2018/1/31 (Wed.)

部分食 |

皆既食 |
皆既月食 晴れ@千葉市
今夜は満月十五夜であり、皆既月食である。
夜9時前に月が黒く欠け始め部分食となり、10時前に完全に影で覆われ、皆既食状態となる。
皆既食の間は、月は真っ暗となるのではなく、赤銅色に鈍く輝くという状態となる。表面の模様もうっすらと見えている。
23時過ぎ、欠け始めた方向から今度は光が戻り始める。午前0時過ぎにもとの満月に戻った。
地球の影は丸い。丸い影が、3時間くらいかけて月の上を通り過ぎていった。
ベランダに出て、カメラに望遠レンズをつけて写真を撮ったが、手持ちではなかなか難しい。 |
2018/1/30 (Tue.)
誕生日 晴れ@川崎市
今日は私の誕生日である。
ヒマなので川崎市にある川崎競馬場に出かける。
寒い。風が冷たい。何度か書いているが、私は日本の冬の寒さに耐えられないでいる。
競馬場でパドックと本場馬を往復しているだけで寒さで早く帰りたくなる。
5レースくらい買って1レースも的中せずに敗退。完全なる敗北。
普通なら負けるにしても何レースかは的中するものである。
今年1年が思いやられる結果だ。
帰り道、気が滅入る。
ここ8年ほど誕生日は他の普通の日となんら変わらないが、今年は誕生日に競馬場に行って競馬で負けて金を失う。これなら何もない誕生日の方がマシだったのではないか?
ダメ人間に筋金が入ってきた。 |
2018/1/29 (Mon.)

七里川温泉の裏の道を上がる。雪が残っている |

石尊山山頂。石の祠と木のテーブル |

斜面に残る雪 |

石尊山から北の尾根道で、木の根の下にツララ群 |
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無名ピークの四等三角点 |

御嶽山山頂部。山頂だけ木が残っている |

山頂の樹々。フェンスに囲まれている |

御嶽山山頂の祠。鬱蒼とした藪に囲まれている |
石尊山(せきそんざん)・御嶽山(おんたけさん) 登山 晴れ@君津市
今日は君津市の石尊山に登り、その後車で移動して東側にある御嶽山にも登る。
またまた始動が遅く、朝9時半に千葉市を出発。途中、山中に入ると、国道の道端にもまだ先週の雪が残っている。1週間前の22日、関東としては大雪が降ったのだが、以降先週はずっと気温が低かったため、房総半島と言えどもまだ雪が多く残っている。
車駐車地点の七里川温泉に着いたのが11時過ぎ。
パンを食べて一服したあと、歩き始める。
七里川温泉の脇道から上がるのだが、これがまさかの雪道。滑りながら登る。今日の山行は雪に悩まされる場面があるかもしれない。
雪の坂道を登った後はしばらく舗装道路を歩くと、農家の庭先に迷い込んでしまった。いきなり迷う。戻って畑のフェンス沿いに行くと石尊山の登山口となる。
農家の畑には雪が残っていたが、登山道に入ると雪は見えなくなる。
しばらく塹壕のようなくぼんだ登山道を登る。分岐が現れ、看板が立っている、。それによれば左が「表登山道」、真っ直ぐが「裏登山道」となっている。ここは真っ直ぐ行く。こちらの道は、南側から回り込むように山頂に至る道である。
整然とした植林帯を抜け、しばらく登るとあっけなく石尊山山頂に到着。昼の12時。七里川温泉からわずか40分ほどで到着。拍子抜け。
石の祠と丸太のテーブルがある。ベンチは壊れている。
石尊山山頂の看板と三角点。標高347.6m。
木々に囲まれており眺望はない。
しばらく休憩したあと、下山は北に降りる。電波塔の横を下る。日の当たらない斜面に雪が残っている。
尾根を北に向かって歩く。途中、国道465号・黄和田畑方面に降りる分岐があるが、尾根をそのまま進む。小ピークをいくつか越える。
T字路のような分岐に出る。方角からして左かと思ってしばらく進むと何やらおかしい。道が細くなり、曲がりこんだため方角もおかしくなっている。
これは違うな。ということで先ほどのT字路に戻り、もう一方の道を進む。こっちだ。
途中、道の土手がオーバーハング状になって木の根がむき出しになっているところに、何本ものツララが下がっている光景に出くわす。房総の山での光景としては珍しかろう。よほどの低温が続いているということだ。

房総らしい痩せ尾根道 |
かれこれ1時間半くらい歩いている。アップダウンは激しくないが、長い。1時半になり、腹が減った。小ピークに登ると展望がいい。四等三角点がある。ここで飯にしようかと思ったが、風が吹き抜けて寒いし、おそらくもうすぐで林道に着くはずなのでもう少し歩く。
果たして、10分も歩かないうちに山道は林道の終点に吸い込まれる。林道は砂利道の未舗装道路。道端に冬枯れた茶色の草が生い茂っている。しばらくいくと雪道となる。
10分ほど下ると立派な舗装林道に突っ込む。これが林道大福線。午後2時前。昼飯だ。弁当を広げる。いつものそぼろ弁当とサンドイッチ。
食後は林道大福線を少しだけ50mほど下ると、さらに蔵玉林道に合流する。平日の山奥の林道に普通は人などいないのだが、林道が交差する地点に、おじさんが車を停め、外に椅子を置いてトランシーバーを持って座っていた。
私が前を通り過ぎると、おじさんが声をかけて来た。
「どこから来たの?」
「七里川温泉から石尊山に登って、ここまで尾根を歩いてきました」
「そうか、よく道分かったねぇ」
どうやら地元の人らしい。確かに、房総の山特有のいくつかの尾根分岐が出てきて迷いもした。ちょっと道迷いのある登山道なのだろう。まぁ、要所要所にはテープがあったので、それほど困難な道ではない。
「林道下るの?」
「これから七里川温泉まで戻ります」
「そう、いま工事してるから気を付けてね」
「分かりました」
するとおじさんは、誰かに向かってトランシーバーで話しかける。
「これから歩行者1名いきます」
どうやら、工事車両が通るのにあたり、歩行する人に注意を促したり、車の通行を監視しているらしい。
道はすぐにトンネルとなる。トンネルをくぐると、巨大なトラックが狭い林道一杯に後ろから近づいてきた。
なるほど、これでは車のすれ違いはできないから、あのおじさんは車に注意しているのだろう。
トラックが通り過ぎると、再び別のおじさんが駐車帯に車を停めて待機していた。さっきのおじさんはこの人と話していたと推察される。
こちらのおじさんは相当に話好きな人で、暇を持て余しているのもあろう、私に声をかけて来た。
「どこ行ってきたの?」
「七里川温泉から石尊山に登って、尾根を歩いてきました」
「よく道分かったねぇ。俺も地元だけど、迷ったことあるよ」
「迷いましたけど何とか」
「房総の山はさ、バカにできねぇよ。結構難しいんだ」
「そうですね」
「俺も地元だけど、石尊山から○×に行こうとして迷ってさ、暗くなる前に結局林道に降りて林道を歩いたよ。時々怖くなるよな」
話しぶりと風貌からは豪胆そうなおじさんだと思ったが、わりと慎重派のようだ。
会話中、このおじさんの方言というか発音がなまっているので、何度か言葉が分からなくて聞き返した。私は千葉市生まれだが、ちょっと南の房総半島でも言葉が難しいことがある。
おじさんは私が何度か聞き返しているのも意に介す様子もなく、「地」の言葉で話し続ける。
「この辺りはヒルがいるからな」
「今日はまだ出てません」
「元清澄あたりも難しいだろ」
「こないだ田代林道から登りました」
「田代から上がったか!?あ、そう。」
おじさんは私が房総の山をよく知っているからか、ますます上機嫌で話し続ける。
「房総ではキノコがよく採れるからキノコ採りに行くのよ。バカマツタケって知ってるか?」
「バカマツタケ?知りません。美味しいんですか?」
「結構美味いんだよ。コナラにできるんだ。」
この時も「コナラ」という言葉が何度か聞き取れずに何度か聞き返し、ようやく木の名前だということが分かった。
そんなこんなで5分以上話し、そろそろ行こうと思うがおじさんはまだ話し続けている。
切りのいいところで会話を切り上げ、挨拶をして別れる。
楽しいおじさんだったな。
しばらく蔵玉林道を歩くと、林道は国道465号に突き当たる。南に向かい、黄和田畑を通り抜けて車を置いた七里川温泉に到着。午後3時。ここまでの活動時間はおよそ3時間40分。

雪道を登る |
今日はこの後、御嶽山にも登る。御嶽山は石尊山の東に位置する峰で、ここから車で移動する。
465号を一旦北上し、筒森あたりから林道に入って南下する。トンネルをいくつか過ぎ、つづら折れを過ぎると右手にそろそろ御嶽山があるはずである。
林道脇の草地に車を停められるスペースを見つけ、車を停めて歩き始める。御嶽山はどれか、しばらく分からなかったが、それらしい山を見つけ、アプローチ道を探して林道を上下する。フェンス沿いに道があり、そこから山の方に向かえそうであるのでここを行くことにする。が雪道である。
房総とは思えない雪道歩きとなる。道は登りとなり、草の上に積もった10cm程度の柔らかい雪を踏み抜きながら登る。
道はやがて作業道的なしっかりした道に合流する。ここからようやく御嶽山が視認できる。
御嶽山。奇妙な山である。山頂部だけ木々が残り、その他は木がすべて切り払われてハゲ山となっている。
なぜ山頂部だけ木を残しているのか。山頂には石の祠があるというから、祟りが起こらないように山頂だけ保存しているということか?
見た目的には「おかっぱの人の頭」のような山である。巷では「クラゲ山」と呼ばれているようである。なるほど。
山頂に向かう道らしきものがあるのでそれを登る。すると、山頂部はあろうことか、フェンスで囲まれていた。これも山頂保存のためだろうか?フェンスの周りを歩き、どこからか山頂に入れる場所がないかを探すも、見つからない。
仕方がないので、よろしくはないがフェンスを越えて山頂部に入る。
山頂は30mほどの高さの樹々が数10本、真っ直ぐに生えているが、下草も激しい。濃密な藪となっている。フェンスを越えたのはいいものの、木々の中心にあるであろう祠に近づくのに難渋する。とてつもない藪漕ぎである。藪が濃くて容易に進めない。
厄介なのはトゲのある茨である。これらに引っかかり、全然進めない。回り込んで藪の薄い部分を探すも、5m進むのに数分かかる。
ようやく石の祠に到達する。、祠の周りもびっしりと草が生えている。もう完全にほったらかしのようである。
祠に供えられている「おーいお茶」のペットボトルは一体いつのものだろうか。
標高は、地形図によれば341m。
しばらくしてこの藪の林を出る。本当に奇妙な空間である。山頂部にだけ樹々が生え、藪が茂り、その周りは全くの裸である。人間の身勝手が凝縮されたような山である。
こんな形にするのなら、なぜ樹を切り倒してしまったのだろうか。信仰の山なら、初めから手を付けなければいいのである。
とにかく房総の山々は、「利便性」だか「金儲け」だかのために、無残に削り取られてしまった。採石場や砂取場はもちろんのこと、無数のゴルフ場により山は完全に変容した。
私は再びフェンスを越えて外に出た。複雑な思いを抱えて無残な山を下りる。
車に戻る。午後4時50分。まだ明るい。1か月前に比べると本当に日が長くなった。野外活動者にはありがたい。
帰り道、道端の白い雪面に、小さな赤い鳥居が立っていた。 |
2018/1/25 (Thu.)

房の大山の登山道で上を眺める(千葉県館山市)
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九十九谷の紅葉(千葉県君津市) |

神野寺の仁王像(千葉県君津市) |

山の中で休憩(千葉県君津市の九十九谷) |

霧の九十九谷(千葉県君津市) |

九十九谷にて(千葉県君津市) |

大房岬にて(千葉県南房総市) |

ミャンマーの風景(パアン−ヤンゴン間) |
車検と試乗 晴れ@千葉市
私の愛車、ホンダインテグラの車検が来週切れる。昨年は日本1周、11200kmの旅をともにし、相当にくたびれた車である。平成3年(1991年)式。
ここ10年くらい、街では同型車をほとんど見かけないが、実はここ2か月ほどで2回見た。まだ走っている車もある。
ま、それはいいとして、そろそろ新車購入も考えていた今日この頃。
その理由としては、インテグラに乗っていてしばしば危険を感じることが増えてきたからである。一番危ないのは、車内のフロントガラスが曇ったとき。私の車はデフロスタが効かないので、雨の日などにフロントガラスが曇ってしまう。これは危ない。当然である。前が見えないのだから。
エアコンが効かないのは、まぁ乗り心地は最悪だが危険を感じることは少ない。あまりに暑くて運転に集中できないという危険性につながる要素はあるものの、そんなものは私の鉄の精神力によりなんとかなる。
だが、フロントガラスが曇るという物理的不具合はどうしようもない。曇ったときには運転しながらガラスを雑巾で拭くのだが、これぞ危険極まりない。
車に乗って危険性を感じるとなれば、そろそろ車乗り換えの潮時か・・・。だが、冷静に考えて、仕事もしていない無収入の人間が車などという高価なものを買えようか?否。おこがましいことはなはだしい。
結局私は、インテグラの車検を通すことにした。
車検のコバックに車検の予約を入れ、実は先週車検の予定であった。19日の朝、車でコバックに行き、まずは事前見積りをしてもらう。検査を終えた若いメカニックのニーちゃんが私に言う。
「私この車が造られたときにはまだ生まれてないですよ」
「そうですか」
この若いメカニックが私のこの平成3年(1991年)式の古い車を果たして整備できるのだろうか?という不安がよぎる。日本人は新しい車にしか乗らないので、この20代後半の若者は、最近のごく新しい車しか整備したことはないだろう。
その後彼は、色々車の不具合を説明してくれた。発煙筒の期限切れやブレーキランプの玉切れ、タイヤの摩耗など消耗品交換はいいとして、その他にマフラーからの排気漏れ、ブレーキオイルのにじみ出、足回りゴム部品の劣化、ヘッドライトの光量不足の可能性、などを彼は指摘した。
好感が持てるのは、わざわざリフトで車を上げて、底面から一つ一つ不具合を説明してくれたことだ。
「ここまで古い車だと、交換部品が見つからない可能性もあるんですよね。メーカーに問い合わせてなかったら、中古部品やリビルトになりますけどあるかどうか」
そんなことは百も承知である。東北大震災の年、今からもう7年も前だが、ドアミラーを原チャリのニーちゃんに壊されたとき、メーカーの在庫は6個しかなかった。エアコンを修理しようとしたが、部品がなくて断念。
よってここまではまぁ想定内である。部品さえあれば、車検代が総額20万円くらいになってもまぁ仕方がないと思っていた。だが部品がないことが問題だ。
だがそれよりも深刻な問題は、いま走行中にABS異常のランプが点灯することである。(注:ABSは、アンチロックブレーキシステムのこと)
昨年の規則改定により、なにかの警告灯がついたままだと車検には通らないことになったようで、車検中にもしこのランプが点灯してしまうと車検には通らない、という。
でこのABS不具合の特定は、コバックのような整備工場では難しいとのこと。メーカーで見てもらった方がいいでしょうという説明。
ここに至り私は、コバックではこういう手のかかる車検はコストパフォーマンスが悪いのでやりたくないのではないか?ということを悟る。
コバックのように安い車検代で車検をやるのは、整備があまり必要なく、数時間で終わるような新しい車の車検を数多くこなすことが前提となっていると思われる。いわゆる薄利多売で回転を上げてたくさんやるというのが方針ではないか。コバック自身があらゆる整備をできるわけではなく、面倒な修理は他の専門の整備工場に委託するのだというから、そうなると時間も手間もかかり、割に合わないのに違いない。
ABS修理は困難、というニーちゃんの説明を聞き、私はコバックで車検を通すことを断念した。車検が通らずに廃車、という最悪の想定が頭をよぎる。
「とりあえずホンダのディーラーに相談してみます」
その足で私はホンダカーズに向かった。
まだ9時半で、店は開いているのだが、職員たちはカウンターの奥で朝ミーティングをしていた。
テーブルに案内されてそこに座る。ミーティングの声が嫌でも聞こえてくる。
報告事項や連絡事項の伝達があった後、社訓やモットーを一人が読み上げ、その他みんなで復唱している。
「ホンダはお客様第一に考えます」
「私はスマホを操作しながら車の運転をしません」
そうやってミーティングは終わった。
40歳前後に見えるメカニックの男性が私のところに来て、話をする。
私は、車検を通したいのだが、とコバックでの経緯を伝えると、このメカニックは、まず車を検査しに行った。
30分ほどたって、彼は戻ってくる。
発煙筒、ブレーキランプ、タイヤは同じで、ABSについては、私が同意すれば車検は通せる、という。
「そうですか、通せますか」
で見積もりを作ってもらう。タイヤ4本全交換で5万円ほどする。が、それを含めて総額で約18万5千円である。これで通せるなら通すしかあるまい。
タイヤは今在庫がなく、これから発注すると納品が23日となるため、車検日を25日としてこの日は終了。
最悪車検が通らないことも覚悟したが、車検を通せることが分かり、妙に安心する。
ちなみに、タイヤの摩耗と言えば、すでに昨年5月、全国を巡る旅をしていたころに、青森県むつ市のガソリンスタンドのおじさんに指摘されたことである。
「これ、タイヤ換えないとマズいですよ。これから高速に乗ります?」
「はい、北海道で乗ろうと思ってます」
「それは危ない。雨なんか降ったら大変ですよ」
「そうですか・・・」
その後の旅では、濡れた路面では極力スピードを出さないようにして大過なく旅を終えることができた。滑って危ない思いをすることもなかった。
私はその旅ではおろか、旅が終わって今日に至るまでまだタイヤを換えていなかったのである。
メカニックの男性の話によれば、すでに溝はなく、スリップサインさえなくなってしまっているとのこと。(注:スリップサインとは、タイヤに形成された摩耗確認用の突起)
このままでは車検が通らないとなれば新調せざるを得ない。
そして今日25日、車検の日。
朝10時半にホンダーカーズに行き、車検スタート。午後5時には完了するというので、私は代車のNBOXを駆り、スズキのディーラーに行ってみることにした。
車検の日に新車を見に行くというのもおかしな話だが、いま気になっている車、スズキのクロスビーを見に行ったのだ。
新人だという若い営業の女性がいろいろ説明してくれる。
車を見る。それほど小さな感じはしないが、やはり収納が小さい。後部座席はフラットとなるが、そこに寝れるほどの長さはない。
私が車に要求することは以下である。
・狭い林道も苦もなく通行できる小ささと小回り
・田舎の悪路も苦にしない走行性能
・快適に車中泊できる
・高速道路でも100〜120kmくらいの巡航で快適な走り
これらの条件を満たすのは小型の4輪駆動車ということになろうが、現代の世の中にはこのような車はない。エクストレイルとかフォレスターではデカ過ぎ、ジムニーでは小さ過ぎるのである。
さらに私が最近車を注意して見るようになって絶望するのは、最近はロクなデザインの車がない、ということだ。
「機能・性能」が車選びのポイントだが、同時に「デザイン」が同じくらい重要である。
最近の車はみんな変な形の顔をしており、、全メーカーがそれに倣っているかのようである。全く個性がない、いや、個性がないのはいいのだが、実にカッコ悪い。
車はカッコよくなくてはダメだと思うのだが。
個性的な外観といえばスズキのハスラーだが、これが売れている理由が分かる。
車選びは、引っ越しするときの部屋探しに似ている。部屋を探すとき、広さ、間取り、設備、街の雰囲気、駅やスーパーまでの距離など、自分の中で様々な要望があるが、すべてを満たすような物件はそうそうない。車選びもいろんな要求ポイントがあり、同じである。
要望に優先順位をつけねばならない。何がマストで何がウォントなのか。何に目をつぶれるのか。
でいま私の要望に一番近い車がクロスビーということになる。
営業の女性に試乗を勧められた。時間もあるし、試乗したらクロスビーのタオルマフラーをくれるというので、試乗してみることにする。
試乗の際に念書を書かされて驚いたのだが、試乗車は、対人・対物保険には入っているのだが、車両保険に入っていないという。もし車をぶつけて修理が必要なときは、試乗者が費用を支払わねばならないのである。
私はこの条件に手が止まる。こんな条件で試乗する人がいるのだろうか?
だが結局、何も言わずにそのままサインをした。私も大人になったものだ。
試乗は15分くらい。近くの大通りを走行する。
まぁ可もなく不可もなく。ずば抜けて運転しやすいということもなく、加速がいいとか悪路でよく走るとかはこの市街地走行では確かめようもない。
試乗後、営業ネーちゃんには購入を勧められたが、「検討します」とだけ言っておく。今日車検を通すということは当然言わない。
車の営業も大変だ。新人ならばなおさらだろう。
こうして午後5時。、ホンダカーズに行く。まだ終了してないようで、30分くらい待たされる。
車検完了。めでたく通った。車検代を支払う。
対応してくれたメカニックの人が私に尋ねる。
「あの車、まだ乗るんですか?」
「これが最後の車検じゃないですかね」
彼は、哀れみとも軽蔑ともつかない薄ら笑いを浮かべて私を見ていた。
車検に通った車を運転して家に帰る。洗車、車内の掃除機がけまでしてくれたようである。うれしい。
こうして私のインテグラは28年目に突入する。フロントガラスの曇りは曇り止め等で何とかなるとは思えないが、雨の日は極力乗らないようにするか。そう都合よくはいかないのだが。
車購入も近い将来考えねばならないことに変わりはない。 |
2018/1/23 (Tue.)
雪 晴れ@千葉市
関東地方では昨日、夕方から雪になった。私の住む千葉市では一晩で15cmくらい積もっただろうか。この地域としては数年に一度の大雪であろう。
相当強力な寒波が上空に入り込んでいるとのことである。
12月にも述べたが、日本の冬は寒い。今年は例年より寒いようだ。今月はおおむね平年より低い気温が続いている。
ミャンマーの酷暑に慣れた私は、やはり寒さに弱くなったようである。いや、単に歳のせいかもしれない。
寒くてかなわない。外で活動する気が全くしない。
昔は真冬でもジーンズを履いていれば問題なかったが、いまはジーンズだけでは寒いと感じる。でも下の場合は重ね着をしようにもできないので辛い。 |
2018/1/21 (Sun.)
道の駅としてよみがえった保田小学校 |

道なき道を登り、嵯峨山山頂を目指す(千葉県鋸南町) |

嵯峨山山頂へ尾根を急登 |

嵯峨山山頂、標高315m |

スイセンピーク。石碑がある |
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尾根上の鉄塔。修理中。 |

急斜面を滑りながら沢へ急降下 |

沢に降りて作戦会議 |

採石場跡に飛び出す |

房総のグランドキャニオン |

小鋸山山頂。岩場 |

小鋸山の西、切り立った岩尾根を行く |
嵯峨山〜郡界尾根を小鋸山へ 見所、エピソード満載の山行 晴れ@鋸南町
今日はいつもの友人二人と、鋸南町へ登山に行く。
結果から先に言うと、今日は見所満載、さらに道に迷い、道なき道を登り降りする激しくも充実した山行であった。
朝8時過ぎに千葉市を出発。
鋸南町の保田小学校が廃校後、いまは道の駅として再生している。ここに車を停める。
廃校後に道の駅としてよみがえった保田小学校は、新たに命を吹き込まれていた。厳冬期だがまずまず車も多く停まり、人も多い。ハイキング風情の人が多い。
校舎には案内所やレストランなどが並び、体育館は物産、土産物屋となっている。
昔ながらの校舎や体育館の面影は残していない。新しく塗装され、内装も一新されているようだ。だが、廃小学校の有効活用という意味で好ましい取組である。
ここから鋸南町営バスで小保田に向かう。バス停が反対側の車線にしか見つからず右往左往したが、人に聞いてみると道端で待っていればいいとのこと。
程なくバスが来る。こないだ大崩(をくずれ)でみたレトロ風バスだ。バスは小型だが満席。10分ほどで小保田バス停で降りる。ここで乗客たちはほとんどが降りる。みんな登山者である。我々同様、嵯峨山に登るのだろう。
バス停は待合所の上に時計台が付属したこじゃれたもので、田舎のバス停には似つかわしくない。
年配の団体ハイカーは、ここで今日の予定をリーダーの人が発表している。
嵯峨山は、ここから下貫沢経由で登るのが常道だが、今日の我々は、東側から登る。
2万5千分の地形図上に、山頂に続く道が書かれている。この道は、山頂東側の尾根から到達するもので、始めは沢に沿っている。
我々は沢沿いの舗装道路を歩く。1軒屋の軒先に一人のおばあさんが出ていて、我々に声をかけて来た。
「嵯峨山かい?」
「そうです」
「こっちに道あったかな?」
「地図上はあるんです」
といって古老に地図を見せて説明する。だがおばあさんは釈然としない様子である、どうやら、こちらには地図で示されたような道はないらしい。どう見てもここに長年住んでいる古老である。彼女が知らないということはそうなのだろう。
だが、まぁ、万が一道がなくても、なんとか山頂には到達できるだろうという我々の意気込みに、おばあさんも同意したようだった。
「まぁあなたたち若いから大丈夫でしょう」

嵯峨山山頂へ向かう尾根道 |

尾根上のマテバシイの森 |

小鋸のキレット地帯。切り立った岩場を登る |
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舗装道路は山道となりしばらく沢沿いを続いていたが、ちいさないくつかのスイセン畑を過ぎると、もう道らしきものはなくなる。
やっぱり道などないのだ。国土地理院の地形図は10年に一度くらい更新されているようだが、最新の地図にも道が示されている。見たところ廃道らしきものもない。土地のおばあさんも、「道なんてないよ」的態度を表明していた。
なぜ地図に道が載っているのだろうか?
国土地理院の地図作りもいい加減なものだ。
まぁ、この事態は予め想定していたことであり、ここからは道なき道を行くことになる。
地図によれば沢沿いを上がっていってやがてどこかの尾根に取りつく感じなので、まずは沢に沿って上がる。しばらくすると沢が二俣に分かれる。
沢を離れて山の斜面、木々と藪の間を上がっていく。
そして枝尾根らしき尾根の突端に登り出る。地図とGPSで現在地を確認しようとするも、よく分からない。まあいい。この尾根を上がって現れる新状況の地形を確認すればいい。
そこからその尾根を上がり、主尾根のような尾根に出たあと、しばらくすると突然嵯峨山山頂に到達した。
後でGPSの軌跡を見てみると、最後は山頂から東に延びる主尾根である郡界尾根に乗って、そこから西に進んで山頂到達、ということになっていた。
嵯峨山山頂、標高315m。木々に囲まれており、展望はない。我々が到着してから5分もしないうちに、バスで一緒だった年配のグループが登って来た。総勢10人くらいはいる。
山頂から北西に数10m行ったところが開けていて、ここから北側の展望を楽しめる。西には東京湾である。
こちらにもすでに到着していた登山者が3人いて、弁当を広げていた。ちょうど12時である。
この展望所には石の祠がある。貝が供えられている。
私も弁当を食べる。友人二人はまだ食べないというので、私もサンドイッチは残して、そぼろ弁当のみ食べる。
山頂を辞し、普通の登山者が登る道で降りる。昨日土曜日に割と雨が降ったせいで、道がドロドロにぬかるんでいる。
しばらくすると「スイセンピーク」と呼ばれる尾根に着く。、ここには石碑が建っている。スイセンは見えない。嵯峨山に上がるときもスイセン畑を通ったが、私が先月来た時にはほぼ満開だったスイセンも、1月下旬ともなるともう終わりかけている。
ロープ場の急斜面が続く。登るのも大変だろうが、こうもぬかるんでいると降りるのも大変だ。ロープを掴んで降りるも、何度も足を滑らせる。上から山頂で少し話したおじさん登山者が迫ってくる。彼は両手にストックを持っているが、このズルズル急斜面を苦もなく下って来て、我々との差がどんどん詰まる。
ようやく急斜面が終わり、登山道が分岐する。ここでこの後続のおじさんが我々に追いつき、道を間違えたと言って嘆いている。我々も地図を見ながら議論するが、どうやらこのおじさんは分岐道に入り損ねたらしいが、真相は分からない。
この分岐で別方向に行くおじさんと別れる。
道は安房と上総の境、今では君津市と鴨川市の境を走る尾根、郡界尾根に入る。
ここから郡界尾根を西進し、小鋸山を経て鋸山登山口まで縦走するのがこれからの予定だ。
突然尾根が開け、尾根上に巨大な送電鉄塔が建っている。そして、尾根上に資材が持ち込まれ、おそらく東電関係の人々だろう、鉄塔の修繕をしている。
下から鉄塔上の作業を見守っていた現場監督的な人に尋ねてみる。
「何やってるんですか?」
「鉄塔の修繕です」
「修繕って、どのくらいの頻度でやるんですか?」
「場所によります。海に近いところでは塩の影響があるので、数10年に一度ですかね。これは30年ぶりくらいの修理です。もっと海から離れた山奥の鉄塔なら、それこそ大正以来一度も修理してないのもありますよ」
「へぇぇー」
鉄塔を過ぎると再び道は樹々の中に入り、すぐに分岐道が現れる。ここを左(東方面)に行く道が東電の作業道で、鉄塔関係者が使う道のようである。
我々はまっすぐ行く。だが、後で分かったことだが、ここのあたりで道を間違え、郡界尾根から外れてしまった。右(西方向)に入っていく道があったはずで、それが郡界尾根であった。だが、我々3人の記憶としては、この辺りで明確に右に行く道は見つけられていない。
郡界尾根を外れた我々は、このあと、「籠田山」というピークに向かって尾根を南下していた。尾根道だし、目印となるテープやコースに張られたロープは次々に出てくるので、この道で間違いないだろうと思っていた。
しばらくしてGPSを持っている裕助が疑問を呈する。
「あれ、だいぶ南に行き過ぎているんじゃないかな」
私とコンスケは裕助のGPS画面を確認する。私とコンスケの意見はこうだ。
「いや、地図では一度南に下ってそこから鋭角に曲がって北に進路を変えるから、これでいいだろう」
だが、間違っていた。
道は確かに北寄りに進路を変えたものの、郡界尾根からはだいぶ外れてしまったことを悟る。仕方がないのでプランB発動である。西側には沢が走っていて、その沢に降りて、沢沿いをしばらく下れば、郡界尾根の途中にある林道に出られる、ということだ。
途中から目印テープも見当たらなくなり、我々は方角を頼りに進む。そして尾根から急激に谷に落ち込んでいるところを下る。もう少し緩やかなところを下りたかったが仕方ない。下に沢が見えるので、ここはファイト一発で降りるしかなかろう。
急斜面のズルズル土で当然ロープなんかないから、圧倒的に滑りまくる。木々もわりと散漫なところで、木から木へ下るのだが、その途中の何も手がかりのないところで滑る。
そうやって滑りながらなんとか沢に降り立つ。
沢の石に座って地図を広げ、現在地を確認。ちょうど二つの沢が合流する部分に出た。
しばらく休んだ後、沢沿いを下る。しばらく下ると林道がすぐ上に現れる。藪を漕いで林道に出る。
そこは、廃採石場へ通ずる道であった。急に森から出たので、その開けぶりに戸惑う。
ススキのような茶色い枯草の中に砂利道が通っている。簡易トイレがポツンと一体。
この辺りは昔山だったのを削って平地にしたのだろうか?誰もいない。廃墟のような場所である。
人間によって拓かれたが、再び打ち捨てられた場所。
しばらく歩くと、壁を直線的に削った採石場跡が見えてくる。それにしても広い場所である。どれだけの土砂や石が持ち去られたのだろうかと思うくらいに、人間が地球を削り取った場所である。
正面に壁があり、向かって左にこれから上る小鋸山が見えている。この小鋸山も、側面がそっくり切り立った岩壁になっていて、その上に樹木が生い茂っている。白い崖の壁が人の顔で、樹木が髪の毛に見えなくもない。
この小鋸山から先に再び郡界尾根が西に延びている。つまり、人間が山を削ったおかげで、ここで郡界尾根が分断されているのだ。
採石された壁についた道を登る。上から採石場跡を俯瞰すると廃墟感がより実感できる。まさに、「房総のグランドキャニオン」と呼ばれるにふさわしい光景である。
小鋸山の側壁に近づくが、その上の樹冠部にどうやって上がればいいのか、道が見当たらない。
しばらく辺りをウロウロし、上がれる道を見つける。茶色いすすきの間を登ると、小鋸山樹冠部の森に入れる。ごく細い道がついていて、すぐに急な登りとなる。ロープが設置されている。
しばらく上がると岩の頂上である小鋸山の山頂に到達。ここからの360°パノラマ眺望は素晴らしい。標高は高々196mだが、その分周りの山々がすぐ近くに見える。
ここでしばらく休憩し、絶景を楽しむ。
ここから、復活した郡界尾根を鋸山方面へ西進する。細い岩尾根道が、ナイフ状となっている。両側が人工的に削り取られた崖である。この辺りも人間は削り取っていて、尾根が細くなっている。
断崖に細くつけられた道となり、下をのぞき込むとほぼ垂直に切れ落ちた壁。第三者が遠くから見れば、凄まじいところを歩いていることになるだろう。
ナイフエッジの尾根を越えると、今度は岩登りとなる。遠くから、友人二人が登っている姿を見る。そこも下は崖であり、墜落すればタダでは済まない。なかなかにスリリングな登りである。
実際にその岩場に到達してみると、斜度はそれほどでもないし、ステップもあるので、危険は感じない。がいずれにせよ滑って落ちたらまずい。
ここを登り切ると一段落。この一帯は、「小鋸キレット」という場所で、房総において割と緊張感のある岩尾根歩きを体験できる。
私は、春から夏にかけての旅行で、四国の石鎚山に登ったが、あそこも尖った断崖の岩尾根が続いてなかなかスリリングだった。こことは規模が全然違うが。
余談だが、石鎚山では岩尾根通過よりも命の危険を感じるのは、鎖場である。垂直にしか見えない高さ数10mの岩場を、ぶっとい鎖を伝って登るのは楽しい。
郡界尾根をさらに西に歩くと、再び森の中の尾根道となる。
途中、我々が歩く尾根を、切通が垂直に切ってある。高さは3m、幅2mほどか。ジャンプしようかとも思ったがやめて一旦切通の道面に降り、再び向かい側に登る。
この切通は、わりとしっかりと加工されている。壁がかなり真っ直ぐに平面的で、いくつかの丸い穴が開けられている。
痩せ尾根に岩が剥きだしている。「洗濯岩」と呼ばれているらしい。
次々に現れる小ピークを登り、下る。
下に林道が見えてくる。斜面を下り、林道南房総金谷元名線に飛び出す。
ここは鋸山の東側のの登山口となっていて、ここからさらに郡界尾根を西に進むと鋸山に至る。
午後4時。我々はここから林道を歩いて保田の街に降りる。
林道沿いにため池があり、水面が奥の山を鮮やかに写している。
車を停めた保田小学校に戻ったのは午後5時過ぎ。陽は落ちた。
本日の活動時間は7時間強。
道の駅・保田小学校は、灯りをつけてまだ営業している。体育館を改装した直売所では、土地の野菜や特産品、お土産を売っている。
「弁当やサンドイッチが半額」というアナウンスが流れたので探すが、もう売り切れてしまったとのこと。
小学校独特のみやげも多い。我々世代なら懐かしい、給食のソフト麺や、給食レトルトカレー、リコーダー型長大ガムなど、面白いものがたくさん売っている。
帰り道、木更津市の住宅街にあるラーメン屋、「友里」に寄ってとんこつラーメンを食べる。この店は九州ラーメン、ちゃんぽんや皿うどんの店で、店内には長崎弁紹介などののれんがかかっている。人気店らしく、午後7時の店内は、夕食を食べる客で混雑している。
味はまずまず。
今日は冒頭にも書いたが、変化に富んだ景色と行動を楽しめた一日となった。道なき道を登って下り、沢、グランドキャニオン、キレット、ナイフエッジ尾根、岩登りと、これほど多彩な山歩きは、千葉県を「山がない県」としてバカにする輩にぜひPRしたい。
今日の山行地図はこちらで。
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2018/1/16 (Tue.)

次々にアップダウンが出てくる |

安房高山山頂(千葉県鴨川市) |

安房高山山頂から南の長狭平野を眺める |
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林道では警察が行方不明者を捜索していた |
安房高山 登山 晴れ@千葉市
今日は君津市、郡界尾根に位置する安房高山に登る。
車で清和県民の森へ向かう。ここは4年ほど前に友人たちとキャンプし、滝で遊んだところである。
清和県民の森の「木のふるさと館」近くの駐車場に車を停める。
始動が遅かったのですでに12時近い。腹が減ったので車の中でサンドイッチとおにぎりを食べる。
清和県民の森内には、何本もの遊歩道が走っており、この日も年配のハイカーが歩く姿が見られる。
私もまずはこの清和県民の森のハイキングコースから入り、尾根をずっと南に下っていくことにする。12時15分。
尾根に登るまで急登し、そこからは尾根道である。
県民の森内では時折分岐があって案内板が設置されている。
神社が出てくる。鳥居の奥、短い登り道が付けられていて、ピーク上に石の祠がある。
神社の近くの道には、真っ赤な前掛けのお地蔵さんもいる。
房総の山々の山頂には、神社というか、祠があり、信仰の対象となっていることが多い。
やがて県民の森の域を出る。ここからは案内板が少なくなり、あっても完全に錆びていて字が読めなかったりと、登山道の整備が放置されている感じである。
始めはタカをくくっていたが、実はこのコース、アップダウンがあり、結構体力が要る。
尾根上には次から次へと小ピークが現れる。ロープが設置されているほどの急斜面もある。
痩せ尾根あり、マテバシイの森あり、ひたすらに尾根道を上降する。

尾根道 |

関東ふれあいの道、悲しくなる急階段 |
歩き始めて1時間半で、道は立派な舗装林道に突き当たる。この林道を少し上がったところにトンネルがある。トンネルの手前、法面が始まる手前から山に入る細い道があり、ここから再び入る。
道は急登で、回り込みながらトンネルの上を通過する。
ほどなく安房高山山頂に到達。標高364m。山頂を示す案内杭が立っている。ここは君津市と鴨川市の境である。
午後2時過ぎ。所要2時間弱。
山頂は木々で囲まれていて眺望はない。山頂から数m下ったところに簡易トイレがある。ドアを開けようとしたが鍵がかかっている。現在は使用できない。
さらに20mほど下ったところが展望所になっていて、南側の展望が開けている。安房高山は、長狭平野のすぐ北にあるので、長狭平野は目の前にその広がりを見せる。東側には太平洋。
空はほぼ快晴で澄み渡っている。飛行機がずっと真っ直ぐなひこうき雲を作って頭上を飛び去る。ひこうき雲はあくまでも直線。しばらく見上げる。飛行機が去った後、飛行機雲は徐々に散漫となり、広がっていき、消える。
帰りは南西方向に降りる。山中が一部平地となっており、小さな祠が3つある神社である。ここを下ると林道高山線に出る。半舗装道路。
ここが一方の安房高山登山口となる。
ここに4体の石碑がある。一つは馬頭観音、一番大きい碑には梵字が書かれている。
林道は砕石道路のような感じで半舗装。私が石碑の写真を撮っていると、突然向こうからパトカーがやって来た。こんな人気のない林道に現れた突然のパトカーにやや動揺する。別に悪いことをしてなくても、見た目はハイカーに見え、山の中で違和感ない格好だとしても、なぜか警官に対して緊張する小市民。
パトカーを無視して写真を撮り続ける。と、後ろでパトカーが止まる。私は振り返る。
「こんにちは。ハイキングですか?」
「そうです」
「実はこの山の向こうで、お年寄りがいなくなってしまいまして、いま探しているんです」
「そうでしたか」
「もしお年寄りを見かけたら連絡ください」
「分かりました、通報します」
帰りはこの林道を北に歩いていく。
しばらくすると別の立派な林道、渕ヶ沢奥米線に合流し、これを北に向かう。さっきのパトカーが戻って来て、私に会釈しながら追い越していった。
林道をひたすら歩く。途中、道にテーブルを出してイベントのようなことをやっている人々がいる。ハイキング大会だろうか。
林道歩き1時間ほどで関東ふれあいの道が分岐する場所に到着。ここから再び山の中に入り、関東ふれあいの道を歩く。
これまた軽視していたが、この道もアップダウンが激しい。同様に小ピークが次々に現れ、道は急登し急降する。擬木の階段であることが多いが、そのような整備され方と異なり、道は激しい。
40分歩き、清和県民の森のオートキャンプ場横に飛び出す。
ここからは県民の森内の舗装道を駐車場まで戻るだけである。
1月の厳冬期、オートキャンプ場にはまったく人影がない。ちかくに通常のテントサイトがあるキャンプ場があるのだが、こちらも管理棟は閉ざされて、おそらくシーズンオフで営業していない。
16時50分、駐車場に到着。今日の活動時間はおよそ4時間35分。活動時間が短い割には体力を消耗した。途中林道歩きが入っているが、山歩きの部分では急なアップダウンが実に多かったためである。
12月に比べ、だいぶ日が長くなった。日の入りは午後5時であり、12月からは30分ほど遅くなっている。登山者にとってはこの30分が死活問題である。
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2018/1/12 (Fri.)
外付けハードディスク 晴れ@千葉市
私が常用しているノートパソコンは2014年に購入した。ハードディスクは1TB(=1000GB)なのだが、私は写真や動画をたくさん撮るので、ハードディスクが一杯になってしまった。
そこで3TBの外付けハードディスクを購入した。ポータブルは高いので、AC式の割とごついやつ。
最近は文句ばっかり言っているが、このハードディスクの容量というのも、詐欺に近い。
私のパソコンの公称ハードディスク容量は、1TBであるが、実際にユーザーが使用できる容量は、912GBである。およそ10%にあたる88GBは、システムだか何だかのために既に使用されていて、ユーザーは使えない。
今回購入した3TBのハードディスクも、実際にユーザーが使える容量は、2.72TBである。つまり280GBもの容量(やはり10%近くの容量)が使えないのだ。
これは詐欺ではないですか??
「容量3TB」と謳うからには、常識的に考えてつまり消費者が普通思うのは、「ユーザーが使える容量が3TBである」ということである。
まさか2.72TBしかないとは思うまい。これはおかしい。外付けハードディスクは、パソコンとは違って、純粋にデータを保存するための機器である。容量3TBと聞けば、当然3TBのデータを保存できると思うではないか。
メーカーは、3TBと謳うのであれば、ユーザーが使える容量を3TBとした製品とすべきである。トータル容量を3.3TBくらいにすればいいだけの話ではないか。
でなければ、「容量2.7TB」と表示すべきである。
本当にメーカーというのは勝手な論理を消費者に押し付けて平気な顔をしているという、醜悪で欺瞞に満ちた存在である。 |
2018/1/11 (Thu.)

高鶴山山頂の空(千葉県鴨川市) |
西郷どん(せごどん) 晴れ@千葉市
1月7日(日)から新大河ドラマ『西郷どん(せごどん)』が始まった。
私は普段テレビを見ないのだが、1月7日は旅に出ており、上田のビジネスホテルにいたので見ることにした。
まぁ、初回はどの大河ドラマでも今後を期待させる内容なので何とも言えないが、キャストは面白い。
大河ドラマで西郷隆盛と言えば、司馬遼太郎氏の小説が原作だった『翔ぶが如く』では、西郷隆盛役を西田敏行さん、大久保利通役を鹿賀丈史さんだった。
今回の『西郷どん』では、この二人ともが出ている。西田敏行さんはナレーターで、鹿賀丈史さんは島津斉興を演じている。
そして島津斉彬役に渡辺謙さん。大河ドラマ『独眼竜政宗』でブレークし、ハリウッドスターにまで上り詰めた彼が大河に戻って来て、今度は島津の名君。『翔ぶが如く』では、加山雄三さんだったが、なかなかの存在感だった。
同じ幕末の薩摩絡みの大河ドラマ『篤姫』で小松帯刀役だった瑛太さんが、今回は大久保利通役のようである。
以前にも書いたが、NHK大河ドラマには、同じ役者が何度も出ている。同じ時代背景のドラマでも、違う役であることが多いが、同じ役で再び出演する人もいる。
2018年が明治、明治維新150年であることを記念して今回の西郷どんだろうが、西郷隆盛のドラマは、いままで散々創られてきた。どのような新味が出るのか楽しみではある。
もっとも、私はテレビを見ないのでフォローはしないのだが。 |
2018/1/6 (Sat.)〜1/10 (Wed.)

中央線からの車窓(塩山手前) |

JR最高標高駅、野辺山駅(長野県南佐久郡) |

小海線からの車窓 |

小諸の街並みと山々 |

懐古園(小諸城)内にある島崎藤村胸像 |

小諸城 天守台跡 |

上田駅前通り |

上田の街並みと山々 |

上田城 |

かき揚げそば。信州と言えばそば。 |

柳町通り(長野県上田市) |

千曲川 |

上田駅。真田家の六文銭をかたどったデザインあり |

妻籠宿 |

妻籠宿 |

馬籠宿 |

馬籠宿 |

馬籠宿 |

金華山の上に見える岐阜城 |

岐阜大仏 |

岐阜城 |

岐阜城天守から見た岐阜の街並み |

長良川。鵜飼い用のボートだろう |

柳ケ瀬のアーケード街 |

岐阜駅 |

岐阜駅 |

笠松競馬城のパドック、なんと内馬場にあり、人が近づけない |
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小諸、上田、妻籠宿、馬籠宿、岐阜、笠松競馬場
1月6日土曜日。
今日から旅に出る。といっても4泊5日の短旅である。先月購入した青春18きっぷがまだ3回分残っているので、この3回を使うために旅に出るのである。ちなみにこの青春18きっぷの有効期限は1月10日。待ったなし。
3回分使うということは、3回の長距離移動を旅に含めねばならない。よって、行って帰ってくる単純な往復では消化できないので、三角形的一筆書きの旅とする。
まず中央線で千葉から上田に向かう。これが1回目。上田で2泊。そして上田から篠ノ井線、中央本線および東海道線で岐阜に移動。これが2回目。岐阜で2泊。そして岐阜から東海道線で東上し千葉に戻る。これが3回目。このような三角形を一筆でめぐることにする。
朝6:15のバスに乗り千葉駅へ。6:51千葉発の総武線鈍行に乗り、お茶の水で中央線に乗り換え、高尾へ。高尾駅ではホームに大きな石の天狗面が鎮座している。
高尾からさらに中央線で西に向かう。一瞬神奈川県に入ったあと、山梨県に突入。大月、塩山、甲府、韮崎などを経て小淵沢。
塩山手前、山々に囲まれた広々とした盆地に、街が見渡せる。電車が少し高台を走っているので景色がいい。山梨県はさすがに山がちである。
昔に言う甲斐の国である。戦国時代までは主に武田家が治めた地であり、武田氏にまつわる観光地が駅駅に表示されている。
小淵沢で乗り換えて小海線で小諸へ。この小海線は八が岳高原線と呼ばれ、長野県を目の前にUターンする形でしばらく山梨県北部を走り、その後長野県東部の野辺山高原に突入する。JR最高標高駅である野辺山高原駅に着く。標高は1345m。ホームにある案内碑の前で観光客が記念撮影している。
標高が高い割に、この長野東部に雪は少ない。色枯れた茶色の山と木々が続き、その間に民家が点在する。もっと日本海に近づけば豪雪地帯になるのだろう。
長野県は、角の短いカブトムシのさなぎを横から見たような形をしている。
小諸着13:36。とっくに飯の時間だ。まずは昼飯。駅の観光案内所で観光ポイントを聞き、近くの食堂についても聞いてみる。さすがに昼時だけにいくつかの食堂が開いている。定食を食べたいというと近くの食堂を紹介してくれた。
もう14時に近い。ランチタイムが14時までの食堂が多いとのことで、駅から急いで食堂へ歩く。「こもろ食堂」。
14時少し前に入る。日替わりランチは終わってしまっていたが、定食メニューは豊富で、コストパフォーマンスはいい。
鶏焼き定食。美味い。サラダ食べ放題。
飯のあとは、小諸を歩いてみることにする。今日は上田に直行する予定だったが、上田は明日1日あるので、小諸も初めてだし、今日のところは小諸観光に切り替えることにする。
日没までは2時間半。
まずは北国街道を歩く。いくつか古めかしい建物が散見される。
小諸は信州らしく山に囲まれた街である。
小諸城の大門が保存されている。この門だけ小諸城址から離れた場所にある。
大門から線路をくぐって反対側にあるのが、小諸城跡の懐古園である。
懐古園は広大な城址公園であり、園内には小諸城の石垣や天守台などの遺構が残り、その他に島崎藤村記念館、動物園などがある。
小諸城は武田氏の軍師、山本勘助が築城し、豊臣政権時に入った仙石氏が完成させた城である。城下町よりも低い位置にある珍しい城とのことで、「穴城」と呼ばれている。
現在本丸跡には懐古神社が建っている。
動物園にも行ってみる。小諸動物園。猿、豚、ポニーなどの身近な動物から、ライオン、ムササビなど割と珍しい動物もいる。小さな動物園かと思ったが、奥行きがあり結構広い。
小諸城と言えば、関ケ原の合戦の時、東海道を西に進んだ本隊と別れて中山道を進んだ徳川秀忠指揮の3万8千の大軍が、真田攻めのために布陣した城である。ここで徳川軍は上田城攻めに手間取り、落とせないままに日が過ぎて、関ケ原の合戦に間に合わないという大失態を演じる。もっとも、この3万8千が不在でも関ケ原は徳川の勝利に終わったわけである。
上田に移動。小諸からはJRではなく、しなの鉄道なので青春18きっぷは使えない。
30分ほどで上田到着。午後6時前。
ビジネスホテルにチェックイン。駅近だが、部屋には大抵のビジネスホテルにある電気ポットがない。冬にはこれは痛い。暖かいお茶でもティーバッグでいいから飲みたいのである。
夏に冷蔵庫がないのも痛いが、冬にポットがないのも痛い。
宿泊料金に比して、設備は貧弱。これでも上田では最安のホテルだったので、上田は宿泊費が高いと言わざるを得ない。
1月7日日曜日。上田は冬晴れ。冷え込みが厳しい。
8時40分、ホテルを出て上田の街を歩き始める。
まずは上田藩主屋敷門と堀跡へ。
続いて上田のハイライト、上田城。一昨年の大河ドラマ、『真田丸』でご承知の方も多かろうが、上田は、信州真田氏が拠点とした街である。
真田家発祥の地は、上田駅の北東方向数kmにあるその名も「真田町」である。
ちなみに真田町には、真田氏本城跡、真田氏館跡、真田氏歴史館などがある。
今回は真田町まで足を延ばす時間がなく、上田駅周辺を巡る。
上田城。真田昌幸が1583年に築城した城で、この城を説明する際に必ず言及されるのが以下である。
「徳川家康の攻撃を2度に渡りはね返した城」
真田と言えば、北信州の小さな領地を治める国主だった。武田信玄の重臣として頭角を現すが、武田氏が織田信長に滅ぼされた後は、弱肉強食の戦国時代において、近隣の強国に翻弄され続ける。北には越後の上杉、南には北条、西からは織田、そして信長が斃れた後は徳川にも脅かされる。その中で玉虫色に主君を替えて生き延びた。
秀吉が天下統一を果たし、秀吉の傘下に入るも、ほどなく関ケ原の戦いで、真田家は究極の選択をする。昌幸とその次男信繁(幸村)は西軍に、信繁の兄信幸が東軍につき、どちらが勝っても真田家を残す選択をしたのである。東軍が勝ち、昌幸と信繁は九度山に流されるも、信幸が領土を安堵され、松代に移封となった後も堅実な治世で明治維新まで真田家は続く。
上田城址は公園となっている。雪がところどころに残る園内の道を奥に向かうと、東虎口櫓門とその両側の北櫓と南櫓が出てくる。上田城にはもともと天守はなく、この入口ともいえる東虎口櫓門と二つの櫓が現在の上田城のシンボルである。
関ケ原後は、徳川方に味方した信繁の兄、真田信之(信幸から改名)が治めていたが、ほどなく1622に信之は少し北の松代に移封となり、新たに小諸から仙石忠政が入封する。
小学生くらいから高校生くらいまで、竹刀をもってランニングしている集団が、掛け声を張り上げながら門を出てきた。剣道道場の朝のトレーニングだろうか。
門の前で、この集団は、引率のおばさんたちに指示され、並んで集合写真を撮っていた。
門を入る。まっすぐ行くと真田神社。ここには真田幸村(信繁)が祀られている。
上田城は2度の攻撃に「落ちなかった」城として、真田神社は受験にご利益があるとの触れ込みである。
真田神社の奥に井戸があり、その奥には西櫓が建っている。ここから上田の街が見下ろせる。北陸新幹線が時々高架の上を走り過ぎる。
園内には上田市立博物館があり、ここを見学する。信州上田地方の歴史、文化、上田城の歴史、各藩主の遺物の展示がある。
腹が減った。上田城の目の前に上田市観光会館がある。ここは観光案内所の他にお土産屋、食堂がある。ここの千本桜というそば屋のメニューを見てみるが高かったので隣の草笛というそば屋にする。
かき揚げそば900円と決して安くはなかったが(千本桜よりは安い)、量が多くて味もよく、満足。信州といえばそばである。
その後、柳町という北国街道沿いの街並みに行ってみる。ここは江戸末期から明治にかけての2階建ての町屋が並ぶ通りである。
うだつのある家が特徴的である。が、通り自体にそれほど情緒は感じられない。
上田の街は信州らしく山に囲まれている。街のどこからでも山並みが見える。アンデスの街みたいじゃないか。
上田の街には真田の紋、六文銭があふれている。のぼりや土産物にもれなく入っている。
夕方、日が暮れかかっている中、上田駅の南方を流れる千曲川を見に行く。
千曲川は、新潟県では信濃川と呼ばれる。長さ367kmで日本一長い川である。
長野県内では千曲川と名を変えるのだが、その昔長野は信濃国であったのに、なぜか信濃川ではなく千曲川となる。
夕暮れの千曲川は、50mくらいの川幅に、それほど深くなさそうな流れが緩やかに流れている。ところどころに瀬があり、浅そうである。ちょっと下流に赤い鉄橋がかかる。時々列車が通り過ぎる。ここの川幅は、河口である新潟とほとんど変わらない。
信濃川の源流は、長野・山梨・埼玉の県境にある甲武信ヶ岳だそうである。
島崎藤村の小説に頻出する川である。私は彼の小説は『破戒』しか読んだことがないが、その中でも千曲川は抒情をそそる描写がされていた。
夜ホテルに戻ると、いつものフロントのおじさんが奥の控室で飯を食っていた。私に鍵を渡した後、サプライズプレゼントをくれた。街の商店街が真田の街としてPRするために使った「旗」である。なんでも、旗竿と旗を用意して、町中の商店やホテルなどがこぞってその旗を掲げたらしいのだが、旗竿が足りなかったらしく、何枚か余った旗があったとのことである。それを上田みやげにとくれたのだ。非売品をもらうのはうれしい。
1月8日月曜日。今日は成人の日で祝日。朝から天気は悪い。重い雲が立ち込めている。
朝、7時半にチェックアウトしようとするが、ホテルのフロントに誰もいない。ベルを鳴らしても誰も出てこない。おいおい、どうなってる?
鍵を入れるボックスがあるので、無人でもチェックアウトできるのだろうと思い、箱に鍵を入れ、ホテルを出ようとしたが、あろうことか、出入口の自動ドアが開かない。自動ドアを強引に手で開けようとしたが開かない。当たり前か。
ここに2泊したわけだが、フロントにはいつも決まって昨日旗をくれたおじさんしかいなかった。他に従業員がいる気配がない。ホテルのフロントを一人じゃ回せんだろう。
きっと彼は、フロント横の今は閉まっているドアの向こうで寝ているはずである。昨晩も、私が夜ホテルに戻った時、彼はその部屋から出てきたのである。
私は、上田駅から7:50の電車に乗らねばならない。猶予時間は少ない。私はベルを鳴らし続けるもおじさんは出てこない。まさか、ホテルに閉じ込められるとは。
そうだと思い立ち、ホテルに電話をかけてみる。ホテルにいるのに電話するというのも妙な話だが、一縷の望みをかける。すると当然のごとく目の前のフロントにある電話が鳴る。それでも待っていると、やった、おじさんが電話に出た。「チャックアウトしたい」と電話口で伝えると、果たしておじさんはフロント脇のドアを開けて出てきた。いま起きた体で、髪が乱れている。
「チェックアウトお願いします。それと領収書ください」
おじさんは謝りつつも領収書を急いで書く。それを私に渡し、自動ドアを開けてくれた。
おじさんに若干同情する。人手不足のホテルほどブラックなものもあるまい。
それにしても危ない危ない。ホテルから出られなくて危うく電車に乗り遅れるところだった。
7:50発、上田駅からしなの鉄道に乗り、北に向かう。篠ノ井まで行く。
8:18篠ノ井着。ここからJR篠ノ井線に乗り換える。甲府行き。甲府って、通って来たじゃないか、引き返すのかいな?と思いながら、松本で乗り換え。そのまま乗り続けると山梨に戻ってしまう。
松本では少し時間があったので駅の外に出てみる。寒いなか一服する。駅の周りの繁華街を歩いてみるが、朝なので別に賑わいもなく、閑散としている。
松本駅で駅弁を買う。列車の旅なら駅弁。駅弁は割高なのであまり食べないのだが、今日は昼飯を食べるタイミングがないので。駅弁を買って車内で食うことにする。
山賊焼弁当。松本駅の駅社員が考案した弁当とのこと。「山賊焼き」とは、松本名物の鶏のから揚げである。
松本からさらに篠ノ井線に乗り、長野県を南下する。10:25松本発。
乗客が多い。本数が少ないので、乗客が集中するようである。わりと観光客的な風情の人がたくさん乗っている。
今日はこれから妻籠宿(つまごじゅく)に行き、時間があれば馬籠宿(まごめじゅく)にも行くつもりである。
南北に長い長野県を南に下る。この電車は岐阜県の中津川行きである。
車窓には雪が多い。
12:31、南木曽(なぎそ)駅に着く。ここで降りる。外はすでに雨が降り始め、かなり激しく降り始めた。ホームで雨具の上下を着こむ。
南木曽駅前からバスで妻籠宿へ。本数の少ないバスが、12:36発と、電車の時間に合わせたようにドンピシャで乗り継げた。同じ電車から降りた男性二人が同じようにバスに乗っている。一人は外人。
バスに揺られること10分、妻籠宿に到着。
大雨。遠くの山々に霧がかかり、アスファルトの道は鈍く光る。
バス停でバスの時刻を見ると、ここから馬篭宿に行くバスがある。14:22発なので、あと1時間ちょっと。それまでに妻籠宿を満喫することにする。
妻籠宿は江戸時代、中山道にあった宿場町で、中山道69次のうち、江戸から数えて42番目の宿場である。いまでもその当時の面影を残す。雨が降っているせいか、山に囲まれた宿場は、しっとりとした雰囲気が増幅している。古めかしい木造の町並みが雨の中に沈んでいる。
雨の中、通りを歩きまくる。宿場町の端までは普通に歩けば10分もかからない。参勤交代の大名が泊まった本陣や脇本陣がある。明治時代になって鉄道や道路が整備されて、この宿場町はその役割を終えた。いまでは稼働しているのは土産物屋くらいなものだが、まだ普通に住んでいる人もいるのだろうか。
こういう「保存された街並み」というのは日本全国に存在するが、たいていは、家屋は昔ながらの様式なものの、「新しく造った感」が否めない。要するに、建物が古めかしくないのである。だが、この妻籠宿は、昔ながらの古さが保存されている感があり、好もしい。
1時間ほど大雨の中を歩き回る。観光客はいつもがどうだか分からないので多いのか少ないのか見当がつかないが、雨なので決して多くはないだろう。店も閉まっている店が多い。特に食堂や喫茶などの休憩できる店はほとんど開いていないようである。
オバちゃんグループが嘆いている。
「どの店も休みやわ!入るところがないわ。」
観光客としては嘆かわしいことだが、店側としてはコストパフォーマンスの問題なのだろう。コンスタントに観光客が多い場所ではないのかもしれない。
さすがに冬の雨の日には元が取れないのだろう。
高札場を最後に見て、妻籠宿の見学終了。小走りでバス停に戻る。
馬籠行のバスは程なくやって来た。上下雨具でぐしょ濡れのままバスに乗りこむ。
バスは中山道を走る、馬籠峠を超えて山を下りる。25分ほどで馬籠宿に到着。15時10分前。
雨は少し小降りになった。
馬籠宿は江戸から数えて妻籠宿に続く43番目の宿場で、木曽11宿のいちばん南に位置する。現在の都道府県で言えば妻籠宿は長野県木曽郡、馬籠宿は岐阜県中津川市にある。なんかイメージ違うなぁと思ってたら果たして、以前はここ馬籠宿も長野県木曽郡山口村に所在していたのだが、2005年の越県合併により山口村が岐阜県中津川市に編入され、岐阜県となったそうである。木曽地方が分断されているのはおかしいと思ったがそうだったか。それにしても、県が変わる合併というものが存在することを初めて知った。
さて、馬籠宿は、一貫した坂道沿いにある宿場町である。バス通りのある県道7号線から、石畳の登り坂がずっと続く。その両側に宿場風情の街並みが残っている。
お土産屋、茶屋、郵便局もある。民宿もある。昔ながらの「旅籠」の文字がのれんに見える。
妻籠宿は木造格子造りの茶色い日本家屋がほとんどだったが、ここには白い漆喰壁の建物が目立つ。昔の風情はあるが、すこし新しさも感じる。
妻籠宿は建物が渋かった。この馬籠宿は、坂道が街の景観を決める最大のポイントとなっている。
坂道を上がる。ずっと登り。反対側の宿入口まで上がる。再び雨が激しくなっている。
その先はさらに中仙道方面への道が延びている。高札場があり、その上に展望広場がある。
大雨のなか、展望広場から周りの山々を見渡す。谷から湧き出るように霧が立ち上がり、山を覆っている。
坂道を下り始める。あまりに寒くて雨が激しいので途中にある無人休憩所に飛び込む。幸い、4時過ぎの馬籠宿に人の姿はまばらである。雨なのでさらに日が早く感じる。
休憩所の自販機でホットコーヒーを買い、昨日買ってまだ食べてなかったカレーパンを食べる。そして一服。
もうすぐ日が暮れる。休憩所を出て坂道を降りる。
中津川駅行のバスは16:58。ずぶ濡れ状態でバスに乗る。乗客は私合わせて二人だけ。
途中、何人かの客が乗って来ては降りていった。
終着の中津川駅まで乗ったのは私だけ。
すっかり日が暮れた。中津川駅の待合所で雨具を脱ぎ、リュックに入れる。
ここから中央本線で岐阜に向かう。
17:35発。名古屋で東海道線に乗り換え、岐阜着が19:32。
名古屋圏も京阪圏も私にはアウェイなので、よく分からないことが多い。京都と奈良と大阪が割と近いというのも私には実感できないし、名古屋と岐阜も近い。
それより分からないのは、今の経路、岐阜県中津川市から同じ岐阜県の岐阜市に行くのに、名古屋を通るということだ。岐阜→愛知→岐阜である。中津川から岐阜に直接行く経路はない。まぁ、岐阜県の形と地勢がそうさせているのだろうし、この辺りではすべての道は名古屋に通ずる、ということで、名古屋中心の発展のためでもあろう。が、千葉県という突き出した半島に住んでいる私としては、なにか不思議な感じである。
岐阜駅の外に出る。雨は相変わらず降り続いている。
岐阜駅は立派な駅である。2階部分に歩行者用通路があり、バスターミナルも大きい。
歩いて20分かけて予約したビジネスホテルにたどり着く。メイン通りはずっと屋根のある歩道だったので、それほど濡れずに行けたのは助かった。
もう8時半である。ホテルでチェックインし、部屋まで行かずに夕飯を食べに再び外に出る。ホテルのフロントの青年に聞いたら、この辺りには今の時間食堂はないので、駅近くしかない、とのことで、今歩いてきた道を再び戻っていく羽目に陥る。ホテルの周りがもっと栄えていると思いこんでいたが、全くの期待外れで、住宅街であった。
今日は一日雨に濡れて疲れたので、もう良さげな食堂を探す気力もなく、駅前大通りのすき家に入って豚丼特盛野菜セットに卵。
ホテルに戻る。、上田のホテルに比べ、建物は古ぼけているものの、設備はいい。部屋には電気ポットがある。しかも大浴場があり、朝食バイキング付きで上田のホテルより安いのである。岐阜は見たところわりとデカい街のようであるし、したがって出張者も多いのであろう、ビジネスホテルの競争が激しいと思われる。実際、このホテルを予約する際、候補のホテルはたくさん出てきた。
早速大浴場に行き、今日の冷え切った身体を温める。とてもいい。
1月9日火曜日。今日は晴れ渡った。
朝食が素晴らしかった。バイキングと銘打ってほとんど品数がないホテルもよくあるが、ここのバイキングは、バイキングだった。ご飯、パン、みそ汁、卵、肉団子、ソーセージ、魚、野菜類、惣菜類、海苔に納豆。コーヒーにジュース。駅から遠いが、ここにして良かった。大満足の朝食。
朝飯をたらふく食ったあと、岐阜の街に出る。まずは岐阜城に向かう。
15分くらいで着くかなと思っていたがとんでもない、30分歩いてやっと麓の伊奈波(いなば)神社に着く。伊奈波というのは、この辺りはその昔、斎藤道三の頃は「いなば」と呼ばれていたから、そのいなばだろう。岐阜城という名は織田信長が斎藤氏から奪った後につけた名で、その前は稲葉山城と呼ばれていた。
その後も山のふもとを回り込むようにして歩く。ようやく金華山山頂にそびえる岐阜城が視界に入る。なるほど高いところに建つ山城である。
斎藤道三の頃は、難攻不落の城として、信長も落とすのに苦労した。
ようやく岐阜大仏が安置されている正法寺にたどり着く。岐阜大仏は、日本3大大仏の一つで、乾漆大仏としては日本一の大きさだという。そういえば高岡に行くと、「高岡大仏は日本3大大仏の一つ」とPRされるのだけれど、他2つの大仏は、奈良東大寺の大仏と鎌倉高徳院の大仏で異論はないとして、最後の3番目の椅子を各地の大仏が争っている、という様相だろうか。
ちなみに、私の地元、千葉県鋸南町の鋸山日本寺にある石仏も、日本一の大きさとのことで、鋸南町がこれを3番目に推したとしてもなんら驚けない。
さて、正法寺で200円を払って大仏殿に入り、金色の大仏を拝む。これは金色だけれど、竹で編んだ骨格をしているらしい。
ちょっと変わった顔をしている。耳が福耳でデカいのはいいとして、顔立ちはちょっとした悪ガキのようである。
やっとのことで岐阜公園に着く。もう10時である。
ここから金華山山頂に建つ岐阜城に行くのだが、普通の人はロープウェイで一瞬で上がる。私はそうではない。ロープウェイというのは一瞬で着くわりに運賃がベラボーに高い。これは日本全国共通であろう。仕事をしていない私としては金もないことだし、金華山程度の山ならば歩いて登るのが最良である。そもそも金華山には4つの登山道が山頂に延びており、いくつかは戦国時代からの道らしい。

金華山の登山道。むき出しの岩が目立つ |
4つあるコースのうち、登りは「百曲がりコース」で登ることにする。
この道は城下から城への最短コースだったとのことである。
その名の通り、ジグザグに曲がりくねりながら、山頂に迫る。
この城を信長の攻城軍の兵士も登ったのだろうか。
登山道にはところどころ岩がむき出しになっていて、なかなか激しい。
登っているとまたまた雨が降ってくる。あれ、今日は天気いいのではないのか?山の天気は変わりやすいということか。
再び雨具を着て登り再開。
40分ほどで山頂に到達。
岐阜城。信長が美濃斎藤家を滅ぼして当時稲葉山城と言っていたこの城を奪い、小牧山城から移ってここを居城と定める。信長はここに居を移し、「岐阜城」と名を改め、「天下布武」を旗印とし、武力での天下統一を目指す。同時に、楽市楽座を設け、産業振興と流通強化を図る。信長は清州城→小牧山城→岐阜城と移り、安土城に移るまでこの岐阜城に10年近く住むことになる。
信長や秀吉が出てくる歴史ドラマには必ずと言っていいほど登場する城である。山頂にぽつんと建つ難攻不落の城。
岐阜城天守に登る。内部は歴史博物館となっている。信長関連の展示が多い。
天守最上階からは岐阜市街と濃尾平野の展望が素晴らしい。標高329mの金華山山頂に建つ山城だけあって、その眺望は登頂後の登山者のようである。
329mといえば、私が常々登っている房総半島にある山々と同じくらいの高さであるから、この高度感は親しみやすい、
岐阜市はか〜な〜り〜大きい。もっともこれは岐阜市だけでなく、隣の本巣市、山県市、関市などの広がりも含まれているだろう。
北には鵜飼いで有名な長良川が蛇行しながら東西に流れている。その周りに市街地が広がっている。その奥には、いくつかのお椀を伏せたような単独峰がいくつかあり、さらにその奥に山々が連なっている。
この街の広がりからすると、ここからの夜景は相当にきれいだろうと想像できる。
濃尾平野。戦国時代にはいわば日本の中心のような場所であった。
尾張からは信長、秀吉が出、三河から家康が出ている。いまの愛知県である。
信長の美濃攻めは難航を極めた。美濃斎藤家には竹中半兵衛という優れた軍師がおり、信長といえどもやすやすと美濃を落とせなかった。そしてこの山頂に建つ稲葉山城は難攻不落。信長は何度かこの城を攻めたが、攻めあぐねた。1567年、ついに稲葉山城は落城。
秀吉の天下になり、家康は江戸に移封となるが、関ケ原は濃尾平野の北西に位置し、ここで東西両軍が激突する。
山頂には岐阜城資料館があるのでここにも入ってみるが、展示らしい展示はない。岐阜の写真展をやっていて、その応募作品がずらりと並んでいる。
下りは「瞑想の小径」という登山道を降りることにする。雨はまだ降っている。
この道は金華山の北側を大きく回り込んで降りる道で、始めのうちは岩を下ったりする激しい道であるが、途中から穏やかな森林内の道となる。時々展望が開け、岐阜市街が見渡せる。
この道は長く、1時間ちょっとかかってようやく下山。岐阜公園に到達。
ここには大正天皇即位時に建設された三重塔と、信長の居館跡がある。
腹が減ったが、近くに食堂はない。金華山ロープウェイ駅があるが、ここには食堂はない。
岐阜公園総合案内所に入る。中には食堂があるが、冬季は休業でやってない。残念。
すきっ腹をかかえて長良川に向かって歩く。長良川沿いの「川原町」というところに、格子造りの日本家屋が並んでいるが、妙に新しく、そして人が住んでいる気配がしないので、まったく興をそそらない。いま整備中なのだろうか。食堂は名物のアユを食わせる超高級そうなのしかない。私には入れない。お土産屋もあるが、私には出来たばかりの廃墟のように見える。
仕方がないので、ファミレスのバーミヤンに入る。ランチはチキン南蛮。岐阜では岐阜の名物料理を何も食べてない(名物料理がなにかも知らないけれど)。すき家にバーミヤン。トホホ。
その後長良川沿いを散策。長良川の川幅は100m以上あろうか。雄大な川である。
この辺りにはいまでも鵜匠の人が住んでいる。長良川鵜飼いミュージアムは今日は閉館している。
日が暮れかかる。バスで岐阜駅に行き、明日の笠松競馬の情報を収集する。笠松競馬には名鉄で行く。だが、日程は結局分からずじまい。
岐阜駅前の広場には、信長の金色の像が高い台座の上から下々を見下ろしている。
夜になった。一旦ホテルに戻り、夕飯は柳ケ瀬商店街というアーケード街にある定食屋。
駅から割と離れたところにアーケード街が縦横に走っている。平日の夜、人は少ない。
アーケードの脇道が妙にライトアップされたり、ローマ風の彫刻があったり、唐突に噴水があったり、異空間となっていて面白い。
夜の岐阜駅前はライトアップされ、その独特の造形とも相まって、未来的雰囲気の駅である。
2階部分の湾曲した歩行者通路が、青い電飾で光る。写真を撮りまくる。
1月10日水曜日。旅最終日。
今日は笠松競馬場で軽く馬券を買ったあと、東海道線を千葉に戻る。
天気はいい。
今日は笠松競馬場で一勝負する。
だが、何時から始まるのか分からない。昨日9日から4日間連続開催のはずである。「はずである」というのは、実はいまだに笠松競馬の時間を私は把握していないのだ。
旅行前、笠松競馬のホームページをチェックしていたのだが、年明けになっても開催日程が発表されない。ホームページにあったメールアドレスにメールを出したところ、私が旅行に出る直前(5日)になっても「まだ決まっていません」という回答。
仕方なく日程が分からぬまま旅に出て、旅の間はインターネットにアクセスできないので、結局訪問する今日までレースの時間が分からないのだ。
まぁ、開催中止はないだろうとタカをくくり、10時頃には始まるのではないかとの推測のもと、競馬場に向かう。
朝は昨日同様、腹一杯朝食バイキングを食らい、9時頃にホテルをチェックアウト。
歩いて名鉄岐阜駅に行き、電車で笠松競馬場へ。ちょうどいい具合に快速があったので、わずか10分ほどで笠松競馬場駅に到着。
駅から馬の絵が描かれた地下通路を通って競馬場を探す。道が若干分かりづらかったが、なんとか笠松競馬場を見つける。
駅に着いた時点でおかしいとは感じていたのだが、誰も人がいない。競馬開催の日にこんなに人が少ないわけがない。
競馬開催の日の競馬場周辺というのは、それらしいおじさんがワラワラと歩いているものなのだ。
競馬場に着くと門は閉ざされ、誰も人がいない。で入口をよく見ると、今日は開催日であることに安心。
開門時間は、10時であった。いま9時半を過ぎたところ。仕方なく煙草をくわえる。
だが、徐々におじさんたちは集まって来た。競馬新聞売り場も開き、おじさんたちは続々と購入、。私もしばらくおじさんが買うのを眺めていたが、みんなが購入する「エース」という競馬新聞を買う。
そして10時、ようやく開門。おじさんたちが我先にと門の中に吸い込まれる。私も列の後ろから入る。
昔ながらの競馬場である。
自動券売機もあるし、有人窓口もある。
ロッカーに荷物を入れて身軽になろうとしたのだが、一旦鍵を閉めたあと、立てつけが気になったので開けてみると開かない。鍵穴に鍵を差し込めるが、回らないのだ。いくらやっても開かない。他のコインロッカーを見ると、鍵が壊れているのか、使用不能なものが多い。
仕方なく事務所の女性に鍵が開かないことを告げる。この女性が試してみるもやっぱり開かない。この女性は一旦事務所に戻り、合鍵か何かを持って再度挑戦すると、しばらくしてなんとか開いた。女性は「荷物を事務所で預かりますよ」と言ってくれたが、私は預けるのを諦める。
笠松競馬場。1周1100mの小型のダートコース。葦毛の怪物、オグリキャップを輩出した競馬場として有名だ。
特筆すべきは特殊なパドックである。パドックが内馬場(トラックの内側のこと)にあり、人が近づけないのだ。パドックとは下見所なのに、馬を近くから見れないなんて、パドックの意味をなしていない。なぜ内馬場にパドックを造ったのだろうか。分からない。
私はこの状況に一人うろたえ、周りを見回したが、人々は特にそれを気にしている様子もなく、ほとんどの人がこれが当然とばかりにパドックを気にしていないようである。
私はパドックで直前の馬の様子を確かめてから馬券を買いたいのだ。いままで様々な競馬場を訪れたが、パドックが間近で見れない競馬場は笠松が初めてである。
仕方がないので、パドックに一番近いスタンドに陣取り、そこから50mくらい先のパドックを観察することにした。
今日は千葉に帰らねばならないため、9Rまでしかいられない。だが初めての競馬場、知らない馬ばかりで、とりあえずしばらく様子を見る。
4Rから8Rまで買って、2千円くらいのマイナス。まぁ仕方ない。
笠松は岐阜県であるが、東海地区にはいまでも競馬場が多い。中央の中京競馬場に、地方では名古屋競馬場、そしてこの笠松である。
ちなみに、明治以降、多くの競馬場が建設された。『廃競馬場巡礼』(浅野靖典著)によれば、以前は沖縄県を除く46都道府県に競馬場があり、特に戦後、各地方自治体が運営する地方競馬は、焦土と化した地域の復興資金集めに貢献した。過去に存在した競馬場数は150にも上ったというから、1県当たり3つ以上である。だが、戦争で廃止された競馬場も多く、また復興競馬として多大な売り上げを挙げた競馬場も、昭和30年前後に経営難で多くが閉鎖した。
最近まで継続してきた地方競馬場も、次々と廃止に追い込まれている。
2018年1月現在では、全国の競馬場はわずかに25場である(中央競馬10場、、地方競馬15場)。
14時半、競馬場を後にして、名鉄で岐阜に戻る。岐阜からJRであとは東海道線を東上するのみである。
東海道線。東海道線と言えば、日本の大動脈である。日本の歴史上、権力というか中央政府が存在した場所を結んでいるのが東海道である。
大和に起こった日本政府は、その後奈良、長岡、京都へ移り、畿内地方が日本の中心であった。その後政権は平家が握り、福原に遷都しようとするもうまくいかず、やがて関東の源氏により鎌倉に幕府が樹立する。京の朝廷は相変わらずの権力を持ち、2重権力構造となった。室町幕府時代には政府は京に戻り、応仁の乱を経て戦国時代に突入。信長は統一目前、琵琶湖畔の安土を本拠とし、その後天下を取った秀吉は大阪城に居住した。
そして関ヶ原の合戦で家康が勝利し、江戸に幕府を開き、そのまま今日まで東京が首都である。
東海道は、権力が往復した道である。
15:23岐阜発、途中、豊橋、浜松、熱海、戸塚で乗り換え、千葉着は22:39。岐阜から7時間16分。
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2018/1/5 (Fri.)

宗谷岬の空(北海道稚内市) |
「じゃらん」の醜悪 晴れ@千葉市
「じゃらん」というホテル予約サイトをいままでわりと懇意に使ってきたが、その醜悪な意図に嫌になり、もう今後は使わないことにした。
というのは、宿泊料金の表示が、「税抜価格」なのである。他の同業サイトに比べ、少しでも安く見えるようにという醜悪な狙いに他ならない。ユーザーは、自分がいくら払うのかを知りたいのであり、税抜価格などはユーザーにとって何の意味も持たない。
本当にネット通販業者というのは、汚い根性の持ち主が多い。
クレーマーと化して、じゃらんに「なぜ意味のない税抜価格を表示しているのか?」と問うてみたが、返事はわりとすぐに来たものの、明確な回答はなかった。
「お客様の貴重なご意見は、担当部署に共有いたします」だとさ。
まぁ、まず変わらねぇだろうなぁ。
よって、きちんと税込価格を大きく表示しているサイト(例えばヤフートラベル)を今後は使うことにする。悩ましいのは、じゃらんでしか出てこないホテルが時々あることや、同じホテルでもなんらかの契約の関係だろう、じゃらんの方が明らかに安いことがあることである。
いろいろなニュースを聞くと、最近のネット通販詐欺は目に余るものがあるが、世の中の日本人というのは金の亡者ばかりかと本当に嘆かわしい。
オレオレ詐欺もいまだに私の実家にかかってくるし、日本という国はいったいどうなってしまっているのか。 |
2018/1/4 (Thu.)
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竹林の道 |

大山山頂から望む東京湾と富士山 |

赤山地下壕 |

館山城 |

館山湾と館山市街 |

鉈切洞穴内の祠 |

居待月 |
館山へ 晴れ@館山市
今日は房総南端にある館山市に行く。
朝8時前に出発。館山は遠いので今日は仕方なく高速道路を使う。
富津館山道で千葉県内房をまっすぐに南下する。終点の富浦まで行き、高速を降りる。
その後さらに南下し、館山湾を回り込むように西に進む。
海沿いを走るようになる。海は濃紺色。濃紺の中にところどころ白い波がはじけている。海の向こうを見ると、大きな雪山が見える。あわてて車を停める。
富士山が海の上に浮いている。今日は天気がいいので東京湾を挟んで対岸にある富士山がとても大きく見える。風の強いなか、写真を撮る。
今日はまず大山に登る。別称「房(ふさ)の大山」または「坂田(ばんだ)の大山」。波佐間海岸を過ぎ、坂田(ばんだ)海岸に到着。9時過ぎ。ここに車を置いて、大山登山道に入る。
天気はいいのだが、風が強くて海が荒れているように見える。海岸の岩々に波がしぶきを上げてはじけ上がっている。
9時半、海沿いの民家のあいだを歩き、民宿の脇から山に入る。小さな案内板がある。「大山コース」と書いてある。
竹林の中を歩き、そのあとしばらく急斜面をジグザグに登る。さらに尾根道を上下しながら南に進むと、ほどなく大山山頂に到達。標高は193.6m。10:15なので、わずか45分で山頂到達。
景色がいい。北側には東京湾。北東方向に館山湾と館山の市街が丸見え。
ここからも東京湾の上に富士山が大きく見える。海上自衛隊館山航空隊の敷地が東京湾に突き出、その向こうの東京湾のさらに先、三浦半島の陸地の上に富士山が大きな姿を見せる。素晴らしい。海に浮かぶように見える富士山は、山頂に雪を頂き、そびえたっている。群青色の海と水色の空の間に、白く尖った峰が美しい。
正直、いままで房総の山の山頂から富士山を鮮やかに見たことはなかった。いつも曇やもやで見えなかった。先週は冬晴れで津森山と人骨山から見えることは見えたが、山頂付近が隠れていた。
ここ館山の大山からはよく見える。富士山は霊験あらたかな山なはず、年明けから縁起がいい。ご利益あることを信じよう。
30分ほど山頂にいて、西側に下る。工事現場を大きく回り込んだあとに北上。森の中の道がときどき不明瞭になる。それでも下って立派な舗装がされた林道に飛び出す。
林道を下ると、道に猿がいた。50mくらい先の道を、何か動物が道を横切った。体長50〜70cmほどだったので、始めはテンかタヌキかなにかと思った。左側の斜面に前足を二本上げた姿を見て、猿ではないかとハッとし、前足で木の実か何かを摘んでいるのを見て確信。
そのあと彼(彼女)は、再び道に戻り、右側に歩く。あろうことか、私の方に近づいてくる。私に気づいていないのだろうか。
しばらく彼(彼女)は余裕をかましていたが、私に気づいたのか、一旦右側の道端に座った後、林の中に消えていった。
猿との遭遇 動画
人気のない林道をしばらく歩くと、人気がない理由が分かった。この林道は一般人通行禁止となっているのだ。ゲートが立ちはだかる。私はもうすでに侵入してしまっている。
ゲートの脇からそそくさを林道を出る。坂田地区の家々はすぐそこである。
車に戻ったのが12時10分前。
車で次の目的地、赤山地下壕へ行く。10分くらいで到着。
「豊津ホール」という公民館のような建物が受付を兼ねており、入壕料200円を支払って、ヘルメットと懐中電灯を借り、裏にある地下壕に入る。
館山は、東京湾の入り口に当たり、幕末から太平洋戦争終結まで、首都防衛のための重要な場所であった。明治時代以降、政府は東京湾を見下ろす各地に砲台を建設し外国船の侵入に備えた。昭和初期、館山市内には洲崎に2つの砲台が、さらに北の富浦町の大房岬にも砲台が建設された。
1930年(昭和5年)、海軍5番目の実践航空部隊として館山海軍航空隊が開設され、それに伴って工場などの軍事施設が建設された。
ちなみに、旧館山海軍航空隊の基地は、現在海上自衛隊館山航空基地として使用されている。
赤山地下壕も軍事施設の一つで、全長1.6kmにおよぶ大規模な地下壕である。
いつ頃造られたのかははっきりと分からないらしいが、戦争末期に海軍航空隊の防空壕として使用され、内部には発電機や格納庫、病院設備などがあったとのことである。
いま戦争遺構として壕の一部が一般に公開されている。
まだ年始休みだからか、見学客は思ったより多い。年配の夫婦や家族連れ、若者グループなどがいる。
壕は通路が網の目に掘られてそれぞれが連絡している。
士官の部屋や、自家発電所跡などがある。
戦争末期の米軍による日本各都市への無差別大空襲において、千葉県内では千葉市、銚子市、館山市などがやられている。館山市が空襲されたのは、このように海軍航空隊や各種工場があったためであろう。館山という街は、東京湾防衛の要衝であることと、海軍を持つことで、米軍の攻撃目標となったわけである。
終戦から今年は73年目。戦争遺構は今後も戦争を語り続ける。
壕を出て、次は館山城に向かう。
館山城の駐車場に車を置き、城山公園の中に団子屋を見つける。腹が減った。もう1時を過ぎている。メニューを見ると、カレーセットがある。中に入り、カレーを注文すると、「今日はもう終わりました」といわれる。
(まだ1時過ぎじゃないか)と意外な顔をしてその場を去る。きっと、正月四日で、今日はカレーを作る人が休みで、団子しか出せないのだと推定する。
仕方なくあたりに食堂を探すがない。駐車場の裏にあった喫茶・軽食と掲げた喫茶店に入ることにする。カレーとパスタくらいしか食えんと思っていたが、焼きそばやオムライスなど、わりとメニューは多かった。カツカレーを注文。900円と高いが、まずまず。
腹が膨れた後、城山公園の小山を登って館山城へ。この城は、戦国時代の武将、房総里見氏がその後期に居城とした城である。館山城は、関ケ原後、1614年に里見氏が鳥取の倉吉に移封となった際に破却された。いまでは当時の城跡に天守を持つ「館山城」が建てられ、内部は館山市立博物館の分館、八犬伝博物館となっている。
館山城に入館。公園内の館山市立博物館本館入場料と合わせて400円。
館内は、ほぼ「里見八犬伝」一色である。里見氏と言えば、江戸時代後期、滝沢馬琴によって著された長編小説、南総里見八犬伝で有名である。室町時代後期を舞台に、安房里見氏の姫・伏姫と八房という犬との因縁から生まれた八犬士を主人公とした壮大な伝奇小説である。
江戸時代には歌舞伎にもなり、現代でも映画化やドラマ化がされている。
館内は、里見八犬伝の成り立ちやあらすじ、登場人物紹介や江戸時代にかかれた各場面の錦絵等が展示されている。
ちなみに、伏姫と八房が同居していたという洞穴や犬塚は、富山のふもとに実際にあり、以前訪れたことがある(その模様はこちら)。安房地方の市町村は、八犬伝縁の地として、八犬伝町興しをやっている。
天守最上階に登ると、再び館山の景色がいい。街並みとやたらと青い海。
館山城を出、公園内の日本庭園を見たあと、博物館本館を見学する。こちらは安房地方の歴史や文化・民俗が展示されている。
閉館時間の4:45ギリギリまで見学し、退館する。
日が暮れかかっている。駐車場に戻り、最後に博物館で見た「鉈切(なたぎり)洞穴」に行ってみることにする。
博物館の人に聞いたら、「いまはありません」と言われたが、実際に鉈切洞穴は、グーグルマップ上には卒然と存在したので、これは行くしかない。
暮れかかる中を車で15分ほど走る。鉈切洞穴は、いまでは鉈切神社の奥にあった。
鉈切洞穴とは、縄文時代から人々が使っていたとされる海沿いの浸食洞穴で、古墳時代には一部が墓所として使用されたとのことである。いまは神社の裏にあり、内部には海神が祀られており、地元漁民などの信仰を集めている。
完全に日が沈んでしまったので、ヘッドライトを付けて鳥居をくぐる。参道を行くと神社本堂があり、その裏に洞穴があるが、格子でふさがれており中には入れない。
洞穴内部に祠があり、日中はこの格子が開いて参拝できるようになっていると思われる。
すっかり夜。5時半。帰りはケチって下道を帰る。
2時間ほど運転し、千葉市に入ると、居待月が上がったばかりで、とてつもなく大きい。
8時過ぎに千葉帰着。 |
2018/1/3 (Wed.)
ワンパンマンとメイドインアビス 晴れ@千葉市
2018年が始まった。とりあえず目標も抱負もない。
さて、中学時代の友人に、2人のアニメオタクがいる。そのうちの一人に薦められたアニメを、無料動画サイトで全話見た。
『ワンパンマン』と『メイドインアビス』という作品だ。
どちらももともとは漫画(今も連載中らしい)で、それがアニメ化され、深夜のテレビで放映していたそうである。
どちらもなかなか面白かった。『ワンパンマン』は、ドラゴンボールやキン肉マン系の、「強い人間たちがたくさん出てきて、誰が一番強いの?ワクワクー」的な、まぁありがちな内容ではあるが、それに怪人というか怪獣たちが出てきて、勧善懲悪の痛快さを加味している。
『メイドインアビス』は、アビスという超巨大竪穴にまつわる壮大な謎を少しづつ解きながら少女たちが深淵に挑むという冒険ファンタジーで、『天空の城ラピュタ』的冒険と謎解きの面白さがある。
画風が少女漫画風お花畑的で、主人公の声優もいかにもくだらない少女アニメ的な声と口調だったので、始め見たときは「なんだこれ?」と拒絶反応を起こしかけたが、見てみると特に後半の内容はちっともお花畑的ではなく、えぐいシーンが続出し、作り手になかなかの根性を感じた。
ただ、どちらも色んな事が謎解きされないままアニメが終わってしまったので不完全燃焼だが、『メイドインアビス』は続編制作が決まっているそうである。
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