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日記
(2010年5月)
2010/5/16 (Sun.)
ドラマ見てます

夜の観覧車(福島県郡山市)

僕はドラマをほとんど見ないのですが、なぜか最近よく見てます。
『チェイス』、いいです。脚本、映像。二次的な要素ですが、音楽もいい。見てるほうが高揚してくる。スターウォーズとかバックトゥザフューチャーのジョンウィリアムスの音楽でワクワクしてくるのとは本質的に違う。サスペンス系ドラマ特有のゾクゾク感を出せる音楽は陳腐化していると思ったけれどそうでもなかった。
『龍馬伝』。テーマ曲がいい。前作『天地人』のテーマ音楽は、ただ勇壮なだけでしたが、こっちは女性コーラスが入っているせいか、メロディアスで覚えやすい。
幕末というのは、各勢力によるドラマが同時進行的に進み、明治維新という壮大な局面に大成するので、舞台的に大河向きなんでしょう。
『トリック』最新作見ました。脚本は、まんま横溝正史の『悪魔の手毬歌』。手毬歌の歌詞にしたがって次々と連続殺人が起こるというプロットそのままに、子守唄にしたがって殺人が起きます。もちろん、あれだけのドラマを作り上げるトリックのスタッフは、百戦錬磨でしょうから、そんなことは承知の上でやっているのでしょう。このドラマのポイントは、コメディタッチの登場人物たちのやり取りはもちろんですが、それよりも(特に映画では)日本の原風景的山奥の寒村が舞台になっていることでしょう。普通のドラマは、山奥が舞台にはなりません。
『ゲゲゲの女房』は、『ウェルかめ』よりは面白いけれど、これから9月までもたせられるかはちょっと分かりませんね。だいたい朝の連ドラは、出だしは面白い。つかみが大事なわけで、始めから面白くなかったら誰も見ません。しかしそれを6ヶ月持続させるのは難しい。たいていの朝ドラは後半失速します。
『ゲゲゲの女房』は、原作がある話ですが、事実を元にしたドラマというのは、作る方は楽でしょうが、実際に突き抜けたエピソードがないと、成立しません。よってもってこれをドラマにしたってことは、創作の世界を超える生き方を水木しげるがしてきたってことなんでしょう。
今年の夏は、今や大観光地と化しているという、このドラマの前半の舞台でもある水木氏の出身地、境港に行ってみることにしますか。

おっと、またまた普通のブログみたいになってしまいました。これにて失敬。
2010/4/30 (Fri.)〜5/5 (Wed.)
日本のゴールデンウィーク

京都競馬場(スタンド、本馬場)

京都競馬場パドック

馬たちが、芝生を、走る

フードコート

4月30日(金)〜5月1日(土)
今年のゴールデンウィークは、海外に出ない。なぜならば、来月6月に、南アフリカにワールドカップを見に行くからだ。よってもって今年は5連休を使って国内を移動することにした。

4月30日金曜日。出張先の栃木から郡山に戻ったのが午後9時半。一度家に帰り、支度をして再び車で出発する。夜10時半。車に積み込んだのは、いつもの通り、寝袋、着替え、地図、等々。ETCカードをスロットに差し込めば準備万端。
まずは京都へ向かう。目的地は嵐山か東山か比叡山か。違う。目指すは京都競馬場。明日土曜は、天皇賞(春)前日の京都で競馬を楽しむ。なぜ日曜日の、京都競馬場での最大のレースであるGT天皇賞(春)に行かないのか?と訝しむ向きもあるだろう。もちろんGTのあのえも言われぬ熱気を味わいたい気もするが、休みはわずか5日間しかない。どんどん移動していかねばならない。
先月末の中京競馬場行と同じく、夜通し走ることになる。こないだは土曜の夜出発だったが、今回は金曜。疲労が一番蓄積している日でもあるし、名古屋よりもやや遠いこともあり(久御山淀ICまで707km)、この先かなり厳しい戦いとなるだろう。
郡山ICから高速に乗り、磐越道に入る。郡山から西へ向かって山間に入り、磐梯熱海、猪苗代を通り過ぎる。そして、街の灯が途絶えた暗い大地をしばらく走り、緩やかに坂道を下っていくと、突然目の前に光の点のまばゆい広がりが現れる。それが盆地に開けた会津若松の街並みだ。これだけ広がりのある街だったろうか、といつも不思議に思うのだが、眼前の視界に端から端まで広がる会津若松の夜景は、夜の磐越道における最大の絶景ポイントであり、高揚ポイントである。
西会津では大雨となる。ワイパーを最速にしても全然追いつかないほどの大雨。こんな真夜中に水の中を走る。外気温は5℃。まだまだ寒い。

新潟中央JCTから北陸道に入る。新潟に入る頃から雨は止んだ。ここからは日本海沿岸をひたすら南下する。やがて空はすっかり晴れ、月が進行方向頭上に、僕の進む道を照らすように輝きだした。一転、月夜だ。
北陸道に入ってからというもの、平坦な道が続く。トンネルもない。飽きる。日付は変わって5月1日。カーラジオが壊れたのでラジオを車に積んで聴いているのだが、ロクな番組をやっていない。眠くなってくる。柏崎市の米山SAで一回目の休憩。午前1時前。1ヶ月前の大雪に比べれば大分季節が和らいできたが、それでも真夜中の北陸は冷え込んでいる。一服して眠気覚ましのコーヒーを飲む。
休憩を終え再出発。再び平凡な道が始まる。だがしばらくすると、トンネルが連続する、眠気を忘れる道となる。上越市、謙信の春日山城の脇を通り過ぎ、糸魚川を抜けるとようやく富山県だ。新潟県の恐るべき長さ。走っても走っても新潟県。その長さには舌を巻く。さらに今日入った新潟市から北にはまだ新潟県が続いていると思うと、気が遠くなる。富山から山形まで新潟を縦断しようと思えば、今日走った新潟県の1.5倍は走らなければならない。
富山県に入ると再び平坦となり、そして再び大雨となる。新潟県に比べると、富山県と石川県の何と短いことか。高岡を通り過ぎる。ムロさんは元気だろうか。
金沢を過ぎ、もうすぐ石川県も終わろうかという尼御前SA(加賀市)で二度目の休憩。午前3時半。もう限界だ。これ以上運転を続けるわけにはいかない。苦渋の決断で仮眠を取ることにする。ゆっくり寝ようと思うのだが、何としたことか、午前3時半のサービスエリアは、異常なほど混雑している。ETC割引とゴールデンウィークが重なり、世間の高速道路事情は、以前と一変している。休日の車は、すべて高速道路を目指す。真夜中、サービスエリア駐車場の車の中で、人々は眠りこける。
1時間半後。午前5時。外は明るくなり始めている。僕は目を覚まし、外の冷気に当たる。ここからは気合を入れなおして走らねばなるまい。福井県に入り、高速道路は日本海から離れていく。もっとも、日本海は見えないのだが。高速増殖炉もんじゅの運転再開が話題の敦賀市は山がちだ。ついに米原JCTに到達。ここで北陸道は終わり、名神道に入る。京都まではあと100kmほどだ。

朝の日差しの中。抜けるような青空。午前7時過ぎ、久御山淀ICにたどり着く。700km以上走った末、ここでついに高速を降りる。この先、大山崎IC⇒吹田まで、何と40kmの恐るべき渋滞。京都方面から大阪神戸、山陽、山陰、九州方面へ、GWの民族大移動である。朝7時から渋滞40kmって、異常というか理解不能の状況である。その手前で降りられて、渋滞に巻き込まれず、何ともラッキーだ。ちなみに、郡山から京都まで、大都市料金が入るので1400円ながら、通常料金は14050円なので、10分の1だ。
眠い。高速を降りて一般道、コンビニでサンドイッチとおにぎり。土曜早朝のコンビニに、客が多い。レジのおばさんに、京都競馬場の行き方を聞く。彼女の話では、目的地はもう目と鼻の先らしい。

5月1日(土)
京都競馬場

サンドイッチとおにぎりを食べ終え、京都競馬場へ。途中、車で割り込みをされた男が激昂して自分の車を降り、割り込みをした車に歩いていくが、割り込みをした車はそれにビビったのか、車を急発進して逃げていった。京都の運転マナーは悪いのだろうか。

さて、競馬場の駐車場入り口が分からず少し迷う。車は、競馬場周りの、古風な民家が集まっている路地に迷い込む。この辺りには、さすが京都だけあって、古い家並みが並んでいる。
ついに京都競馬場の駐車場に入る。まだ8時なので広々とした駐車場に車は少ない。あまりに眠いので中京に行ったときと同様、車の中でしばらく仮眠を取ることにする。朝10時半、やっと車から起き出して競馬場に入る。入ったときには少なかった車が、寝ている間にいつの間にか見渡す限りの満車となっている。今日はGT前日の土曜ということでそんなに来場者は多くないと思ったが、競馬人口は堅調である。
天気がいい。広々とした競馬場だ。パドックは円形で広く、真ん中に木が立っている。パドックが円形であるのも、木が立っているのも、他場では見たことがない。本馬場にも特徴があり、何といっても向上面、第3コーナーへ向けてずっと上り坂で、そこから第4コーナーにかけての下り坂を一気に駆け下って直線に向く、というのがここ京都の名物起伏である。
昼飯、フードコートは吉牛とかモスとかKFCとかおなじみの店が並んでいる。もちろん、定番のカレー屋やラーメン屋もある。
今日は4レースから最終12レースまでやって、11レースまでマイナスも、最終12レースで大きく当てたので、結構なプラスで終了。殻を破ったといえるだろう(笑)。徐々に馬を見る目がついてきた。
午後5時、満足感とともに競馬場を後にし、一路西へ向かう。目的地は尾道。久御山淀ICまでが渋滞していたがようやく名神高速に乗り、西へ。渋滞はない。朝の渋滞は解消している。ひたすら走るが眠い。途中神戸の辺り、三木SAで休憩。山陽道で広島県に入る。
向島(むかいしま)の民宿に予約を入れていて、夜8時ごろには到着すると伝えていたのだが、思いのほか時間がかかってしまう。福山西から尾道大橋を渡って向島に入ったのがもう午後9時。携帯を確認すると、宿のオバちゃんから電話が入っていた。慌てて電話をかける。遅れたことを謝罪し、宿までの行き方を聞く。言われたとおりに走り、ようやく21:30、向島の旅館河野温泉という民宿に到着。ここは目の前が尾道行きの渡し舟(フェリー)乗り場となっていて、対岸はすぐに本州である。
宿のオバちゃんはハキハキとした、元気な人だった。チェックイン時、いま尾道でやっている『さくら祭り』というイベントの抽選はがきを書け、といって言われるままに記入する。これに応募すると、豪華景品が当たるのだ。観光客も多数参加するのだろう。
すぐに飯にしてもらう。食堂から渡し舟を見ながら夕食。ここのフェリーは、夜10時ごろまで行き来しているとのこと。食後、風呂に入る。ここの旅館名は、河野温泉であり、一応ここは温泉のようである。
風呂上り、4畳半の部屋でくつろぐ。予約の電話をしたとき、GWだけあってもう満室だったのだが、オバちゃんに、「一人なら、狭い部屋があるけど、そこでいいかい?」と聞かれ、即決したのだ。宿泊料金も、一泊二食付きで6300円にまけてもらった。
部屋は4畳半でも、全く問題ない。テレビもあるし。
金曜の夜中に郡山から京都まで移動、ほとんど寝ずに今日一日競馬をして、その後京都から尾道まで移動してきた。疲れていないはずがない(笑)。すぐに眠りに落ちる。

5月2日(日)

向島から対岸の尾道を眺める

福本渡し船乗り場(向島)。対岸が尾道。⇔尾道側の乗り場

数々の文豪が見下ろした、尾道水道と尾道の街

尾道の坂道

打ち捨てられた尾道城


尾道

朝起きて朝食。快晴。対岸の尾道の街は、すぐ目の前だ。フェリーに乗って本州に渡る。たったの5分くらい。このフェリーはカーフェリーで、ひっきりなしに、多分10分おきくらいに本州と向島を往復している。小さな島が至近距離で無数に点在するここ瀬戸内海は、船が道路である。
おなかいっぱいに車とバイクとちゃりんこと人を乗せて、狭い水道を休むことなく往復する。向島の人々は、朝通勤でこのフェリーに乗って本土に上陸し、夜このフェリーに乗って島に戻る。この船が動く橋であり、動く道である。

さて、僕もこの渡し舟に乗り、尾道の街に上がった。朝、雲ひとつない空がまぶしい。海沿いの道に人はまばら。ゴールデンウィーク、日曜日の早朝。観光客と思われる家族連れやカップルが数組いるだけ。尾道水道を見ながら、防波堤に守られた海沿いの遊歩道を歩く。と、朝の井戸端会議に出くわした。初老のおじさんたちが、何やら激論を交わしている。僕の耳になじんだ単語が飛び込んでくる。
「アパパネがいるじゃろ・・・」
よく見ると、みんな熱心に広げた新聞を覗き込んで、穏やかなケンケンガクガクをやっているのだ。そう、ケイバ談義。今日の京都、天皇賞(春)の買い目を激論しているうち、3歳牝馬戦線の行方と話が弾んだのだろう。
楽しげな光景だ。都会でもこんな井戸端会議は見られるのだろうが、ここには海とのどかさがある。キラキラと光を反射する朝の海を見ながら、今日の京都でのレースに思いをはせる。理想的な老後の過ごし方だ。

彼らをやり過ごして、いよいよ尾道名物の坂を登り始める。
尾道は、、坂の街である。尾道水道に面した斜面に、細長く街が広がる。山と海に挟まれた細長い街という地勢は、チリのバルパライソに似ている。
坂の向こうにコバルト色の海が見える。家と家の間、電線の向こうに顔をのぞかせる海。こりゃまるでリスボンじゃないか。

文学のこみち、志賀直哉旧居、おのみち文学の館を周ると、この坂の街が文豪たちに愛され、数々の映画やドラマの舞台となってきたわけが瞬時に理解される。この街は、あまりにも絵になるのだ。
今日は抜けるように天気がいいが、これが雨や曇りのときでも、また違った顔を見せるのだろう。それはどの街でも同じことなのだが、この街について特筆すべきは、コンパクトさの中に様々な要素が凝縮されていることなのだ。街、坂、海、山、橋、島、船。

尾道の風景

僕が尾道の街と聞いて思い出すのは、全く何のひねりもないので恥ずかしいのだが、大林宣彦監督の『尾道三部作』である。特に僕は『時をかける少女』が好きだった。この作品は、今見ても斬新で素晴らしい。これでもかというくらいに演技力のない若いキャストが多いのだけれど、そういったことがすべて演出であるかのような錯覚さえ受ける。物語というよりも、映像の雰囲気が映画のすべてを決定付けているような傑作である。そこで重要な役割を果たすのが、尾道の街並みである。
ちなみに、富田靖子ファンの僕の友人Iは、『さびしんぼう』がベストだといって聞かなかったが、富田靖子といえばやっぱり『アイコ十六歳』でしょう。

千光寺に行き、その後ロープウェイの山頂駅付近、千光寺公園の展望台に上る。山の上から、晴れ渡った5月の尾道を見晴らす。街、海道、船、橋、島、そして空。すべてがあからさまになっている。すべてが白日のもとにさらけ出されて、あっけらかんとしている。あまりに景色がいい。良過ぎる。すべての色がくっきりと鮮やかである。痛々しくはないが、疲れる。
この風景は、もう少し悲哀を帯びてもいいかなと思う。何事も影がないと深みが出てこない。ちょっとつや消しにして、エッジが少しぼやけるといいかもしれない。それとも、天気がよすぎるだけかしら。

この展望台にはレストランが併設されていて、腹が減ったのでここで「尾道ラーメン」を試す。モノの本によれば、「尾道ラーメン」の特徴は、「醤油味のスープに豚の背脂が浮いていること」らしい。僕が食した「尾道たこラーメン」は、もやし、ねぎ、わかめのごく普通のシンプル醤油ラーメンに、小さなたこのから揚げが4つ入っていた。630円。

尾道たこラーメン

福福まんじゅう


公園にはサル山があり、福島県の三春からやって来た滝桜の別木がある。公園から程なくして、もう一つの展望台があり、その横には、瀬戸内海をバックに尾道城がそびえている。そういえば今朝、朝食を食べながら宿のオバちゃんに、海を挟んだ対岸にくっきりと見える尾道の街のことを色々聞いたのだけれど、ひときわ目立つこの尾道城についてのコメントは、何ともあっさりしたものだった。
「あぁ、あの城は小さいわよ。」
それまで千光寺やその他の古寺なんかのことを指差しながら熱弁していたオバちゃんは、尾道城についてはそれ以上の言及をしなかった。今目の前にした尾道城を眺めると、なるほど、オバちゃんの素っ気無さが合点できる。
尾道城の入り口は閉ざされ、天守閣は全く手入れがなされていない。長年放置された荒城のようである。この天守閣がいつ建てられたのかは不明だが、この荒れようは、どう考えても歴史的に価値のある建築物ではないだろう。当然、日本100名城には入っていない。
そしてこの尾道城、街の観光案内地図にも載っていないのだ。遠くからすぐに分かる山上の城だというのに。まともであれば尾道のランドマークにもなれそうな好立地にもかかわらず、である。由緒ある城で観光客を集める街がある一方、このようにまるで邪魔者扱いされているかのように打ち捨てられた城がある街もあるのだ。
だが、石垣は高く、蔦的な植物が覆い、なかなか風情がある。尾道城の横の坂道を、海沿いの大通りに向かって下りる。学校の校庭では、日曜日の野球チームが、コーチの叱咤に応えて小学生らしい大声を上げている。

アーケードの商店街をそぞろ歩く。味のある石畳の道、渋い店が点在する。JR尾道駅。山陽本線の電車が発着する。駅前のロータリーの先は、もう海だ。日が暮れかかっている。
駅の近くの福福まんじゅうで名物のまんじゅうを買う。この福福まんじゅうは、尾道のオバちゃんたちのおやつだそうだ。
ここのオバちゃんが、面白い人だった。
「まだやってますか?」
「やっとるよ、いくつ?」
「ひとつください」
「すぐかぶる?」
「かぶる」の意味はすぐに分かった。「すぐに食べる?」っていう意味だ。
「いえ、持ち帰りで。」
「おばちゃん、袋もうけよう思うてな、ハハハ」
全く実直なオバちゃんだ。
そして饅頭を袋に包んでくれる。東京で言うと、今川焼き、大判焼きのような饅頭だ。
「堪忍な、おにーちゃん」
「いーえ」
そんな、袋をケチろうとしたくらいで謝ることなんかないのに。いいオバちゃんだ。

おのみち映画資料館へ。ここは数々の映画の舞台となってきた尾道にゆかりの映画を写真や物品で紹介する施設である。特にこの街で撮った映画の多い小津安二郎監督の展示が充実。小ホールでは彼の映画のメイキングとも言うべき、彼の映画作りの信念を表現したドキュメンタリーフィルムを流していた。

一日中歩き回って、日はすっかり暮れた。街灯が揺らめく尾道海道。再び渡しフェリーに乗って対岸向島の河野旅館に戻る。この瀬戸内海の島々の生活において、この渡しフェリーが道である。巨大な橋はそういくつも造れないが、その代わり、この渡しフェリーがいくつもの場所から頻繁に往復し、道路となっている。車、バイク、自転車、歩行者がひっきりなしにこのフェリーで行き交う。島にいても孤立感を感じさせない。もちろん、本土との距離が極近であることもあるが、ここ瀬戸内海の島々には、イースター島のような孤島感は微塵も感じられない。島から海に向かってどの方向を見ても陸地が見えるのだ。

夕食。ご飯をお代わりして腹いっぱい。食堂にあったデイリースポーツに目を通す。ここでの一面は、勝っても負けても広島カープ。中日に大敗しても、翌日の一面は、「ふがいない野球広島」と打ち出して、チーム、監督を叱咤激励する。
夜のテレビでも、「進め!スポーツ元気丸」という、広島のチームだけのためのローカルスポーツ番組がある。すべて広島目線の番組である。広島県人へのインタビューも満載。プロ野球は元広島の池谷が解説。サッカーはもちろんサンフレッチェ広島。FC東京に敗れるも、コメントがいかしている。
「広島皆実高出身の(FC東京)森重に決められた!」
転んでもただでは起きない。
これぞ広島のローカル番組。この潔さと熱狂と地元愛は、全く気持ちいい。スポーツが地域を活性化する、そのベースには、ここまで熱狂してくれるファンあってこそ。関西地方は、阪神といい広島といい、この潔さがいい。勝っても負けてもその現実をしっかりと受け止め、さらに応援に熱を入れる。東京ではこうはいかない。巨人が負けて一面になることなどないのだ。本当の巨人ファンなどいないのではないか?と思わせる軟弱さである。

さて、宿の従業員は、なぜかみんなオバちゃんである。ほとんどが元気のいいオバちゃんだ。じゃぁじゃぁ言ってる彼女たちの広島弁。これはもう芸術的というか、漫才的というか、僕は方言が強い土地に行くといつもその土地土地の言葉の強烈な個性にワクワクしてくる。

5月3日(月) 憲法記念日

高見山の展望台から見た、向島と瀬戸内海、橋、島々

打ち捨てられたリフト(向島)

瀬戸内海の松(向島)

瀬戸内海不法投棄禁止(向島)

岩屋山から見る金属の尾道海道
 
1泊した倉敷のネットカフェ「ゆう遊空間」
 
倉敷美観地区
 
岡山城、黒いので別名烏城
 
後楽園の藤棚

向島


朝起きて朝食。今日は向島を巡り、夕方以降、倉敷に向かうことにしている。朝、旅館をチェックアウト。すっかり仲良くなった宿のオバちゃんは、持って行きなさい、と言って広島名物の夏みかん(ぽんかん?)を3つもくれた。
オバちゃんから、ここ向島の観光名所として、高見山と岩屋山ミステリーツアー、あとは海がきれいだよ、ということを聞いたので、行ってみることにする。
今日も天気がいい、車でまずコンビニへ向かう。スポーツ新聞を買ってタバコを吸いながら読んでいると、コンビニに買い物に来たおじさんから声をかけられる。
「ずいぶんと遠くから来たんだなぁ。」
僕の車の宮城ナンバーを見てのことである。
「えぇ、まぁ。実際には福島からですけど」
「これからどこ行くんじゃ?」
「高見山に行こうと思って」
「じゃぁ、この先の信号を右じゃ」
「そうですか、ありがとうございます」
親切なおじさんは、車を駆って去っていった。なかなか人懐こいおじさんである。歳は60くらいだろうか。Tシャツ、半ズボンにサンダル、上品さはなく、小柄ではあるが日焼けして、漁師的な無骨な感じの漂う好おじさんだ。まだ小さな船で海に出ていそうな雰囲気である。
しばらく新聞を読んでいると、どうしたことか、このおじさんが車で戻ってきた。
「にーちゃん、すまんすまん、さっき言ったこと間違いじゃった。」
「えっ?」
「今から高見山行くか?わしが車で先導してやるけん。」
「えっ、いいんですか?」
「えぇ、えぇ、どうせ暇じゃけん。」
そんなこんなで、僕は車に乗り込み、このおじさんが運転する小型車の後ろについていくことになった。
おじさんの車は軽やかに走り、信号ではきちんと僕の動きを見ながら先導してくれる。途中から道は山を登り始め、最後はイロハ坂級の曲がりくねった急坂となる。登りきったところが、高見山の駐車場だった。誰もいない。
おじさんは車を降りてきて、ここだ、と言った。この上に展望台があるという。僕はおじさんに厚くお礼を言う。彼は何の未練も残さず、見返りも期待せず、つむじ風のように去っていった。天気のいい祝日の朝の、格好の暇つぶしになったとでも思っているのだろうか。全くとてつもなくいいおじさんだった。旅に出ると、こういう一期一会が待っている。

駐車場から展望台まで歩く。もう使われなくなり、放棄されたリフトとステーションが山の中にひっそりと佇んでいる。
広大な瀬戸内海国立公園の中で、標高283mの高見山山頂展望台から、向島と、瀬戸内の島々が一望できる。そして、誰もいない山中の遊歩道を歩く。この高見山には、瀬戸内海の青海を見下ろす形で、山の斜面に『瀬戸のうたみち』と名づけられた遊歩道が造られている。この遊歩道には、尾道ゆかりの俳人、詩人たちの句が、ところどころの岩に削り込まれている。晴れ渡った陽光に、石に刻まれた句がくっきりと映える。
小一時間ほど山中を歩き、車を止めた駐車場の下に出た。

ここには蘭園もあるらしいがそこには寄らずに車で向島を巡る。向島は、美しい海に囲まれた小さな島である。海水浴場近くのお好み焼き屋で広島風お好み焼きを食べる。客は誰もいない。
白砂の海岸と、点在する村々。海は青く、どこを見ても大小の島々がすぐそこに浮かんでいる。隣の因島とを結ぶ因島大橋は巨大な建造物である。本州とこの瀬戸内海の島々、さらには四国は愛媛県今治市に通じる高速道路は、しまなみ海道と呼ばれている。島々と海を見下ろしながら走るような、かなり高いところを橋が貫いている。

岩屋山は、向島の本州側にある岩山で、ここには巨石や神社があり、ここをミステリースポットとして町興しのために売り出している(岩屋山ミステリーツアー)。陽が傾きかけたころ、この岩山に登る。他に人はいない。地元の人が犬の散歩をしているだけだ。誰もいない岩山は、「岩屋巨石」と書かれたどぎつい赤い旗が竹林の順路に立っていて、場違いな雰囲気が醸し出される。登ったところにある大元神社も、妙に仰々しい。かなり新しめの大きな社殿があり、山の上に突然現れるので、周りの景色とマッチしていない場違い感が漂う。
さらに先に行くと、尾道海道を挟んで尾道の街を見渡せる絶景ビュースポットにたどり着く。ここはいい。逆光の中、尾道の街は5月の夕日に輝いている。海面もギラギラと鉛のように金属的に輝き、動きが止まっている。行き交う船も、光った玩具のように、粘土の海に浮いている。

岩屋山を降り、朝オバちゃんからもらった夏みかんを食べる。もう午後5時だ。そろそろ倉敷に向かって出発しよう。
尾道大橋を再び渡り、本州へ。国道2号線を東へ走り、倉敷は50kmほど。1時間半ほどで夜8時ごろ到着。駐車場に車を入れる。ネットカフェで安民宿を探そうとするが、倉敷には駅近くにネットカフェがない。歩き回って疲れ果て、腹ごしらえをする。「宮本むなし」という大衆食堂でハンバーグ定食。ご飯お代わり自由の、首都圏で言えば「やよい軒」と同様の食堂だ。ここで腹いっぱい食い、再び歩き回る。明日行くつもりの倉敷美観地区は、夜11時ともなると、全く人影なく、店や旅館も完全に閉まっている。
結局、交番でネットカフェがあるかを聞くと、ここから南に数kmいったところの国道沿いにあるという。僕は今晩、ネットカフェを安宿として1泊することを決めた。夜12時過ぎにその「ゆう遊空間」というネットカフェに着き、9時間パック1600円で入る。僕が取ったブースにはソファ的な長椅子があり、横になって眠ることが出来た。

5月4日(火) 国民の休日
倉敷


ネットカフェに入って9時間後の朝9時。トイレの洗面所で顔を洗い、僕はネットカフェを出て、再び倉敷市街に向かった。昨日と同じ駐車場に車を止め、美観地区へ。
倉敷は、江戸時代幕府の天領として代官所が置かれ、天領米の積み出しを始め物資輸送の基地として発展した。倉敷川沿いに立ち並ぶ白壁の蔵が当時の面影を伝え、一帯は倉敷美観地区として観光客を集めている。川と柳と蔵作りの建物、これらの三位一体が美観地区である。
GWの観光地に人が多い。美観地区の狭い道は、人であふれかえっている。
階段を上って阿智神社へ。神式の結婚式が行われている。神社脇の展望台からは美観地区が上から見下ろせるが、家々の一定した瓦屋根しか見えない。
倉敷考古館では、この辺り、吉備地方で出土した旧石器時代、縄文時代、弥生時代の土器や埴輪などの展示のほかに、特別展としてなぜか古代ペルーの遺品も紹介しており、興味深い。

倉敷の風景

美観地区の周りは商店街が並んでいる。なぜだか知らないがゲゲゲの鬼太郎グッズを売る店がある。
倉敷川では、様々な出し物が行われている。この辺りに伝わる民話か、江戸時代の説話を再現したのだろうか、「瀬戸の花嫁」みたいな劇が倉敷川上の船で行われている。その後は、地元「鬼太鼓」という太鼓チームの演舞。伝統芸能だろうか。みんな鬼の面をかぶって、様々な種類の太鼓を船上で打ち鳴らし、倉敷川を往復する。岸では二重、三重の人だかりがこの水上パフォーマンスを見守る。

この美観地区に、便乗商法だろう、「星野仙一記念館」がある。ご承知の通り、倉敷は燃える男・星野仙一の故郷であるが、何もこの美観地区に建てなくても、と思うのは私だけだろうか。

夕方4時半、どんどん観光客が増えてきた倉敷を後にした。向かったのは、最後の訪問地、岡山である。前述したとおり、昨日ネットカフェで1泊したのだが、そこで岡山の宿は調べておいた。安民宿はなさそうだったので、仕方なく岡山市街の普通の安ビジネスホテルをネットで予約した。
倉敷から岡山は目と鼻の先だ。15km程度だろうか。ホテル提携の駐車場に車を入れ、チェックイン。しばらくして外に何かを食べに出る。夜7時半。繁華街と思われる駅の周りを歩き回るが、ロクな食堂がない。事前調査では、岡山の名物食というのは洋食の「えびめし」や「デミカツ丼」とかあるらしいが、それらが食べられる食堂は見当たらない。もちろん、山陽地方は瀬戸内海の豊富な魚介類でも有名だが、僕には家賃が高い。B級グルメがいいのだ、B級が(岡山県のB級グルメという意味では、津山の「ホルモンうどん」が筆頭だ)。仕方ないので、ラーメン屋に入ることにする。とんこつラーメンに餃子、ライス。夜9時過ぎの店内に客はほとんどいないが、なかなか美味い。
岡山駅の概観は、か〜な〜り〜大きい。その割に、街の広がりと賑わいはいまひとつ。

5月5日(水) こどもの日
岡山


ビジネスホテルの朝食

泊まったビジネスホテルは朝食付き。ここの朝食は、ただのパンにコーヒーというビジネスホテル特有の、原価ほぼゼロの味気ないものではなく、もっちりとして中身が詰まった特製米粉パンは、岡山いこいの村で天然酵母パンを石釜で焼いたもの。そしてミネストローネスープにサラダ、コーヒー。いい。
今日は岡山の有名どころを周り、郡山への長い長い道のりを戻る。
まずは岡山城へ。今日も天気がいい。この連休中、連日凄まじい晴天だ。
岡山は、路面電車が走っている。北陸や山陽地方は、路面電車が街のアクセントとなっていることが多い。
岡山城、黒いから別名烏城。鮮やかな外観だ。黒塗り、黒瓦と格子窓の白枠がコントラストを描く。そして、形も非常に均整が取れている。こういうのを美しいっていうんだろう。城の周りには屋台や茶屋が出て、休日の観光ムードを盛り上げている。
岡山城内では、「幕末の動乱 〜会津と長州、そして岡山〜」と題した特別展示をやっていた。幕末、幕府側と倒幕側に立って激突した会津、長州両藩と、岡山藩との関わりを描いた、非常に教育的な内容だった。ここでも、戊辰戦争時鶴ヶ城での凄惨な籠城戦と会津藩降伏、白虎隊自刃、という永遠に語り継がれる歴史が綴られる。中学生のときに会津若松への修学旅行で知った白虎隊の話は、戦争に必ずと言っていいほど付きものの、悲劇である。
天守閣から岡山の街と隣接する後楽園を見下ろす。

しばらく岡山城の周りを歩き回った後、、後楽園へ。日本三名園の一つ。江戸時代の代表的な回遊式庭園とのことだが、僕の心は、この広大な庭園にあまり共鳴しなかったと言える。巨大さは、日本の心には合わない。小さなものにこそ侘び寂びの気配が宿る、というのが僕の私見だ。まぁ、ところどころ、藤棚とか水路に映り込む緑木とか、甘酒を売る茶屋とか、心を動かされるものもあったが、のんびりとした平板と明るさが基本的にこの庭園を支配していた。こんなに天気がよくなくて、しとしとと冷雨でも降っていたらまた感じ方も変わったのだろうけれど。

岡山の風景

午後2時前。僕は岡山を出発した。さすがに神戸方面の山陽道は渋滞だ。連休最終日。神戸付近が大渋滞。ノロノロしか動かない車の中から対向車線を見ると、事故があったらしく、車が黒煙を上げて炎上している。神戸を抜けると、京都の手前で再び渋滞。岡山を出てもう4時間もたっているのに、まだ京都に着いていない。6時過ぎ、やっと渋滞を抜ける。米原から北陸道に入る。ここからはもう渋滞はないだろうとタカをくくっていたら、敦賀付近で事故渋滞。これを抜けてやっとまともに走れるようになった。すでに陽は落ち、北陸道は闇に包まれる。福井、石川を走り抜け、富山の街の灯を見たのが夜10時。そして再び長い長い新潟県に突入。上越11時半、燕三条12時20分、磐越道に乗ったのが12時37分。さすがに真夜中の磐越道に他車の姿はない。会津若松1時30分、郡山帰着午前2時過ぎ。岡山からおよそ900km、所要12時間。もうヘロヘロだ。明日の仕事が思いやられる。
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