HOME > THE WORLD > Europe > Iberia_North Africa > (4)
イベリア半島&北アフリカ旅行記
2007年12月〜2008年1月
(4)ヨーロッパ大陸最西端、再びスペイン、そしてジブラルタル海峡を渡る
テージョ川の対岸、カシーリャスから見たリスボン市街
ヨーロッパ最西端から西に見る大西洋。
やっぱり地球は丸い
ロカ岬
ロカ岬の昼飯(魚フライ)
ペーナ宮殿(シントラ)
広場のクリスマスツリー(シントラ)
カテドラル(セビーリャ)
グアダルキビル川(セビーリャ)
アンダルシアの白い家々
バレンシア風パエリャ、シーフードたっぷり
(アルヘシラスのレストラン)
地中海に沈む夕日(ジブラルタル海峡)
ビッカ線
ロカ岬の碑
12月27日木曜日。リスボンは今日も快晴。今日はロカ岬とシントラに行く。まずはカイス・ド・ソドレ駅近くの、名物ケーブルカー・ビッカ線に乗る。『地球の歩き方』でも、リスボンの表紙ページにこのケーブルカーの写真が載っている。住宅街の間の細い急坂を、一直線に登る。距離は短いが、そこから見える風景は重層的で秀逸だ。坂の上からは、家々と電線の向こうに、テージョ川の青がのぞく。リスボンという街は、本当に絵になる街である。坂とケーブルカー、青い河と茶色屋根に白壁の家々。
7月24日通り。最近の日本映画『7月24日通りのメリークリスマス』(大沢たかお、中谷美紀主演)の題名にもなっている通りには、リスボンの台所・リベイラ市場がある。
その後、対岸のカシーリャス行きのフェリーに乗ってテージョ川を渡る。遠くから見ると青いテージョ川だが、船で渡るときに間近で見ると、茶色だ。近くが茶色で、少し遠くが青茶色、遠くが青。不思議なもんだ。
対岸から、リスボンの街がパノラマ写真のように展開する。風が強い。
再びカイス・ド・ソドレ駅に戻り、郊外列車に乗って、ベレンを通り過ぎカスカイスへ。ベレンを過ぎるとテージョ川は河口となり、その先左に広がるのはもはや大西洋だ。カスカイス駅からバスに乗ってロカ岬へ向かう。オバちゃん日本人二人組もバスに乗り込んだ。バスは大西洋岸の絶景道を走る。緑の丘が連なり、そこにへばりつく色とりどりの屋根を持つ家々。その向こうには青い大西洋が広がっている。冬でも暖かい西岸海洋性気候だと、昔習った。
ロカ岬へのバスの車窓風景
ロカ岬。沢木耕太郎の『深夜特急』では、アジアから始まるバスの旅の終着地である。主人公がここまで来て、旅の終了を決意し、公衆電話から日本に電話をかけようとするラストは、あまりにも有名だ(違う?→違った。ポルトガル南端のザグレスで終了を決意し、ロンドンまで渡ってそこから電報を打とうとするんだった)。
今日も怖いくらいに天気がいい。ヨーロッパ大陸最西端から、大西洋を見渡す。ここは急峻な崖になっていて、下を覗き込むと白い波が断崖の磯に砕けている。大西洋。海が青い。濃い水色とでも言えばいいだろうか。
岬には、「ヨーロッパ最西端」の碑が経っている。高さ5m位の碑には、頂に白い十字架を乗せ、カモンイスが詠んだ詩が刻まれている。
『ここで地終わり、海始まる』
往時のヨーロッパ人たちは、ここが地の果てで、この先は海しかないだと信じていた。大航海時代、この「地の果て」から、海を渡って地球を横断する人間たちが現れたのだ。
一軒だけあるレストランで昼食を取る。魚フライ。+サラダ+フライドポテトのワンプレートで9.6ユーロ(約1500円)。クソッタレが。
ロカ岬からバスでシントラへ。シントラは、リスボンの西28km、ロカ岬からは東へ10kmくらいのところにある、森の中の街だ。かつての王家の離宮であった王宮を中心として、貴族の宮殿や金持ちの別荘が森の中に点在する。ポルトガル国内でも有数の観光地だ。ムーアの城壁、ペーナ宮殿は、バスで曲がりくねった山道をグングンと登った森の中にある。山の山頂、標高500mにあるペーナ宮殿は、1850年に完成、イスラム、ゴシック、ルネッサンス等様々な様式の建築手法が用いられ、統一感のない妙な印象を与える。ヨーロッパの宮殿というよりは、ディスニーランドにありそうなおとぎチックな外観だ。だがこれが山の上に建ち。そこからのシントラ山系の眺めは圧巻だ。
それにしてもどの施設も入場料がバカ高。今回の旅行はこればっかり言ってる。
冬の弱い太陽が沈みかけている。僕は山を降りた。
シントラの街は、日が暮れるとライトアップした。クリスマスの名残りの巨大ツリーが、広場にたたずんでいたが、夜になると突然電飾で光り輝きだした。
シントラ駅から、電車でリスボンへ戻る。電車が今にも発車しそうだったので、切符を買わずに電車に飛び込んだ。しばらくすると、車掌が検札に来た。事情を話して切符を車内で買おうとしたのだが、車掌は怒って僕に説教を始めた。
「タダで乗ろうとして、どうするつもりだ?」
「お前は日本人か?日本人ってのはそんなズルをする人間なのか?」
「いや、時間がなくて切符を買う暇がなかったんだ。今払うからさ、リスボンまでいくら?」
だが、車掌は切符を売ろうとせず、相変わらず怒っていて、取り付く島がない。
(一体、どういうことだ?駅では改札がないんだから、車内で買ってもいいだろう?)
車掌は、結局僕に説教をかますだけかましたが、ひとしきり怒ったら、さっさと行ってしまった。結局僕は無銭乗車したことになったのだ。何者なんだ、ここの車掌は?
ホテルで預けていたバックパックを受け取り、セッテ・リオス・バスターミナルへ向かう。今日は夜行バスで再びスペインに入り、セビーリャに行く。バスが出発したのは午後9時半。バスは来たときとと同じように、テージョ川にかかるヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡りリスボンを離脱する。街の灯が流れる。
バスは快適だ。夜中12時前にサービスエリアのようなところでトイレ休憩。外はえらく寒い。
バスが再出発して程なく僕は爆睡に落ちた。そして次に車内アナウンスで目が覚めると、バスはもうセビーリャに着いていた。
爆睡しているところ、遠くからだんだん声が近づいてきた。
「セビーリャ!!」
そう、セビーリャにもう着いてしまったのだ。スペイン時間の12月28日朝5時半。リスボンを出てから7時間。外は真っ暗。
半分寝たままでバスを降りる。バックパックを受け取り、外がとてつもなく寒いので目が覚める。しばらく極寒の中で待っていたが、やがてテルミナル(バスターミナル)(※注1)の鍵が開いて、建物が開いた。バスを降りた旅行者たちは、ぞろぞろと建物の中に入って寒さをやり過ごす。他の乗客は、知り合いの車に迎えに来てもらったりして、だんだん少なくなってゆく。それでも、朝を待つ旅行者は、テルミナルのいすに腰掛けてじっとしている。テルミナル内のレストランやカフェはまだ閉まっている。
とにかく寒い。リスボンよりもセビーリャは数段寒い。もちろん、夜明け前だということはあるが、それでもひどく寒い。
20センターボ払ってトイレに入り、クソをする。金払って入るのにトイレットペーパーがない。仕方なく、常に持ち歩いているペーパーを使って用を足す。
再びベンチに戻ってじっと寒さに耐える。7時過ぎ、カフェが開店した。コーヒーを頼んで、カフェのいすで眠る。まだ外は真っ暗。ヨーロッパの冬は夜が長い。それでも、朝仕事前の通勤の人々なのか、カフェは徐々に賑わってくる。
8時半。ようやく朝となる。カフェでの冬眠から、活動再開。外は7℃。死ぬほど寒い。いくら早朝とはいえ、スペインでも温暖な南部アンダルシア地方のセビーリャがこの寒さとは想定外だ。
テルミナルの近くの停留所からバスに乗ってプエルタ・デ・へレスへ。セビーリャといえば、カテドラルである。ヨーロッパで三番目、スペインで一番大きい教会が、このセビーリャのカテドラルである。その象徴であるヒラルダの塔は、12世紀にイスラム教徒により建てられたモスクの尖塔。つまり、このカテドラルは、キリストとイスラムが一部融合しているのだ。(イスラムとキリストの融合といえばコルドバのメスキータが最も有名ですが)
このカテドラルには、あのコロンブスの墓がある。当時のスペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバラ、アラゴンの4人の王がその棺を担いでいる。この国でのコロンブスの偉大さが分かる。
近くにはアルカサルがある。ここは、イスラム時代の城を、レコンキスタ後にキリスト教の王たちが改築したものである。
僕は今回のスペインではバルセロナとマドリッドとセビーリャのみにしか行かなかったが、時間があればコルドバとグラナダに行きたかった。スペインという国は、西欧の中で、「イスラム(アラブ)に支配された」という特異な歴史を持つ国である。カトリックの大御所的イメージがあるが、歴史上宗教的に特殊な過去を持っているのだ。スペイン人たちはそれを認めたくないようである。
コルドバとグラナダは、アラブが黄金時代を飾っていた7世紀頃にイベリア半島の中心地として繁栄した都市である。当時すべてにおいて最先端だったイスラム文化は、レコンキスタでキリスト教徒がイベリア半島を奪回するまで、これらの都市を中心として熟成され、花開いたのである。スペイン各地には、イスラムの影響が濃い部分がしばしば現れてくる。
かつてユダヤ人街だったサンタクルス街を歩く。細い路地と白壁の建物。日が昇るにつれ、雲が晴れてきて、気持ちのいい晴天となった。
グアダルキビル川。これこそが、セビーリャで僕が見たかったものである。なぜか。
僕の好きな作家の一人に遠藤周作がいるが、彼の作品の中で一番好きなのが『侍』である。『海と毒薬』、『沈黙』、『白い人』、『深い河』などなど、彼の傑作は多いが、『侍』は傑作と言うより大作、力作と言う方がふさわしい小説である。この物語は、慶長遣欧使節団を率いてメキシコからスペイン、ローマへと船で旅をした支倉常長と、同行した神父をモチーフとし、日本人と宗教、キリスト教を考えさせる遠藤周作得意のテーマを持つ。キリスト教に全く縁がなかった伊達藩の一地侍が、遣欧の大役を担うことになり、宮城県の月の浦を出航してから(※注2)、7年に及ぶ長いヨーロッパへの旅、キリスト教世界での体験、ローマ法王との謁見を通じて、その内面を変化させていく様子が丹念に描かれている。
その「侍」がヨーロッパに着き、このグアダルキビル川を遡ってきて、セビーリャの街にやって来るのだ。大航海時代当時、セビーリャとグアダルキビル川は、中南米から黄金や銀を持ち帰る船がひっきりなしにやって来て、略奪によるスペインの栄華を象徴するように繁栄したのである。物流の大動脈だった河は、それほど大きな船が行き来できるとは思えないくらいの、こじんまりとした流れだ。今は穏やかな冬晴れの中で、落ち着いたたたずまいで緩やかに流れている。
実際の遣欧使節団は、セビーリャ近郊の街コレア・デル・リオに長期滞在したそうである。遣欧使節団のうちの数名は日本へ帰らずにここに残り、その子孫は、彼らの名残りでハポン(日本)という姓を名乗っているそうである。現在でも約600人のハポン姓のスペイン人がいるとのこと。使節団一行がヨーロッパに着いたのが1614年頃だから、すでに400年が経とうとしている。400年前に日本人の侍がここへ来た。こんな遠くに。歴史とはかくなるものなり。
そんなことを考えながら、陽光が反射して輝くグアダルキビル川の流れを、ボーっと眺め続けた。
昼過ぎ、僕はセビーリャのサン・セバスチャンバスターミナルから、スペイン最南端の街、アルへシラスへと慌しく向かった。セビーリャでの活動時間はわずか4時間ほど。13時出発。
バスは晴れ上がったアンダルシア地方を走る。南に向かうにつれ、赤茶けた大地が緑色に段々と変わっていく。林が増えてくる。風力発電の巨大風車が、遠くに幾本も立っている。街に入ると、山の斜面に所狭しと並ぶ白壁の家々。白が空の青に映えて鮮やかだ。
バスはセビーリャからおよそ3時間半でアルへシラスへ到着。午後3時45分。スペイン南端のこの港から、僕はフェリーでジブラルタル海峡を渡り、モロッコに渡る。
ただその前に。遅い昼飯を食べに、アルヘシラスの大通り沿いの食堂へ。腹ペコ。ここでバレンシア風パエリャを頼む。美味い。それにミックスサラダにオレンジ100%ジュース。イベリア半島に来て以来、飯代が高いからろくな物を食っていなく、栄養のバランスが崩れて口内炎がいくつも口の中に出来てしまっていた。口内炎がしみて、パエリャを泣きながら食ったが、とにかく美味かった。これで口内炎地獄ともおさらばだ。すべて合わせて10ユーロ(約1600円)だったけど、満腹になった。これならいいさ。
このレストランは、アラブ系の人がやってる。さすがモロッコが近いだけある。
大型フェリー船は午後5時出航。乗り場にスペインの出国審査があり、出国スタンプを押してもらう。
船に乗り込む。船内は閑散としている。乗客は5人くらいか。他はすべてクルー。バーレストラン、お土産屋、モスク部屋などがあるが、店員たちは誰も客がいないので手持ち無沙汰状態。船内で係員に言われて、すぐに入国カードに記入、パスポートにモロッコ入国のスタンプを押してもらう。
地中海に夕日が沈む。午後6時15分。僕は、オレンジ色に燃える太陽が水平線の向こうに顔を隠す一部始終を、甲板からずっと見ていた。ジブラルタル海峡は、地中海が最も絞られて狭くなる部分である。ユーラシア大陸とアフリカ大陸との距離、わずか数十km。
海上は闇に包まれた。午後8時、船はモロッコのタンジェ港に到着。アルヘシラスから3時間。ヨーロッパからアフリカへ。港にはオレンジ色の街灯がいくつも浮かんでいる。
スペインでもポルトガルでも、誰も僕に声をかけてこなかった。久しぶりにそういう国へ行った。司馬氏がその著書の中で、バスクを含めたスペインに対し、ポルトガルの方をえこひいきでもするかのように絶賛していた理由は何となくしか分からなかったが、僕は、スペインよりもポルトガルの方が人がのんびりしているように感じた。ま、僕はスペインの都会にしか行っていないので田舎に行ったらまた話は違うのだろう。
そんな久々の”欧州”を後にして、ここモロッコはがらりと変わって、もちろん僕の期待通りの国なはずである。今まで緩み切っていた心のタガを締めなおし、僕はタラップを降り、モロッコに上陸した。
(※注1) 中南米ではバスターミナルをテルミナル(terminal)と言うが、スペインでは、エスタシオン・デ・アウトブス(estacion de autobus)と言うようである。
(※注2) 石巻で建造された帆船、サン・フアン・バウティスタ号で出航。現在、石巻にはサン・フアン館というテーマパークがあり、復元されたバウティスタ号と、慶長遣欧使節団と支倉常長の資料展示館がある。
(NEXT)
(BACK)
(イベリア半島&北アフリカ旅行記 1−2−3−4−5−6−7−8−9−10−11−12)
HOME > THE WORLD > Europe > Iberia_North Africa > (4)