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ベトナム旅行記
2002年1月・記

(序章)成田にて


2002年1月3日、ベトナムへ。成田で現金をおろそうと思ったら、正月3が日なので、ATMが閉まっているではないか。慌ててクレジットカード用ATMでキャッシングしようと思ったが、普段カードで現金なんか借りてないから、暗証番号を覚えていなかった。結局カードでもおろせず、所持金4万円のみで1週間の旅行に出掛けることになった。


(1)ホーチミンの喧燥

成田から5〜6時間のフライトでホーチミン・タンソンニャット空港へ。ご承知の通り、以前は「サイゴン」という名の都市であったが、ベトナム戦争が終結し、南ベトナムが開放された1975年、ベトナムの国民的英雄・ホー・チ・ミンの名を冠した街となった。BGMはもちろん、ビリー・ジョエルの「グッドナイト・サイゴン」。
午後10時半、ホーチミンの気温は26℃。真冬の日本から、いきなり熱帯夜の暑さである。空港の出口を出ると、いるわいるわ、タクシードライバーの群れが。「タクシー?」とすぐに何人かのタクシードライバーに囲まれた。ここには、バンコクのようなエアポートバスはないため、タクシーで市内まで行くのが一般的だ(所要時間約20分)。まずは値段交渉。6万ドン(4USドル)(注)で落着。しかし、3日後、再び空港までタクシーで来たのだが、メーターでわずか44000ドンしかかからなかったので、失敗であった。(作者の愛読書「地球の歩き方」では「相場は6〜8万ドン、メーターで行け」と書いてあったが、6万ドンならいいだろうと思ってしまった。)

さて、ホテル探しだ。何しろ現金の持ち合わせが少ないため、クレジットカードが使えるホテルにチェックインせねばならない。旅行しているうちに分かったことだが、ベトナムではまだクレジットカードが使えるホテルやレストランが少ない。安宿ではほとんど使えない。結局1泊20ドルでクレジットカードの使える中国系ホテル(華僑が経営するホテル)を見つけ、まずはここで3泊することとした。ベトナムには中国人が多い(どこにでも多いが)。ホーチミンにも「チョロン」という巨大なチャイナタウンがある。
チェックインしたのはもう夜11時半頃であったが、どうにも腹が減ったので、飯を食うところはないかと外に出た。他のほとんどすべての店は閉まっていたが、数人が夜食を食べている屋台を見つけた。そこで食べていた親子と見受けられるおばさんと若者(右写真)に誘われ、ベトナム名物・米麺(ライスヌードル)を食べた。その美味しかったこと。この後旅の中で、幾度となく屋台で食べたが、麺に関しては、ここの有り合わせの材料で作ったような麺が一番うまかった。ちなみに、ここの麺は、フエの麺のような太麺であり、食感はちょうどうどんのようであった。

次の日、朝起きてみると街からクラクションの音が絶え間なく聞こえてくる。そう、ここはカイロやバンコクと同じく、クラクション天国なのだ。街に出てみると、凄まじい数のバイク。バンコクよりも圧倒的に多い。バンコクでは結構車が多かったが、ここでは車の数が少なく、ほとんどがバイク、次いで自転車。それらが、全く交通ルールの存在しない車道を走っている。信号はほとんどなく、あっても交差する道路に交通がなかったら無視している。道路上の車・バイク・自転車密度が高いため、各車間間隔が極端に狭い。そのため、前方のバイクや自転車を追い抜こうとする時は、必ずクラクションを鳴らすのだ。

まずは統一会堂(旧大統領官邸)へ。1975年4月30日、解放軍の戦車がこの官邸に突入し、ついにベトナム戦争が終結したわけである。その歴史的な場所は、現在は一般に公開されている。内部は当時を再現し、大統領応接室や会議室、宴会室、地下には、大統領司令室や暗号解読室等秘密軍事施設となっていた様子が見学できる。(統一会堂

注:「ドン」はベトナムの通貨単位。2002年1月時点で、1円=110ベトナム・ドン程度、1USドル=134円=15000ドン程度。
(続く)

                                             
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