HOME > THE WORLD > Latinoamerica > CHILE & PERU > (6)
チリ&ペルー旅行 実況中継

(6)地上絵のナスカ

 リマ⇒ナスカのバスの車内食。ショボい。
 
ホテルの屋上から見たアルマス広場とナスカの街
 
セスナ ⇔ アエロパラカスの従業員
 
荒涼としたナスカ周辺
 
緑もある

ナスカの街、空から

ナスカの地上絵『宇宙飛行士』

ナスカの地上絵『猿』
 
遅い昼食をとった食堂 ⇔ 鶏肉の昼食。美味くて安い。
 
ミラドールから見た地上絵『手』
 
石に書かれた地上絵。お土産。

水路⇔周囲のスイカ畑

サボテン畑

パレドネス遺跡
 

陶芸工房

今日の午後付き合ってくれたタクシー運転手、ホルヘ。
いい奴だ。
 
夕暮れのアルマス広場
 
ミラドール・デ・ナスカのオーナーのおばちゃんと従業員

12月26日金曜日。リマ。朝7:30に起き、昨日と同じ食堂で朝食。卵と鶏肉とコーヒー、3.5ソル。空は曇っている。
8:40にチェックアウト、タクシーでミッキー・トゥールへ。今日こそはクスコ行きの足を確保しなければならない。そして、今日中にナスカへバスで移動する。
今日はミッキー・トゥールは営業していた。朝9時一番乗りで受付。日本人の女性が日本語で対応してくれる。
クスコ行きの飛行機は、行きが安い席なし。往復で買っても割引がないため、僕は行きはナスカからバスで行くことにし、12/31の帰りのクスコ⇒リマの飛行機チケットだけ購入。
その後、ミッキー・トゥールの近くにある、大手バス会社のターミナルへ。今日のナスカ行きのバスチケットを買う。まずオルメーニョでは14:00発のロイヤルクラス(最上級クラス)が80ソル、13:30発が100ソルと高い。対して近くのクルス・デル・ソルでは、16:00発が66ソルだったので、このチケットを買った。ナスカ到着は夜10時。
続いて僕はナスカ⇒クスコ行きのバスチケットを求めるが、オルメーニョでは買えず、クルス・デル・スルでは買えるが、二便とも満席とのこと。どうする?僕はクルス・デル・スルの清潔なバスターミナルの待合所で途方に暮れる。再びミッキー・トゥールに戻り、高い飛行機チケット(リマ⇒クスコ)を買うか。だけどこの場合、ナスカから一度リマまで戻ってこなくてはならない。
僕は、入り口近くで雑談していた、クルス・デル・スルの従業員のおっちゃんたち(バスの運転手だろうか?)のうちの主任格と見られる人に、他にナスカ⇒クスコのバスを扱っているバス会社がこの辺りにないかを尋ねてみた。しばらく従業員のおっちゃんたちはケンケンガクガクでみんなでどこのバス会社で買えそうか、はたで見ているとさながら政治討論会のように身振り手振りを交えて議論していたが、しばらくすると意見がまとまり、この近くにあるバス会社のオフィスで、そこなら取れるかもしれないとのことで、そこにいたタクシー運転手がそこへ連れて行ってくれることになった。もちろん有料だが。バス会社の名前はパロミーノ。ここで、受付の若いネーちゃんは、発車場所となるナスカのオフィスに電話をかけてくれ、チケットの席が残っていることを確認してくれた。僕はすかさず購入する。95ソル。ナスカからクスコまでは14時間くらいかかるそうだ。
やはり旅は自分からどんどん動いていかないと道が切り開けない。いつもながら、諦めなければ、何らかの代替案が思わぬところから浮上してくる。今さらながらそれを実感する。

これで、ペルー国内での移動手段はほぼ確保した。リマ⇒(バス)⇒ナスカ⇒(バス)⇒クスコ、クスコ⇒(飛行機)⇒リマ、でリマに戻ってくる。残る問題は、クスコ⇔マチュピチュ間の電車のみである。
この電車は、ミッキー・トゥールでも購入できるが、送迎とか昼食がついて270ドル、とベラボーに高い。電車のチケットのみだと往復で100ドル程度。だがこれのみでは取れないのである。
僕はクスコで何とかチケットを確保することに決め、取り急ぎリマでの仕事は終わりにした。クルス・デル・スルのターミナルに戻り、まだ時間があるので、2階にあるネットカフェでマチュピチュの電車を調べてみる。僕がマチュピチュ行きを予定している29日も30日もネット上では「チケットはありません」の表示。不安がよぎるが、もうクスコで何とかするしかない。最悪オリャンタイタンボまでバスで行き、そこからマチュピチュまで電車、という選択肢もあるのだ。

午後1時過ぎ、近くに大衆食堂がないかを従業員のおっちゃんに聞く。教えてもらった食堂は、大通りを渡ったところにあった。ここでペヘレイと思われる魚のフライとサラダを食べる。美味い。セットメニュー(Menu del Dia)がわずか5.5ソル。2ドルしない。安い。ここはサン・イシドロ地区だけど、この辺りではセントロより物価が安いのかもしれない。ここではマテ茶のような甘いお茶が無料で出てきた。うれしい。そして魚の付け合せはフリホーレス(豆)の煮込み。これを食べるとアンデスに戻ってきたことがさらに実感される。これだよこの味。豆の煮込みと米、ジャガイモ。これがアンデス料理の基本だ。

ターミナルに戻る。またまたマナーがかかっている。
16時、2階建てのバスに乗り込む。豪華バスだ。さすがインペリアルクラス。わずか6時間しかかからないところなのに22ドルもかかるだけはある。極力疲れないようにしたいところなのでこれで正解だと自分に言い聞かせる。セキュリティも厳しい。
僕の席は2階の前から2列目。隣にはスペイン語を話さない、ドイツ人だかオランダ人だか北欧人の3人組。車内には外国人観光客はほとんどいない。大多数がペルー人だ。彼らはナスカに何をしに行くのだろう。もっともこのバスの終着地は、ペルー第2の都市アレキパなので、アレキパにビジネスしに行く人が多いのかもしれない。

バスは走り出すと、すぐにリマの街は終了し、車窓は荒涼とした砂色の土地となる。
時々スラムのような小さな家々が密集しているエリアが現れる。車内ではハリウッド映画を次々と流している。ベン・スティラーとロバート・デ・ニーロのファミリーもの、ショーン・コネリー主演のサスペンスもの。
PM6:30日没。バスは太平洋沿いのパンアメリカンハイウェイを南下するので、太陽は太平洋に沈む。
夕食のサービスがある。機内食ならぬ車内食。だがその内容はチンケそのもの。えっ、何これ?状態。プラスティック製の容器に入っているのは、米、鶏肉二切れ、ラザニアみたいな惣菜スナック一つ、スポンジケーキ一切れ(写真)。こんなん1ドルもしないだろう。タイの豪華バスなら、夜中にドライブインで、ビュッフェ形式の食べ放題だよ。違いすぎる。金はかなり払っているのに。

日はとっぷりと暮れ、外は真っ暗となる。中南米を縦断するパンアメリカンハイウェイの舗装は抜群で、バスも高級なので揺れはないが、外には街灯がない。暗闇の中をバスは進む。

午後10:45、ナスカのバスターミナルに到着。リマから6時間45分。バスを降りた僕ら観光客に、ワラワラとツアー関係の人間が寄ってくる。ナスカの地上絵遊覧飛行を、自分の旅行会社でさせようという魂胆の人間たちだ。
僕は彼らを無視しようとするが、彼らの斡旋する宿が僕が行こうとしている宿だったので仕方なく着いていく。だが、例のドイツ人3人組も同じところに行き、彼らを最後に部屋がなくなってしまった。
ガイド男は、涼しい顔で、提携している同じくらいの値段のホテルがあるから、と言う。僕はついていくことにする。そこは、中央広場であるアルマス広場に面して建つミラドール・デ・ナスカで、1泊35ソル(12ドル弱)で泊まることに決める。こぎれいなホテルだ。
ガイドは明日の遊覧飛行をブッキングしてやると言うので、僕は普段こういう輩の言うがままにことを進めることはないのだけれど、結局ここでは誰を通して申し込んでも同じだと思い、奴に任せることにした。パイロット合わせて6人乗りの小型セスナの飛行を、250ソル(約83ドル)で申し込む。ちょっと高いが、ま、一人旅の弱みということで、疲れてもいたし、さっさと決める。いずれにせよ遊覧飛行だけは絶対にここで成し遂げなくてはならないことだ。逆に言うとそれだけやればナスカに用はあまりない。地上絵が良く見えるという朝のフライトを明日の朝に探すのは大変だ。今晩中に決めておくほうが得策だ。

明日の朝8:30にロビーで待ち合わせることを約束してガイド男と別れる。
12時過ぎに就寝。蚊はいない。快適。


12月27日土曜日。7:15起床。ナスカは雲ひとつない快晴。砂漠性の気候らしく、空気はカラッと乾いている。ホテルの屋上にある朝食場所で、ナスカの街を見下ろしながらパン、生ジュース、コーヒーの朝食。ここのホテルは朝食付きだ。
ナスカには、かの有名な謎の地上絵がある。この辺りには、地上絵のほかにも紀元前後頃にナスカ文化が栄え、いくつかの遺跡が残っている。
 
荒野に建つミラドール
 
今日遺跡巡りを一緒にした陶芸家の女性。
後ろが兄貴。似てる。
 
ありますあります。これ。
 
夜パンを売るおばちゃん

8:30にロビーへ、ほどなく昨晩のガイド男が車で迎えに来る。ホテルは11時チェックアウトだというので、それまでには遊覧飛行を終えて帰れると思う、と宿の支配人のオバちゃんに告げる。
まず車は、ガイドが勤めるアエロパラカス(Aeroparacas)のオフィスへ。ここで他の観光客と時間まで待つ。ようやく10時ごろ、向かいの空港へ移動。これじゃあ11時までに宿には帰れそうにないことを例のガイド男に言うと、「全く問題ない。俺から宿のオバちゃんに伝えておくよ」と意に介さない。
空港の待合室でも長い間待たされる。その間、セスナが入れ替わり立ち替わり乗客を入れ替えて離発着する。僕の番が来たのはやっと11時ごろ。相乗りするのはフランス人の家族4人組だ。お父さんお母さんと高校生くらいの娘二人。左右に配されたシートが3列、パイロット合わせて6人乗りだ。僕の座席は後ろ左。
飛び立ったセスナからは、ナスカの街がまず見える。街の周りは茶色の砂地と不毛な岩山が見渡す限り広がっている。ここは、ペルー太平洋岸の広大な乾燥地帯である。雨はほとんど降らない。
ところどころに緑がある。畑のように区画された緑の一画。こんな乾燥地帯でも、人々は水を操り、生活している。

しばらく飛ぶと、始めの地上絵、鯨が現れる。これを皮切りに、三角形、宇宙飛行士、猿、犬、コンドル、蜘蛛、ハチドリ、パリワナ、オウム、手、木を上空から巡っていく。地上絵が現れるたびに、右の座席からよく見えるように旋回、その後左座席からよく見えるように旋回する。つまり、地上絵ごと(もしくは2、3の地上絵ごと)に左回りと右回りの旋回を連続して行うのだ。これが
か〜な〜り〜気持ち悪い。旋回時はセスナはかなり傾きながら回っていく。遊覧飛行はわずか30分だったが、始めワクワク状態で窓の外、下を眺めていたのも束の間、途中からかなり気持ち悪かった。ゲロを吐くのを我慢しながら、踏ん張って地上に向けてビデオカメラを回す。唾液がしきりに口の中に上がってくる。フランス人の家族はというと、お母さんがもうグロッキー状態で、窓の外すら見れないようだ。隣のお父さんは、お母さんの背中をさすって気遣っている。僕の隣とパイロットの隣に座った娘二人は、涼しい顔で外を見つめているので、問題なさそうだ。
最後の木を見終え、セスナが水平飛行に入ったとき、僕は本当に安堵した。水平飛行に移れば、気持ち悪さは、つばとともに徐々に収まっていく。セスナが着陸したとき、危うかったが吐かなかったことに僕は本当にホッとした。今まで、乗り物でこんな情けない状態に陥ったことは一度もない。これだけ辛かったのはやはり寄る年波だろうか。普段から身体を鍛えていないし、スポーツでの平衡感覚強化を全くしていないことが原因なのかもしれない。とにかく不覚極まりないが、こんなことは初めてだった。
セスナを降りると、パイロットの若いニーちゃんが、一人一人に遊覧飛行認定証を渡してくれた。彼に聞いてみる。
「あなたは、気持ち悪くなったりしないの?」
「しないよ。」涼しい顔で答える。
そりゃそうだ。飛行機酔いするパイロットがいるか。愚問だった。

空港の待合室に戻った後も、気持ち悪さが続く。同乗したフランス人の女の子と話したが、彼女らは「すごい旋回だったわね〜」と言いつつ、サングラス越しとはいえ涼しい笑顔なので、全然平気だったようだ。若いっていい。対照的にお母さんは、イスにへたり込んで、しばらくは動けない様子。

しばらく休んで、ガイド男の車でホテルに戻る。戻ったのは12時。チェックアウトの時間はとうに過ぎているが、問題なし。僕は部屋に戻って荷物を整理し、チェックアウト。バックパックをフロントに預ける。だがしばらくは動き回る気になれず、ホテルのロビーのソファでグッタリと眠っていた。2時間後、ようやく元気を取り戻す。気持ち悪さはあらかた去ったようだ。それとともに食欲も出てくる。もう午後2時。腹も減るはずだ。
ナスカの街は小さい。数ブロック行けばもう人影がなくなる。けれど、中心部は大賑わいだ。道の真ん中に露店がびっしりと出ている。人も通り抜けられないほど路上の露店が幅を利かせている。この状況は毎日なのか、それとも今日は土曜市か何かか。
近くの大衆食堂でセット昼食(Menu del Dia)。鶏肉の揚げたやつ、麺入りのスープ、米、サラダ、お茶みたいな飲み物でわずか5ソル。エクアドル並みに安い。ナスカの物価はリマよりも明らかに安い。

僕は残りのナスカの見所を回るため、タクシーをチャーターすることにした。ホテルの前で何台かのタクシーと値段交渉。何台目かで気のよさそうな若者が運転するタクシーに当たった。
「パレドネス遺跡、水路、ミラドールに行って欲しいんだけど、いくら?」
「(しばらく考えて)60ソルでどう?」
「50だ。」
「それじゃぁダメだよ。」
「じゃぁ、他探すわ。」
というと彼はちょっと待て、と考えた挙句、50ソルで了解した。
運転手の名はホルヘ(Jorge)。キリスト教圏に多い名前だ。英語式に言うとジョージ。歳は20代後半〜30代前半だろう。ホルヘもガイドの勉強をしているらしく、僕に色々なことを教えてくれた。
ミラドールは、地上絵の解明、保存に大きく貢献したドイツ人考古学者、マリア・ライへ女史が立てた観察やぐらである。ナスカの街からパンアメリカハイウェイでリマ寄りに15km。20分くらい。ミラドールまでは、砂漠のような砂地が広がり、真っ直ぐな一本道が果てしなくまで続く。荒野を見ると、遠くの方でところどころに小さな竜巻が発生している。空からは容赦ない太陽光が降り注ぐ。
ミラドールのてっぺんからは、すぐ近くに手と木の地上絵が見られる。これらは上空からも見たものだ。
櫓の下では、石に地上絵を描いたものをおじさんがお土産として売っている。

その後、水路へ。この水路は、砂漠の地下を流れる地下水を人為的に流し、取り入れるためのもので、プレインカのナスカ時代のものである。全く水の気配がない砂漠地帯に、澄んだ水が流れているのは一種の奇跡である。ナスカの人々は地下を掘って渦巻状の取り入れ口を作り、この地下水を利用していたのだ。この水は、はるか30kmも離れた山から流れて来るそうで、この水路によって灌漑、生活用水に使ったというから驚きだ。今でもその澄んだ水は流れ続けている。なるほど、この水路の周囲には、青々としたスイカ畑やサボテン畑が広がっている。砂漠地帯とは思えない。
ナスカ地方には、紀元前900年ごろから紀元後900年くらいにかけて様々な文化が開花したそうである。その昔から人々は、砂漠において貴重な水を制御する方法を知っていたというわけである。他にも、例えば地上絵はいまだに何を意味しているのか諸説紛々だが、上空からしか見えない巨大な絵を地上で描くのには、高度な測量技術が必要だったと言われる。

この水路で知り合った女性の陶芸家と一緒に、パレドネス遺跡へ。日干しレンガで造られたこの遺跡はインカ時代のもので、クスコへ向かうチャスキ(飛脚)の宿だったと言われているが、多くは地震によって倒壊してしまった。ここではこの女性がガイド役となって説明してくれる。僕は様々な質問をする。いくつか彼女は答えられないが、まだまだ不明なことも多いのだろう。
崩れた建物が小高い山の一画にいくつかある。この小山に登り、ホルヘと陶芸家と僕が順々に写真に収まる。辺りは緑が点在する茶色の荒野の奥に、これまた荒涼とした茶色の山並みが見える。

最後、この陶芸家の陶芸工房を無料で見学させてくれるという。彼女は二人の兄とともに、兄妹で陶芸工房を運営している。だがなかなか陶器は商売ベースに乗せるのが難しいらしい。だが彼らは明るくて真摯だ。長兄が僕にナスカ陶器の作り方を、順を追って教えてくれた。僕だって協力隊の友人に何人か陶芸家がいるから、全くの素人というわけではない。彼は丁寧に説明してくれる。ろくろなど機械は使わず、造形から絵入れまですべて手造り。デザインはナスカ伝統のもので、昔出土した陶器のレプリカもよく造るという。釜や作業机のある工房の奥にある部屋に、作品が展示されている。
結局僕は一つも買わなかったけれど、彼女らは嫌な顔一つせず僕をもてなしてくれた。ここで撮った何枚かの写真を、メールで彼女に送ることを約束して別れる。

ホルヘとホテルに戻ったのがPM6:30。日は暮れ、夜のとばりが降りようとしている。夕暮れのアルマス広場には、多くの人々がベンチに座って緩く過ごしている。
ホテルのオーナーのオバちゃん、従業員の若者二人はノリがいい。僕が彼らのビデオを撮ってそれをみんなでレビューすると、みんな嬉々として喜ぶ。
PM7:30、彼らに別れを告げ、新年の挨拶をしてホテルを後にする。リマ通りというナスカの目抜き通りを、パロミーノのバス発着所までバックパックを担いで歩く。場所がいまいち不明だったので、途中警官のような服装をした二人組に聞くと、「パロミーノのオフィスはこの近くになく、タクシーで3ソルで行け」とトンチンカンなことを言う。僕は彼らを怒らせないように礼を言って、再びリマ通りを歩き続ける。小さな遊園地で露店を出していたおじさんに聞くと、親切丁寧に教えてくれた。
「すぐそこの右側だ。半ブロック行ったところ。」
僕は礼を言って歩を速める。

パロミーナのオフィスで、クスコ行きのバスはリマから来て、ここを21時発であることを確認する。それまでタバコを吸ったり、飴をなめたりして時間をつぶす。しかし9時になってもバスは来ない。オフィスでトランプをして遊んでいる従業員の若者に聞くと、遅れてる、10:20頃になりそう、との答え。
結局バスが来たのは、1時間遅れの午後10時だった。
バスに乗り込むと、満席で熱気がムンムンしている。乗客は、ペルー人の若者が多い。外国人は少なく、僕と僕の隣のオーストラリア人カップル、ほかに数組だけだ。クスコまで14時間、長い夜行の旅が始まる、と思ったとたん、走り始めて5分もせずに、バスは狭いレストランと売店に寄る。車掌の若者に聞くと、リマから走り詰めで、リマからの乗客の食事休憩だという。ナスカから乗った客としてはいきなり出鼻をくじかれた感じだ。僕はスペイン語の話せない隣のオーストラリア人カップルに英語で事情を説明する。防犯上、ここでは全員が下車しなければならない。僕と一緒にナスカからバスに乗ったオーストラリア人の二人は、何事かと当惑していたのだ。
30分ほど休憩した後、午後10:30、バスは再度走り始める。僕はすぐに眠りに落ちる、今日の昼はセスナでとんでもない目にあって、その後気のいいタクシー運転手兼ガイドのホルヘとナスカ近郊の見所を回った。疲れているのだ。旅に出てから、毎日疲れる。これは僕にとってはどの旅でも同じ。だが夜行バスで眠れないよりはマシだ。バスはそれほど豪華ではないか、座席はかなりリクライニング出来るので、比較的よく眠れた。

ナスカの街を出ると外は真っ暗。街灯は何もない。あっても、南米アンデス諸国の街灯は暗い。街なかでも薄暗い。
誰もいない旧市街で、夜中、オレンジ色の薄暗い街灯が、凸凹だけれど、古く磨り減って艶の出た石畳に反射して、何かしら柔らかさと寂しさを醸し出す、あの感じが僕は好きだ。完璧に舗装された、歪みのないフラットなアスファルトに落ちる、白く鮮やかな街灯の光は、硬質で無味乾燥な明暗しか作り出さない。

バスはこれから、ナスカのある海岸沿いの低地から、ペルー中央部を貫くアンデス山脈を一気に登攀し、標高3399mのクスコまで、エンジンをヒーヒー言わせながら14時間かけて登って行くことになる。


(続く)

(戻る)



HOME > THE WORLD > Latinoamerica > CHILE & PERU > (6)