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カンボジア旅行記
2003年6月・記
(4)シェムリアップからプノンペンへ
(このページの写真は、後日アップします)

翌5月27日。夜明け前に起きてアンコールに行き、夜明け時の荘厳なアンコールワットを見た。
その後1日かけてアンコール・トムをソピアのバイクタクシーで回った。朝、青空食堂で朝食。テーブルには無数のハエがびっしりとへばりついている。ハエを追い払いながら麺を食べる。食堂でのハエと言えば、インドネシアのバリ島の寂れた大衆食堂に行ったときも凄かった。テーブル上はハエだらけ。初めにウェイトレスがろうそくを2本持ってきて火をつけたんだけど、それはハエよけだった。ハエに一番悩まされたのは、文句なしにオーストラリアのエアーズロック。ここでは、大量のハエが顔にたかってくる。目だろうが鼻だろうがお構いなしに入ってくるのでたまったもんじゃない。観光客達はみんな、ハエよけの網状の妙なマスクを頭からすっぽりかぶってしのぐ。これをかぶった軍団が観光している姿は、滑稽画以外の何物でもない。

そして次の日、朝早く起きてカンボジアの首都・プノンペンへ向かう。私は、トンレサップ湖を高速ボートで5時間かけて南下するルートを選んだ。
朝、トンレサップ湖の船着場まで行くマイクロバスがゲストハウスに来てくれた。そこからトンレサップ湖までは1時間くらい。途中まではのどかな田舎道を走るのだが、湖が近づくと、舗装されていない、とんでもないデコボコ道になる。あまりに凹凸が激しいので、ずっとバスは時速10kmくらいで走っている。それでも、車内は震度6くらいの大きな揺れがずっと続く。全く車に乗ってるって気がしない。ジェットコースターみたいで。どうやら今は乾季の終わりなので、湖の水位が極端に下がって、雨季には湖の底に沈んでいたところを走っているらしい。とても普通の道ではないのだ。(トンレサップ湖は、雨季時の湖の最大面積に対し、乾季時には面積が3分の1になってしまうほど水が引いて湖の大きさが変わるそうである)
そんな道を20分くらい走っただろうか、やっとのことでバスは湖の船着場に到着した。だが、これからもまた激しい戦場が待ち構えていた。
バスを降りると、すぐに大勢の子供達や、朝飯用のパンなんかを売ってる物売りのオバちゃん達が寄って来る。そこから我々が乗る高速ボートにたどり着くまでが大変だった。
湖の波打ち際には、小型の木製手漕ぎボートが何百隻とあり、岸辺を埋め尽くしている。そこからは、その小型のボートに乗って比較的沖合いに停泊しているらしい高速ボートに行くようなのだが、大勢の子供達が俺達乗客を囲んで、
「荷物持つよ!」
ってもうとにかくしつこいのである。ずっと「ノー・サンキュー」って言ってンのに、ずっと私のザックの取っ手を握って離さない。で不安定なボートのヘリを渡ってるうちに、一人の子供に半ば奪われるようにザックを取られてしまった。で私達は小型のボートのヘリを何隻も渡って、やっと渡し舟にたどり着いた。すると、私の荷物を運んだガキは、当然のごとく私にチップを要求してきた。私は頑として奴にチップをやらなかった。
「お前が勝手に持ったんだろ?俺はずっと必要ないって言ってンのによ?」
同じように荷物を持ってもらったらしい白人の強持て(こわもて)のおじさんも、決してチップをガキにやろうとはしなかった。ガキどもは、私達が乗る、沖合いに停泊してた高速ボートまでついて来たが、結局最後まで私もそのおじさんも奴らに金をあげることはなかった。
途上国に旅するたびにいつも感じるこの感情。あまりにも大きな経済的格差が、途上国の子供達の人格形成に大きな影響を与えている。彼らは純粋に商売としてやっているんだろうが、私はこの朝のガキどものこの強引さに、なぜか言いようのない嫌悪感を感じた。持って欲しいっていう客の荷物だけ持ちゃあいいのに、ボートのヘリを渡るという、不安定な状況を利用して金をせしめようとする。
渡し舟に乗った他のヨーロッパ人たちも、この状況に辟易としていて、渡し舟では人々はほとんど会話がなかった。

この船のチケットは、前日のうちにゲストハウスのオバちゃんに頼んで確保してもらっていた。チケットには、結構大きな豪華チックなボートの写真が載っているのだが、実際は・・・、全然違った。湖の沖合いに待ち受けていたのは、20人も乗ったら満席の小型ボートだった。停泊場所には、木造のちょっとした事務所みたいなはしけ的な水上家がある。まだここでも水深は浅いらしい。

で高速ボートに乗客は乗り込んだが、なかなか出発しない。まだ客を待っているという。確かにまだ15人くらいしか乗ってない。
で遅れてきた客10人くらいが到着し、ようやく出発!したら、5分後にエンジンが異音を発し始めた。この高速ボート後部には、2基のヤマハ製のエンジンが積まれている。どうやら調子が悪いらしい。30分くらい湖の上で立ち往生。だが何とか運転手と乗務員のカンボジア人で修理して、ようやくボートは本格的にトンレサップ湖を航行し始めた。

トンレサップ湖は、雨季の直前でかなり水量が減っているとはいえ、広大であることに変わりはなかった。水の色は、完全な茶色。メコン川と同じ色だ。ボートが通ると、驚いたのか、そこかしこで大きな魚が跳ね上がる。トンレサップ湖は、カンボジア人の食生活を支えている、ということが実感できる。

それでは、乗船したメンバーをざっと紹介しよう。
日本人は、私ともう一人、20代中盤くらいの女の子。彼女も一人旅らしい。大部分は、ヨーロッパ人かアメリカ人のオヤジ、オバサン、夫婦、若者達。中国人(台湾人?)と思われる年配の夫婦が一組。そしてカンボジア人の女の子二人組。全部で25人くらい。
私の横に座ったのは、イギリス人のおばさん。見たところ40〜50歳くらいであろうか。彼女と話したところでは、彼女は東南アジア各地を旅した経験があるそうで、ベトナムタイにも行ったことがあるとのこと。ただ、どの国も良かったわけではなく、カンボジアに関してもいいところと悪いところがある、と正直に自分の感想を述べていた。私と彼女で大いに意見が一致したことは、「ベトナムで一番よかった街は、『ホイアン』だ」、ということ。あの日本・中国的な不思議な街の感覚は、ヨーロッパ人の彼女にも独特の印象を与えたようである。

ボートの屋根の上では、白人の若者達が水着状態になってカンボジアの強烈な日差しを気持ち良さそうに浴びている。私も途中狭い船の中に飽きたので、屋根の上に登って凄まじいスピードで前から後ろに流れていくトンレサップ湖の茶色い水と遠くに見える岸を眺めた。今日も35℃くらいありそうだ。熱帯の太陽が頭の上から照り付けてくる。だが、ボートはかなりのスピードなので、風に当たっているとすぐに涼しく感じられる。白人たちは感覚が鈍いのか、裸で屋根の上に何時間もいても平気にしている。私は1時間くらい上にいたけど、もう風に当たるのはセイセイしたので、船の中に戻った。

船内の出来事で、目が点になったことがある。カンボジア人と思われる10代後半くらいの女の子が、船内で食べたバナナの皮やお菓子の空き袋を、船の窓から平気で湖に投げ捨てているのだ。こういった光景は、いわゆる途上国と呼ばれる国で頻繁に見かける。子供だけでなく、大の大人、オジさんオバさんが、ゴミを川に投げ捨てたり、バスや車の窓から道に投げ捨てたりする。昔の日本も同じだったのかもしれないけど(実際、例えば明治41年の夏目漱石の小説『三四郎』には、主人公の三四郎や乗り合わせた人が汽車の窓から弁当ガラやら包み紙のごみやらを投げ捨てる場面が出てくる。しかもそれが当然といった雰囲気で。)、これ見るたびに全くあきれ返ってしまう。彼らには、投げ捨てたゴミを誰が掃除するのかとか、もっと広い意味での例えば環境汚染の要因としてのゴミ問題とか、全く頭にない。人々がそこまで考えてない。これが「途上国」と呼ばれる一つのゆえんなんだといつも逆に納得させられる。いくら「そんなにあくせくしないでさ、人生を楽しもうや」っていうある意味いい民族性を持っていても、そこらじゅうにゴミがあるところじゃなかなか楽しく生きられないよ。臭かったりして。それにトンレサップ湖がもし手賀沼並みに汚れて魚が住めなくなったら、それこそカンボジア人の食卓は大打撃だ。自分が日頃食べてるものを供給する湖に、ゴミを投げ込む。少し考えりゃ分かりそうなものを。

高速ボートは5時間ちょっとかかってプノンペンに到着した。ずっとボートに乗っていたので、岸に上がってもまだ足元がふらついて揺れてる感じがしばらく続いた。

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