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アラビア半島旅行記(2007年4月〜5月)
4.砂漠の街 セイウーンへ

ガート売りの屋台

砂漠の中のモスク

4月29日日曜日。イエメンに来て3日目。僕は朝5:30に起きて、バーバルヤマン近くの大通りから出発するセイウーン行きのバスに乗った。6:30集合で7:00出発。出発場所には大型バスが数台停まっており、旅行客がバスの下部に大きな荷物を積み込んでいる。
バスは大型でなかなか新しく、快適そうだ。乗客全員にペットボトルの水1本が配られる。運賃に込みなんだろうけど、うれしいサービスだ。バスでは時々あるサービスだけれど(例えばトルコでアンカラからカッパドキアへ向かうバスでも同じだった)、ことこれから砂漠の高温乾燥地帯に向かう乗客には的を得たサービスである。

サナアの街を出るとすぐに荒涼とした砂色の世界に入る。砂だらけの砂漠ではなく、砂とゴツゴツした岩丘が連なる。イエメンといえば、シバの女王である。イエメン人は、シバの女王の末裔なのだ。この砂漠の道は、当時(紀元前数世紀)金よりも価値があったという乳香を採取し、運んだ道なのである。ちなみに、もっと古代、エジプトとメソポタミアという2大文明の間にあったイエメンでは、紀元前3000年には国家が存在していたといわれている。
8:30くらいにバスが停まった。何かと思ったら、ガートの調達だ。乗客たちはみんなぞろぞろ降りて道端にずらりと並んだ粗末な木造りのガート売りの屋台風の売店で、今日の午後用のガートを買い求める。葉を選ぶ目は楽しそうではあるが「いい葉っぱをゲットするゼー」との意気込みが伝わってくる。

ドライブインの朝食

その後10時ごろマーリブに着き、朝食休憩。僕は今朝朝一で例のポテト卵入りパンを食べたのだけれど、異様に腹が減っていて、朝食客で一杯になったレストランに入った。テーブルは満席状態。料理やチャイを運ぶウェーターたちがテーブルと客の間をせわしなく動き回っている。僕も客で鈴なりになったテーブルの空席を見つけ、座る。そして他の客が食べているものを指差して、「あれちょーだい」と若いウェーターに告げた。程なく料理が運ばれてくる。簡素な金属の皿に、(おそらく)羊肉と野菜の煮込みのような料理。美味い。味付けが日本人好みだ。それにナンよりも薄く延ばした、中東パン。味はないがむっちりした歯ごたえのパンと、肉の結構濃い味付けの組み合わせが実に絶妙だ。こんなアラビア半島片田舎の砂漠ドライブインが繁盛している訳が分かる。チャイを頼んだのだがなかなか来ないのでウェーターに言おうとしていると、他のウェーターが気づいてすぐに持ってきてくれた。僕が珍しい東洋人であることもあるだろうが、親切は心に響く。料理とチャイで450YRはちょっと高かったが。

バスは砂漠と岩山と時々現れる砂と同じような保護色の、四角くて崩れかけたような建物の風景の中を走る。乗客に外国人は僕一人。時々検問がある。イエメンの警察か軍か、ミリタリー系の制服を着た男が検問所でバスを止める。最初の検問で、グラサンかけてちょっとカッコつけっぽいけど陽気な車掌のオヤジは係官に叫ぶ。
「日本人が一人だ!」
そして僕に聞く。
「パスポート持ってるか?」
パスポートを手渡したら、彼はバスを降りていって軍服の係官と何やら話し込んでいる。どうももめているようだ。10分位して乗客もちょっとざわつき始めた。また車掌が戻ってきて、
「パーミットはあるか?」
と聞くので20枚もコピーしたパーミットの山を手渡すと、驚いた顔をしたが
「何でこれを早く出さないんだ!?持ってるじゃないか、ちゃんと!」
と急に笑顔になって再び係官のところへ戻った。
(だってパスポートって言ったじゃんかよ?)
パーミットの提出ですぐに検問はOKとなり、僕は僕のせいで他の乗客を待たせてしまったことに若干の心苦しさを感じながらも、これでこの先は滞りなく検問を通れるだろうと車掌や乗客ともどもに喜んだ。この一件でバス内の人々は、僕が日本人であることを認識し、パーミットをちゃんと持っていたことで雰囲気も和み、この後長いバスの旅の間、さまざまな同乗客が僕に話しかけてきてくれた。旅は道連れだ。
「どこに行くんだ?」
「イエメンにはいつまでいるんだ?」
「どうだい、イエメンは?」
「イエメン人は本当にいい人だよ。」
と僕が言うと、いやこれは社交辞令でもなんでもなく(実際僕はお世辞などまっぴら言わない人間である)、本当に心からそう思って言ったわけだが、彼らイエメン人はこれを聞いて満足げにうれしそうな顔をする。僕も日本人の人格面が他国人に高評価されればうれしい、それと同じことだ。

この後、検問のたびに車掌は
「ヤパン(日本人)一人だ!!」
と係官に叫び、僕のパーミットを都度1枚ずつ渡していった。そう、なぜ20枚もコピーしたかというと、検問のたびに1枚ずつ必要なのである。各関所に僕が通ったという記録として残るわけだ。

PM2時頃、バスは昼食休憩で停まった。マーリブを過ぎると視界からは岩山が消え、見渡す限りの砂となっている。そして、恐ろしいほどの灼熱。日なたに少しいただけで気が遠くなっていくほどの暑さである。45℃近くあるのではなかろうか。ほとんど経験したことのない白昼の砂漠熱。
砂漠の中に一本道の舗装道路が通っていて(道はいい)、ぽつんとレストランと売店がある。そしてその横には簡易モスクがあり、食事を終えた乗客たちは次々にモスクへ向かう。敬虔なムスリムであるイエメン人にとって、祈りの時間は欠かせない。
レストラン横の売店で僕はマンゴージュースを買おうとしたが、値段を聞いて100YRと高かったのでやめようとすると、横にいた太ったオヤジがこう言う。
「俺がおごってやるから、持ってけ。」
「いや、いいですよ。」
「いいから。」
彼の押しに負けて結局おごってもらった。見たことのない顔だったので僕の座席の近くには座ってないようだが、おそらく一緒のバスの乗客だろう。でなければ僕なんかにおごるわけがない。イエメン人におごられる僕も僕だが、やはりうれしい。彼は服装からしても結構金を持ってそうだったが。

再びバスは走り始める。車内では携帯でしゃべっている人が結構いる。こんな見渡す限り砂だけの世界の一体どこに基地局があるのか不思議だったが、確かに電波は来ている。乗客たちを見ると、貧乏そうな人から裕福そうな人まで様々だ。ケータイ普及率は想像以上である。
セイウーンに近づくにつれ、風景が変化していく。砂だけの世界から、岩山とともに緑が増えてくる。潅木がどんどん多くなってくる。さすがに砂と石ころだけしかないところには人は住まない。水がなければ人は生きていけないのだ。緑があるということは、水を含む土地だということだ。地下水も豊富なのかもしれない。
午後4時過ぎ、隣の男が僕に前を見るように促す。バスのフロントガラスに切り取られた風景のかなたに、石のビル群が忽然と現れた。そう、砂漠の摩天楼シバームの街である。乗客たちの一部から歓声とも感嘆ともつかない声が上がる。もちろんこのバスを使い慣れている人にとってはこんな景色は見慣れているのだろうが、このバスに初めて乗った人にはこの光景は驚異である。今までずっと砂だらけで何もない地上を走ってきて、緑が多くなってきたなと思ったら突如高い建物が整然と並んだ街が現れるのである。蜃気楼だと思っても不思議ではない。
バスはシバームの街の横を通り抜ける。近くで見ると一つ一つの建物はかなり高いことが分かる、それがこんな砂漠の真ん中に大規模に広がっているのである。

夕方5時。サナアから10時間かかってバスはついに砂漠の街セイウーンに到着した。日が暮れかけている。
僕はバス乗降場から、人に道を聞いてセイウーンのランドマークである王宮の方に歩く。王宮付近は人で賑わっている。道に座り込んでガートを噛んでいる集団、屋台の物売り、タクシー乗り場の運ちゃんたち。安ホテルを探す。『地球の歩き方』に載っている宿をいくつかあたったが、意外にもいずれも満室だった。さらに歩き回っていくつかどこからどう見ても安ホテルっていうところに入ってみるが、思ったより高かったり満室だったりとなかなか見つけられない。夕方とはいえまだ砂漠の暑熱が残っている中を歩く。今日は一日中バスに乗っていただけなのに、疲労は思いのほか身体を縛り付けている。重い足を引きずりながら、ようやく王宮近く、狭い路地を入ったところに安いホテルを見つけた。夜はエアコンがないと死にそうだったので、エアコンつきのシングルをとった。うなぎの寝床のような、ベッドの縦長のスペースだけしかないような狭い部屋。1泊1000YR。
シャワーは当然のように水しか出ないが、暑さのおかげで水温はぬるま湯以上になっているのでこれが実に快適。この現象は以降訪れた湾岸諸国でも同じだった。ドーハではお湯が出るホテルに泊まったが、熱すぎて水でOKだったほどである。
夜、超熱帯夜の中、エアコンをガンガンにかける。あまり効かないが、ないよりはマシで、いったん消そうものなら一瞬たりとも眠れないほど暑い。こんな夜に最悪なことに、蚊の猛攻撃で眠れず。ここイエメンでは、日本の蚊取りが全然効かない。


セイウーンの街

セイウーンの王宮

暑いイエメンで最も世話になる店、ジューススタンド

翌日、4月30日月曜日。朝起きると身体がだるい。エアコンつけっぱなしで寝たからかはたまた寝不足だからか。だがエアコンなしでは眠れないほどの暑さだから仕方なかった。エアコンを消して再び眠りに落ちる。9時頃、ようやくだるさは少し収まったので外に出た。今日も恐ろしく天気はいい。

セイウーンは岩山に囲まれた砂漠の街である。人口は3万人。”百万のヤシに囲まれた街”と呼ばれているそうで、街には緑が多い。
今日はまず明日からの動きを決めねばならない。というのは僕はここからバスで国境を越えてオマーンのサラーラに行こうと思っているのだ。まずその国際バスのチケットを取らねばならない。ホテルを出て大きな旅行会社で道を聞き、オマーン行き国際バスのチケットを扱っているバス会社へ向かう。ここの野郎が全くいけすかねぇヤロウだった。

20代後半くらいに見える男は、目がとろんとした、まぶたが重そうな、笑うせぇるすマンのような顔つき。肥えた体つきも笑うせぇるすマンだ。
「今度のサラーラ行きの国際バスはいつ出発?」
「火曜(明日)の夕方だ。」
「サラーラまでここから何時間?」
「16時間くらい。」
「そのチケット買いたいんだけど。」
「オマーンのビザは持ってるのか?」
「いや、持ってないけど。」
「じゃぁ、チケットは買えない。」
「えー、何でだよ?日本人は国境でビザ取れるんだよ、陸路でも。」
「買えないものは買えない。」
「なにをー」
この後僕はこのーーー野郎を延々と説得し続けた。あのさー俺は日本でオマーン大使館に電話して日本人はどの国境でもビザが取れるって聞いたんだ、だからビザがなくてもいいのさ、分かるかい、俺は日本人だよ、日本人。地球上で最も信用できる人種なんだよ、日本人ってのは。
最後の一文は言わなかったけれど、僕はこういったことを英語で話し続けた。だが奴はずっと黙って僕を無視している。そして僕が
「おい、聞いてんのか?」
と詰め寄ると、急におどけて、
「ワタシ、エイゴワカリマセーン」
などと英語で言うではないか。
(おめぇ、英語しゃべってたじゃネェかよ、さっきからずっと!!)
僕が再び何か言おうとすると、奴はピシャリと言った。
「ノービザ、ノーティケット!」
僕は引き下がらずを得なかった。確かに陸路国境というのは、きちんと事務処理がなされるかは大いに疑問だ。「そんな話は知らない。ビザがないなら入国できない」と国境係官に言われてしまえばそれまでなのだ。日本のように、どこの地方に行っても均一で高質のサービスが受けられるなんてことは、外国では全く期待してはならない。まさかマスカットの日本大使館に電話するわけにもいくまい。バスの乗客のうち僕一人が入国できないトラブルを、そのバスに添乗するであろうこの男は回避したいのである。確かに、僕がもし国境でトラブルとなったら、他の乗客には迷惑をかける。うーん、しゃーないか・・・。
僕はオマーンのビザを事前に日本で取っておかなかったことを後悔しつつ、だが実はこのまま16時間かかってサラーラに行っても、時間的余裕がないのですぐにマスカットへ飛行機で飛ばなければならないことを考え合わせ、ついにサラーラ行きを諦めることにした。過去何度も言っているように、僕ははじめに立てた旅程を完遂することをモットーとする人間である。だが今回ばかりは残念ながら無理だった。僕は泣く泣く飛行機でここセイウーンからサナアへ戻り、サナアからオマーンの首都マスカットへ飛ぶことにした。
近くのイエメニア航空(イエメンの航空会社)で明朝のサナア便のチケットを取った。

僕は残念な気持ちでいっぱいになりながらも気を取り直し、砂漠の摩天楼・シバームの街へ向かった。シバームへはセイウーンからタクシーで行く。20分くらい。シバーム旧市街の入り口には大きな門がある。そこから中へ入るとまたまた圧倒的な建物群が迫ってくる。僕は入り口を入ったところで果物を売っている屋台で、メロンを一切れ買って食べる。うまい。屋台のオヤジと話していると、バイクに乗ったオヤジが声をかけてきた。
「パーミットはあるのか?」
僕は(誰だ、こいつは?)と思いながらも、
「持ってるよ。」
と言ってまだたくさん残っているパーミットのコピーを奴に一枚渡した。すると奴は笑顔で去っていった。
「シバームへようこそ。」
どこからどう見ても奴は警官とか公的な仕事をしている人間に見えなかった。着ているのは制服などではなくまったく普通の服装で、通りがかりのオヤジ、成り切り型冷やかし男のような雰囲気だった。途上国によくいる、いわゆるニセ者の匂いがしたのだ。屋台のオヤジに聞いてみた。
「あいつはポリスかい?」
「そうだよ。」
本当かなー?と内心疑いつつも、まぁ別にトラブルはなかったからいいか、と思い直し、高い建物の間の狭い道へと歩き込んでいった。


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(アラビア半島旅行2007 −4−


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