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キューバ&ジャマイカ旅行記 2010-2011
5.トリニダー
12月31日金曜日。2010年の大晦日。朝8時起床。顔を洗って歯を磨いて両替をしに外に出る。CADECA(両替所)はすぐ近くにあった。レートも手数料も空港と変わらず。
その後中華街まで歩く。チャイナタウンと言っても規模はたいしたことない。朝だからか、中国人の姿も少ない。ハバナではアジア人をほとんど見かけない。日本人、中国人、韓国人、いずれもいない。
宿に戻り、精算をし、アレクシイの写真を撮って別れる。ちょっと予定が狂ったが、ここに合計4泊したことになる。
「Tenga feliz ano nuevo.」(よい新年を。)
道に出たら食堂のオヤジが「Felicidades!」(おめでとう)、と言って握手を求めてくる。もちろん全然知らない人だ。すると近くにいた老人も僕に手を上げて同じ言葉を口にする。今日は大晦日か。キューバ人の陽気さか、大晦日を迎えて人々が浮き足立っているのか。
昨日と同じく、てんとう虫のバイクタクシーでビアスールのバスターミナルへ。値段交渉するといきなり10CUCと吹っかけられる。昨日は7CUCだったので、「じゃぁいいや」と言って立ち去ろうとすると、慌てて「いくらならいいんだ?」と聞くから、「5CUC」と言ったら「最低料金は7CUCなんだ、遠いんだよ」という。で結局昨日と同じ7CUCで行くことにする。始めから7CUCって言えよ、と思うが、少しでも稼ごうとするのは仕方ない。こう考えると、昨日の爽やかなニーちゃんが、その振る舞いどおりいかに誠実な人間だったかがよく分かる。彼は、始めから7CUCを提示してきたのだ。
今日も天気がいい。明るい日差しの中、黄色いてんとう虫はハバナ市内を走り抜ける。旧市街の古くて瀟洒な建物から、風景は変わり、住宅街、革命広場の周りのだだっ広い道路。
ビアスールに着き、11:30発のトリニダー行きのチケットを求める。片道25CUC。高い。普通の途上国なら、10ドルしないだろう。トリニダーはバスでハバナから6時間のところにある古い街である。
ターミナルのカフェで朝昼食。サンドイッチ・クリオージョを頼む。頼んでからオバちゃんが厨房に言うのを忘れてたらしく、出てくるまでにえらく時間がかかったが、美味かった。2.6CUCと高いが、高いだけのことはある。普通のハンバーガーに、ハム、チーズ、レタスとここまではいいが、さらにチキンのあぶったのが挟まっているのだ。なかなかの内容とボリュームだ。クリオージョというのは、スペイン系の白人の子孫のことなので、特権階級の金持ちが食べるものだから豪華なのだろう。紙パックのペラジュース(洋ナシ)を飲み終え、バスに乗り込む。
車内はガラガラ。乗車率40%、キューバ人家族が一組、アジア人は僕一人、残りは白人観光客たち。
バスはキューバ島を南東へ向かう。ハバナを離れると、車窓は一面、見通しのいい田舎風景となる。牧草地、平原の緑のなかに、一本大木がポツンと立っているのが時々見られる。そういえば、ハバナの街中でも、大きな木を切り倒さずにラウンドアバウトの中にそのまま残しているのを何度か見た。大木には魂が宿る。アニミズム的な、そんなことだろうか。
道はいい。快適だ。
途中、ドライブインで休憩。ハバナよりも日差しが厳しく感じる。ここのこぎれいなお土産屋には、野球のバットが売っていた。さすが野球王国キューバ。
車窓には、サトウキビ畑が一面に広がってくる。砂糖とラム酒の源、キューバの昔からの風景だろう。キューバの財産。トリニダーが近づくにつれ、森と山が現れ、深い緑色の河を何度も渡る。
比較的大きな街、シエンフエゴスを経て、バスは16:30トリニダー着。予定より25分早く、ちょうど5時間で着いたことになる。
ハバナ→トリニダー 写真集
バスターミナルに降り立つと、そこにはカサ・パルティクラルのオーナーたちが集まっており、バスを降りた旅行者たちに我先にと声をかけ、猛アタックを始めた。つまりは、「今晩うちに泊まって!」という客引きである。部屋の写真入りのボードを持ち、自分の家がいかに素晴らしいかをアピールしているオバちゃんもいる。ここで呼び込み活動をするのはほとんどがオバちゃん。男だと胡散臭くて旅行者に警戒され敬遠されるからだろう。僕もご多分にもれずそのうちの一人のオバちゃんに捕まり、どうせどこかに泊まるのだからと部屋を見せてもらうことにする。ハバナと同じ一泊25CUCで、地方都市にしては高いと思ったが、テレビはなかったものの部屋の中にトイレとシャワーがあり、温水が出ることも確かめ、まぁいっか、とここに泊まることに決めた。だが、この部屋には2つベッドがある、いわゆるツインの部屋である。「一人で泊まっていいの?」と聞くと、「構わない」との答え。
この家は、マミータ(ママ、の意味)という愛称のオバちゃんと、いつも上半身裸でがっちりした体格で色黒、ハリウッド系のハンサムな夫、ティティが中心人物だ。このティティ、誰かに似ているなぁと思う。マミータは、ビエンベニード(ウェルカム)のオレンジジュースを振舞ってくれる。
「これから夜にもキューバ各地からバスが着くから、旅行者がどんどん戸を叩くのよ。夜はだから30CUCになるのよ。」
「(僕は本当かよ?と疑念を抱きながらも)へぇ、じゃ、僕は25CUCで泊まれてラッキーなわけね」とおべっかを使う。
だいたい、バスターミナルからここまで歩く間に分かったけれど、この街にはそこらじゅうにカサ・パルティクラルがある。実際、すべての家がやってるんじゃないかと思うほどだ。絶対に過当競争になっていて、旅行者よりも部屋の方が多い、買い手市場なはずだ。今日のバスもガラガラだったし、あと3,4本バスが来たとしても、ここトリニダーの数ある部屋が一杯になるはずがない。だいたい、二人で泊まれる部屋に二人を入れた方が宿としては絶対得だろうに。
夕食は、別途10CUCとのこと、高い。ハバナでは6CUCだった。どうするか迷ったが、とりあえず今日は試してみようと思い、頼む。「チキンとポークと海老、何がいい?」と聞かれたので、「ポーク」と答えると、「揚げたの、焼いたの?」と聞くので、「揚げたの」と答える。
部屋にはトリニダーを紹介する小冊子が置いてあり、これをめくりながらティティがトリニダーの観光名所について説明してくれる。
ここトニリダーからカリブ海までは12kmとのこと。トリニダーは、キューバ島の南側、カリブ海に近い街である。そういえば来るときのバスは、一時海沿いを走った。鮮やかな青の海だった。
部屋で一服し、しばらく休んだ後、外に出る。もう日が暮れかかっている。すぐにこのトリニダーという街がえらく古い街だということに気づく。石畳の道は不揃いの石がデコボコに盛り上がっていて、家々は、改装して場違いにきれいな家がところどころにあるものの、多くは古さが壁ににじみ出ている。石畳評論家(?)の僕としては、なかなか興味をそそられる道である。
それもそのはず、トリニダーは現存するキューバ有数の古い街で、16世紀初期にはもう存在しており、1514年に黄金を探しに来ていたディエゴ・デ・ベラスケスに気に入られ、スペイン風に築かれた。もう500年近い。
時が止まったようなたたずまいの街並み。そして、ハバナの雑踏とはかけ離れた静けさ。だが、その静けさを時々打ち破るような音楽の大音響が流れてくる。ここは音楽の街でもあり、レストランでは生バンドが演奏することも多いそうだ。そういうところでは、人々の活気が感じられる。暮れ行く2010年を名残り惜しむ、大晦日の高揚感だろうか。
街の中心、マヨール広場から、沈み行く2010年最後の夕日を眺める。広場の脇に建つサンティシマ教会が、トリニダーの象徴。街の中心に、教会と広場がある。スペイン人どもが造った街の典型。オレンジ色に傾いた夕日を、壁一杯に受ける教会を見ながら、エクアドルにいた頃をいくらか感傷的に思い出す。今年最後の夕暮れだからか。エクアドルでも、どんなに小さな街でも、教会と広場が中心にあった。特に小さな街では、人がいようがいまいが、広場と教会があると、何となくホッとしたものだ。中南米に来ると、そういうことを思い出し、また新しく記憶に刻む。その積み重ねにより、自分の感情が固くなってゆく。
急速に暗くなる路地をしばらく歩き回った後、宿に戻る。
2階部分にあるテラスで夕食。美味かった。しょっぱい豚肉、ユカ、バナナフライ、サラダ。ユカは瑞々しく柔らか、バナナチップスは外はサクっ、中はジューシー。ユカとバナナは、ハバナのアレクシイの宿よりも美味い。10CUCで高いが味には大満足。
ここの人は時間が正確だ。8時に夕食、と頼んだら、8時きっかりに用意してくれる。時間にルーズだったハバナのアレクシイとは大違い。
飯を終わって階下に戻ると、夫婦がキッチンで食事をしていた。「一杯飲む?」と聞かれたのでお招きに預かることにする。この家ではワインを造っているとの事でご馳走になる。フルーティなワイン。美味い。
彼らと色々話をする。旅のこと、日本のこと、キューバのこと。しばらく話し込んだあと、お休みを告げて部屋に戻る。
今回の旅で2度目のシャワー。僕がエクアドルで使っていたのと同じ、電熱式なので、熱いお湯は出なかったが、見た瞬間に分かったことだ。アレクシイにもらったシャンプーで髪を洗う。今朝、チェックアウトするときに、アレクシイに借りたシャンプーの小容器を返そうとしたら、彼は、「これからも使うだろ?」と僕にくれた。いい奴だ。
ティティが毛布をくれる。トリニダーも夜は寒い。大晦日の夜、近くの家でフィエスタをやっているのか、音楽が聞こえてくる。2010年最後の夜が更ける。今年も異国の地。
2011年1月1日土曜日。元旦だ。今年はキューバのトリニダー。8時に起きて8時半頃に街を歩き始める。今日もいい天気になりそうだ。
トリニダーは小さく、静かな街だ。観光客もそれほど多くない。元旦の朝、行き交う人々は挨拶を交わす。
古都トリニダーの住宅は、平屋が多い。高い建物は、教会とか修道院と、塔くらいなものである。スペインが造った中南米の大都市、例えばパナマとかハバナとかキトの旧市街には、3〜4階建ての建物が、狭い石畳の道を挟んで、道行く人々に覆いかぶさるように向かい合っていることが多い。そこに、建物群の圧倒的な存在感を感じる。これは道を歩いている気分の高揚感につながるが、圧迫感をも感じることになる。
一方、地方の小さな街の旧市街は、平屋建て、せいぜい2階建ての建物が連なっていることが多い。よって、威圧感を感じない。
ここトリニダーも、低い建物ばかりなので、空がよく見え、道もそれほど狭くないので、圧迫感がなくて、気持ち的にリラックスできる。
トリニダー駅に向かう。人に道を聞きながら、旧市街の中心から20分ほど歩くと、駅がある。ここには観光用の年代物の蒸気機関車が走っている。これはかつて、トリニダーとイスナガ駅の間をサトウキビを運んでいた機関車。トリニダーの近くには、植民地時代に広大なサトウキビのプランテーションが作られ、多くの奴隷が働いていた。
トリニダー駅は、日本の駅のように駅舎はなく、ただ小さなホームがあるだけである。ちょうど一両編成の汽車が入ってきた。乗客が降りてくる。イスナガから来たのだろう。がこれは蒸気機関車ではない。ディーゼル車だろうか。だが1両編成である。機関車+客車ではない。1両の中に動力が入っているらしい。
引込み線の奥を見ると、写真で見た蒸気機関車が停まっている。僕はそちらに歩いていって、逆光の中写真を撮り始める。と一人の老人が声をかけてきた。彼は、僕に蒸気機関車についての説明を始めた。彼は元運転士だそうで、この鉄道ステーションで働いているのか、もしくは引退後にちょくちょくここに顔を出しているのか分からなかったが、ここに来る観光客に声をかけるのが習慣となっているようである。彼は親切にも、僕を機関車の運転台や客車まで上げてくれた。そして、この機関車の生い立ち(1906年アメリカ製)や蒸気機関の説明をしてくれた。動力源は薪ではなく、石油を精製した燃料(fuelと言っていた)を燃やして蒸気を作るのだという。今は修理中で、あと10日ほどで修理完了して走り始める、と言っていたが、本当かどうかは分からない。
運転台で機関車を運転する真似をする僕を、おじさんは僕のカメラで写真に撮ってくれる。さらに誰もいない客車に座る僕を一枚。結構ちゃんと撮ってくれた。
彼は、僕が電気系のエンジニアであることを伝えると、日本では工学のタイトルを取るのに何年かかるかとか、キューバでは5年かかる、とか言っていた。彼も運転士として、機械とか動力とかの学位を持っているようだ。
「テレビのリモコンが、オンオフは出来るんだけど、チャンネルが変わらないんだ。接触が悪いのかな?」
「多分、そうでしょう。」
エクアドルの職業訓練校で、生徒が家から持ってきたテレビのリモコンを直したのを思い出す。あのケースは何もボタンが効かなくて、赤外線LEDの足が配線から外れていただけだった。
別れ際、僕は彼に説明料としてチップをあげると、彼は驚いたように喜んだ。そして、さらに要望を出してきた。
「ボールペンをくれないか?孫が今度学校に入学するんだ」
「1本しか持ってないから、あげられないよ。」
「そうか、だったらいいんだ」
彼は笑顔で引き下がった。
僕の行動の常として、頼んだわけでもないのに勝手にガイドしてくれた奴にはチップなどあげないのだが、この老人には胡散臭さはなく、あまりに丁寧に案内してくれたので、思わずチップをあげてしまった。ボールペンにも下心はなかったと僕は信じた。
駅から再びトリニダーの旧市街の中心へ歩く。途中のファーストフード的レストランで、ハムチーズサンドを食べる。もう10時半だから、遅い朝食だ。
マヨール広場の近くに、革命博物館がある。この建物は、もともとは修道院で、カラフルな戸が並ぶ通りの奥に、博物館の塔が見通せる。この絵になる構図は、CUC25セントコインに描かれている。ハバナでもそうだったが、新しく塗装された家は、黄色や水色やオレンジやピンクといった、どぎつくない、落ち着いたパステルカラーが多い。キューバ人の好みなのだろうか。
館内には、キューバ革命の遺品や写真、パネルでの各作戦説明、等が展示されている。中庭ではアメリカ軍の用兵が使用したボート、トラックが歴史を伝える。
近くの市立歴史博物館は、サトウキビ農園を経営して巨万の富を得たイスナガ夫妻の邸宅だった建物である。18世紀当時、コーヒーや紅茶に砂糖を入れて飲む習慣が世界に広がり、砂糖は莫大な富を生み出すことになる。サトウキビ栽培に従事していたのは、アフリカから連れてこられた奴隷たち。奴隷の酷使の上に成り立つ豪邸。トリニダーは、奴隷貿易の拠点だった。中庭には、奴隷を模したオブジェがぶら下がっている。細長い木ぎれの上部に、木で彫った黒人の頭をつけたもの。それが風に揺らめく。この豪邸は、彼らの犠牲の上に建てられた。
この建物には塔があり、この屋上から見るトリニダーの眺めは格別。キューバの家々の屋根は、茶色の瓦が特徴で、トリニダーは古い街だからか、ここの家の瓦は、様々な茶色が混じっていて、まだら模様に見える。茶色の屋根の広がりの間に、緑の木々が突き出している。
そしてここからは、カリブ海まで見渡せる。ここから10数キロで海である。
お土産屋には、ゲバラグッズが満載。Tシャツ、本、カレンダー、小物、とにかくゲバラの写真や絵を入れれば途端に人気商品だ。
アルゼンチン出身のゲバラは、キューバの英雄であるだけでなく、中南米各国においても人気が高い。いや、全世界でと言ってもいいのかもしれない。革命家としてキューバ革命を成功させた後も、ボリビアのジャングルでゲリラ戦の末に捕えられ、射殺される最期の時まで貫いたその生き方に、人々が尊敬の念を抱くわけである。革命後、キューバという一国の指導者となり、現実的な国運営をしなければならない「政治家」となったカストロに対し、ゲバラは最後まで「革命家」だった、彼は常に虐げられている人々に寄り添って人生を終えた、そこに人々が惹かれるのだと思う。
僕が以前住んでいた南米エクアドルでも、ときどき街なかにゲバラの絵が描かれていたし、彼のグッズも売られていた。知り合いの電気屋、ラルバイは、アインシュタインとゲバラをこよなく愛す、面白い奴だったっけ。
トリニダー郊外、ロス・インヘニオス渓谷には、かつて植民地時代、広大なサトウキビ畑が広がっていた。多数の奴隷が働き、大農園主のイスナガ一家が富をほしいままにしていた。ここに行くのに例のてんとう虫型のココタクシー(トリニダーではこう呼ぶ)を探すが、一台も停まっていない。1時間くらい街角を歩き回るが見つからない。するとようやく客を乗せたココタクシーを見つけ、合図を送る。しばらくすると、客を降ろしたココタクシーが戻ってきてくれた。アイコンタクトのみだったが、よくぞ以心伝心でこちらの意図が伝わったものだ。運転手のおじさんは、50がらみの穏やかそうなおじさん。ミラドールとマナカイスナガの塔に行きたいと告げると、彼は、二人だと20CUC(一人当たり10CUC)だが、一人だと15CUCなのだという。12CUCでは?と食い下がったが結局14CUCまでしか下がらなかった。だが、ここから15kmも離れているので、往復で14なら仕方ない。
まずは渓谷を見渡せる展望台(ミラドール)へ。トリニダー市内を出ると、景色は遠くに山、近くにサトウキビ畑となる。ここは渓谷状の地形が連なり、その谷の部分には、かつてキューバの糧だったサトウキビ畑が広がっていた。緑豊かな風景を、真っ直ぐな一本道が貫く。ココタクシーはバイクタクシーであるので、60kmくらい出すと、もうエンジンが悲鳴を上げる。それでも50kmくらいで真っ直ぐな道をひたすら進む。
15分くらいでミラドールに着く。山に囲まれた広大な盆地部分がよく見渡せる。今ではサトウキビ畑はかなり少なくなったらしい。
ここからマナカイスナガまでが結構遠かった。イスナガ駅の周りに、マナカイスナガの塔や、観光客用のレストラン、土産物屋、農園主の住居跡が集まっている。着くと、運転手のおじさんは「ここで待ってるから」と言って遺跡の入り口に残った。塔の方に歩いていくと、物売りたちが声をかけてくる。彼らは、布や小物を売りかかってくる。しつこいが、皆笑顔、悪質さは感じられない。
土産物屋の中でサトウキビジュースを飲もうと思ったが、店員さんがいなくて飲めず。おおらかだ。
その後マナカイスナガの塔に登る。この高さ45.5mの塔は、見張りや労働者への合図の鐘を鳴らすために使われていたという。塔のてっぺんからは、渓谷が360°のパノラマだ。かつて奴隷にとって地獄だった谷。今はサトウキビ畑もなくなり、緑の草原と森が山々に囲まれ、穏やかな佇まい。冬にしては割と突き刺してくる陽光を一杯に浴びた、あまりに平和な風景に、彼らの苦悩と憎悪の残骸を探そうとしてもどこにも感じられない。
塔を降り、ココタクシーのところへ戻る。おじさんは、入り口の露店で、友達なのだろうか、人と話しながら待っていた。展望台でもそうだったが、僕は観光地では人より時間をかけて目に見えるものを脳に焼き付ける性質なのだが、そんな僕を急かすこともなく、何も言わない。いい人だ。
帰りも延々と真っ直ぐな一本道を戻る。途中、タクシーを停めてもらって、道から眼下に広がる谷の写真を撮る。おじさんは、僕の質問にこう答える。
「今はキューバではもう砂糖産業はそれほど盛んじゃないよ。」
トリニダーの街に帰りついたのは午後4時40分。往復で2時間かかったことになる。おじさんに14CUC払おうとしたが細かいのがない。
「ありゃ、15CUCしかない」
「そこの雑貨屋でくずしてくればいい」
オジサンは僕から14しか取るつもりはなかったし(キューバでは出会わないが、後で何だかんだ理由をつけて値下げする前の金額を取ろうとするタクシーの運転手は多い)、無口で文句一つ言わないいい人だったので、15CUCでいいよ、と渡した。彼は笑顔になって「グラシアス」(ありがとう)と僕に言う。
その後しばらく街を歩き回る。子供たちから「写真撮って!」と騒がれる。撮ってやって撮れた写真を見せると、みな口々に歓声を上げる。子供たちに、「キャラメルない?」と聞かれる。今日は何人もの子供から、キャラメルをねだられた。新年の何かの風習なのだろうか。ハロウィンみたいな。
キャラメルは持ってない、と言うと今度は「ボールペンをくれ」と言われる。そういえば朝トリニダー駅の老人も欲しがっていた。確かエジプトだったか、あの時もボールペンをみんな欲しがった。エジプトでは大の大人がみんなしてボールペンを欲しがったが、ここキューバでは子供たちだ。老人も、「孫にやりたい」と言っていた。ボールペンくらい、店に売っているだろうに。たしかエジプトではボールペンの品質が悪いとかで、日本製のボールペンを欲しがるのだと聞いたことがある。ここキューバの子供たちのボールペン要望はどういうことなのだろうか。
5時過ぎに宿に帰る。ちょうど日が沈む時間。屋上のテラスで、マミータがくれたオレンジジュースを飲み、タバコを吸いながら、安楽椅子に座って日が沈むのを眺める。日が沈むのをこんなにじっくり見たのはいつぶりだろうか。よく考えてみると、旅にでも出ない限り、普段は日没を眺めることなどほとんどない。会社を出る頃にはもうお日様はとっくの昔に沈んでしまっているのだ。何ていうか、もっと心に余裕を持たないとダメだな。
初日の出ならぬ初日の入りを最後まで見届ける。
マミータは、「オレンジジュースもっと飲みたいなら、冷蔵庫にあるから」と言ってくれる。うーん、いい人だ。
今日の夕食も宿で作ってもらう。7時、昨日と同じくテラスで食べる。夕食は海老、米、麺入り鶏スープ、カボチャ、玉ねぎキャベツトマトサラダ、バナナチップス、パン。海老の味付けは独特だったが、キューバでは島国だからか、結構海老を食べるようだ。
夕食後、トリニダー名物のラ・カンチャンチャラを飲みに出かける。ラ・カンチャンチャラとは、蜂蜜、レモン、水でサトウキビの蒸留酒を割り、氷を入れたカクテル。店の名前にもなっている。蜂蜜が入っているので甘いが、酒自体は結構強い。かき混ぜているけれど、飲むに従い、下に沈んだ蜂蜜の甘さが強くなってくる。店では、キューバ太鼓のドラマーオジさんが、客の子供たちに指導して、みんなで楽しみながらリズムを叩き出している。このおじさんのタイコは上手い。ドラムだけで聞かせる腕を持っている。
30分くらいかけて一杯飲み終わる頃には、客は僕しかいなくなっていた。今日は客の入りが悪いようだ。タイコのおじさんも手持ち無沙汰。
僕は店を出て、しばらく夜のトリニダーを歩く。元旦の夜、静かだ。全く危険な雰囲気はない。あばさんや子供、ニーちゃんらが、「いいレストランを紹介するよ」と言って近づいてくるが、「もう夕食食ったよ、腹いっぱい。」と言うとすぐに引き下がる。あるニーちゃんだけは、「じゃぁ明日紹介させてくれ」と食い下がったが、「明日はハバナに行くんだ」と言うと「Happy New Year」と英語で言って握手を求めてくる。「こんにちは」と日本語を話したので、「さよなら」を教えてやった。奴は「ニーハオ」とも言ったけどね。僕が日本人だか中国人だか分からなかったんだろう。いや、日本語と中国語が同じだと思っているのかもしれない。
元旦の夜、ラ・カンチャンチャラも、カサ・デ・ラ・ムシカも、それほど盛り上がっていない。パレンケでは割と客が入っていて、音楽も元気だった。サンティシマ教会では、夜のミサが行われていた。宗教音楽と神父の言葉。初め、何かのコンサートを教会でやっているのかと思った。
夜のトリニダーの街は街灯に照らされて、その古さと光の陰影とが絶妙に似合った風景を呈している。道に誰もいなくても、寂莫ではなくそこはかとない暖かさを感じる。
酔っ払っているのだろうか?
夜9時前、宿に戻る。結構酔った。体が火照っている。外は涼しい。日中は暑いくらいだが朝晩は涼しい。日中はTシャツ1枚でOKなくらいだが、それでも日陰に入るととたんに涼しい。
今日もシャワーを浴びた。二日連続でシャワーを浴びるのは珍しい。どうしても旅に出るとシャワーが面倒になる。日中は太陽の下を活動して汗をかいたし、酒で火照っていたので、ぬるい湯でもOK。ただし、髪の毛は洗わず。
10時過ぎに寝る。
トリニダー 写真集
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