2006/3/30 (Thu.) 晴れ
サッカー親善試合日本代表vsエクアドル代表@大分
テレビ中継の冒頭、エクアドル国歌斉唱の前、スタンドに陣取るわずかなエクアドルサポーターの姿が映し出されました。何とそこには私と同期の元エクアドル協力隊員がいるではありませんか。彼女は、エクアドルの黄色いTシャツを着て、「Si,
Se Puede!」(「やれば出来る!」、エクアドル代表チームの応援句)と書かれたボードを持ってエクアドルを応援しています。実は奴は、エクアドル人の男と結婚し、今一緒に日本に住んでいるのです。いきなりテレビにその男と一緒に映ったのです。あぁびっくり。日本にはエクアドル人は少ないから、エクアドルサポーターは前回の日韓W杯でエクアドルを知った人か協力隊員くらいでしょうからね。
解説者もアナウンサーも当然のようにエクアドルチームを知りません。彼等はW杯南米予選の結果だけ見てこう言います。
「エクアドルはあのアルゼンチンやブラジルにも勝利した強豪です。」

ガラパゴスの海は薄青緑色
(エクアドル・ガラパゴス諸島) |
こういった言葉からは、意味のない期待感が匂っています。無知の三段論法とはこのことでしょう。
(1)エクアドルは南米予選でアルゼンチンやブラジルに勝った
(2)今日日本がエクアドルに勝ったら日本はエクアドルより強い
(3)よって日本はブラジルやアルゼンチンより強い
おいおい、ちょっと待ってくれよ。もっとちゃんと調べろって。エクアドルじゃ”仮想ブラジル”なんかにはらないんだって。
私の「エクアドル日記」にもさんざん書いてきたとおり(例えば、こちら)、南米予選で確かにエクアドルはブラジル、アルゼンチンに次ぐ3位で本戦出場を決めました。ホームでブラジルとアルゼンチンに勝ったのも事実です。しかし、エクアドルはホームのキトでしか勝てないチームなのです。予選成績はホームで7勝2分け、アウェイで1勝6敗2分けです。キトの標高2800mに助けられての予選通過なのです。相手チームは試合前日または当日にしかキトに入れず、高地対策など施しようがなく、空気の薄いキトで後半はバッタリと足が止まって敗れ去っていくのです。もちろん以前はキトでも勝てなかったわけですからエクアドルサッカーが進歩していることは間違いないでしょう。ただ、その実力は、ブラジルやアルゼンチンとは全く別物と考えなければなりません。実際、最近エクアドル国外で行なわれたAマッチでは、エクアドル代表はほとんど勝っていません(例:スペインではポーランドに0-3で負けました)。そういう状況を知らずして「南米予選3位、しかもブラジル、アルゼンチンに勝ったのだから強いに違いない」というのはあまりにも短絡的な考えで、はるばるエクアドルから何十時間もかけてやってきて14時間の時差で疲れているエクアドル相手にホームで日本が勝っても、あまり参考になりません。だいたい今日の試合だって、あれだけボールを支配してて、辛うじて勝ったからいいようなものの、もし0−0で引き分けてたら、こりゃ日本代表全く進歩してないってことになったと思いますよ。私の見たところではエクアドルチームは主力選手が4人は欠けてましたし。
何はともあれ日本が勝ったのでホッとしてます。何せこの試合の1ヶ月も前からエクアドル人の高校生の教え子たちからメールが来て、
『この試合でエクアドルが勝ったら私が彼らに日本代表チームのTシャツを送る、もし日本が勝ったら彼らが私にエクアドル代表のTシャツを送る』という賭けをしていたのです。
彼らにはまた言ってやりますよ、
「だからエクアドルはキトじゃなきゃ勝てないんだって」。 |
2006/3/12 (Sun.)
やれることからコツコツと
先日、ジブリ作品『耳をすませば』をテレビで放映していたので見ました。冒頭の母と娘の会話。ファミリーマート(名前がそのまま出てた。この映画のスポンサー?)で牛乳を買ってきた娘を見て母が言います。
母:「またビニール袋(もらってきたの)?牛乳一本なのに。」
娘:「だってくれるんだもん。」
母:「断ればいいじゃない。」
さすが宮崎作品。これって1995年公開だから今から11年前。もうすでにこの意識の高さですよ。
ボクも最近、環境問題のために一般庶民が出来ることをコツコツと。
●コンビニで割り箸をもらわない。たいていの店員は今までの惰性から割り箸を入れてくれようとするけれど、それを即座に辞退する。また、極力袋ももらわない。
●食堂でカツカレーを食べるとき、割り箸を使わない。スプーンで食べる。
●本屋で本を買うとき、カバーをつけてもらわない。今までにもらったカバーを使い回しすればよい。
今までの大量生産・大量消費社会の恩恵としてずっと当然のこととして受けていたサービスを受けないことにするのは、何といっても人々の「気づき」が必要です。そう、『ひとりひとりの認識が世界を変える』んです。
省ゴミ、省エネ、もったいないの価値観が世界に浸透しなければ、地球は人類の住めないところになります。
「捨てる技術」なんてアホなこと言ってる場合やありまへん。BSEならぬPSEなんちゅうリユースに逆行するようなけったいな問題が巷を騒がせてますし。
もう大量生産大量消費使い捨てしてる時代とちゃいますよ。中国とかインドとかにも分かってもらわんと。
一方で貧困国は依然として貧困国のまま。人々はその日生きることに手一杯で、大量消費などという贅沢など一生無縁のままにその人生を終えます。日本でだって江戸時代までは、人口の85%以上を占めていた農民は、とにかく年貢を納めるために一生懸命働くしかなかったんです。つまり日本のほとんどの人々が自分の食べるものを削ってまで重い年貢に苦しめられそれだけのために生きるしかなかった。干ばつ等で飢饉が起こったら、今のアフリカと同じように、バタバタと餓死するしかなかったわけです。中世まではどこでも封建主義がはびこっていて、大多数の庶民は抑圧され、今のように自分の好きなことをして生きていくなどできませんでした。
私たちは、資本主義自由主義の恩恵を享受して、昔に比べ圧倒的に豊かになり、自由になった。豊かさと自由を知ってしまったゆえに、その欲望はとどまることを知らない。とにかく金を稼げるだけ稼いで物欲を満たして絢爛たる消費生活を謳歌する。「金がすべて」なんて、普通に生きていける奴が言う資格ないでしょう。食うや食わず、今日の食べ物もない人は、「金がすべて」かもしれない。「金」=「生きること」。強盗してでも食いもんを手に入れなければならない。そうでもしなければ死ぬのです。
今の日本人は、平和と自由と豊かさの中で、自分の欲望を追求することしか考えなくなった。自己中心、自己本位の個人主義です。確かに法に触れさえしなければそれは今の社会で可能な生き方です。というかほとんどの人がそうやって生きていることでしょう。
地球環境問題を考えたとき、自分たちがどれほど恵まれているか、いかに”過剰生活”をしているかを気づくことなしには、このまま地球環境は悪化し、異常気象が猛威をふるい、地球は砂漠化していくばかりでしょう。人間の利便性のみを追求した利己主義によって、自然は破壊され続け、動植物、昆虫は消え続けています。現状を正しく認識し、気づくことが必要です。事の重大さに気づけば、自分の「幸せ基準」を別の方向に変えていくことなど容易です。そして、各自が認識を変えることが、世界を変えるんです。
ちょっと柄にもなく真面目すぎたか・・・。 |
2006/3/4 (Sat.)
そんなに楽してどーすんの?
いつものように底なし沼のような機械、つまりテレビをぼんやりと見るともなしに見ていました。テレビって、集中していようがいまいが、ついてるとどうしても画面に引き込まれるように目が行ってしまいます。気がつくとずっと見てる。恐ろしい機械です。
さて、その画面にある車のコマーシャルが流れました。車で買い物に来た女性。買い物を終え、両手に山のような買い物袋をぶら下げて車に戻ってきました。荷物を抱えたまま立ち尽くし、そこで困ったように一言。
「これじゃぁ、バッグの中のキー取れませんよね。」
しかしこの車は、何やらキーホルダー状のもの(これがインテリジェントキーと呼ばれるものらしい)についているスイッチを押すだけでキーを差し込まなくてもドアが開くんです。両手がふさがっているこんな状態でもすぐに車は開きます。これは便利ですね・・・
ってさ、そこまで楽したいんか、おのれは?そんなん荷物を車の横に一旦置いて、バッグの中からキーを取り出して、ドアを開けりゃいいことじゃねぇか!何でそんなちょっとした苦労を厭うのよ?
ダメ人間を生産していく”過剰技術”の典型例です。
それにしても何でこんなCMにしちゃうんだろ? |