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チリ&ペルー旅行 実況中継
(2)アセンソールの街、バルパライソ
朝飯。ホットドッグとコーヒー
サ
この街もラオスのように電線が多い
アセンソールの急斜面
バルパライソの街並み
バルパライソ湾クルーズ
サンティアゴのメトロ(地下鉄)
12月20日土曜日。AM7時過ぎに起きる。昨晩は夕食を食っていないので腹ペコ。クソして顔洗って7:30に外に出る。今日も快晴。夏の朝、もう明るい。全くもって日が長い。朝6時ごろから夜9時ごろまで日が出ているのだ。ここサンティアゴは南緯33°くらいであるから、日本で言えば大分とか佐賀くらいだけれど、もっとずっと北の地を想像させる日の長さだ。このズレは、サマータイムを採用していることにも関係してるだろう。
人通りの少ない朝の街をビデオカメラで撮影していると、一人の大学生風情の若者が僕に声をかけてきた。
「何を撮ってるんだ?」
「街の風景だよ。」
「(笑いながら)チリ人のかわいい女の子を撮ってんじゃないの?」
「(僕も大声で笑いながら)ハハハハ、何言ってんだよ。違ぇよ。」
ったく。朝からこの僕を冷やかしにかかるとは、チリ人もいい度胸をしてる。
サンフランシスコ教会向かいの食堂が朝っぱらなのに早くも開いていて、ここでケチャップとマヨネーズたっぷりのホットドッグ(980ペソ)と、コーヒーの朝食。うまい。
サンティアゴの地下鉄、メトロでアラメダバスターミナルへ。今日はバスでバルパライソへ行く。アラメダバスターミナルは、トゥール・バス(Tur Bus)とプルマン・バス(Pullman Bus)という、チリの2大バス会社のターミナルである。
ここではトゥール・バスの方が優勢なようで、トゥール・バスの一大モールがある。
9:00発バルパライソ行きのチケットを買う。往復8000ペソ(約13ドル)。切符売り場では、モニタを見ながら残席から自分の座りたい席を選べるのがうれしい。9時間際だったが、まだ空席が多かった。すかさず窓側の席を選ぶ。
実際に乗り込むと、やはり空席が多い。バスは豪華だ。
一度別のテルミナル(バスターミナル)に寄り、バスは本格的にバルパライソへ向けて走り出す。荒涼とした茶色の丘に、木がまばらに生えている。バルパライソに近づくにつれ、時々森が現れる。緑が多くなってくる。バルパライソの街に入ると、広い中央分離帯が青空市場と化している。地べたに広げた数々の品々を、オバちゃんたちがパラソルの下で売っている。バスは10:50バルパライソのテルミナル着。
バルパライソ。サンティアゴから120km、バスで2時間、1536年に開港した、太平洋に面するチリの古港、またサンティアゴに次ぐ大都会である。植民地時代、スペイン人たちがアンデスで盗んだ金銀をスペイン本国に送り出すための重要な拠点として栄え、以来チリ最大の港町である。現在は軍港でもあり、チリ海軍の軍艦が何隻も停泊している。バルパライソ(Valparaiso)とは、天国(Paraiso = Paradice)の谷(Val = Valley)という意味である。
バルパライソのテルミナルから、1キロほど離れた街の中心部に向かって歩き始める。大通りに交差する通りの南を見ると、急斜面にびっしりとカラフルな色合いの四角い家々がひしめいている。大通りのある平地は狭く、すぐ北は太平洋である。
僕がこの街に持っていたイメージは、チェ・ゲバラの青春時代を描いた映画『モーターサイクル・ダイアリーズ』での雰囲気である。この映画は、ブエノスアイレス出身のゲバラが、友人と二人でバイクでアルゼンチンからチリ、ペルーと南米を北上縦断し(※注1)、旅中に起こる様々な出来事を通じて感じたことを綴っていく、秀逸のロードムービーで、この旅を通じて南米の、主にアンデスに住む人々の社会の矛盾、問題を目の当たりにしたことが、後に革命家として生涯を生きるゲバラの方向性を決定づけるわけである。
アセンソール、エスピリトゥ・サント
この映画の中では、ざらついた、コントラストを落とした映像によりバルパライソの街並みが叙情的に描かれている。ゲバラがこの街の名物であるアセンソール(ケーブル式エレベータ)に乗って街を眺めるシーンは、僕の脳裏に強く焼きついている。
さて、そのアセンソール、エスピリトゥ・サントに乗って、斜面の上に上る。物置のような箱型の車体は、8人くらいは乗れそうだ。木製のベンチがあり、そこに座れる。箱は、ケーブルに引かれて、斜度50°くらいはあろうかという急斜面を直線的に登る。距離はわずか50m〜100m程度。一つの箱が上がると同時に、下りの箱が下りてきて、横をすれ違う。到着はあっという間だ。頂上駅では、犬が待っていて、下るためにアセンソールに乗り込んだ。犬は無料のようだ。犬も御用達の交通機関。
駅の外に出ると、目の前にゾクゾクするような鮮やかな光景が広がる。真っ青な太平洋に真っ青な空。ボリビアのティティカカ湖で見たのは、湖も空もどちらも同じように深い青だったけれど、ここバルパライソではそれよりも大分薄くて突き抜けた爽青だ。
アセンソールの頂上駅から、バルパライソ住宅街の懐に入ると、この街の風景の独特さが肌で感じられる。急斜面に建つ、青、赤、黄色、緑とペンキで鮮やかに染められた壁の家。迷路のような路地と階段。家の間をすり抜ける細い道と階段を歩いていると、リスボン(ポルトガル)のアルファマ地区とか、グアヤキル(エクアドル)のラス・ペーニャス地区を思い出した。家は四角で、どれも新しくはない。なぜか知らないけれど、何となく懐かしさを感じさせる。今日は天気が良すぎてあっけらかんとしているのだが、それでも感じられるこの懐かしい感じが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』でにじみ出ていたものだろう。
また、この界隈には、”青空美術館”と称して、様々な壁画が描かれ、連続したアートスポットとなっている。それらを見ながら、狭い路地と階段を下まで降りる。
バルパライソの目抜き通りに再び出て、西へ西へと歩く。途中昼飯。鶏のコンソメスープ、サーモンのグリル、ムースにジュースで2500ペソ(約4ドル)。ジュースは、チリでは普通らしい、オレンジとバナナのミックスジュース。この後、チリで何度も遭遇したが、大して美味くなかったのでこれっきり飲まなかった。僕の味覚によれば、オレンジとバナナの混合は、相性がいいとは言えない。
僕は次々とアセンソールに乗る。この街には、いたるところにアセンソールがかかっているのだ。急斜面が街の一部となっている。アセンソール コンセプシオン、エル・ペラル。アセンソールで登り、突き抜けた快晴とノスタルジックな家々が密集する景色を眺め、階段で歩いて降りる。バルパライソの街で、この日僕はこれを何度も繰り返した。
ソトマヨール広場とプラット埠頭。太平洋に面したここがバルパライソの中心部で、正方形の広々とした平面広場の埠頭側には、太平洋戦争(1879〜83年、ペルー、ボリビアとの戦争)でのイキケ海戦を記念したイキケ勇者の像が立つ。
ソトマヨール広場に面したカフェに入ってコーヒータイム。ここのウェイトレスがかわいかった。チリに来て初めてかわいいと思った女の子だ。店にはREMのライブが流れている。REMは世界的バンドということだ。
カフェを出て、バルパライソ湾を巡る遊覧船乗り場へ向かう。乗客数が少なくて料金の高い船のオヤジが、しつこく僕に話しかけてくる。「一人で乗るなら10000ペソ(約17ドル)」と言うので、「高すぎる」と言ったら、5000ペソまでは下がったが、当然のように決裂。オヤジは僕を乗せたくてしょーがないらしく、つまり僕から金をふんだくろうと躍起になって、僕が何度も断っているのに僕のところに来て食い下がってくる。僕は、もっと大人数の船があって、それは一人1000ペソであることを知っていたから、奴の誘いには最後まで乗らなかった。
で、その大人数の遊覧船は、20分後くらいに出た。確かに大人数だ。
船が湾を巡っている間、ガイドのオヤジはスペイン語と英語で交互に風景を解説。船のエンジン音が高いので、彼は常に大声でがなり立てている。彼の話はギャグ連発で楽しい。海からバルパライソの街を眺める。斜面の上の方の一点から、煙が上がっている。その煙で真っ青な空の一部は黒ずんでしまった。軍艦の脇を通り抜けるときは、軍艦の撮影は厳禁。ただし、軍艦見学ツアーもあり、軍艦の甲板上では、一般人が軍人に案内されている様子が見て取れる。
遊覧船を降り、さらに西の端にあるアセンソールに乗り、バルパライソの港を一望する。
19:15発、トゥール・バスに乗り、サンティアゴへ戻る。日が恐ろしく長い。19時過ぎても夕方にならない。
帰りのバスもガラガラ。トゥールもプルマンも頻繁にバスを走らせていいるので、本数が多いせいか。この路線は、日本で言えば東京−横浜とか大阪−神戸みたいな路線だと思うのだけれど、クリスマス前の土曜日、乗客が少ない。
ベンツのバスで、運転席の後部、乗客の正面上部に、バスのスピードを表示するデジタル掲示があり、時速100kmを超えると自動的にアラームが鳴るようになっている。表示を見ると、「法令に従い、このバスは時速100kmを超えないように運転しております」とある。なるほど、スピード表示を見ていると、100kmに近づくと、運転手はアクセルを緩め、100kmを超えないようにしている。えらい。いわゆる途上国と呼ばれる国ではまずあり得ない”法令遵守”である。途上国のバスといえば、チキンレースばりの無謀運転が当たり前だ。バスというのは普通、他の車より遅いものだが、途上国ではさにあらず、あまつさえ前の車が遅いと、対向車が来ているにもかかわらず対向車線に出て猛スピードで抜きにかかるといった始末だ。そんな運転をされては、乗客の方は気が気でない。バスの転落事故などが時々起こるのもうなずける状況なのだ。
この速度制限をしているのはトゥール・バスのみのようで、プルマン・バスは、隣の斜線を凄まじいスピードと轟音で抜き去っていく。
20:40頃、ようやく夏の日が沈んだ。それでもまだ残り日が明るい。
21:00、サンティアゴ帰着。メトロで宿に戻る。メトロの売店とホームで、マナー(メキシコのポップバンド)の曲がかかっている。中南米圏での絶大なマナー人気が想像できる。
メトロを降りると、サンティアゴ中心部が騒々しい。サンティアゴのプロサッカーチーム、コロコロが大事な試合に勝ったため、ファンが街で大騒ぎしているのだ。車はクラクション鳴らしまくり。洪水だ。若者たちがコロコロの旗を振って奇声を上げている。
夜は一転、肌寒い。日が沈んだ直後だけど、Tシャツ一枚ではいられない。
チュラスコ・コンプレート(焼肉バーガー)
夜飯は、チュラスコ(Churrasco)。ブラジルのシュラスコは、串刺しの焼肉だが、ここチリでは、焼肉バーガーである。チュラスコ・コンプレート(Churrasco Completo)といえば、焼肉のほかにキャベツやトマト、玉ねぎ等野菜がフルに挟まれた、焼肉バーガー完全版。これに対し、チュラスコ・ソロは、焼肉だけだそうである。これは、ホットドッグについても同じネーミングで、コンプレートといえば色々な野菜が挟まっているが、ソロといえばソーセージだけ、ということだ。
チュラスコ・コンプレートは2700ペソ(4.5ドル程度)とやや高いが、そのボリュームは、単なるハンバーガーと軽視できない(写真参照)。最近、「日本のハンバーガーよ。遊びはもう終わりだ。」というキャッチで、マクドナルドがクウォーターパウンダーなるバーガーを発売したが、あんなものどころではない。あまりに大きく、挟まれている物もあふれんばかりなので、手で持って口を大きく開けて食べられる代物ではない。これはもう、ハンバーガーというか、料理なのだ。ナイフとフォークで食べたが、当然のようにバーガーは崩れ行き、とても食べにくかった。が美味かった。
夜、シャワーを浴びて11:30頃眠る。夜中、蚊に悩まされる。
チリに来て実質2日終了。ここまで、サンティアゴ、バルパライソを見たところでのチリ雑感。
■チリ人の女性は、全体的に太っている。ここで俗説。よく、中南米の3大美人国とは”3C”である、と言われる。美人が多い国は、すべて国名がCで始まるからで、その3国とは、コロンビア(Colombia)、コスタリカ(Costa Rica)、チリ(Chile)、とのことである。だが、この俗説を僕は信じない。コロンビア人の女の子の綺麗さはエクアドルで若干目の当たりにしたことはあるが、ここチリの女性が綺麗だとは、まだ2日のみであるが、失礼ながら全くもって感じられない。コスタリカにも以前3日間ほど滞在したことがあるが、女性が美しいとは感じなかった。あくまでも、期間場所が限定された僕の主観であるが。
■チリ人の若者カップルは、公衆の面前で公然とキスしている。目に余る。
■チリ人は、メスチソに見える人が多い。肌の色は黒い人よりも白っぽい人のほうが多い。インディヘナ(先住民)少ない。
■ここまではボッタクリはない。あるとしたらタクシーくらいか。サンティアゴにいる限り、この国には、貧しさの様相が見えない。
■これはエクアドルでもそうだったが、お店での買い物時、店員は、お釣を渡すときに足し算方式で数える。つまり、品物の金額をベースに、そこからお釣を渡すたびにその分足し算をして、こっちが払った金額までお釣を渡す、というやり方だ。私たち日本人がよくやるように、渡した金額から品物の値段をいきなり引き算、ということをしない。
■チリでは、タバコをシガーロ(Cigaro)と言うのが普通なようだ。また、メニューの書かれた冊子のことをカルタ(Carta)と言う。エクアドルではそうは言わなかった(と思う)。Menuでも通じるが。
■チリでは、昼食時間が13時〜15時、夕食は20時頃からと、いずれもやや遅い。
※注1:ゲバラの旅は、ペルー、コロンビア、ベネズエラのカラカスまで続く。
(続く)
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