2014/1/31 (Fri.)
郡山急襲
今日は仕事を休んで、郡山へ。前の会社の時に開いた銀行口座を閉じ、夜は元同僚と飲み会だ。
今週初めから体調最悪。日曜日から変な咳が出始めた。で日曜の夕方、みぞれ混じりの寒空の下、外で作業をしたのがいけなかったらしい。月曜日は朝から体調が悪く、死ぬ思いでバスと電車に乗って仕事に行ったものの、午後から意識が朦朧としもはや仕事ができる状態でなくなり、早退。火曜日は一日中寝ていた。かなりの発熱をしたが、体温計が見当たらなかったので正確な体温は分からない。月曜の夜からほとんど食欲なし。おかゆを食べたくらい。そして水曜日。まだ体調は戻っていなかったが、どうしても出席しなければならない会議があり、無理を押して仕事に行く。会議では体調は相当に駄目だったが、ボーっとする脳味噌をフル回転させ、何とか説明や受け答えをし、切り抜ける。
木曜日。少し体調は改善した。熱は下がったようだ。何とか1日仕事をこなす。そして今日金曜日。まだ頭はクリアにならない。当初は車で郡山に行こうとしていたが、体調が厳しいので新幹線で行くことにする。
朝10時頃に千葉を出て、東京経由で東北新幹線。郡山に着いたのは13時過ぎ。外は大雪。昨日まではあまり雪は降ってなかったようだが、今日は大雪。なんか、郡山に戻ってきたなぁ、という感慨に浸る。去年4月以来、9か月ぶりの郡山。
駅裏のヨドバシカメラに行ったら、忽然となくなっていた。慌てて仕事中のW君に「一体全体どうなっているのか?」とCメールする。すると、駅前の建物内に移動したとのこと。なるほど、あった。
郡山駅構内にできたフードコートで、大勢の高校生たちに混じって石焼ビビンバを食す。まだ食欲は完全に戻っていない。
雪がひどいのでバスに乗って東邦銀行へ。ここの口座を閉じるのが今回の訪郡の目的の一つだ。
無事口座解約。緊張しながら分厚い札束をかばんに入れ(笑)、歩いて駅に戻る。予約していた怪しいビジネスホテルはスナック街のど真ん中にあった。チェックインし、飲み会まで眠ることにする。
午後7時半、飲み会。W君と合流し、会場に行ってみると懐かしい顔が並んでいた。懐かしいといっても私が会社を辞めてからまだ1年も経っていないわけだが、まぁ毎日顔を合わせていた人々なので、昔の会社の匂いがした。
だが途中から体調は思わしくない。鹿児島人N君から薩摩焼酎、出産後のSさんから「一生青春」という名の私のような日本酒、W君からは私の名前と昨日の日付(私の誕生日)入りのペンケースを餞別にもらう。
食事も飲み物もだいぶ皆の腹の中に収まった頃、まさに宴もたけなわ状態で、さらにW君は、僕が辞めた日の送別会と同じように、ケーキを準備してくれていた。そう、僕は昨日が誕生日だったのだ。一日遅れのバースデーケーキ。心使いに泣けてくる。もう腹一杯だし、気持ち悪いしでこれ以上食べられないというのに(笑)。
いや、いい同僚を持ったなぁと思う。自分がこの会社で何かを成し遂げた証だと思いたい。
誕生日が近いMさんにまでバースデーケーキが用意されていた。ダブルバースデートゥーユー状態。
1次会はお開き。本当なら今回は朝まで飲みたかったが、この時点で私はリタイア。体調不良に酒が回り、ヘロヘロ状態。残念ながらここで皆と別れる。W君はビジネスホテルまで送ってくれた。
もう一度この人たちに会うべく、私はミャンマーに旅立つ。なんてね。 |
2014/1/26 (Sun.)

新車のような輝き |
車検完了
車検から車が戻ってきた。見違えた。貝塚にある車検のコバックで車検を通したのだが、サービスで洗車と車内清掃をしてくれた。今までもコバックとか成田空港で車を停めた時とか、無料で洗車してくれたことがあったが、いずれも適当な感じで、見た目はあまり洗車前と変わらなかったが、今回は見違えた。まるで新車の輝きだ(爆笑)。外のみならず、車内もきれいに清掃してくれていた。足元のマットなど、掃除機を丹念にかけてくれたのだろう、ゴミひとつ見当たらない。すばらしい。貝塚のコバック、とてもいい。千葉市の皆さんは、車検を通すなら貝塚のコバックへ。おっと、特定企業の宣伝のようになってしまったが、いいサービスはいいと言わねばなるまい。 |
2014/1/25 (Sat.)

羽田空港 |
マスクマジック
最近、街では花粉の季節でもないのにマスクをしている人が異様に多い。つまりは冬でインフルエンザなどのウィルスを警戒しているのだろう。僕の記憶が正しければ、10年位前には花粉症以外で誰もマスクなんかしてなかった。いまマスクをしているのは、おとうさんおかあさんよりも若い人の方が多い。以前「抗菌製品の氾濫」ということを書いたが、人間は、どんどん菌やウィルスに対して耐性がなくなってきているのだろうか。まさに動物としての生きる力の退化。
ところで、マスクをしているのは若い女性が圧倒的に多いが、マスクをした女性はなぜか美人に見える。いやぁ、全くの目の錯覚なのだろうが、顔の下半分が隠され、目だけを見た場合、女性はかわいく見えてしまうのだ。マスクをはずして顔全体を見たならば、きっとそれが目の錯覚であったことに気づくだろう(失礼)。昔一世を風靡した「口裂け女」伝説も、目だけを見たら女性はかわいく見える、ということをいみじくも示唆していたのかもしれない。これはスキー場では女性がきれいに見えるという、「スキーウェアマジック」と同じか。 |
2014/1/22 (Wed.)

ブラウン管の向こう側。こんなことは言いたくないのさ。 |

千葉駅前 |

馬喰町駅 |
休日
ミャンマー赴任はいよいよ2月下旬で現実味を帯びてきた。しかも2月上旬の2週間はミャンマー出張なので、もう渡航準備をしなければならずに焦っている。出張で行くならそのままミャンマーに居つけばいいのではないか?というもっともな意見もあるが、とても準備が間に合わないので、一旦日本に戻ることにしている。
今日は休みを取り、朝からがん検診。これは千葉市が奨励しているもので、年齢に応じてがん検診を千葉市内の医療機関で受診できるようになっている。だが無料ではない。補助が出ているのかどうかもよく分からない。こんなん無料で受けさせてくれればいいのに、と思うけど、財政は厳しいのだろう。ただし、70歳以上の人はすべての検診が無料である。
僕が受けられるのは肺がん、胃がん、大腸がん。今日は肺がんと胃がん、いずれもX線検査。肺のX線の後、バリウムを飲んでの胃がん検査。終了後、バリウムによる便秘防止のための下剤を飲んで今日は終わり。大腸がんは来月、今日の結果を聞きに来るときに検便を出して調べてもらう。
当たり前のことだが、病院には病んだ人が多い。そりゃそうだ。病院だ。
病院から出る頃、早くも下剤が効き始め、トイレに駆け込む。お通じが順調だと下剤の効きもいいのだろうか。
その後、下剤を腹の中に抱えながら、免許更新のために免許センターへ。平日の午後は、日曜に比べて格段に空いているが、それでも人々の列は長い。適性検査、写真撮影と進んで、安全講習会。僕は過去の免許更新で、それまでに必ず一度、シートベルト不着用や駐車違反など軽微な違反をし、いつまでたってもブルー免許のままだった。そして免許更新の際の講習会は、違反者向けのたっぷり2時間。
だが今回は初めての過去5年間無事故無違反。生まれて初めてのゴールド免許。伴い、講習会も優良運転者向けのわずか30分。
前にも書いたかもしれないが、この講習のプレゼンターは、免許センターの職員であろうおじさんたちであるが、なかなか話し上手な人が多い。そりゃそうだ、2時間ともなれば、全員が寝てしまっても不思議ではない。よほど巧みな話術で聴衆を引きつけねばならない。ま、たいていは、悲惨な自動車事故のビデオ映像で受講者の関心を引く、というのが常套手段だけれども、話し方が上手く、飽きさせない話術を持っている人が多いのは大変好ましいことである。
そして車検のコバックへ。来月からミャンマー赴任にもかかわらず、僕は愛車インテグラの車検を通すことにした。悪いタイミングなことに、今日22日で車検が切れてしまうのだ。友人たちはこぞって口やかましく言う。
「もういいかげん廃車にしろよ。どうせ乗らないんだし。車が必要な時は、レンタカーで何とかなるさ」
一理ある。というか僕の車を一目でも見たことがある人なら、きっとその意見に頷くだろう。見た目はとにかくオンボロ車だ。日本国内ではめったに見ない。実際、インテグラという車自体、日本ではほとんど見かけなくなった。そして僕の車はエアコンが効かない。コンプレッサーを丸ごと変えねばならないらしい。だがエンジンはまだまだ快調だ、さすがホンダのVOHC。
車を保持するということは、車検代もさることながら、毎月の駐車場代がかかるということであり、税金も払わなければいけないし、とにかく乗らないのに維持費がバカにならない。そんな金を払うなら、中古の軽でも買った方がいいのではないか。皆さんのご意見は、全くもってごもっとも。何ら異論はない。
しかし、僕は車検を通すことにした。僕は来月ミャンマーに行くまでに、色々やるべきことがあり、車がないと不便なのだ。しかも一年に一度くらいは帰ってくるので、車が使えないと困る。いや、まぁそれらはただの表向きの理由で、本当のところを簡単に言えば、20年も乗ってきた愛着のある車を、まだ乗れるのに廃車にしたくないというだけである。あとは友達の家に車を置かせてもらうとか、何とか維持費がかからない手はないかを模索しているが、まぁ、いずれにせよ、誰が何と言おうと僕はインテグラを持ち続けるのだ。
ちなみに、コバックで点検してもらったところ、車検代は10万円弱。基本料金とほぼ変わらない金額で出来そうだ。何しろ古い車なので、重量税がやたらと高い。
車検は通すが、ケータイは解約するつもりだ。僕のケータイが通じなくなっても、みなさん、悲しまないでください。 |
2014/1/18 (Sat.)

鋸山登山口へ向かう。前方に屏風のように広がっているのが鋸山 |

かなり急 |

観月台から見た金谷の街と東京湾。今日も富士山は見えず。 |
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急峻な岩壁。右上の犬の頭のような突起が「地獄のぞき」
⇔地獄のぞきの上に人影が見える。 |

石切場跡。まるで遺跡。 |

打ち捨てられた石切り機 |

「地球が丸く見える展望台」から見た夕日 |

保田の街と入り組んだ海岸線 |

夕暮れ、鋸山山頂に到着。疲れ果てたほなみちゃん。しかしこの後に更なる試練が。 |
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鋸山
今日はコンスケ父子、石坂と鋸山に登ることにした。鋸山とは、房総半島内房側、東京湾に程近い、富津市と鋸南町の境にピークを持つ山で、千葉県内で一、二を争う有名な山である。稜線がギザギザと鋸の歯のような形状をしていることからその名が付けられた。今まで何度か行ったことがあるが、たいていは車で急斜面の車道を登り、かなり頂上に近い駐車場に車を停め、大仏や百尺観音や地獄のぞきといった、千葉県民なら誰でも知っている超有名観光スポットを回る、という定番観光しかしたことがなかったのだ。つまり、鋸山を自分の足でまともに登ったことがなかった。そこで今回はきちんと登山道から登ってみようという趣旨だ。
石坂が体調が悪く病院に行くというので、出発が昼過ぎとなった。コンスケ号に4人乗って高速で南へ向かう。
鋸山山麓の浜金谷駅近く、海鮮レストランやお土産屋が集まっている複合施設の広大な駐車場に車を置いて歩き始める。浜金谷駅の横を通り、登山口へ。いきなり登山口が分岐していて、右が「観月台コース」、左が「車力道コース」である。時刻はすでに14:45。もう冬の日は傾きかけている。下山した人々とすれ違う。普通であればもう下山時刻なのだ。今からノコノコと上ろうなどという者はいない。日が暮れることを見越し、楽だと推測された観月台コースに進む。我々独自の法則として、「来た道を戻らない」というのがあるので、帰りは車力道かもしくはさらに北側の登山道、「安衛兵井戸と沢コース」を降りてくる、というプランだ。鋸山は、実は登山道が何本もあり、純粋な山登りも十分に楽しめる山だということに今さら気づかされる。千葉県民として長年鋸山を知っているが、その魅力のほんの一部しか知らなかったことを思い知らされる。
何はともあれ、さっさと登らねばならない。いきなり急勾配の階段だ。侮るべからず、鋸山。延々と登りが続く。息を切らしながら15分登ると、観月台に到達。ここは展望台で、東屋がある。眼下に浜金谷の街と東京湾、浦賀水道、三浦半島が一望だ。空は晴れ渡っているが、残念ながら三浦半島の向こうの富士山は見えない。
昔の人たちは、ここから月を愛でたのだろうか。

人の造りしもの、石切り場。圧倒的スケール。
下の人影と比べてください |

石が切り出された岩壁。これは芸術品だ。 |
さらに上りは続く。標高150m地点を過ぎる。切り通しのような石と石の間の狭い道を抜ける。ところどころ、下が石の道となっている。さすが房州石を切り出していた山である。いきなり正面に急峻に切り立つフラットな岩壁が現れる。高さは50mくらいはあろうか。ここがあの有名な「地獄のぞき」がある崖である。岩壁の右上に、犬の頭のような突起があり、その上に何人かの人影が見える。あそこから、岩から突き出た突起の上に立って下を覗き込むと、まさに浮遊感覚。突き出た跳躍版に立つ、飛び込み選手。50mの飛び込み。
地獄のぞきの岩壁から、石切場跡の垂直の岩壁が続く。観月台から30分。
圧倒的だ。50m以上の切り立った石の崖が、人間により直線的に切り出されている。ここは安政時代から昭和57年まで石を切り出していた石切場跡。明治時代には金谷の総人口の8割が石切に従事していたほどの最盛期を迎える。現在の建造物でも、靖国神社、横浜・港の見える丘公園、早稲田大学大隈講堂などに、ここから切り出された房州石が使われているとの由。
下は広場となっていて、切り出した石だろうか、石がゴロゴロ転がっているなかにベンチがある。先日降った雪が残っている。そこで休憩。麓のセブンイレブンで買ったおにぎりやパンを思い思いに食べる。なぜか石坂が箱に入ったこじゃれたクッキーを持ってきている。皆でクッキーをつまむ。いろいろな種類があって大変よろしい。
石切場跡には昔の機材が残っている。ブルドーザーと石切機械。石切機は、巨大な鋸のような刃をレールに沿って動かし、石を直線的に切っていくもので、こういうものを展示しているかのようにわざわざ残してくれていることに非常に好感が持てる。鋸山に来てもここまで足を伸ばす人がどれほどいるのか分からないが、僕に言わせれば、この石切場は必見である。
石切場跡には下部に透明な水をたたえている場所や、石壁の外にため池などがあり、かつての石切場が廃墟のように無言で止まっている。夕暮れの雰囲気も相まって、寂寥感が募る。打ち捨てられた、岩の回廊。これは遺跡か、それとも彫刻芸術か。
石切場を後にし、山頂に向かって進む。16時を過ぎ、日はもう暮れかけている。
今まで以上の急な階段が現れる。これを登り切ると、「東京湾を望む展望台」、別名「地球が丸く見える展望台」に到達。ここからの眺めは、超絶だった。すぐ目の前、西側一杯に東京湾が広がる。鋸山は海に程近く、海抜ゼロから急激に競りあがった山である。まさに地球が丸いことを体感。西の方角、海から視線をずっと上に延ばしたその先に、今まさに沈まんとする太陽が、雲の直上でオレンジ色に燃えていた。夕日だ。逆光の中、燃える海に浮かぶタンカー。水平線上には帯状の雲。その上から太陽が降下する。太陽が水平線上の雲に完全に隠れるまで、僕らは海と太陽を眺め続けた。
夕日をこんな絶景ポイントで、海に沈むところを図らずも目の当たりに出来たのだ。何という僥倖。普通に日中に登下山したのではまずお目にかかれない光景だ。普段は山頂にはいるべきでない日の入り時にたまたま山頂にいたのだ。鋸山マニアでもおそらくそんなに目にしたことのない光景に違いない。僕らは皆で高揚感に浸る。
南の方角には、元日に登った富山のツインピークが見える。北も、房州低山の連なり。
僕らにはまだ一仕事残っていた。それは、鋸山の山頂に立つことである。今まで鋸山に何度も来ているが、お恥ずかしい話、鋸山の山頂に立ったことは多分ないと思う。今日は何としても山頂に立たねばなるまい。僕らは急速に暗くなる中、尾根道を海とは反対方向、東に歩いて山頂に向かった。途中、電波塔と詰め小屋みたいな建物を通り過ぎ、ついに鋸山山頂に到達。標高329.5m。17:05。ちょっとした更地となっており、案内看板、方角碑、そしてベンチがある。そして、一等三角点があるのがこの山頂の売り。
先ほど雲に沈んだ夕日。冬の日は早い。もう大分とばりが落ちてきている。鋸山山頂からは、北側の山並みが見えるのみ。
何枚か写真を撮って、僕らは早々に山頂を辞した。これから下山せねばならない。相当に急な階段が待ち受けている。ご想像の通り、ここからの暗化は急速だ。特に森の中に入るとその暗さは歴然とする。
どんどん暗くなる山を歩く。階段を降り、車力道との分岐に着いた頃にはもうほぼ闇の中。石坂のスマホと僕のケータイのライトをつけ、足元を照らしながら慎重に降りる。車力道は、昔車力と呼ばれた女性たちが山の上から切り出した石を運ぶのに通った道だそうで、下は不規則な大きさの石が敷かれていて、今となっては凸凹で歩きにくい。道の真ん中が凹んでいて、ここに一輪車の車輪を通したのかもしれない。
眼下に、金谷の街の灯がきらめく。そして館山道を走る車のヘッドライトが移動していく。真っ暗闇の山から見る夜景。
乏しい光を頼りに、ゆっくりと下る。本当は僕はヘッドランプを持ってきたのだが、電池を買うのを忘れてしまって使い物にならない(爆笑)。
それにしてもほなみちゃんは小4女子にして、こないだ伊予が岳で鎖場・ロープ場登山を強要されたのに続き、今日は鋸山で日没後、暗闇の中を下山という、普通では到底出来ない過酷体験をしている。将来楽しみだ。大人の事情に翻弄されているだけなのですがね。僕らだって日が沈んでんのにまだ山頂まで到達してないって、全くの想定外やもんなぁ。
どうにかこうにか無事登山口まで降りる。18:15。お土産屋はすでに閉まっている。コンスケ号で千葉に戻る。
コンスケの実家でほなみちゃんを降ろした後、今日仕事だった裕助と合流し、僕の実家近くの中華料理屋で飯と酒。奥の座敷は狭く、僕ら4人のみの穴場空間となり快適だ。半年に渡る無職時代に僕は何度かこの店に来たのだが、日本人好みの味の中華料理を出す店で、僕は大いに買っていた。この場所は前にも別の中華料理屋があったのだが、一度つぶれて、オーナーが変わってこの店になってから2年くらいだろうか。コンスケ、裕助、石坂は初めてだという。みんなで酢豚や五目焼きそばや中華丼などを頼む。美味い。皆料理の味に満足したようだ。僕と石坂で紹興酒のボトルを1本空ける。土曜の夜、僕ら以外にカウンターに3人組。ここはやさぐれるには最適な場所だ。こうして長年の付き合いの友人とくだらない話やまじめな話をするのは、昔からずっと続けているのだが、相変わらず貴重なひとときだ。

福星飯店の酢豚定食 |
思えば僕が前の会社を辞めて千葉に戻ってきて早9か月が過ぎ去った。高校卒業以降、ほとんどの時を千葉の外で過ごしてきた。そしてもうすぐまた千葉から去っていくことになる。自分のルーツを思い出すことのできる故郷。
「僕にはまだ、帰れる場所があるんだ」(アムロの声で) |
2014/1/16 (Thu.)
八重の桜
遅ればせではあるが、ビデオに録っておいた『八重の桜』を最終話まで見終わった。戊辰戦争までは、明治維新の主要人物たちが百花繚乱のダイナミックな歴史ドラマであり、しかも会津藩の視点から描かれる新鮮さもあり相当に面白かったが、戊辰戦争後は人間ドラマとなり退屈感が否めなかった。それにしても、会津藩を主人公にしたドラマは、歴史的には実に興味深かった。僕が去年まで住んでいた郡山は新興都市であるが、会津という街は歴史を刻んできたことを改めて知らされ、刺激的だった。
そして今月から『軍師官衛兵』が始まった。7月の九州旅行では中津(大分県)や宇島(福岡県)で大いに盛り上がっていた。これまた期待が持てるテーマ設定である。 |
2014/1/1 (Wed.)

登山道ではなく林道 |

北峰山頂の広場。木造の展望台がある。 |

富山北峰から東京湾方面を望む。残念ながら富士山は見えず。 |

南峰にある観音堂と電波塔 |
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伏姫籠穴 |
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四方木不動滝 |

2014年の四方木不動滝。1989年の写真と見比べてみる。 |

県道81号にある四方木バス停。鴨川日東バス。 |
元日、富山(とみさん)登山
昨日から今日にかけて、外の闇の中では初日の出や初詣に向かう人々が蠢いていたのだろうか?
思えば高校〜大学時代、僕は仲間と毎年のように九十九里浜に初日の出を見に出かけていた。東向きの海岸である九十九里浜は、首都圏初日の出観光のメッカだ。人はなぜだか、水平線から上がる太陽を崇め奉る習性がある。
例年の僕らのパターンは、年越しでカラオケを歌いまくった後、車で九十九里に向かうというものだった。ある年は30kmくらいの道のりを夜通し歩いていったこともある。まだ真っ暗なうちに浜に着き、浜で火を起こして鍋や年越しそばを作り、凍えるような寒さの中、暖を取り、腹を満たす。だが、行いが悪いからか、毎年、初日の出は完璧には見えなかった。空が晴れている年でも、たいてい水平線上に雲がかかり、海からせり上がる太陽が見えたためしがない。全体が曇っていて全然ダメだった年もある。そのときの帰り道の足の重いことといったらありゃしない。一睡もしないで真冬の寒さの中日の出を待つのだ。疲労感はハンパない。
さて、今年2014年の元日。一緒に行く仲間はいないし、寒くてやってられないので、夜から初日の出や初詣に行く気はサラサラない。普通に寝て、元日の朝が普通にやって来た。
今日は富山(とみさん)に登ることにした。1年のスタートに山に登る。いかにもって行動だが、僕にとっては新たなパターンだ。
朝7時に起き、朝8時に出発し、車で南に向かう。元日の早朝、道は異様に空いている。街は静まっている。時折初詣に出かけるのだろうか、年配の人たちの歩く姿が見える。
市原ICから高速に乗ったはいいものの、何たることか、始めの分岐で間違えて上り車線に入ってしまった。冬の朝晩の太陽は低く、看板が完全なる逆光となり見えず、さらに悪いことには後ろから車が来ていたので、判断が間に合わなかった。華麗なる運転技術を持つ私に似合わない大失態。
仕方なく蘇我ICまで走り、一旦降りて蘇我ICから下り線に入り直す。全くもって考えられない時間と金の無駄。
鋸南富山ICで高速を降りた後、県道を走る。伊予が岳の岩峰が晴れ渡った空に映える。
富山への上がり口を捜すが、見つからない。一度車を止めて地図を見直す。すると、自転車に乗った年配のおじさんが窓越しに声をかけてきた。
「宮城から来たのか?」
「いえ、千葉からです」
「俺岩沼出身だからさ」
「前に仙台に住んでたんで宮城ナンバーなんです」
「あぁ、仙台か、そうか」
おじさんは笑顔を見せる。僕は車を降り、すかさず聞き込む。
「ときに、富山の登山口にはどうやって行ったらいいですかね?」
おじさんは、親切に道を教えてくれた。かなり上まで車で行けること、途中に車を止めるスペースもあること。僕がお礼を言うと、おじさんは自転車で疾風のように去っていった。
おじさんに教わった通りに走る。区民会館前のスペースに車を停め、舗装された道を登る。「←富山 伊予が岳→」という看板が立っている。伊予が岳と富山は割と近いのだ。
富山は二つのピークを持つ双耳峰である。特徴ある稜線なので、千葉県では割と知名度があり、人気のある山である。
登山道というよりも普通の林道だ。舗装されている。しかも道には電信柱まであり、電線が張られている。ここは人里離れた山の中ではない。人が普通に暮らしている場所のようだ。どうも、正規の登山道ではないようだ。
途中、登山者用に無人杖貸し出し所がある。
北峰間近のあずま屋からは展望が良い。脇に「里見八犬士終焉の地」の標柱が立っている。
わずか30分ほどで富山北峰山頂に到達。全く拍子抜けだ。
山頂は広場のように平らで、皇太子と雅子様が平成11年にここを散策されたのを記念した碑が建っている。
そして立派な木造の展望台がある。展望台では釣りをしている人がいた。山なのにおかしいな?と思ったら、無線家だった。釣竿に見えたのは、異常な長さのアンテナを伸ばした無線機だった。アマチュア無線で、八丈島や沖縄(?)や、とにかくとてつもなく遠い人々と交信しようとしている。時折無線機の向こうから声が聞こえる。こちらの無線家がこんなことを言っている。
「こちら富山山頂、こちら富山山頂。晴れていますが風が強いです。富士山は見えません」
電波塔のような塔も立っていて、どうも人工物が多い、自然感のない山頂だ。
展望台に登って景色を見渡す。風が強い。
快晴から雲が広がり、東京湾を隔てた先、富士山方向に目を凝らしたが、海上奥は靄に包まれて何も見えなかった。毎年来ている風情のおじさんがこぼす。
「今日は富士山見えねぇなぁ。毎年たいてい見えるのに」
今年の元日はハズレか。
海が近い。富山は内房寄りの山で、東京湾は岩井の街を隔て、目と鼻の先だ。
山頂のベンチでコンビニ弁当を開く。
北峰山頂広場から南峰に歩く。途中、幸せの鐘が設置されている。本当に人工物が多い山だ。その先に伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)なる洞窟への分かれ道があったので、まずは籠穴に行ってみようと山道を降り始めたのだが、これが大誤算だった。
こちらの道は本格的な登山道で、ずっと下りなのだが、相当に急だ。僕はそこらへんに洞穴があるのかと思っていたのだが、下っても下っても洞穴は現れない。結局、登山口まで下ってしまった。そこからは舗装道路で、さらに洞穴は先らしい。洞穴には後で車で行くことにし、今下りてきた急な登山道を登り返す。これがばりキツイ。だが正月からいい運動だ。さっき車から北峰山頂まではあまりに近すぎて正直休みの間に蓄積した脂肪を燃焼するには物足りなかったのだ。息をゼーゼーさせながら山道を登る。
やっと分岐点に戻る。そこから南峰は歩いてすぐだ。
南峰の手前に石の階段があり、登り切ると木々の間のちょっとした平地に観音堂がある。木に囲まれている。ここからは展望はきかない。観音堂の中に、お供え物の整理をしているおじさんがいる。
観音堂の左手奥には、電波塔が立っている。
これで今日の富山は終了。車まで戻って、車で伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)へ。富山中学校の脇の道を入ると、道が異様に狭くなる。ほとんど車一台分しかない。その先に伏姫籠穴があった。
立派な山門みたいな入口があり、ここに車が何台か停められるようなスペースがある。入口から入って、階段をしばらく上ると伏姫籠穴がある。
富山は、里見八犬伝ゆかりの山である。ご存知『里見八犬伝』は、滝沢馬琴による江戸時代の長編小説。安房の国里見義実の娘、伏姫と、飼い犬の八房とが獣姦して生まれた(?)八犬士が、城主の里見氏を助けて活躍するスペクタクル。八犬士は、伏姫の死により飛び散った八つの玉(仁、義、礼、智、忠、孝、悌、信)から生まれたとされる。
伏姫籠穴は、伏姫と八房が身を隠した場所だとして観光スポットとなっている。おいおい。
まぁ、そもそもフィクションの物語の中に登場する洞穴が実際に存在する、ということ自体に無理があるが、この籠穴の説明看板には、「不思議なことながら、ここが物語に登場した籠穴」てな感じのよく意味の分からない説明がなされていた。ま、嫌いじゃないですけどね、こういうでっち上げというか、いや、村興しのための一助としての怪しい施設は。
さて、籠穴には白い玉が祀られていて、賽銭やお供え物が並んでいる。さらに洞穴の奥には、八つの黒い玉が置いてあり、ご丁寧に、一つ一つに「仁、義、礼、智、忠、孝、悌、信」の文字が書かれている。ボウリングの玉みたいだが、さすがに触るのは気が引けたので確かめなかった。
いや、嫌いじゃないですよ、こういうの。
八犬伝博物館だと思えばいいのか。いや、そういう趣旨じゃない。小説の再現地だ。いや、ここを造った人たちは、本気でここが小説に登場する洞穴だと思っているのかもしれない。もちろん、それもあり得る。実在の地を元に物語にしたとしても何ら不思議はない。
洞穴の下には、小さな舞台がある。どうやら、八犬伝祭りのような催しが、ここで開催されるらしい。いいじゃないか。
さらには、「犬塚」がある。本気だ。
伏姫籠穴を後にし、房総半島を西から東に横切って内房側から外房側へ。
富山から、鴨川市の四方木(よもぎ)不動滝へ行く。この滝は25年前に一度だけ行ったことがある。
安房小湊から県道81号を北上。清澄寺に登る道は、車が数珠繋ぎになっている。元旦の初詣客は、まだまだひっきりなしのようだ。

1989年の四方木不動滝 |
81号から分岐し、四方木不動滝のすぐ近くまで細い林道が通っている。不動滝の降り口に着くと、車がかろうじて転回できるくらいに道幅が広がっている。ここに車を停め、遊歩道を川に降りる。
四方木不動滝は、シャワーっと音を立てて静かに佇んでいた。冬枯れの時期、水量は多くない。高さは10mくらい、滝壺は濃緑色で相当深そうだ。
25年前の記憶を辿る。1989年夏、僕らは小櫃川源流を極めるため、七里川を歩いて遡った。ここまで遡ってきて、突然現れたこの10mの滝を目の前にしてこれ以上の遡行を断念したのだ。当時は10mくらいの大滝になると、「滝を登る」という発想はなかったので無理はない。だが25年後の今は、果たしてこの滝は登れるだろうか?という目で滝面を見る。
滝面を前から、横から観察する。直登ルートを探すが、結構厳しそうだ。斜度があり、岩の凸凹に乏しい。しかも滝右上部は岩がえぐられるように削られ、オーバーハング状となっていて、このルートは通れない。
どの道今日はこの滝を登るつもりで来たのではない。一応沢靴は持ってきたけれども、水を浴びながらシャワークライムする陽気ではない。空は晴れているが、午後3時過ぎで谷底ではもう陽が当たらない。見上げると、山の上の部分にかろうじて陽が当たっている。冬の日は早い。
近くの河原を歩き、また滝を眺める。
夏の間あれほど乱舞していた虫たちは完全に姿を消してしまった。カエルやトカゲなどの小動物も皆無だ。
一匹だけ、小型の蝶がハラハラと飛んでいた。この真冬に生き延びているのは何だろう?幼虫として土の中で冬を越すでもなく、成虫としてこの極寒の世界を舞う。
寒さに強い外来種が房総に侵食しているのか。それとも突然変異で寒さに強くなった超能力蝶か。孤独の飛行。仲間が消え失せたこの地球は、彼(彼女)の目にどう映っているのだろうか?たった一人地球上に取り残された自分を想像する。
寒い。谷に風が強い。河原でコーヒーを沸かして飲む。25年前、ここで炊事したときの写真を見ると、河原の様子は若干変わっているようだ。昔はもっと広い河原だったような気がする。滝を流れる水量は25年前の方が多いようだが、その下流の流れは、昔の方が細い。というか河原が今は痩せてしまった感じだ。夏と冬の違いはあるけれど。
今では、この不動滝を観光スポットにしようと、滝に降りるための立派な遊歩道が造られているが、25年前はこんなものなかった。『ちば滝めぐり』でも触れられている通り、昔この滝は、暗い深山に隠れた大滝であり、簡単に来れる場所ではなかった。その名の通り、「四方が木」の四方木(よもぎ)だったのだ。25年前の僕らも、ヒルにやられながら川を遡ってきた果てに現れた大滝を、驚嘆の思いで見上げたに違いない(実のところ、よく覚えていないけれど)。人が造った道ではなく、川を歩いてきたからこそからこの滝に遭遇できたのだと思う。房総では、開発の名のもとに滝が埋められ、木が倒され、山が削られてきた。そこに棲む生物が抹殺されてきた。周りの環境は変わったかもしれないが、少なくともこの滝がほぼ昔のままに存在し続けていることに僕は少しだけ安堵した。
午後4時前、僕は滝から上がって車に戻った。
帰りはいつもの下道、国道410号を走る。わずか2時間で千葉に到着。元旦、今日は一日中道が空いている。
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