HOME > THE WORLD > Europe > Iberia_North Africa > (6)


イベリア半島&北アフリカ旅行記
2007年12月〜2008年1月
(6)世界最大の迷路の街・フェズ、そしてマラケシュへ

モロッコ人の家に民泊

フェズのメディナのランドマーク、ブー・ジュルード門
 

ロバに荷物を運ばせる男(フェズのメディナ)
 

メディナ内のスークの表情

デーツの中に主人が埋もれる

なめし皮染色職人街から見たフェズの旧市街

建物の屋上のなめし皮染色現場
 

フェズ新市街の並木道

いよいよ今晩の宿を諦めねばならないかという切迫した状況になって、ついに家に泊めてもいいという男が現れた。見たところ30代中盤から後半であろうか。その男の家に行く。つまりは民泊だ。
アラブ風の建物は、3階建てだが、玄関を入ると3階までの吹き抜けの空間がある。その周りを囲うように1階、2階、3階に部屋がある。台所は1階。
僕が通された部屋は、1階奥の長方形の大きな部屋で、居間兼寝室のようである。天井はえらく高い。こんな広い部屋に僕一人で泊まっていいのか、くらいのものだ。部屋に入り、3人で僕のタバコで一服。僕はこのとき、今まで何か頭に引っかかっていたことが急に氷解した。そう、僕をここに連れてきたこの若者は、どこかで見たことがあると思ったら、ナインティナインのオカムラに似ているのだ。

男と値段交渉をすると、始め1泊300DH(約4500円)と言う。
「それじゃ無理だ。」
と僕は即座拒否。
男はこの部屋の広さや居心地の良さをあげつらい、何とか僕を説得しようとするが、そこは僕も並みの旅行者ではない。夜中、初めて来る土地で宿が決まっていないという状況は明らかに僕に不利とはいえ、簡単には妥協は出来ない。
何度か値段の応酬があって、最終的に100DH(約1500円)で決着した。僕としては最下級である50〜60DHくらいの宿を探していたのでやや高めだが、この状況では100DHまで下がれば良しとしなければならない。昨日のタンジェも100DHだったし。向こうとしても、普段はただ空いてる部屋を貸すだけだし、100DH取れれば十分と考えたのだろう。まずは1泊することにし、金を払う。
シャワーはない。コンセントはたくさんある。トイレの場所を教えてもらい、この家の鍵を貸してもらう。普段は男の母親が2階に住んでいて、男は別の場所に住んでいるようだ。

男とオカムラは、おやすみを言って去っていった。
もう夜中12時半。僕はグッタリとふとんに倒れこむ。それにしても、オカムラという奴は、いい奴だ。何の見返りもなしに、僕をここに連れてきた。もちろん、この家の男から紹介料をもらうのだろうが、それにしても僕には何の見返りも要求しないでさっぱりと帰っていった。奴がいなかったら、僕は今でもまだフェズの路頭に迷っているかもしれないのだ。感謝感謝。
しばらく横になっていると、このふとんが最高の寝心地だと気付いた。肌さわり抜群の毛布と沈み込み具合絶妙のマット。最高だ。こんな寝心地を体験したことはない。そのままその余韻に浸るまもなく、疲れた身体はすぐに眠りに落ちた。


12月30日日曜日。快晴。朝8時半起床。
フェズ。モロッコの古都である。1000年以上の歴史を持つメディナ(旧市街)は、「世界一複雑な迷路の街」と呼ばれる。アラブ風城壁に囲まれた街には、狭い路地が縦横無尽に入り組み、人々は肩と肩をこすり合わせるようにしてすれ違う。

朝食はモロッコクレープとカフェオレ。このモロッコクレープというのが美味い。フライパンで薄い生地を焼いて、それにバターと蜂蜜をかけて何層かに重ね合わせるように折って、その後切って食べる。この後訪れたマラケシュでも僕は朝食にこのクレープばかり食べてた。
 
 

ブー・ジュルード門は、メディナの入り口にあるフェズ最大の門。サナアで言えばバーバルヤマンだろう。ここを起点に、世界最大のフェズの迷路を歩き始めた。空は快晴。朝10時を過ぎたが、空気は冷たく、引き締まっている。思ったよりもだいぶ寒い。

道は狭く、曲がりくねり、人は多い。細い分かれ道が次々と現れ、その道は真っ直ぐではない。ところどころにトンネルがあり、道が狭いために光と影が次々に入れ替わって訪れる。壁が光を区切り、路地にくっきりと影を落とす。
スーク(市場)を歩くと、ひっきりなしに声が飛んでくる。バブーシュ屋、デーツ屋、雑貨屋、陶器屋、ゲーセン、貴金属屋、ビリヤード屋、民芸品のお土産屋、何でもある。
じゅうたん屋とハシシ野郎が多い。盛んに声をかけられる。モロッコはじゅうたんで有名なようだ。じゅうたん屋には何件か入ってみたが、思ったとおりに高い。当然のように買わずに、適当に世間話でお茶を濁す。
ここフェズはハシシでもかなり有名らしい。ハシシは5gで150DHくらいが相場のようだ。

それからガイド。ガキがついてくるのには閉口する。奴らは、英語を話せないのが一番の頭痛のタネだ。僕は俳優の素質がないので、なかなかこっちが迷惑していることを表現できない。一人のガキは、ずっとフランス語で何やらブツブツブツブツ僕に語りかけながらずっと後をついてくる。何か買って欲しいのだろう。僕は始めは取り合わないようにしていたが、あまりにしつこいので、ついに切れた。
「うるせぇえええ!!!」
僕の日本語は、フェズの雑踏に響き渡ったはずだが、ガキは大してひるむ様子がない。何という面の皮の厚いガキだろうか。いや、それともただ状況把握能力に欠けているだけなのだろうか。鈍感というか不感症なのか。それにしてもこっちの気分を察する気配が全くない。

僕は歩を速め、なかば走るようなスピードで雑踏をすり抜ける。こうしてやっとのことでガキを振り切り、腹が減る。昼飯は念願のタジンの前に、クスクス。クスクスは、これまた北アフリカの郷土料理で、細かい粒の小麦を蒸して、煮た野菜や肉や魚をかけて食べる煮込み料理。それにハリラというモロッコ風酸っぱ辛いスープ。美味い。日本人好みだ。

フェズは革製品でも有名だ。なめし皮染色職人街がメディナの観光スポットとなっていて、「革職人街に連れて行ってやる」とガイド野郎どもが絶え間なく声をかけてくる。フランス語でタンネリというこの職人街は、四角い建物の屋上に無数の染色壺があったり革を天日に干していたりして、またフェズの旧市街を遠くまで見通せるので、何かとても気分が高揚してくる。気分爽快。

日が暮れた。PM6時過ぎ、民泊している家に戻る。結局この夜もこの家に泊まることにし、居心地を僕に尋ねに現れた男にもう100DHを払った。奴にオカムラはどこにいるかを聞く。奴にはどうしてももう一度礼を言わなければいけないと考えていたのだ。そしてそのオカムラそっくりの風貌を写真に収めて記念にしたかった。奴はフェズのメディナの主みたいにみんなと知り合いのように昨晩は見えたが、どうもかなりの貧しい家の人間らしい。今日僕はメディナを歩き回ったが、奴には出くわさなかった。

フェズは寒い。特に朝晩は死ぬ。夕食を食べに7時半ごろ再び外の迷路に出る。凍える。結局、昼飯を食ったThamiレストランで、ついに念願のチキン・タジンとサラダとカフェオレ。タジンは香辛料が効いていて飛び切り美味かったが、外のテーブルで食べたので寒かった。寒かったのでハリラを頼んだのだが、残念なことにハリラはもう終わってしまったとのこと。だけどここの客引きのオヤッさんがいい奴で、昼間は70DHのセットメニューを60DHに値引きしてくれたのだが、夜も同じ60DHにしてくれた。もっとも、夜はセットにデザートがついていなかったので始めから60DHなのかもしれないが。

フェズ旧市街 写真集

今までのところ、悪質なモロッコ人には全く出会わない。時々しつこい奴はいるものの。


12月31日月曜日。大晦日。朝7時半起床。今日は列車でフェズからマラケシュへ向かう。
朝8時過ぎ、早朝のフェズは人影は少ないもののもう人が動き始めている。毎日食事をしたレストランはもう開いていて、サウジアラビアからビジネスに来たというオヤジが声をかけてきたので、しばらく話し込む。

フェズの迷路を後にして、城壁の外で新市街行きのバスを待つが、いつまで経っても来ない。待っている人に聞いてみるが、いつ来るのか、よく分からない。30分以上待ったが来ないので、仕方なくプチタクシーを拾う。ボッタクリに細心の注意を払う。しかしそれも杞憂で、新市街のフローレス広場までたった8DHで行けた。機械式の怪しいメーターだったが、よくあるボッタクリメーターではなかったようだ。

異様に真っ直ぐどこまでも延びる大通りには、中央の歩道にヤシの木の街路樹がこれまた真っ直ぐに続いている。新市街はメディナの古い街並みとは対照的に、近代的なこじゃれた街だ。
モロッコ空港のオフィスで、1月2日のカサブランカ発チュニス行き航空券を求める。が満席で取れない。近くの旅行会社でもすべての航空会社(エールフランス、ブリティッシュエア、チュニジア航空)のカサブランカ→チュニス便は満席。仕方なく、チュニスへの移動は1月3日とし、クレジットカードでチケットを購入。これでチュニジア滞在がわずか2日になってしまうことになるが、飛行機がないのではしょうがない。
現金が底を尽きかけてる。この旅行は、金欠との戦いだ。全くヨーロッパの物価高は恐ろしい。

フェズからマラケシュへの電車に乗る。10:50発。駅に着いたのが10:30だったので食料を何も買えないまま乗り込む。電車は25分遅れの11:15にフェズ駅を後にした。

僕の対面に座ったのが音楽男。何か小さなラジオみたいなので、車内に妙な軟弱音楽を撒き散らしていた。僕は内心煮えくり返る。(クソ音楽を公共の空気に放出すんじゃネェ!このナヨナヨ語のニュルニュル野郎が!)奴の言葉使いはナヨナヨしていて、そのうえ声が甲高く、さらに僕をイラつかせたのだ。

車内では面白いことがあった。30代くらいの女性同士がけんかを始めたのだ。口論で始まり、そこからどちらも激昂していって、立ち上がって車内で取っ組み合いになる寸前まで行った。面白いショウだ。モロッコ人は頭に血が上りやすいのかもしれない。イスラム圏でこんなに女性が感情をあらわにした姿を僕はあまり見たことがない。普段は女性は表に出てこないし、街なかでも文字通りベールに包まれているからだ。

無銭乗車なのか、みすぼらしい身なりの子供二人組が、シートとシートの間に隠れるようにして潜り込んだ。

モロッコの列車には車内アナウンスはない。検札の車掌が検札バサミを座席の手すり部の金属に当て、カツカツと鳴らしながらやって来た。車内を回ってくる靴磨きもコーヒー売りも、注意喚起なのか、音を鳴らしながらやって来る。

腹減って死にそうになる。朝からチョコ1個しか食っていない。18:30、30分遅れでマラケシュ着。駅前大通りで、メディナ行きのバスを待つが、来るバス来るバスどれも超満員で乗れない。プチタクシーのドライバーが一人寄ってきて、35DHと言う。交渉で20DHまでは下がったが結局断る。30分以上待ってバスを見送り続け、やっとのこと乗れるバスが来た。乗り込む乗客は、手に手に運転手に運賃を渡してバスチケットをもらう。フナ広場まで3.5DH。

15分ほどでバスはマラケシュの中心であり象徴であるフナ広場に到着。夜のフナ広場には、広大な屋台群が広がり、観光客も多く繰り出し、大道芸も佳境を迎えているようだ。まずは夕食。フナ広場から南に延びるアグノウ門通りにある大衆食堂で、タジンと野菜スープにミントティー。これまた美味い。

飯の後安宿を探すが、フェズと同様にどこも満室。大晦日のマラケシュには、欧米人が大挙して押し寄せているらしい。アグノウ門通りは、観光客で芋を洗う混雑だ。外国人に加え、モロッコ各地からもマラケシュに観光にやってきているらしい。
安宿街を探し回ったが空いていたホテルは1つだけで、500DH。高過ぎる。もう現金がない僕にとっては、ここでは100DH以上のとこに泊まるわけにはいかない。すると、日本語ペラペラの背の高いモロッコ人のニーちゃんが現れ、いくつかの宿に連れて行ってくれた。僕は当然のことながらまずはこの日本語男に警戒心800%となったわけだが、こいつは実際とてもいい奴で、別に上前をはねようとしているでもなく、ボッタクリ宿に連れて行くでもなく、別に俺の好きなところに泊まればいいよ、的スタンスだ。

シンディ・スッドの日本びいきのオーナーがこれまたまれに見るいい人で、
「うちも満室で部屋はないけど、もし他のホテルがどこも満室だったら、2階の廊下のソファでよかったら今晩だけそこで寝てもいいよ。」
という何ともうれしいことを言ってくれたのだ。このオーナーが「日本人好き」と公言してるのは、『地球の歩き方』にシンディ・スッドが良い宿として紹介されていて、日本人観光客が次々と泊まってくれるからだろうが、僕ら日本人にとってもありがたいことだ。僕はそのオファーに甘えることにした。値段は30DH。ソファだろうがどこだろうが横になるところと毛布があればどこでもいいのだ。そこに落ち着いて、すぐに眠ろうとするが、そこの周りの部屋から白人の若者どもの酔っ払った大声と嬌声がうるさいったらありゃしない。ま、ここに寝かせてもらう以上仕方ないとは思いつつ、白人野郎どもというのは、いつもいつも男女グループで旅の夜を騒ぎ倒している。そんな実態を再び目の当たりにして、奴らの傍若無人振りをまたもや嘆いた、2007年最後の夜なのであった。


(NEXT)

(BACK)


(イベリア半島&北アフリカ旅行記 −6−−8−9)
                                             
HOME > THE WORLD > Europe > Iberia_North Africa > (6)