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イベリア半島&北アフリカ旅行記
2007年12月〜2008年1月
(3)大航海時代の痕跡
12月25日火曜日、クリスマス。朝8時にホテルを出て、メトロ(地下鉄)のレスタウラドーレス駅で地下鉄一日乗り放題券の7コリーナシュ(「7つの丘」という意味。リスボンはその地形から「7つの丘の都」と呼ばれる)を3.85ユーロで買う。これは、有効期間1日で何度でもメトロに乗れる切符で、一度券を買えば、翌日以降は3.35ユーロでチャージ可能。ここの地下鉄は、マドリッドのようにゴミだらけではない。地下鉄の入り口には、赤い『M』。これが目印。
メトロでパルケ駅まで行く。ここで日本人旅行者の若者と一緒になった。彼はロンドン留学中で、大学院で開発学を専攻しているとのこと。国際協力志望で、国連とかNGOとかJICAに就職したいそうだ。
エドワルド7世広場で彼と別れ、南へ向かって歩き始める。もやでけむった早朝の公園に、人はほとんどいない。散歩やジョギングしている人がちらほら。それもそのはずクリスマスの午前10時である。みんな昨晩から朝方までクリスマスのドンちゃん騒ぎをしていたのだろう。
曇り空から、冬の弱々しい光が淡い。公園は朝もやに包まれている。
リスボン名物のケーブルカー(ラウラ線)
ポンバル公爵広場を抜け、閑散としたリスボンの目抜き通り、リベルターデ通りをひたすら南下する。ビルが立ち並ぶ。オフィス街らしい。店はどこも閉まっている。車は走っているが、朝9時半の通りに人はほとんどいない。黄色い小さな葉しか残っていない冬枯れの街路樹が、一直線に走る道路を彩っている。日本大使館の入ったビルを通り過ぎ、レスタウラドーレス広場手前からケーブルカー、ラウラ線で急勾配を上がる。家と家の狭い隙間にレールが敷設され、小さな車両は、急勾配をギリギリと上がっていく。
ケーブルカーの終点の脇に、モラエスの生家がある。モラエスは、ポルトガル海軍の士官として19世紀末に日本を訪れ、その後徳島に定住し、その小説を通して日本を世界に紹介したポルトガルの作家である。彼は1929年、日本で死んだ。彼の生家がここリスボンの落ち着いた住宅街の中にひっそりと残っている。玄関の上には、日本語とポルトガルで、モラエスの紹介文が掲示されている。
モラエスの生家の周辺を歩き回る。のんびりムードの公園には、中国のように老人たちが雑談に花を咲かせている。
ケーブルカーで再び丘を降り、レスタウラドーレス広場、ロシオ広場、フィゲイラ広場を回る。いずれの公園にも、高い碑や銅像が堂々と建ち公園を見下ろしている。そして昼食。再び僕はやり場のない怒りに震える。飯がバカ高!(笑)このあたりには、観光客相手のボッタくりレストランしか存在しないのだ。セットで15ユーロ(約2500円)は当たり前なのだ!日本どころの騒ぎではない。何という理不尽。おかしい。これは何かが絶対に間違っている。ここの人間は、日本人よりも高給を取っているとでもいうのか?
ワナワナしながら10件近くもレストランを回り、一番安いと思われる店に入って、バカリャウというこのあたり名物の焼き魚のランチセットを頼む。12.1ユーロ(約2000円)。
空は雲が多くなり、白一色となる。肌寒い。バイシャ地区からコメルシオ広場、サンタ・ジュスタのエレベータ、カルモ教会、サン・ロケ教会を回る。サン・ロケ教会は、1584年に、命がけの航海の末にリスボンにたどり着いた、天正遺欧少年使節が1ヶ月ほど滞在した教会である。今から423年前、ここに初めての日本人が来たと思うと、いつものことながら不思議な感覚に捉われる。
テージョ川を望むコメルシオ広場に建つコロンブスの像。司馬遼太郎もこの広場の歴史的意味を振り返っていたが、ここは王の宮殿があったところであり、またテージョ河を行き交う船を常に見守ってきたところである。
サンタ・ジュスタのエレベータの終点からは今歩いていたリスボン旧市街の街並みが一望できる。鮮やかな茶色の屋根と白壁の家。絵になる街だ。遠くの丘の上にはサン・ジョルジェ城がこれまた街を見下ろしている。
28番の名物市電でグラサまで行く。市電は、その幅しかないような狭い道を右に左に急カーブを切りながら走る。窓から手を伸ばせば建物の壁に届きそうである。ガタガタ揺れる感じからも、花やしきのジェットコースターを彷彿とさせる。グラサが市電の終点。坂道を歩いて登り、リスボンの街を一望できるセニョーラ・ド・モンテ展望台へ。白い細かい石を使った石畳。黒い石で模様がデザインされている。リスボンのマークだろうか。
ついに雨が降り出した。冷たい雨。展望台の木の下で雨を避けながら、雨が降り注ぐリスボンの街を見下ろす。素晴らしい眺めだ。テージョ川と4月25日橋。驟雨の中、赤茶色の屋根屋根がしっとりとくすんでいる。ここからも向かいの丘の上にサン・ジョルジェ城が見える。
サント・アントニオ教会を見た後、日が暮れた。寒い。
スペインのセビーリャ行き国際バスの運行予定を調べるためにセッテ・リオスバスターミナルへ。リスボン発セビーリャ行きのバスは、この時期朝10:30発の1本のみ、夜行バスはなし、と言われ大ショック。もちろん想定はしていたが、とりあえず旅程の変更は不可避だ。肩を落としながら、コロンボショッピングセンターへ行くが、ここも今日は閉店。一緒にメトロに乗ってきた何人かのスペイン人の若者も、残念そうな顔をしている。
日本と違い、カトリック国でのクリスマスは、街が機能停止している。街が死んでいるのだ。今日は、人々は買い込んだ食糧やプレゼントを、家にこもって大量消費しているに違いない。レストラン、商店ほとんどすべて休業。食べるのもションベンするのもままならない。観光施設も休み、何も出来ない。旅行者には全く不遇の日、それがクリスマスである。市電やバスやメトロといった街なかの公共交通機関はさすがに走っているので、僕が出来ることといえばせいぜい街の中を歩きながら写真を撮ることくらい。旅行者にこうも冷たいカトリック国のクリスマスの一日が過ぎてゆく。追い打ちをかけるように、夕方から降り出した雨は夜に本降りとなった。
ペンシオンに戻る。1泊15ユーロとはいえリスボン最下級の宿。しかれど共同シャワーはお湯が出るし、毎日シーツを替えてくれるので気持ちよく眠れた。いいホテルだ。唯一の難点はシャワーヘッドが壊れていることくらい。これくらい早く直してほしいが。部屋の中に、便座のない便器があるのも奇妙だ。これは小便用だろうか。
マドリードでもそうだったが、ここのホテルの廊下やトイレの電気は感応式で、人が来たときだけセンサーが感知して点灯するようになっているのだが、この精度が悪い。時々シャワー中にセンサが切れて真っ暗になる。お願いだからこれも勘弁してくれ。
12月26日水曜日。朝8時半起床、9時にペンシオンを出て近くのパステレリア(ケーキ系喫茶店)でケーキ2個とコーヒー牛乳の朝食。昨日の雨はすっかり上がり、うって変わって快晴。
今日はベレンへ行く。メトロで7コリーナシュにチャージして、カイス・ド・ソドレ駅へ。ここから近郊列車に乗ってベレンへ。電車は検札なし、しかもメトロからの乗換えで何のチェックもなしにホームに行けてしまう。ホームには自動券売機があり、ここで行き先に応じた料金を投入して切符を買う。
カイス・ド・ソドレ駅10:10発、10分ほどでベレン駅に到着。駅に改札がない。しかもそのまま外に出れてしまう。これじゃあ、切符なくても乗れるし降りれるじゃないか・・・。日本でいう人里離れた無人駅じゃあるまいし、街の真ん中の駅が無防備なのである。性善説か、ポルトガル。
ベレン駅から歩いて発見のモニュメントへ。テージョ川に向かって建つこのモニュメントは、ポルトガルにとっての栄光時代、=植民地となった他国にとっての暗黒時代、を、今や平凡な国となったポルトガルの国民に思い出させるかのようだ。ここテージョ川から、冒険家、野心家たちが地球の大部分を覆う大海原に漕ぎ出していった。
エンリケ航海王子がモニュメント下部の彫刻群の先頭に立って、テージョ川のはるかかなたを臨んでいる。大航海時代のポルトガルやスペインがこぞって大海に乗り出した雰囲気を伝えるモニュメントだ。彼らは命がけで海を渡り、多くが海の藻屑と消えていく中、世界中の未知の大陸にたどり着いた奴らは、その土地を自分のものとして侵略し、傍若無人に支配した。こうしたスペインやポルトガルの暴虐に、布教という大義名分の下に、カトリックの頂点に立つローマ法王が加担したことは、もはや言うまでもあるまい。ヨーロッパ人は、先住民の土着宗教をすべて否定し、キリスト教を強要した。僕がキリスト教を絶対に信じないわけはここにある。
15世紀に始まる大航海時代は、人類の近代史の大きな転換点である。ここですべてが変わってしまった。コロンブスやエンリケ航海王子の大いなる功績、いやもとい、悪魔の金字塔によって、ヨーロッパ人に”発見”された世界中の人々が蹂躙され、以来現在に至るまで、人類の歴史にヨーロッパ優位が確立してしまったのだ。今でこそスペインやポルトガルは没落しているが、この黄金時代を端緒に、地球上におけるヨーロッパのやりたい放題の歴史が始まってしまったのである。中南米の文明、インカやマヤやアステカは、それまで築き上げたすべてを破壊され、金銀を略奪されたあげく、先住民達は陵辱され虐殺され、ヨーロッパ人による数百年に及ぶ長い長い虐待の時間が始まる。さらにアフリカの無垢な人々は、捕えられ鎖につながれ船に詰め込まれ、大西洋を渡る死の航海を経て中南米に連れて来られ、故郷から遠く離れた見知らぬ地で、人間としての尊厳をこれっぽっちも与えられない家畜の如き奴隷人生を送ることになる。
これら一連の出来事が、当時の人間に理性というものがなかったから始まったのか、僕にはよく分からない。科学技術力=武力に圧倒的な差がある複数のグループがある場合、優越している方の人間というものはこの頃のヨーロッパ人のように振舞うのだろうか。この頃のヨーロッパ人の、原始人というか動物並みの弱肉強食的野蛮は、一見現在では考えられないようなことのようにも見えるが、実はこの2008年に至るまで、変わることなく脈々と続いていると僕は思う。表面的には顕在していないものの、結局現在でも欧米というものは弱小国を食い物にしているのだ。
あふれる陽光にきらめくテージョ川と発見のモニュメントに刻まれた冒険家たちを見ながら、そんなことが頭の中を駆け巡る。モニュメントの上に登り、テージョ川と4月25日橋、対岸に立つクリスト・レイ(手を水平に広げた巨大なキリスト像)を見渡す。天気がいい。雲ひとつない。空と河の、鮮青一色。
モニュメント前の広場には、地面に世界地図が書かれていて、世界各地が「発見」された年号が書かれている。黄金の国ジパングこと日本にも、「1541年」という年が書かれていた。これはポルトガル人が種子島に漂着した年だろう。ポルトガル人、いやヨーロッパ人にとっては、日本という未開の国もまた16世紀にヨーロッパにより「発見」された、ということらしい。アホか?お前らが漂着した年に、何の意味がある?日本にはそれまでに、何千年もの独自の歴史が育まれていたのだ。あの時代に世界中を航海することができた奴らの技術力は、評価すべきことだけれども。
その後、ベレンの塔へ。テージョ川沿いに立つこの塔は、船の出入りを監視しながら、冒険家たちの船出と帰還を見守り続けてきた。さらにジェロニモス修道院。ジェロニモス修道院は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称えるために、1502年に着工した巨大修道院である。建物全体に施された精緻な彫刻は、圧倒的だ。広々とした回廊。修道院内部には、インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの棺と、ポルトガル最大の詩人カモンイスの棺が安置されている。天井は高く、巨大な柱とステンドグラスがそびえる。
ジェロニモス修道院写真集
ベレンから市電に乗ってリスボン中心部に戻った。あふれる陽光。今日は天気が崩れる気配はない。空が妙に青い。いわゆるヨーロッパ風の建物が両車窓にずーっと続いている。今日は昨日のクリスマスとはうって変わって、道に人々が繰り出し、店もほとんど開いている。
カテドラルを見た後、夕暮れ前のアルファマ地区へ。リスボンは、「7つの丘の都」と呼ばれ、丘に次ぐ丘で坂道が多い。ヨーロッパ風建築に囲まれた狭い道をギリギリと市電が走る、絵になる街である。アルファマ地区は、狭い坂道の路地が縦横に絡む中、アラブ風の家並みが広がる。イスラムの影響が濃い場所だ。イスラム国の旧市街は迷路みたいなところが多いが、ここもそんな雰囲気で無秩序に街を作り、路地を作った感じだ。階段を降り、右に曲がり左に折れ、階段を上がる。特徴のある四角窓には洗濯物がぶら下がっている。生活感のある街だ。建物は古いものが多く、ところどころ壁がはげている。
アルファマ地区入り口の展望台に戻る。若者たちが広場でスケボーに興じている。テージョ川に向かう斜面に、茶色屋根と白壁。夕暮れの太陽が斜めから差し、建物の影が黒い闇を作る。
アルファマ地区写真集
最後はサン・ジョルジェ城へ。この城は、カエサルの時代、ローマ人の手によって要塞として建設されて以来、西ゴート族、イスラム教徒、キリスト教徒と支配者が交代したポルトガル史の荒波を生き抜いてきた。丘の上に立つこの城から、夕焼けのリスボンの街を一望。偶然にも、ここで朝に出会った日本人の若者と再び出くわす。そして日が暮れた。リスボンの夜景が鮮やかさを増してくる。隣ではスペイン人か南米人か、二人のオバさんが盛んにスペイン語で話しているのが聞こえる。
夜になり、メトロに乗って、昨日閉まっていたコロンボ・ショッピングセンターへ。ソニーの店でメモリースティックを購入。安かった。ここリスボンでも日本発の電化製品はその地位を確固たるものにしている。液晶テレビ、ブラビアのキャンペーン中らしい。
ホテルに戻り、この旅初めて靴下を一足洗濯。冬のヨーロッパとはいえ、さすがに3日も続けて同じ靴下を履くともう限界。気持ち悪い。Tシャツはこの気候なら4日連続はいけるが。
ホテルのフロントには、マルコビッチ似の40男と、60代の初老の二人。どちらも気が優しい。初老のオヤジの方は例によって頑固そうに見えるが、話してみると気がいい。ただし、スペイン語は解せず、英語をよく話す。
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