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エジプト旅行記
2000年5月・記
「Welcome To The Wonder World」(6)
〜ルクソール編〜

今日はカイロからルクソールに向かう日。朝4時起きで4時半にホテルをチェックアウトし、迎えのタクシーに乗り、国内線の空港へ向かう。(カイロには新旧2つの空港があり、新しい方が国際線、古い方が国内線と分かれているようだ)まだ外は真っ暗。5時過ぎに空港に到着し、チェックインを済ます。

朝5時過ぎだというのに、空港は多くの旅行客でごった返していた。日本人団体観光客も多い。ルクソールやアスワンといった上エジプト方面(ナイル川のより上流方面、カイロから南に下った地方)は、砂漠気候でカイロよりも断然暑さが厳しいため、早朝や夕方に観光することが望ましい。このため、みんな朝早くから移動して、朝のうちに見てしまおうという魂胆なのだ。

6:15発のルクソール行の飛行機は、ほぼ満席。1時間のフライトで、ルクソール空港に到着。そこには、ソブヒが手配したトラベルエージェントが私の名前の書かれたボードを持って待っていた。彼と挨拶を交わし、タクシーでホテルに向かう。
彼は人懐っこい顔をした男で、話してるうちに、裏表のない、信頼できる奴だと分かった。タクシーは20分ほど走ってホテルに到着。奴とロビーで打ち合わせをして、腹痛もあるし、今日は午前中は休んで、午後4時からの現地ツアーで、他の観光客と一緒にカルナック神殿とルクソール神殿を見ることにした。

ルクソールは、古代王朝後期に「テーベ」と呼ばれ、首都があった場所である。古代王朝前半では、ピラミッドが代表建造物であるのに対し、ルクソールでは、ナイル川を挟んで西岸に「王家の谷」や「貴族の墓」といった砂だらけの山の中に墓を掘った岩窟墳墓、東岸に壮大な神殿が集中し、当時の王家の隆盛ぶりを今に伝えている。エジプトでも随一の観光地であり、欧米から観光客が集まってくる。

ルクソール神殿、カルナック神殿とも、日本で言えば神を奉った神社のようなもので、アモン神という当時の国家の最高神の信仰のために建造されたものである(エジプトの古代文明は多神教である)。とにかくそのスケールは目を見張るものがある。立ち並ぶ柱の太さは直径2メートル、高さ23メートル。聳え立つオベリスク、ファラオの巨像、よくもまあ今から3500年も前ににこんな巨大なものを作ったな、とただただ驚嘆するばかりである。ルクソール神殿の1本のオベリスクは、エジプトからフランスに寄贈され、パリのコンコルド広場に建っているのを1年前に見たばかりであったので、ここから持っていかれたんだなと感慨を深くした。

次の日、同じツアーでルクソール西岸の王家の谷、王妃の谷、ハトシェプスト葬祭殿を回った。(ハトシェプスト葬祭殿は、97年11月にイスラム原理主義グループの外国人襲撃テロ事件で、日本人を含む58人の観光客が殺されたところである)
ルクソール西岸は、死者が葬られる場所であり、歴代の王の墓が、砂漠にある砂山の山道を上がっていった所に無数に存在している。見渡す限り茶色のみの世界。砂の山。墓は、砂山の中に掘られており、金銀財宝とともに数々の歴代の王がミイラとなり埋葬された。財宝は盗掘者によってほとんどすべて盗まれてしまったが、唯一盗掘者の手を免れて近代まで発掘されず手付かずだったのが、かの有名なツタンカーメンの墓である(黄金のマスク等その財宝の数々は、カイロのエジプト考古学博物館に展示されている)。ツタンカーメン自身は、10代で即位し、すぐに死んだため、ほかの王に比べ大した権力はなかったのだが、唯一財宝が発掘されたということだけで有名なのである。
公開されている墓は数10ヵ所にものぼるが、入場料は各墓で別なので、すべてを見るのは難しい。我々は、王家の谷と王妃の谷で合計6ヵ所ほどの墓を見た。墓の構造は、入り口から下に下る通路があり、その奥に部屋がある。墓によっては、この通路の壁一面に美しい象形文字がびっしりとカラーで描かれていて、素晴らしかった。棺が置かれている墓もあった。

さて、それではツアーに参加したメンバーにちょっとふれてみよう。ワゴン2台に分乗したメンバーは、エジプト人のガイド含めて全部で15人くらい。日本人は私だけ、あとはアメリカから来た年配の夫婦二組、カナダ人の学生バックパッカー、チリ人のバックパッカー、スコットランドのグラスゴーでIBMに勤務しているというドイツ人、アメリカ人の学生4人くらい。こいつらとの会話はなかなか楽しかった。ドイツ人のマイケルは、日本の歴史に興味があり、「とよとみ」とか「家康」とか「柔道」とか片言の日本語を話した。カナダ人とチリ人のバックパッカーとアメリカ人のおじさんは、俺のデジタルハンディカムにいたく興味を示し、「メモリースティック」だの「i−link」だの良く知っていた。アメリカ人のおじさんは、大きな8mmビデオカメラを担いで、盛んにビデオを撮っていた。チリ人の若者は、エジプトの後は、イスラエル→東欧と旅を続けるそうだ。全く羨ましい限りだ。1ヶ月くらいのスパンで旅をしているらしい。バックパッカーの神髄を見た気がした。カナダ人の若者は、日本に行きたいと考えてるらしく、物価をえらく気にしていた。というのも、チリ人の彼が東京に行ったことがあり、「ホテル代はじめ、物価が高いのには全く参った」とこぼしていたからである。まあ、確かにバックパッカーの行く所じゃないよね、日本は。

この日はとても暑く、気温は40℃くらいあっただろう。ナイル川を少し離れると、完全な砂漠気候で、ぎらぎらと太陽が照りつけ、からからに乾いている。
見る見るうちに1.5リッターの水が少なくなっていった。オーストラリアのエアーズロックを登った時と同じくらいの感じだ。腹痛は時々襲ってくるが、トイレに駆け込まなくちゃならないほどではなかったので助かった。まあ気力でカバーしたというところだろう。

その日ツアーから帰った後は、「フルーカ」と呼ばれる、ナイル川名物の帆を張った手こぎボートに乗って、ナイル川で夕涼みした。ちょうど夕暮れ時で、ナイル川西岸に沈む夕日を、ナイル川に漂いながら見ることが出来た。民族衣装の白い布のような涼しそうな服をまとった船頭のおじさんと二人で1時間のクルージング。ナイル川の真ん中まで来た所でおじさんはボートを止め、私にシャイ(紅茶)を振る舞ってくれた。私は何ともなしにおじさんに話しかける。
「イスラム教はたくさん奥さんを持てるんですよね?」
「あぁ、だけどそれは金持ちの奴だけだよ。」
「オジさんは奥さん何人です?」
「俺は一人だけさ。」
そのあとオジさんは、「エジプト人の男ってのはみんな強いんだ、日本人はどうだ?」なんてコトを言い出して私を苦笑させた。何にせよ、気のいいオジさんだ。

ナイル川を吹き抜けるそよ風が心地いい。夕暮れの中、エジプトの命・ナイル川の上で、数千年前の悠久に思いを馳せる・・・・。

夜のスーク(市場)にもまだまだ活気が残っていた。店先にはテレビが置かれており、エジプト国内リーグのサッカーの試合を流していて、店の主人もサッカーに一喜一憂している。やはり人気No1スポーツは、サッカーであった。
街を歩いていると、靴磨きの少年や物売りが引っ切り無しに声をかけてくる。その中で、変った質問をしてきた若者がいた。「英語で『おめでとう』は何て言うんだ?」私が、「Congratulationsだ」と答えると、「おお、そうか、ここに綴りを書いてくれ」と言う。話を聞くと、イギリスに住んでいるいとこが結婚するので、お祝い状を送りたいそうだが、英語が不得意なので色々悩んでいたようである。教えたやったお礼ということで、私は奴の店(例によって例のごとくパピルス屋)に案内され、たばこを勧められた。たばこを吸っている間、奴は私の名前を聞き、パピルス紙に象形文字で私の名前を書いてくれ、「お礼だ」と私にくれた。こういう体験も、旅ならではである。ちなみに、ここでは何も売りつけられなかった。

こうしてルクソールでの2日間が過ぎ去った。明日は電車でナイル川沿いを北上し、10時間かけてカイロに戻る。来た時と同じように飛行機で帰ってもよかった(所要時間はたったの1時間)のだが、エジプトでもトルコでも絶対に電車に乗りたいと思っていたので、時間はかかるがわざわざ電車で帰ることにしたのだ。飛行機は味気ない。その国のありのままを見るには、地上を走らないといけない。

(続く)                                                                                            
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