HOME > Every Day Life > Diary > 2010.1.
日記(2010年1月)
2010/1/16(Sat.)〜1/17(Sun.)
米沢、村上
大雪の米沢駅
米沢の街
米坂線の風景(米沢→坂町間)
村上の民宿で夕食。誰もいない広間で豪華な食事
羽越線 村上駅
村上の街並み![]()
軒にぶら下がる鮭
伝統工芸品を作る職人のおじさん![]()
喜っ川
鮭の町屋、喜っ川。土間にぶら下がる鮭
イヨボヤ会館
三面川とその先の山々
米坂線の車窓(坂町→米沢間)
青春18切符残りの2枚をこの週末に使う。考えた挙句、山形県米沢経由で、新潟県の村上まで行くことにした。郡山からは、東北本線下りで米沢へ、その後米坂線で新潟県坂町まで行き、そこから羽越線下りで村上に到達する。
米沢駅の直江兼続像
米沢はツララ天国
朝11:55郡山発福島行き。本当はもっと早い電車がよかったのだが、これより前になると郡山7:06であり、僕の住んでいるところから郡山駅へ行くバスがないので、乗れなかった。
電車は1時間弱で福島着、そこからさらに米沢行きに乗る。福島⇒米沢間の東北本線の車窓は、雪景色に一変し、みるみるうちに雪の壁が積みあがってくる。途中、峠駅は、トンネルの中にある。大雪が降っている。これまた1時間弱で13:40米沢着。
冬の米沢は恐ろしく寒い。こんなに寒いとは思わなかったが寒い。外は大雪。駅のロータリーにやって来る車を見ると、すべてバンパーの下にツララを作っている。気温の低さを物語る。
米沢駅構内一画を、直江兼続の不気味な坐像が陣取っている。NHK大河ドラマ『天地人』を見た人ならお分かりだろうが、米沢は、上杉家、そして直江兼続ゆかりの地である。先週会津編で書いた通り、上杉家は越後から会津に移った後、関ヶ原の戦いで西軍となったことにより、徳川家康により米沢に減封されたわけである。
そして柱には『天地人』のポスター。もう放送は終了したが、このドラマで観光収入が大幅アップしたに違いなく、しばらくはこれで食い続けたい市観光局の思いが表れている。
米沢では、上杉、直江ゆかりの地を巡ろうと思ったのだが、この寒さと雪では、外に出ていることさえ難しい。外に出ると、冷気が容赦なく肌に突き刺さってくる。雪が降り積もった駅の周りを歩き回ってみるが、寒さのため活動限界はせいぜい10分くらい。雪はさらさらのパウダースノー。帽子も手袋も長靴もない状態で歩き回ると、あっという間に体が冷え切ってしまうので、すぐにポカポカの駅の構内へ避難し、暖を取る。
駅の観光案内所で、観光地へ行くバスの時刻を聞いてみるが、バスは1時間に1本程度しかなく、またこの厳冬期、上杉神社や林泉寺などの見所も、開いていないところが多い。きっとこの時期には観光客も少ないはずだが、どうして、駅は人で賑わっている。外に出る気が起こらないような寒さなのに、この人たちは観光客なのだろうか。
そんなわけで、米沢での2時間半ばかりの時間、仕方なく僕はほとんど駅の構内のベンチに座って過ごした。唯一行ったのが、米沢藩の文化財を展示している小さな博物館、宮坂考古館。米沢駅から徒歩5分程度、雪の中を歩くと、小さな小さな博物館に出くわす。
入場料は300円。当然のように他に見学者は誰もいない。小さな展示部屋の中に、上杉景勝や直江兼続所要の甲冑や、鉄砲、刀、馬具、屏風、陶磁器等が陳列されている。30分ほどで見終わり、駅に戻る。時間をつぶした挙句、坂町行きの米坂線発車時刻が近づいてきた。16:09、米沢駅の5番ホームから、2両編成の米坂線は出発する。線路は雪で埋まっている。こんな線路を行けるとなれば、相当除雪能力が高い車両に違いない。
米坂線は、これまた深い山間を縫って走る風光明媚なローカル線である。この時期は、豪雪に埋もれた山と川と林、そして時々現れる小さな街が描く、水墨画の車窓である。
この山形と新潟との県境付近は、先週行った南会津の只見に匹敵する雪の多さである。
先週の只見線は、鉄ちゃんの熱気であふれていたが、今日の米坂線の車内は閑散としている。先週は3連休だったので、首都圏から大挙鉄ちゃんの大移動が起こったのだろうと考えられる。
車内は、高校生が多い。途中のローカル駅で一人、また一人降りていく。
列車は、豪雪地帯にしては割とスピードを出して走る。先週の只見線は、ゆっくりゆっくりと進んでいたのとは一味違う。雪に強い電車だからなのか、線路の周りに積雪防止対策がなされているからなのか、分からない。
米坂線も、只見線と同様に、川が併走し、風景の大きなアクセントとなっている。この川は、荒川というらしい。
途中、越後なんとかという駅が多くなる。列車は、山形県から新潟県に入ったのだ。只見線では会津なんとかという駅が多かったが、この米坂線は越後である。
外は大雪のせいもあり、夕方でもう暗い。駅では、雪が街灯で鈍く光り始める。
米沢から2時間で電車は坂町に到着。ここは米坂線の新潟県側のターミナル駅で、新潟を南北に縦断して日本海に沿って走る羽越線が通っている。日本海に近づくにつれ、雪が少なくなってゆく。ここで羽越線の下りに乗り換え、村上着19:12。もう夜だ。
村上駅も雪が覆っているが、米沢ほどではない。何といっても気温が高く暖かい。海沿いで、雪もかなり湿っている。今は雪は止んでいる。
村上駅のホームには、「ようこそ 鮭といで湯の城下町 村上へ「という横断幕がかかっている。駅前のロータリーには時計台が立っていて、「瀬波温泉」の文字が見える。僕は知らなかったが瀬波温泉というのは割と名の通った温泉地らしい。
朝予約を入れておいた駅近くの扇屋旅館へ歩く。宿はすぐに見つかった。近くにはいくつかの旅館がある。扇屋旅館では、これまた気のいいおばさんが迎えてくれた。先週の只見のオバちゃんとは「オバちゃん」と「おばさん」の違いが感じられる。つまり、先週はおおらかで気さくで快活でちょっと小太りの「オバちゃん」だったが、ここ扇屋旅館は、人の良さそうな落ち着いた「おばさん」である。
宿の中を紹介され、まずは風呂より先に飯をいただくことにする。ここも今日は宿泊客が少ないようだ。
「平日は仕事の出張の人が結構泊まるんだけど、週末はねぇ」
とおばさんが言う。「町屋と鮭の街」として全国の観光客を集める村上も、この冬の時期はさすがに観光客は多くないようだ。
ところで、サラリーマンが村上に出張することがあるのだろうか。この辺りに出張のネタがあるのか。伝統の特産品か。それとも工業団地でもあるのか。
ひとり座敷で豪華な夕食をいただく。かに、刺身、肉、鍋、魚の大きなカマ。もちろんおひつのご飯。
食事の後は風呂。温泉ではないが、割と大きな湯船は、一人で入れば贅沢だ。
夜は、暖かい部屋で書き物をする。
翌1月17日日曜日朝。雪は降っているものの、太陽も時々顔を出す雪国らしい天気。またまたおひつのご飯とともに朝食を腹いっぱい食べた後、チェックアウト。今日の午前中は、村上を観光する。米沢では寒すぎて観光どころではなかったが、ここ村上は比較的暖かい。降りしきる雪の中、町屋巡り。この時期はやはり観光客が少ないと見え、町家通りに点在している観光案内所も閑散としている。
町屋内部の奥に続く通路
村上は、江戸時代、村上藩の城下町として栄えた街で、様々な産業を奨励したため、商家が力を蓄え、競って町屋を建て、その後地震や火事が少なかったため、当時の家並みが今に残っているとのことである。
いくつかの町屋を見て、古き良き日本の伝統を目の当たりにする。町屋の一つに、木彫りの工芸品や塗り箸を作っている職人のおじさんに出会った。彼は作業場である部屋に僕を案内してくれた。村上の話をしてくれる。伝統文化、気候、特産品。自分が郡山から来たことを告げると、ほぅ、そうか、会津の塗り物にはかなわないけどなー、と言う。
途中、ちょっとした商店街を通り過ぎるが、ほとんどの店がシャッターを降ろしている。
町屋のハイライトは、鮭屋の『喜っ川』だ。この町屋は、土間の天井から無数の鮭がぶら下がっている。この鮭が村上のもう一つの名物だ。街を流れる三面川を遡上する鮭が村上の伝統的な食文化なのだ。この喜っ川には、風干し発酵させるため、天井から大量の鮭が吊り下げられている。こりゃ圧巻だ。50cmから1m近くもある大型の鮭が雨後のたけのこのように天井から生えているのだ。入り口には、塩鮭や鮭の燻製、フレーク等お土産を売っている。ここは、先日アド街だかに紹介されたそうで、主人がTVに出たといって観光案内所のおばさんが話していた。
雪は、降ったり止んだりしている。それと同期して空が暗くなったり明るくなったりする。『喜っ川』の後、浄念寺を周った後、鮭博物館のイヨボヤ会館へ。ここでは鮭の生態や養殖の展示、また伝統的鮭漁の紹介が行われている。村上の鮭文化を凝縮した建物である。ちなみに、イヨボヤとは、村上地方の方言で鮭のことである。
鮭の街、村上に来て、改めて鮭を考える。産卵と射精のために、海から生まれた川に戻り、体を変色・変形させながら命がけで遡上し、自分の子孫を残す。華麗で力強いイメージの鮭の、壮絶な最後である。
キングサーモン釣り。アラスカでの開高健のエッセイを思い出す。
鮭は日本の食文化。これだけは言える。保存食としての塩鮭。紅鮭弁当はもとより、幕の内弁当に紅鮭が入っていないことはまずあり得ない。日本人の鮭消費量は、かなりのもんだろう。
村上で親子丼といえば、もちろんイクラと鮭のどんぶりだ。2003年、三宅裕司と関口宏の『どっちの料理ショー』で、親子丼VSイクラと鮭丼の対決があったそうだが、後者の鮭は、前出の『喜っ川』の塩引き鮭で、結果はイクラと鮭丼の勝利だったそうである。
と言っている間に村上発の電車の時間が迫ってきて、村上駅まで走る羽目に。雪道の中を走る走る。何とか13:11の電車に間に合う。
羽越線で坂町へ、そこから再び米坂線で米沢へ。米坂線は今日は一両編成。今日も制服やジャージ姿の高校生の姿が目立つ。特に女子高生が多い。土日の部活だろうか。この雪の中、外では運動部は活動できないだろうに、雪国の厳しさを思い知る。
坂町から3つ目くらいの駅で、雪がとたんに深くなる。黄色い巨大な重機の群れが、雪に埋もれて見捨てられたように放置されている。小国、今泉手前まで、ずっと1m以上の積雪にすべてが埋もれている。
米沢着15:36着。今日も米沢は昨日と変わらず厳寒の中にある。今日は駅のロータリーの向かいにあるラーメン屋で、米沢ラーメンを食べることにする。米沢といえば米沢牛、駅にも牛の巨大模型がある(会津若松の巨大赤べこと同じ)のだが、駅の周辺にも、「米沢牛」や「牛肉どまん中」(米沢の有名な牛肉駅弁)という文字が見える。米沢ラーメンとは、容易に想像できる通り、ラーメンに牛肉が載っているらしいが、1200円と高かったので、やめて、普通のラーメンにした。僕には、牛肉とラーメンは相性がいいとはとても思えない。
ラーメン屋を出ると、日が暮れかかっている。雪は降り続いている。気温が低い。
駅のお土産屋では、直江兼続グッズのほかに、米沢藩時代の上杉の名君、上杉鷹山のグッズが売られている。彼の有名な言葉、『なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人のなさぬなりけり』が入った湯飲みとかTシャツとか。僕は、米沢名物のうこぎ茶を買った。うこぎというのは中国原産の植物で、漢方としてその薬用(特に強壮)が珍重されていたそうで、鷹山はうこぎの垣根の栽培を奨励したため、米沢人は、昔からうこぎを旬の野菜やお茶として食してきたとのこと。最近ではポリフェノール等抗酸化物質が多く含まれていることで注目されているらしい。
17:45米沢発の東北本線で福島経由で郡山へ。19:37郡山到着。
この週末も、雪の世界で過ごした。これでめでたく青春18切符を使い切った。もうしばらくは家で過ごそう。
米沢 写真集
村上 写真集
米坂線(米沢−坂町) 写真集
2010/1/9(Sat.)〜1/10(Sun.)
会津若松、只見
中東弾丸旅行から帰ってきてわずか3日、僕は冬の福島県郡山市から再び旅に出た。帰ってきた翌日から2日間仕事を何とかこなし、本当なら旅の疲れを癒したい土日である。そんな中、なぜまた旅なのか?
なぜなら、青春18切符が余っているからである。先月、シリア大使館へビザを取りに行くときに買った青春18切符は、その時しか使っていないので、あと4回分も残っているのだ。使用期限は1月20日なので、今週末、来週末と土日を2週連続して計4日間、旅に出ることにした。
よくよく考えてみると、僕が青春18切符を買ったのは、一体何年ぶりだろうか。以前の18切符は、その名が示すとおり、使える人に年齢制限があって、確か26歳くらいまでだったように記憶している。だが今は年齢に関わらず、どんな人もこの切符で電車の旅を始められるのだ。
で今週末。昨日の1月8日金曜日、仕事から帰った夜中から考え始め、色々考えた挙句、結論を出した。会津若松で観光し、只見線に乗って只見まで行って泊まることにしたのだ。
1月9日土曜日、朝7時に起きると雪が積もっていた。ここ数日、毎晩雪が降る。これから行く只見は、現在1.5mの積雪だそうである。
昨日ネットで調べておいた只見の民宿に、今晩1泊の予約をするため電話をかける、2軒かけたが、いずれも満室とのこと。なぜだ?真冬、雪に閉ざされた只見に何があると言うのか。で3件目の民宿で部屋が取れた。只見線で夕方に只見に着くことを告げ、電話を切る。
9時前のバスに乗り、郡山駅。郡山から磐越西線で会津若松へ。会津若松10:54着。
会津若松も雪に覆われていた。
会津若松では、レトロな町並みが残る七日町周辺をそぞろ歩く。会津の街には、昔ながらの洋風や蔵風の建物がかなり残っている。野口英世青春通り。
野口英世青春通り
そして13:08会津若松発小出行きの只見線に乗り込む。只見線のホームに行くと、そこにはただならぬ雰囲気が漂っていた。ホームに繰り出した、カメラ小僧の群れ。みんな、一心不乱に電車をカメラに収めている。そうか、そういうことか。
噂には聞いていたが、只見線こそ、鉄ちゃん(鉄道マニアのこと)垂涎の、人気ローカル線なのである。車内は、もうすでに鉄道オタクたちでほぼ満席となっていた。全く想定外の状況である。2両編成とはいえ、真冬のこの時期に、誰が好き好んで雪に閉ざされた山奥に分け入ろうというのか、否、と考えていたのだ。それが車内は大盛況。網棚の上には、彼らが運んできたバックパックや大荷物が満載されている。僕は呆然としながらも、何とか4人掛けボックス席の一角を確保することが出来た。只見まで3時間、立っていくなんて考えられない。
只見線の向かいホームには、会津鉄道の電車が停まっている。車体には野口英世の写真が描かれ、合わせ、千円札に肖像が採用された2004年の記念日が記載されている。彼は猪苗代の出身、この土地の英雄なのだ。会津鉄道は、ここから南へ向かい、湯野上温泉、塔のへつり、田島等南会津方面を結ぶ路線である。
列車は、13:08、会津若松駅を静かに滑り出す。車内を見渡すと、鉄ちゃんたちの笑顔がはじけている。期待感というかワクワク感のようなものが空気に伝播し、こっちまで何となく楽しい気分になってくる。外は雪だが、それを吹き飛ばす熱気が、車内に充満している。
鉄ちゃんの人数構成は、3〜4人程度のグループ、2人組(男同士か男女である場合がほとんど)、そして一人に大別される。グループの場合、いきなり酒を飲み始め、宴会モードに突入している輩も多い。高揚した彼らの会話が耳に届いてくる。もちろん話題は鉄道の話が中心だ。只見線のこと、これからの旅のこと、ダイヤのこと、マニアックなこと。鉄道オタク同士、隣ですぐに意気投合するらしく、年配のおじさんと、30代と思われる若手グループが、すぐに和歌山県の鉄道の話題で盛り上がっていた。
鉄ちゃんは、かなりの確率でJR時刻表を手にしている。そしてカメラ。やはり乗ることとカメラに収めることが、一般的な鉄ちゃんの、趣向の両輪であるようだ(鉄ちゃんと言っても色々あるそうで、鉄道模型派、発車メロディ研究(録音)、車両研究、ダイヤグラム分析、コレクション等、多岐に渡る)。
会津若松でも数十センチの積雪だったが、只見線で先に進めば進むほど雪が深くなり、山の中に分け入ってくる。
線路に着かず離れずして只見川がゆったりと流れている。車窓の風景は、雪に埋もれた山と林と時々街が出てくるのだが、なんといってもこの只見川が一番のアクセントである。この川が、常に雄大な景色の一部を形成し、それがこの只見線の風景の特徴となっている。人気のわけが分かる。ただの山深く雪深い路線ではないのだ。寄り添う只見川が、素晴らしい景観に絶大な彩を添えているのである。
途中、会津宮下駅と会津川口駅で上り列車を待つために15分ほどの停車がある。只見線は単線なので、上り列車と下り列車が駅ですれ違うのだ。これらの駅で電車が停まると、鉄ちゃんたちはドアに殺到して電車を降り、電車や風景を夢中で撮り始める。僕も彼らに混じって写真を撮りまくる。そして、雪が積もったホームの喫煙所でタバコを一服。
今日はいつにも増して大雪のようだ。雪のため電車は遅れる。電車は、雪の中、ゆっくりゆっくりと走る。
只見駅到着は、予定より50分遅れの17:00。雪空のためもう日は暮れ、ホームの明かりで雪が淡くオレンジ色に鈍く光っている。ホームの横に雪はうずたかく積み上げられ、壁となっている。1.5mの積雪。
只見駅では、僕を含め、5人ほどが下車した。ここで1泊するのだろう。ほとんどの乗客は終着の小出まで行くようだ。青春18切符は途中下車がいくらでもできることに魅力があるのだが、この只見線では途中下車は危険である。何しろ、一日3本しかないのだ。1度降りたら、もう次の電車が来るかどうか分からない。ましてこの真冬では、宿のない駅に降りたら、凍死の恐れすらある(笑)。
只見駅
駅には小さなお土産屋がある。「A HAPPY NEW YEAR」と書かれた小さな看板がある。そういえば今はまだ正月か。来月2月に「第38回 只見ふるさとの雪まつり」があることをその看板が伝えている。雪国には雪まつりがある。
そして小型の白い円筒形の石油ストーブが燃えている。雪国の石油ストーブは、雪で堅くなった気持ちをほぐしてくれる。
駅の外に出る。とにかく雪が積もっている。そして今も降るしきる。去年の夏、岐阜に一人キャンプに向かう途中、この只見駅に車で寄ったのだが、その時とは様相が一変している。あらゆるものが雪に埋もれ、駅の向こう側にあった鳥居と神社も、雪の中に完全に隠れてしまっている。
昔よくスキーをやっていた頃は、こんな風景は見慣れていたのだが、こうして大量の雪の中に身を浸すと、気持ちが穏やかになる。雪の中は雑音がシャットアウトされ、静謐だからだろうか。
駅から、今日泊まる予定の民宿『ふる里』に電話をする。しばらくして、宿のお父さんが運転する迎えのバンがやってくる。このお父さんの話では、今年は雪が多い方だという。だけど、今は主要道路には消雪がある(道にスプリンクラーが設置され、水で雪を溶かしている)ので、少なくとも車道には雪はなく、車で外に出れるので、昔と比べれば不便さは全くなくなったという。昔は、外に出るのに、かんじきを履いて、雪を固めながら歩かねばならなかったのだ。
宿は、おばさんが切り盛りしている。迎えに来てくれたお父さんの娘だろうか。このおばさんは民宿の主人らしく、愛想のいい人で、親切だ。
「へぇ、郡山から?只見に何しに来たの?」
「いや、特に何をするというのでもないんですけど・・・。」
「ここは夏はいいところなんだけどねぇ、冬は雪が多すぎてダメだね。」
「去年の夏、車で来たんですよ。」
宿は僕一人しか泊まっていないとのこと。前述したとおり、今朝、只見駅周辺の2軒の民宿に電話を入れたところ、今晩はいずれも満室だったのだが、ここは結構普通の民宿なのになぜか客がいない。若干不審に思ったが、それは全く杞憂だった。畳の和室はこぎれいで、夕食は岩魚やゆりの根、山菜等只見名物を盛り込んだ多品数のもので大満足。風呂は温泉ではないが、結構でかい風呂で、一人だから存分にくつろげる。これで1泊2食つきで7000円なら文句はない。
部屋にいると、外では、ドサッ、ガサッという音が時々する。屋根から一塊の雪が地面に落ちる音だ。それ以外は部屋を静寂が包んでいる。
TVをつける。そして持ってきたパソコンに向かい、書き物をする。
雪に埋もれた静かな夜は更ける。
翌1月10日日曜日。朝食を腹いっぱい食って(民宿の飯は、ご飯がおひつで出てくるので、腹いっぱいになるのだ)、7時ごろ駅に送ってもらう。昨日と逆の道をたどって今日は郡山に戻る。只見にはただ泊まるだけといった格好で、何か観光をするわけでもなかったが、別にこの大雪の中観光も何もない。雪深い街で一晩を過ごす、それだけでも人生の1ページとするに十分だ(笑)。
なにしろ只見線は、朝の7:23会津若松行きを逃すと、14:38まで来ない。
今日も雪。駅の近くにある只見町の観光案内地図の看板も、手前に積もった雪で半分以上見えなくなっている。
朝一番の列車に乗客は少ない。さすがに小出発が5時台なので、小出から乗ってくる客は少ないようだ。
帰りの車窓も風景は白と、只見川の深い藍、そして雪の間、山に散見される針葉樹の深緑。水墨画のようなコントラスト。
会津川口駅手前で、突然電車がストップする。車内アナウンス。
「線路上に、雪の塊が落ちてきましたので、緊急停止しました。これから、雪の除去作業をしますので、しばらく停車します。」
はじめ、若い車掌は、除雪車を待っているようなことを言っていたが、運転士とともに外套を着て列車の外に出、自力で雪の塊をどかそうとしている。乗客は、左右の窓を開けてこの様子をいっせいに眺める。
豪雪地帯の電車は、雪との格闘だ。列車が立ち往生しているというのに、なぜか乗っている僕は平然としている。というか逆にワクワクする。雪と格闘している人びとは大変だろうが、これがこういう地域での雪との向き合い方なのだと教えられる。何分かかろうが、雪がそこにあるのだから仕方ない。東京で、山手線が数分遅れただけでイラだっていた心は、ここにはない。人間が多すぎる都会は、人間の心をダメにする。
雪の塊は、15分ほどで無事除去できた。このおかげで、程なく到着した会津川口で、20分ほど停車の予定が5分くらいですぐに出発となった。下りの電車は、すでに駅で待機していた。よってもって、さっき立ち往生したものの、ダイヤ上の遅れはほとんどなかったことになる。
川口で地元の高校生と見える若者が一人乗り込んできた。彼は、鉄チャンたちで賑わうこの只見線を、日ごろから見ているだろう。鉄ちゃんのことを、彼はどう思っているのだろうか。自分の住むこの雪深い街に来てくれて歓迎しているのか、それとも何しに来たんだとばかりに倦厭しているのか。
川口では別に、外国人の白人女性二人も乗ってきた。20代〜30代と見える彼女らは、長靴を履いたバックパッカー、という風情だ。どこで何をしていたのだろう。会津川口は温泉街があるので、温泉でのんびりしていたのかもしれない。ここは、日本の観光名所としてガイドブックに載っているのだろうか。
会津坂下を過ぎると、雪は少なくなってくる。今までの山間ではなく、平地を列車は進む。会津盆地に入ったのだろう。見渡す限り真っ白の平原に、ポツリポツリと屋根に雪を被った家々が点在する。
只見から3時間で終着会津若松着。今日は十日市という市をやっていて、街には多くの人が出ている。
僕は、会津巡回観光バスの『ハイカラさん号』に乗り、鶴ヶ城と飯盛山に行った。今日も寒い。鶴ヶ城は博物館となっていて、会津の歴史や伝統・風俗を、順路に沿って学ぶことが出来る。天守閣のてっぺんから、会津若松の街を見下ろす。寒い。凍った風が吹いている。
戊辰戦争で激戦となったこの鶴ヶ城での籠城戦。会津藩士の意地を見せた戦いだったろう。1か月に及ぶ籠城中、新政府軍砲弾により地獄の様相を呈した鶴ヶ城内。松平容保はついに降伏を選択。
幕府の親衛隊的立場から一転、逆賊として薩長と戦い、敗れ去った会津藩士の気持ちは推し量るに有り余る。降伏後、生き残った会津藩士たちは今の青森県で斗南藩として再興を期すが、寒さと飢えで多くが過酷な生活を強いられることになる。会津人の薩長への恨みがさらに培養され、その憎しみは今でも受け継がれている。
長州の首府萩市が、年、会津若松市に対して
鶴ヶ城の近くには上杉景勝の重臣、直江兼続の屋敷跡がある。1598年、景勝は越後から会津に移ったが、1600年の関ヶ原の戦いで徳川が勝利したことにより、敵方として米沢30万石へ減封されることになる。
雪をかぶった会津若松の街を飯盛山へ。ここに来るのは20年以上ぶりである。中学の頃、僕が通っていた千葉市立の中学生の修学旅行は、なぜか福島だった。あぶくま洞、五色沼、会津若松を周ったのだ。
白虎隊の墓や追悼碑に隣接しているさざえ堂は、僕の遠い記憶を呼び覚ました。さざえ堂は、登りも下りも階段のないお堂で、二重らせん構造の通路が特徴である。てっぺんまで上ると、帰りは違うらせん状の通路を、一筆書きのように降りてくる。つまり、螺旋を重ねたDNAのような通路が堂の中を貫いており、登る道と降りる道が違うのである。世にも珍しい、「世界唯一」のお堂である。
白虎隊士が自刃した飯盛山から会津若松の街を見下ろす。現代の会津の家々の屋根は雪をかぶってうずくまっている。ここから白虎隊士たちは煙に巻かれた鶴ヶ城の天守閣を見て自刃を決意した。雪をかぶった飯盛山には、おびただしい若者の血が吸われている。
飯盛山は雪に覆われ、観光順路の坂道も凍り付いている。観光客の姿は少ない。ツルツルの斜面を滑りながら下り、会津若松駅に戻る。
寒風の吹きすさぶ会津若松を17:12に出て、郡山へ戻る。磐越西線はやや遅れたものの、1時間ちょっとで郡山着。
白い世界にまみれた週末が、終わった。
只見・只見線 写真集
会津若松 写真集
HOME > Every Day Life > Diary > 2010.1.