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アラビア半島旅行記(2007年4月〜5月)
7.バーレーンの裏スーク、そしてアラビア半島雑感

バーレーンは、ペルシャ湾に浮かぶ小さな島国。
サウジアラビアと橋でつながっている


5月5日土曜日、朝5時15分起床。ドーハ・タワーホテルを6時にチェックアウトし、すぐ前のバスターミナルからドーハ国際空港へ。94番のバス。たったの2QR(約60円)。6時20分に空港に着く。ドーハの空港はきれいだが、ドバイほどではないが人が多すぎる。
8:35定刻発のカタール航空機でバーレーン着9:30。時差なしなのでおよそ1時間のフライト。両替。レートは1ドル=0.375BD(バーレーン・ディナール)。これまた1BDが大金だ。

マナーマの近代的街並み
右奥に見えるのがアメリカ帝国のKFC

バーレーンフォート入り口。誰もいない。
チケットブースも何もなし。無料世界遺産

バーレーンフォート

向こうにペルシャ湾が見える

バーレーンフォートから望むマナーマの高層ビル

近代的なアハマド・アル・ファティフ・モスク(グランド・モスク)

グランド・モスクの巨大なメインプレーヤールーム

マナーマの夜

マナーマ裏スークのダニー・デビート風男

マナーマの裏スークで買ったモスク型アザーン目覚まし時計

再び空港タクシーには乗らないと一度は決意したがバス停が見当たらない。そして例によって酷暑。結局空港から少し離れた通りで流しのタクシーを拾った。3BDで交渉成立。初老のおじぃちゃんドライバーとバーレーンの首都・マナーマ中心部へ。市内から離れた小島にあるバーレーン国際空港から、海の上の立派な道路を走って市内へ入る。市内には、ガラス張りの高層ビルが立ち並ぶ近代的な都会風景が展開している。奄美大島と同じくらいの面積の小国バーレーンも、金持ちの国なのだ。マナーマの街にはアメリカチェーンのファーストフードも多い。
ちなみに、バーレーンはBahrainと綴るのだが、発音は正しくは”バハレーン”である。アラブ人に”バーレーン”と言っても通じない。

ホテル探しはまた死ぬかと思ったが、思いがけなく街の中心部で6BDの安宿を見つけた。トイレ・シャワー共同。その他周りのホテルをいくつか回ってみたが、断然ここが安かったので決める。
部屋に荷物を置くとすぐに外へ出る。まずはバーレーンフォートへ行こうと思い、タクシーと交渉するが吹っかけられるのられないのって言ったら。往復で20BD(=53ドル)とか言ってくんのよ、全くお話にならない。何度目かのドライバーとの交渉で、8BD(=21ドル)までは下がったが、釈然としない僕は、結局行きのみで3BDで交渉成立させた。どうも物価の高い国に来てから、つまりイエメンを出てから、イエメンの安い印象が強く残って、貧乏カツカツに固執してしまう傾向がある。カタールとかバーレーンっちゅうのは金持ち国で物価が高いんだ、と自分でも分かっているのだけれど、それでも安い出稼ぎ者で成り立っているこれらの国ではよりこだわってしまう。僕もひげ生やしてインド人にでも見えれば吹っかけられることもないのだが。

タクシーで20分くらい、マナーマ郊外、住宅街の奥にバーレーンフォートが見えてくる。マナーマは、少し郊外に出るとすぐにもう荒涼とした砂地が広がっている。マナーマは砂漠に現れた超近代的都市である。そして今でも建設ラッシュが続いている。
バーレーンフォートは、16世紀〜17世紀にバーレーンを支配したポルトガルが造った城砦跡である。遺跡入り口でタクシーを降り、だだっ広い荒野の中を一本道が向こうの遺構まで続いている。バーレーンも暑い。ギラギラと照りつける陽射しの下で空気が揺らめいている。上空には雲のかけらも見当たらない。そして遺跡には誰もいない。一応ここは世界遺産なのであるが、観光客はゼロである。
城砦の遺構群、住居跡は、灼熱の太陽の下静まり返っている。銃眼の向こうには緑のヤシの木林、さらにその向こうに、空の色よりもやや濃い青のペルシャ湾の海が、強烈な日差しの下で穏やかに光り、静まりかえっている。空と海の境界線、つまり水平線は、真っ直ぐにしかしやや湾曲して景色を上下に区切っている。
ここは、その名の通り、ペルシャ湾からの他者の侵入を防ぐために築かれた砦である。バーレーンもマスカットやカタールなどアラビア半島の他の港湾都市と同様、昔からアジアとヨーロッパを結ぶ海上交易の拠点として栄えてきた。大航海時代16世紀以後は、例によってヨーロッパ諸国とアラブ勢力との支配争いが勃発し、支配者となったポルトガルの夢の跡がこのバーレーンフォートである。夢の跡にふさわしく、400年後の今、当時と変わらぬ太陽が降り注ぐ下で静まり返っている。
バーレーン・フォート写真集

1時間ほど歩き回ったあと、バーレーンフォートを後にして僕は街の方へ歩き始めた。住宅街を黙々と歩く。タクシーの拾えそうな大通りはかなり遠い。陽炎が揺らめく海沿いの道を、ヘロヘロになりながら歩く。雑貨屋を探すがどこにもない。さらに歩いてはるかかなたに店らしきものが見えてくる。冷房の効いたところに入りたい。そこはどうやら健康飲料の店だった。やけにこぎれいな店だが客は誰もいない。店の主人と思われる若者が、ハーブ水だとか、ローズ水だとか、棚に並んでいるわけの分からない飲料を色々紹介してくれる。いくつかを少しずつ試飲させてもらったが、僕は請うた。とにかく喉が渇いていた。
「普通の水を一杯もらえないかな。」
「いいとも。待ってろ。」
2階に上がっていった彼は、コップになみなみと水を持ってきてくれた。僕は彼の怪しさとまたこの水は水道水かなぁ、と若干の不安を感じながらも、まぁ、こんな店をやっていて高級車に乗ってる男だからきっとミネラルウォーターで大丈夫だろうと、水を一気に飲み干した。(バーレーンでは、水道水は地下水と脱塩した海水を混ぜているので塩辛い、とのこと)水はクリアな味で美味かった。さすが水屋だけのことはあるうまさだ。
「ありがとう。恩にきるぜ。」
それでも「これで薬かなんかが入っててこん睡状態になりでもしたら・・・」とウジウジと思いながら、何となくまだ俺と話したそうにしている男を置いて僕は店を出て再び歩き始めた。
歩き始めたが意識は遠のかなかったので一安心。ようやく大通りが見えてきて、そこでタクシーを拾ってマナーマ市内のグランドモスクことアハマド・アル・ファティフ・モスクへ。ここでは異教徒はガイドに案内されてしか入れない。受付で女性はアバヤを借りてそれを着る。男は着替える必要なし。ただし男女とも裸足になる。ガイドに連れられて入り口ホール、5000人収容可能のメインプレーヤールームを見、祈りの仕方や時間などの講釈を受ける。イスラムの戒律に厳しいサウジアラビアでは、祈りの時間には政府の命令で商店街は休みになるとのこと。1日5回の祈りの時間は、季節によって変わるが、厳密ではなく、フレキシブルに各自祈れる時間に祈ればよい、とオカマっぽいガイドの若者は説明してくれた。モスク外には広大な駐車場がある。毎週金曜には、何千人もの人々が来るまでこのモスクに祈りにやって来るのだろう。
モスク前の大通りを歩く。暑くて死にそうだ。日を遮るものが何もない。木陰で一休み、ということが出来ない。

ホテルに戻る。手持ちのトイレットペーパーがなくなったので、一応ホテルのフロントでトイレットペーパーあるか聞いてみるが、トイレでは紙を使わないので、トイレットペーパーは置いてない、とのこと。ホテルのトイレは様式なのに。仕方なく近くの雑貨屋に買いに行く。バラで買おうとするが、12個入りセットでしか売らない、と言うではないか。しょうがないからティッシュを1箱買った。本当はティッシュは流しちゃいけないんだろうがやむを得ない。

マナーマ市内を歩き回り、日が暮れる。夜のスークは賑わっている。だがメイン通りの一本裏に入ると、怪しい活気が増す。次々と店の男が声をかけてくる。色々な物を売っていて面白い。ダニー・デビート風の威勢のいい小太り男と話す。
「お前はどこから来たんだ?」
「日本だよ。」
「そうか日本か。日本はとてもいい国だ。アメリカと違って。」
ダニーは日本を褒めちぎり、アメリカを徹底的にけなした。僕は複雑な気持ちでそれを聞く。最近いつも思うことだ。
(もともと中東の対日感情はいい。だが最近の日本のアメリカ寄りの外交は、彼らの感情を害することである。アメリカ追従でイラク戦争に賛成した国は、日本を含め今後イスラム原理主義者たちのテロの標的となるのだ。全く最近の日本の盲目的アメリカ追従主義はいらだたしい限りだ)

怪しい雑貨屋の陽気なニーちゃんが声をかけてくる。僕はここで奴の口車に乗ってモスク型アザーン目覚まし時計と、イラクのフセイン大統領の顔が入ったイラクの偽紙幣を買った(笑)。値切りに値切ったが、おそらくそれでも奴は利益を得たに違いない。アラブ商人はしたたかだ。だけどこの土産は実に気が効いているので大満足。このアザーン目覚ましで起きられない人間はまずいない。
この裏スークはなかなか怪しい雰囲気であり、おもちゃや服や、いわゆる庶民スークでもあり、それを売る人間たちがまた陽気で、楽しい。

裏スークを歩き回った後、ホテルに戻る。ホテルの水道の水はやっぱり海水っぽい味がした。

翌5月6日日曜日。旅最終日。バーレーン9:50発エミレーツ機でドバイへ。ドバイ着昼過ぎ。
軽い下痢で少し頭がボーっとしていた。昨日の水道水のせいか?
空港内のバカ高いCosta Cafe(中東では結構見かける)のコーヒーを飲みながらダラダラする。その後空港の到着ロビーにあるいくつかの旅行会社のカウンターで、今日のドバイ砂漠サファリに参加できるか聞いてみるが、すべて今日はもう締め切ってしまったとのこと。ツアーは夕方からなのだが、もう2時を過ぎているから仕方なかった。
ドバイ到着時の昼過ぎの気温は37℃。冷房の効いた空港内から日の照りつける外を見ただけで気持ちが萎えてしまう。結局ドバイで砂漠ツアーがかなわず、市内観光ちゅーても前回のアフリカ旅行でストップオーバーして大体回ったし、外の暑さを考えただけでもう外に出る気がせず、お恥ずかしい話だが、ドバイの空港から一歩も外へ出ずに夜中の関空へのフライトまでウダウダと過ごしてしまった。
旅の最後に、アラビア半島雑感。

【写真】
スークや街なかでは、アバヤの女性を撮影しないよう極力注意したが、今回の旅行で「写真を撮るな!」とか「女性の写真を撮るな!」というトラブルはほとんどなかった。イエメンなどでは、男たちは逆に「俺を撮れ」とうるさいくらいだった。中東の写真アレルギーをあまり感じない旅だった。彼らも観光客慣れ、西洋文明慣れしてきたということか。
アラブ女性と写真という意味でいつも思い出すのはエジプトでの出来事である。カイロで、僕がビデオを撮っていると、子供が血相を変えて「ダメダメ、ダメだよ!!!」と僕に注意してきた。よくよく聞いてみると、僕がビデオを向けた先には、婦人が歩いていた。イスラム教上の非偶像崇拝主義に関係していることなのか、女性はカメラに映ることを極端に嫌う。男性でもそういう人が多い。エジプトでは、烈火のごとく怒られたこともある。子供でもそれをよく知っているのだ。だが今回の旅では、イエメンでもオマーンでもバーレーンでも、そんな習慣などまるでないかのように、写真ウェルカムこだわりなし、むしろ撮ってくれ状態だった。もちろん、2%くらいの確率で嫌な顔をする人もいたが、それくらいなら日本を含めた他の文化圏でもそのくらいはいるだろう。
【気候】
このアラビア半島旅で雲を見たのはサナアでだけだった。この旅で分かったことは、「アラビア半島旅行は、冬にしなければならない」ということだ。5月のこの時期、ペルシャ湾岸諸国は、すでに酷暑である。8月の真夏は一体どんな暑さなのかと想像しただけで背筋が寒くなる(笑)。ドバイ最終日も外はかなりのもんだった。下手するとマスカットより暑いのでは?というくらいに。マスカットの猛暑地獄は忘れられない。
湾岸諸国には、年間を通じてほとんど雨が降らない。よって毎日晴れ。天気予報も簡単である。というかこうも毎日毎日天気が変わらないと、天気予報という概念すら存在しないのではないかと思われる。
【人々】
ドバイ、マスカット、ドーハ、バーレーンには外国人労働者があふれている。
【物価】
イエメンは安い。2〜3ドルで腹いっぱい食える。だが湾岸諸国、マスカットやバーレーンは高い。
【クラクション】
イエメンはクラクション天国。すぐ鳴らす。エクアドルやカイロ(エジプト)と同じ。マスカット、ドーハ、バーレーンはそれほどでもない。
【バイク】
イエメンのサナアとセイウーンはバイク多い。特にセイウーン。マスカット、ドーハ、バーレーンにはほとんど走っていない。
【空港タクシー】
どこも基本的に法外な値段。20分ほどの距離で平気で20ドルとか30ドルとか言ってくる。もちろん、日本と比べたら同じか安いけれど、昼飯が2ドルとかの物価なのに、と釈然としないわけだ。
ドライバーの押しは、概して弱い。他の途上国にありがちな強引さはそれほどない。偽タクシーも結構いる。奴らは正規ではないので空港前ではなく、少し離れた駐車場あたりで声をかけてくる。マナウス(ブラジル)やグアヤキル(エクアドル)のパターン。


いよいよ日本へ。真夜中午前2:35分のドバイ発関空行き。前回のアフリカ旅行もそうだったが、旅が終わった最終日、日本行きの飛行機に乗り込むときに、うれしさがある。「あぁ、やっと帰れる。日本食早く食べたいなー」という。これじゃイカン。あまりに辛い旅をし過ぎるのだ。次はもっとゆったりと出来る旅行を・・・。
5月7日月曜日、17:20定刻通り関空着。そこから羽田へ飛んで、東京に帰ってきたのはもう夜中。
また明日から仕事かよ。


(おわり)

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(アラビア半島旅行2007 −8)


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