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エジプト旅行記
2000年5月・記
「Welcome To The Wonder World(7)」
〜エジプト総集編〜

5月8日の早朝、ルクソールの鉄道駅から2等列車に乗り込む。これから10時間かけてエジプトを北上し、カイロに向かう。朝駅に向かう途中、トラベルエージェントから切符を受け取ったが、切符を見ても、席番号が全く分からない。アラビア文字は、例のミミズがはったような文字だ。しかも横書きで右から左に書くのだ。数字までアラビア文字で書いてある。エージェントは親切に、車両番号・シートNoを切符の裏に英語で書いてくれた。

車窓からは、ナイル川周辺だけが緑に覆われていることが良く分かる。反対側の車窓からは、砂色の風景しか見ることは出来ない。ナイル川からちょっと離れただけで、もう不毛の砂漠がどこまでも続いているのである。まさに、エジプトはナイルの恵みによって発展してきたのだ。それも紀元前何千年も前から。
低い潅木とやしの木が広がる風景が続き、時々街を通り過ぎる。車内では、物売りがアエーシと呼ばれるパンや、ジュース類を頻繁に売りに来る。

カイロに到着したのは夕方。カイロ最後の夜。疲れた胃に潤いを求め、中華料理屋に入った。そこで餃子と「Sweet Sour Pork」を頼んだ(イスラム教では豚肉は食べないが、ごくわずかの豚肉は流通しているようである)。
隣のテーブルでは、韓国人二人とエジプト人一人の学生風情の3人グループが食事をしていた。エジプト人が声をかけてきて、その3人と話したが、やはり韓国人っていうのは、日本的な礼儀正しさがあり、精神的に日本人に近い。楽しく会話が出来た。

さて、エジプトでの5日間を振り返ってみる。エジプトでもっともわずらわしかったことと言えば、やはり「バクシーシ」である。バクシーシとは、いわゆるチップのようなものであるが、チップとはその性質が大きく異なる。イスラムでは、金持ちが金のない人に金や物を与えるという考え方(「喜捨」)があるが、それがねじれた形となり、金を持たない者が金を持つ者に積極的にせびるようになってしまったのがバクシーシである。
とにかくエジプト人は、何かにつけて観光客に金を求める。商人が、他の途上国と同じようにボッタクろうとするのは別として、観光地では、ちょっとしたサービスに対して平気で金を求めてくる。例えば、遺跡を見て回っている時に、ガイドしてやると言って近づいてくる奴等は、100%バクシーシ目当て。「らくだに乗せてやる」ってのもそうだし、「写真を撮ってやる」っていうのも常套手段。写真を撮ってもらっただけで金払わなきゃならねえのかよ?と思うのだが、彼らはそれを当然だと思っているからタチが悪い。(日本での常識とは大きくズレているから衝突してしまう。まぁこれが旅行の醍醐味と言えば言えるのだが。)
あげないと露骨にいやな顔をするし(中には、急に機嫌が悪くなる奴もいる)、額が少なすぎると「これじゃ少ない」とさらにせびってくる。
アラブ商人の抜け目無さは、このイスラム教がバックグラウンドにあることは間違いないだろう。

また、食事は、正直言ってキツかった。基本的に、肉は羊、牛が主。特に中東では羊肉が非常にポピュラーだ。シシカバーブ(トルコでも有名)、コフタ(羊肉を使ったハンバーグのような料理)といった料理が有名。ただし、美味しいと思った食事は残念ながらあまりなかった。

さて、中華料理屋で時間をつぶした後、夜中の12時前に空港行の路線バスに乗って、カイロ空港に向かった。イスタンブールへは、午前3時15分発という殺人的なフライト(今回の旅全般に利用したトルコ航空は、これしか飛んでいないため)。だが、意外にも機内はほとんど満席。喧騒と混沌のカイロから、文明の十字路イスタンブールへ。朝5時過ぎ(時差なし)にイスタンブールに到着した私を、ゲート外で待っていたのは、これから旅の後半を共にすることになる、山内岳(やまうちがく)だ。
岳は、私が神奈川県・武蔵新城の塾で講師をしていた時の同僚で、歳は私の5つ下だ。彼は当時イギリスに短期留学しており、イスタンブールで私と合流しトルコを一緒に回ることになっていた。彼は、日大文学部出身で、歴史、特に世界史に造詣が深い。また、ギャグを連発する楽しい奴で、非常に私と気の合う男だ。
二人で空港のカフェで粉っぽくてメチャ苦いトルココーヒーを飲み、エアポートバスでイスタンブール市街地へ向かう。日本語を話すのが妙に久しぶりに感じる。
ここから、旅の後半トルコの6日間が始まった。腹痛は、まだ続いていた。

(続く) 
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