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アラビア半島旅行記(2007年4月〜5月)
7.ドーハの外人パワー

カタールは、ペルシャ湾に突き出した、
秋田県ほどの面積の小さな半島国である


5月4日金曜日、朝6時半。ドバイ。ほとんど眠れないまま僕は起きて、チェックイン。8:25発のエミレーツ機でドーハへ飛んだ。乗客は、ほとんどがインド系、東南アジア系(フィリピン系か、見たことのないのっぺり顔の若者たち)と黒人。日本人は僕だけ。アラブ人がほとんどいない。カタールという国が知れる。
ドーハはカタールの首都。あの『ドーハの悲劇』で有名な街であるが、普通の日本人にとってはドーハと聞いてもそれ以外の何のイメージも沸いてこないだろう。
『地球の歩き方』には、ドーハが旅人から「世界一退屈な街」と言われていると書かれている。僕は、別に何か見ようと思ってドーハに来たわけではなく、雰囲気だけ感じるために来た。ドーハ自体には観光地がないのは分かっていたし。

一般情報としては、カタールは、小国ながら国民一人当たりのGDPが非常に高い国である。つまり、金持ち。経済の源は、石油と天然ガス。ケニアのマサイマラで出会った、ドーハ在住のHさんは、カタールは世界一だと言っていた。

ドーハ8:30着(現地時間)。空港でドルをカタール・リアル(QR)に両替する。レートは、1ドル=3.6QR。よって1QR=約30円。

近代的なドーハ国際空港

なぜか集まる労働者風の人々。すべて男。

真珠貝のモニュメント

パキスタンレストランの気さくなオヤジたち

ドーハ夜の近代的繁華街

アラブ人野外コンサート

オリエンタルレストランのライスヌードル

まだ朝だが、ドーハも暑い。早くもかんかん照りだ。空港タクシーが高いので芝生の大きな広場を横切って大通りに出て、流しのタクシーを探す。何台か捕まえたが、どいつもこいつもふっかけてくる。空港タクシーと変わらない値段を言ってくる。しかもなかなかタクシーは通らない。やがて来たタクシーの運転手は、さっき一度交渉した奴で、(またノコノコと何しに来やがった?)と思っていたら、「値段は分かったから乗れ。」と言う。僕は暑さにやられて、一度行き先と料金を念を押して、乗り込んだ。車が走り出した後、運転手は「〜QRなら、空港までだ。」と空港前まで行こうとするではないか。
僕は完全に切れた。
「おい、ふざけんな!!止めろ!!!!」
と半狂乱になって叫んだ。そしていやいや止めた運転手に日本語で捨てゼリフを吐き、ドアをこれ以上ないほど激しく閉めて、また先ほどの大通りに戻った。
それにしてもタクシーは来ない。もう諦めて次に来たタクシーに乗ろうと考えたちょうどその時、白と薄いパステルグリーンの路線バスが通りかかった。一応止めて運転手に行き先を聞いてみる。すると、スーク方面に行くというではないか。しかも2QR。このバス情報は『歩き方』に載っておらず、事前に知っていれば猛暑の中タクシーを待ったりして無駄な体力を消耗せずにすんだのに、と恨み節を頭で鳴らしながら、僕は冷房の効いたバスに乗り込んだ。バスはドーハ市中心部にあるPublic Bus Stationに到着。だが、ここからまた暑さの中体力を大きく消耗することになる。ホテルを探して歩き始めたのだが、安ホテルが全く存在しないのである。
市内を歩き回り、できるだけみすぼらしいホテルで値段を聞くが、全くお話にならない。一番安いところで200QR(約55ドル)。みすぼらしいと言ってもどう見ても中級である。ここはトーキョーかよ?しかし路傍に寝るわけにもいかず、暑さとほとんど寝ていない疲れで死ぬ寸前だった僕は、結局バスターミナルの裏側にあるDoha Tower Hotelにチェックインした。始め200QRと言われ、僕が食い下がると、ホテルの優しげなオーナーはこう言った。
「それじゃぁ180QR(約50ドル)、これがラストプライスだ。」
この一言でここに決めた。他の同等のホテルは、どこでも談合しているかのようにすべて1泊200QRで、それ以上は下がらなかったからだ。
しかしそれでも高い。現金がないのでクレジットカードで支払う。ドーハのホテルは最低ランクが50ドルくらいだけあって、どこでもクレジットカードを使えるようである。この街では、僕が見たところ、1泊10ドルくらいの、共同シャワー・共同トイレの安宿など、影も形もない。『歩き方』にも載っていない。
こぎれいで設備の整った部屋に入ると、疲れからそのままベッドに倒れこんだ。起きたのはPM3時ごろ。連日の空港泊、しかも横になれずほとんど眠れなかったときて、疲労はピークを超えている。

3時過ぎ、日が傾き始めた頃に外に出た。しかしまだまだ全然暑い。
大通りが縦横に走るドーハ中心街。バスターミナルには大勢の男たちがざわめいている。民族衣装のアラブ人がほとんどいない。いるのはインド、パキスタン系が圧倒的に多い、また東南アジア系、中国系と見受けられる人々も結構いる。また、僕が識別できない国籍不明の若者も混じっている。モンゴル系かしら。
近くのモスクに行く。上記の外国人出稼ぎ者と見られる男たちで、モスク横の広場は埋め尽くされている。通路で立ち話をし、芝生では座り込んでグループを作ってダベっている。一体何をしているんだろう、この人たちは?全く分からん。
カタールの人種別人口構成は、アラブ人40%、パキスタン人18%、インド人18%、イラン人10%、アジア系他14%だそうである。多国籍国なのだ。

20分ほど海の方へ向かって歩く。途中スークがあるが、いずれも建物の中にある近代的なショッピングセンターと呼んだ方が正しいもので、興はない。しばらく歩くと、海に着く。ドーハもまたアラビア海(ペルシャ湾)に面した街である。真珠貝のモニュメントがあり、観光客なのか出稼ぎ者なのか、人々が盛んに写真に一緒に収まっている。海の向こうの対岸に、高層ビル群が揺らめいて見える。
それにしても、どこにも女性の姿がない。これだけ大量の人間がいるのに、街には全く女性の姿がない。これはゾッとする問題だ。女のいない世界などというものは、間違いなく最も住みたくない世界である(笑)。ドーハの女性陣は一体どこにいる?
海沿いの道を歩いていくと、労働者風の人々がわんさか歩いている。そしてあるところまで来ると、警官の笛が鋭く鳴った。どうも僕を指して何やら言っている。警官は僕に近づいてきて、こう言った。
「ここは撮影禁止だ。それとこの先は立ち入り禁止だ。あっちへ行きなさい。」
「え、どうして?」
「ここから先はファミリーしか入れない。一人ではダメだ。」
その理由はよく分からなかったが、どうやら「首長の館」という、中東の国々では典型的な、最高権威者である国王関係の建物があるからのようであった。僕はその高圧的な警官に閉口して、海から離れる道をたどり、クロックタワー、グランド・モスクの横を通ってドーハ・フォートへ向かった。これは古い建物だが、ふと考えると、このドーハ・フォート以外に、ドーハには古いものが見当たらない。モスクも最新鋭のピカピカなものが多い。

ドーハ・フォートの先、夕暮れ前のドーハの繁華街は、人であふれていた。色々な人種の人間が歩いている。電気屋、カメラ屋、眼鏡屋、雑貨屋、レストラン。今日はイスラム教の休日である金曜日だけれど、金曜は夕方から店を開けるようで、どの店も活発にやっている。午前中、ホテルを探して死にそうになりながら歩いたときは、店という店が閉まっていた。

繁華街から少し離れた寂しい道の小さな食料品店でオレンジジュースを買い、タバコを吸いながら店先のテーブルで飲んでいると、店主が声をかけてきた。彼はイラン人だそうだ。ドーハにはイラン人もかなり多いとのこと。
リンゴのいい匂いがすると思ったら、人々が水タバコを吸っている喫茶店の前だった。そういえば僕が初めて吸ったイスタンブールの水タバコもリンゴ味だった。

そうこうしているうちに、日は沈み、夜となった。繁華街の近くのスークは、閑散としている。スークの近く、ライトアップされた一画では、アラブの民族衣装を着た一団が野外コンサートを行っていた。大人が演奏する音に合わせて、子供が歌を歌っている。子供のくせにこぶしを利かせたりして、「こまっしゃくれが!」と思わず独り言。独特のアラブ音階の哀愁漂うコード感。何というのか、民族楽器の弦楽器とキーボードの音色が、まさにアラビアンナイト。中東らしくステージはじゅうたんで、その上に座り込んで演奏している。
コンサートの様子
金持ち系の、カタール王族関係のコンサートのように僕には映った。観客もほとんどが真っ白な民族衣装を着た余裕のありそうな人々ばかりで、昼間飽きるほど見た、外国人の労働者風とは全く人種が違っている。きっとこいつら一握りの金持ちのアラブ人が国の富を独占し、労働はすべて低賃金で外国人労働者に請け負わせている、というのが、石油で潤う湾岸諸国の社会実態なのだろう。この構造は、形こそ違え、先住民が虐げられているかつて欧米の植民地だった発展途上国の状況と変わらない、と感じた。

労働者風の人が多く歩く繁華街には、パキスタン料理の店が目立つ。そのうちの一つで、店先で料理を作っていたオヤジに声をかけられ、しばらく話し込む。このパキスタンレストランの従業員は、パキスタン人、ネパール人、バングラディシュ人だそうだ。パキスタンとネパールのオヤジは気さくな奴らで、僕にバジーヤとサモサ(サンボーサ)とチャイ(ミルクティー)をタダでくれた。結構辛い。
夜7時半。路線バスにはギュー詰めに人が乗っている。アザーンが流れる。さらに行くと、明るいネオンに包まれた、さらに近代的な商店街が現れる。この辺りでは一転して金持ちそうな民族衣装に身を包んだアラブ人が多く歩いている。貴金属系、欧米ファッション系、民族衣装等の服屋、マック等の欧米系レストランが見られる。


もう歩き疲れた。夜9時。腹が減り、ラーメンを食いたかった。僕は昼間、オリエンタルレストランを見つけていたから、そこへ行くことに決めていた。
しばらく歩いてたどり着く。小さな店内には誰もいない。入り口のドアに張ってあるメニューを見ると、チャーハンとかヌードルとかの中華系、それに東南アジア系、さらにはSUSHIもあるではないか。僕は迷わず入った。
「スープ・ヌードルはありますか?」
「ありますよ。」
人の良さそうな、おとなしそうなおばちゃんが切り盛りしていた。東南アジア系の顔だ。聞けば、インドネシア人だそうだ。僕はライスヌードルを頼んだ。ベトナムを思い出す。これが最高に美味かった。野菜もたっぷりで、ビタミン不足の体には最高の滋養。この中東旅では基本的にカレーとかビリヤニとか、インド・パキスタン系の食事ばかりで、疲労がたまっていたこともあり、突発的にラーメンが無性に食いたくなったのだ。テーブルの上には、ついぞ見かけなかった爪楊枝が乗っている。これまたうれしい。店内には、ラジカセからニルヴァーナの曲が流れていた。
オバちゃんには「あなた韓国人?」と聞かれた。今回の旅ではメガネをかけているので韓国人に間違えられることが多い。
「僕は日本人です。ところで、スシはあるの?」と試しに聞いてみると、
「今はない」との答え。それにしてもライスヌードルは美味かった。12QR(約360円)。これはフォーでしょう?と言ったら、”マミ”と言うのだという。この小さなレストランは、マスカットのKFCのように僕にとってドーハでのオアシスとなった。
オバちゃんに礼を言ってレストランを出る。あとはホテルに戻って丸太のように身じろぎもせずに眠るだけだ。
ホテルの部屋は50ドルだけあってもちろん部屋にトイレ・シャワー完備。しかも暑いお湯が潤沢に出る。しかし悲しいかな、こんなときに限って暑くて熱いシャワーなど必要ない、とくる。僕はほとんど水のようなシャワーを浴びた。これが極上の気持ちよさ。

世界一退屈な街・ドーハではやはりたいして特筆すべきこともなかったが、石油と天然ガスの国にあふれる外国人労働者の群れは、印象に残る光景だった。


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