2014/2/21 (Fri.)〜2/26 (Wed.)
ミャンマー渡航直前
私のミャンマー渡航日は2月27日木曜日と決まった。海外に住む前の準備期間というのは、本当に時間が夢のように過ぎる。つまりは夢を見ていたかのように一瞬だ。
諸手続き、買い物、飲み会。
2月21日金曜日。
千葉市のがん検診の結果を聞く。胃がん、肺がん、大腸がん、B型・C型肝炎とも問題なし。ただし、消化器科の先生が僕に念を押す。
「今回はX線検査なので、100%大丈夫とは言えないんですよね。それだけは言っておきます」
何じゃそれ?だったら初めから胃カメラ飲ませろっての。

新島に上陸 |

焼き鳥「こんちゃん」にて |
2月22日土曜日。
裕助、コンスケ、石坂を動員し、トランクルームの移動。今借りている4畳のトランクルームは賃料が高いので、一部の物品を処分して、3畳の部屋に移動しようというのだ。僕は物が捨てられない人間なので、この大移動で捨てると決めたのは、大物としては冷蔵庫、洗濯機、カラーボックス4個。もっとも、3畳でも結構入ることが判明したこともある。他の3人は、今はやりの断捨離とやらを持ち出し、あれも捨てろこれも捨てろとわめくが、僕はかたくなに拒否。
こうして4時間ほどで作業は終了。裕助の軽トラに冷蔵庫などを積み込み、リサイクル屋へ。まずカラーボックスはハードオフで傷のない2個のみを買い取ってもらえた。1個150円で300円なり。しかし、冷蔵庫と洗濯機は、それぞれ2001年製、2002年製と古いため、悪しきリサイクル法とやらの壁に阻まれ、結局どのリサイクル屋でも金を払って引き取ってもらうしかないという。千葉市のリサイクル(郵便局で金を払って「リサイクル券」なるものを買う)で引き取ってもらって2つ合わせて6350円。
結局、気のいいオッちゃんがやっているリサイクル屋で、6000円を払って引き取ってもらった。
夜は岡も合流し、岡の車で焼き鳥『こんちゃん』で飲み会。我々の昔の写真を石坂が電子化してきたので、それを見ながら大いに盛り上がる。若かりし頃の記憶。
その後岡が離脱し、コンスケの車で五井へ。五井は知られざるキャバクラ激戦地だということを初めて知る。当初の計画では、前回房総に出かけた帰りに見かけて皆で大いに気になっていた「セクシー・ダイナマイト」という店に行こうとしていたが、ここがいわゆる外国人パブで、それほど楽しくなさそうなったので、近くのキャバクラビルへ。6階建ての建物全階すべてキャバクラという、外観は元ラブホテルのような西洋風の建物だ。こんなところにこんな建物があるなんて、驚くべきことじゃないか。ここは新宿でも池袋でもないのだ。普通に吉野家やファミレスが道路沿いにある、そのすぐ裏に、この夢御殿が鎮座しているのである。
で入口に4人で近づくと、来ました来ました、各階の店のポン引きニーちゃん、オヤジたちが一斉に僕らを取り囲んだ。彼らは口々に叫ぶ。
「6階お願いします」「ぜったい5階です。」「1階が一番いい子揃ってます」
ならばと各ポン引きに料金を聞いてみると、なんと全店均一なのだという。そうしないとビルのオーナーに違反としてマズいことになるのだという。結局談合じゃないか。どの店も同じ条件なので決めるに決めかねていると、2階だけがコスプレだという。それでコスプレに決めた。何事も差別化が必要なのである。
で、50分いたが、なかなか良かった、と珍しく裕助が満足していた。延長はせず、店を出る。外に出るとさっきのポン引きたちが再び群がって来るが、振り払って帰途につく。
その後、千葉市内の行きつけのバー、ペニーレインに行くが、着いたのが午前1時。店は閉まってしまっていた。残念。
2月24日月曜日。
朝から千葉市若葉区役所へ。転出届を出す。その後千葉駅近くへ移動、銀行で大金を下ろし、ドルに両替しようとするが、空港で換えたほうがレートがいいと聞き、今日は両替をやめる。
ヨドバシカメラで1TBのポータブルハードディスクとホームページ作成ソフト、デジカメのバッテリーを購入。そしてそごうの本屋でミャンマー語の本などを手に入れる。行きつけの眼科・コンタクト屋に行って目の検査。最近コンタクトをすると決まって右目が痛くなってしまう。やはり角膜に傷がついているとのことで、今週ミャンマーに旅立つので、目薬を大目に出してもらう。さらにパルコの好日山荘でたまったポイントを使ってキャンプ用アルミ食器を購入。
2月25日火曜日。
朝ミャンマー大使館へ行き、ビザを受領する。1年間のビジネスビザ。ついにこれで私は渡航可能となったわけである。
その足で出勤。東京で働くのは今日が最後。後任に新しく入った人に最後の引継ぎ。
今日はペニーレインへ行く最後のチャンスだと思い、仕事帰り、夜9時ごろに裕助とコンスケと合流する。ところが、何とペニーレインは閉まっている。ちょっと予感はあったのだが、最悪の予感的中。仕方なく、同じビルの上の階にある300円BARに行く。ここは結構落ち着いた雰囲気で、カクテル1杯300円ということで、なかなか好感が持てる店だった。この店の店主に、下のペニーレインは今日は休みか?と聞く。さぁ、分かりません。いつもは月曜から土曜は店開けてますけどね、との回答。いつも海外赴任前とか帰ってきたときは節目節目でペニーレインのおばちゃんに挨拶をしているので、今回はそれが果たせず残念だ。明日が最後のチャンスだが、さすがに明日は渡航前日なので厳しい。
11時前にお開き。バスで裕助と家に帰る。その後、朝方4時過ぎまで荷造り。別送段ボールは2箱。スーツケースはすでに22kg。23kgのリミットぎりぎり。
2月26日水曜日。
渡航前日。10時半に起きて段ボールを2箱車に積んで郵便局へ。送り状に、英語ですべての内容物を記入、晴れて郵便局に引き渡す。2箱、船便で計13000円。ミャンマーなら船便といっても1か月くらいで着くだろうと思われる。だが税関がどうか。同じく船便でエクアドルに荷物を送った時は、うかつにもカメラと関数電卓を入れてしまい、あっけなく税関で盗まれてしまった。
今回は当然盗まれそうなものは入れていない。送るのは、本、衣類がほとんど。
その後車検のコバックで車のオイル交換。車はまたほとんど動かないことになってしまうので、帰ってから動かないことがないよう、一応必要なメンテはしておく。
美浜区のスーパースポーツゼビオにジャージを買いに行くが棚卸のため休み。隣接する眼鏡市場へ。だがいいフレームはない。ミャンマーでコンタクトがダメな場合、眼鏡で過ごさねばならないので、眼鏡を一つ新調していくことにしたのだ。
実は先週くらいからメガネスーパーやメガネドラッグなど、チェーン系の店をちょっと回って物色しているのだが、ロクなメガネがない。そこで今日は、Zoffという割と安いメガネ屋へ。すると、なかなかよいフレームがあったのでそれに決めたが、残念なことにレンズの在庫がないから1週間かかるというではないか。それは無理だ、今日が僕にとっての最終日である。明日はミャンマーに旅立つのだ。
仕方ない。眼鏡はその日にすぐに持ち帰れるわけでは必ずしもないことに今更気づく。もっと早く動いていればよかったのだ。眼鏡は諦めざるを得ない。
肩を落としてauショップへ。ケータイを解約。5月までの契約なので、その前に解約すると1万円近い違約金が発生するという。結局一番安く済むのは、5月の更新時に解約し、それまで2か月間は基本料金(780円)のみを払う、というもの。それにしてもここの店員だか店長だかの男が妙に高圧上から目線で、説明も横柄だし、しかもこれから余分に払う金が一番安くなる方法を聞いてんのに、危うくその手続きをせずに済まされるところだった。こっちが指摘して初めて基本料金だけの手続きを端末上で始めたのだ。さっきからその話してんだろ、お前よォ、チョこしてんじゃねぇぞ。このauショップ千葉店のこの最悪対応男のことを僕は一生忘れない(笑)。今後auのケータイを持つことは決してないだろう。
その後、蘇我のアリオ内のスーパースポーツゼビオへ。ジャージを買うためだ。私がいま部屋着として着ているジャージ(下)は、もう腰のゴムが伸び伸びで、とてもミャンマーに持っていける代物ではない。ジャージなるものを購入するのは一体何年振りだろうか。
店員にジャージ売り場を聞いてみる。ゼビオの巨大な店内で、ジャージ売り場は小さい。いまでもジャージというのはスポーツに欠かせないものかと思っていたのだが、昨今では、ウィンドブレーカーチックなものとか、ランニング用のスパッツ的なのとか、スポーツウェアも様々なバリエーションがある。ジャージ(下)の値段を見ると、昔懐かしいアディダスとかプーマとかルコックとかのメーカー品はえらく高い。ジャージの下だけで5000円〜7000円くらいする。いいのがない。結局、プーマの紺色のジャージ(下)を6000円で求める。高いよ、トホホ。
もう外は夜。眼鏡を買えなかった失意のまま家に帰る。
夜の12時ごろ、裕助の家に行って、車のキーを手渡す。長く乗らないときはバッテリーの電源を外すことを念押しする。裕助は板金屋なので、車のことは奴に任せておけば安心だ。
夜中、持っていく荷物の最終荷造り。
いよいよ旅立ちは明日。眼鏡以外の準備は整った。さすがに赴任となると、旅行前日の感じとは違う。ここ1週間くらい、ずっと走り続けた感覚なので、疲れた。正確にいうと、走り続けている間はアドレナリンが出ているので疲れを感じないのだが、それが終わった途端に極端な疲れが出る。それが今晩のこの状態か。
この疲れから解放されるのが明日なのだろう。 |
2014/2/6 (Thu.)〜2/17 (Mon.)

パアン近郊のコーカタン洞窟寺院 |

チャダン洞窟寺院を出たとたんに広がる、夢のような風景 |

ラカイン州の田舎を走る。干し草ドームの群れ |
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ミャンマー出張
二度目のミャンマー出張。赴任前最後。
<パアン>
私の赴任地カレン州の州都、パアン市に初めて行った。ヤンゴンから車で東におよそ5時間。山あり川あり洞窟ありの風光明媚な田舎街。これはなじめそうだ。
特にパアン近郊には洞窟が多く、それが寺院と合体して洞窟寺院になっていたりして興味深い。私が行ったいくつかの洞窟のうちの一つは、入口から反対側の出口まで暗い中を優に30分以上歩くという、巨大鍾乳洞寺院である。寺院なので入口で靴を脱ぐのだが、裸足で鍾乳洞の中を歩くと、ところどころ尖った石が出ていたりして痛い。蝙蝠の大群が、天井の鍾乳石にぶら下がってけたたましい声で鳴いている。この蝙蝠の大群は、アメリカニューメキシコ州のカールスバッド洞穴を思い出させる。
反対側の出口が見えてくる。日の光の与える安堵感。
だが、反対側に出たはいいものの、元の入り口に戻らなければならないことを今更ながらに知る。目の前を見ると、そこには「風光明媚のパアン」を絵にかいたような風景が広がっている−つまり、湖があり、その背景に緑の山が映え、水面にその姿を落としているのだ。その湖には木彫りの細長いボートが数艘浮かんでいて、船頭の若者たちが僕らを誘ってきた。
どうやら、ボートに乗れと言っているらしい。
連れの二人のミャンマー人同僚が彼らと会話をする。すると、このボートで、水路伝いに洞穴を回り込み、入口の近くまで戻れる、というではないか。そりゃ僥倖だ。二人に、「どうする?」と尋ねる。すると、何か知らんけど二人ともモジモジしている。「ヨシダさんの好きなように」との答え。なに、俺次第かよ?いくら?と聞くと、3000チャット。私は当然、「乗ろう」と言う。私のおごりだ。一度来た道を戻らないのがポリシー。洞窟の後にボートに乗れるなんて最高じゃん。
(※後から、実はこの3000チャットというのはまぁ、様々な物価から考えると、相当高いということに気づく)
このボートトリップも良かった。いきなり岩のトンネルをくぐる。頭の高さ近くしかない岩の切れ間をボートが進む。
その後は岩の反対側に出て、広がる水田の間の水路を進む。インレー湖を思い出す。
だが、ボートトリップの終点は、お世辞にも洞穴の入り口に近いとは言えなかった。しかも、その後はあぜ道のような細道を歩くのだが、石がゴロゴロしていたりして、裸足の足の裏がバリ痛い。焼けついた砂浜を歩くように足の裏をあまりつけないで歩く。
10分以上歩いてようやく入口にたどり着いた。「洞窟の後にいきなりボート」という、想像を絶する展開を見た、実に楽しいエクスカーションだった。
その後、湖に浮かぶ島の上、細長い岩の上に建つチョカラッパゴダを見学。これまた楽しい。やるねぇ、ミャンマー。カッパドキアかスリランカか。なんかそこらへんを思い出した。
<ラカイン州>
パアンの後、今度は北西部のラカイン州へ移動。州都シトウェから、車で田舎へ入っていく。
道端には時々子供たちが銀のボウルをもって振りながら通行する車を見つめている。寺の改修に寄付を求めているらしい。
見渡す限りの畑や平原の風景に、時々忽然と金色のパゴダや巨大仏像が現れる。
広々とした農地に、干し草で作ったドームがそこらじゅう鎮座している。なんか、普通でない光景だ。UFOの里?
<ヤンゴン雑感>
ヤンゴンの中心部はバイク通行禁止。東南アジアの都市の風物詩とも言えるバイクが走ってないことは不思議な感じだ。車は相当新しい。ほとんどが日本車だ。ミャンマーは、旧宗主国のイギリスの左側通行を否定し、右側通行であるが、それに対して多くの車が日本から輸入された右ハンドルの日本の中古車である。右ハンドルで右車線通行。こりゃあ運転しづらい。
ミャンマーの交通事情は、ミャンマー赴任後に詳しく。
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2014/2/2 (Sun.)
パソコンとシェーバー購入
今日、ヨドバシカメラでパソコンを買い、得たポイントでシェーバーを買った。パソコンは2003年以来11年ぶりの購入、シェーバーは今使っている日立の電気シェーバーをいつ買ったか忘れてしまったので正確には分からないが、おそらく15年くらいぶりに買ったと思われる。
パソコンは、ノートパソコンの雄、東芝製。13.3インチのハイスペックモバイルパソコンで15万円強。ウィンドウズの欠陥ぶりは目に余るものがあるので、今回は本気でマック購入を検討したが、どうしてもコストパフォーマンスが劣るのと、普段使っているホームページ作成ソフトがウィンドウズでしか動かないことが判明したので、今回も泣く泣くウィンドウズマシンにした。
シェーバーは、「日本のモノづくり」を掲げるP社製。実は前の会社で私はP社にデバイスを納入していた縁でP社とは長年の付き合いがあり、P社のあるH市には東北新幹線と東海道新幹線を乗り継いでよく出張に出かけていた。よっていつかはP社のシェーバーを買わねばなるまい、とずっと心に期していたのだが、日立のシェーバーはなかなか壊れないし、私の場合ヒゲ剃りを頻繁に使うわけでないので、今の今まで買いそびれてしまっていた。
この度、ミャンマーに赴任するのに合わせたかのように、今まで15年くらい使ってきた日立のシェーバーが動かなくなったのだ。ようやく私にP社に恩返しする機会が訪れたわけである。お世話になったP社のI氏やK氏、そしてP社ビジネスの代理店V社のK氏の顔が次々に思い浮かぶ。彼らには本当に良くしてもらった。よく言えば率直、悪く言えば傍若無人な私の言動を、真正面から受け止めて議論していただいた。一番大変だったのは東日本大震災時、我々の製造工場がダメージを受け、デリバリーがストップした時で、あの時P社は本気で他社からの購入を検討したのだが、私の会社も総力を挙げて何とかP社の生産がつながる必要最低数の出荷を確保でき、後からP社の幹部に大変感謝されたことを昨日のことのように思い出す。あの経験は、被災地に工場があったからこそすることになったのだが、今考えるとあの未曽有の災害をみんなで乗り越えたことは、普通では体験できないことであり、それは「火事場の底力」に通ずるアドレナリン全開の稀有な経験だったと思う。
購入したシェーバーは、P社最高峰の5枚刃ではなく、3枚刃の安いやつ(笑)。家でさっそく使ってみる。P社特有の甲高いモーター音。剃れる剃れる、恐ろしいほどに。今まで使ってきた日立のシェーバーは、内刃も外刃もおそらく10年くらい換えてないので、全く切れなかったのだ。雲泥の差。さすがにP社の面々が、「カミソリより深剃り」と豪語していただけのことはある。いやあれは5枚刃の話だったっけ?
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