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最近の社会について考える(1)最近、若者の凶悪な犯罪が多くなってきている。その原因を考える上で、最近の若者の生活環境の変化を考えることが重要だ。もちろんこれは、若者の生活スタイルだけが変わったわけではなく、社会全体が様々な意味で大きく変化してきているため、それにリンクして若者のものの考え方が変わってきている、と考えるのが自然である。
2001年8月
若者の生活環境の変化という点で、最近の最も劇的な変化というのは、携帯電話の普及および高性能ゲーム機の普及である、と私は考えている。以下この2点と若者の変化との相関について述べてみる。
(1)携帯電話の普及による弊害
携帯電話は、人々に革命的な便利さをもたらしたが、一方で弊害も出ている。
従来の電話の利用目的の一つは、距離的に離れた人と、プライベートな会話をプライベートな空間(自宅)でするためのツールとしてあった。携帯の普及により、このプライベート空間が、擬似的に家の中から街全体に広がったということになる。そこで、例えば電車の車内で、プライベートな会話を大声でしている人には、他の人々の冷たい視線が送られることになる(仕事の会話を大声でしていてもそうだが)。
今現在中学生とか高校生の若者にとっては、この「携帯が普及している状態」というのが彼らが育ってきた環境であり、それが当然のことだと考えている。つまり、「いつでもどこでも携帯で話が出来る」という状態が普通であり、その場所が自分の部屋だろうが街なかだろうが電車の中だろうがあまり意識していないはずである。
しかし、「自分の部屋の中」と「街の中や電車の中」との根本的な違いは、前者は全くのプライベートな私的空間であるのに対し、後者はパブリックな、公共の場所である、ということである。人は家から一歩出れば、他人が共存する公共の空間で、社会人として振る舞わなければならない。街の中では、法律や公共ルールを無視してはならないわけである。
最近の若者は、この境界線に対する感覚が希薄になってきているように思える。多数の人々が乗っている電車の中で、大声で携帯でプライベートな会話をしたり、床に座り込んだりすることは、「電車の中」という公共の場所を、あたかも自分一人しかいない自分の部屋とはきちがえていることであり、それは非難されても仕方のないことである。電車の中で、自分達しかいないかのように傍若無人に振る舞い、それを他人に注意されて逆ギレして注意した人を殴って殺してしまう、なんていう信じられない事件が相次いでいるが、これは上述したような「公」と「私」の境界線の感覚が希薄になっていることを証明する事件である。つまり、他者との関わり合いの中で行動すべき「公共の場」が、自分の好きな事が出来る「自分の部屋」であるかのようになってしまっており、それを悪いことだと思っていないのである。
この「『公』と『私』の境界線の希薄化」の一原因として、携帯の普及が考えられるが、その他にも、親の教育も一つの問題点であると私は考えている。最近、子供に厳しい親が少なくなったように思える。この間病院に行った際、こんな場面を目にした。混み合う待合室で、小さな子供連れのお母さんがいたのだが、子供が騒いで悪さしているのを、注意しようとしないのである。あまりに子供が騒ぐので、近くにいた別のおばさんが注意したほどである。社会で生きる人間として、公共の場所は家の中と違う、他人に迷惑をかけないように振る舞いなさい、ということを自分の子供に教えることは、親の重要な責務である。
(続く)
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