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房総の旅4

26 競歩大会

文字どうり競歩大会であった。列車が1時間に1本ぐらいしかなく、乗り遅れると予定が大幅に狂ってしまうのである。“虚弱体質矢幅”が遅れ始め吉田、井上、向後は先に行ってしまった。結局皆間に合ったのだが、先に着いた吉田が戻って矢幅等を迎えに行ったのだが行き違いになり一瞬あせった。列車に乗り込みアッという間に館山駅に着いた。


27 夏の海岸1時間

館山駅では以前来たことがある自称地元小泉の先導により沖ノ島に向かった。そこへはバスが出ているのであるが、貧乏となり歩き癖がついてしまった僕らは4kmもの道を歩くこととした。後で分かったことだが、この日の気温は37度位あったらしい。また、水が6人で1リットルしかなく水場がないと本当に苦しかった。とにかくこの苦しさは経験したこの6人にしか分からないだろう。


28 沖ノ島にて(熱血少年団海編)

島が僕らの視界に入ってきた。もう水筒の中の水は底をつくところだ。やっとこさで目的地の沖ノ島に着いた。
  ここは昔は本当の島であったのだが関東大震災後に海流の関係とも相まって地続きになったそうだ。ここは穴場的なところなのでみんな喜んだ。この島には一応道があるのだがジャングル的である、蚊が多いのが悩みの種である。


29 スキンダイビング(裕助最大の悲劇)

 海パンになった僕らは元気よく海の中に入っていった。海は程よく冷たく、水中に潜ると数々の魚達が群れて泳いでいた。
  息を大きく吸い込む水中へと一気に潜る、手を伸ばせば魚達がビックリしたように逃げていく、それをゆっくりと追う、息が苦しくなり水面に向かう、大きく息を吸い込む、頭上には真夏の太陽が僕らを待ち受けていてくれた。
  そんな幸せそうな時間が流れる中で悲劇は突然やってきた。
『クラゲだ!!!』
  裕助が叫んだ。内房名物のクラゲに刺されたのだ。僕らは緊急避難宣言を発令し、海から上がりジャングルを抜け、薬をもらうために監視所に向かった。裕助はそこでアンモニアを塗ってもらい、ひとまず事無きを得た。


30 31 海 配給カンパン

裕助と矢幅は陸路でもといたところに帰ったのだが、吉田、井上、向後、小泉は島の回りを泳いで帰ることにした。このとき吉田が言ったように、『皆、クラゲ恐怖症だよ』状態であり、ちょっと藻がからもうものなら『クラゲ、クラゲ』と大騒ぎしていた。
  もといた場所にだいぶ戻ったところで向後が溺れた。皆で助けに行ったが自力で岸に向かった。昼食はこんなところなので店も遠く、金もあまりなかったので、小泉の持つ非常食カンパンが主食となるなんともしみったれた食事となった。
  そんな中、裕助の持ってきた“茶飴”は非常に有り難かった。塩辛く乾いた口の中には茶飴の甘さは、たまらない恵みであった。
  もうそろそろ帰ろうということになり向後、矢幅、小泉は陸に上がったが、他の3人は『新種がいた』『熱帯魚だ』と叫びながらいつまでも海の中に入っていた。


32 33 バスにゆられて みやげ屋

さすがに熱血少年団も疲れたので、歩く元気はなくバスに乗って駅へと向かった。駅に着く前に井上がすかさず停車ボタンを押した。小泉もそれを狙っていたので、先をこされ悔しがったいた。土産屋ではそれぞれ鯛せんべいや“うまいもち”を買っていた。

(1996:なんだこの“うまいもち”とは?是非、館山市観光協会物産開発課あたりに問い合わせしてみたい)


34 内房線千葉へとむかう

 乗り込んだ電車の中でカンパンを食べ、裕助のレモン飴を頬張っているとベルがなった。ホームがゆっくりと後ろに動いていく。
  僕らは帰路についた。
  電車が4人掛けのスタイルだったため小泉と向後は皆と離れるかたちとなった。鋸山にさしかかったころ、雨がぽつりぽつりと降り始めた。

夕暮れに汽車に入り込む夏の雨 窓あけたまま外をながめる

 天気まで悲しげな表情を見せはじめる。電車はだまって進んでいく、木更津、五井、そして電車は村田川を渡る、もう千葉市に戻ったのだ。そして間もなくして電車は千葉駅に着いた。

夏の夜汐(シオ)のにおいを身にまとい 街へと戻る快速電車

 千葉駅のホームに降り立った、つい昨日の出来事であるはずの出発の時がやけに昔に思えた。


35 家路

 今日は何かの祭りらしい、街はちょうちんが連なり交通規制が敷かれている。(そういえば電車の中で親子が祭りの話をしたいたな)交通規制を抜けたバスはどうにか普通のスピードで走り出した。街を離れるに連れ灯は少なくなり夜は深まっていった。

旅終わりバスに乗り込む祭りの夜 少し悲しく闇を見つめる

 バスの中では疲れていたせいもあってあまり会話がなく誰も語らなかったが、バスをそれぞれが降りる時に言った『じゃあね』や『バイバイ』にすべてがこもっている(僕はそう思う)。苦楽をともにしてきた2日間だったから・・・。

 僕はバス停に一人降りたち家に向かった。皆もそれぞれの家路につくだろう。皆の考えていることが、感じていることが全く同じだとは言わないが、少なくとも『またいつか、どこかへ行こう』ということはみんなも思っているのではないかと思う。


エピローグ

 これは1983年のことを書いたので、今僕は15歳になり高校生になっている。今年もどこかへ行こうとする気運が高まっている。自転車か列車かはたまた歩くか、もし今年の夏もどこかへ行くこととなったらFM仲間(現OWF)の旅行記パート2でも書こうと思っている。

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