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イベリア半島&北アフリカ旅行記
2007年12月〜2008年1月
(7)フナ広場の昼と夜
朝食のモロッコクレープ
マラケシュメディナのランドマーク、クトゥビア
マラケシュのメディナは、茶色の壁
巨大な織物が壁を埋め尽くす
フナ広場の猿回し軍団
フナ広場の蛇使い大道芸
モロッコ名物の煮込み料理、タジン。うまから。
夜のフナ広場の屋台村
屋台で腕を振るう料理人たち
クスクス
カサブランカ行きの列車から見る夕焼け地平線
ケータイニヤニヤ男
2008年1月1日火曜日、元日。朝8時にソファから起き上がり、フロントでソファ泊代30DHを支払う。11時になったらシングルの部屋が空くというので、それまでしばらくマラケシュの街を歩き回る。
マラケシュは穏やかに晴れ上がっている。
朝食はモロッコクレープ。美味い。
マラケシュは、モロッコ最大の観光地であり、古都である。昔からここには、太平洋岸から、サハラ砂漠から、そしてヨーロッパ大陸から様々な人間がやって来て交易する、北アフリカの経済拠点として繁栄してきた。あらゆる人間と品物が集まって発生するそのエネルギーは今でも変わらず、賑わいと混沌はモロッコ随一だそうである。
フェズに次いで2番目に古い街であるマラケシュの歴史は、1070年ごろ、ベルベル人による最初のイスラム国家、ムラービト朝がこの地を首都と定めたことに始まる。
まずはマラケシュのシンボル、クトゥビアの根元へ。クトゥビアは、モスク脇に立つ高さ77m、四角柱の茶色のミナレット(尖塔)で、4面にそれぞれ異なる美しい装飾を施したムーア様式の傑作建築。セビリアで見たヒラルダの塔(97m)と並び、世界で最も美しいミナレットの一つといわれる。
マラケシュ旧市街のメディナを歩く。ここのメディナは、壁の茶色が目に染み込んでくる。タンジェのメディナの鮮やかな白壁は、ところどころ古さにくすんでいるとはいえその色は光が反発して目にはまぶしい感じがした、というか少なくともしっくりはこなかったが、ここの茶色はその点が違う。クトゥビア家の壁、マラケシュは茶色の街である。
ここのスークでは、子供の「チップくれ」が多いが、それを除けばしつこい奴はいない。そしてフェズのメディナほど混雑していない。1月1日だからだろうか。ここにも、あらゆる店が存在する。アラブならではの商品−陶器、中東風ランプ、革製品、じゅうたん、バブーシュ、水タバコ用パイプ、何でもある。ここは、世界最大のスークといわれているらしい。トルコのグランドバザールよりも大きいのだろうか。
ここには、欧米系観光客が山ほどいる。ここは北アフリカ。ヨーロッパから近い。
昼間のフナ広場には、大道芸人のグループがいくつも出ている。一番多いのはやはり蛇使いや猿回しの軍勢だ。
写真を撮ろうとするとそれだけでチップを要求されるのは煩わしいが、彼らはそれで生計を立てているんだろうから仕方ない。だがそれでも僕は
頼んでもいないのに僕の首に蛇をマフラーのようにかけて、
「100DHだ!(約1500円)」
と臆面もなく要求するのには参る。僕はもちろん、そんなときは金を払わずに、笑顔で「サンキュー」と言って足早に立ち去る。こっちが頼んでもいないことに対して金を払う筋合いはない。
あたりの空気を、蛇を操る怪しげな調性のアラビア音楽が埋め尽くしている。その振動は、頭に軽い痺れのような麻痺を起こさせる。アラビア音楽の笛の音は、単調に繰り返し、しかも僕のような日本人にとっては独特の和音である。
マラケシュはハシシ天国らしい。街の人気の少ないところでは、怪しいおっちゃんや若者が、「ハシシ?」とか「はっぱ?」とか「チョコ?」とかささやいてくる。どおりで欧米人バックパッカーが多いはずだ。日本人もそうだが、奴らの一部もやってるんだろう。フェズでもそうだったが、マラケシュでは、特にハシシ売りが多い。
モロッコ人のいでたち。男性は、民族衣装が少ない。若者はほとんどが洋服。セーターにジーンズという感じが多い。西洋風におしゃれな若者も多い。
女性は、年配のおかーさんたちは、マントのような長い民族衣装に手ぬぐい風スカーフを頭に巻く典型的なイスラムスタイル。ただし、顔は丸出し。イエメンのような顔まですべて肌を隠す厳格さはない。
一方若い女性は西洋風多い。イスラムが緩い国だ。西洋文化がどんどん入ってくる北アフリカという立地なのでヨーロッパ文化の流入はやむなしだろう。
体格。モロッコ人は結構大柄だ。ヒゲのない奴も少なくない。アラブ人じゃないのか?ちなみに、モロッコの民族構成は、アラブ人65%、ベルベル人30%である。そして、モロッコにはアフリカ系の黒人が少ない。
モロッコ男たちの挨拶は、頬を交互に4回合わせる。中南米の女性同士または親しい男女の挨拶と同じ。欧州もきっと同じだろう。ちなみに、中南米では、男同士の挨拶は、握手である。
モロッコ人はみんなバイリンガル。フランス語とアラビア語を話す(以前フランスの植民地だった)。これはすごいことだ。いつでもスイッチできるようだ。僕は英語とスペイン語が混ざってしまう。二つの言語をキッチリとスイッチするのはなかなか難しい。
そういえば、 スペイン語を話す人間も結構多い。昨晩、今日の昼とタジンを食べた店のオヤジは、フランス語、アラビア語、英語スペイン語を話すという。
巨大な美しいアーチのアグノウ門。壁の装飾も豪華だ。そしてサアード朝(1549〜1659年)の代々のスルタン(王)が埋葬されているサアード朝の大墳墓群。
日が暮れる。夜になって再びフナ広場に行くと、様相が一変している。サッカー場くらいの広さはあろうかというエリアに、屋台食堂が延々と続いている。無数の調理台、テーブル、ベンチ、天幕、そしてライトは昼間のように明るい。これを毎日夜な夜な設営して徹営するのだろうか。
どこの屋台で食べようかと屋台村の中を歩き回る。次々と僕に声をかけてくる。「こんにちは(日本語)!ここは安いよ!」
僕はそのうちの一つの食堂で、ハリラとクスクスを食べる。
向かいに相席となった、マイケルという名のオーストラリア人のおじさんと話す。彼は経済産業誌の記者で、電子機器の動向をよく知っている。彼自身もキャノンの小型ビデオカメラを持っていた。デジカメやビデオカメラ、DVDなんかの技術動向とか各メーカの特色とかを話す。そして話は捕鯨にいたる。彼は反捕鯨急先鋒国のオーストラリアから来たとあって反捕鯨の立場のようだが、一方的な思考停止系の論者ではなく、多面的に物事を考えているようだった。捕鯨に関する日本の文化とか立場というのを僕が説明すると、彼は興味深く聞いていくれた。ま、もちろんこの話題では意見の一致をみることは出来なかったが。
一方昼間大道芸が行われていたエリアでは、音楽隊が多い。独特の弦楽器と太鼓を奏でながら、車座になってみんなで歌う。観客も一緒に。そして何といっても僕を虜にしたのは「釣り」だ。ある一画に、円形に釣竿を持つ人たちが展開し、その中心部に無数に立てられたコーラ瓶を、釣り糸の先についた針で釣り上げようとしているのである。怪しげな音楽と暗がりの中、釣り人たちは一心不乱にコーラ瓶を釣り上げようとしている。こんなシュールな光景はそうそうない。広場の向こうには、まばゆいライトでくっきりと照らし出された屋台食堂が輝いている。その光によってシルエットとなった陸の釣り人たち。おかしい。おかしすぎる。
宿に戻り、久々にシャワーを浴びる。5日ぶりくらいだろうか。共同シャワーに入り、頭までひと浴びしたところで突然お湯が止まる。
おいおい、勘弁してくれよ!
寒い中、素っ裸でじっとお湯が再開するのを待つ。このまま出なかったら部屋に戻るしかない。ぶるぶる震える。5分後、もうダメかと思って一旦服を着てフロントへ怒鳴り込もうかと思い始めたところで再びお湯が出始める。やれやれ。殺す気かよ?
その後はお湯が止まることもなく、熱さもまずまず。
PM11時就寝。結構寒い。
1月2日水曜日。朝起きれず、ようやく9時に起き上がる。朝晩は寒い。しかし昼間は、地中海沿岸の街であるタンジェと同じくらい暖かい。ここマラケシュは、内陸に位置している。
昨日と同じく、カフェグランエールでクレープとカフェオレの朝食。
ベン・ユーセフ・マドラサへ。マドラサとは学校のことで、ここは1956年まで使用されていた神学校である。
この建物はイスラム建築の最高傑作といわれ、モザイクタイルと超緻密な幾何学模様を施した装飾壁はどうやってどのくらいの期間をかけて製作したのか、想像もしづらい。
その後スークでバブーシュと陶器の灰皿を買う。ミントティーを探すが、なかなかいいのがない。
昼食はもう病み付きのタジン。香辛料の味付けがたまらん。
マラケシュ 写真集
これから今日は、電車でマラケシュからカサブランカへ向かう。
2等車に乗り込む。コンパートメントタイプの客車と、普通の2人掛けが通路の両側に並んでいる普通の車両の2種類ある。僕はコンパートメントタイプの一室に入り、座る。4人掛けが向かい合う8人定員のコンパートメントは、またたく間に満席となる。二人組の若者、一人の20代男、一人の年配のおじさん、3人のおばさんのグループ(二人の若い女性と一人の民族衣装のおばさん)、それに僕。
17時定刻に列車はマラケシュの鉄道駅を出る。車窓の風景は、すぐにマラケシュの建物を思わせる赤茶けた大地に、山肌むき出しの荒涼とした山々となる。赤茶色の大地といえば、カンボジアとかウガンダを思い出すが、そこまで赤くはない。もっと茶色である。
どうもモロッコ野郎は、ケータイニヤニヤ男が多い。僕の対面の20代男は、西洋風のセーターにズボンというこぎれいな服装だ。今ケータイで「メルシー・ボークー、メルシー・ボークー」なんて甘ったるい声で微笑みながら話していたと思ったら、次の瞬間にメールが来て再びニヤニヤ。気持ちワリぃんだよ!一緒に乗っている骨太のおじさんとは対照的だ。このおじさんは、真っ黒に日焼けしてしわが深く刻まれた顔に、何日も着替えていないようなシャツを着ている。肉体労働者だろうか。それにしては歳がいっているので、農業に従事しているのかもしれない。大きな荷物を頭上の棚に載せている。
彼はアラビア語しか話さないらしく、コンパートメントの他者との話では、アラビア語オンリーのようだ。年配の人はアラビア語のみなのだろうか。
夕焼け。僕は席を立ってコンパートメントを出て、通路から窓越しに夕日の写真を撮る。列車は、北に向かっている。僕の席の横の車窓は、東向きなので、夕日は反対側に沈むのだ。
僕が席に戻ると、例のケータイニヤニヤ男が僕に英語で声をかけてきた。
「綺麗な風景だね」
「あぁ。」僕は素っ気無く返事をする。
「窓が汚くて、いい写真が撮れないけどね」
と僕が皮肉めくと、
「そうか」と言って反対側の窓を遠い目をして眺めている。
「だけど、目で楽しめばいいんだ」
と言うと、
「そりゃそうだ」と奴も賛同する。まだ夕日を眺めている。このナルシスト野郎が。
だが、僕の美的感覚を共感できるとはなかなか話せる奴かもしれない。英語は達者だ。だが何を言っているのかよく分からないこともあった。僕の理解力に問題があるのかもしれないが。涼しげな目元、こないだの音楽垂れ流しのマッチョ系ホモ男とはわけが違いそうだ。
途中6時過ぎ、列車が30分近く停まる。対向の列車が来るのを待っていたようだ。
この後列車は、いくつかの駅に停まる。結構乗降客が多い。乗客の入れ替わりが激しい。
電車の中にはコーヒーや飲み物のワゴン売りが通る。暗くなってからは、窓から見えるのは暗闇のみ。真っ暗な大地に光るものはない。
列車では、コンパートメントの外であればタバコが吸える。
カサブランカに近づくと、街灯が目立ち始める。20分遅れ、PM8:45にカサブランカのヴォワジャー駅到着。同じコンパートメントの面々が「ここがヴォワジャー駅だよ、ここで降りるんだろ?」と教えてくれた。ちなみにヴォワジャーはヴォイジャー2号(Voyager)のヴォワジャーで、フランス語で航海者、旅行者という意味である。
ここから列車は、さらに首都ラバト、ケニトラまで行く。
ヴォワジャー駅に降り立つ。もう9時前だが暖かい。暖かい雨が降っている。マラケシュよりは暖かいようだ。
ヴォワジャー駅から、カサブランカのムハンマド5世空港行きの列車に乗り換える。空港行きの列車も15分くらい遅れて21:05発の列車が21:20頃にやってきた。2等でもシートが広く、何か豪華な車両である。空港行きで外国人観光客を多く乗せることからの、対外的見栄が現れているのだろうか。
ヴォワジャー駅⇒ムハンマド5世空港まで、電車はカサブランカの街を走っているはずだが、車窓には街灯は少なく、暗い。これが人口400万人の大都会なのかと疑いたくなるが、きっと街の中心部は別なのだろう。空港は辺鄙なところにあることが多いし。成田空港周辺も決して大都会を感じさせる風景ではない。
ムハンマド5世空港駅に22:10頃着く。お土産屋は閉まっていて、カフェは2軒が開いていた。両替所は24時間営業。国際空港とはいえ、素晴らしい。
僕はカフェの一つに入って、バカ高い33DHのクラブサンド(ハム、トマト)と8DHのカフェオレを頼む。だがここのカフェでは空港内だけど自由にタバコが吸えるのがいい。
僕は今晩、このカサブランカの空港で一夜を明かし、明日早朝にチュニジアのチュニスに飛ぶ。
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