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キューバ&ジャマイカ旅行記 2010-2011

3.ハバナその2
 
私が泊まったカサ・パルティクラル。2階のテラスで食事し、街を眺めた。
 

朝のサンドイッチ屋台⇔ハムキュウリチーズサンド

ホテル・アンボスムンドスのヘミングウェイの部屋

ホテル・アンボスムンドス ヘミングウェイの部屋から見たハバナ市街
 
フエルサ要塞

ダブルデッカーの市内観光バス。一日乗り放題5CUC。

新市街のゲバラの肖像とキューバ国旗。
「品性は我々の存在意義」の文字。

革命広場の脇、内務省の建物の壁に書かれたチェ・ゲバラ

ホセ・マルティ記念博物館の展望台から見る革命広場とハバナ旧市街。
遠くに見える海は大西洋・メキシコ湾

ハバナの小スーパー

12月29日水曜日。朝8時過ぎに起きる。またまた11時間近く寝たことになる。今日は何としてもキングストン行きの航空券を確定させねばならない。言い忘れたが、今回私の旅は、カリブ海に10日間のうち、1週間はキューバ、残りがジャマイカのキングストン、という大雑把な感じで考えていた。僕が事前に用意していた航空券は、ハバナイン、キングストンアウトのオープンジョーで、つまりキューバからジャマイカまでの足は、現地で自分で手配することにしていたのだ。よってもって、何としてでも、這ってでもキングストンに行かないと、日本に帰れない羽目に陥る。

宿の主人アレクセイに、旅行会社がどこにあるかを聞く。すると、新市街のベダード地区を教えてくれた。アレクセイが僕に聞く。
「どこに行くんだ?」
「ジャマイカ。」
「キューバ人は好きなように海外旅行には行けない。君と違ってな。」
そういう様子が何となく寂しそうだったが、キューバ人は海外に行けなくても別に国内で楽しんでいるように見える。日本人だって、一生日本から外に出ずとも、幸せな楽しい人生を終える人がたくさんいるはずだ。
「ジャマイカ行きの航空券は買えるよな?」
「もちろん買えるさ。」

外に出る。今日は昨日より大分暖かい。天気は晴れで変わらない。昨日と同じように、朝9時過ぎのこの時間、レストランは開いていない。屋台でハムキュウリチーズサンドを買ってその場で頬張る。一応、この屋台では、ホットプレートでパンを温めているので、温かいサンドイッチだ。

ヘミングウェイの常宿だったホテル・アンボスムンドス

ホセ・マルティ記念博物館

その後、オビスポ通りをずっと東へ歩き、旧市街の中心へ。ホテルアンボスムンドスで、ヘミングウェイが常駐していた部屋を見学。キューバは、文豪ヘミングウェイが愛した国で、アメリカはシカゴ近郊のオークパークで生まれ育った彼は、1940年にキューバに移り住み、20年間住んだ。彼が愛したのは、この国の人々と空と海だと言われるが、とりわけ、釣り好きの彼を魅了したのは、カリブ海の釣り場だった。
彼がキューバで家を持つまで、このホテルアンボスムンドスに常宿し、『誰がために鐘は鳴る』を執筆した。ハバナ郊外の「フィンカ・ビヒア」という家を買った後は、そこで『老人と海』などの代表作を完成させることになる。
僕はヘミングウェイの作品は短編集と『老人と海』、『日はまた昇る』を読んだが、『日はまた昇る』は印象に残っている。癖のある登場人物たちと、スペイン・パンプローナの闘牛祭りへ向かう物語の作り方。第一次大戦後のアメリカの若者たちの考え方。
そして、彼の作品には、闘牛が出てくる。ラテン的な文化が好きだったのだろうか。

アンボスムンドスのヘミングウェイの部屋は、5階の角部屋511号室で、今はヘミングウェイの遺品が展示される博物館となっている。
部屋は、思ったよりも大分小さい。窓からの眺めは良い。やや低いが、角部屋なだけあり、3方向のハバナ旧市街を俯瞰できる。

ホテルアンボスムンドスからすぐのところにアルマス広場とフエルサ要塞がある。アルマス広場では本屋の露店が連なっている。ゲバラが表紙の本も多い。きっとゲバラ本は売れるのだろう。

フエルサ要塞は運河沿いに建つ、スペイン時代からの要塞で、1555年にはすでに建築が始まっていたそうで、ハバナでは一番古い要塞である。一旦はフランスの海賊に襲撃され消失したそうである。要塞らしい、石造りの武骨な建物である。
中には、フエルサ要塞の歴史というよりも、航海の歴史についての展示がある。
見張り塔の上には、キューバのシンボル「ラ・ヒラルディージャ」が空を見上げる。あのハバナクラブのラベルにもなっている女性の像で、モデルは、フロリダ半島に不死の泉を求めて帰らない提督を待ち続けた夫人だそうである。

昼になった。フエルサ要塞の横、エントラーダ運河沿いのバス停から、ダブルデッカーの観光バスで新市街へ向かうことにする。運河では釣りをしている人がいる。日がさんさんと照り、深い青の水が凪いでいる。
新市街に行く前に運河沿いのカフェで昼飯。魚は4ペソだというので安いと思って頼んだら、魚とサラダ、ご飯、バナナチップスとオレンジジュースで結局トータル8.5ペソかかった。食後、「いくら?」と聞くと、ガタイのいい黒人のウェーターは、適当に考えて「10ペソ」と言ったので、そんな高いはずはないと内訳を確かめたら、しどろもどろになって、8.5ペソと言い直した。いいかげんな野郎だ。これだって本当かどうか分かったもんじゃない。まぁ、食事自体は美味かったので、それ以上追求せずに8.5を払った。

13時、バス停から二階建ての観光バスに乗る。これは、旧市街と新市街の観光地をぐるぐる回る観光バスで、一日5ペソで乗り降り自由。新市街へ行くにはどの道何かに乗っていかなくてはならないし、タクシー往復だと高くつくので、このバスは重宝する。二階部分はオープンで、高い日差しをさんさんと受け、バスは走る。マレコン通りという海沿いの道、気持ちいい。海沿いのヤシの木通り、という熱帯の国ではどこでもお目にかかれそうなシチュエーション。

実はこのバス、1周するだけで2時間もかかることに後で気づく。旧市街から西へ向かい、ベダード、革命広場を通り過ぎ、高級ホテルが立ち並ぶミラマールへ。ここからバスは東へ戻り始める。再び革命広場に戻ったのは14:30頃。
革命広場は、イベントでのカストロの演説場所として有名で、コンクリートのだだっ広い空間だ。多いときには十万もの人々が広場を埋め尽くす。同じ社会主義国のベトナム・ハノイのホーチミン廟を思い出す。

革命広場の背後に、ホセ・マルティ記念博物館の巨大な塔がそびえる。ホセ・マルティは、19世紀後半から20世紀前半にかけて、キューバの第2次独立戦争を指導した、キューバの英雄である。カストロ、ゲバラの前には、マルティがいたわけである。
この塔のてっぺんには展望台があるので、ここに上がろうとしたら、受付のオバちゃんたちが口々に今日は15時で閉まる、というではないか(いつもは16:30までやっている)。時計を見ると14:50.あと10分しかない。
「まだ入館OK?」
「大丈夫よ」
というわけで少し迷ったが、あと10分で展望台に上がることにした。
展望台からの眺めは最高だ。窓ガラスは汚かったが、ハバナの街を360°展望できる。そして遠くには海が見える。展望台には、13歳くらいの少年、少女たちのグループがいた。僕に興味深々なので写真を撮ってやる。

15:30、再びダブルデッカーバスに乗って、ベダードのハバナ・リブレホテル前で降り、旅行会社へ。教えてもらった場所には旅行会社はなく、各航空会社のオフィスがずらりと並んでいる。もう16時で、ほとんどのオフィスが閉まってしまっていた。肩を落として目抜き通りを歩くと、何軒かの旅行会社が開いている。そのうちの1軒に入ると、ジャマイカ行きのチケットは隣の角にある「ハバナツアー」という旅行会社へ行け、という。ハバナツアーのオバちゃんと話すと、ハバナ発キングストン行きは、アエロガビオータという航空会社しか飛んでいない、というではないか。しかも運航日は水曜と日曜のみ。『地球の歩き方』には、クバーナ航空が飛んでいると書いてあったので聞くと、飛んでいない、という。それ以外だと、コパエアーが飛んでいるが、パナマ経由となり、遠回りである。以前ボリビアからエクアドルに戻るのに、飛行機が遅れてコパを使ってパナマ経由で超遠回りして帰ったことを思い出し、背筋が寒くなる(笑)。

今度の日曜日、1月2日のアエロガビオータのキングストン行きの空席状況を確かめてもらうと、オバちゃんは、空席はない、と言う。さらにアエロガビオータに電話してもらうが、もう今日は営業終了したとのことで、明日も年末なので連絡が取れるか分からない、と言うではないか。まずい。コパエアーはここでは取れないので、オフィスに行けと言われる。ミラマールにあるらしい。住所と電話番号を書いてもらい、僕は失意の状態でハバナツアーを出た。またまた途方に暮れる状況だ。キューバもジャマイカも島なので、ジャマイカに行くには、飛行機しかないのだ。船なんかない。飛行機が取れなければバスで行く、といういつものパターンは存在しない。これはまずい、と事の重大さが徐々に頭を侵食していく中、ま、これ以上ここにいてもしょうがないので、観光バスで旧市街に戻る。

宿の近くのスーパーに入ってみる。狭い店内に人が列を作ってレジを待っている。ここではカウンター越しに商品の陳列棚があるのだが、我々が親しみのあるスーパーとは違い、客が商品を直接手に取ることはできない。カウンター越しに眺め、注文するような感じだ。缶詰や調味料、飲料などが売っているが、どのような値段なのか、よく分からない。これが社会主義国のスタイルなのだろうか。さすがに生活品まで配給ということはないだろうが、それの名残がここにあるのだろうか。よく分からない。

PM6:30、宿に戻り、夕食。今日はアレクセイの娘の友達の誕生日とのことで、テラスの食堂と今ではフィエスタの真っ最中で、音楽がうるさい。中南米らしく、ここキューバでも、音楽と踊りが人々の生活の一部である。
フィエスタの脇で僕は一人夕食を摂る。今日はチキンだ。そしてキューバ名物、黒豆のスープ、ポタヘ・デ・フリホーレス。トマト玉ねぎサラダ、ふかしたユカ。どれも美味い。

夕食後、この旅で初めて、シャワーを浴びる。シャンプーを石鹸を持ってくるのを忘れたので、アレクセイに少し分けてもらう。
部屋で眠ろうとするが、音楽がうるさくて眠れやしない。やっと眠ったが、夜中の3時に目を覚ます。まだ大音量でテレビを見ている。これにはさすがに温厚な僕も切れて、部屋を出て若者たちを一喝する。
「うるさいから、ボリュームを下げろ!」
暗がりでテレビを見ていた5人くらいの若者たちは、ビビって音量を下げる。ここがカサ・パルティクラルだってことに頭が回らないのかね?旅行者が寝てるんだよ、おい!

以下ハバナ2日間での雑感。
・ハバナには野良犬が多い。
・この時期のハバナは思ったより大分寒い。天気はいいので、昼は暖かくなるが、朝晩はとたんに冷える。
・テレビでは、スペイン語ではあるが、マイアミのニュースをやっている。つまりは、アメリカのテレビ局なのだと思われる。キューバ、いやカストロが最も忌み嫌う国のテレビが流れるのは皮肉なことである。今はもはや情報の流入を統制することは出来ないのだ。それをやれば北朝鮮や中国のような民主主義ではない国となってしまう。カストロは、やはり頭がいい。それにしても、街にはさすがにマックやKFCは見当たらないが、テレビではサブウェイとかNFLとか、まさにアメリカ的なものが無尽蔵に流れ、キューバ人の目に触れていることに、少なからず驚いた。
・街では、僕のことを「チーノ(中国人)」呼ばわりする人は少ない。世界でも例を見ない「人種差別のない国」であることが何となく分かる。
・キューバにはいろんな肌の色の人間がいる。人種構成は、混血50%、ヨーロッパ系25%、アフリカ系25%だそうだ。要は白人から黒人から混血まで、満遍なく存在する。ただし、アジア人は少ないように見受けられる。どこにでもいる中国人もあまり見かけない(チャイナタウンに集中しているからだろうか)。この2日間で、日本人の観光客も、ほとんど見なかった。


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