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アラビア半島旅行記(2007年4月〜5月)
1.イエメン サナアの衝撃(1)
サナア庶民の足、ダッバーブ(小型乗り合いバス)
ジャンピーア(刀)売りの男たち
バーバルヤマン(イエメン門)
バーバルヤマンをくぐった後に展開する光景
ホテル屋上から見たサナア旧市街
旧市街の裏小路
2007年4月26日木曜日。仕事を5時で切り上げ、僕は一度家に戻ってバックパックを担いで羽田空港へ向かった。昨年暮れに続き、再びエミレーツ航空でのフライトでアラビア半島へ向かう。
20:45羽田発、22:00関空着。23:15関空発、ドバイへ到着したのが現地時間4月27日AM5:30頃。飛行時間10時間45分。飛行機の中では昨年末にアフリカ行った時と同じように映画を見て過ごす。今回は、行きと帰りの飛行機で、『TRICK 2』、『UDON(うどん)』、『涙そうそう』、『ロッキー・ファイナル(Rocky Balboa)』、『7月24日通りのメリークリスマス』、以上5本を完視した。暇を持て余すことのない飛行機だ。それにしても『ロッキー・ファイナル』で、年老いたロッキーが現役のヘビー級チャンピォンと試合するという、奇想天外リアリティ無視のストーリーには開いた口が塞がらなかった。よくやるわ、まぁ。本当にこれで終わりなのだろうか。
さて、ドバイを27日朝7:05に飛び立ち、イエメンの首都サナアに着いたのが8:30頃。飛行時間2時間20分。ドバイ発サナア行きの機内、日本人は僕と若者がもう一人。他の乗客はほとんどすべてがアラブ人。ヒゲと民族衣装のオンパレード。彼らの飛行機の中でのマナーの悪さには閉口する。ただルールを知らないだけなのかもしれないが、飛行機が着陸後、スチュワーデスが「飛行機が止まるまで席を立たないで下さい」って言ってんのに、止まる前から席を立って我先に出口へ殺到する。ルールを知れ、おのれら。
飛行機を降りて到着ロビーまで向かうバスの中で、一人のアラブ人の携帯が鳴った。そのメロディーは『ドラえもん』の始めの歌。こんな中東のはずれまで、恐るべしドラえもんの浸透。
入国審査、両替を済ませ、空港の外でタバコを吸う。日差しが強い。結構暑そうだ。例によってタクシーの運ちゃんが声をかけてくるが、しつこい奴はいない。「No thanks.」と言うとすぐに引き下がる。
空港で出会った日本人の若者と一緒に、ダッバーブというワゴンタイプの乗り合いタクシーでサナア市内へ。このダッバーブがイエメンでの足である。
ダッバーブの窓から流れていく風景に、すぐに引き付けられる。砂っぽい土色の風景は見慣れたものだが、建物が違うのだ。ダッバーブはまずハサバという町に着く。ここで乗り換えてサナア市内まで行く。10分弱でダッバーブはバーバルヤマンに着く。バーバルヤマンとは、バーブ・アル・イエメン(Bab Al-Yemen)のことで、直訳すれば”イエメン門”。名のとおり、城壁に囲まれたサナア旧市街へ通じる、一番大きな門のことである。この界隈はすごい賑わいである。
門の前の大通りの歩道縁石に腰を下ろし、人々の往来を見ながらタバコに火をつける。そして写真を撮りまくっていると人々が興味深げに僕を見つめる。そして集まってくる。
「俺も撮ってくれ。」
向こうから写真に撮られたがって群がってくるのだ。これは結構珍しいことで、エクアドルのケベドで経験したくらい。普通はこちらの行動を観察しながら見ているか、露骨にカメラを向けられるのを嫌がるか、というのが多い。
群がってきた人々の写真を撮ってやる。ジャンビーア(刀)売り、ジャケット売り、通りがかりの男たち。もちろん声をかけてくるのはみんな野郎どもである。奴らと話す。当然僕はイエメンしょっぱなで、こいつらがどんな奴らか、注意深く用心深く探る。話してみてすぐに分かる。いい奴らだ。下心がない。何てことだ。だいたい旅行者に群がってくる途上国の人間というのは、たいてい何らかの目的を持っている。ほとんどの場合が金儲けである。ボッタクリである。騙しである。しかしこのイエメン人ときたら、そんな腐臭が全くしない。金を要求するのでなく、ただ純粋に「写真に撮ってくれ」というのである。撮ってやった写真を液晶画面で再生して見せると、子供のように純粋に歓喜する。
イエメンをこの後旅して痛感したことは、イエメン人たちの人の良さである。このイエメンの人々の純粋さは、血眼になって旅行者の金をせびり取ろうとする人間が多い国ばかり旅している僕にとっては、まず実に不思議で、そしてうれしい出来事である。ここの人々は、僕たちより金は持ってないけれど心は豊かであるという、久しぶりの例だ。ネパールとかベトナムでも人が良くてそういう感じだったけれど、それらの国々よりもここではボッタクリ、悪質、醜悪の匂いが全くしない。話せば話すほどイエメン人は無邪気だ。
(これがイエメンか・・・。)
物売りと門を出入する往来で賑わうバーバルヤマン。その波と一緒に僕もくぐる。そして目の前に広がっていた光景は・・・。
なにやー、これ??
衝撃的だった。サナア旧市街、イエメン建築物が超ド級的迫力を持って眼前に展開しているのである。このときの強烈な印象は、アンコールワット(カンボジア)の比ではない。もっとも、アンコールワットの場合、門をくぐっても建物が遠いから圧倒されないだけなのであるが、ここサナアでは、門をくぐると目の前に覆いかぶさってくるように建物が迫っているのである。門をくぐって左に曲がって歩く。さらにその衝撃感が急速に拡大し、何だここは?的言い知れない興奮というか高揚感が頭の中を支配する。イエメン独特の5〜7階建ての四角くて茶色い、見たことのない建築がずーっと両側に続き、ずーっと奥まで重層化している。これぞ世界遺産。イエメン人が、数百年前、イエメン伝統の建物を建築し、それをずっとそのままに保存しているのである。何度も言っているけれど、南米にある都市世界遺産、例えばキトやクエンカ(いずれもエクアドル)といった、征服者スペイン人が造った、南米文化とは縁もゆかりもないスペイン式の歴史的建造物は、いわば負の世界遺産である。それは、スペイン人・ポルトガル人らによる侵略、虐殺、搾取の歴史である。インカというアンデス地域に独自に発展した文化を、外からやって来たスペイン人はすべて破壊し、街をスペイン風に作り変えただけ。そんなものが本当に後世に残すべき人類の遺産なのでしょうか?「そのような非人道を忘れてはならない」という意味で世界遺産に指定されたのであれば納得できる(注)。先住民と同化していった(混血していった)という意味では特殊であるということは言えるが。
衝撃のサナア旧市街映像
話はそれるが、近年、いろいろな紀行番組で取り上げられたり大手旅行会社が企画するツアーにも必ず組み込まれるってくらい、「世界遺産」に対する関心は高い。そんな風潮に乗せられた世界遺産崇拝主義が世の中にはびこり気味だが、そんなものに意味はない。文化遺産に関しては、ユネスコが指定したからって、それがどういう意味、価値があるのかをよく調べたほうがいい。所詮はヨーロッパ的論理によるセレクションでしょう。加えて、各国は世界遺産に登録されて観光収入を上げたいがため、過度なアピール活動によってその価値が過大評価されたりもするでしょう。ヨーロッパ諸国が帝国主義植民地時代に世界各地に残した痕跡などは、負の意味、また教訓の意味でこそ保存されるべきである。まぁとにかく、世界遺産に登録されているからといって無条件に価値があると思うのはやめたほうがいい。文化遺産に限ったことですが。自然遺産はだいたいどこも素晴らしい。これは上述したような人間の恣意が入っていない。とにかく純粋に、手付かずの恐るべき自然の驚異、人間がどうすることもできない地球の歴史だからである。
ここイエメンの首都サナアには、本当の意味での世界文化遺産がある。人は何世代と変わってきたけれど、景色だけは時が止まったように変わらずにここに存在してきた、そんなことを自然に思い起こさせる雰囲気がここにはある。
僕はオールド・サナア・パレスホテルという旧市街にあるイエメン式ホテルにチェックインした。主人がノートを取り出してくる。過去に泊まった日本人が書いた情報ノートである。これにはこのホテルの賛辞だけでなく、批判的意見も載っている。ここのオヤジがセクハラだとか(笑)。日本人の女はイスラム圏では注意しないとならないから大変だろう。それを覚悟で旅行しなきゃね。まぁ僕はこのオヤジに何かを期待するわけではないので関係ない。
部屋はイエメンスタイルで、ベッドはなく、じゅうたんを敷いた床にマットと布団が敷いてある。普通の窓とステンドグラスの窓がある。
普通の窓からはサナア旧市街が一望できる。ホテルの屋上に上って、イエメン建築が果てしなく続く旧市街の広がりを眺める。言葉を失う。ここにはシバの女王の時代から栄えたアラブ人の長い歴史が、そのままに眼前に展開する。
外に出て旧市街を歩き回る。歩けば歩くほど別世界である。だがそこに住む人々はそんな風景に気を止めることもなく楽しげだ。リラックスしている。「こりゃぁ俺の街さ、毎日見慣れてるがね。」
サナア旧市街写真集
この旧市街には、人が結構多く住んでいるようだ。スーク(市場)もたくさんある。そしてもちろんモスクも多い。ここサナアは、イスラム発祥の地、サウジアラビアのメッカからアラビア半島の西海岸を南に下ったところにある、イスラムの懐である。
英語はあまり通じない。会話がよう分からん。だからとりあえずすぐにアラビア語のこんにちは(アッサラーム・アライクム)、ありがとう(シュクラン)、さようなら(マッサラーマ)を覚えた。通りかかる人と目が合ったときに、「アッサラーム・アライクム」と挨拶すると、必ず同じ「アッサラーム」という返事が返ってくる。こっちから言わなくても、向こうから英語で「Hello」と言ってくる人も結構いる。僕が歩きながら写真を撮っていると、子供たちが「スーラ、スーラ」と言って寄って来る。どうやらスーラと言うのは写真という意味で、「僕を撮って」と言っている、ということが程なく分かる。何しろみんなでスーラスーラ言うのだ。旧市街で子供たちの写真を撮ってやると、口々にアラビア語でまくし立ててくる。
「へ?何て言ってんだ?」
と聞いても奴らはアラビア語ばかりしゃべるので分からない。ひょっとしたら途上国でありがちな、「写真撮ったな、金くれ」と言ってるのか?分からないから手振りとかを交えてボディランゲージとなってくる。バクシーシみたいな金をせびっているのではないようだ。どうやら、
「プリントアウトして写真にして俺たちにちょーだい」
と言っているようだ。だがここにデジカメプリントできる店があるかどうか分からないので、無理だ、と伝える。
旧市街の圧倒的な建築、たたずまいに始まったイエメンの衝撃。そして人々は驚くほど無邪気だ。だがこれだけではなかった。次から次へと襲い来る衝撃の連続。ここでは、僕ら日本人が忘れ去ってしまったものがそのままに現存していることを、僕は目の当たりにすることになる。
(注)もっとも、僕がエクアドル滞在中いろんな人にインタビューしたところでは、当の現代エクアドル人たちはスペイン人に対して憎悪の感情を持っていない。むしろ同胞的親近感があるようだ。それもそのはず、彼らは人口の多数を占める、メスチーソと言われるスペイン人と先住民インディヘナとの混血なのである。自分にスペイン人の血が流れているとすれば、スペイン人を闇雲に糾弾することもない。侵略からもう何世紀も時間がたっていて、スペインが支配中に強いた、言語(スペイン語)や宗教(カトリック)といったスペイン文化が完全にエクアドルに根付いていることがポイントであろう。ここらが中国や韓国の日本に対する感情と決定的に違うところである。もちろん、純粋なインディヘナの人々の感情はメスチーソのそれとは違うと思われるが。
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