チリ&ペルー旅行 実況中継
(5)クリスマスのリマ
イースター島博物館に展示されているモアイの目
誰も読めない象形文字・ロンゴロンゴが刻まれた板
国立自然史博物館
国立自然史博物館の吹き抜け
太平洋にポツンと浮かぶ島
ハンガロア村
イースター島ガイド、パトリシオ
ア
アルマス広場とカテドラル(リマセントロ)
絶海の孤島に立つモアイ
モアイ製造工場、ラノ・ララク
なにを考える、モアイ?(ラノ・ララク)
まったく陽気な男だ、アレックス
夕陽モアイ
12月24日水曜日。朝、3日連続でフェリアでのエンパナーダ。今日も天気がいい。
僕はまずハンガロア村から歩いて行けるアフ・タハイ(タハイ遺跡)へ。ここには3つのアフ(モアイの立つ祭壇)があり、そのうちのアフ・コテリクの1体のモアイには、島で唯一、イミテーションの目がはめ込まれている。かつてはすべてのモアイにサンゴ石でできた目が入っていた。
その後イースター島博物館へ歩く。島で唯一の博物館。イースター島の歴史、モアイの目、かつてラパ・ヌイの人々が使用していた言語、ロンゴロンゴが刻まれた板などが展示されている。このロンゴロンゴ板はわずかにしか現存しない貴重なものである。ロンゴロンゴは象形文字で、今では誰も読める人がいないので、イースター島の歴史が謎のままとなっている。18世紀のヨーロッパ人によるラパ・ヌイの人々の支配により、キリスト教に強制改宗させられ、ロンゴロンゴの書かれた歴史的板は、島民の手によってほとんどが焼却された上、ラパ・ヌイの人々は南米への強制奴隷送りによって、読める人がいなくなってしまったのである。
僕は村へ戻り、お土産屋を周る。小さな石で出来たモアイ、木で出来たモアイのキーホルダーを買う。
12時半、空港へ。ラン航空機でサンティアゴへ飛ぶ。太平洋の小さな島、イースター島では、目のないモアイが、日がな風化しながら島の営みを今日も見続けている。
機内は日本人多い。イースター島に来る便はほぼ満席だったが、大陸に戻る便はわりかし空いている。
13:40イースター島発、サンティアゴ時間20:05サンティアゴ着。ここから同じくラン航空でペルーの首都リマへ飛ぶ。乗り継ぎ時間が2時間しかなかったので若干不安だったが、ほぼ定刻にサンティアゴに到着したので、問題なく乗り換え完了。
サンティアゴ発リマ行きの飛行機は22:35発。リマ経由ロサンゼルス行きだったので、とにかく荷物チェックが厳しい。飛行機に乗り込む直前にもチェックあり。
飛行機はガラガラ。半分くらいしか席が埋まっていない。リマからたくさん乗るのだろうか。だがクリスマスなので、アメリカに行く客よりアメリカから出る客の方が多い気がする。
クリスマスイブなので乗務員がすべてサンタの帽子をかぶっている。浮かれ気分で事故などにならなければいいがと思いながら乗り込む。しかし乗客の全員がキリスト教徒ではないのに、こういうスタンスは正しいのだろうか、と僕は疑問に思う。これぞキリスト教徒得意の、キリスト教の押し付けだ(笑)。ま、南米も北米もカトリックとプロテスタントとの違いこそあれ、ほとんどがキリスト教徒なので成り立つんだろう。もっとも、最近では日本人と同じように、イスラム国でもクリスマスをイベントとして祝うところが多くなってきたとこないだ何かのニュースで見たので、もうクリスマスというのは世界的地球的なイベントだと認識しているのかもしれない。
機内では、イースター島⇒サンティアゴ便で途中まで見た映画『トロピック・サンダー』を見る。ベン・スティラー監督・主演のバカバカしい映画だがまずまず。トム・クルーズがハゲの映画プロデューサー役を怪演。変な踊りを披露。この奇妙な踊りが頭に焼きついて離れない。
それにしても、この便の機内食は、さっき乗ってたサンティアゴ便と全く同じなので参る。サーモンかラビオリ。さっきはサーモンを食べたので、仕方なくラビオリを頼む。食べてみるとまずまずだったので何より。サラダもデザートもすべて同じ。トホホ。
リマ時間11:50にリマに着陸。ちょうど日付がクリスマスに変わる頃で、飛行機の窓から、街で花火が盛んに上がっているのが見える。
入国審査が大行列で異常に時間がかかる。最近こんなに非効率な国はあまりないのだけれど。
ドルをペルーの通貨ソルに替える。1ドル≒3ソル。
リマの空港では、クリスマスのため、24時間運行のはずの安い空港シャトルバスの受付がもう閉まってしまっている。空港の警官に聞くと、「普通のタクシーしかない」という。タクシーの運ちゃんは何人か寄って来るが、どいつもこいつも吹っかけてくる。警官と一緒に交渉しても、「今日はクリスマスだから割り増しだよ」といって譲らない。何しろもう午前1時である。買い手市場でこっちからはあまり文句は言えない状況である。『歩き方』には、リマ空港のタクシーの客引きには注意、と書かれていたので僕は警戒するが、結局、カップルの客と相乗りで、セントロまで30ソルで仕方なく乗ることにする。助手席に僕が、後部座席にカップルが座る。この運転手がまたインチキな野郎だった。
20分ほどで住宅街の中でカップルを下ろす。だがそこで一悶着。運転手は、税金として2ドル(6ソル)の追加料金を主張したのだ。カップルの方は、気の強い女性が断固として反抗する。
「乗るときにはそんなこと一言も言ってなかったわ。シェアするということで値段は決着したでしょう。」
僕はそりゃまったく正しい、と思いながら黙って聞いていた。
「いや、税金だから払ってもらわないと。」
と運転手も譲る気配がない。どう考えても運転手の方が強引過ぎる。何の税金だよ?しばらく激しい押し問答があった後、女性はクリスマスイブで早く家に入りたかったのだろう、ついに折れて金を支払う。僕は内心思う。僕だったら絶対に払わない。僕にも言ってくるかもしれないが、僕は絶対に払わない、と心に決める。
カップルが降りると、だが僕はさっきのやり取りがあった後で、この運転手に対しての恐怖心が芽生える。こいつはかなり強引だ。この夜中に道も分からないリマで、変なところに連れて行かれたら・・・。
だが運転手は、二人っきりとなった車を再び走らせ始めると、そんな僕のビビリにお構いなしに話しかけてくる。
「君はどこから来たんだ?」
「日本だ。」
「日本か、素晴らしい国だ。」
しばらく走って、突然奴は言ってきた。
「今日はクリスマスだからセントロには入れない。警官が警備しているんだ。」
「そんなはずないだろう」
「本当だ。だからセントロまで行かずに、このあたりのホテルに泊まった方がいい。」
僕は一貫してセントロまで行け、というのだが、こいつは聞かない。途中、大きな通り沿いのビジネスホテルの前に車を止め、その前にいた警備員に聞く。
「今はセントロには入れないよな?」
「うん、たぶんそうだと思う。警官が夜中はセントロを警備している。」
僕はホントかよ?と思う。運転手野郎はタクシーを降りて、さっさとホテルの中に入っていく。しばらくすると戻ってきて、
「空室があるぞ、ここに泊まった方がいい。」
とアホなことを言う。
「おい、一体ここはどこだ?セントロからは遠いだろう?俺はセントロまで行け、って言ってんだよ。」
「セントロまでは歩いて行けるよ。15分くらいからな」
僕は奴の言うことを聞くしかない状況に追い込まれていく。いつもだったらセントロに行くことをきっぱりと主張するのだが、どうやら警察が警備しているというのは本当らしい。明日の朝になったら入れるという。しかももう午前2時20分である。疲れは頂点だ。これ以上こいつとやりあうのも消耗するだけだ。
僕はここがどこだか分からなかったが、フロントのネーちゃんと話をして、とても感じのいい人だったので、値段は60ソル(約20ドル)とちょっと高かったが、泊まることにした。トイレ、ホットシャワーつきの部屋。
案の定運転手野郎は、”税金”の追加2ドル(約6ソル)を要求してきたが、僕はふざけんな、という素振りで完全に無視する。奴は簡単に引き下がってタクシーを駆って去っていった。インチキクソ野郎め。
部屋には広いベッドに、タオルまである。高いだけはある。この旅ではこれまでのところ一番いいホテルだ。しかしシャワーのお湯がいつまでたっても水のまま。フロントに抗議する気力もなく、諦めてシャワーを浴びずに眠りに就く。2:40AM。
12月25日木曜日、クリスマス。朝8時過ぎ起床。この旅行で睡眠時間5時間半は厳しい。昨晩もらったこのホテルの名刺に書かれた付近の地図を見ると、どうやらここはミラフローレス地区とセントロとの間の場所のようである。窓を開けて外を見ると、目の前を高速道路が走っている。
ペルー地図
8時半にチェックアウト。フロントの女性に、これから行こうとしている日本人経営の旅行代理店『ミッキー・トゥール(Mickey Tour)』の住所を見せて、タクシーでどのくらいかかるかを聞く。通常の日なら4〜5ソルだが、今日はクリスマスのため交通機関は休みが多く、タクシーやコンビ(乗り合いミニバンバス)は軒並み2倍の値段になるという。ってことは8〜10ソルか。
外に出る。晴れている。日差しがまぶしい。朝はサンティアゴやイースター島よりも涼しい。
朝の交通量は少ないが、すぐに小型タクシーが通りかかった。僕は止めて住所を見せ、いくらか訪ねる。始め7ソルと言ってきたので、6ソルと言ったら、運ちゃんの男はしばらく考えてOKした。
「クリスマスの日のこの時間は、みんなまだ寝てるよ。昨晩は朝までドンちゃん騒ぎさ。」
僕はエクアドルで同じカトリックのクリスマスを体験しているので、その様子が目に浮かぶ。
「あなたはフィエスタ(パーティ)に行かなかったんですか?」
「俺は11時に切り上げたよ。今日の朝から働こうと思ってね。ほら、他にほとんど車が走ってないだろう?この時間に稼ぐのさ。」
この時間、タクシーに乗る客も少ないと思ったが、確かに料金は倍で競争相手がいないとなると、稼ぎ時なのかもしれない。
ミッキー・トゥールはすぐに見つかった。9時から営業のはずなので9時に合わせて行ったのだが、扉は閉ざされ、人の気配がない。歩道には小さな小屋状の守衛所がある。そこのニーちゃんに聞いてみる。
「ミッキー・トゥールは今日は営業するかしら?クリスマスだから休みかな?」
「うーん、分からないな。いつもだったらもうそろそろ従業員が出勤してくる時間だけど。」
彼と世間話をしながら待つ。しかし9時を過ぎても誰も現れない。守衛のニーちゃんは明日は確実に営業するよ、というので、僕は諦める。今日はここでリマ→クスコの飛行機かバスのチケットを取ろうと思っていたのだが、明日来るしかない。セントロに行って宿を探すことにする。僕は守衛のニーちゃんに聞く。
「ここからセントロまで、タクシーはいくらくらいかな?」
「今日はクリスマスだからな、10ソル前後じゃないか」
すると彼は通りかかったタクシーを止め、値段交渉までしてくれた。
「12ソル(約4ドル)で行くと言ってるけど、どうする?」
「10ソルでどう?」
だが下がらなかった。ちょっと高い気がしたが、セントロまで結構遠いようなので、仕方なくOK。守衛のニーちゃんには、明日また来る、と礼を言う。
運ちゃんは40代半ばくらいのオヤジ。僕が日本から来たことを告げると、「どうだ、ペルーは?」と聞いてきた。
そういえば昨晩のインチキタクシー野郎も同じ質問を僕にした。そのときは夜で暗くてどんなところかも分からなかったので「着いたばっかりで分からないよ」と答えたのだが、どうやらペルー人はリマの繁栄状態を誇りに思っているようである。
確かに、ビルが立ち並び、都市部は大きな広がりを見せている。南米ではブラジルのリオデジャネイロやサンパウロと並ぶ大都会である。人口は約790万人。南米のゲートウェイとして、欧米からの飛行機が数多く発着する。
「かなり大きな街だね。」
と僕が言うと、運ちゃんはそうだろうそうだろうと満足そうに相好を崩す。そして今走っている場所の説明を始める。こっちがサン・イシドロ地区、ここがミラフローレス地区、セントロに入ってからも、これが最高裁判所で・・・、といちいち解説してくれた。そうするうちにタクシーは、リマセントロの中心、アルマス広場に着いた。確かに、ここには多くの警察官が出て、広場には入れない状態となっている。これは、広場の向かいにペルー政庁があり、今日クリスマスに、誰か要人が出席するイベントでもあるせいかもしれない。僕はカテドラルの前を抜け、1ブロックいったところにある日本人の経営する安宿、アルベルゲ・オキナワにチェックインする。フロントには日系1世のおじいさん。もちろん日本語を話す。バストイレ共同の個室でたったの30ソル(約10ドル)。セントロのど真ん中で、あり得ない値段だ。昨日のインチキタクシー野郎は、セントロだと50〜60ソルの宿しかない、と断言していたが、安宿もあるのだ。ざまぁみろ。確かに、日本人しか泊まる客はいないのかもしれないが。
階段を上がると日本人の若者グループがダベっていた。「こんにちは」と挨拶をする。
部屋に入ると、すぐ荷物を開いて、まだ乾いていない濡れた衣類を部屋に干す。何が最悪って、乾いていない洗濯物をカバンに入れて移動しなくちゃならないのが旅行で一番最悪なことだ。すでにこれらの服は雑巾臭くなっている。
その後外に出る。おじいさんにこのあたりに食堂があるか聞く。そろそろ開く頃でしょう、広場の近くにあるよ、との答え。セントロのアルマス広場、カテドラル周辺を歩く人は少ない。朝10時過ぎ。
ロモ・サルタードの朝食セット
近くの食堂に入って、朝食セットを頼む。ホットドッグやトースト等、いくつか選べる中から、腹ペコだった僕は迷わず「ロモ・サルタード」のセットを注文。ロモ・サルタードは、牛肉、たまねぎ、ピーマン、フライドポテトを炒めたペルーの名物料理で、結構辛い味付けが日本人の口に合う。ボリビアで言えば、「ピケ・マチョ」に味も内容も似ている。
美味い。生き返る。
アルマス広場には相変わらず人が立ち入れない。向かいのカテドラルでは、クリスマスのミサが行われている。テレビカメラも入っており、祭壇で合唱団が歌うクリスマスソングをTV中継しているようだ。教会からの中継は、クリスマスの朝のテレビにふさわしい。日本でいえば、正月に初詣の寺社を中継するのと同じだろう。
しばらくセントロ(旧市街)を歩き回る。リマは、現在のペルーの首都。スペインのコンキスタドール(征服者)、フランシスコ・ピサロは、インカ帝国を征服した後、1535年、スペイン植民地の首都としてクスコからリマに遷都し、新たな都市を建設した。彼が作った街が、今日の旧市街である。
昼を過ぎると、街にどんどん人出が増してくる。昨晩のイブのドンちゃん騒ぎからようやく這い出してきたのだ。反対に、僕はと言えば疲れていたので、一時半頃に一度宿に戻って仮眠を取る。この昼寝中、おかしな夢を見た。
午後4時半、起き上がって再び外に出る。睡眠で生き返った。リマセントロきっての繁華な通り、ラ・ウニオン通りは、渋谷のセンター街のようにごった返している。ペルー人はエクアドル人と同じで背が低い。先住民インディヘナの特徴だ。ペルーは、南米ではボリビアに次いでインディヘナの人口比が高い国である。ちなみに、チリではインディヘナと白人の混血であるメスチソが、人口のほとんど、95%を占める。チリ人は、黒っぽい人から白っぽい人まで、混血の幅広さを示していたが、どちらかというと白っぽい人が多く、小柄な感じはなかった。ここペルーでは、インディヘナ的な顔立ちの、浅黒い肌の人々が多い。あぁ、アンデスに帰ってきたんだな、と思う。インカの首都があったペルーを中心として、北はエクアドル、南はボリビアが、まさにアンデス山脈そのものに暮らす、アンデスの心臓なのだ、と思う。
夕食はセントロの大衆食堂で、麺入りのスープと、羊肉の煮込みに、米、たまねぎ、ジャガイモの付け合せ。それにペルー名物インカコーラ。これで7ソル(2ドル強)。チリよりもかなり物価が安い。昼飯で5〜6ソル(約2ドル)程度。チリでは4〜5ドルしていたから、半額だ。エクアドル並み。エクアドルでは昼食のセットは、1.5〜2ドルくらいだった。ペルーやエクアドルは、チリよりも貧しい国々なのだ。
リマではチリと比べると大分日が短い。午後6時過ぎには日が沈んでしまった。リマは南緯12°くらいで、サンティアゴやイースター島と比べると緯度が低い。そして、朝晩はチリよりも大分涼しい。夜は半袖では寒いくらい。リマは、チャラと呼ばれる太平洋岸の海岸砂漠地帯に属する。砂漠性気候なのだ。からっとしていて、朝晩は冷え込む。朝部屋干しした、イースター島で濡れた衣類は、夕方にはあらかた乾いてしまっていた。イースター島では、一日中干しても全く乾かなかった。リマには、年間を通じてほとんど降雨がない。水がどんどんカラカラの空気の中に蒸発していくのだ。ジーンズでも汗でジトジトすることがない。汗がすぐに乾く。
リマのセントロでは、サンティアゴやイースター島で見られなかった、貧困が見受けられる。物乞いのおばあさん、もしくは母と幼い子供が、セントロのいたるところに座っている。その格好から、彼らがインディヘナの人々だとすぐに分かる。
そして、靴磨きが多い。大人の男から少年まで、様々な年代の男性が、靴磨きで今日を生きるための小銭を探している。
一方で恰幅のいい人々が街を悠々と歩いている。アンデス諸国に典型的な貧富の差が、まざまざとここペルーの首都で目に見える。
リマのセントロは、世界遺産に登録されているが、キト、クエンカ、パナマシティ、ポトシといった中南米の他の世界遺産都市と比べると、雰囲気というか味気がない。建物はコロニアル様式が多いのだが、それらは最近造られたように新しく見え、また道は石畳でないし、歴史を感じさせないのだ。豪華だが、新しいつくりものといった感じがしてしまう。前に挙げた都市には、植民地時代から400年を経てきたという歴史の蓄積みたいなものが、実際に現存する建物をはじめ街のあちこちに感じられるのだが、ここにはそれが希薄なのである。旧市街といっても道が広々としているからか、人々のゴミゴミ感も少ない。
夕食後、ライトアップしたアルマス広場とその周りの建物を見、19時半ごろ宿へ戻る。共同のシャワーでは、たっぷりとお湯が出てうれしい。ここ数日分をいっぺんに、長々と浴びる。気持ちいい。
午後9:30。何とビデオが復活した!!今までウンともスンともいわなかったビデオの電源が入ったのだ。
よっしゃああああああーーーーー
僕は心の中で雄叫びを上げる。
ここリマは乾燥しているからか、回路上の水分が乾いたことが復活の原因だろうか。もうこの旅でビデオは使えないと諦めていただけに、これは大きい。ただ、回転ヘッドの周りから、ブーンと異音がしている。
「ありゃ、電源は入ったけど、まだダメかな?」
録画再生をしてみると、テープエッジに傷が入ってしまう。だが、何度か録画再生を繰り返すうちに、異音も消失し、SPモードであれば正常に機能するようになった。これで一安心だ。やった。最高の結末だ。これでナスカの地上絵が撮れる。
22時過ぎに就寝。蚊の襲撃で眠れず。最悪だ。朝方まで蚊を撃墜しようと、ずっと格闘していた。
(続く)
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