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ミャンマー旅行記2009
2.雨模様のマンダレー
ヤンゴン→マンダレーのバス、ドライブインの夕食休憩
雨のマンダレー![]()
マンダレー名物の麺、ミシ。汁なしで、スープと漬物がつく![]()
マンダレーヒルから見た王宮の緑と濠、街並み
対のコブラを撫でる人々。ご利益がある縁起ものなのだろうか。
戦没者慰霊碑(マンダレーヒル)
乗り合いトラックは満員
街の屋台
王宮の堀端、妙な遊具で遊ぶ子供たち
5月2日の午後5時30分、ヤンゴンを出発したバスは、順調に北上した。乗客全員に、600mlミネラルウォーターのサービスがあるのはうれしい。
途中、午後9時に1度目の休憩。ここで乗客は夕食を食べる。席につき、同席のニーちゃんに、カレーの頼み方を教えてもらう。もっとも、単にカレーの種類を告げるだけである。僕は魚のカレーを頼む。
ヤンゴンから北に延びるハイウェイは、まずまず快適だ。割と揺れない。
夜の大地に照明が少ない。ほとんどが真っ暗。街灯なし、時々、ポツンポツンと掘っ立て小屋のような民家に電気が灯っている。どこから電気が来るのか。この人里離れ具合から見ると、発電機だろう。あの人たちはどうやって生活しているのだろう。農業か牧畜か。周りには何もないように見える。
途中、突然街灯の列が現れ、全く唐突にライトアップしたラウンドアバウトを通り過ぎる。地図的にいうと、きっとここは首都であるネピドーだろう。さすがに首都には明かりがあるか。外国人に見栄を張らねばならない。だが、ハイウェイの付近には街のようなものはなかった。きっとこのハイウェイからは少しそれたところにあるのだろう。
バスは日本製で、以前は北鉄観光の所有物だった。北鉄観光と言われても、日本のどのあたりを走っていたのかピンと来ない。「北海道鉄道」だろうか、はたまた「北陸鉄道」だろうか。このバスは古くてシートが身体に今一つフィットせず、深い眠りに入れなかった。
2度目の休憩は、午前1時。タバコを一服する。
そして5月3日日曜日の早朝午前4時に、バスはマンダレーのバスターミナルに着いた。ヤンゴンから所要10時間半。まだ夜は明けていないが、薄明るくなっている。ピックアップでダウンタウンへ。
始めロイヤルゲストハウスの門を叩く。ニーちゃんが起きてきて、曰く、「1日6時間しか電気はない。その間にエアコンはなし。宿代は、エアコンなし6ドル、エアコンあり8ドル」。
電気が1日6時間しかないのは問題である。他のところで事情が大きく違っているとも思えないが、僕はナイロンホテルも当ってみることにする。このニーちゃんも、「他を当たってみたら?」という雰囲気。
ナイロンホテルも扉を閉ざしていたが、ドンドン叩いて起きてもらう(街角にいたおじさんが助けてくれた)。宿のニーちゃんが眠い目をこすりながら出て来た。彼は、「エアコンなし6ドル、あり8ドル」とロイヤルと全く同じ値段を告げた。しかし今は電気があるという(ロイヤルは今は発電機で発電している、と言っていた)。ロイヤルゲストハウスとナイロンホテルは1ブロックしか離れていないが、それでこんなに違うのだろうか?と思いながら、部屋を見せてもらう。何と風呂はバスタブ付である!エアコンも動いたので、エアコン付の部屋に即決。
時刻は朝5時。バスで眠れなかった眠りにつく。エアコンは寒いくらいに効いている。
雨音に目が覚める。11時、ようやくベッドから起き上がる。雨が降っている。
宿のおじさんに、モヒンガーを食べられるところを聞き、ウィンドブレーカーのフードをかぶって外に出る。雨のせいで涼しい。とてもよい。ヤンゴンの狂暑を考えれば、ウィンドブレーカーを羽織るなどはあり得ないことだ。大分北に上がって来たし、マンダレーの気候は、ヤンゴンに比べ、だいぶ涼しいのかもしれない。ヤンゴンでの2日間は、外で活動するにはあまりにも過酷な気候だった。
マンダレーはミャンマーでヤンゴンに次ぐ第2の規模の都市で、北部のマンダレー管区にある。
道がいたるところで掘り返されている。何の工事が知らないが、道の脇に砕石が積まれている。広い範囲で水道管工事でもしているようだ。
教えられた食堂はすぐに見つかった。モヒンガーではなく、店の若者たちお勧めの、「ミシ」というマンダレー名物の麺を食べる。美味い。一緒に出てくるスープも漬物も美味い。ミシは汁なし麺で、どうやらこの漬物を和えて食べるらしい。米麺は結構な太麺である。生き返る。昨晩9時頃の夕食休憩で食べたカレー以来、何も食べていなかったのだから腹が減っているはずだ。
食べ終わった後、タバコを吸いながら雨の街をしばらく眺める。激しい雨ではない。5月に入ったばかりで、もうマンダレーは雨季に入るのだろうか。
ナイロンホテルの前に戻り、小型乗合タクシーのニーちゃんと交渉する。彼の値段は全然下がらず、結局マンダレーヒル往復で4000チャットで行くことにする。登り口に午後1時に着き、ニーちゃんと午後2:30に戻ることを約束して、階段を上り始める。
ニーちゃん曰く、「上まで20分だよ」、そんなわけねぇだろ!こういう場合、どうしても待たされるタクシーの人間は、待つ時間を少しでも短くしようと、通常よりも所要時間を短く言う傾向にある。これは色々なところで体験している。もっとも、観光地における僕の見物の仕方が遅いということも時間がかかる理由として考えられるが。
マンダレーヒルはなかなかよい。裸足で階段をどんどん登る。ところどころにパヤー(仏塔)がある。頂上まで1時間弱かかって登ると、マンダレーの街とさらに先に広がる緑の大地が見下ろせる。
ここには先の大戦で戦死した日本、ビルマ軍兵士の慰霊塔がある。日本が建てたもので、塔には漢字で「緬旬方面彼我戦没者諸精霊」という文字が刻まれている。
お土産屋が店を連ねている。
面白いものが色々配置されている。檻に入った鬼や2匹の巨大コブラ、黄金の鳥・・・。コブラの頭を人々が撫でている。「撫で仏」のようなご利益があるのだろうか。
観光客というか参拝者は多くない。土産物屋で働く人たちはのんびりムードだ。人が少ないのは、雨模様なのも影響しているかもしれない。
2:40頃下に戻る。約束の時間からは10分遅れ。タクシーのニーちゃんは寝ていた。
再びダウンタウンへ戻る。途中、ニーちゃんは小便をすると言ってタクシーを停める。ロンジーをはいているので、立ションではなく、座りション。へぇー、所変われば。
ナイロンホテルに戻り、タクシーのニーちゃんとサイカー(補助座席付自転車タクシー)のニーちゃんから聞いた情報を元に、32thと83thの南にあるバス会社へ。ここはいくつかの会社が並んでいて、そのうちの一つがバガン行きを扱っている。聞くと、バガン行きは朝8時発、所要6〜7時間で、料金7000チャット。大いに迷う。マンダレーは今日1日で終わりか、どうする?迷った挙句に明日の朝8時発でバガンに向かうことを決断。後を考えると仕方ない。
歩いて26thまで戻り王宮へ。広い濠、8km四方の正方形の区画である。皇居よりも広いか。濠脇の遊歩道には妙な遊具が設置されていて、子供たちが遊んでいる。
再びナイロンホテルへ歩く。もう日が傾いている。5:30。マンダレーは丸一日のみの滞在となった。ヤンゴンに比べれば人混みはなく、街ものんびりしているムードがあり、気を張らずに済むというか、居心地がいい。
街の風景が、田舎町のそれである。ヤンゴンに次ぐ大都市には見えない。デカいビルが立ち並ぶわけでもなく、道は水道管の工事だろうか、工事中のところが多く、普請中の街のようである。
夕方、雨は上がった。光が雲間から差し込んでくる。ところどころに水たまりが残り、傾いた陽を反射している。
しばらくホテルの部屋で休み、夕食を食べに外に出る。ラーショーレイへ。街角でサイカーのおじさんがまるで僕がそこへ行くことを知っているかのように教えてくれる。
「ラーショーレイなら、あっちの左側だよ」
おじさんに礼を言ってすぐにラーショーレイは見つかった。
ここの飯は美味く、腹一杯になり、安かった。豚肉甘辛炒め、野菜炒め、ご飯、スープ、レモンジュースにタバコで計2300チャット。ご飯はお替りし放題。甘辛炒めは日本人の口に合う。生野菜(キュウリ、キャベツ、レタス)の付け合わせも良い。チキンダシの白湯スープも美味い。わずか200円ほどでこれだけ食えるか?というコストパフォーマンス。これがミャンマーの物価の真髄なのだろう。田舎に行けば、2ドルで腹一杯になる。
雨のおかげか、今日のマンダレーは雨が上がった後もヤンゴンほど暑くならずに助かった。ホテルの部屋のエアコンも、ずっと入れていると寒いくらいになった。
風呂はシャワーのお湯が豊富に出てとても良い。
夜9時半ごろ寝ようとするが眠れない。そういえば今朝マンダレーについてここにチェックインした後は朝5時〜11時くらいまで寝てたので、寝過ぎなのだろうか?さすがに11時に起きて夜9時半に寝るのは。
マンダレー 写真集
<ミャンマー雑感(2)>
■ミャンマー人の若者は、笹の葉のような葉に、白いペーストと粉を入れて巻いたものを噛んでいる。ミャンマー語で「コーン」と言う。さながらイエメンのガートや南米のコカの葉であろうか。
■ミャンマー人は穏やか。大抵はしつこくもない。すぐに引き下がってくれる。マンダレーでは人が次々に声をかけてくるが、あまり下心が感じられない。こちらが拒絶するとすぐに引き下がる。
■歩いていると、「どこから来た」と英語で聞かれる。「日本」と答えると、みんな笑顔になるので、日本のイメージは悪くないようだ。かつて大東亜戦争では日本軍がこの地に進出・占拠した歴史があるが、まぁアウンサン将軍は元々はビルマの独立を目指して日本軍の協力を請うたわけだし、植民地支配していたイギリスへの反発も当時はあったろう。結局アウンサンに独立を約束した日本軍は、この地で連合国軍により滅ぼされることになる
■日本の中古車が山ほど走っている。バスやトラックには、「北鉄観光」とか「長野県貨物」とか見慣れた文字が躍っている。
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