HOME > THE WORLD > Europe > Iberia_North Africa > (2)
イベリア半島&北アフリカ旅行記
2007年12月〜2008年1月
(2)マドリード、さらにリスボンへ
マドリードの象徴、マヨール広場(プラサ・マヨール)
プエルタ・デル・ソル(太陽の門)
ビートルズ大道芸(王宮前)
王宮
冬枯れのマドリード街路樹とバス通り
デパートの前に集まる浮かれ切った群衆
マドリード地下鉄の自動券売機
マドリード→リスボンの超豪華バス
スペイン片田舎ののどかな風景、羊飼い
リスボンの夜(ロシオ広場周辺)
バルセロナ発マドリード行きの夜行列車エストレージャ号の2等は、6人定員のコンパートメント。両側に3段のベッドがある。することもないので、すぐ寝る。ほぼ定刻、12月23日日曜日の朝7:20にマドリード・チャマルティン駅に到着。まだ外は真っ暗。駅で明日のリスボン行きの夜行列車があるかを聞いたが、案の定明日は運休とのこと。スペインでは、12月24日、25日のクリスマス時は、ほとんどの公共交通機関が止まってしまうのだ。バスもないんだろう。
地下鉄でマドリードの中心部、プエルタ・デル・ソルへ。ここの地下鉄は、1ユーロ。1.25ユーロだったバルセロナより安い。
朝8時でようやく外は明るみが差してくる。8:30、ほとんど人が歩いていない。ホテル探すのに一苦労。クリスマスシーズンだけあって全然空いていない。やっとのことで1泊35ユーロ(約5775円)のオスタルに1泊だけ取れた。1泊50ドル以上のホテルなんて、日本以外では何年ぶりに泊まったろう?もちろんトイレシャワー付。ドライヤーが完備している部屋なんて信じられない。
しばらく休んで、朝飯を食った後、マドリードの街を歩き始める。雨の心配はなさそうな、明るい曇り空。マドリード。ここが、16、17世紀に全世界に途方もない版図を誇ったスペインの首都。ここから、数多くの征服者たちが全世界へ旅立った。全世界の植民地の住民にとっては、不幸の発信基地がこの場所だったのである。今はもう、かつて大航海時代の栄光にすがりつつ、坂道を転がり落ちるだけのスペインであるが、このマドリードは当時まぎれもなく世界の中心地の一つだったのだ。当時の面影を漂わす匂いを、この街のどこに嗅ぐことができるのか、僕にはよく分からない。だが、街のたたずまいは、きっと当時からあまり変わらずに今に残っているに違いない。
マヨール広場(プラサ・マヨール)。マドリードの中心。ブリュッセルのグラン・プラスを思い出させる、四方を四角い建物に囲まれた四角い広場。
サン・イシドロ教会。この頃、外には日差しが出始めた。スペインに来て初めて見る太陽である。
王宮。雲は雑巾で拭い去るように瞬く間に去り、空はすっかり青く晴れ上がった。王宮前では、ビートルズ操り人形大道芸の二人組が踊っている。カップルと見える男女二人組が、ビートルズの曲をラジカセで流しながら、ビートルズの4人組人形が立つ舞台の裏側から糸で彼らを操っている。黒山の人だかり。スペインでもビートルズの知名度は群を抜いている。それにしてもこんな芸を初めて見た。
王宮内部。全世界から略奪してきた品物をキンキラキンに飾り立てている。スペインが乗りに乗っていた時代の遺物。3日くらいいたらきっと気が狂うであろう、悪趣味な装飾でゴテゴテにされた部屋。武器の部屋。植民地を制圧したときのばかでかい壁画がいくつも掲げられている。それには、カトリックの騎士が異教徒を皆殺しにしている姿が描かれているのだが、先住民は化け物に描かれていて、彼らの異教徒に対する考え方が如実に現れている。異教徒とは、人間ではなく動物同然の化け物なのである。
スペイン広場。グラン・ビア通り。スペイン人の群れ。歩く人々の顔立ちは多彩だ。チロチロの白人系、アントニオ・バンデラス系のいわゆるラテンのギトギト系。エクアドル料理店を一軒見つける。アンデスからやってきたと思われるインディヘナ系もちらほら見られる。そしてアラブ人。スペインがたどってきた歴史を物語っている。
スペイン人は、スペインに住む中南米人のことをどう思っているのだろうか。そしてスペインに暮らす中南米人は?
物価はバルセロナよりは多少安いようだがそれでも笑うくらい高い。ここでも昼飯の高さに叩きのめされる。朝食でトルティージャとコーヒーで平気で3.15ユーロ。昼飯の定食で9ユーロ。昼は少しでも安いレストランを探し回るが、どこもかしこもほぼ同じ値段。
街はクリスマス一色。明日が24日。街は若者や家族連れですさまじい賑わい。道が人間で埋め尽くされている。デパートの前では、何を待っているのか、まさに群集が詰め掛けて建物の方を見ている。クリスマスのお祭り雰囲気に弛緩し切った顔、顔、顔。
ゴミ溜めのマドリード地下鉄
マドリードでまず何が何でも特筆すべきことは、地下鉄駅構内のゴミ溜めのような汚さである。これはすべての生きとし生ける日本人旅行者が間違いなく一番驚くことだろう。
一般的に先進国とか発展途上国とかいうけど、GDPかなんかによるこの区別の仕方が妥当かどうかは別として、これら両者で顕著に違う点といえば、街にゴミがどれだけ散乱しているかどうかである。何だかんだ言って、この観点から見ると、先進国と呼ばれる国には、あまりゴミが落ちていなくて、発展途上国と呼ばれる国は、街全体がごみ溜めのようになっている。この区分けでいけばやはりスペインは先進国ではない。これだけ地下鉄がゴミ無法地帯になっていることは、スペイン国鉄の実情を表しているだけなのかもしれないが、公共の場が結局そのままゴミだらけで放置されていることが政治・行政の無為、無能を証明していると僕は感じた。
『マドリード=地下鉄ゴミ溜めの街』がすべての旅行者の頭に焼き付けられることだろう。
地下鉄運賃はバルセロナ1.25ユーロに対して、マドリード1ユーロ。
マドリードの地下鉄車内では、「次は〜です」というアナウンスが入らないことがしばしばあり、また車内表示も別の路線だったりして不親切。旅行者に冷たい。バルセロナでは車内アナウンスも行き先表示も完備されていた。
車内でケータイで話す30代前半くらいの女を、隣のオバさん3人組が代わる代わる白い目で見つめる。しかし女はどこ吹く風で知らん振りで話し続ける。そういえば、スペインの地下鉄には「ケータイ禁止」の表示はない。
地下鉄の中で公然と抱き合うカップル。司馬流に言えば、二枚貝のようにくっついたまま動かない。日本でも最近ではそういう光景が公衆の面前で展開されるのも珍しくなくなったが、僕は古風な日本人の一人として、このような光景からは目をそむけたくなる。
マドリードでは、”OK”の意味で”Vale”が使われる。みんなバーレバーレ言ってる。南米ではこの言葉はあまり使われない。
マドリードの空港へ行き、リスボン行きの航空券を調査。何と料金は342ユーロ(6万円弱)。これをボッタクリといわずして何をボッタクリというのか。わずか1時間10分のフライトで、6万円。バスや電車が運休するクリスマスという季節要因はあるにせよ、この暴挙は許しがたい。ふざけやがって・・・。これはどう考えても物事の道理に反する。僕はいつものように空港で途方にくれる。いくら旅程完遂がモットーの僕でも、このあこぎさには二の足を踏まざるを得ない。時間を金で買うにもほどがある。そうすると、どうやってリスボンにたどり着くか。
少しは迷ったが結局航空券は買わずに、スペイン最大の南バスターミナルへ。明日のリスボン行きのバスを聞いてみたら、何と午前便だけはあるというではないか!本当は明日はエスコリアル宮を見て、夜行でマドリードからリスボンへ向かいたかったんだけど、この非常事態では仕方ない。明日の朝、バスでリスボンへ行くことに決めた。マドリード滞在はわずか1日だけとなったがやむを得ない。トレドもエスコリアル宮も行けないことになったけど、リスボンへ馬鹿げた飛行機なんかに乗ってられないし、この物価高では金がいくらあっても足りない。スペインは次にヨーロッパ来るときにゆっくり回ることにして、早々にポルトガルへ移動する。時間は有限だ。
12月24日月曜日。クリスマス前日。朝6時半起床。7時にホテルを出て南バスターミナルへ。7時といえば8時半頃にやっと明るくなるマドリードではかなり早く、もちろん外は真っ暗。地下鉄はちょっとヤバイかと思ったが、犬を連れた警官やセキュリティの人たちがたくさんいて全然OK。乗客も結構多い。
バスターミナルでは、9時半発のリスボン行きチケットを余裕でゲット。44ユーロ。飛行機の8分の1。
僕は朝9:30発の国際バスで、マドリードからポルトガルの首都・リスボンへ出発した。バスは超豪華。何と一列に3席しかない。通路を挟んで、右側2席、左側1席。しかも前後シートの幅はゆったり。今までに乗ったどのバスよりもくつろげる。よかったよかった。こんなバスがあるとは。しかも空席が目立つ。車内では備え付けのモニタにDVD映画が上映され、高速を走る車に揺れはなく、快適そのもの。乗客は黒人が多い。マドリードのバスターミナルにも黒人旅行者が多かった。マドリードからは西ヨーロッパ、東ヨーロッパ各地への国際バスが発着している。
バスはイベリア半島中央部を一路西へと走る。緑の大地と、遠くに丘が見える。何もないスペインの赤茶けた痩せた大地を予想していたのだが、思ったよりも緑が豊富だ。途中、トイレ休憩、昼飯休憩後もう一度トイレ休憩。休憩のガソリンスタンド兼レストランでは、スペイン片田舎ののどかな風景が展開している。一人の羊飼いが、犬を連れて羊を移動させていた。空は快晴。
バスはスペイン西部の街メリダとバダホスを経由する。クリスマスイブの午後、街には人影がない。冬とは思えないあふれる陽光の中、バスの車窓から見る街は死んでいる。みんな今頃家の中で、今晩から始まるカトリックの一大イベント、家族との大団欒の準備をしているのだろうか。
バスはポルトガルへ入る。EUなので国境越えの煩わしい入国審査も、パスポートチェックさえもなし。止まることもなくサラリとそのまま道を走り続けてポルトガルイン。こんな陸路国境越えがあるとは。もちろん通貨もユーロで共通なので、普通なら国境で入国審査とともに百戦錬磨のインチキ両替商と渡り合ってその国の通貨を手に入れなくてはならないけれども、そういう面倒も一切なし。
バスはマドリードからおよそ9時間でリスボンに入る。ポルトガル時間午後5時前。大きく傾いた西日を受けながらバスがテージョ川にかかる長大なヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡るときは、胸が高鳴った。巨大な河口。大航海時代、ここから命知らずのポルトガル人たちが新しい世界へと旅立ったのである。
リスボンに入ったバスは、最終目的地セッテ・リオスバスターミナルに到着。日が暮れる。ここからメトロ(地下鉄)ブルーラインに乗ってリスボン中心部、レスタウラドーレスへ向かう。地下鉄車内で、駅を乗り過ごさないように、駅に着くたびに外のホームを見て駅名を確認していると、近くに乗っていた親切なおばさんが、車内電光表示を指差した。ここに次の駅の表示があるのよ、と教えてくれた。いいんじゃない、リスボン。
ペンシオン(安宿)を探すため、僕は地下鉄をロシオ広場で降りた。ロシオ広場は、長方形で、真ん中にモニュメント塔が建っている。まずエスタシオン・セントラルという宿にあたる。素晴らしくきれいだったがバス共同で26ユーロ(約4300円)と高く、次に行ったSanto Turnoが15ユーロ(約2500円)だったので、大分グレードは落ちたがここに決めた。
チェックイン後腹が減っていたので外に出る。「メリークリスマス」の電飾に彩られたリスボンの夜は、今日バスで走り抜けてきた街々とは一転して、クリスマスイブらしい賑わいを見せていた。随所のライトアップが見事。しかし、ペンシオンのジョン・マルコビッチ似のオヤジも言っていたのだが、クリスマスイブということでレストランはほとんど閉まっている。サンドイッチでも買おうと思って近くのスーパーに行ったが、ちょうど8時で閉まったところだった。仕方なくロシオ広場沿いに開いていたケーキ屋で、小ケーキ2個とコーヒーで済ます。この店はかなりの賑わいだ。
今日は早く寝るしかなさそうだ。広場のベンチに座って人々をぼんやり眺めながらタバコを吸っていると、一人の貧乏そうな若者が声をかけてきた。
「タバコ1本くれないか?」
僕は一瞬考えたが、一本やった。イエメンで僕も何度か現地人にタバコもらってるからなー。ただスペインではタバコをせがまれることなど当然一度もなかった。途上国と呼ばれる国にいくと珍しくないが。ポルトガルの人々の経済状態が何となく推察される。浮浪者とまではいかないが、みすぼらしい身なりの男がこの広場界隈には何人か見える。
リスボン冬の夜は結構寒い。ロシオ広場も始めは賑わっているように見えたが、実はこれはいつもに比べて人の数は多くないのかもしれない。
よくよく見ていると、黒人も多い。バルセロナとマドリードではほとんど見かけなかった。
ペンシオンに戻り、シャワーも浴びずに眠りにつく。
(NEXT)
(BACK)
(イベリア半島&北アフリカ旅行記 1−2−3−4−5−6−7−8−9−10−11−12)
HOME > THE WORLD > Europe > Iberia_North Africa > (2)