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エジプト旅行記
2000年5月・記
「Welcome To The Wonder World」(1)
〜カイロ編(1)〜

成田から11時間のフライトでイスタンブールへ。飛行機を乗り換えて、夜中の12時過ぎにカイロ空港に到着。US$15でビザを買い、5万円分ほど両替する。入国審査を通った瞬間に、来た来た、自称「ガバメントスタッフ」と称する男が、私の方に近づいてくる。
「ようこそカイロへ。ホテルは決まってますか?」
「決まってないよ。」
「それでは私たちがいいホテルを紹介してあげます、私たちは政府の許可を得てここでホテルを斡旋してるんです。」

私は、「地球の歩き方」(注1)で事前に情報を得ていた、こいつらはただのボッタクリトラベルエージェントだということを。その勧誘の仕方が「歩き方」に載ってた通りだったので、内心ほくそえんでしまった。だが、こいつらを逆に利用することも悪くない。私は言われるがままにカウンターに行き、話を聞くことにした。

私「カイロ・ハーンホテルに50USドルで泊まれるかい?」
男「もちろんお安い御用だ、だがその前に、君のエジプトでの滞在は何日間だい?」
私「6日だ」
男「僕らが、君の旅行をオーガナイズしてあげよう」

・・・・その後、ピラミッドツアーだの、ルクソールツアーだのを延々と聞かされた。だが私は、「歩き方」である程度各ツアーの相場を知っていたので、その都度「そりゃ高いよ」と言った。だが敵も海千山千だ、ああ言えばこう言う状態で、なかなか話しは前に進まない。そろそろイライラしてきた私は言った・・・・。

私「いや、俺はホテルを紹介してさえくれればいいんだ」
男「じゃあ、このホテルはどうだ?」
私「おい、さっきカイロハーンに50ドルで泊まれるって言ったろう?」
男「いや、こっちのホテルの方がいいんだ」
(初めから奴等はカイロハーンを斡旋する気などかけらもないのだ。しばらく押し問答したが、時間の無駄だと分かったので、奴等の紹介するホテルを値切って30ドルにして部屋を見てから決めることにした)

この空港でのトラベルエージェントとのやり取りを通して、ある程度エジプト商人のやり方が分かった。しかし、それはあくまでも序の口に過ぎなかった。

空港から、タクシーで25分ほどでカイロ市街に移動し、結局私は彼等の紹介してくれた「アンバサダーホテル」に30ドルで泊まることにした。(思ったよりも大分いいホテルだった。お湯もまずまず出たし。ちなみに3つ星である。「歩き方」にも載っていたが45〜55US$と書いてあったので、ボッタクラれてないと一安心した。)

到着の日は、結局午前3時頃就寝。次の日は昼前まで寝ていた。

(カイロ1日目)
まさにカイロは「喧燥と混沌の街」だ。こんなにうるさくて秩序のない大都会を、私は今まで見たことがない。信号はあってないようなもの、車は赤信号でも平気で突っ込んで行く。片側3車線くらいの道幅の道路に、車線がない。車は自由に走る。割り込み・危険な進路変更は当たり前、その度にクラクションが響く。日本では考えられない光景だ。

市場(スーク)はさらに喧燥と活気に満ち溢れている。野菜・果物から靴、日用雑貨、電化製品までありとあらゆるものが店先に並ぶ。そして人・人・人・・・。商人たちは、小型デジタルビデオカメラ(ソニーのPC-10)を操る私を見るや、一斉に声をかけてくる。
「どこから来たんだ?」
「ジャパンだ」
「安いから見てってくれ」
「いらないよ」

とにかく街中ではこれの繰り返し。バリどころの騒ぎじゃない(注2)。しつこさも、ずるがしこさも、エジプト商人の方が一枚も二枚も上手だ。それは、次回詳しく述べることにする。

(余談:私が持っていった小型デジタルビデオカメラには、この旅を通じて、旅先で出会ったほとんどすべての人間が非常に興味を示した。エジプト人やトルコ人にとっては、ほとんど見たことのないものだろうし、観光客のアメリカ人やヨーロッパ人にとってもあまり見たことのないもののはずだ。ヨーロッパでは徐々に普及しつつあるらしいが。アメリカでも、アカデミー賞映画「アメリカン・ビューティー」に登場したので、認知度は高まっているだろう。)

カイロの街中をしばらく歩きまわった後、ミイラを見にエジプト考古学博物館へ。
(続く)

注1:「地球の歩き方」・・・旅行ガイドブック、作者の愛読書
注2:バリ・・・作者は、1995年にインドネシア・バリ島に旅行したが、その時の物売りのしつこさを思い出していた。
                                 

                                             
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