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チリ&ペルー旅行 実況中継

(1)チリへの長旅、サンティアゴ

アトランタ空港からアメリカ帝国の斜陽を見つめる

サンティアゴ国際空港の陽気なタクシー客引き

自由広場に建つコカコーラの巨大クリスマスツリー

リベルタドール オイギンス通り

昼飯。野菜サラダ、モツ煮込み、ご飯、パン、ジュース

サンタルシアの丘から見たサンティアゴ市街

アルマス広場近くの歩行者天国

サンティアゴのストリートドラムデュオ。あまりに動きが
速いため、残像となっている

サンティアゴ大聖堂

中央市場の魚屋

2008年12月18日木曜日。午前11時過ぎに仕事を切り上げて一旦家に戻り、着替えてバックパックを担ぎ、成田エクスプレスで成田へ向かう。今日から1月2日まで、南米の地を踏む。2005年12月末、協力隊で2年間過ごしたエクアドルから日本に戻って以来、ちょうど3年ぶりの南米上陸である。
成田空港では、アメリカンエクスプレスカードのキャンペーンをやっていて、なんかくじを引いてスクラッチしたら当たって(全員当たりなのだろう)、シャーペンをもらった。もちろんカードの契約は、「もう持っている」と言ってしなかったけれど。
16:40成田発アトランタ行きのデルタ航空機でアメリカへ。アメリカの航空会社の飛行機に乗るのは何年ぶりだろうか。怖くて乗りたくないのだが、日本から南米への直行便はなく、北米かメキシコで乗り継ぐことになるのでやむを得ない。アトランタまで12時間。ここで6時間近くの待ち時間の後、チリの首都サンティアゴへ飛ぶ。幸いアトランタのトランジットではタバコの吸えるラウンジあり、何も飲み物を頼まずに、タバコを2本吸う。
アトランタのハーツフィールド・ジャクソン国際空港は、巨大な空港だ。コンコースがT、A、B、C、Dと5つあって、それぞれに出発ゲートが多数ある。構内アナウンスは、英語とスペイン語。パソコンやケータイを充電するためのブースとコンセントがある。
スペイン語でアナウンスがあるだけあって、アトランタの空港には中南米人多い。成田→アトランタのフライトにも南米人らしき乗客が多かった。デルタの機内アナウンスは英語、日本語、ポルトガル語だったので、乗客に多かったのはきっと日本在住のブラジル人だろう。ちなみに、ブラジル人というのは、アンデス系の先住民インディヘナやアンデスの国々に多いメスチソ(スペイン人とインディヘナとの混血)とは見た目が大分違う。
アトランタはマーティン・ルーサー・キング・Jrの出生地だけあって、空港内に人種差別と戦った彼の功績の展示がされている。
僕がアトランタに来たのはアメリカに留学してた頃以来なので、およそ11年ぶりだ。アトランタといえば、アメリカ南部の大都市で、マーティンルーサーキングJr、コカコーラ発祥の地、CNNで有名である。
チリの地図

アトランタ時間の21:10発、チリの首都サンティアゴまでは9時間半のフライトで、チリ時間の翌12月19日金曜日の朝8:40着。成田を出てから28時間でようやく目的地に到着。長い。飛行機に乗っていた時間はトータル21時間半。エクアドルには2年間住んだので感じなかったが、旅行で南米に行こうとすると移動だけで疲れてしまうことに納得。しかもここではこれから新しい1日が始まる。

ドルをチリペソに両替し、空港の外へ出る。朝のサンティアゴは快晴。暑そうだが爽やかだ。
タクシー運転手は声をかけてくるが、ジェントル系。しつこい奴もいたが、大多数は「No, gracias」と言えばすぐに引き下がる。
タクシーの客引きの話では、サンティアゴの宿泊料金は、1泊目は高く、2泊目から安くなるとのこと。本当だろうか。奴らによれば一番安いホテルで35ドルくらいというから、こいつらは信用できない。いや、こいつらが普段接している旅行者はいわゆる”普通旅行者”で、安宿というものやそこに泊まるバックパッカーのような旅行者の実情をただ単に知らないだけなのかもしれない。それともホテルからもらっているマージンが高いのか。ま、どーでもいいが。
彼らに「サンティアゴは危ない街か?」と聞くと、即座に「No」の答え。

空港からCentropuertoの空港バスでセントロへ。風景は、欧米の国のようであり、整然とした道路と街路樹と住宅街である。30分ほどでサンティアゴ中心部に程近いロス・エロエスバス停着。そこからセントロの中心部へ向かって歩く。目抜き通りであるリベルタドール・オイギンス通りだ。道の中央に、公園のように幅広の中央分離帯があり、その街路樹の下を、学生風の若者たちが歩いている。
サンティアゴは、チリの首都、人口600万人の大都会だ。黄金を求めてここにやって来たスペイン人、ペドロ・デ・バルディビアによって1541年にその基礎が築かれた街である。
途中、モネダ宮殿向かいの自由広場には、コカコーラの超巨大クリスマスツリーが、爽やかな日光に鮮やかに屹立している。ツリーの緑色とコカコーラの赤いマークがクリスマスカラーとなって、どぎつくて生々しい、隠しようのない宣伝広告色を多少なりとも薄めている。ツリーが突き刺す空は水色に輝き、雲のかけら一つない。
靴磨きのブースが歩道に陣取る。靴を磨く人と磨かれる人。態勢も、服装も対照的に写る。

靴磨きの風景

20分ほどでレジデンシアル・ロンドレスというオスタル(ホテルの安いやつ)に着きチェックインしようとしたが、チェックイン時刻は12時だというので、それまですぐ近くのサンフランシスコ教会と博物館に行って時間をつぶす。
博物館のおしゃべり好きな、メガネのネーちゃんが、僕が日本から来たことを知ると、色々話しかけてくる。訪れる日本人も結構いるらしく、日本語の単語について僕に質問するのだ。
「『どうも』とういのはどういう意味?」
「『お元気ですか』はどういう意味?」
「観光客が去るときには、『ありがとう』と言えばいいのかしら?」
とか聞くから懇切丁寧に説明する。「ありがとう」と「ありがとうございました」の違い、「元気ですか」−「元気です」の流れを教えた。
それにしても、久しぶりのスペイン語なので、すぐに言いたい言葉が口をついて出てこない。考えても思い出せない。昨年末にスペインに行ったものの、3年間スペイン語を本格的に話していないので、話す方が錆付いているのだ。聞く方は問題なく理解できるのだが、話す方がスムーズにいかず、もどかしい。
「昨日、あたし日本映画を見たのよ。」
「なんて映画?」
「『ショーグン』(※注1)。とても良かったわ。君主にお辞儀をしなかった武士が、刀で首を切られたりとか。トシロー・ミフネは素晴らしいわ。」
「(苦笑いしながら)僕はその映画見たことないけど。サムライものね。日本の昔の伝統だ。」
彼女は、日本文化を褒め、いつか日本に行ってみたいと言う。

12時過ぎにオスタルにチャックイン。1泊9400ペソ(約15ドル)。近くのオスタルもいくつか回ったが、ここは値段という意味からはサンティアゴでは最下級の宿のようだ。宿のオヤっさんはいい人そう。部屋を見せてもらう。明るくて清潔。15ドルも払うのだから、このくらいは普通か。今までの安宿経験から、部屋にコンセントがない宿が結構あることを思い出し、聞いてみた。
「部屋にコンセントはある?」
と聞いたら、オヤッさんは僕の顔を呆れ顔で見返し、言った。
「どうしてそんなバカな質問するんだ?部屋にはベッドがあり、ライトがあり、コンセントがある。それが部屋ってもんだろう?」
部屋というものにコンセントがないことはありえない、というわけだ。チリのホテルでは、どんな安宿でもコンセントはあるようだ。僕はコンセントを確認し、苦笑いをして鍵を受け取った。

荷物を解体し、デイバッグだけを肩にかけ、Tシャツ1枚に身軽になって外に出る。昼食時だからか、たくさんの人が歩いている。サラリーマン風、学生風が多い。先住民インディヘナ風の人は見当たらない。かといって、純粋な白人系というのも少ない。大多数は、メスチソに見える。金曜日の午後、リゾート地のように明るく強烈な陽光が降り注ぐ中、比較的爽やかな空気が流れている。ここはリベルタドール・オイギンス通りという目抜き通りで、オフィス街兼繁華街のようである。通りの両脇には、近代的ビルと欧風の建物が立ち並んでいる。
レストランを探すが見当たらない。セントルシアの丘まで歩くがないので、アルマス広場方面へ向かう。途中いくつか大衆食堂があり、「本日の定食」の表示が掲げられているが、どこも2790ペソと高い。4ドル以上だ。「その国の物価は、飯代とミネラルウォーターの価格で知る」というのが僕の流儀だが、この昼飯定食の価格から、チリの物価がそれほど安くないことが想像される。
空腹は耐えがたく、僕はこれが相場なんだと諦め、ある食堂に入った。2790ペソでMenuを頼む。つまり、定食だ。中南米では、昼食はセットとなっているのが一般的で、サラダまたはスープ、続いてメインディッシュ、それに飲み物が付くというパターンだ。僕は野菜サラダに、豚のモツ煮みたいな料理を頼んだ。モツを食べたかったわけではなく、”Guatita”という言葉が分からなかっただけで、ウェイトレスの女の子に聞いたら、豚肉だと答えたので、きっと肉の調理方法だろうと思っていたが違った。だけど、まずまず美味かった。パンもタダで出てきたし。この後分かったことだが、チリではパンのサービスが普通のようだ。

腹を膨らませた後、セントルシアの丘へ登る。ここは、サンティアゴの基礎を築いたスペイン人の侵略者バルディビアが、抵抗する先住民に対する要塞を造った場所である。丘の頂上からはサンティアゴの街が一望できる。
先生と見られるおじさんと、高校生ぐらいの4人組が口論をしている。僕は後ろから興味深く見つめていたが、すぐに僕に気づいて道を通してくれた。
その後アルマス広場とカテドラルへ。アルマス広場近くの歩行者天国は、人だらけ。両側にはブランド系のこじゃれたショップと、スカしたレストランが軒を連ねている。人々はこの欧米風の繁華街で、そぞろ歩きを楽しんでいる。道幅一杯ごった返している。昼休みだろうか。まだクリスマス休暇には早いと思うが、この土日から長期休暇が始まるのかもしれない。サラリーマン風も多い。ここはサンティアゴの『旧市街』なのだが、キトやパナマシティのような旧市街特有の歴史や趣は、ほとんど感じられない。近代的な部分だけが目につく。そしてこの街には、貧困の気配がない。物乞いの姿が見えない。

オープンカフェでエスプレッソを頼む。小型カップに苦いコーヒー。
隣に座っていたネーちゃん二人組が、僕に笑顔で忠告する。
「ビデオカメラをカバンにしまいなさい。盗られちゃうわよ。」
「ここはそんなにドロボーが多いのか?」
「そうよ。」
僕は一応彼女らが気分を害するといけないので、形式上だが言われた通りにビデオをカバンにしまった。
すると、通りの奥から突然太鼓の音が聞こえてきた。学生服風のYシャツにズボンといういでたちの若者二人が音源だった。彼らは、バスドラとシンバルを背中に担ぎ、バスドラは手に持ったばちで、シンバルは足に接続した紐で鳴らす。彼らのパフォーマンスが、オープンカフェの横、僕の目の前で始まった。リズムは、ゆっくりとしたテンポから始まり、徐々にスピードアップしていく。足の巧みなステップでシンバルを鳴らし、腰の高さに後ろ手に持ったばちを、背負ったバスドラに向けて打ち込む。二人は、お互いに円を描くように動きながらそれぞれのリズムを絡ませていく。そしてクライマックス。一人ずつ恐ろしいスピードでコマのように回転しながらソロを叩き上げていく。それぞれのソロが終わると、決めの一発で終了。
始めは、「なんだ、こんな往来でうるセェ音出しやがって」と顔をしかめていた通行人も、しばらくするとその圧倒的なパフォーマンスに釘付けとなり、足を止めて見入る。演技が終わると、拍手喝采だ。こんなドラムパフォーマンスは始めて見た。まったくインクレイブレだ(すごい)。パフォーマンスが終わると、彼らは近くで見ていた人々にチップを要望して回る。僕ももう圧倒されてしまったので、チップをもらいに来た彼らに、100ペソコインを渡す。
ドラムパフォーマンス映像(2分47秒)

カフェを立ち、アルマス広場へ歩き始めたとたん、また別のおじさんに、まるで自分の息子を諭すように注意された。
「ビデオカメラをカバンにしまいなさい。気をつけないとだめだ。」
窃盗はどこの国でも、特に人の多いところでは当然のように発生するのは分かるけれど、これだけ人々が注意するとは、本当に危ないのだろうか。僕は、今までに行った多くの国で多くの人々に同じ忠告をされてきたが、実際にビデオカメラを盗られそうな危険を味わったのは、テグシガルパ(ホンジュラス)とサンパウロ(ブラジル)の2度だけだ。2度もヤバい目にあってれば十分、という気もしないでもないが。ただ、僕は一度エクアドルでビデオカメラを(知らないうちに)盗まれているから、危険を冒した代償をすでに支払っているにもかかわらず、学習していないだけなのかもしれない。それは、エクアドルに2年近く住んで、もう完全に土地に慣れ親しんだ後の盗難だったので、油断以外の何者でもなかった。しかし、幸運なことに、その盗難事件では携行品保険がきいたので、警察に行って盗難証明書を発行してもらい、新品だったおかげでほぼ丸々お金が戻って来、すぐに全く同じビデオカメラを買えた。このような強運のおかげで、いつまで経っても無謀な撮影行為が止められないのだろうか。否、ただ僕の内にある、映像作家としての純粋な芸術的衝動が、撮影を止めさせないのだ!!「テープを回せ!」と。(笑)(このあたりのことは後日書きますか)
チリに着いたばかりだというのもあるが、旅慣れた僕に、全然危険な匂いが嗅ぎ分けられない。あまりにも天気が良くて明るくて、人々が浮かれ加減で、しかも街並は欧米風だ。そんな雰囲気だから、犯罪をとても想像できなくしている。天気や景色が頭のどこかを麻痺させるのだ。優れた犯罪者は、こういった人間心理につけ込んでくる。

アルマス広場がいわゆる中央広場で、旧市街の中心だ。広場に面して、対になった二本の鐘楼塔を持つカテドラル(サンティアゴ大聖堂)が建つ。スペイン人の街の特徴は、ここでも明確である。1588年に建設されたという、チリ・カトリックの総本山であるカテドラルは、確かに堂々としているが、その背後に、カテドラルの何倍もの高さの、ガラス張りの現代風巨大ビルが威圧するようにそびえている。旧市街らしさが失われているサンティアゴの旧市街では、カテドラルはガラス張りのビルを後ろに従えて、むしろ肩身が狭い思いをしているように、時間に忘れ去られたように見える。カテドラルだけが建っていた数百年前までは、間違いなくカテドラルがこの街最大の建物であり、象徴であったはずである。この点、旧市街と新市街が完全に分かれているキトやパナマシティといった街では、こういうことがない。通常世界遺産となっているような旧市街には、”景観保護”という狙いから、法律により簡単に近代的な建物が建てられないようになっている。この”保存”という観点にこそ、旧市街と呼ばれる場所の歴史的価値があるからだ。中南米ではすべて負の遺産だが。
カテドラル内部では、中南米の大都市のカテドラルがいずれもそうであるように、金銀で飾り立てられた豪華絢爛な祭壇と、粋を凝らした装飾や建築、そして巨大な宗教画が今なお訪れる人に往時を偲ばせる。まさに植民地時代の権威というか放埓の象徴とでも言うべき建築物である。もちろん、それは、ここで無心に祈りをささげた人々の信仰心とは別次元の話である。

中央市場では、昔チリにある東芝の半導体工場で働いていたというシーフードレストランのオヤジと話す。恰幅も活舌もいい彼は、今は中央市場内の大きなレストラン、Donde Augusto(ドンデ・アウグスト)の店員(もしくは店長?)らしい。日本人はここによく来るらしく、VIPも多いのだ、とは彼の弁。以前谷垣大臣が在チリ日本大使と一緒に視察目的でここに来て、このレストランで飯を食ったのだが、その時に彼がアテンドしたのだそうだ。
彼も話し好きで延々と話し続ける。僕が日本の電機メーカーの社員だと告げると、彼はチリでの日本の各電機メーカーの進出と撤退の歴史を話してくれた。彼の話では、チリは北部に金、銀、銅、リチウムなどの鉱物資源が豊富なので(特に銅は埋蔵量、生産量ともに世界第1位)、以前は海外の電気メーカが工場を相次いでチリに建設したのだという。そういえば、植民地時代にスペインに略奪されるためだけに大量の銀を産出し続けたボリビアのポトシは、チリ北部からそれほど離れていない。また、北部の港町イキケは、免税なので、各メーカはイキケから南米各国へ製品の輸出をしたそうである。さらに彼は、東芝とは東京芝浦のことだと、僕の知らないことまで知っていた。
「このレストランには、ワサビもあるし、醤油もある。」
「(僕は、『地球の歩き方』に書いてあったことを持ち出す)ワサビも醤油も韓国製じゃないの?」
「ワサビはそうだが、醤油はキッコーマンだ。韓国製のワサビと日本製のワサビは何が違うんだ?やはり日本製の方が美味いのか?」
「(答えに窮したので苦笑いしながら)いや、知らない。醤油はキッコーマンなのね。」

思えば僕のチリ人との初邂逅は、忘れもしないエクアドル時代の2004年2月22日、マチャラでのことだ。マチャラの夜、食堂で一人飯を食っていると、チリ人牧師が僕に話しかけてきて、彼は僕のテーブルに座り、延々と宗教談義をしたのだった。牧師という職業柄からかもしれないが、彼もおしゃべり好きだった。サンフランシスコ博物館のネーちゃんといいこのレストランのオヤジといい、チリ人というのは話したくて仕方ないように見える。
中央市場は、シーフードレストランだらけで、市場という感じがしない。ただ、魚屋は多い。レストランや魚屋の男たちが、僕を見ると日本語の単語で声をかけてくる。うに、さかな、すずき、あわび、たべた? 猫のおもちゃ売りのおじさんが、おもちゃを指差して「ねこ?」と僕に聞く。僕は「ねこ」と答える。これだけみんな日本語の単語を話すということは、サンティアゴを訪れる日本人がかなり多いことを示唆している。それは僕には結構意外だった。チリというのは観光国ではないと思っていたからだ。イースター島はここ数年で観光開発が本格化していると聞いたし。パタゴニアに行く日本人が多いのだろうか。
もう午後5時過ぎ。食事をする客もまばらだし、買い物をする客もあまりいない。店も多くはもう閉まっている。

PM7時に宿に戻る。外はまだ夕方くらいに全然明るい。しばらくベッドに横になったら、そのまま熟睡してしまった。疲労と時差は相当身体に負担を与えているようだ。28時間という長い空旅ですでに時間感覚はなくなっている感じだが、日本との時差そのものは12時間である。夜中の12:45に目が覚め、シャワーを浴びる。お湯は潤沢に出て、満足。Tシャツを1枚、石鹸で洗う。ここには2泊の予定である。
AM1:30に再び眠る。

(続く)


※注1:『SHOGUN』は、1980年のアメリカ映画。戦国時代の終わり、1600年ごろの日本を描いた作品らしい。
そういえば、テキサス州エルパソの街に、『SHOGUN』という鉄板焼きレストランがあった。一応これは日本食レストランということになっていた。店のネーミングは、映画の影響だろうか。


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