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アラビア半島旅行記(2007年4月〜5月)
5.砂漠の摩天楼・シバームと再びサナア


砂漠のマンハッタン、シバーム

シバーム遠景

岩山の崖の麓にうずくまる箱型の建物群

イエメン風お好み焼き、ムタッパカ

パレスチナレストランのムサカ
ここシバームの建物は、サナア旧市街にあるイエメン建築とは明らかに違っている。四角い直方体形は似ているのだが、窓周りの装飾が少なく簡素で、高さが高い。ここの建物は1000年以上前、8世紀ごろから建設され始めたという、世界最古の摩天楼の街である。別名、砂漠のマンハッタン。
建物と建物の間の道は細く、砂に覆われている。人通りは少ない。ここに人が住んでいる気配も希薄である。時々子供、大人、ヤギが道を歩いている。炎天の下、廃墟のような巨大建物群の林の中を歩く。不思議な砂色の世界。砂と人工物。これだけの人工物が1000年以上も変わらずにこの砂の大地に存在し続けている。
暑い。砂漠のカラカラ暑さだ。迷路のような路地を歩き回る。街の端に出ると、そこからは近くに緑、遠くに荒くれた茶色の岩山が見渡せる。街は高い壁に囲まれていて、街自体が要塞であったことを実感させる。壁に沿った階段を降りて、シバームの周りを歩いてみた。大地の砂色と空の青のみの世界に忽然と現れた人工物の世界。それがシバームだ。
壁の周りを歩いて外から建物群を見ながら再び正面門へ。刺すように照り付ける太陽に大地は乾いている。高温低湿。人影は少ない。時々車道を車が通り過ぎる。
壁沿いを歩いている間、一人の黒人とすれ違った。彼は僕に声をかけてきた。胡散臭そうな奴じゃない。ひとしきりしゃべった後、僕は彼にこう言った。
「タバコ1本くれない?」(笑)
「いいとも。」
彼は僕にマルボロを1本くれた。日本人がイエメン人にタカってどーすんのよ?と思ったが、まぁ、図々しさに対する反応を見るのも面白い。本当はタバコを吸いたかっただけなんだけど。
彼は僕に何の見返りも求めずに笑顔で去っていった。本当にイエメン人はいい奴だ。彼はアフリカから奴隷として連れて来られた黒人の末裔だろうか。それとも単なる移民者か。

シバーム写真集

セイウーンの街に帰る。大衆食堂で念願のムタッパカを食す。これは、イエメン風お好み焼きかチヂミかといったところで、美味すぎる。相席したおじいさんに再びタバコを一本もらう。彼は僕に色々話して聞かせた。イエメン人の父とシンガポール人の母を持ち、アジアに長年住んだとのこと。英語も達者だ。
この大衆食堂の店長がヒゲにメガネのニーちゃんでなかなか絵になる。写真を撮らせてもらったら逆に「サンキュー」と言われた。そりゃこっちのせりふさ。

砂漠の街・セイウーンに日が暮れる。


翌朝。5月1日火曜日。4:30に起き、5時過ぎにタクシーでセイウーンの空港へ。日の出は5:30頃。小さな飛行場、イエメニア航空の機内もガラガラ。だけど日本人が僕を含めて5人もいた。そういえばそのうちの二人の女の子は昨日シバームで見た。
飛行機はあっという間にアラビア半島南部の砂漠地帯を一っ飛びし、サナアに到着。バスで10時間、飛行機でおよそ1時間。
サナアの空港で、オマーンの首都・マスカット行きの飛行機を探す。どうやら今日はカタール航空しか飛んでいないらしい。カタール航空のオフィスではこう言われて驚く。
「ハッダ・ストリートにあるカタール航空のオフィスに行けばチケットが買えるよ。」
「えっ、ここ(空港)じゃ買えないの?」
係員の答えは、ノー。なぜだかよく分からないのだが、なぜか空港でチケットが買えない。あり得ない話は慣れっこだ。カタール航空の係官はさらにこう言う。
「ここからタクシーで200YRだ。」
200?そんなにカネかけてられるか!
僕は当然のごとくダッバーブに乗ってハサバ経由でタハリールへ。ダッバーブに同乗した大学生が、「タハリールから少し歩けばハッダ方面行きのダッバーブに乗れるよ」と教えてくれた。奴は大学で英語を学んでいるから英語を話したいんだそうだ。
タハリールで人に尋ね、乗るべきダッバーブを見つける。運転手に「カタール航空のオフィスに行きたいんだけれど」と告げると、彼は降りるべきところで僕に建物を指差し、「ほら、あそこだ」と車を止めた。大通りの目の前に、QATARの文字が見える。近代的オフィスだ。冷房も効いてる。ハサバ、タハリールでダッバーブを乗り継いでかかった金は70YR(30+20+20)。200YRもかかるわけない。おととい来やがれ。
ここで無事今夜夜中のサナア−マスカット便をクレジットカードで買うことができた。これまたアフリカ旅行のときと同じようにカードが使えなかったら途方にくれていたところだが、ここでは使えた。275ドル。全く想定外の出費だが、バスでオマーンに入れなかったのだから仕方ない。あとは今日は夜までサナアで最後の1日をダラダラ過ごすか。別にサナアでもうやることもないし。

僕は昼飯を食うために行きつけのパレスチナ・レストランへ向かった。例のごとく店員たちは僕を歓待する。ムサカという、ナスとポテトと挽肉の炒めが実に美味。さらに、カレー味コンソメ系スープもとてつもなかった。朝からパウンドケーキ1個と飛行機の中のスナックしか食ってなかったから癒された。
イエメン人もインド人やネパール人と同じように手で飯を食う。熱くないのかといつも思うのだが、どうやら手の皮が厚いらしい。それとも熱さを感じる神経が退化しているのか(笑)。米を手でつかみ、握って固めて食う。日本の米と違ってモチモチしてなくてパサパサなのでなかなか面倒くさそうだ。パレスチナレストランの主人は、前述したようにワイルド極まりない。この店で唯一英語をしゃべるので、次々とやって来る欧米人を有無を言わさぬ勢いで連れ込み、一つ一つショーケース内の料理をダミ声で説明していく。白人たちも気圧された様子で席に着く。

パレスチナレストランを出て、国立博物館に歩いていったが閉まっている。午後の開館は15時とのことで、まだ2時間もある。仕方なしに入り口の横にあったベンチに座り、通りを行く人たちをぼんやりと眺め始めた。
すると、前を通る人々が次々に声をかけてくる。彼らイエメン人は恐ろしくフレンドリーだ。そして全く何の下心もない。若者は英語がしゃべりたいのか、また年配者はよく分からないけれど僕の横に座りかけてくる。あるおじさんはLGの携帯かなんかの箱を僕に見せ、僕に聞いてきた。
「これはコリアか?」
「そうだよ。」
またある老人は何も言わず僕の横に座っていたが、しばらくして僕のほうを見て、笑顔で頬をふくらました。つまり、
「ガートをやらないのか?」
と頬で僕に聞いているのだ。彼はその後もずっと何も言わずに座っていた。僕はしばらくしてクソをしにタフリール広場の公衆便所に行ったのだが、戻ってくると彼はもういなかった。
さらに座っているとある男が缶入りのミルクティーを僕に渡し、「これやるよ」と言った。僕は「いらない」と言ったのだが、おじさんは強引に僕に渡し、さっさと歩き去ってしまった。知らないところを旅する場合、知らない人からもらったもの、特に飲食物、は口にしてはならない、というのが原則だ。よくバスなどで隣に座った人間がアメや飲み物をくれたりするのだが、それを親切心からと思ったら大間違いで、その中には薬が入っていることがあって、口にしたら最後そのまま昏睡状態に陥って貴重品を全部剥がされてしまう、という”昏睡強盗”は、途上国では非常にポピュラーな強盗手口である。
僕はそういうこともあって渡されたミルクティーを呆然と見詰めた。匂いをよーく嗅いでみたが別に妙な匂いはない。が味を見てみなければ分からない。僕は、この頃にはここイエメンにはもはや悪人などいないのだ、と信じていた。意を決して一口飲んでみる。普通のミルクティだ。一体どういう国なのだ、ここは?彼はどうして僕にこれをくれたのだろう?さっぱり分からん。だが改めて分かったことは、イエメン人に悪人はいない、ということだ(笑)。
その後タフリール広場に移動して直射日光を避けて木陰でタバコを吸っていると、隣のおじさんが流暢な英語で話しかけてきた。
「イエメンはどうだ?」
「いい国です。人がいい。」
「この後どこに行くんだ?」
「マスカットに行きます。」
「オマーンならサラーラへ行くべきだ。緑が豊富で美しい街だ。マスカットも気候はいいが。」
このおじさんの悪意なき偶然のこの言葉によって、僕はバスでサラーラに行けなかったことを再び悔やむことになった。
(サラーラに行ってみたかったな・・・。)
とにかくここではみんな僕に興味深々だ。白人とか東アジア人はあまり歩いていないから珍しいんだろう。ある若者は、僕が公園に座り込んでボーっとしているので、何か困っているとでも思ったんだろう、
「僕はあまり英語が話せないんだけど・・・・。What can I help you? 」
だと!何といい奴なのだ!
「No. Thank you, anyway.」
と言ったら笑顔で彼は去っていった。
公園では、通りすがる人々はしかめつらしい顔して僕を横目でじっと見るんだけど、こっちがあいさつすると、とたんに笑顔になって会釈してくる。もちろんハナから向こうから積極的に声をかけてくることも多い。途上国といわれる国の旅で一番うっとうしいのは間違いなく物売り・ボッタクリの類だけれど、ここにはそれが微塵もない。トルコなんかもそうだったけれど、ここはその上フレンドリー。何の下心もなく一旅行者に「WELCOME ! 」と言ってくれる。

しかしそれにしても、繰り返しになるが、この国の人間の無垢さは正直驚嘆に値する。彼らの生活規範や道徳観、人生観、世界観の根底にイスラムがあるはずなのだが、エジプトやトルコのように西洋社会というか資本主義、競争主義、金こそがすべてというカネ至上主義に全く染まっていない、いや毒されていないように見える。イスラムなのか教育なのか。この国には犯罪がないのでは?とすら感じる。

イエメン色々。
◆黒人は少ない。ちらほらしか見かけない。僕が見たところ、他国同様黒人の人たちがやっているのは、道掃除ゴミ拾いなど、いわゆる下働き系の仕事である。
◆インド人女性も見た。彼女たちは鮮やかな水色と赤のサリーを身にまとっていたので、ここイエメンでは恐るべき違和感を発散している。何しろイエメンでは、女性のいでたちといえば全身をすべて隠した真っ黒のアバヤのみなのである。アバヤとサリーとの色なす好対照。
◆イエメン人はほとんどメガネをかけていない。
◆電話での「もしもし」に当たる言葉は、「アロ?」はたは「ハロー?」。この言葉は万国共通なのだろうか。もとはアラビア語なのかスペイン語なのか英語なのか。語源は何なんだろう。

とにかく。このイエメンで僕が感じたことは、こうだ。
居心地最高。外国って感じがしない。何の気も張らずに、日本にいるのと同じ心持ちでいられる国。外国を旅行していてこう感じるのは、とても珍しいことだ。

夜になった。僕はサナアの空港へ。白人女性の”ムネ”を見る。久々に見たという感じだ。イエメンで唯一受け入れられないことといえば、女性の体型が見えない、ということだ(笑)。やっぱりこの、女性の体型が見える世界はいい。何しろイエメンの街なかではダースベイダーのような格好の女性しかいないのだ。

居心地最高のイエメンを離れ、まずカタールの首都ドーハへ飛ぶ。カタール航空 サナア→ドーハ便の乗客は国際色豊か。まず男女ともインド人多数。そしてフィリピン人(に見える)、ヨーロッパ人。その他国籍不明の人々。結構みんな酒を飲んでいるから、イスラム系ではなくこいつらみんなインド人なのかもしれない。アラブ人は少ない。乗務員も東アジア系女性2、男性1。カタール航空は金持ち国家カタールらしく、金にモノをいわせたエミレーツ的ポリシーなのかもしれない。
サナアを離陸した飛行機はアラビア半島南端から北端へ一気に北上し、現地時間夜中12時ごろ、ペルシャ湾に面したカタールの首都ドーハに着陸。サナアから所要2時間20分、時差なし。ここで2時間待ってマスカット行きカタール航空機に乗り込む。客数は座席数の3分の2くらい。さっきと同じ3列×2のエアバス320。ドーハ→マスカット便には、さっきあふれていたインド人やフィリピン人はいない。彼らはドーハで働く出稼ぎ者だと思われる。
マスカット着午前2:20。シーブ国際空港で眠る。手すりつきのいすしかなく、横になれずキツイ。冷房は寒いくらいに効いている。


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(アラビア半島旅行2007 −5−


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