け川上から流れてくる水生昆虫などを待ち構えているようだ。緑色の清流に命がみなぎっている。
1時間ほど川遊びをして水から上がる。真夏の渓流、さんさんと降り注ぐ陽光と透き通った川面。生きていることを実感する瞬間。「生きていることを実感する瞬間」というのが他の人にあるのかどうかは知らないが、僕がこれを感じるのはいつも大自然の中でだ。街とか家とか人のたくさんいるところで感じることはない。
今さらながらだが、川というのは底知れない。毎秒何千リットル、何トンだかの水を絶えることなく流し続ける。これだけの水が一体山奥のどこから湧き出てくるのか?海の水が蒸発して雲になり、雨が降って川になりそれが海に流れ込むという、地球の水の大きな循環というのを昔学校で習ったが、それにしてもあまりにも大量の水がこの一秒一秒絶えることなく昼夜に渡って流れ続けることのすごさ。毎日つつましく水を使っている自分の小ささを思い知らされる。いや、節水は大事なんだが。これだけ水に恵まれた国というのも珍しいのかもしれない。中東なんかの乾燥地帯では、いうまでもなく水が一番貴重品なのだ。
夜まで本を読んで過ごす。
6時過ぎ、あまりの涼しさに長袖のシャツを着る。山深い場所とはいえ、長袖の出番があるとは思わなんだ。朝晩は涼しい。標高が高いからだろうか。昼の川遊びで体が冷え切ってしまったのだろうか。
ラジオは入らないのに、ここではケータイの電波がある。いつもと逆のパターンだ。ケータイで明日の仁淀川町の最高気温を見ると、29℃。30℃に満たないとは涼しいわけだ。松山とか高知の平地なら、35℃近いはずである。最低気温は21℃。ここ石鎚山系の山中は真夏でも朝晩は涼しい。
8時前、夕食の支度を始める。ご飯、さば味噌煮(缶詰)、味噌汁、トマト、マンゴー(缶詰)。味噌汁を入れる紙コップを数回使っていたら、つなぎ目が裂けて分解してしまった。おかげで味噌汁の熱湯が手にかかり、左手指をやけどした。やっぱり熱に弱い紙コップで味噌汁を飲んじゃいけない、ということを痛感する(笑)。いつもキャンプは紙皿に紙コップに割り箸で、すべて使い捨てせずに毎日使うのだけれど(笑)、ちょっと無理がある。今度昔使っていたようなキャンプ用食器セットを買うことにするか。
空を見上げると息を呑むほどの星空。上下から張り出した高い漆黒の木々に仕切られた空は、星の明るさで輝いているかのようだ。天の川がちょうど頭上真上、斜めに走り、おびただしい数の星を散りばめている。ひときわ輝く夏の大三角形。白鳥座の十字が浮き出てくる。
飽きもせず、川の音を聞きながら11時過ぎから1時間くらい、ずっと空を見上げていた。この間、明るい流れ星が6つ流れた。ベガの西、東、北方向に1個ずつ、アルタイルの北と南に1個ずつ、そして大三角形の中心に1個。鮮やかな光の筋が尾を引く。
見上げ始めた頃は、どんどん空の漆黒が深くなり、星の輝きが増してくるように感じられる。ずっと見上げていると、星空がこちら側からのバックライトで明るくなってくるように錯覚する。相対的に、空を切り取る木々が、より一層闇を深くしていく。底なしの黒。
モンタナ、鴨川、そしてここ安居渓谷の恐るべき星空。満天の星空を見て再び感じる。この地球上には僕一人しかいないんじゃないか?
川は暗黒。目が慣れてくると川岸の白い岩がぼーっと見えてくる。そして、白いしぶきが急流の中に可視される。しかし、よどんだ流れは暗黒。音だけが暗黒から上がってくる。暗闇の中でも川は流れ続けている。昼も夜も絶え間ない営み。
飛行機は一機だけ西から東に飛んだ。もう12時だから、関空あたりに降りる国際線だろうか。
今日は涼しい。テントに入り、長袖にジャージをはいて、寝袋に入り込む。これでちょうどいい。
安居渓谷 写真集
8月17日(金)
朝から体調不良。冷たい水で泳いで、さらに夜中ずっと星空を見上げていたから風邪を引いたのか。別に変なものを食べた覚えはない。お腹は特に問題ない。が体がだるく、全く食欲がない。こりゃまずい。
昨日に続いて天気はいい。この日はずっとグッタリしていた。何も食べる気がしない。読書する気もしない。
昼になりテントに直射日光が降り注ぐと、さすがに暑くてテントの中で寝ているわけにはいかないので、外で座ってグッタリする。
こうして何もせずに夜になった。ほとんど何も食わず。人里離れた山の中で、体調不良。なかなか辛い。また戦争のことを思う。
8月18日(土)
朝9時過ぎに起きる。体調は大分戻った。まだ完調にはほど遠いが、何とかなりそうだ。
今日はテントをたたみ、高知へ移動する。天気はいい。
10時過ぎまでにテントをたたみ、車に荷物を運び込む。再び車の旅。県道362号を通って山を降り、国道439号から国道33号へ。「田舎のコンビニ」という小さな商店で、パンとコーヒーを買う。久しぶりの食べ物。
33号は、松山と高知を結ぶ主要道路だ。アップダウンする山道に、棚田の風景。
高知が近くなってくる。いの町で渡る仁淀川は、もう下流に近く、大河の様相だ。広々とした川原でたくさんの人々がキャンプ、バーベキュー、水遊びをしている。今朝まで僕がいた、渓流の風景とはまるっきり違う。
路面電車が現れる。高知市街はもうすぐだ。車道の真ん中を路面電車のレールが走り、車はその脇を走る。
まだ体調不良が残ってはいたが、気力を振り絞り、高知城へ。駐車場に車を停め、高知城の天守へ。公園で、おじさんたちが大勢で将棋に興じている。中国の青空マージャンみたいなものだ。
高知城も松山城同様、木造天守が残っている全国12の城のうちの一つで、確かに古い城だ。関ヶ原の戦い直後に土佐に入国した山内一豊が築城した、400年の歴史を持つ南海の名城である。
入口である追手門の前には「国宝 高知城」の碑(今では天守や本丸の建物は重要文化財だそうである)。そこは三方が高い石垣に囲まれた袋小路状になっていて、敵の襲来を三方から攻撃できる形状となっている。
重厚な構えの追手門を入ると、自由民権運動の父、「板垣死すとも自由は死せず」の名言で有名な、土佐出身の板垣退助の銅像。
天守閣はこじんまりとしている。今回巡った福山城や松山城に比べると、天守自体は小さい。
城に入ると、様々な展示がある。順路に沿って進む。大河ドラマ『功名が辻』で仲間由紀恵が着た着物。手入れの行き届いた畳が張られた部屋がいくつも並んでいる。
高知城と城下の模型。土佐藩の歴史、彩った人物たち。長宗我部氏。幕末の山内容堂、坂本龍馬、武市半平太、吉田東洋、高岡慎太郎。
天守から眺める高知の街も味がある。
午後5時前、予約しておいた格安ビジネスホテルにチェックイン。荷物を置いてしばらく休んだ後、再び出かける。今日のハイライトは、高知競馬場、「よさこいナイター」である。
高知中心部から車で20分ほど、高知競馬場は桂浜に程近い場所にある。競馬場に着いたのは午後6時過ぎ。真夏のこの時期、まだ明るい。
寂れた競馬場だ。土日開催の土曜日なのに、観客が少ない。まずは競馬新聞だ。福山と同じく、3種3軒の競馬新聞売り場のブースが並んでいる。3人のおばさんが声を上げて売り込んでいる。僕は前に入ったおじさんたちを観察する。二人連続で「土佐龍馬中島」という新聞を買ったので、僕もそれがいいのだろうと思い、土佐龍馬中島を求める。福山と同じく550円。他の二人のおばさんたちは残念そうな顔をする。
競馬場を見て回る。昔ながらの馬券売り場窓口。自動券売機はないようだ。子供の遊具があるキッズスペースには、お母さんと何人かの子供が遊んでいるのみ。
第1レースは15:30なので、もうとっくの昔に始まっている。もうすぐ第6レースだ。18:15出走。まだ日は暮れてないので、ナイターではなく薄暮競馬だ。
腹が減って死にそうだ。しかし食事が出来そうなところは屋台が1件と食堂が1件だけ。食堂には焼きそばとおでんしかない。仕方なく焼きそばを頼む。
7時近くなり、ようやく日が暮れてきた。いよいよライトが点灯され、よさこいナイターの始まりである。
華やかなイメージがあるナイター競馬だが、観客が少なく、それでいてダートコースは明々と明かりに照らし出されているのが、寂しさを増幅させる。だが、騎手も馬も本気だ。それは伝わってくる。数少ない観客の僕が応援せねばなるまい。福山競馬場は結構賑わっていたが、ここでは経営が厳しい地方競馬の現状が目の当たりにされる。
そんな中でも、光に照らされたパドックは、さみしさよりも暖かい感じがする。ライトの中、馬と引き手が黙々と歩く。少ないながらも、観客は石段に腰を下ろして、ゆったりと馬を眺めている。この緩さはいいなぁ。常連だろう、おじさんたちは元気だ。声を張り上げて馬や騎手の悪口やほめ言葉や冗談を言い合っている。この常連のおじさんたちが集まる感じは、地方競馬場の風景だろう。数は少ないがカップルもいる。
もう僕は馬券で儲けようという気はなかった。体調万全でなかったこともあるが、当てられる予感が全くなかったのだ。10レースまでパドックを見て馬券を買わずに予想してみるが、全然ダメだ。だがさすがにここまで来て馬券を買わずに帰るわけにもいかない。困窮する地方競馬の売り上げに貢献せねばならない。最終11レース、馬連を3000円分買う。
最終レースは夜8時55分発走。ゲートが開き、まばゆい照明の中、9頭のサラブレッドが走る。スタンド前を走り去り、1、2コーナーを抜け、向こう場面から3、4コーナーを回って再び目の前の直線へ。実況のアナウンスが熱を帯びてくる。叩き合い。
結局僕は馬券を獲れず。だけど、ナイターの光と影は楽しめた。サラブレッドが躍動し、光は馬体に反射し、影が駆け抜ける。
最終レースが終わり、人々は家路につく。あっという間に券売所にも休憩所にも人がいなくなる。余韻も何もない。照明に照らされた無人の競馬場が再び沈黙に沈む。僕はほとんど最後に競馬場を出る。目の前の駐車場に停めた車に乗り込む。9時過ぎ。競馬場から人がいなくなると、夜の暗さと空虚な照明の明かりとも相まって、今までで一番の寂しさを感じる。
高知競馬場 写真集
ホテルに戻り、久々のシャワーを浴び、ベッドに布団で眠りにつく。極楽だ。
8月19日(日)
夏休み最終日。今日は1日で郡山まで戻らねばならない。本来であれば、朝すぐ郡山に向けて出発し、一日をかけて戻るべきところである。何しろ行きは郡山から福山まで13時間くらいかかったのだ。ここ高知からでも同じくらいかかるだろう。となれば朝8時に出ても夜9時にしか着かないことになる。
だが僕には、あと1ヶ所だけ行くべきところがあった。桂浜である。ここまで来て桂浜に行かないわけにはいかない、本当なら昨日のうちに回っていたのだが、体調不良があり、結局昨日は高知城と競馬場にしか行けなかった。
朝7時40分に起き、パンとコーヒーの朝食後、桂浜へ。朝なのでまだ観光客は少ない。途方もなく天気がいい。そして恐ろしく暑い。容赦ない日差し。もうすでに35℃あるのではないか。
あの有名な龍馬の巨大銅像。そして白砂の海岸。緩やかに弧を描く波打ち際と、青い海に青い空、白い雲。高知きっての景勝地だということが分かる。
丘の上には「坂本龍馬記念館」がある。ここに入るべきか入らざるべきか、大いに迷う。いま9時半。もう出発しなければ。だが僕は記念館目の前まで来て入らないことは出来なかった。金500円を払って早足で展示を巡る。だが龍馬の残した手紙、桂小五郎の手紙、武市半平太の手紙、船中八策なんかの貴重な史献にはどうしても見入ってしまう。龍馬が暗殺された近江屋の部屋の再現、血痕の付着した掛け軸と屏風の複製、そして土佐勤王党に暗殺された吉田東洋の功績を集めた特別展。土佐勤王党や脱藩藩士側から語られることの多い土佐の幕末史の中では、吉田は敵として語られることが多いが、土佐藩の政策決定、法整備、殖産興業、人材育成に尽力した、非常に優れた政治家であったことが分かる。
博物館の屋上からの太平洋の眺めがまた格別だ。この天気なら、「日本を洗濯するぜよ」的な気分にもなるというものだ。
高知・桂浜 写真集
11時過ぎ。ついに僕は桂浜を後にした。13時間かかるとすれば、郡山着は夜中の12時だ。炎の走りをするしかあるまい。1000km以上だけれど。
高知市街に戻る土佐湾沿いの道は、光を反射する海の藍、突き抜けるような空の青、グングンと湧き上がった雲の白。鮮やかなコントラスト。
高知市街に戻り、はりまや橋を通り過ぎ、ガソリンを入れた後、高知ICから高知道に乗る。四国を北上する。どこもかしこも深い山だ。四国とは、山の島であることが実感される。馬立パーキングエリアで昼食。ここの名物「マーラーメン」を食す。ピリ辛のタレがかかった冷やし中華のようなものだ。美味い。
川之江東ジャンクションから徳島道へ。途中通り雨が降る。徳島県も山だ。山すそに街が広がる。終点の徳島ICで一旦高速を降りる。徳島市街国道11号を走る。阿波踊りと池田高校。剣山に祖谷渓、大歩危小歩危にかずら橋。行ったのはいったい何年前のことだろうか。
鳴門ICから神戸淡路鳴門自動車道に乗り込む。鳴門海峡上を走り淡路島。淡路島も山がちな地形だ。淡路島から明石海峡大橋を渡り、一気に本州へ。帰りは最短距離だ。一瞬山陽道に乗り、神戸ICへ。ここだけUターンの渋滞に巻き込まれた。阪神方面へ帰る人たちの車列。僕はここを通り抜けて北に向かうのに。東に向かう人々の波に飲み込まれる。だが数十分の渋滞を我慢したら、舞鶴若狭道の分岐が現れた。よっしゃあぁぁぁー。ほとんどすべての人がそのまま山陽道で大阪方面を目指す。僕は一人舞鶴若狭道に乗り、一路兵庫県を北上する。車はまばらにしか走っていない。再び炎の走り全開。京都に入り福井は小浜へ。終点小浜西ICに着いたのが午後5時過ぎ。ここまで6時間か。
行きも通った国道27号。行きは夜で真っ暗だったが、今はまだ日が高い。カーステからはバスコックス。1時間半くらいかかって北陸道の敦賀ICに到着。ここからは長い長い北陸道。死に物狂いで新潟を目指す。すっかり夜になった金沢では、高速沿いの野球場だかサッカー場がまばゆい照明塔の光を放っている。いつも夜金沢を通るとこの光景を見る。プロ野球じゃないから、Jリーグか?それともなにかアマチュアの試合だろうか。
途中休憩を入れながら北陸道を4時間くらい走り、ついに新潟。ここから磐越道。郡山にたどり着いたのは午前1時。桂浜からおよそ14時間。
長くて息もつけない夏休みが最後の最後ギリギリまでかかって終わる。明日から仕事。信じられない。
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