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キューバ&ジャマイカ旅行記 2010-2011
4.ハバナその3 旅を続けるために旅をする
朝のハンバーガーパン
コパエアーまで僕を連れて行ったタクシーの運ちゃんと彼の愛車
ベダードにある航空会社が並んでいる建物。今日はこの通路を何十往復したことか
今回の旅での大恩人、アエロカリビアン航空のおじさん
屋台ハンバーガー屋のニーちゃん
街の革命横断幕「すべては革命のために」(ベダード)
小さな市場
てんとう虫のような3輪タクシー。爽やかニーちゃん。
夕食のビステク(ビーフステーキ)
泊まったカサ・パルティクラルの2階テラス。ここで食事をする。
季節柄、クリスマスツリーあり。手すりの向こうが道。
12月30日木曜日。朝8時起床。昨日も朝8時ごろには曇っていたが、すぐに雲が取れ、すっきりと晴れ渡る。
8:30に宿を出て、近くの通りでまたハンバーガーパンを1CUC(15キューバ・ペソ)で買い、その場で食べる。昨日と変わらない朝。キューバでは、反アメリカのくせして朝食はハンバーガーとかサンドイッチしかない。
今日は、何が何でもキングストン行きの航空券にケリをつける。もしキングストンに行けないとなれば、復路を変更してここハバナからトロント経由で日本へ帰らねばならないことになろう。そうなったら今持っているキングストン⇒トロントのチケットが無駄となり、エアカナダに掛け合わないといけない。
9:10、パルケ・セントラル発の観光バスに乗る。このダブルデッカーがタクシー代わりとなっている。ベダードで降り、航空会社の並びで、片っ端からキングストン行きの飛行機を尋ねる。昨日のハバナツアーのオバちゃんの言どおり、やはりクバーナ航空は飛んでいない。いくつかのオフィスでは、昨日と同じ情報しか得られなかった。つまり、こうだ。ここからの直行便は、アエロガビオータのみ。コパエアーでもいけるが、パナマ経由となる。
さぁ、これはいよいよ大変だ。こんなことなら日本でちゃんとハバナ⇒キングストン間を確保してから来ればよかった、と後悔してももう遅い。
さて次にどうするかと思案に暮れていると、メヒカーナ航空の職員だというオジサンが親切にも声をかけてきた。
「どこ行きを探しているんだ?」
「ジャマイカのキングストン」
すると彼は、この後、いくつかのオフィスに僕を連れて行き、彼の知り合いの旅行関係者に色々聞いてくれた。まずはとりあえずミラマールにあるコパエアーのオフィスで、空席を聞け、と言うことになり、近くにいたタクシーの運ちゃんと価格交渉までしてくれて、僕を乗せた。タクシーの運ちゃんも、彼とは知り合いらしい。ちょっと高かったが、16CUCでミラマール往復。コパエアーは、こぎれいなショッピングモールの一画にあった。コパエアーのパナマ経由キングストン行きは、火曜と土曜に飛んでいるとのことだが、1/1(土)も1/4(火)も満席だと言う。さらには料金が700CUCもするというではないか。700ドル以上である。高すぎる。結局失意のままベダードに戻る。
タクシーの運ちゃんのスペイン語は分かりやすく、タクシーの中で色々話をした。
カストロの政治はどうか?
いい部分もあるし悪い部分もある。教育とか医療は無料だからとても良い。だが、アメリカとの関係をどうにかして欲しい。もっとアメリカとの経済交流をすればいいのに、と言う。彼の娘はマイアミに住んでいて、孫も二人いるという。どうやったらキューバ人が国交のないアメリカに住めるのか?亡命?僕は不思議に思ったが、それ以上は聞かなかった。彼もアメリカに行きたいが行けないことがとても残念だと言う。
カストロの原点は、反帝国主義だろうから、イコール反アメリカである。それで革命後今まで50年間、アメリカと国交を持たずに、よくやってきたと思う。アメリカという巨大な経済大国がすぐ近くにあるのに、経済封鎖されているいうのは、キューバのような資源の乏しい小国にとっては大変厳しいことである。だが反アメリカは、カストロの信念であり、それなしでよくぞここまでキューバを立ち上げたと、僕は思う。アメリカに盲従して植民地のような関係でも経済的な繁栄を確保するか、自ら茨の道を選ぶか。キューバにとっての不幸は、建国当時は冷戦の真っ只中で、ソ連の後ろ盾があったが、今となってはアメリカの一超大国時代である。これを、カストロの次代の指導者がどう考えるか。少なくともこの旅で、キューバ国民は、以前の日本人がそうだったように、アメリカ的なものや消費生活に対する憧れを持っている、と僕は感じた。人々は、ほとんどがアメリカと自由に交易できるようになって欲しいと願っている。
そんなわけで、キューバ経済はそれほど良くないようだ。タクシーの運ちゃんの給料は安く、ガソリン代は高騰しているためやっていけない、と嘆く。1リッターが1ドル以上するのだという。1リッターだよ、1ガロンじゃないよ、と彼は強調する。日本に比べれば安いが、日本ほどガソリンの高い国はないので、彼らにとって見ればバカ高ということなのだろう。
今でも博物館もののアメ車やソ連車が街を走り回っている。ゲバラは革命直後、工業相に就任したが、以後50年、なかなか重工業を発展させるというのは難しいようだ。大分生産量は減ったようだが、今でも砂糖は中心産業らしい。最近は観光業が急速に伸びていて、外貨獲得の重要な手段になってきているようだ。確かに、この国に観光資源は豊富だ。歴史があり、リゾートがある。
国民の給料は、すべて国が払うのだろう?−そうだ。だけど賃金は総じて安い。
フィデル(カストロ)はどこに住んでいる?と聞いてみた。知らない、との答え。他の国の人間にとっては普通の質問かもしれないが、キューバ人はそんな質問はしない。そんなことを公言したら、当局にしょっ引かれる。そんなものかね。フィデルは、今までアメリカのスパイに何度も暗殺されかかったらしいし、権力の集中はさすがに危険が伴うということか。
新年はどうやって過ごす?運ちゃんの答えは、「家族と家で過ごす人、外でレストランでパーティする人、様々。クリスマスのこの時期、さすがに外は酔っ払いが多くなるね」
キューバは治安がいいね?そうだ。だが時々観光客からの窃盗はあるよ。だが、窃盗でももし捕まったら5年とか20年の実刑なので、割に合わないから誰もやらないんだ。なるほど。だったら殺人なんかしたら即死刑か。この国に死刑はあるのだろうか。
彼の車はロシア製の1987年もの。23年目にしてはボロい。僕の20年目のインテグラの方がマシな気がする(笑)。
いろんなことを話しながら、車はベダードの航空会社の並びに戻った。メヒカーナ航空のオッちゃんが「どうだった?」と聞いてくる。ダメだったよ、と答えると、彼はまたダイナモのように動き始めた。知り合いに片っ端から当たってくれる。どうしたらジャマイカに行けるのか?いろいろなアイディアが出てくる。サントドミンゴ(ドミニカ共和国)経由、コスタリカ経由・・・。だがどれも無理そうだ。「もはやこれまでか・・」と思い始めた頃、アエロ・カリビアン航空の偉い人に僕を引き合わせてくれた。ヘフェ(Jefe)と呼ばれていたから、結構偉い人に違いない。サングラスをかけ、野球帽をかぶったこのおじさんは、パイロットっぽいYシャツを着ている。浅黒い肌に、真っ白なあごひげを生やしている。確かに風格的にも偉そうな人だ。今度はこの人が僕を連れて色々なオフィスを当たってくれる。ある旅行会社で、彼の知り合いのおばさんがまた色々尽力してくれる。で結局アエロガビオータのキングストン直行便に何とか席を見つけてやる、というので、まずはアエロガビオータのオフィスに電話するが誰も出ない。でさらにハバナの国際空港の係員、といっても結構偉い人に直接電話をかけてくれて、今会議中なので後で電話をもらうことになる。おじさんは僕に言った。
「会議が終わるまで待て。2時間後にまたここで」
全くおそろしくいい人だ。期待できるのかどうかは分からないが、もはや事はアエロガビオータ航空のかなり偉い人まで上がった。
2時間の間、僕は昨日行った旅行会社を回る。答えは同じ。アエロガビオータのオフィスは電話がつながらないし、問い合わせに対する返事もない、とのこと。ハバナ・リブレホテルの1階部分にあるカフェで一息つく。もはや僕の命運はあのおじさんたちに任されたわけで、今からジタバタしても仕方ない。
2時間して再び旅行会社の並びに戻る。おじさんは、まだ待ってろ、と言い、さらに1時間くらい待つ。他の旅行会社に行くと、やはりアエロ・ガビオータで行くしかないことが明確になってくる。他の旅行会社で取れないものが、別のルートで取れるのか?
おじさんは、僕のパスポートを借りて、オバちゃんに渡し、オバちゃんはメールを出している。さらにおじさんはまた電話をかける。
そうこうして1時間くらい経っただろう。アエロガビオータの偉い人からついに電話がかかってきたのだ。会議が終わったのだろう。おじさんは訴える。
「友人の日本人が、キングストン行きの航空券を探している。1/2(日)に1席、何とかしてくれないか?」
するとどうだろう。先方の答えは、「OK」だったのだ。取れたのだ。満席と言われていた飛行機のチケットが取れたのだ。この超裏ルートの、偉い人同士の会話によって、飛行機の1席が僕のものになったのである。しかも、片道で買えたのだ。昨日行ったハバナツアーのオバちゃんは、往復でしか買えない、と言っていたのに。
おじさんは僕に電話を変わってくれて、確認させてくれた。1/2のハバナ発キングストン行きの飛行機は、19:00発なので、2時間前の17:00に空港に来い、そしてアエロガビオータのカウンターで料金を払えばいい、236USドル、とのこと。運賃も問題ない。全く問題ない。コパエアーは700ドル以上するのだ。そしてマートスさんというアエロガビオータの偉い人は、僕がキングストンからのエアチケットを持っているか?と聞いてくる。僕は持っている、と答える。
僕は電話口でマートスさんに念を押す。
「本当にチケットが取れたんですね?」
相手の答えは、シー(イエス)だ。僕は厚く礼を言う。不思議だが、取れたのだ。電話を切ると、アエロカリビアンのグラサンのおじさんにも厚く礼をする。おじさんは、当日の飛行機の時間と料金を書いた紙(さっきおばさんが出したメールを印刷した紙)を僕に持たせた。1/2は、空港にさっきのマートスさんがいるから、彼に話をすれば大丈夫だ、と。そして彼は、見返りも何も期待せず、笑顔で去っていった。
(キューバ人、いい人たちだ・・・。「友人の日本人が困ってるんだ・・・」なんて、さっき始めて会ったばかりじゃネェか。いつの間にか僕は彼のアミーゴ(友人)になっていたのだ!普通なら、このあと「お礼にモヒート1杯おごってくれ」って僕に言ってもよさそうだが、彼は何の報酬も考えずに、一旅行者の僕のために、朝から今まで(もう午後2時半だ)彼の時間を使ってくれたのだ。まったく、言葉もない。深謝。)
それにしてもこんなルートで、こんな力技でチケットが取れてもいいのだろうか?システムはどうなっているのか?中南米らしく、コネさえあれば無理なことも何とかなる、っていう一例?まぁ、そんなことどうでもいい。不可解だがミラクルな結末で助かったのだ。こういうことが起こるのがいわゆる途上国での旅である。少しして思い直す。ま、まだ飛行機に乗るまでは油断は出来ない。当日空港に行ってみたらマートスさんがいないとか、ダブルブッキングとか、色んな可能性がありそうで怖い。だが、あとは当日空港での勝負だ、今グダグダ考えても仕方ない。とにかく、今日は大仕事を成し遂げたのだ。今朝は大きな不安だったが、今は大きな達成感で心は満たされている。この幸せな結末を満喫せずにどうする?
今日は、これでもう終わりの感じである。「旅をすること」が旅の目的になってしまっているが、こんなことはよくあることであり、これも旅の楽しさである。自分で道を切り開くのは楽しい。うまくいけば。
幸せな気分でベダードの道を歩く。するとタバコで咳き込んでいる僕を見て、一人の男が声をかけてきた。「たばこは健康に悪いよ」と。この後、僕は彼と10分くらい並行して大通りを歩き、話をした。彼は不思議な男だった。きっと話好きなのだろうが、一方的にしゃべり続ける。僕は色々聞いてみるが、奴のスペイン語は早口で分かりづらくて話半分も分からない。だが、僕が理解したところでは、奴は次のようなことを言っていた。
・キューバ人の給料は少ない。家賃を払って(※注)、家族の生活費を払うので精一杯。
・フィデルの政治については、一長一短なところがある。(それ以上はよく分からなかった)
奴は政治経済社会といった話が好きなようで、激するでもなく割りと冷静に延々と何かを話していた。僕は道を行き過ぎたことに気づき、彼の話が全然分からなかったこともあり、彼と別れた。彼は笑顔で別れを告げる。うーん、色んな奴がいる。
さて、ジャマイカ行きはどうにか決着したので、次に決めるべきことは、明日からどこへ行くか、ということである。今日は12月30日、キングストンへ行くのは1月2日なので、大晦日と元旦にどこで過ごすか、を決める。本当であれば今日ハバナを離れてどこかの街へ移動しようと思っていたのだが、キングストン行きチケット騒動(自業自得だが)のせいで、今日もハバナに残る羽目になったわけである。
僕はハバナ以外では、島の東端に位置するキューバ第2の都市、サンティアゴ・デ・クーバに行こうと思っていた。ここは「革命の里」と呼ばれ、1953年7月26日、革命の発端となるカストロによる「モンカダ兵営襲撃事件」が起こった場所である。それ以来、革命軍は、7月26日を革命記念日としていて、いまは国民の祝日となり、街や店にも7.26のペナントやポスターが目につく。サンティアゴ・デ・クーバはバスで行くと15時間以上かかる。飛行機だと1時間半程度、クバーナ航空で明日の飛行機の空席を聞いてみたが、満席との事。他の旅行会社でも聞いてみるが、クバーナ航空がないといっているのならない、という。航空券の発券は、旅行会社ではあまりやっていないらしい。仕方なく僕はサンティアゴ・デ・クーバを諦め、トリニダーに行くことにする。
トリニダーなら、ハバナからバスで6時間。見所や規模的にも2日間で周るにちょうどよい。
バスチケットを確認するため、ビアスールという大手バス会社のバスターミナルへ行くことにする。例の観光バスを使おうと思ったが、ここベダードからだと旧市街方向のバス停しかないため、歩いていくことにする。革命広場へは30分程度で着いたが、ここからが長かった。住宅街を歩き、途中何度も人に道を聞きながら、ヘトヘトになってビアスールのバスターミナルに着いたのは5時過ぎだった。
サンティアゴ・デ・クーバ行き、トリニダー行きのバスの時刻を確かめる。サンティアゴ・デ・クーバは夜行で行けるが、行きも帰りも夜行だと辛い。何しろジャマイカに行くために、一旦ハバナに戻ってこなければならないのだ。
トリニダーに行くことに決めたが、結局チケットは買わずに、明日の朝買うことにする。
ビアスールから、キューバタクシーという三輪のバイクタクシーに乗って旧市街へ帰る。さすがに帰りは歩く気力はない。このキューバタクシーは、黄色い天道虫のような車体をしていて、通常タクシーよりも安い。旧市街まで7CUC。ドライバーは、妙に爽やかな30歳がらみの男で、人が良さそうである。常にニコニコしている。運転中も、知り合いに手を上げクラクションで挨拶する。人類皆兄妹の体だ。そして、入ろうとしている車には道を譲る。途上国ではあまり見かけないタイプの運転パターンである。通常、こういう国に来ると、我先に割り込みし、クラクションで威圧し、交通ルールなどないに等しい場合が多いのだが、彼は違った。日本人に近い運転感覚の持ち主だ。
20分ほどで旧市街パルケ・セントラルに到着。夕刻。冬の日が暮れる。ハバナでは、僕の頭の中に、ある2曲が鳴り響いている。1曲は、ビリー・ジョエルの『ロザリンダの瞳』。アルバム『ニューヨーク52番街』に収録された佳曲だ。ニューヨークのヒスパニック地区で音楽を奏でる男のことを歌う曲だが、このサビの部分、「Oh, Havana I've been serching for you everywhere, (中略) I can always find my Cuban skies in Rosalinda's Eyes」というフレーズがあり、この「Oh Havana」というのが耳に残る。ハバナとキューバの空。
もう1曲は、稲垣潤一の『バハマ・エアポート』。これはキューバとは関係ないが、初めてカリブ海の島に来た僕にとって、バハマもハバナも似たようなものである。実際にはバハマはカリブ海有数のリゾート地であり、ここハバナとは似ても似つかないはずだが、『バハマ・エアポート』の「別れなら 歩きながら 見知らぬ旅人がすれ違うようにさ」というフレーズが、今まさにカリブ海の旅をしている僕に何か引っ掛かっているのだろう。
宿に戻って夕飯。ビフテキだ。中南米のビフテキは、薄くて、あらかじめ切ってある。スペイン語でビステクという。こちらも、英語のビーフステーキの略なのだろう。日本語ではビフテキ、スペイン語ではビステク、とは面白い。
それにユカ、ポタヘ・デ・フリホーレス、ご飯、トマトサラダ。またまた大満足。これで6CUCなら、外のレストランで食べるよりたいそうお得だ。
ハバナ 写真集
(※注)キューバは社会主義国なので、家賃は基本ゼロだそうである。確かに彼はこう言ったと思うのだが、聞き間違いか。
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(キューバ&ジャマイカ旅行記 1−2−3−4−5−6−7)
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