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ミャンマー旅行記2009
1.不快指数1000%ヤンゴン

スーレーパヤー近くの屋台。プラスチックのイスとテーブルが道に並ぶ 
 
ヤンゴンの初飯。屋台でご飯と魚カレーとインゲン風炒め
 
ゲストハウス5階から見たスーレー・パヤー
 
ピックアップ(小型乗り合いバス)が連なる
 
ヤンゴンの街並み。電線の束

ヤンゴン中央駅 
 
モヒンガー屋と食べる人々
 
ヤンゴン川
 
車道の真ん中を歩く移動屋台
 
ミャンマースタイル。道端のイスとテーブルでお茶をする⇔食べる
 
ヤンゴンの街並み
 
ミャンマー的食事。ご飯にカレーにスープに生野菜
 
シュエダゴンパヤー
 
 
果物スライス売りのイケメンニーちゃん
 
ヤンゴンのバスターミナル ⇔ 京王バス

2009年4月30日木曜日、NEXで成田空港へ。昨晩は午前1時過ぎに寝て6時に起きたから、睡眠時間は5時間弱。品川7:48→成田空港9:01。
タイ航空にチェックイン。空港では、またまたAMEXのキャンペーンをやっている。
機内は満席。さすがにゴールデンウィーク。日本人とタイ人が席を埋める。数日前に突如として騒然となった豚インフルエンザのため、マスクをしている日本人が多い。
11時定刻に離陸。タイ人のキャビンアテンダント、特に男性は、腰が低い。そしてあのナヨナヨとしたタイ語の抑揚と声のトーンの高さ。本当に全員おカマじゃないのか?と疑いたくなる。
機内ではほとんど眠る。一度トイレに立った際、横入りのおばちゃんにムカつく。
機内食は、牛丼風とサンドイッチの2回。

バンコクまでの飛行時間は6時間30分。バンコク時間15:30着。外気温は35℃とのこと。外に出るとじめっとした湿気が肌に絡みつく。この時期のインドシナ半島は酷暑だ。タバコを1本吸う。
スワンナプーム国際空港の超巨大なターミナルを、延々と歩く。ヤンゴン行のE-5ゲートに向かっていくら歩いてもたどり着かない。
タイ独特の匂い。何の匂いだろう?
カウンターのスシバー。ありとあらゆるブランド店。
バンコクに来るのは1年ぶり。去年2008年もバンコクに来てミャンマー大使館でミャンマービザを取ろうとしたのだが取れなかったのだ。あの苦い思い出から1年。

タイ航空のスチュワーデスやスワンナブーム国際空港のスタッフは英語を話さないことに気づく。外国人とコミュニケーションを取るべき人たちが英語を話さないわけである。国際語の英語に背を向ける、その心意気、あっぱれ。

バンコクの手荷物検査で、僕のコンタクト保存液と洗顔フォームが100ミリリットル以上の液体物ということで止められた。仕方ないので、少ししか入ってなかった保存液は捨て、洗顔フォームは、ビニール袋に空ける(笑)。大丈夫かな、これ。ネチョネチョで。
僕のバックパックを開けさせた係員のネーちゃんも英語をほとんど解さない。これらの液体を持っていくにはどうすればいいのか?と尋ねると、彼女は、「DutyFreeの店に、容器を売っている」と言う。本当かよ?僕は彼女と話すのを諦め、持っていたビニール袋に洗顔フォームを空ける決意をした。普通の人なら諦めて捨てているのかもしれない。顔なんか石鹸で洗えばいいだろう、と考える人も多いだろう。値段にして高々数百円だ。だが僕は、この100ミリリットル規則にどうしても服従したくなかったのだ。

バンコク時間の17:50、ヤンゴン行タイ航空機が離陸。わずか1時間ちょっとでミャンマー最大の都市、ヤンゴンに到着。ミャンマー時間18:30。ミャンマーの時差は、日本と2時間30分。日本は今21時だ。

入国審査官が全員、薄い水色のマスクをしている。一応豚インフルエンザはケアしてる、というアピールだろうか。

入国審査から到着ロビーに出る。「日本ボクシングチーム御一行様」の提示を持ったミャンマー人が待っている。そんな連中、飛行機に乗ってただろうか?

空港の外に出ると、タクシードライバーたちがワラワラと近寄ってくる。始め7ドルと吹っかけられる。『地球の歩き方』によれば、空港からヤンゴン市内までのタクシー料金の相場は6ドルとのこと。僕は試しに「5ドル」と言ってみる。すると相手は、「6ドル」と言う。
別の運転手と交渉すると、5ドルでOKだという。あれ、6ドルでなくていいの?と思うが、もともとがボッタくりなのだろう。それとも、ミャンマーチャットに対するドルの価値が今は上がっているのだろうか。僕はこの5ドルの男のタクシーに乗ることに決める。
タクシーは30分かけてヤンゴン中心部、スーレーパヤー脇のガーデン・ゲストハウスへ。暑い。飛行機のアナウンスでは、ヤンゴンの気温は35℃だと言っていた。
ちなみに、『地球の歩き方』によれば、ヤンゴンの街は、このスーレーパヤーを中心に設計されている、とのことである。

※注:「パヤー」とは仏塔の意。仏舎利などが納められている。英語で「パゴダ」。

ゲストハウスのニーちゃんと喧々諤々やる。夜は停電が多く、そうなると発電機で電気を作るが、それも夜中の12時まで、つまり停電時は夜12時以降は電気なし。このような停電がかなりの頻度で発生するというから恐ろしい。エアコンなしでこの暑さをどうやってやり過ごせるというのだ?
結局僕はこのゲストハウスに泊まることに決める。シャワー・トイレ共同の部屋だと4ドルだったが、部屋にはファンだけだったので、さすがにこの暑さじゃきつかろうと思い、シャワー・トイレ・エアコン付の部屋にした。それでも6ドル。値段差はわずかで、部屋は広いし、全然こっちの方がいい。4ドルの狭い部屋では、熱帯夜に暑くて死ぬことになるだろう(笑)。

チェックイン後、外に出る。夜は涼しいのだろう、ミャンマーの人たちは通りに置かれたプラスチックの低いテーブルとイスでお茶し、飯を食っている。
怪しい両替屋がこれまたワラワラと寄ってくる。レートを聞いているところへゲストハウスのニーちゃんが通りかかる。
「ホテルでも両替できるよ」
「レートは?」
「900くらいかな」
やはり怪しい闇両替屋の方がレートがいいようだ。1人目の両替屋は1ドル=1050チャット、2人目は、200ドル両替するなら、1ドル=1100チャットでいいという。僕は彼から両替することに決め、怪しいオフィスに連れていかれる。200ドルを、1000チャット紙幣220枚と交換する。恐るべき分厚さの札束だ。ここのボスを含め、奴らは皆怪しい様相だったが、電卓は細工されてなかったし、札も自分で数えられた。彼らは100ドル札を期待していたようだったが(高額紙幣の方がレートがいいらしい)、僕が持っているドル札は20ドル紙幣が最高だったので、20ドル札を10枚渡す。
彼ら曰く、「ヤンゴンが一番レートが良く、地方に行くと途端にレートが悪くなる」とのこと。これは、『歩き方』にも書いてあったことだ。地方に移動する前にここで両替しておいた方が得策だというわけだ。そんなわけで僕は一気に200ドルを換えたわけである。
彼ら曰く、ドルは今少し弱くなっている、とのこと。そしたらなんであの空港タクシーの男は5ドルでOKしたのだろう。背に腹は代えられないか。別に5ドルでも採算的には全く問題ないのだろう。
僕をこの両替屋に連れて行った若い男が、紹介料としてチップを僕に要求してきたが、僕は断固はねのける。奴はすぐに引き下がった。奴に治安の話を聞いてみると、ヤンゴンは全然危なくない、とのこと。確かに夜9時でも女子供が平気で歩いている。人も無邪気そうな気配だ。

近くの屋台で夕飯。魚のカレー煮、インゲン風炒め、ライス。油っこいが美味い。1000チャット、すなわち約1ドル。やはり屋台は安くて美味い。他のミャンマー人に混じって道端に出された低いテーブルの低いイスに座り、食べる。お茶はタダで飲み放題。暑いのに温かいお茶。アジア的である。
屋台のおやっさん、子供もボッタくる様子はない。

目の前にライトアップされた金色のスーレー・パヤーがそびえる。
水を買って宿に戻る。宿の5階のロビーから、スーレーパヤーが斜め上方から絶景に臨める。これぞブエナビスタ。今週末は天皇賞(春)。

ミャンマー人は、噂の腰巻をしている。ロンジーだ。そして、裸足でホテル内を歩いている。
夜11時に就寝。


5月1日金曜日。
昨晩、エアコンは夜中数回止まったが、夜通し一応動いていたので熱帯夜地獄は避けられた。ただゲストハウスのニーちゃんが言っていた通り、音がうるさくて眠りは浅かった気がする。

8:30にようやく起き、朝食。パンにコーヒー。ゲストハウスから外を見下ろすと、もうすでに陽光がギラギラし始めている。スーレーパヤーが光を反射し、バスや車が道路を這い回っている。
外は暑い。9:30、外へ出る。スーレーパヤーを見た後、鉄道駅へ。ダウンタウンを北にまっすぐ歩き、線路の高架を渡って駅に回り込む。ヤンゴン中央駅だ。ヤンゴンの後僕はマンダレーへ行こうと思っており、鉄道の時刻と値段を確かめる。始め、駅の係員に「35番売り場へ行け」と言われるが、ビルマ数字の表示しかなく、35が分からない。やっとのことで売り場にたどり着き、マンダレー便を聞いてみる。列車は朝ヤンゴン発夕方マンダレー着で、夜行はないという。しかも高いので、バスで行くことに決める。

僕に声をかけてきた怪しい若者に連れられて、ヤンゴン中央駅の向かい側にあるボーヂョーアウンサンスタジアム脇のバスチケット売り場へ。鉄道駅の近くにバスチケット売り場があるとは便利だ。軒を連ねているバス会社をいくつも回り、結局マン・シェーピー社のマンダレー行きを15000チャット(約15ドル)で購入。明日17:30発の夜行バスだ。ちなみに、これは外国人料金らしく、ミャンマー人だと10300チャットだという。
僕を連れてきた若者は、日本語を3か月間語学学校で学び、姉(または妹)にも教わったのだという。その割には、「あなたきれいです」「あなた好きです」といった具合に、助詞が全部「の」になっていた。彼は、「日本人の友達多いんだ」とばかりに、日本人の名刺やメモ帳をこれ見よがしに僕に見せてきた。

若者と別れ、歩いてボーヂョーアウンサン市場に行くが、今日はメーデーの祝日ということで閉まっている。ヤンゴンの裏街を歩くと、向かい合った5階建てくらいの古い建物の間に、絡みついたかのような無数の電線が渡されている。ほとんどこんがらがっているのではないかという有様である。事故など起きはしないのだろうか。
ヤンゴンの建物は、表通りにある近代的な真新しいのもあれば、裏通りにある古めかしくて汚いが現役バリバリの集合住宅的建物もあり、好対照をなしている。植民地時代的西洋風な建物は、それほど多くない。

市場の向かいの屋台でモヒンガーを食べ、さとうきびジュースを飲む。蒸し暑い。街路樹がくっきりとした濃い影を落としている。ヤンゴンは、街路樹の緑が豊富で、この時期陽光に照らされてまぶしいくらいに輝いている。
犬っころも猫ったまも見かけない。軍事政権が連れ去って食べているのだろうか?

午後1時、一旦宿に戻る。このまま外で活動を続けていたら、間違いなく熱射でやられる。高温だけでなく、多湿である。朝からすでに3時間半くらい歩き回っている。一番暑い時間帯はどこかで涼んでいた方が無難だ。活動限界。

午後3:30過ぎまでグッタリと眠る。エアコンの部屋にして正解だ。エアコンのおかげで部屋は涼しい。
気力を振り絞って起き上がり、再び外へ出る。まだ外は灼熱が覆っている。

ヤンゴンの街のを取り囲むようにしてヤンゴン川が流れる。ダウンタウンを南に下ると川に出る。フェリー乗り場から対岸に行こうとするが、「パミッション」なるものが必要とのこと。まるでイエメンじゃないか。スーレーパヤーの近くでこのパミッションが取れると聞いたが、どこだかよく分からず、地図上で説明してもらおうとしても、ミャンマー人は地図をよく読めない上に、英語もあまり話せない。僕は諦めてヤンゴン川の写真を撮って北上した。途中、「ナイスバーガー」や「Jドーナツ」なるファストフード店が現れる。「マクドナルド」や「ミスタードーナツ」に店の色合いがそっくりだ。
さらに、「トウキョウ・フライドチキン」なるフライドチキン屋が赤い看板を目立たせている。ケンタッキー・フライド・チキンみたいなものか。この国には、アメリカ帝国の手先のような店はない。

ソニーのショウルームに入る。冷房が冷え過ぎるほど効いている。ブルジョワの店だ。隣がJドーナツで、こちらも冷房が効いている。ファストフードの典型のような店だ。周りは地元の簡素かつ粗雑な店ばかりで、この2店は辺りに異彩を放っている。

再びスーレーパヤーに戻ると、昨日の両替屋のボスがいた。彼に「ミャンマーカレーが食べたい」と言うと、彼曰く、
「インドカレーとミャンマーカレーは違う。」
足を棒にして歩き、『歩き方』に載っている、評判のビルマ料理店・ダヌビューにたどり着く。途中、夕暮れのヒンズー寺院が現れる。
午後6時。ダヌビューで魚のカレーとご飯を頼む。合わせてスープと大量の生野菜が載ったプレートが出てくる。レタス、きゅうり、小さな大根、オクラ、その他知らない野菜が盛られている。うれしい。けれど生野菜は大丈夫だろうか。
『歩き方』によれば1500チャットであったが、2500チャットもした。
ミャンマーのカレーは、煮込んだものを小さな皿にちょっと盛って出す。辛さはそれほどでもない(時々入っている唐辛子を食べると辛い)。ご飯にかけて食べるのだと思われる。ご飯はパサパサで細長いインディカ米。スープは酸っぱくて辛い酸湯みたいな味。結構いける。
食事後、タバコを1本バラで買う。1本50チャット(約5円)。

ようやく一日が終わる。日が暮れた。街が暗い。車もあまりライトをつけてない。
宿に戻ると、停電していることが分かった。たから街に灯が少なかったのだ。発電機でファンは周っている。このまま停電が続くと、発電機は12時で止めると言っていたから、12時以降は電気なしだ。
夜中、停電は復旧したようだ。発電機の方のコンセントで充電もできた。
ホテルの床は清潔でよい。裸足で歩ける。ここの人たちはパヤー(仏塔)を裸足で歩き回る人たちなので、裸足でも足が汚れないような気配りがされているのだろうか。

ヤンゴンには道という道、辻という辻、歩道という歩道に露店がびっしりと出る。飲食屋台となんでも扱っている露店だ。飲食屋台は、揚げ物、果物、ジュース、麺、ご飯、ミャンマー的お菓子など。物売りの露も、ジャンク、電化製品、リモコン、ケータイ、本、雑誌、服、雑貨、金物、何でもある。売られているポットを見ると、どう見ても日本の粗大ゴミ(今はもうないけど)よりも数段汚く、年季が入っている。日本人は悪しき大量消費主義に毒されており、まだ使えるのに、時には新品に近い状態でどんどんモノを捨てていくので、どんどんミャンマーにそのような中古品を輸出すればいい。この国の人たちは、大事に使ってくれるだろう。フィリピンなどには日本の中古テレビがどんどん輸出されているようだが、その他の物品も輸出すればいい。

余談にはなるが、日本の悪しき大量消費主義は、残念ながら日本という国を支えていく上ではある意味必要なことである。日本という資源のない国では、誰も物を買わなくなれば、内需は停滞し、企業業績は悪化し、給料は下がり、そしたらさらに人々は物を買わない、という悪循環に陥るわけである。


5月2日土曜日。
朝8:30起床。まずまず眠れた。今日も快晴。ここの空は抜けるような青空ではなく、やや白みがかっている。東京と似ているか。
1500チャットでシュエダゴンパヤーまでタクシーで行く。
シュエダゴンパヤーは、ミャンマーの仏教徒の聖地であり、その起源は2500年以上も前に遡るという。


入口を入ると階段となっていて、お供え用の花屋、仏像屋、お土産屋など、両側にたくさんの店が並んでいる。104段の階段を上がり切ると、靴を預け、裸足で巨大なパゴダに足を踏み入れる。灼熱の太陽がタイルが熱している。足の裏が焼ける。真夏の砂浜。
目の前のシュエダゴンパヤーは、遮るもののない太陽の光を受け、キンキラキンに輝いている。高さ99.4m。基底部の周囲は433m。つまり1周すると433m歩くことになるわけである。使われている金箔の数は8688枚。塔頂部には、ダイヤモンドやルビー、ヒスイなどの宝石がちりばめられているという。超巨大かつ超豪華な仏塔だ。

仏塔の周りには大小様々な付属施設が立ち並んでいる。無数の小さな仏塔、仏像、動物像、そして尖った塔を持つ建物群が辺りを埋め尽くしている。これら建物の中には、金や白の仏像が所狭しと並んでいる。
人々は建物の陰に座り込み、仏像の前で熱心に祈りを捧げる。

シュエダゴンパヤーで日本人に会った。彼はキックボクシングで昨日来た友人と一緒だという。一昨日?例の「ボクシングチーム御一行」というのがここでつながった。


シュエダゴンパヤー 写真集

国立博物館へ。館内にはほとんど人がいない。ところどころのパイプ椅子に座っている従業員が、寝息を立てて眠っている。
イギリス軍により略奪され、その後返還された、マンダレー王宮内にあった「獅子の玉座」が見所の一つ。その他、ミャンマーの歴史、文化、伝統工芸などの展示がある。

スーレーパヤーに戻り、近くの食堂でモヒンガーの昼食。汗だくになってモヒンガーとお茶をかき込む。美味い。お茶がいくらでも飲める。暑すぎ。
午後2時、宿で荷物をピックアップし、タクシーを捕まえるが、どいつもこいつも吹っかけてくる。スタジアム横のバスチケット売り場まで、2ドルとか1500チャットとか、全く人をコケにしている。シュエタゴンパゴダまで1500チャットだというのに。だがどいつも下げないので、仕方なく最後の奴の車に乗って、1500チャットで行くことにする。車はアっという間に着き、僕は大人げなく1500チャットの札をドライバーに投げつける。
「近いだろ、ア?」

スタジアム横のチケット売り場で待つこと30分。その間に果物(なんだろうこれは)のスライスを300チャットで買うが、変な粉(香辛料)がかかっていて、これがマズい。果物だけでいいのに、と心の中で叫ぶ。果物売りのイケメンのニーちゃんにその叫びは届かない。
午後3時、ピックアップに乗ってアウンミンガラーバスセンターへ(ミャンマーでは、バスターミナルのことを、バスセンターと呼ぶ)。30分くらいかかる。ヤンゴンのバスターミナルは街から結構離れているようだ。どの国もたいていそうだが、ここのバスターミナルも人でごった返している。
ここでまた午後5:30まで待つ。
麦わら帽子をかぶったたくさんの女性が、バスケットに同じものを売ってる。ティッシュ、ガム、あめ、ウェットティッシュなどなど。彼女らはみんなタナカを顔に塗っている。

暑い。暑くて眠くなってくる。そういえば昨日は活動限界を感じて昼寝したっけ。待合所はまだ少し涼しいが、ここでもいるだけで体力を吸い取られていく感じがする。
オレンジジュースを飲み、タバコをバラで買って一服する。

近くに停車しているバスはことごとく日本製だ。「吉祥寺→ノンストップ→羽田空港」の表示がそのまま残っている。車体には「KEIO HIGHWAY EXPRESS」の文字。日本から中古で輸入され、そのまま使っているようだ。

バスは、定刻5:30にマンダレーに向けて出発した。


ヤンゴンの街 写真集

<ミャンマー雑感(1)>
■ミャンマー人は小柄である。そして細い人が多い。東南アジアらしい体型。
■日傘は必需品。男でも日傘をさして歩いている。恐怖の日差し。
■街角にはニョクマムの匂いが流れる。
■ミャンマー人の肌の色は様々で、だいぶ黒い人もいる。時々アフリカ系黒人を見かける。
■ミャンマー人の男は、タバコを吸う人多い。


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