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チリ&ペルー旅行 実況中継

(4)大雨後晴れ、イースター島のとんでもない一日

宿の子供たち。みんなよう似とる

食人洞窟から見た入り江

ラノ・カウ登り口。ここから過酷な登りが始まる

ラノ・カウを登り始める。ハンガロア村方面

自転車でラノ・カウを登る。延々と続く赤土の登り坂

ラノ・カウの火口湖。水面を葦が覆う

突然の大雨。この直後にカメラが故障

太平洋にポツンと浮かぶ無人島(オロンゴから)

鳥人が刻まれた岩

オロンゴ儀式村

アフ・アキビ

アナ・デ・パフ

ハンガロア村に戻る。午後8時前だけど日はまだ高い

まったく陽気な男だ、アレックス

夕飯

12月23日火曜日。昨日に続いてフェリアの食堂で朝食。今日も天気がいい。
今日は半日ツアーで島の中央部と西岸部を回る予定。ところが、約束の10時になってもガイドが現れない。宿のセニョーラがツアーを手配した男に電話してくれるが、携帯でも家の電話でも捕まらない。あのクソ野郎が。今日の半日ツアー、忘れたとは言わせネェ。だけど状況的には、完全に奴がこのツアーのガイドを手配していないのである。僕は途方にくれる。

11時まで待ったが連絡はつかないし、ガイドも現れないしで、僕はタクシーをチャーターするか、自転車にするか迷った挙句、安上がりのレンタル自転車で出発することにした。結果としてこの自転車行がこの日の僕の運命を決めることになる。

11時過ぎ、気持ちのいい昼前の陽光の中、僕はTシャツに短パンという軽装で、颯爽と自転車にまたがり、まずはハンガロア村から南へ向かった。島の最南端に、ラノ・カウという火山があり、カルデラ湖の近くにはオロンゴの儀式村跡がある。

ラノ・カウの火山を目の前にして、アナ・カイ・タンガタにある洞穴を訪ねる。岩がゴロゴロする入り江の奥まったところに、洞穴がぽっかりと口をあけている。ここでは昔、戦って敗れた部族の人間を、儀式として食人していたと言われ、「食人洞窟」と呼ばれている。そんな血なまぐささは感じることはできないが、海に面しているからか、どことなくジメっとした冷気が流れている。そんな話を聞くと、ここでの夜を想像してみるだけでゾッとするが、一方で、満月の夜、入り江の光る海をこの洞穴から眺めたら幻想的で美しいだろうなぁと思う。南の島の満月の夜と海。砂浜もいいが、ゴツゴツした岩々に囲まれた小さな入り江の方が断然美しい。そういう意味では昼間のこの洞穴は味気ない。
20畳ほどの洞窟の天井の壁面には、いくつかの鳥の絵が描かれている。

再び自転車をこぎ始める。ラノ・カウを上り始めてすぐに、これが無謀なことであることが分かる。延々と続く土の坂道は、自転車で登るのは相当に厳しい。僕は15分ほど懸命に登った後、情けないことであるが、ギブアップし自転車から降りて自転車を引いて歩き始める。とてもこの山を自転車では登れそうにない。休み休み歩き続ける。ここに自転車を置いていきたいところだが、レンタルしたものなのでそういうわけにもいかない。

疲労はまたたく間に全身に行き渡り、登り始めてから1時間後、火山湖にやっとのことでたどり着いたときには、僕はもうグッタリしてしまっていた。

それでも火口湖の風景は独特で、トトラと呼ばれる葦が火口湖の水面をほぼ覆っている光景は、僕の脳に作用し、精神的な疲労をしばらくの間忘れさせてくれる。

自転車を置き、火口湖を見下ろすように湖の周りに通った、膝くらいまで草の生えた小道を歩く。すると、空が刻一刻と素早く流れる雲に覆われ始めた。すぐにポツリポツリと雨粒が落ち始める。もと来た道を戻る。山の天気は変わりやすい。ま、すぐに止むだろうと僕は軽く考えていた。ここからは本当にあっという間の展開だった。始めポツリポツリだった雨は、またたく間に大雨となる。周りには雨宿りできるところなどどこにもない。傘も雨具も持っていない。全身がそぼ濡れとなる。湖の表面が水煙でみるみる白く靄のように覆われていく。

僕は小さな岩の横で身体を団子虫のように縮めて、少しでも雨から逃れようとする。だが、雨は否応なく僕に侵食してくる。Tシャツもズボンもデイバッグもすべてが水と一体となってしまう。そしてどんどん体温が奪われていく。朝出発した村は暑いくらいの気温だったが、ここ山の上の雨で、気温は急激に下がっている上、全身が水に濡れて身体が震え始める。20分ほどそのままの態勢でじっと雨に耐えていたが、あまりに寒くなったので、立ち上がってどこか雨をしのげるところはないかを探し始めるが、湖の周りは草むらだけで、木など1本も生えていない。舗装されていない道路を挟んで湖の向かい側は、広々とした草原だ。道の脇に、少しだけ潅木が生えているところがあり、僕はそこに逃げ込んだ。さっきと同じように膝を抱えて身体を丸くして潅木の下にしゃがみこむ。しかし状況はあまり変わらない。潅木の間から次から次へと雨の雫が垂れてくる。雨が止む気配はない。
と潅木の横にある小さな道を、何頭かの家畜の牛が通り過ぎる。牛は敏感だ。僕がそこに潜んでいることを匂いでだろうか、すぐに察知し、動きを止める。僕の方をじっと見つめる。僕は牛を見つめ返す。少し僕が動くと、牛はびっくりしてさっと逃げてしまう。牛は臆病な生き物だ。冷たい雨に濡れて僕にはもう力がないというのに。ただ押し寄せてくる水を忘れようとするだけで精一杯だ。しばらくすると頭がしびれたようになって、何も考えられなくなってくる。そこには45分くらいいただろうか。下着、靴の中まですべてが水にやられてしまった。
一度雨が小降りとなったが、すぐにぶり返す。一瞬灯が点った意識は、再び水の底に沈む。ただ何も考えられずに硬化した石のようにこの状況を耐えるだけとなる。

そして、やっと雨は小降りとなった。雨が降り始めてから1時間以上経過している。僕は潅木の下から立ち上がり、フラフラと自転車のところへ向かう。土の道は冠水したように泥水が川のように坂下に流れている。僕はさらに登ってオロンゴの儀式村に行くか、すぐに山を下って村に戻って身体を乾かすか迷ったが、ここまで来たからにはここで引き返すのは辛い。まだ雨が降っている中、また自転車で坂を登り始める。しばらく行くと頂上で、オロンゴのラパ・ヌイ国立公園の事務所にたどり着く。服を着たまま川に入ったかのようないでたちの僕を見るなり、事務所の若い女性は驚いた顔をしたが、すぐに明るい顔で挨拶をする。ここでは入場料を支払って儀式村を見るのだが、彼女は今日は大雨だし、入場料5000ペソはいらないわ、と言って儀式村の入り口を教えてくれた。僕は礼を言う。ここは、オロンゴと呼ばれる聖地で、モアイ時代の後、人々がモアイに変わって信仰した鳥人(鳥人間)を祭る、儀礼の場所だったという。

まだ雨は降っている。観光客は誰もいない。僕一人だけ。僕はここで重大なことに気づく。水に寝れたせいだろう、ビデオカメラがウンともスンともいわない。水がカメラ内部に入り込み、電子回路をショートさせてしまったのだろうか。デジカメはまだ生きていて、雨の中儀式村の写真を撮り始めたが、しばらくしてこちらも起動しなくなった。ビデオもカメラもいずれもこの雨にやられてしまったのだ。雨は小降りになったとはいうものの、まだ絶え間なく降り続いている。山の上から、雨の靄に煙る太平洋の広大な大海原が見える。本来であればこの光景は絶対に人々の心を動かすであろうが、この雨で視界が白く遮られているせいと、この雨でもはや機能しなくなっている僕の頭には全く作用しない。海の反対側にはさっきと同じ、雨に煙って水面がもやに覆われている火口湖が見下ろせる。デジカメもビデオも動かなくなった今、僕はすべてを諦めて、事務所に戻り、儀式村を後にする。

川のようになった坂道を、自転車で泥を跳ね上げながら転がり落ちるように下る。タイヤから跳ね上がる泥で、僕は全身が泥まみれになる。水にぬれ、泥にまみれ、僕はもうどうでもいい状態となっていた。山を下ったふもとは、山の上の雨が信じられないように晴れている。だが、雨はここでも降ったのだろう、道は濡れ、緑が光っている。
ハンガロア村に戻ったのは15時半頃。あられもない姿で自転車をこぐ僕を見て、通り過ぎる人は、ある人は驚いた表情をし、ある人は微笑む。僕は泥田で泳いだ後のような、昔のアメリカ横断ウルトラクイズのような格好だ。宿に戻ると、宿のセニョーラは驚いた顔で「どうしたの?」と聞いてくる。
「オロンゴで大雨が降り出したんだ。」
宿の子供たちが集まってくる。
「こっちも大雨だったよ。山の上はもっと降ったでしょ?」
「あぁ、すごい雨だった。全身泥だらけだよ。寒くて死にそうだったよ。」
村にも雨が降ったようだがもう上がり、再び夏の太陽が頭上で輝いている。僕は部屋に入って全身水と泥でぐっしょりの服をすべて脱ぐ。洗面所で服についた泥を落とそうとするが、全然落ちない。乾いた下着とシャツに着替える。今までで一番素晴らしい着替えだ。乾いた服は、僕を暖かく包み込む。そして、精根尽き果てたようにベッドに横たわる。
しばらくして気を取り直して、デイバックを開けて中身を確認する。すべてのものが完全に濡れていた。更新したばかりのパスポートは、水でページとページがくっついてしまっている。財布の中の紙幣も簡単にちぎれそうなくらいぐしょ濡れだ。一枚一枚ベッドの上に分離して乾かす。『地球の歩き方』も。カバンに入っていたもの、濡れたTシャツなどをドライヤーを使って乾かそうと試みるが、全然乾かない。僕は諦める。
深刻なのはデジカメとビデオカメラが死んでしまったことだ。これらもドライヤーを当てて、何とか生き返らせようとする。ダメだ。電源が入らない。どうすりゃいい?まだ旅は始まったばかりだというのに、カメラもビデオも使えなくなるなんて、全くの想定外だ。ビデオは仕方ないとしても、これからペルーの観光地を回ろうっていうのに、カメラなしというわけにはいかない。この島でカメラを買うか?だけどこの小さな村にデジカメを売っている電気屋なんてあるだろうか?次の目的地、リマで買ったほうがいいかしらん。
しばらくしてこちらも諦め、再びベッドの上に横たわり、途方に暮れる。どうする?
何も考えたくない、というかのように僕は眠りに落ちる。自転車での山登りと雨による体力の消耗、そして精神的な疲労も重なり、1時間くらい眠っただろうか。

午後5時過ぎに目が覚める。まだ外は日が高い。僕は起き上がってデジカメを起動してみる。と電源が入ったではないか!
「よっしゃあああああーーー!!!」
デジカメが復活した。僕はベッドから跳ね起きて、ジーンズをはく。デイパックは全然乾いていないので、ビニール袋に財布や『地球の歩き方』を入れ、外に出る。宿の前の道路でタクシーを捕まえる。これからオロンゴとアフ・アキビ、プナ・パウに行くことを急遽決めたのだ。カメラが生き返れば、もう怖いものはない。今までの虚脱感を脱し、行動する意欲がわいてくる。何としても今日の半日ツアーで回る予定だった場所に行っておかねばならない。5時過ぎているが、幸いまだ日は高い。

始めに捕まえたタクシーの運ちゃんはなかなか楽しそうな男だ。30代中盤くらいだろうか。延々と値段交渉をする。
「アフ・アキビとオロンゴだけで24000ペソ(約40ドル)だ。」
「ちょっと高いよ。全部回ってくれよ。」
「じゃぁ22000ペソでどうだ?」
「アフ・アキビ、オロンゴ、アナ・テ・パフに行って22000ペソだ。」
運ちゃんはしばらく考えていたが、やがて苦笑を浮かべながら、
「(仕方なさそうに)いいだろう。」
と了解した。
この運転手の名前はアレックス。つまりはアレクサンドロだ。とにかく陽気で冗談好きな奴だった。

まずはさっきひどい目にあったオロンゴへ向かう。車だと何と簡単なことか。自転車であんなに苦労した坂道を、5分ほどですぐに山の頂上に着く。さっきここで降っていた大雨がウソのようだ。空には雲が多いが、雲の割れ目から日差しも落ちている。さっきとは対照的に明るい。さっき来たばかりで再び現れた僕に、事務所の女性は、今回もまた入場料は払わなくていい、という。なぜだろうと思いながらも僕は礼を言う。アレックスはひとしきり女性と話す。ナンパ男。
儀式村で、アレックスはガイド役になってくれた。イースター島のタクシー運転手は、タクシーチャーターの客もいるためだろう、ある程度ガイドとしての勉強をしているようだ。彼はここの歴史、住居の特徴を説明してくれる。
さっきはここから見た風景に対して何も考えられなかったが、今は違う。雨が晴れ、視界が良好な青い太平洋を、山の頂上の崖の上から見渡す。近くに3つの小さな島がある。これらはいずれも無人島で、かつて毎年8〜9月の春の到来とともに、そのうちの一つの島まで泳いで渡り、グンカン鳥の卵を持って帰ってくるという宗教儀式が行われていた。この卵を受け取った上官は、”鳥人”と呼ばれ、以後一年間、全島を治める権利を有したという。ここの岩岩には、鳥の頭を持つ人間、鳥人のレリーフが数多く刻まれている。

オロンゴの後、島の内陸部へ向かう。アフ・アキビでは、島の内陸の丘の上に、海を向いて7体のモアイが復元されている。アレックスが言う。
「今日は観光客が少ないな。ラッキーだぞ。」
確かに僕ら以外は誰もいない。そういえば昨日も、ラノ・ララクでパトリシオが言っていた。「今日は人が少ない。いつもだったら一つのモアイを見るのも順番待ちになることがある。」
この年末、観光客が少ないとはとても思えないが、クリスマス前ということで、主力観光客である欧米人は、家でクリスマスの準備をしているのだろうか。
アナ・テ・パフは、かつて先住民が住居としていた洞窟である。ここでタロイモやアボガド、バナナ等の食用作物を栽培していて、今もそれらの作物が残っている。空はすっかり晴れ上がった。昼頃に山の上でずぶ濡れで小さく丸まって震えていたことが今となっては信じられない。

アレックスは女の話と下ネタ系が大好きだ。奴は自分のことを話した。
「俺には3人の女がいて、うち二人には子供まで産ませているが、いずれとも結婚していない。彼らを養うだけで大変だ。だがこれは仕方ない。自業自得だからな。これが人生ってもんだ。」
奴に悲壮感はなく、あっけらかんとしている。もちろん、責任は奴が取るのだが、そうなるくらいならそんなことしなければいいのに、と僕は思うのだけれど、奴の考え方は違う。あまり先を考えない。その時々で人生を楽しむ。その後窮地に陥っても、それをまた仕方ないものとして楽しもうとする。その時々でやりたいことをやる。
アレックスとはそのほか色んな話をした。「何かスポーツやるか」という奴の質問に僕が「サッカーをやってたよ」と答えると、奴もサッカーをやっていると言って、サッカーの話になる。
「どうだ、南米予選でのチリ代表の調子は?」
「全然ダメだ。」
「日本代表もあまり調子はよくないな。南米はブラジルとアルゼンチンがいるから大変だな」
「南米って言っても、その二国だけだ、強いのは。あとはどんぐりの背比べだ。それにしても今のチリは弱い。」
「日本代表は、フランス大会で、バティストゥータにやられた。今のアルゼンチンはメッシだな。」
「メッシ、ヒュ〜。最高のプレイヤーだ。おい知ってるか、アルゼンチン人は、俗語で『娼婦の息子(Hijo de puta)』って呼ばれてんだぜ、なぜなら奴らは、元娼婦だったイタリア人女から生まれたんだからな。」

「この車はどこ?」
「ヒュンダイだ。トヨタが欲しいけど、高いんだよな。」
「俺の車はホンダだよ。」
「日本の車はいいな。トヨタ、ホンダ、ニッサン、ミツビシ、マツダ、ダイハツ・・・。バイクだとヤマハ、カワサキ。きみはバイクの運転をするかい?」
「しない。」
「俺はバイクで2度も事故ってさ。一度はウィリーしてるときにコケたんだ。その時の怪我で足が悪いんだよ。」

取り留めのない話を続け、タクシーチャーターツアーは終わり、村に戻る。午後8時前。
「明日イースター島を出るのか。ここに電話してくれれば、空港まで送ってくよ。」
アレックスは電話番号の書かれた名刺を僕に手渡す。分かった、今日はありがとう、と言って別れる。

観光客用レストランで夕食を食べる。僕のほかに、日本人若者一人と、日本人の家族連れ(お父さん、お母さん、男の子一人)がいる。家族連れは、昨日も別のレストランで見かけた。『歩き方』を見てこのレストランにやって来たのだろう。日本人の若者は、近くのオバちゃんグループに呼ばれ、一緒に酒を飲み始めた。彼は英語をしゃべっている。オバちゃんたちに酒の肴にされている。あーあー。だけどこれも一つの異文化交流だ。
しばらく食事が出てくるのを待っていると、家族連れのお父さんが僕に声をかけてきた。
「良かったら一緒に食事しませんか」
僕はしばらく考えて答える。
「すみません、結構です。」
「そうですか。」
お父さんは家族の待つ席に戻り、僕との会話の内容を、奥さんと一人息子に話しているようだ。

なぜ僕には社交性がないのか、また考えさせられる。「一緒に食べましょう」と言った方が良かっただろうか。こういう状況の場合、一緒に食べる人のほうが多いだろうか。お父さんは、昨日も一人で食べていた僕を見ていたのだろう、きっと一人の食事じゃ味気ないでしょう?という僕に対する思いやりだったに違いない。僕はそのせっかくの好意を無碍に断ってしまった。だが僕は自分の素直な気持ちをそのまま伝えただけだ。彼は失望しただろうか。僕の拒否は、想定内だっただろうか、それとも思いもよらないことだったろうか。僕は自分が良くないことをしてしまったような気分で、なかば自己嫌悪に近い感情を味わう。だがやはりあの時点で僕にとって彼らと一緒に食事をするという選択肢は考えられなかった。相手が若くてかわいい女の子一人だったら僕は一緒に食べていただろうか。確かに、お父さん、お母さん、小学生の子供という家族と一緒に食事をして、僕が彼らに話すべきことがあるのか、という疑問が僕の意識の中にあった。いや、それ以上に僕は肉体的にも精神的にも疲れていた。「気を使って何か話をする」という精神的負担を伴うことをしたくなかっただけなのかもしれない。
どんな理由をつけようとも、孤独というものに対する意識が、僕の場合他の人と違うのだろうと思う。こればっかりは僕が意識的、無意識的に自分で作り上げてきたものなので、仕方ない。

21時半。日はとっぷりと暮れた。 絶海の孤島での一日は、太陽のサイクル、つまりは地球の自転運動を僕たちに実感させる。海から昇り、海に沈む太陽。仕事とストレスに追われる毎日、ビルの上から昇りビルの谷間に沈む太陽、そんな僕の日常とは全然違う。
文明と隔離されたこの島で、モアイは何百年もの間その太陽の光と、雨と風を身体に浴びて風化していった。彼らだけが何百年も生き続け、この島の栄枯盛衰を見守り続けてきた。

宿に戻る。昼間濡れたシャツやズボンは全く乾いていない。ここは南洋に浮かぶ小さな島である。乾燥しているはずがないのだ。

こうしてイースター島のとんでもない一日が終わった。明日は午後2時前の便でイースター島を離れ、南米大陸に戻る。まずサンティアゴに飛び、乗り継いでペルーのリマまで行く。

(続く)

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