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アラビア半島旅行記(2007年4月〜5月)
3.サナア 旅の空から

朝食のパン屋台。人気あり。

ハサバにて、人々に道を聞く運ちゃん(左奥)

道で果物を売る男たち

パレスチナレストランの陽気な若者たち
カメラを向けるとなぜか緊張して表情が固くなってしまう(笑)

朝食の屋台パン

サナアで起こったことを散漫に書いておこう。
まずサナアの2300mという高地の体への影響は全く現れなかった。気分が悪くなることもなく、初日から普通に動けた。
4/28(土)、サナア二日目。朝7時に起きてホテルの屋上に上がって旧市街を眺める。イエメン建築の茶色と白の果てしない広がりが、反対側の山端から顔を見せた朝日を浴びて輝く。インクレイブレ!昨日もそうだったけど、今日も天気はいい。
屋上から降りて外に出る。近くの屋台でイエメン名物のパンを売っている。ベーグルというか丸いフランスパンチックな中東パンの中に、熱々のゆで卵とジャガイモを挟んでくれる。これにお好みでカレー粉のような辛い粉をパラパラっとかけて食べると、こりゃ美味い。絶妙のコンビネーション。朝食にぴったり。いくらか分からなかったので、いくらかと英語で聞くと、屋台のオヤジは英語が分からないらしい。とりあえず小銭が70YRほどあったので渡すと、「これでいい」とばかりオヤジは頷く。
(いやー、もっと安いと思うんだけどなー。まぁ、旨かったからいいか。)
英語を全く解さないオヤジも困ったものだ。見たところ話せるのに話せないふりをしているようではなさそうだ。昨日から見ていると、ここイエメンでは英語を話さない人が多い。まっいっか。生オレンジジュースを飲んで、歩道の縁石に座り、四方から覆いかぶさってくるイエメン独特の建物を見上げながら一服。朝日が建物の向こう側から射し込んでくる。8時過ぎの陽射しはまだ爽やかだが、これからどんどん強くなることを何となく予感させる。

■セイウーン行きバスチケット
バーバルヤマンの外に出る。僕は明日ここサナアからバスで砂漠の町セイウーンへ向かおうと思っている。
バーバルヤマンから城壁沿いにちょっと行ったところに、長距離バス乗り場がある。だがバス会社は見当たらない。よくよく聞いてみると、バーバルヤマンのすぐ近くの城壁沿いの店が並んでいるあたりにあるという。だがいくつかのバス会社に入ってセイウーン行きのバスについて聞いてみるが、いずれも扱っていないとのこと。だがそこでセイウーン行きのバスを出しているバス会社の場所を教えてもらった。教えられたバス会社は、さらに大通りを20分ほど歩いたところにあった。途中さらに何人もの人に聞いて、人によって違うことを言うので、大通り沿いにあるにもかかわらず、探し当てるのに苦労した。中に入ると、4つくらいあるチケットブースは多くの人でごった返している。キョロキョロしている僕を見て、客の一人と思われる恰幅のいいオヤジが英語で話しかけてくる。
「君は、どこへ行くんだ?」
「セイウーンです。」
「それならここだ。」
と一番右端のブースを教えてくれた。各ブースの上には、行き先・方面が書かれた表示板が下がっているのだが、何しろ僕から見たら曲線の曲がり具合が微妙に違っている糸ミミズが並んでいるとしか見えないアラビア文字は、全く理解不能である。
順番が来てセイウーン行きのバスチケットを求めると、
「パーミットは持ってるか?」
「いや、まだ取ってない。」
「チケット買うにもパーミットが必要だ」
「えー、そうなの?」
パーミットとは、いわゆるイエメン国内での旅行許可証のことで、外国人旅行者がイエメン国内を旅する場合、これを取得することが必要である。これがないと道の検問等で入れないというようなことが起こる。要は国内での移動許可証であり、イスラム圏の国ではこの制度が珍しくないようだ。外国人旅行者を当局がコントロールしよう、ということなのだろうか。また、これに違反した旅行者を見つけて、罰金を取って財政の足しにしようとする魂胆か。もちろん僕は『地球の歩き方』やイエメン関連のホームページでこのパーミットの存在は認識していたが、バスチケットを取ってから、と思っていたのだ。バス会社のチケットブースに座った、僕を応対してくれた親切そうなオヤジに聞いてみる。
「パーミットはどこで取れますか?ツーリストポリスですよね?最近場所が変わったって聞いたけど。」
(僕は、ホテルの日本人情報ノートで、最近になってツーリストポリスの場所が変わったことを知っていた。イエメンを旅する人間にとってパーミットにまつわる情報は、最も重要である。情報ノートが役に立った一例である)
「そうだ、場所が変わったんだ、今住所を書いてやるから、これをタクシーの運ちゃんに見せて、タクシーで行け。」
「はぁ。」
この後このパーミットを取るのに一苦労した。

■パーミット
パーミットを発給してくれるのは、ツーリストポリスである。ツーリストポリスは、観光省(Ministry of Turismo)という役所の中にある一部門で、イエメンを旅する外国人は必ずお世話になるところだ。このツーリストポリスとにたどり着くまでが一苦労だった。バス会社の前で捕まえたタクシーの運ちゃんに、バス会社のオヤジが住所を書いてくれた紙を見せる。
「ここまで行きたいんだけど、いくら?」
しばらく交渉して250YRで決着。空港からのダッバーブで一度乗換えをしたハサバ辺りにあるとのことだが、何しろ土地勘がないのでどのくらい遠いのかよく分からない。運ちゃんは、20代後半と見える男で、始めはよっしゃー、まかしとけ!的に快活で、しばらくハサバ方面へ車を走らせる間は色々日本の事を聞いてきたりして陽気だったが、書かれた住所がよく分からなくなってきて、信号待ちの間に隣の車の運ちゃんとか、通行人とか、交通整理している警官なんかに次々に道を聞き始めた。時には車を降りて聞きに行く。さっき僕が体験したのと同じように、人々は口々に違うことを言っているようだ。こっちだと思って行って見つからないとまた人に聞くが、その人は全然違う場所を言ってくる。そうこうしてタクシーはハサバ周辺を右往左往。だが、ついに僕らはたどり着いた。運ちゃんは僕に嘆願してきた。
「大分走り回ったから、もう少し出してくれ。」
「いくら?」
「600(YR)でどうだ?」
「ノー。そんなの高過ぎる。」
「じゃぁ500!」
「よし分かった、400だ。」
と断定口調で言ったら、彼は苦渋の表情で渋々了承した。ツーリストポリスを探し当てるのに一生懸命になってくれた、いいニーちゃんやった。
ツーリストポリスの係官(警官?)は、守衛のおっちゃん含めてみんな愛想がよく、親切だった。ビザとパスポートのコピーを提出、いつどこへ行くと口頭で伝えるとすぐにパーミットを発行してくれた。僕はセイウーンから国境を越えてバスでオマーンに抜けるつもりで、それを人の良さそうな担当官のおっちゃんに言ったら、
「そんなにすぐにイエメンを出て行くのか?」
と残念そうな顔をされた。彼はイエメンの見所を、その狭い部屋の四方の壁に貼られているイエメン各地のポスターを指差しながらあれこれと説明してくれた。
ツーリストポリスを出て、タハリール(新市街)に戻るダッバーブはないか、道行く大学生風情の若者に聞いてみる。すると前の大通りから乗ればいい、という。彼は親切にも乗れる場所まで教えてくれた。
そこには、荷車に一杯の果物を積んで売っている若者が何人かいた。彼らが売っているのは珍しい果物で、表面に固いイボイボが散在しており、緑色で、小ぶりで洋梨的な形をしている。またまたタダで一つもらった。ナイフで切ってくれたのを口にしてみる。美味い。これまた瑞々しい。
彼らは僕がこの果物を食べるのが嬉しくて仕方のない様子だ。買ってないのに。彼らの写真を撮って見せると、さらに嬉しそうな顔をする。本当にここイエメンって国には、いい奴しかおらんのか!あり得ねー!
ここからダッバーブに乗ってタハリールに戻った。
タハリールのコピー屋で、取得したパーミットを20枚コピーして、再びバス会社に戻る。これで晴れて明日早朝発のセイウーン行きのチケットをゲット。

昼食後、新市街、タハリール広場の前の通りを歩いていると、昨日空港から一緒に来た日本人の若者にばったり会った。
「よぉ、元気?」
「どこに泊まってるんですか?」
「俺は旧市街。オールド・サナア・パレスホテル。最悪だよ(後述)。」
「そうですか。僕も旧市街にしようとしましたが、高くてやめました。この近くのホテルです。」
「そう。」
「パーミット取りました?」
「おぅ、つい今さっき取ってきたよ。バスチケット買うのに必要でさ。」
「どこですか、ツーリストポリス?」
「場所変わったよ。これ、住所書いてあるから、これをタクシーの運ちゃんに見せて行くといいよ。ただ、結構みんな知らないから道に迷うかも。」
といって僕はバス会社で書いてもらったツーリストポリスの住所が書かれた紙を彼に渡した。
「ありがとうございます。助かります。」
僕は翌日セイウーンに向けてサナアを発ったのでもうそれっきり彼に会うことはなかったが、パーミットはちゃんと取れただろうか。

中東はチャイ

ピーマンに肉入りご飯を詰めたもの(左)

肉とジャガイモの炒め

サフランライスと魚(右)

■食べ物
イエメンでの食事は、取り立てて変わったものはない。いわゆるインド・中東系の料理だ。僕はサナアでは、新市街にある地元大衆食堂「パレスチナ・レストラン」で何度も食事をした。ここの店長のオヤジは海賊みたいなワイルドヒゲの風貌で、英語を操って観光客たちを陽気かつ豪快にもてなしている。そして、ここでは多くの若者たちが働いているのだが、こいつらがまた陽気で楽しい。英語はほとんど分からないのだが、僕に対して興味深々で話しかけてくる。僕は、『地球の歩き方』に載っているパレスチナレストランの記事や、バーバルヤマンやイエメン各地の写真を彼らに見せてやる。彼らは歓声を上げて見入る。さらに僕が日記を書いているところを、驚きのまなざしで見つめてくる。彼らイエメン人にとってみれば日本語、特に漢字の複雑さは驚嘆に値するだろう。僕にとってはミミズ文字で右から左に書くアラビア語の方が脅威なのだが。アラビア語のテレビでは、例えば画面下に流れるテロップは、左から右に流れていく。
飲み物はもちろんチャイ(=紅茶)。中東は、砂糖のたっぷり入った熱々のストレートティだ。通常、ガラスのコップに入って出される。

■ホテル
僕が泊まった旧市街のオールド・サナア・パレスホテルは最低だった。イエメンスタイルで部屋はこぎれいだが、ファシリティが最悪。初日の夜、各階にある共同シャワーを浴びようとしたら、一向にお湯が出ない。フロントに文句を言いに行く。僕は旧市街が見晴らせる眺望のいい6Fの部屋を取ったのだが、よく観察すると、今日このホテルには僕しか泊まってないかのように各階には客の姿は全くない。
(あれ、ここのホテルってひょっとして・・・?)
6Fのシャワーは結局出ず、ホテルの従業員は、5Fのシャワーを使ってくれと言う。仕方ないから5Fでシャワーを浴びる。一応ぬるいお湯は出たがチョロチョロ。その上トイレが付属したシャワー室は尋常な汚さではない。もう何ヶ月も掃除をしてないように見える。最悪だ、ここは。
翌日、街の散策を終えて夜8時ごろに帰ってくると、ホテルに光が全くない。フロントにいたオーナーのオヤジに尋ねる。
「どうしたの?停電?」
「いや、この建物だけ電気が落ちてしまったんだ。今技術者を呼んでるから、少し我慢してくれ。」
彼は僕に火のついたろうそくを渡した。ろうそくの火を頼りに狭くて急な真っ暗の螺旋階段を上がって僕は6Fの部屋にたどり着いた。トイレに行くのにもろうそくを持っていかねばならない。
(このまま今晩は電気戻らないのかなー。全くこのホテルは踏んだり蹴ったりだ。)
だが、電気は数時間で復旧した。やれやれ。

■イエメンでの対日本人感情
イエメン人の日本人に対する感情は良い。彼らに「どこから来た?」と聞かれて僕が「ヤパン(=日本)」と答えると、笑顔になって「Welcome!」と返ってくる。会話の始めに、「日本人?」と聞かれることが圧倒的に多い。「(君は)日本人か、韓国人か?」と聞いてくる人もいる。この国の人々は、日本と韓国と中国が違う国だということをきちんと認識している。まぁ、一応同じアジアだから、その辺りは知識があるのか、それとも昔から東アジアとは交易があるから歴史的に経験的にきちんとしたバックグラウンドがあるからか。エクアドルのように、東アジア人はすべて中国人と思っているようなことはない。第一声で「中国人?」と聞かれることもあるが、それは僕がビデオを撮っているからだろうか。

■撮影禁止
夕方旧市街を歩いていると、僕は警察(か軍隊)に捕まった。ビデオを回しながら歩いていたのだが、たまたま軍関係の施設だと思うんだけど、その建物を知らず知らずのうちに撮ってしまったのだ。建物前に立っていた歩哨に呼び止められて、ビデオを没収されてしまった。
「撮ってネェよ!」
と猛抗議したが、
「ちょっとここで待ってろ。」
と言われて、ビデオは中から出てきた軍服姿の上官風の男が建物の中に持っていってしまった。
(まさかこのままビデオ没収ってことはネェだろうな?テープ没収も嫌だが、最悪それか・・・)
ビデオ没収といえば、ラスベガスでやられた。あるホテルのショウ(もちろん撮影禁止)をさりげなく撮っていたら、僕らが座っていたテーブルの前を踊りながら通り過ぎたトップレスの女ダンサーに見つかり、しばらくして男が事情聴取に来、あっけなくビデオを持っていかれた。この時はショウ終了後にテープも無傷で返してくれたが。オッパイを露出しながら踊る女が、ビデオの方を見て「ノー、ビデオ!」を叫んでいる戦慄のシーンがばっちり写っていた(笑)。衝撃映像とはこのことだ。
などと不安げに考えつつ、僕は歩哨の二人に促されて近くのいすに座って待った。奴らはフレンドリーに僕に話しかけてくる。お前らが俺のビデオ取ったおかげでこっちはシリアスモードだってのに。
結構待たされた。15分位して、ようやく中から僕のビデオを持ってさっきの男が出てきた。で無事ビデオもテープも返してくれた。あぶねぇあぶねぇ。



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(アラビア半島旅行2007 −3−


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