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イベリア半島&北アフリカ旅行記
2007年12月〜2008年1月
(5)モロッコ組みし易し、タンジェからフェズへ
モロッコ地図
タンジェの港に到着
タンジェのアラブ的内装の安宿
タンジェのメディナ。白壁に青い空。
プチ・ソッコ(タンジェのメディナの小広場)
モロッコのメディナの入り口の、独特の形状の門
タンジェのプチタクシー(小型タクシー)
青空と地中海
タンジェ発ラバト方面行き列車の2等車
モロッコ人のエンジニアの若者
12月28日の夜8時。僕はイベリア半島からアフリカ北西部のモロッコはタンジェに、船で上陸した。船を下りてくる旅行者に、これでもかこれでもかと群がってくるモロッコ人物売りやガイドの大群を予想していたのだけれど、上陸は至って平穏スムーズ。誰も寄ってこない。僕は拍子抜けを感じる。
(あれっ、モロッコって、こんなとこ?)
「スペインからジブラルタル海峡を渡ると、そこは別世界だった」という誰かの言葉を僕はよく覚えていて、きっとアメリカからリオ・グランデを渡ってメキシコに入ったときの感覚に似ているんだろうなぁなどと期待していたのだが、思わぬ展開。
港から街へと続く短い大通りを歩くと、ガイドとタクシーの運ちゃん数人がやっと声をかけてくる。だが押しは弱い。しつこくない。「No」と言うとすぐに引き下がる。
城壁を越して、旧市街メディナに入って安宿を探す。いきなり狭い路地裏と人の賑わいが現れる。ここからはさすがに宿ガイド野郎がワラワラと寄ってくる。
ひとり、特にしつこい奴がずっと僕についてくる。見たところ30前後の甲斐なし男といった風情。とりあえず奴のいうホテルを数件回って部屋を見せてもらうが、コンセントがある部屋がない。どうやらモロッコの安宿には電気のコンセントなどないようだ。相場は、一番安い宿で1泊50DH(約750円)程度。ただし昨日夜バスだったため、今日はどうしてもデジカメとビデオを充電しなくちゃならなかったので、それを奴に言うと、「そんなのフロントでいくらでも充電出来るさ」と言う。確かに、今までフロントに預けて充電してもらったことも何度かあるが、まずモロッコに入ったばかりで、無条件に始めから人を信用するわけにはいかない。
結局、1泊100DH(約1500円)と高かったが、ガイド男に連れられて行ったホテルに、コンセント付の部屋を見つけてチェックイン。それでもスペイン、ポルトガルよりは断然安い。ガイド男は言う。
「ここのオーナーは、元警察官だから、セキュリティはばっちりなんだ。」
(そういう宿こそドロボーと結託してたりするんだよなー。ま、タンジェは今晩1泊だけだから、とりあえず鍵が閉まればいいさ)
そして、奴は露骨に紹介料を要求してきた。僕は拒否。
あまりにしつこいので、小額のユーロの小銭を1枚やると、「こんな小さい金はここでは使えない」と言う。「それならお前にやる金はない。おやすみ」と言ってドアを閉めた。奴は苦々しい顔つきをしてようやく引き下がった。
疲れていたが、しばらく口内炎が痛んで眠れず。だがいつの間にか眠りに落ちた。
翌12月29日土曜日。タンジェは快晴。朝8:20起床、タンジェのメディナを散策する。メディナとは、モロッコの街の旧市街のことで、通常モロッコの古い町は、アラブ人が進入してきたときに作られた街で、城壁に囲まれた要塞都市となっている。この城壁内部の街をメディナと呼ぶ。モロッコのほとんどの街は、このメディナ(旧市街)の周りに、19世紀以降新しく建設された新市街が存在するという構成となっている。タンジェのメディナでは、白い四角い建物が、地中海の陽光と青空に鮮やかに映える。白い建物が多いのは、ジブラルタル海峡を隔てた対岸のアンダルシア地方に影響されているのだろうか。
天気がいい。
プチ・ソッコのカフェで朝食。チーズを挟んだフランスパンとコーヒー。
その後、グランモスク、グラン・ソッコ、カスバ要塞を歩く。
カスバ要塞の裏には、青い地中海が広がる。天気がよく、青い海は開放感を増幅する。子供たちが石を投げて遊んでいる。昨晩到着した港も、船着場に大型船が行き来していて活発感がある。
カフェでモロッコ名物ミントティーを飲んだ後、11時過ぎにホテルをチェックアウト。12時ごろにグラン・ソッコからプチタクシー(※注1)でタンジェ・ヴィラ駅へ。(余談だが、ここモロッコは20世紀始めにフランスの保護領だったことから、フランス語が広く話されている。フランス語で「小さい」という意味の「プチ」がよく出てくる。ここタンジェは、スペインと目と鼻の先にあるため、スペイン語を話すモロッコ人も多いようだ)
『シェルタリング・スカイ』で使われた中庭
ここタンジェのメディナには、映画『シェルタリング・スカイ』のロケ地となった中庭を持つ安宿、ペンション・パラスがある。ペンションの陽気なニーちゃんに断って、中庭の写真を撮らせてもらう。
タクシーでは早くもボッタクリ注意報が発令。グラン・ソッコからタンジェ・ヴィラ駅に行こうとして、グラン・ソッコで知り合ったガイドオヤジが僕のために捕まえたプチタクシーは、タンジェ・ヴィラ駅まで3ユーロ(33DH)という大吹っかけ。おそらく、ガイドと運転手がグルなのだろう。完全拒否し、次に捕まえたタクシーは、始め20DHと言っていたが、15DHまで値切って決着。モロッコのタクシーは韓国と同じで相乗りなので、この値段で十分なのだろう。まずはモロッコのボッタクリの具合を確認できた。やはり自称ガイド野郎には要注意だ。
駅に行って列車の時間を確認すると、タンジェからのフェズ行きは、何と17時までないことが判明!仕方ないからその電車の2等切符を買って、これからどうするか、途方に暮れる。
昼食にはモロッコ名物の煮込み料理、タジン(Tajine)を食べようと駅の周りを探し回る。駅にあるこじゃれたカフェでは、メニューには載っていたが実際にはやってないとのこと。駅の周りには基本的に何もない。建設中のビルがいくつかポツンと建っているだけ。大通りまで歩き、さらにしばらく歩いて何軒かレストランを見つけるが、ハンバーガー屋とかピザ屋とかカバブ屋とかシーフード屋とかで、どこにもタジンはなかった。モロッコ料理の大衆食堂がない。港町なので外人向けのレストランが多いのだろうか。結局僕は駅に戻って、駅のカフェでBriouatesというサモサみたいな、肉と野菜の入った揚げ物スナックと、卵レタストマトサンドウィッチフライドポテト付と100%オレンジジュースで昼食。34DH(約510円)と割と高かったけれど、美味かった。朝食もそうだったが、ここモロッコでは、フランスの影響だろう、パンと言えばフランスパンのようだ。
タンジェ 写真集
手持ち無沙汰、何もやることなく、タンジェの駅で2時間をつぶす。外でタバコを吸い、駅のトイレで歯を磨く。
ようやく17:15にフェズ方面への列車が出発。2等は、8人一部屋のコンパートメント。人工皮革のシートは、悪くない。
夕暮れに出発した列車は、モロッコを内陸(南)へ向かう。石造りの家々が並ぶ街を出るとすぐに赤茶けた台地や岩地が広がり、人の住む気配がなくなる。殺風景な大地のシルエットを、雲のない夕暮れ空がくっきりと描き出す。やがて光は傾き、夕暮れ空はオレンジ色に燃え上がり、赤い大地は深茶色から漆黒となって夜のとばりが完全に落ちた。
車中、同じコンパートメントで僕と向かい合わせで前の席に座ったモロッコ人の若者と、世間話から始まり、果ては技術や宗教について論議。彼は英語はそれほど得意ではないようだが(アラビア語とフランス語を話す)、一生懸命僕と会話してくれた。イスラム教やコーランについて色々聞けて有意義だった。当然のことながら彼もイスラム教徒で、通信技術系のエンジニアとのこと。日本の進んだ技術を称賛していた。そしてイスラム教が、これはキリスト教も同じなのであるが、人間の正しいあり方を示すもののみならず、すべての科学技術の原理も規定、説明または示唆しているというのである。キリスト教が、旧約聖書の創世記の教えを真実だとして進化論を受け入れない(=万物は神が創造した)のと同じ議論かと思ったが、彼曰く、コーランを読み取れば、現在の科学や技術や世の中に起こっていることを説明できるのだという。海水と川の水がなぜ混じらないのか、とか、コーランを読めば分かるという。
ま、暗示的な言葉を使うのが預言者の常套手段であって、一般的に占い師というものは、いかようにも取れる言い方をしてそれで何でも説明しようとするのであるのだけれど、僕はコーランを読んだことがないし、彼の英語もたどたどしいので、彼の言っていることが100%理解できなかった。しかし、この手の話は僕も嫌いじゃないので楽しめた。
彼とメールアドレスを交換して、シディ・カセム駅で乗り換える。彼はそのまま首都ラバトへ向かうのだという。
フェズ行きの列車が遅れていたため、シディ・カセムで1時間近く待たされた。乗り換え後は一家族(父、母、幼い子供二人)と高校生風情の男二人組と同じコンパートメント。なかなか賑やかで楽しい。僕は始めこいつらは全員家族か知り合いなのだと思ったが、家族と高校生二人とは全くの他人だそうで、電車に乗り合わせれば普通に親しくなるのがモロッコ人らしい。欧米人もそうだ。日本人くらいだよな、こういう状態で見知らぬ者同士で打ち解けられないのは。
彼らは僕に色々日本のことや日本語を聞いてくる。高校生二人組は英語をまずまず話す。家族には僕の言っていることを通訳している。いつものようにカタカナで彼らの名前を書くと、みんな大喜び。
高校生の若者の一人が、日本人のイメージについて話し出した。彼のイメージは、ステレオタイプだ。つまり、中国人とか韓国人とかすべてが一緒で、目が細くて一重、髪が短い、というものだった。彼は言う。
「僕たちからは、日本人(彼の言う「日本人」とは、東アジア人ひっくるめてのことだ)はみんな同じ顔に見える。見分けがつかない。」
「そりゃ君、日本の事を知らなさ過ぎだって。」
僕は懸命にその誤解を解こうとする。要は何か見慣れないものについては、識別能力が発揮できないのだ、ということを切々と訴える。加えて、日本人と中国人と韓国人は違うのだ、ということも。
そうする間にも、電車は夜のマグレブの大地をガタガタと走り続ける。
夜11時、列車はようやくフェズに到着。脱線することはなかったが1時間遅れ。若者と家族と別れる。若者二人は、夜中だから危ない、メディナまでついてきてくれると言ったが、タクシー運転手だかガイドとかと一悶着あった後、色々事情もありそうだったので、結局明日の夕方5時にブー・ジュルード門で待ち合わせることにして、彼らと別れた。一人でタクシーでメディナへ。駅からメディナまでは結構遠い。15分くらい走ってタクシーはブー・ジュルード門に着いた。僕は安宿はすぐ見つかるものと軽く考えていたが、ここからが長かった。
11時過ぎ、夜中のフェズ旧市街は、もう賑やかさが消え、閑散とした雰囲気が支配している。淡く白い街灯が、人気のなくなったフェズの路地を平板に照らしている。ブー・ジュルード門近くの安宿を片っ端からあたったが、どこも満室。安宿の受付の男たちのやる気のなさを見ると、本当かどうか分からないが(みんなもう眠いのか?)、とにかく部屋はない。12月下旬の夜のフェズは寒い。これからどうしようか、途方に暮れて呆然としているところへ、どこからか一人のモロッコ人の若者が現れて英語で声をかけてきた。彼はスウェットの上下にバブーシュ(モロッコのスリッパ風履物)という、ルーズな格好をしている。
「どうした?」
「いや、ホテルを探しているんだけど。」
「そうか、じゃ、一緒に探してやろう。ついて来い。」
この場合、普通に考えれば分かるように、どう考えても、とてもじゃないけどコイツを信用できるような状況じゃない。夜中、ホテルを探す右も左も分からない旅行者・・・。コイツについていったら、いつの間にか道は細くなり暗くなり、最後に暗闇に連れ込まれて身包みはがされる・・・。何とありがちじゃないか!
だが、これはヤバイと思いつつも、ま、どっちにしろホテルは見つけないといけんわけだし、ここのところは、いやこの期に及んでは、コイツを利用するしかないと思った。モロッコは今までのところ、まだ1日だけだけれど、そんな危険な匂いがしない。以前よりも治安は良くなっているようである。話に聞くのは、旅行者に対するボッタクリ商人や自称ガイドの警察による取締りが、最近格段に厳しくなった、ということだ。昔はボッタクリ被害が後を絶たなかったようであるが、最近は取締りのおかげでどうやらそういう悪質な輩の数が減っているようである。
コイツが連れて行くところ、高かったら泊まらなければいいのだ。ヤバかったら逃げる。顔つきと外観は、どう見ても善人には見えないけれど、仕方ない。人は見かけで判断してはならないのだ(笑)。
彼は、僕を後ろに従えて、フェズの迷路をバブーシュですたすたぺたぺたと歩き始めた。英語をかなりしゃべれる。夜中12時のフェズのメディナ。街灯が狭い路地の壁を白く照らし出している。人は少ない。ここで強盗されても誰も助けてくれなさそうだ。
奴は知り合いのいる安宿を、片っ端から訪ねる。僕は後ろについて彼らのやり取りを見詰める。どこにも部屋はないようだ。5軒くらいは普通のホテルのようだったが、途中から、ホテルの看板さえ出ていない、普通の民家を次々と訪ねていく。おいおい、そりゃお前の友達んちかよ?だけどこのまま泊まるところが決まらないわけにもいかねぇし、こう寒くちゃ外じゃ寝れないぞ、などと考えながら僕は後ろについて歩いた。
メディナの細い迷路を右に曲がり左に折れ、クネクネと歩き回り、すぐに自分がどこをどう歩いているのか分からなくなった。メディナの起点となるとなるブー・ジュルード門がどこら辺にあるのかだけでも把握しておきたいところだが、もう無理だ。ここで何かされたら門までどう帰ればいいかも分からない。
しかし男は、そんな僕の不安を全く意に介さないように、次から次へと知り合いの家に寄っていく。また、ここまで何人もの男と道ですれ違うたびに声をかけてきたが、こいつはこのフェズの主かと思うほど、通りすがる人たちみんなが知り合いのようだった。だが、泊めてくれる家は見つからない。
途中、ラバを引く老人に出くわすと、
「おじさん、ちょっと○×まで行くから乗せていってくれ」
と言ってラバの引くリヤカーに乗り込んだ。僕にも乗るように促す。僕が乗ると、老人はラバをせきたて、かなりのスピードで走らせ始めた。淡い街灯で無機質に白く光る、夜中のフェズの狭い石壁の迷路を、ラバに引かれて風を切って駆け抜ける。壁がすぐそこで猛スピードで後ろに走り去る。スピード感。そこには、寒さも忘れる不思議な感覚があった。こんな体験は今までしたことがない。真夜中、人影のない白いフェズで、冷気を切って走る。狭い迷路が前から押し寄せ、石壁が後ろに流れていく。寒くて心細くて、ワクワクして楽しい。我を忘れる、一種の恍惚感。
そんな感覚に浸っているうち、あるところまで来ると、男は老人に礼を言ってさっとリヤカーから飛び降りた。僕も正気に戻り、リヤカーを降りる。奴に再びついていく。そうすると、一人の男に出会い、そいつとしばらく話していたが、どうやら話がまとまり、彼のところで泊めてもらえそうな雰囲気だ。こいつらはグルで俺を身包みはがそうとしているのかもしれない・・・。と考えると不安はまだ解消はされてなかったが、とりあえず奴の家に行くことにした。
(※注1)プチタクシーとは、小型タクシーのこと。各地でカラーリングが決まっている。車種はプジョーとシトロエンが多い。一方、大型のグランタクシーもある。こちらは、都市ではベンツが多い。
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