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私の沢登り
2013年8月
2013年、私は沢登りを始めた。もっとも、何十年も前に、私は仲間と房総半島の大河、小櫃川の源流を極めようと2度川を遡ったので、それが私の沢登りの原点だということになる。
2013年の4月から私は無職となり、何もすることがなく、5月以降は毎週のように沢に出かけている。日記でも書いたが、なぜそんなに沢登りが楽しいのか?
それは、まず、自然の中にいることが気持ちいいのだ。文字通りナチュラル・ハイになれるのである。そのうえで、様々な楽しみがある。本ホームページの2013年5月以降の日記を見てもらえればある程度分かると思うが、具体的に言えば、以下のようになるだろうか。
@山奥の川には人はほとんど入らないので、手付かずに近い自然が目の前に広がっていること
A沢を登っていくと、ナメ、岩、淵、ゴルジュ、滝、木々など、様々な風景の変化が楽しめること
B沢登りは登山道を行く登山とは違って道がないので、自分でどこをどう通るかを決めること。つまり、淵、滝、崖、倒木等をどう突破するかを考えること。
C沢に棲む様々な動物、植物との出会い
D水との戯れ
さっき「小櫃川の源流極め」が私の沢登りの原点だといったが、よーく考えてみれば違う。こんなに沢登りが楽しいのは、子供の頃の渓流遊びの延長線上なのだと気づく。つまり、冷たく澄んだ深い淵で水中眼鏡をつけて潜り、魚を見つけて狂喜する。一つところに留まっていないで、川を登ったり降りたりして、面白いポイントを見つける。ま、子供の頃は泳ぐことと魚や生き物を見つけることが主目的だった気がするが、要するに川遊びである。私の原点は川遊びである。
そんな私が、沢登りが楽しいと思うのは不思議でも何でもないわけだが、「沢登り」というと、その筋の人には固定観念があることを知って、予備知識のなかった私は大いに驚いた。その筋の人たち、つまり、沢を登る登山愛好家、登山のプロの人たちにとって、「沢登り」というのは、厳然とした一種の登山形態であり、それは「滝を登攀することに醍醐味がある」という認識である。「困難な滝を登り、険悪なゴルジュを突破するのが沢登りである」という認識である。白山書房の『ウォーターウォーキング』(丹沢ネットワーク編)という本の冒頭には、「これは沢登りの本ではありません」と断り書きがあり、続けて、「沢登りの醍醐味は滝を直登することにある」とある。(この本は、難易度の高い滝のない沢を歩くことを「ウォーターウォーキング」と称し、そのようなコースを紹介している)
何それ?誰が勝手にそんなこと決めたんだ??
別にその筋の人たちがそう思うのは勝手だが、登山者でも何でもない私には、これらは全く違和感のある定義といわざるを得ない。
登山も何もやらない人は、「沢登り」と聞いても何もイメージできないに違いない。ならば日本語的に「沢登り」の意味は?と考えれば、沢を登ることである。つまり、川(沢)を、下流から上流に向かって、川の傾斜にしたがって登っていくことである。これが沢登りじゃないか。
私のとっての沢登りの楽しみは、上記に書いたようなことである。もちろん、滝を登るのも楽しい。達成感がある。だがそれだけではない。私にとっての沢登りとは、自然を楽しむ川遊びである。言葉としてはどうでもいい。沢登りでも沢歩きでも川遊びでもウォーターウォーキングでもいい。そんな言葉を使い分けることはナンセンスである。私は川を上流に遡るので、「沢登り」をしていると思っているので、上記のようなその筋の人々の考え方に賛同できないわけである。登攀困難な高い滝があってこそ沢登り、なんてあり得ない。
山と渓谷社などから出ている沢登りの本を読むと、登攀のための技術解説や装備解説をしているものが多い。これらの執筆者は、きっと名の通った登山家なのだろうが、そういう人たちの頭の中には、「沢登り」とは「高い滝を登ること」というどうしようもない固定観念があるのだ。私はこれらの本を読んで非常に違和感がある。数10mの滝があれば確かにそういう技術や装備が必要かもしれないが、そんなところばかりではないでしょう。これらの本は、そういう技術・装備がなければ沢登りはできない、という誤った認識を人々に植え付けている。沢登りはそんな大げさなものではない。そんな技術や装備などなくても「沢登り」はいくらでも楽しめる。逆に、数10mもの大滝をそんな重装備をして登ろうとも思わない。それはアルピニズムの世界である。エベレストの岩壁を登りたいですか?という話だ。いや、エベレストとまで言わずとも、普通のロッククライミングでいい。そりゃ技術と才能があればトライしたいけど、それって危険(死)と隣り合わせの世界じゃないか。そこまでしてやりたくないって話だ。「沢登り」は岩登りの心得のある人のためのものではない。(ちなみに、これら沢登りの本には、沢登りの技術を身につけるためには、講習を受けるか、山岳会に参加するかしてください、と書いてある)
前掲した白山書房の『ウォーターウォーキング』という本は、難易度の高い滝のない沢を紹介しているのだが、そのくせ、装備については「(いわゆるその筋の人たちが言う)沢登りと同じ装備をしてください」としている。全くもってよく分からない。やっぱりこの本は「沢登り」のガイドブックじゃないんですか?(※注)
私の装備は、その筋の人たちの装備とは自ずと違ってくる。というか装備などないに等しい。カラビナとかエイト環といった登攀具などは使い方を知らないどころか、触ったこともない。靴も普通の運動靴だし、水に入るときは水着だ(笑)。ロープも持っていかないしヘルメットもかぶっていなかったが、さすがにこれはマズイので、ヘルメットは買った。あとは、自己責任。目の前の次々に現れる状況・環境に対し、自分の能力を鑑みた上での正しい判断ができれば、問題はない。
沢登りは、最低限のことさえ身につけ、気をつければ、もっと気軽に楽しめるものである。テクニカルなものではない。スポーツでもない。私は、ゴテゴテした大げさな装備なんかなしに、もっと水遊びの延長で楽しめると思っている。釣りキチ三平のように、身軽に自在に沢を歩きたい。よく考えてみたら、釣り師も沢登りと同じ渓流に入り、ポイントを変えながらどんどん川を遡っていくが、あの感覚ですよ。あの自由な感覚。ま、釣り師は滝は登らないと思いますが。(ちなみに、釣り師は、沢屋(沢登りする人)が大嫌いである。なぜなら、沢屋は、こともあろうに神聖なる釣り師のポイントである川を、ジャブジャブと荒らしながら歩いていくからである。そんな川ではしばらくは釣れるわけがない。ま、もちろん、川は釣り師のものではありません。)
大滝に登ることなんかに固執しないで、もっと沢の息吹を感じたいのだ。沢には、そこらじゅうに生命と新しい発見が満ち溢れてますよ。ま、滝登るのは楽しいですけどね(笑)。私の友人は、「滝を登るとアドレナリンが出る」と言ってました。滝ハイですね。それは認めましょう。
「いい沢」とは、登攀難易度の高い滝があり、突破困難なゴルジュがある沢ではない。自然が多くを語りかけてくる沢、都会にいたのでは分からない、多くの発見がある沢、それがいい沢だ。
まとにかく、旧態依然とした登山界の思惑に関係なく、沢を登るのは楽しい。
みなさんも沢に出かけてみませんか(笑)。
※注
断っておきたいのは、この本を全否定しているわけではないということだ。「ウォーターウォーキングは沢登りと違う」などと訳の分からないことは言っているが、この本に紹介された沢は、なかなかよろしい。沢紹介本としてはいい本である。
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