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キューバ&ジャマイカ旅行記 2010-2011
2.ハバナその1
朝、ハバナの街並み
旧国会議事堂、カピトリオ
ハバナ旧市街
カテドラル 遠景 ⇔ 近景
支倉常長像
エントラーダ運河。先に見えるのがモロ要塞。 ⇔ 大西洋に浮かぶハバナの街
グランマ号
ビエハ広場
ハバナの車風景
ハバナクラブ博物館のラムの発酵樽
ハバナクラブのボトル
2010年12月28日火曜日。朝6時半に起きる。12時間近く寝たことになる。昨晩も飯を食わなかったので腹ペコだ。外はまだ暗い。宿の2階から見下ろす通りに、人もまばら。タバコを一服して部屋に戻る。宿のスタッフは8時になってようやく起きてきた。宿の主人、アレクセイは、見たところのんびりそうなオヤジである。彼には日本人の友達がいるとのことで、僕が日本から来たことを告げると、いたく喜んでくれる。トロそうだが、人は良さげだ。。
彼は僕のパスポートを見て宿帳に記入しながら、部屋の鍵のことを話す。
「君の部屋の鍵はどうしても見つからない。前に泊まった女の子が持っていってしまったらしい。これから合鍵を作るから、今日君が戻ってきたら渡すよ。」
「分かった。鍵はこうやれば閉まるのね?」
と言って僕はドアのロックをして閉める動作をする。
「そうだ。それにしても昨日はよく休んだな。」
「なんか疲れてたよ。日本からここまでは長旅だ。」
こうして僕は外に朝食をとりに出た。8:40。外に出たとたん、旧市街の街並みに圧倒される。イエメンのサナアほどではないが、なかなかの衝撃だ。この辺りの建物は古いが、ピンクや水色や黄色といったパステルカラーに塗られている建物が多く、古めかしさよりも穏やかな感じというか、おとぎの国的別世界観を醸し出している。
朝食を食べれるところを探すが、食堂らしきは全然開いていない。開いているのはカフェだけ。レストランが開くのは、10時ごろのようだ。朝の道にはハンバーガーやホットドック系の屋台が出ている。仕方なく僕はカフェでハンバーガーとコーヒーを頼む。ハンバーガーが2CUC、コーヒーが1CUC。高い。まだ物価のイメージが湧かないが、これは高い。
ハバナの朝は寒い。思ったよりも大分寒い。朝晩はトレーナーにウィンドブレーカーでちょうどいい感じだ。大分人が出始めた雑踏を歩いていると、一人のオヤジが声をかけてくる。
「どこから来たんだ?」
「日本だ。」
「今日、サルサパーティがカサ・デ・ラ・ムシカ」であるんだ。(「カサ・デ・ラ・ムシカ」とは、直訳すると「音楽の家」という意味で、要はライブハウスとか音楽が聞ける場所のこと)
「あっそう。俺はサルサには興味ないよ」
「葉巻はどうだ?」
「興味ない」
だが奴はしつこい。物腰が柔らかかったので話を聞いていると、奴は僕を近くのバーに連れて行った。もちろんまだ開いていないのだが、店員の女の子が知り合いらしく、中に入る。
中で、僕はこのオヤジとキューバについて色々話をする。スポーツは一番は野球、次がボクシング、次がバレーボールらしい。確かにキューバ代表チームといえばサッカーではなく野球とかバレーをよく聞く。昨日、道では子供たちがサッカーではなく野球をしていた。それから、キューバの見所について色々話をする。奴は葉巻を売りたいらしく、葉巻について色々講釈する。最高級のコイーバは、25本入りで700〜800CUCもすること、もっと安いのはモンテクリストで10本入りからあるとか、チェゲバラという銘柄とか、僕は適当に聞き流す。そうこう話していると、こう言ってきた。
「モヒートを飲もう。」
「いや朝からアルコールは俺は飲まない。」
「いいさ、モヒートはアルコールなしでも美味いんだ」
店の女の子も話に加わっている。僕は、そういうことなら、とモヒートを頼む。がこのときまでまさか奴のモヒート代を僕がおごらなくてはならないとは思いつかなかった。だが二人でモヒートを飲んでいると、そういうことだということが分かり始めた。チクショー、そういうことか。奴はいつも僕のような旅行者をここに連れ込んで、何かを売りつけられないと、モヒートをたかっている、ってわけだ。
僕はモヒートを飲み終わると話を切り上げ、勘定を払う。奴の分とで10CUCだ。まんまとやられたが、まぁ仕方ない。キューバについてキューバ人と話をしなければならない。
外に出て歩き始めて5分としないうちに別のオヤジがタバコを勧めてきた。僕はタバコを吸ったばかりだったので拒否すると、強引に僕の手に持たせる。フィルターなしで珍しかったので、注意深く奴の手元を見て、タバコはたった今ケースから出され、奴も同じものを吸っていることを確かめ、火をつけて吸う。フィルターがないので葉が口の中に入って吸いづらい。そしてこのオヤジも僕を近くの別のバーに連れて行った。僕はまぁ、今度はそうはいかねぇぞ、という気持ちでしぶしぶ席に着く。奴はキューバで訪れるべき街を次々に紙に書いていく。トリニダー、サンタクララ、ビニャーレス渓谷、シエンフエゴス。バラデロはただの作られたリゾートだ、行く価値なし。次に奴はチェ・ゲバラの肖像が描かれた3キューバ・ペソ札を僕に渡す。
「これをあげよう。」
キューバでは、旅行者は兌換ペソを使うが、キューバ人は、キューバ・ペソという、別の通貨を使う。これの3ペソ札と3ペソコインに描かれているのが、ゲバラなのだ。これを手に入れるのは、兌換ペソをキューバペソに両替すれば出来るのだが、ゲバラファンの僕としては、こうして目の前にあると、欲しいものは欲しい。すると奴は、案の定、モヒートを飲まないか?と持ちかけてきた。意訳すると、「これやるから、モヒートをおごってくれないか?」ということだ。さっきのオヤジと同じだ。僕は拒否する。そしたら今度はいけしゃあしゃあと、「じゃあ、クーバ・リブレを飲もう」という。結局僕は、さっきのタバコとこの3ペソ札を、クーバ・リブレで奴に返すことになってしまった。この3キューバ・ペソというのは、兌換ペソの価値では15セントくらいなので、実に安く手に入るものなのだが(1CUC=24キューバ・ペソ)、僕はこれ以上面倒くさいことにしたくなかったので、5CUCを奴に渡してそのまま店を出た。5CUCも渡す必要はなかったかもしれないが、まぁ、1CUCだと絶対に文句を言われそうだったので、全然割に合わないことになってしまったが仕方ない。なぜだか知らないが、今朝は僕にしては気前がいい。
ところで、クーバ・リブレ。言わずと知れたラムをコーラで割ったカクテルである。世界に誇るキューバの名産品は、葉巻とラム酒である。僕もエクアドルに住んでいた頃は飲み屋でよくこのクーバ・リブレを飲んでいた。英語式に言うと、キューバ・リバー。「自由なキューバ」という意味。奴の口からクーバ・リブレという言葉がいきなり出るのも、当然なのだ。やはり中南米は、ラムだ。モヒートにクーバ・リブレ。
こうしてわずか30分くらいのうちに、二人のキューバ人オヤジにたかられたことになる。いつも強気な僕が珍しく、ハバナ人のペースに巻き込まれている。
ま、まずは郷に入れば、だからな、と気を取り直して歩き始める。その後は声をかけられてもすべてやり過ごして旧市街を歩く。もう奴らの手口は心得た。これはどの国でも同じだが、話しかけてくる奴らは、何らかの魂胆を持っている。ここでは、何かを売りつけるか、酒をたかるか。そいつら以外は問題ない。タクシーもサイクルタクシーも声をかけては来るが、押しは弱い。
上記たかりのオヤジ二人が奇しくも同じアドバイスを僕にした。それは、「道で両替を持ちかけてくる奴と両替をしてはならない。必ず両替は銀行か両替所(キューバではCADECAという)でしろ」ということだ。先にも述べたが、この国では両替はどこでしても同じレートであるので、闇両替などは使わずに、両替所ですればよい。どうやら、道で両替を持ちかけてくる場合、価値の低いキューバ・ペソで両替させられたりするらしい。兌換ペソとキューバ・ペソはよく似ているので、旅行者は気づかない可能性があるという。価値は24倍も違うので、気づかなかったら大変だ。
治安は良さそうだ。今朝もまだ暗いうちにおばあさんや女性が一人で通りを歩いていた。『地球の歩き方』にも、カリブ海諸国の中でも一、二を争う治安のいい国、と書いてあったことが分かる。
旧国会議事堂、カピトリオは、アメリカの国会議事堂そっくり。アメリカに支配されていた20世紀前半の遺産である。そばにはガルシア・ロルカ劇場の壮麗な建物。旧市街の古い街並みばかりでなく、これらの豪奢かつ美麗な巨大建造物が、ハバナ中心部にはあふれている。
キューバ。この国名を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。独裁政権、カストロ議長、社会主義国、貧困、危険。ひょっとして、北朝鮮みたいな訳の分からない国、という悪いイメージを持っている人がいるかもしれない。それは間違い。キューバは、社会主義国として今も成立している、稀有な国である。カストロとゲバラを中心とした革命軍が、実質的にアメリカの支配下にあった1959年、メキシコからグランマ号というヨットに乗ってキューバに乗り込み、ゲリラ戦によって革命を成功させてから50年。カストロは社会主義の理想の元、一から国造りをし、ソ連崩壊という困難な状況を経て、これだけの国を作り上げた。治安は良く、人種差別もない。これだけでも立派な国だ。キューバがどのような国なのか。これからおいおい僕が見聞したこと、感じたことを述べていくことにしよう。
旧市街を歩く。カテドラル。オリジナルは1555年建造だが、現在の建物は1704年の建立。それでも300年以上の歴史である。いかにも古い。時間が刻んだ年季が、石に表れている。向かって右の塔には、重さ7トンの鐘が下がっている。
カテドラルを北に歩くと、大西洋が見えてくる。ここには「カリブの海賊」時代の名残り、モロ要塞、プンタ要塞、カバーニャ要塞、フエルサ要塞、といった海からの攻撃に備えた要塞が多く残っている。ハバナは、キューバ島の北西部、大西洋に面した街であり、過去海賊やフランスやイギリスに攻撃され続けてきた。スペインは、守備のための要塞を海辺に造ったというわけである。
大西洋に臨む要塞には、いくつかの勇ましい銅像が建っている。
コロンブスは、1492年の第1回航海で、ここキューバに到達した。そして、計4回に渡る航海で、カリブ海の島々を次々に”発見”した。これ以降、恐るべき歴史が始まった。すでに島々に住んでいた人々の運命は、コロンブスという人間によって、最悪の形で塗り替えられてしまったのである。島の先住民にしてみれば、コロンブスとは英雄ではなく、悪魔である。
要塞前の運河沿いに、日本人の小さな銅像が建っている。彼は扇子を持って、それを空に指している。この人物は、あの、支倉常長である。なぜここハバナに彼がいるのか?このホームページの読者ならご存知の通り、支倉常長は、慶長遺欧使節として江戸時代に伊達政宗によって派遣された、一介の地侍である。1613年、彼は太平洋を渡ってメキシコに到達、さらにカリブ海経由で大西洋を渡ってスペイン、ローマにたどり着き、ついにはローマ法王パウロ5世との謁見に成功する。そしてキリスト教に改宗して7年後の1620年に日本に帰国するが、折りしも日本はキリシタン禁制となっており、大仕事を成し遂げたにも関わらず、不遇のまま一生を終えたとされる。この数奇な運命をたどった支倉常長は、遠藤周作の小説『侍』に詳しいが、彼は始めてキューバの地を踏んだ日本人として、2001年、ここハバナに記念の銅像が建てられたのである。キューバと日本の友好の印としてこの銅像を寄贈したのは、伊達藩のお膝元、仙台育英学園。
すっかり昼となり、日差しはいつの間にか強くさんさんと降り注いでいる。大分暖かくなってきた。明るい支倉常長像の前で僕は、数年前に訪れたスペインのセビーリャを思い出していた。あのグアダルキビル川にたどり着く前に、彼はここにも来ていた。今でこそ誰でも簡単に海外に行けるが、400年前は、命がけの船旅である。大航海時代とはいえ、嵐に巻き込まれたら、最悪船が沈むのだ。僕がグアダルキビル川でボーっと常長のことを考えていたときも、ここよりは大分寒かったけれど、天気がよくて、川面が陽光でキラキラしていた。ここでも、通りを挟んだ運河は、太陽の反射できらめいている。彼の数奇な運命、壮大な旅を思う。当時のキューバにはどんな人がいて、常長を彼らはどう迎えたのだろうか。当時はスペインの植民地だったから、彼が交わったのは、スペイン系の白人ばかりだっただろうか。何を食べ、何を見、何を話したのか。考えるだけで不思議な気分になる。400年後、日本人の僕はここにいる。点が線につながっていく。
昼過ぎ。プンタ要塞の近くのレストランで昼食。豚肉と米、豆のスープ(ポタヘという)、少しの野菜、フライドポテトが載った1プレートにレモネードで10CUC。高いが味とボリュームはまぁまぁ。キューバでは食費が高いことが徐々に実感されてくる。
革命博物館。西洋風の豪奢な建物である。ここはその名の通り、1959年の革命に至る歴史を資料や武器などの遺品で説明するもので、目玉は、革命軍がメキシコから密航した際に使用したヨット、「グランマ号」である。博物館の裏の広場に、ガラスケースの中に厳重に保管されている。また、ここにはジープや戦闘機など革命の戦いをくぐり抜けてきた実物が展示されている。
再び旧市街の中心に歩いて戻る。ハバナの旧市街は、僕のような健脚の人間には(笑)、何とか歩いて周れるほどのちょうどいい大きさ。歩くのが面倒なら、サイクルタクシーを使えばいい。一方、新市街は離れているので、バスやタクシーを使うことになる。
ハバナの旧市街は、いい。古めかしくかつ瀟洒なスペイン建築が、いまでもなお現役である。街に活気があるのがこの旧市街のいいところだ。ま、いつも言っているように、スペインが作った街などは、負の遺産にしかならないと僕は思っているが。
小さな広場では、子供たちが野球をして遊んでいる。この国はサッカーではなく、野球である。
ビエハ広場。ブリュッセルのグラン・プラスやマドリードのプラサ・マヨールとは比べるべくもないが、それでも四方を瀟洒な建物で囲まれた、四角形の広場である。「ビエハ」というのはスペイン語で「古い」という意味であり、この広場は16世紀に造られたそうであるが、ここを囲んで建っていた建物の老朽化が進んだためにほとんどが改修されたようで、建物はほとんどが新しく見える。さらには、しゃれたカフェやレストランを新しく作って人をひきつけるという再開発のようだ。
ここを取り囲む建物の2階にあるボデギータ・トラベルに行く。ここは日本人スタッフが常駐する旅行会社で、ジャマイカのキングストンへ行く航空券を予約しようと思ったのだ。だが、二人の日本人女性の回答は、「ここでは航空券の発券業務はしていません」。何のための旅行会社よ?
気を取り直し、ハバナクラブ博物館へ。前述したとおり、キューバの名産品は、葉巻とラム酒である。ラムは、スペイン語でロン。そして、ここキューバには、世界的に有名な「ハバナクラブ」というラム酒がある。キューバの主要産業は砂糖であるが、サトウキビからは、砂糖だけではなくこのラムが造られる。ハバナクラブ博物館では、ハバナクラブの歴史と、ラム酒の製造工程をツアー形式で知ることの出来る施設である。サトウキビを圧搾、発酵させてできるラム。ハバナクラブはそのラベルの色で何年モノかが分かるようになっている。ツアーの最後には、ラム酒のテイスティングが出来る。
午後5時。日が傾いている。鉄道の中央駅を冷やかして、宿に戻る。
日が暮れる。宿へ戻ってしばらく休んだ後、7時40分に夕食。宿の夕食は6ペソということで、朝頼んでおいたのだ。この夕食がよかった。羊系の肉(マトンとかラムではない)、大量の白米、キャベツの千切りとトマト、バナナチップス。これで6ペソなら大成功だ。肉はしょっぱくて、僕が住んでいたアンデス山中の味付けと同じだ。中南米の味。明日の夜もここで食べることにしよう。
夕食後、部屋でテレビを見ていると眠くなる。今日もシャワーを浴びずに眠りに落ちた。午後9時半頃。
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