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九州旅行
(2013年7月)
5.別府、そして延岡へ

DAY10

別府駅

別府観光大使、ヤッターマンの面々

別府駅前の油屋熊八像

鉄輪温泉のバスターミナル。早くも白い蒸気が。

海地獄。吊るしたかごに温泉卵を作っている

海地獄にある白龍稲荷神社 ⇔ 温室の中の大鬼ハス

チョコレート池

別府タワー ⇔ 展望台のようす

展望台から見た別府の街 ⇔ 海側

竹瓦温泉

別府のアーケード街

揚げ立てのとり天定食、ご飯大盛り。美味い。

別府→佐伯の車窓

別府→佐伯の車窓

佐伯駅で乗り込んだ一両編成のワンマン電車 ⇔ 佐伯駅

重岡駅

7月25日(木) 別府 晴れ・酷暑


8時起床。今日は日中別府観光し、夕方には延岡に移動する。
ビジネスホテルはやしの朝食バイキングがとてもよい。すぐ近くの系列ホテルのレストランで食べるのだが、朝食とは思えないほど種類が豊富である。和洋が揃っている。これで1泊3200円なら部屋が多少古くてもその欠点を補って余りある。
遠慮なく腹いっぱい食べる。こちらのホテルには中国人か韓国人の団体が泊まっているらしく、目の前に大きな観光バスが止まっている。

10時ホテルをチェックアウト。荷物をフロントに預ける。今日も青空。ジリジリとした熱がすでに辺りに立ち込めている。
駅前には、油屋熊八が天国から舞い降りたイメージのブロンズ像が建っている。油屋熊八とは、明治の始め、別府に移り住んで別府を温泉観光地として開発した、別府観光の父、別府の恩人として尊敬されている人物である。彼は亀の井ホテルを開業し、別府の宣伝にも尽力し、さらには由布院温泉の開発も手がけた。
面白いブロンズ像だ。マントには小鬼がまとわりついている。

別府では昔懐かしいタイムボカンシリーズはヤッターマンの面々が観光大使となっているらしく、キャラクターの書かれた看板やのぼりが駅近くに目立つ。

まずはバスに乗って鉄輪(かんなわ)温泉へ。
全くの余談だが、タイムリーなことに数日前、NHKのドラマで、別府は鉄輪温泉の貸し屋(鉄輪に多い、長期滞在型の宿のこと)を舞台とした人間ドラマをやっていた。よってまずは鉄輪温泉に行かねばなるまい、と思っていたのだ。

鉄輪の街をそぞろ歩く。変哲のない街だ。街並みに特別温泉街独特の風情があるわけでもない。観光地化され、垢抜けている。街のいたるところから白い煙が昇っている。この白い蒸気だけが温泉街の趣をかろうじて漂わせる。
別府といえば地獄めぐり。長崎の雲仙でも地獄があるし、地獄谷とか、温泉地には「地獄」がつきものである。地獄というのは温泉噴出孔であり、硫黄の匂いをさせてボコボコと温泉が湧き出る様は、三途の川や地獄川原を連想させる。その殺伐とした風景から地獄と呼ばれるのだろう。「地獄谷」とかいう場所は各地にある。
これまた余談だが、先述したドラマでは、舞台となっている貸し屋では、「地獄蒸し」という料理法が登場する。これは温泉の熱で肉や野菜を蒸し焼きにするもので、地獄という形容詞は、この辺りでは何にでも付けられる。便利なものだ。

「地獄のような風景」といって僕が思い出すのは、何といっても青森県の恐山である。開山直後の5月、誰もいない恐山は、これ以上はないという殺伐とした殺風景で、白い石の川原のような場所に血の池や異様な青さの宇曽利湖が異相を放っていたことは忘れられない。

さて、別府の地獄めぐり。全8地獄入場共通券は2000円ととてつもない高額だ。そもそもこんな酷暑の日にすべての地獄、つまり暑苦しい温泉噴出孔を巡るなどということはやってられないし時間もないので、僕はどこか一つくらい入ればよかろう、という気でいた。ガイドを見ると、地獄の大将格は、やはり海地獄をおいて他にはあるまい。
海地獄への坂道を上る。途中、タクシーの運ちゃんが声をかけてくる。
「もう大体行った?」
「いえ、これからです」
「全部見る必要ないよ」と手で×マークを作る。
「全部だと入場券高いですから」
「海地獄だけ見とけばいいさ」
運ちゃんの見解は、僕と全く合致していたので、うれしくなってしまった。

坂道の途中には白池地獄に鬼山地獄、そしてさらにその上にかまど地獄に山地獄。かまど地獄の近くには、「地獄ソフト」「赤鬼ソフト」なるソフトクリームののぼりが立っている。これらは一体何味なのだろう?
恐ろしげな名前の地獄たちを横目に見ながら、海地獄へ。入場料400円。
入口を入ったところにはハスの池がある。南米原産の大鬼ハスの巨大な葉が池に浮かんでいる。なるほど、地獄というと仏教的な考えと結びつくわけで、そうなるとハスが登場するのだ、と勝手に合点する。恐山も日本有数の仏教の霊場であり、それゆえ三途の川のような地獄風景が売りとなっているのであろう。

ハス池の先にはお土産屋兼食堂の建物があり、ここは冷房が効いていて天国だ。
土産コーナーでは、「海地獄温泉をお持ち帰りできる!」という触れ込みの、「えんまんの湯」という入浴剤を売っている。そしてここにもくまモンが大きな顔をしている。おしゃべりくまモンという、小刻みに動きながら人間が話した言葉を復唱するというくまモンのぬいぐるみがここ別府でもみんなの注目の的となっている。

建物を出ると目の前にパステルブルーの海地獄。海地獄とは、温泉池で、1200年前の鶴見岳の噴火によって出来たと言われ、ずっと流れている説明アナウンスによれば、硫化カルシウムだかナトリウムだか忘れてしまったが、とにかくこの温泉に含まれる物質の色がこのような鮮やかな水色の由来だそうである。湯温は98℃。湯気がもうもうと沸き立っている。なるほどそんな高温なら温泉卵も一丁上がり、というわけで、水色の湯の中に吊るしたかごで温泉卵を作っている。

横には稲荷神社があり、どぎつい真っ赤な鳥居群が血の色である。さすが地獄(笑)。
さらにハスの温室植物園がある。別に小さな池があり、こちらはこれまた鮮やかな薄いチョコレート色。見た目もドロっという感じの表面で、噴出する蒸気とともに、異境感が醸し出される。これがもっとどんよりと曇った薄暗い日なら、確かに三途の川の川原の風景と言っても違和感はなかろう。行ったことないけど。
どうも何もかもをさらけ出して影がなくなってしまうこの強い直射日光は、ワビサビをすべて喪失させてしまい、想像力の行き場をなくさせる。これはある意味つまらないことだ。これは以前ピーカンの尾道でも感じたなぁ。
地獄名物・極楽饅頭というのが、温泉の熱を使って蒸されている。この後も、地獄プリン、地獄の蒸し寿司、などなど商売魂を目の当たりにする。地獄さえあれば何でも商売になるのだ。

海地獄を後にする。地獄はもうよかろう。坂を下りて鉄輪温泉のバス停に戻る。この街も坂が多い。僕には温泉街というと坂の街という先入観がある。

途中、鉄輪温泉パワースポットと称した「成田山不動院」という宗派不明の怪しい建物がある。中に入ると、仏像や大黒天や不動尊や白ヘビやカエルなどが無秩序に陳列されている。怪しさ1000%。

別府には外人観光客が多い。行きのバス停ではラテン系のカップルがバスに乗ったらいいのかどうか迷っている姿を見たし、白人がコンビニでアイスを物色している姿を見た。よく知ってるなーと感心する。
もちろん、中国人と韓国人も多いようだ。

しばらく歩き回った後、バスで別府駅方面に戻る。次は別府のランドマーク、別府湾沿いに建つ別府タワーだ。タワー高さ90m、展望台の高さ50m。
別府タワーは、「塔博士」と呼ばれた高層建築の世界的権威、内藤多仲氏の設計によるもので、彼が設計した他の5つのタワーと合わせ、タワー6兄弟と言われるそうである。初めて知った。
なお、参考までにタワー6兄弟とは以下である。
長男(昭和29年) 名古屋テレビ塔
次男(昭和31年) 通天閣
三男(昭和32年) 別府テレビ塔(後に別府タワーに改称)
四男(昭和32年) 札幌テレビ塔
五男(昭和33年) 東京タワー
六男(昭和39年) 博多ポートタワー

僕は名古屋テレビ塔と博多ポートタワーには行ったことがないが、こうして見ると、各地のシンボルとなっているタワーばかりじゃないか。いずれも建築されてから50年以上もしくは50年近く経過しているのにまだ現役で展望台となっていることは、その耐久性を賞賛すべきだろう。

エレベータで展望台に上がり、入場料を払う。200円。正しい料金である。タワーの古さと入場料の安さは比例する。最新のタワーでは高さと入場料が比例するのだろうか。展望台に人は誰もいなく、受付のおばさんが一人で暇そうにしていた。
ぐるりと展望台を1周する。50mの高さというと低い印象だが、景色を見る限りそれほど低さを感じさせない。街を俯瞰するにはちょうどいい高さだ。634mの東京スカイツリーに行ったことはないが、かえって高すぎて街の眺望はあまりよくないのではなかろうか。それに高すぎて雲がかかることも多かろう。そうなると眺望ゼロだ。

これまた余談になるが、椎名誠の古い旅エッセイで、「このような展望台の入場料金は、その日の天気によって変えるべきではないか?」というのがあったが、全く言い得て妙である。眺望を楽しみに来るのだとすれば、例えば快晴の日は500円、曇りの日は200円とか色をつけるべきだというのである。また、それが無理なら、せめてエレベーターで上がる前に、エレベーターの横に「今日の展望可能度」みたいな表示をするべきだという。いやはや実にその通りだ。高い展望料金を取るところほどこういう措置を考えてほしいものである。

さて、今日も連日の晴天で僕は眺望があるかを気にする必要は全くない。別府タワー展望台から見ると、東側はすぐ別府湾、その他の3方向には街が広がり、その背景は山である。別府の街が山と海に挟まれていることが分かる。
こういうタワーに必ずある「記念コイン販売機」が置いてある。設置率は100%じゃなかろうか。これがないタワーや展望台を見たことがない。製造元は一体どうやってこの普及率を達成したのだろうか。
そのほか、展望台の狭い通路に二つのテーブルが並び、軽食が食べられるようになっている。
別府タワーのキャラクターは、「別府三太郎」というおじさんだ。どんな人なのかは知らない。

タワーを降り、別府駅の東側エリアを歩く。明治12年創業という別府温泉の老舗、竹瓦温泉の気品ある建物を前から眺める。入浴料金はわずか100円だが、暑いのでとても入る気はしない。
この辺りには風俗街があり、「温泉の街には風俗アリ」という僕が道後温泉で見つけた法則を踏襲している(笑)。いや、法則じゃないか。熱暑の中、呼び込みの男たちが暇そうにしている。

そして別府駅から竹瓦温泉の辺りには、別府の渋い商店街、アーケード街が縦横に走っている。碁盤の目状に隣り合い、交差する何本もの細い通りが、「○×通り」という看板を掲げてそれなりの商店街となっている。だが平日の午後、人通りはまばら。
アーケード街には、中津と同じく、七夕飾りが飾られている。もうすぐ旧暦の七夕だ。アーケード街の七夕飾りといえば、七夕祭りの頃の仙台のアーケード街をおいて他に比較できるところはあるまいが、全国でこんな風に飾り付けをするのだなと、日本人に根付いた昔からの風習というものを改めて感じる。

路地裏には猫がいる。古い家屋が立ち並ぶ通り。

腹ペコだ。もう午後4時。昼飯を食わないまま歩き回っていた。商店街で定食屋を探す。昼から夕方までずっと営業している定食屋に入る。別府の商店街には食堂は多い。
別府まで来たからには、名物「とり天」を食べないわけにはいくまい。から揚げでも南蛮でもない、鶏の天ぷらである。
この食堂はおばさんが一人でやっていて、午後4時の中途半端な時間、おばさんが一人でカウンターで飯を食べていた。どうやら彼女はこの近所のおばさんで、カウンターの中にいる食堂の主人であろうおばさんと話していたが、僕がカウンターの端に座ると、一気に僕に興味の目を向け、食べながら色々話しかけてきた。そのたびに厨房の方のおばさんが一喝し、あんたはいいから食べなさい!と叱りつける。どうも僕が迷惑に感じるだろうと思ってくれたようである。別に僕は話しかけられてもいいのだけれど。

散発的にこの食事おばさんとは話したが、やがて食べ終わると店を出て行った。そして僕が頼んだ「とり天定食」が出てくる。
この食堂は当たりだった。とり天はその場で揚げる揚げたてほやほや。そしてご飯は大盛りにしてくれた。店のおばさんは歯切れのいい物言いをする人で、「ご飯たくさん食べられるでしょ?余ってもしょうがないから。」と言って僕が「はい、大丈夫です」というとどんぶりになみなみと大盛り以上に盛ってくれた。とり天揚げたて、ご飯特盛りサービスで、650円なのだ。
別府名物とり天は、とても美味かった。塩とからしで頂く。衣はパリッ、身はあっさりしていてジューシー。実際にはどうなのか分からないが、から揚げよりもカロリーが大分抑えられている気がする。大分は鶏料理を競っているのか。中津のから揚げ、別府のとり天。いや、これから行く宮崎県も地鶏が有名かつチキン南蛮の県じゃないか。まさに九州東部における鶏料理戦争。

先に食べていたおばさんを追い出すようにして、店のオバさんは僕に謝ってきた。
「ごめんねー、うるさくて」
「いや、全然平気です」
食べながらおばさんと色々会話する。
おばさんは、中津のホテルマン、征悦さんと同じように、過去の栄光と現在とを比べて嘆く。
「昔は別府も不夜城だったわよ。今は大分賑わいがなくなってしまったわ」
「大観光地の別府でもそうですか。だけど外人観光客は増えているのではないですか?」
「そうね、外人は多くなってるわね。中国人、韓国人。ここ最近は中国人がずいぶん増えてるわ」

話は僕の旅行の話となる。今までの旅程、これからのことを話す。おばさんは、大分の見所を色々教えてくれた。九重、由布院、国東。要約すれば、九重は風光明媚、由布院は一ランク上の温泉街、国東は歴史。オバさんは、日帰りか数泊でこの近くで友人と出かけようというときには、由布院が多いという。別府よりも高級な温泉街らしく、ご飯も美味しいそうである。とりわけ強調していたのは国東。国東半島は平安時代から独自の仏教文化が栄えた場所である。ここは僕も目をつけていたところで、今回は行けないが、藤原時代に熊野磨崖仏という岩壁に彫られた巨大な不動明王と大日如来は、どう考えても見ものであろう。国の史跡、重要文化財となっている。
オバさんは言う。
「国東は色白の美人が多いのよ。人が違う感じなのよね。壇ノ浦で敗れた平氏が落ち延びてきたところで、平家の末裔が住んでいるからだっていうのよ。なるほどねーって」
なるほど、それも歴史だ。秋田美人みたいなものか。
平家の落人が逃れたところっていうのは瀬戸内各地にあるのだろう。山口県岩国市の山奥でキャンプしたときも、人里離れた山の上のほうに、平家の村だった場所があって、いくつかの遺構が残っていた。

おばさんと話し込んで、いつしか時間は5時に近い。僕はおばさんに「ごちそうさま。美味しかったです」と言って店を出る。いつもながらの一期一会。

とり天のほかに、もう一つ別府には別府冷麺という名物料理があるが、今回は滞在時間が短く、食せず。残念。こんな暑い日には冷麺は最高だったろうに。食べなかったので、盛岡冷麺と何が違うのかは確認できずじまい。

今日ははこれから、別府17:32発佐伯行きの日豊本線で宮崎県の延岡へ向かう。今日中に別府から延岡まで行く普通電車は、この17:32発が最終なので、これに乗るしかない。あまり便がないのだ。
別府には一日弱の滞在だったが、まぁ、真夏の温泉地観光としては、こんなものだろう。「一人で温泉」というのは、そこはかとない寂しさだけが募るし、それがちょっと陰のある女性というのであればその背景にあるドラマも興味深いが、男が一人で温泉でもあるまい。

電車に乗る前にファミマ大分銀行のATMで金を下ろす。宿泊費は一泊3000円〜3500円と健闘しているが、やはり日本の旅は金がかかる。さまざまな物価が高い。飯代、飲料代、観光地の入場料、交通費等で、結局一日あたり8000円くらいかかっている。無職の身には厳しい。

別府 写真集

電車は定刻に別府の街を出発する。県庁所在地である大分はさすがに乗降客が多い。大分を過ぎると、臼杵〜佐伯あたりは、四国と九州の間の海、豊後水道沿いの路線で、港町の家屋は古めかしく、「日が暮れかけている漁村」といった日本の正しい風景が広がっていてよろしい。臼杵には造船所もある。次から次へと海沿いに街が流れていく。人々は生活している。

大分県東部には「杵」という字の地名が目立つ。杵築(きつき)と臼杵(うすき)があるが、いずれもなかなか楽しげな街である。杵築市は別府の手前、国東半島にあるが、「坂の城下町」と呼ばれる城下町である。写真を見ると実に個性的で長大な坂道が絵になる街で、坂の下には商人、高台に武士が住んでいたとのことである。
一方臼杵。こちらも城下町であり、稲葉氏5万石の面影が今でも残る街のようだ。さらには国東半島と同じく、岩壁に彫られた石仏群、臼杵石仏は国宝。死ぬまでにいつかは訪れたいものである。

佐伯着19:11。大分県の南東の端にあるのが佐伯市だ。ここで乗り換えてさらに南へ向かう。乗り換え時間があるので、佐伯駅の外に出てタバコを吸う。佐伯駅のホームには「佐伯市の特産品」という看板があり、すべて魚である。鯛、ひらめ、ぶり、あじ、さば。どうやら佐伯には魚以外の特産品はないようだ。海沿いの港町のようである。美味しい寿司屋がありそうだが僕には時間も金もない。

佐伯発19:33。1両編成のワンマン電車に乗り込んだ僕は、驚きで目が点となった。何と、昨日別府までの日豊本線に乗っていた例の浮浪者の方が、再び電車に乗っていたのだ。昨日と一糸変わらずの服装と荷物と匂いで。彼は再び電車の前方の席にビニール袋二つを几帳面に置き、自らは進行方向を向いて立っている。今回は1両だから死んだ魚の匂いは密度が濃い。

電車は海を離れ、ずんずんと山の中に入っていく。やがて電車は宮崎県に突入し、いつしか外は真っ暗となり、暗闇の山中には何の光もない。携帯の電波が入らないから、かなりの山奥だ。重岡駅で24分も停まる。無人駅だ。この辺りの駅は無人駅が多いようだ。宗太郎という駅などは、真っ暗で相当な山の中にある。昼間だったら凄まじい山の風景が楽しめるに違いないが、今は暗闇で何も見えない。

重岡で2人が降り、よく見ると今は乗客が3人しかいない。僕と、浮浪者の方と、もう一人、サラリーマン風情のおじさん。しばらく誰も乗ってこないし、誰も降りない。真っ暗の山の中を、3人の乗客を乗せた一両編成の電車が黙々と走る。
北川駅を過ぎると携帯の電波が入るようになり、ポツリポツリと街灯が見え始める。どうやら電車は山を抜けたらしい。

佐伯を出てから2時間弱、延岡に着いたのは21:20。浮浪者の方も、延岡で降りた。改札をどうやって通るのか、観察したいがもう夜も遅いのでやめた。ひょっとすると駅で寝泊りしているのかもしれない。彼はホーム階段の横で、何やら腰を動かして奇妙な運動をしている。僕は階段を上がり、改札へ向かう。

延岡駅はなかなか大きい。駅前ロータリーも割と大き目の地方都市といった佇まいだ。駅すぐ近くのビジネスホテル延岡にチェックイン。眠い目をしたホテルのおじさんが迎えてくれた。コインランドリーがあるかを聞く。ありました、ここもやはりホテル建物の横の汚い物置みたいな一角に洗濯機と乾燥機が入っていた。なぜだかビジネスホテルのコインランドリーというのは、ホテルの建物外の、どうも粗末で薄汚い場所にあるものだ。洗濯機はコインランドリーで一番ポピュラーな今はなきSANYOのやつで、これまた熊本のビジネスホテルと全く同じだ。
「乾燥機は家庭用だからちょっと乾き悪かかもしれんけど」
とおじさんは済まなさそうに言う。そんなに何枚も入れないから問題なかろう。今晩はこの旅二度目かつ最後の洗濯をせねばならない。

部屋に荷物を置き、今まだやっている食堂が近くにあるかをフロントのおじさんに聞く。やはり答えは芳しくない。あるとしたら、大通りを渡ったところにある一画だと教えてくれる。コンビニはセブンイレブンが大通りにあるという。
僕は洗濯機に洗濯ものを突っ込み、洗濯を始めてから通りに出る。確かにもう夜10時近いので、店もほとんどやっていない。ちらほらと赤提灯があるくらいだ。僕は諦めてコンビニでカレーパンとヨーグルトを買う。しけた夕食だ。別府の昼飯が遅かったので、幸いにもそれほど腹は減ってない。

ホテルに戻ってカレーパン。その後下に下りて洗濯が終わっていたので、乾燥機に洗濯物を放り込む。
30分後、まずまず乾いたので洗濯物を取り出す。

今日も暑い中よく動いた。旅に出てから、10日間かんかん照りである。
午前1時就寝。


■九州所感
 ・九州の地名においては、「原」は「はる」と読む。「田原坂」は「たばるざか」、「中原」は「なかばる」、「目達原」は「めたばる」、「原田」は「はるた」、などなど。例外はただの一度も見なかった。そういえば沖縄の「山原」も「やんばる」だ。


(続く)


九州旅行 −5−

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