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ミャンマー旅行記2009
4.気分爽快 インレー湖

ヘイホー空港からニャウンシュエへ向かう 
 
ニャウンシュエの街

パレードを歩く女性たち(ニャウンシュエ) 
 
シャンヌードル。美味い。下痢以来、久々のまともな飯
 
伝統の漁具で魚を取る漁師
 
水路を渡る水上橋
 
 
 
水上村に住む一般家庭を押しかけ訪問。大人しいが気のいい人たち
 
 
 
金をもらって写真を撮らせる首長のパオダン族。彼女らは、機織りをしている
 
 
 
機織り工房

タバコを作る少女たち 
 
水上寺院、ファウンドーウー・パヤー
 
水上農園でトマトの世話をする女性
 
船頭のウィンさん、仁王立ち

5月6日水曜日。
朝起きる。恐る恐る自分の体調を感じてみる。熱は治まったようだが腹痛はまだ続いている。
昨日よりはマシだ。
今日は飛行機でバガンからインレー湖近くのヘイホーに飛び、ニャウンシュエというインレー湖畔の観光拠点の街に行くことにしている。

ニャウンウー空港を飛び立った飛行機は、わずか25分ほどでマンダレーに到着。飛行機は速い。
客の乗り降りがあって再び離陸し、ヘイホー空港までは20分ほど。
飛行機は小型だが、なかなか快適。飛行時間が短いので、機内サービスは飲み物のみ。しかもコーラとかスプライトとかファンタの炭酸飲料だけ。100%フレッシュジュースは、この国にはないようである。

ヘイホー空港はこれまた小さな空港。フランス人カップルと乗り合いタクシーに同乗する。彼らに話を聞くと、いま韓国に住んでいるとのこと。
インレー湖に近づき、入域料を払うゲートでひと騒ぎ。フランス人が出した5ドル札が、一部切れているので、ゲートの係官が「この札は受け取れない」と言う。それを聞いたフランス人男が激怒する。
「これはヤンゴンでミャンマーからもらった札だ!文句あっか?!」
フランス人が怒るのも無理はない。僕でも怒るだろう。だってこれって、君たちがくれたものじゃないか。それを使えないとは、おかしいだろ。
だが、そんな僕たちの常識が通用しないのがこういう国である。ましてミャンマーは民主主義の国ではない。軍政による支配が続いている。僕らの考え方が通用するなんて思わない方がいい。
きっと、「傷んだ札は使えない」というルールがあるのだろう。ヤンゴンで、外国人はそのルールを知らないのをいいことに、どっかの店だかの悪意あるミャンマー人が、このフランス人にこの破れた5ドル札を渡したのだろう。彼らに言わせれば、「受け取ったお前が悪い」ということなのかもしれない。しかしそんなルールを知らない外国人に、その論理は酷だ。

しばらく押し問答が続く。結局このフランス人は頑として譲らず、破れた5ドル札を係員に向かって投げ捨てた。おい、そりゃやり過ぎやろ、と思いながら見ていると、係員は渋々この札を受け取ったようである。

ヘイホー空港からおよそ1時間、ニャウンシュエの街に入る。乗り合いタクシーを降りて、僕は『地球の歩き方』で目を付けておいたジプシーインに行き宿泊代を聞く。1泊10ドルとのことで、ここに決める。2泊分を支払う。朝11時前。

部屋に入るとまだ体調不良の影響で、疲れが出る。しばらく休む。どのみち日中は日差しが強すぎて、外を歩くのは苦行である。

午後4時頃、外に出てニャウンシュエの街を歩きまわる。街には花が咲き乱れ、華やかな雰囲気がしてよい。
金色の仏塔がいくつかあり、午後の光に輝いている。

5時ごろ、祭りのパレードに出くわした。山車みたいな車、チャンバラのように踊る男たち、頭の上に花を乗せて歩く女性たち。何の祭りだろう?

喉が渇いたので、屋台でコーラを求めると、なんとビニール袋に入って渡された。ストロー付き。

夜、ジプシーイン斜め向かいのレストランで、シャンヌードルを食べる。久々のまともな飯である。ひどい腹痛と発熱のおかげで、昨日の朝のパンケーキ以来、2日間でバナナ、果物、ジュース、水、小ケーキ、マスカットのど飴しか口にしていない。

シャンルードルは美味かった。が腹痛は続く。それでも、水のような下痢ではなくなり、ある程度固形物が出るようになった。
レストランには、一匹のホタルがいた。緑色の淡い光が不規則な円を描いて飛び、すぐに見えなくなってしまった。

ニャウンシュエ 写真集


5月7日木曜日。
7時に豪華な朝食、シャンヌードルまで出してくれる。
今日はいよいよ旅のハイライト、インレー湖ボートトリップ。韓国人2人組と僕の合わせて3人。エンジン付きボートで船頭はウィンさん。外国人用ボートらしく、細長いボートに3席設置されている。
ちなみに、このボートトリップ料金は1隻18000チャット。3人で乗ると、一人6000チャット(約600円)である。このあたりの運河に係留されているボートを見ると、3人1組が基本らしい。

湖に直結する引き込み線の運河から出発。運河沿いにはボートハウスが何軒も並んでいて、裏から木の階段を下りてボートに乗り込む。
7:45、ボートトリップ出発。運河からほどなく広大なインレー湖に出る。
インレー湖はシャン高原上にあり、標高1300m。爽やかで気持ちいい。
インレー湖の大きさは、南北約22km、東西約12km。細長い湖である。

朝だがもう太陽は割と高い。さんさんと落ちる太陽の光が湖面に反射してキラキラ光る。その中を爽快なスピードでボートは走る。

湖上にはたくさんのボートが浮かんでいる。魚を取っている漁師、モノを運んでいるような人、様々。
片足で船尾に立ち、もう片足で櫂を操る独特の漕ぎ方をしている漁師がいる。彼らはインダー族だろう。

その後我々のボートは、狭い水路に入っていく。ここでも何艘ものボートとすれ違う。韓国人がやたらに彼らに手を振る。だが彼らは笑顔で手を振り返す。いい人たちだ。

1時間ほど後、9時過ぎにボートは接岸し、上陸。水路には何艘ものボートが係留されている。水路が細くなって行き止まり的になっている場所には、係留されたボートがずっと連なっている。
インレー湖に住む人々にとって、ボートは生活上欠くことのできない足である。

水田が広がり、木造の高床住宅が点在している。その背景には、山がそびえている。シャン州は山がちの州である。美しい。これが典型的なこの辺りの風景だろう。

牛車がモノを運んでいる。
これから近くの市場に行く。タンタウンの五日市、という市らしい。水田の間の道を歩いた後、牛車に乗せてもら。
市は活気があった。地べたにゴザを引いて、竹の支柱で簡素な藁ぶき屋根の下に、露店が延々と並んでいる。食料品から日用品まで何でもある。鍛冶屋まである。

その後、湖畔を歩く。細い水路にデカい水牛が入り込み、水を浴びている。子供たちも泳いでいる。

再びボートに乗り、細い水路を行く。時々木造の階段橋がかかっている。絵になる。
水路が縦横に走っている湖畔の村に上陸。インレー湖の水深は浅くm乾季は2mくらいしかないらしい。そこでアシをはじめとする水草が繁茂し、浮島を形成している。湖畔に立っている家が多いが、水上にモロに建っている家も多い。

僕らがいるところは湖畔に見えるが、建っている家はすべて高床式。いまは乾季の終わりだから、多分水位は一番低い時期だろう。とすると、雨季最盛期にはこの辺りはすべて水没してしまうのかもしれない。そう考えれば、「水上村」という言葉はふさわしい。今は普通の湖畔の村にしか見えないのだけれど。

韓国人オヤジの要望で、ここの一般の家にお邪魔する。ツアーの内容には入ってなかったようで、ほとんど押しかけ状態。

その後、タバコや機織り、ナイフなどの様々な工房を周る。

金をもらって写真を撮らせるロングネックのパオダン族。タバコ造りの少女たちも同じ。
どこに行っても僕ら観光客にお茶やお菓子を振る舞ってくれる。

それはそうと、タバコ工房で働く少女らがタバコを吸うのには驚いた。韓国人が、韓国のタバコEsseをあげたら、もらった少年が少女たちに廻し吸いをさせていた。やっぱタバコの味を知らないといいタバコは作れないのだろうか?それにしても何歳だよ、コイツら?

昼食は水上レストランで焼きそば。これ、いい。
 
ボートでモノを運ぶ

水上寺院で昼寝する韓国人 
 
ウィンさんも片足で櫂を操る

そして巨大な水上寺院、ファウンドーウー・パヤー。ここで韓国人のおじさん二人は、疲れたのか、寺の中、ひんやりとしたタイルの床に大の字になって昼寝を始めた。

ガーペー僧院。多くの仏像が安置された本堂には、たくさんの猫がいる。猫がジャンプして輪をくぐるというのがここの見せ場らしい(笑)。が、たくさんの猫たちは、思い思いに寝ころび、ダベっていた。

その後、ボートは再び狭い水路に入る。ここには、水上農園があり、女性がボート上でトマトの世話をしていた。

これで楽しい1日ボートトリップは終了。ボートは再び広いインレー湖上に出て、ニャウンシュエの街に戻る。

■インレー湖ボートトリップで行った場所
・タンタウンの五日市
・一般の人の水上村の家
・かさ工房
・織り工房・・・ロングネックのパオダン族
・水上レストラン
・ナイフ工房
・タバコ工房
・機織り工房・・・蓮の繊維「ロータス」の織物。シルクやコットンもあり。
・ファウントーウー・パヤー
・ガーペー僧院・・・猫のジャンプ
・トマトの水上農園

ところで、この同行の韓国人オヤジたちの横柄なことは僕を大井に不快にさせた。こいつら、金で何でも解決できると思ってやがる。

僕の韓国人観を180°転回させる奴らだ。僕の狭小な韓国人観は、今までに付き合った数人の韓国人から成り立っている。大学の研究室にいた宋さんと、アメリカに留学した時にこれまた同じ研究室にいた宋さんである。二人とも宋さん。
彼らは礼儀正しく、日本人のように目上の人を敬い、彼らの道徳観や振る舞いは、日本人に近かった。
日本に留学していた宋さんは日本だったからまだしも、アメリカにいた宋さんは、研究室で僕と一番気の合う人間だった。「なんだ、韓国人というのは日本人に考え方が近いじゃないか」と思った次第である。
しかし、その後、私は韓国人との交渉がないままに、他の日本人が韓国人を評して言うのに、
「激情的な人間が多い」とか
「異常に我が強く、自分の主張をとことん主張する」とかいう評価をする人が多かった。

今回、インレー湖ボートトリップに同行した2名の韓国人は、ミャンマーで傍若無人に振る舞う輩として僕の目に映った。何かと横柄な物言いと要求。あけすけな欲望の発露。自分がしたいことをすぐガイドやタクシードライバーに伝え、その欲望を遂げる。ツアーに入っていない、水上村の一般の家にまで行きたいと言い出し、無理に押し掛ける。この異国で、自分の思い通りにならないことはないと思っている。旅では、制約の中で何をするか、が重要なのであって、他国で自分の価値観を押し付けることほどみっともないことはない。

この二人は、金で何でも解決できると思っている。訪問先で金をばらまく。家の家族に金を配り、訪れた工房で働く子どもたちにもポンと1000チャットを渡す。
これは、一昔前の日本人団体観光客の振る舞いと同じである。とにかく何でも金で決着をつける。アホだ、こいつら。見たところこの二人とも僕よりは年上で、40代後半だろうか。
それでいてお土産屋では高いと値切ったら80ドルが40ドルに下がったといってこれまた文句を言う。

これで韓国人は、ミャンマー人にとっては金をばらまくアホなカモとして映るのか、気前のいい寛大な人たちとして映るのか。よく分からない。

僕の流儀と正反対だ。とにかく僕にとっては彼らの言動は不快極まりない。相手を見下している。
一方、この韓国人たちは、すべてのすれ違うボートの上にいる人たちに対し、「ミンガラバー」(こんにちは)と言って手を振る。何だ、さっきの強引さと裏腹なこの無邪気は?

ところで、インレー湖上に住んでいる人たちのインフラはどうなっているのだろう?どうやら電気は外の陸地から来ているようだ。水や食料や日用品はきっと、自給分と街で買ってボートで運んでくるのだろう。

韓国人の傍若無人はあったものの、こうして楽しいボートトリップは終わった。インレー湖の水上生活。水の上で生きる人々。そこには街とは別世界が広がっている。
風光明媚な景色。広々とした湖面、遠くには山々、そして水とともに田畑があり、菜園があり、家があり、そこに生活する人々がいる。楽しい。日がな一日、見たことのないものを見て、高揚できた。
ヤンゴンやマンダレーなどの都会は、熱度とか規模の違いこそあれ、東南アジアの他の都市、バンコクやホーチミンやビエンチャン、プノンペン、といった都市とその雰囲気は大きくかけ離れてはいなかった。それは街並みにしても、人にしてもである。民族は違うのだろうが、全然違う感はない。

しかしインレー湖の風景と人々の生活は、想像を超えている。これまでのミャンマー旅行の中では最大のハイライト。見たことのないものを見る、これぞ旅の収穫、醍醐味。
「川は動く道」の上をいく。動かない水面の上に道を造るように街を造り、移動はすべて船である。
「人は水面の上に街を造った 〜インレー湖〜」

インレー湖 写真集
インレー湖 映像集


6時ごろ日没。6:30頃から宿のテラスで日没を眺める。
もうすでに山の端に太陽が沈んだ後で、雲の色がその反射で刻々と変わっていく。オレンジ色の死。これが毎日繰り返される。
そうしているうちに街に電気が灯る。日没に合わせたかのように電気が復活。日中は電気が来ていない。すぐにデジカメとビデオカメラのバッテリーの充電に取りかかる。

ニャウンシュエにはほとんど電気がない。今まで回った場所ではヤンゴンが一番マシで、バガンもしょっちゅう停電していてひどかったが、ここが一番停電時間が長い。
日中はほとんど電気がなく、夜も数時間ではないだろうか。電気があっても、電気が明るくなったり暗くなったりするし、扇風機が速く回ったり遅くなったりする。電圧不安定。瞬停も頻発する。
タイのメーサーイからミャンマーのタチレイに夜入ると、明るさの差が歴然とする、という話が納得できる。ミャンマーでは電気が少ない。
僕の泊まっているジプシー・インにの部屋にはテレビと冷蔵庫があるが、電気がなければこれらはガラクタ同然の箱である。

8時前、食事に出る。水のようだった便はほぼ固まったが、腹痛は若干残っている。インレー料理を出すという、Four Sistersというレストランでメニューを開いてみると、魚カレー、野菜炒め、フライドポテト、グリーンサラダ、ライス、というセットだという。依然としてそれほど食欲もなかったし、食いきれないと思い、またあまりビルマ料理と変わったようでもないのでやめた。

結局、昨日のシャンヌードルが美味かったホテルの向かいにあるレストランへ。電気がなくて暗い。空には満月に近い月が浮かんでいて、そのおかげで何とか見える。再びシャンヌードルを頼む。
店のマスターと会話する。観光客は、日本人、フランス人、韓国人が多いとのこと。バガンもニャウンシュエも中華料理屋はたくさんあるが、中国人はそれほど見ない。
ミャンマー人は、ドバイに出稼ぎに行く人が多いという。

ニャウンシュエの朝晩は涼しい。特に夜中〜日の出まで。さすがに高原だ。


<ミャンマー雑感(3)>
■「LONDON」という名前のモノが目立つ。タバコやせっけん。イギリスの植民地だったことの名残だろうか。
■この国でもサッカーが若者に人気だ。店の壁にはマンチェスターユナイテッドとか、ロナウジーニョとかのポスターカレンダーが貼られている。
■ミャンマーの街には、フレッシュジュースのスタンドがない。その場でミキサーで生ジュースを作ってくれるスタンドである。ジューサーは電気を使うから、電気が乏しいこの国では無理なのだろうか。ちなみに、出来合いの濃いシロップを水で薄めて提供するジューススタンドはある。

■インレー湖周辺では、トラクターのような車の後ろに荷台を付けて、人が鈴なりに乗っている。一家で夜逃げでもしてきたかのようである。1台に20人くらい乗ってることもある。ミャンマーの乗り物は、常に”鈴なり”である。
■こういう国に来て思うのは、ここの人々はうつ病なんかと無縁ではないか?ということである。確かに、日本のギスギスとした、殺伐な都市生活とプレッシャーのかかる会社勤めをしている日本人よりはストレスは少ないかもしれない。だが、きっとこっちの人にもそれなりの悩みはあるのだろう。ミャンマー人が東京に行って生活しろ、って言われたら、きっとすぐに嫌になってミャンマーに帰るだろう。


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