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ベトナム旅行記
2002年1月・記
(2)ボッタクリ・メコンデルタへ

ホーチミンの街の中心部、30℃以上の炎天下のサイゴン大教会の前で、ベンチに座り、子供から買った椰子の実を飲んでいると、引っ切り無しに誰かが声をかけてくる。子供たちは絵葉書や切手、椰子の実を売っている。そんな中、一人の男が声をかけてきた。
「これからどこに行くんだ?」
奴は片言の日本語を話した。俺は、「またか・・・」と思いつつ、無視しようとした。奴はお構いなしにしゃべりつづける。
「これから予定がないのなら、メコンデルタに連れていってやるよ。」
私は、翌日にメコンデルタに行こうと思っていたので、そう言うと、
「いや、予報では明日は雨だから、今日中に行った方がいい。」
彼らの特性である「しつこさ」に負け、結局私は奴と共にメコンデルタに行くことにした。料金は、値切って28USドル。
ちなみに、ベトナムで有名な格安ツアーオフィス「シンカフェ」のツアーだと、メコンデルタ日帰りツアーは6〜7ドル。ただしこれは大人数で行くバスツアー。また、日本人スタッフ(または日本語を話せるスタッフ)が常駐しているツアーオフィスだと、小人数での催行可で、日本語ガイド付きで40〜50USドル(昼食込み)。こういった相場を踏まえ、28ドルならまあいいか、という判断をした。しかしこれが最悪の事態の始まりだった・・・・。
奴の車で、ホーチミン市内から、メコン川河口の村・ミトーへ向かう。ホーチミンの巨大なチャイナタウン・チョロンの雑踏を抜けると、急に見渡す限りの水田が広がる風景に変わる。ミトーまで1時間半の道のり。ホーチミンからミトーへの国道は、通称「ミトー街道」と呼ばれる。この道は、メコンデルタの穀倉地帯で取れた豊富な穀物や水産物をホーチミン市内に供給するという、ホーチミン市にとって経済的な動脈である。そのような背景から、ベトナム戦争時は、この道の支配権を巡り解放戦線と南ベトナム軍・アメリカ軍が激しく火花を散らした。
水田の中に、所々に白い墓が見える。これは、ベトナム戦争で戦死したベトナム人達の墓なのだと言う。ガイドの父親も、ベトナム戦争で戦死したそうで、彼は「アメリカは嫌いだ」と言ってはばからなかった。ベトナム人の口からアメリカに対する敵意を聞いたのはこの旅でこの時だけであったが、知れば知るほど悲惨な戦争である。そして、知れば知るほど「アメリカの傲慢」に嫌気がさす。まだ終結から26年しか経っていない。ベトナムの人達の心の中に、アメリカに対する憎悪が残っているとしても全く不思議ではない。韓国人や中国人が日本を憎むように。
ミトーは、メコンクルーズ拠点の街として活気がある。我々は、早速小型ボートに乗り込み、メコン川に繰り出した。茶色に濁った広大な川。ベトナムは、この川の恵みを目いっぱい受けている。豊かな水産物。名物・象耳魚を始めとする魚類、それとえび。(メコン川の風景)
ボートは、巨大なメコン川に浮かぶ中州の島を通り抜け、対岸のベンチェー村へ到着。その景色は、ジャングルに近い。ここでは、巨大なやしの木、バナナやパパイヤ、マンゴー、ジャックフルーツ等、あらゆる果物の樹が立ち並んでいる。ココナッツキャンディー工場を見学し、雑貨のお土産を買い、再びボートへ戻る。(ベンチェーの風景)
ここから、ボートはメコン川の細い支流に入っていく。まさに、ジャングルクルーズ!やしの木が川の上にせり出す中を、ボートがゆっくりと進む。15分ほど進み、果樹園を見学するために、再び我々はボートを降りた。そこは、果樹
園兼レストランのような場所で、多くの若者達が働いている。さらに、「KARAOKE」と書かれたプレハブのような小屋があり、そこでは日本語のカラオケも出来ると言う。ガイドが、
「ここで飯にしよう。えびと象耳魚だぞ、うまいよ。」
というので、カラオケボックスに入った。ここに来てやっと私は何かおかしいことを感じた。
「この飯代、まさか・・・・?」
このカラオケボックスで、私は人生で最大とも言える屈辱を受けることとなるのである・・・・。
(続く)
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