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エクアドル日記(2004年8月)
8月21日(土) 晴れ

千尋の旅


月曜からのボリビア旅行に備え、朝から洗濯。鮮やかな青空が広がる洗濯日和の土曜日。
洗濯後、「ミレニアムプラザ」という近代的ショッピングセンターへ日本映画「千と千尋の神隠し」を見に行った。スペイン語題は、「El Viaje de Chihiro」(千尋の旅)。さすがはオスカーを取った映画である。ここ南米の小国エクアドルでまで上映されることになった。木曜までは一日3回の上映があったが、昨日から朝10時50分の1上映のみとなった。この映画に観客はあまり入っていないようだ。他の下らないハリウッド映画ばかりに観客の目はいく。

ミレニアム・プラザ内の映画館
5スクリーンある近代的マルチスクリーン映画館。
ただ、音響はかなりショボかった。

誰もいない映画館

3年前の2001年7月、日本での公開当初に見に行ったこの映画は、痛烈に俺の感性を揺さぶった。高校の時に見た「バック・トゥ・ザ・フューチャー」以来の衝撃だった。いや、衝撃と言うよりは、目の前で展開される世界に圧倒された、と言った方がいい。

いい映画と言うのは、暗い映画館に座って画面を眺めている間に、その映画の世界に引きずりこまれてしまう映画である。いつの間にか映画館が自分の部屋になり、画面中に展開されていること以外は全く頭の中に入ってこなくなる映画である。映画の持つ「世界」があるか。芸術としての映画は、映像と脚本が車輪の両輪みたいなもので、どちらが欠けてもその「世界」は構築できない、というのが俺の私見だ。
以前半年ほど前、ここでマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」を上映していた。一瞬見ようかと思ったが、一度見てるし、スペイン語とはいえもう一度見る気には結局ならなかった。だが「千と千尋」は別である。大画面でもう一度あの世界に浸ってみたい、迷い込んでみたいと思った。

俺にとって同じ映画を映画館で2度見るのはこれが2度目である。1度目はもちろん、高校生のときに見た「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、映画館に2週連続で見に行き、合計6回見た。2度目は朝から晩までずっと館内に粘って外に出ずにいたのだ。スケボーを持ってマーティがドクの部屋に入ってくる、あのオープニングでの胸の高鳴り、異様な高揚感は、今でも忘れられない。


上映予定時間10分前になってもチケットブースは開いていない。さすがエクアドル、と思いながら近くにいた係員に聞くと、あと10分で開けます、と言う。
入場料2.25ドル(約250円)を払って館内に入る。広くてきれいな映画館に、観客は俺ただ1人。席数を数えると、およそ250席。埋まっているのは、館内ちょうどど真ん中に陣取った俺のシートのみ。映画館で貸切状態で一人で映画を見るなんて、もちろん生まれて初めての体験だ。アメリカで「ディープ・インパクト」を見たときも少なかったが、それでもあの時は俺含めて6人いた。

広い映画館にたった1人で、再び「千と千尋」の世界に浸った。この映画は、画面を見ているだけで全く違う世界の住人となれる。全く違う世界だが、日本人ならどこか頭の奥深くで何となく懐かしく感じる世界。これだけの独特な世界、しかも日本人に郷愁を感じさせる世界を作れる宮崎駿は、やはり鬼才だ。

一人きりで見れたのは確かにうれしかったが、日本文化が色濃く漂うこの映画を多くのエクアドル人に見て欲しい、とも思う。せっかくの素晴らしい作品を、俺1人のために上映するんじゃなく。エクアドル人が全然入っていないことに寂しさも感じる。もっとも、エクアドル人にこの映画を理解して欲しいと思うのはヤマヤマだが、それは無理と言うものだ。エクアドル人のみならず、世界中の外国人が理解するのは難しいだろう。日本の伝統・歴史に背景を置いた描写が多いからだ。だが、日本固有の背景以外の、この映画が示唆する現代社会の抱える問題、例えば環境破壊への警鐘、外界との接し方が分からない引きこもり子供の問題等は先進国と呼ばれる国に住む人間なら理解できるはずだ。もっとも、ストーリー云々よりも、この稀有な映像が作り出す「世界」をただ見ているだけで、彼らはこの映画に引き込まれてしまうに違いない。このエキゾチックな映像が、この映画がアカデミー賞、ベルリン映画祭グランプリ始め世界中であらゆる賞を席巻した大きな理由であるはずだ。だから、たとえ「理解」できなくても、「見る」価値があるのだ。

映画が終わったのが午後1時。エンドロールとともに流れる最後の木村弓の歌を浸りながら聴いていたが、歌の途中で映像と音声は突然切れてしまった。日本だったら考えられない。
「今日はこの上映しかないんだから、最後までやれよ!」
と憤りを感じたが、ここはエクアドル。仕方ない。

外に出ると、目を開けていられないくらいの眩しい光が街を包んでいた。
映画が終わった後にその世界を反芻して空想の中に佇むには、外は夜の闇であって欲しいが、今日は仕方ない。この昼の上映しかなかったのだから。
今さっきまで浸っていた画面の中の世界を噛み締めるように思い出しながら、強烈な日差しの中、歩いて家まで帰った。


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