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ミャンマー旅行記2009
3.意識朦朧のバガン

マンダレー→バガンー間、痩せた牛たち 
 
エンコしたバス。何もない場所で立ち往生
 
周りに何もなさそうな一本道に、おばさんが頭に物を乗せて通りかかる
 
近くの村に移動して昼食。代替のバスを待つ。
 
馬車に乗ってバガンの遺跡地区へ向かう
 
ダマヤンヂー寺院
 
 
 
シュエサンドー・パヤー。階段を伝って上に登れる
 

多くの寺院が平原に点在する 
 
夕暮れのバガン

5月4日月曜日。
朝6:15起床。6:45にホテルで朝食。朝食は7時開始だったが、6:45でもう開いていた。
朝食は卵付き。しかもコーヒーはブラックが出てきた。甘々のやつではない。

7時過ぎにチェックアウト。外に出ると昨日のタクシーのニーちゃんが待っていた。
昨日、僕が「明日はバスターミナルに行く」と言うと、「通常4000チャットだけど、フレンドだから3500チャットの特別料金で行ってやるよ」と言われたので、まぁ3500チャットが安いかどうかはともかく、奴に頼むことにしたのだ。

奴のポンコツバイクタクシーは、調子悪いようだが、7:30にはハイウェイバスステーションに到着した。

午前8時発バガン行き。乗客は少ない。白人が6人いる。ミャンマーでは今のところあまり白人を見ない。日本人も見ない。

9時半にトイレ休憩。小さな村。
マンダレー→バガン間の風景は、乾燥した大地である。薄茶色の砂っぽい平原が広がっている。畑がある。たまに水田も見える。
ヤンゴンからマンダレーに向かうバスの車窓で、ヤンゴン郊外ではほとんど水田だけだったが、北部では乾燥地帯が広がっていることが分かる。
ミャンマーの南部は、一大稲作地帯であり、米を大量消費するこの国民の胃袋を賄う場所である。イギリスの植民地だった頃は、ミャンマーの米は大量にインドに輸出されていた。やはりイギリスの植民地だったインドの労働者向けの安価な食料となっていたのだ。
ミャンマー中央部から北部にかけては、中央乾燥地帯であり、雨季でもその他の地域ほど雨は降らない。

牛の群れが道端を歩いている。どの牛もあばら骨が浮き出てがりがりに痩せている。

その後10時半頃、バスの調子がおかしくなり、止まってしまった。エンジンがかからないようだ。乾燥した平原の真っ只中で、バスが故障し、乗客が途方に暮れる。
乗客に聞いてみると、別のバスが来るというが、いつになるか分からない。せっかく6時間で着くというから乗ったのに、これじゃあ計画は台無しだ。だが、逆に言えば早く出てきて良かった。
このバスはKIA製。韓国製は信用できん。

外は暑いが、道沿いに立つ木の木陰に入ると涼しい風が抜ける。木がある場所でよかった。日陰のないのっぺりした平原だったら、この暑さをやり過ごせずに大変なことになっていたところだ。
近くではバスのエンコなどお構いなし、という風情で牛2頭で畑を耕している若者が一人。こんな乾燥平原の真ん中に畑があるというのも驚きだ。
また、頭に物を乗せたおばさんも通りかかった。ここは何もない全くの中間地ではなく、そんなに遠くない場所に村か町があるのだろう。

それにしてもこういう人里離れた場所で車がエンコするというのは致命的だ。
車というのは、エンジンがかからなければただのガラクタであることを再認識する。

乗客のおばさんがケータイで電話している。こんな場所に電波はあるのだろうか。乗務員たちはケータイなど持っていない。どうやってバス会社と連絡を取るのだろう?
3人の乗務員は、なんとかエンジンを見て直そうとしているようだ。

乗客たちは道端の木陰で時間をつぶしている。
しばらくして、乗務員たちがエンジンを直すのを諦めて歩き始める。近くの村まで行ってバス会社に連絡するのだろう。

午後1時ごろ、1台のピックアップがやって来た。乗客全員を乗せて近くの村へ移動する。バスは置き去り。着いた小さな村で遅い昼食。暑い。

代替のバスが、この村にやって来るように手配したらしい。マンダレーから来るとのことで、てことは多分あと3時間くらいはここで待つことになるのだろう。

バスがこうやってなんかの事情で遅れることはよくあるが、ここまで長い時間遅れるのは僕の経験ではほとんどない。エクアドルでは、グアヤキルでバスがパンクして動けなくなり、代替のバスに乗り換えたことがあったが、乗り換えのバスは割とすぐに来た。まぁ、エンコする場所が重要で、街から遠く離れていたら、今回のような事態になったのだろうが。
ボリビアでも乗っていたバスのタイヤがパンクしたが、あの時はタイヤを交換して問題なかった。

村人たちは突然の来訪者に驚いた様子。しかも外国人が何人もいる。この村に外国人が来たことなどほとんどないんじゃないかと思うほど、小さな田舎村である。

乗客たちが昼食を食べる食堂の人たちは、全く英語を解さない。1人のミャンマー人の乗客が僕ら外国人に通訳して食べるものを決めてくれる。僕はミシかモヒンガーかモンディがあるか?といったらモンディならある、というので頼む。ここのモンディは辛めのタレで結構美味かった。麺はダメだったけど。こう考えるとマンダレーの食堂で食べたミシの麺は最高に美味かった。歯ごたえと柔らかさの共演。

乗客のミャンマー人のおばさんが流ちょうな英語を話すのに驚く。ミャンマーはもと英領だったので英語を話す人がいてもいいわけだが、これまでの感じだと、それほど英語を話す人は多くない。

16:20、やっとバスが来る。今度のは韓国製でなく、「FUKUI KOTSU(福井交通)」と車体に書かれた、堂々とした日本製の観光バスである。これなら安心だ。

マンダレー−バガン間 写真集

ニャウンウー着19:30。予定より5時間半遅れ。
バスターミナルからは結構歩いた。15分くらいでゲストハウス着。途中、馬車男とサイカー男がうるさく声をかけてくる。サイカー男は初め1000チャットと言っていて、僕が300だ!と言うと簡単に下がった。インチキ吹っかけ野郎が!当然のごとく乗らない。

ゴールデンミャンマーゲストハウスにチェックイン。1泊5ドル。安い。

ニャウンウーは、バガンの仏教遺跡群があるオールドバガンからほど近い小さな村で、ホテルやゲストハウス、市場や食堂がある。観光客はここに泊まって遺跡地区であるオールドバガンを観光するのが一般的だ。

バガンは、11世紀〜13世紀に興隆したパガン王国が栄えた場所で、1044年、ビルマ族による史上初めての統一王国が開かれた土地である。エヤワディ川の岸に広がる乾燥平原に数1000とも言われる仏教建築物が点在し、世界的にも貴重な仏教遺跡である。

夕食は、同じ宿に泊まっていた日本人と中華を食べる。
彼は銀行マンで、イギリスに6年住んでいて、色々なところを旅行しているようである。
ペルーのアレキパでの彼の武勇伝を聞かされた。強盗に財布を盗まれたのだが、後を追いかけて力づくで取り戻したそうである。良い子のみんなは真似しちゃいけない。下手すると殺される。
だが、日本人が遭遇した強盗事件においては、私が聞いた話の中では最も痛快というか、驚きの話であった。普通、取戻しになど行かない。彼は中肉中背で、特に屈強で腕っぷしに自信があるようには見えないからなおさらだ。

彼に「ヨーロッパでどの国が(旅行して)良かったか?」と聞いてみると、「マルタ」だという。

バガンにはいきなり白人や日本人が多い。さすがにミャンマー1,2を争う観光地である。


5月5日火曜日。
朝起きるとひどく体調が悪い。下痢に発熱。下痢はほとんど水だ。これは最悪の状況だ。昨晩何か変のものを食べたか?思い出せないが、この症状は普通の腹壊しではなく、食中毒に近いだろう。
ゲストハウスのベッドに横たわり、ほぼ1日中ぐったり。食欲はないので、近くの市場に果物を買いに行き、果物だけを食べる。りんご、グレープフルーツ、小みかん。

インレー湖方面へ移動するのに、ニャウンウー発ヘイホー空港行の飛行機は明日8時発だという。とりあえず飛行機のチケットを買う。僕の旅程から行くと、バガン観光は今日しかないのだ。
本当は昨日の午後もできたのだが、バスが5時間半も遅れたおかげで昨日は観光できず。
日程の余裕がないという弊害が出る。ギリギリの旅程を組み過ぎ。

しかし、午後になっても体調は回復しない。ずっとぐったりと眠る。
午後5時30分。バガンまで来て仏教遺跡を観光しないわけにはいかない。体調は戻っていないが、気力を振り絞って馬車を呼んでもらってオールドバガンへ向かう。遺跡地区まで行って戻ってきてもらうのに5000チャット。高いがもう体調もどうしようもないし、色々周れないし、なすがままだ。

夕暮れ前。初老の御者が、愛馬のスッチーマに、色々指示したり、独特の口音で合図を送ったり、話しかけたりしながら、馬車はコツコツと道を走る。おじさんの様子は、基本的に、言うことを聞かないスッチーマに対して怒っているように聞こえる。ブツブツぶつぶつ言っている。
この馬の名前は、スーチーさんに関係あるのだろうか。
初老の御者は、見た感じあまり英語を話せそうに見えないが、さすがにバガンで観光客を相手にしているだけあって、割と英語を話す。

夕暮れのいなか道、左右には小さな仏塔が現れ始める。
時間がないので、ダマヤンヂー寺院とシュエサンドー・パヤーへ行くことにする。
ダマヤンヂー寺院は、レンガ造りの重厚な建物。
シュエサンドー・パヤーは、下部が茶色、上部が白色をした建物の上に白いドームが乗っている巨大な寺院である。
ここでは仏塔の脇の階段を上って上部からバガンの遺跡を一望できる。ここから見下ろすバガン仏教遺跡は絶景である。砂地にところどころ緑の木が生えている。その間に無数の仏塔が点在している。とんがり帽子がいたるところで地面から突き出している。その数と広がりは半端ない。

オールドバガンには1時間ほどのみの滞在。日が暮れる。
暗くなった道を、馬車に乗ってニャウンウーの村に戻る。ヘロヘロだが、仏教遺跡の光景は、精神的高揚感を僕にもたらしたようだ。アドレナリン的なものか。

まだ食欲はないので、夕食は果物で済ます。
速攻で寝る。このまま体調不良では旅が無意味になる。明日は何としても体調回復せねばならない。

バガン 写真集

<ミャンマー雑感(3)>
■ミャンマーは日本の中古車はじめ右ハンドル車が多いが、なぜか右側通行である。イギリスの植民地だったはずだがなぜだろうか。
■ミャンマーでは水がうまい。水道水がうまいという意味ではない。水道水などは決して飲めない。あまりに暑いので、ミネラルウォーターを飲むととてもうまく感じる、という意味である。水をこれほど美味いと思って飲める場所もそうはあるまい。
■ミャンマーの街には、フレッシュジュースのスタンドがない。その場でミキサーで生ジュースを作ってくれるスタンドである。ジューサーは電気を使うから、電気が乏しいこの国では無理なのだろうか。ちなみに、出来合いの濃いシロップを水で薄めて提供するジューススタンドはある。


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