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ベトナム旅行記
2002年1月
(4)ベトナム料理、ベトナム戦争
ホーチミン2日目。この日は市内観光で街中を歩きまわった。1日目に1万5千円使ったが、普通にベトナムで過ごす分にはほとんど金がかからないことが、2日目に分かった。食事は、道端にいすとテーブルを出している屋台食堂で食べれば、10000ドン(=90円くらい)もあれば美味しいものが腹一杯食べられるのだ。街には、そこら中に「COM(コム、米飯のこと)」とか「PHO(フォー、麺のこと)」という看板が目に付く。そこは食堂で、地元ベトナムの人達がみんなで食べている。(右の写真は、ブイビエン通りの食堂)
食べ物は、美味しい。タイでは辛い料理が多いが、ベトナムでは辛い料理は少ない。むしろあっさりした料理が多い。その中でも日本人におなじみなのは、生春巻き「ゴイ・クォン」であろう。米から作った薄い皮(ライスペーパー)で、野菜やえびを巻いてそのままパクっと食べる。うまい。それと麺。これまた米から作ったライスヌードル(白くて透明な麺)は、東南アジアでは非常にポピュラーな料理だ。牛肉と香草を乗せた「フォー・ボー・タイ」や「フォー・ボー・チン」、鶏肉を乗せた「フォー・ガー」。
その他サラミソーセージが入ったベトナム風チャーハン「タップ・カム」、揚げ春巻き「ネム・ザン」、ベトナム風お好み焼き「バイン・セオ」等どれも美味しい。(ベトナムで食べた料理)
さて、ホーチミン2日目は、戦争証跡博物館を見学した。ここでは、ベトナム戦争における数々の写真や、銃・爆弾などの戦争遺物、戦車や戦闘機が展示され、ベトナム戦争の歴史を学ぶことが出来る。それまで、本やドキュメンタリー、映画等で、ベトナム戦争の背景と顛末を勉強していたが、写真や戦争遺物は、さらに私を暗澹たる気分にさせた。何と言っても私が最も衝撃を受けたのは、枯れ葉剤の影響でその後生まれたたくさんの奇形の人々の写真である。ご存知の通り、米等の農作物を枯らし、ベトナム解放戦線への食糧供給を断つため、アメリカは、空から枯れ葉剤という化学物質を散布した。それがベトナム人の体内に入り、彼らの子供たちは、奇形で生まれてきたのだ。彼らの写真は、想像を絶していた。日本人の皆さんには、胴体のつながった二人の子供、ベトちゃん・ドクちゃんのことを知っている人も多いだろう(注1)。その他にも、数々の奇形の人達の写真を目の当たりにし、改めてアメリカの愚かさに嫌気が差した。
今でこそ「正義の国」としてテロリストと戦う姿勢を全面に押し出し、イラクの化学兵器開発を糾弾しているアメリカであるが、ベトナム戦争ではいわば「化学兵器」を使用していたわけである。
また、ベトナム戦争の戦場の写真でピュリッツァー賞を受賞した、青森出身の日本人カメラマン・沢田教一の写真が大きく展示されていた。(彼は、1970年、カンボジアの戦場で射殺されるのであるが、彼のカメラマンとしての生き方を描いた「SAWADA」というドキュメンタリー映画は、「戦場の狂気」をよく描いていて、見ごたえがある。)
ホーチミン3日目には、シンカフェ主催の「クチトンネル半日ツアー」に参加した。クチは、ホーチミン市から北西へ約70kmのところにある町である。ここからさらに30km離れた所に、解放戦線の拠点が置かれ、地下トンネルが張り巡らされていた。ここは「鉄の三角地帯」と呼ばれた難攻不落の場所だった。アメリカ軍は度重なる空爆と大量の枯れ葉剤を投下したが、最後までこの地下トンネルを攻略することはできなかった。
クチトンネルまでの道中、ライスぺーパーを作っている工房を見学した。右写真は、薄く平たく延ばした出来立てのライスペーパーを、天日で干しているところである。
目的のベンディンのトンネルに到着。そこでは、現在も残っている一部の地下トンネルに入れるほか、解放戦線のゲリラ達が作った武器や落とし穴の展示がある。さらに、射撃訓練場があり、体験射撃も出来る。左の写真は、小さなトンネル入り口に入ってみせるツアーガイド。(クチトンネルツアー)
狭いトンネルは、真っ暗で、狭いところはやっと這ってくぐれるほどの高さしかない。ここですぐに思い出したのは、トルコ・カッパドキアの地下都市だ。カッパドキアの地下都市に比べ、ここのトンネルは、圧倒的に狭くて暗い。
クチトンネルからホーチミン市に戻ったのは午後2時頃。ここから私は、ホーチミン市に別れを告げ、中部のホイアンへ向かった。
(続く)
(注1)
2002年10月追記:日本での分離手術から14年、彼らの「今」を伝える記事が朝日新聞に載っていた。それによると、ベト君は依然寝たきりの生活だそうであるが、ドク君は元気に病院で仕事をしているそうだ。彼女もでき、二人でバイクでホーチミン市を走る写真が、とても印象的であった。
2007年10月6日追記:今日、ベト君が亡くなったという訃報がニュースで流れた。享年27。アメリカの暴挙により、寝たきりの人生を送った一つの命が終わった。アメリカは、原子爆弾を2個落とし、枯葉剤を使い、劣化ウラン弾を使い、クラスター爆弾を使い、今まで無辜の人々を虐殺するだけしておいて何の責任も取っていない。アメリカが今のままなら、テロとの戦いは永久に終わらないだろう。
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