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九州旅行
(2013年7月)
6.高千穂

DAY11

ダム湖 ⇔ 五ヶ瀬川沿いの廃線。草が生える

旧日之影駅にある高千穂鉄道の車両
⇔高千穂近くの棚田

高千穂の街

高千穂神社

高千穂峡の食堂、土産屋

公園に建てられた若山牧水の歌碑

宮崎名物、チキン南蛮定食
⇔店内に設置された流しそうめん用の竹

高千穂峡きっての名勝、真名井の滝

天岩戸神社の参道

天岩戸神社

岩戸川の濁流

命の危険を感じる流れ

賽の河原のような天安川原 ⇔ 天安川原に押し寄せる濁流

天安河原に積まれた石

旧高千穂駅の駅舎

高千穂駅のホーム

官軍墓地

雨が上がったら嘘のように明るくなった

ようやく雨の上がった高千穂の街に灯が点り始める

お世話になった宮崎交通バスセンター(タクシーも)
⇔宮崎交通のタクシー乗り場。運ちゃんたちは気さくだ

めひかり定食

7月26日(金) 高千穂 土砂降りの豪雨


今日は延岡からバス日帰りで神話の里、高千穂へ行く。朝起きると、何と、天気があまりよくない。曇っている。この旅、11日目で始めての曇りだ。

泊まっているビジネスホテルの目の前が延岡バスセンターで、実に都合がよい。高千穂に日帰りで行くことを告げると、係のおネェちゃんは、一日割引切符を勧めてくれた。宮崎交通のバスが一日乗り降り自由で、1800円。 普通に切符を買うと往復で3200円もするから、劇的にお得だ。素晴らしい。

朝8:45バスセンター発の高千穂行きバスに乗る。
延岡駅前からバスは西に向かい、九州山地の山間に入っていく。
途中から道は五ヶ瀬川沿いを走る。ダムでは金属のように凪いだ水面が静止し、周りの緑を映している。バスが山間深く入るにつれ、深緑色の川は渓谷の趣を増してくる。谷が深くなり、白い石の川原が目立ってくる。そして雨が降り出す。この旅で初めての雨である。
(ありゃりゃ、雨かいな?猛暑じゃないのはいいことだけど、雨は降らんで欲しいが。)

途中、日之影という比較的大きな町を通り過ぎる。乗っていた白人が、思い出したようにバスを降りる。この日之影という町はなかなか風情のありそうな町で、古めかしい商店や家が見える。そして、廃止された高千穂鉄道の駅があり、車両が展示されている。この白人も朝バスセンターで1日乗車券を買っていたので、ここで途中下車してみようと思い立ったのではないかと推察される。

渓流には川沿いに線路が見える。今はもう電車が通ることのない鉄道遺跡。高千穂鉄道高千穂線は、延岡〜高千穂間をかつて走っていた鉄道だが、2005年、台風による五ヶ瀬川の増水で橋梁が消失し、復旧を断念。最終的に2008年12月に全線が廃止された。僕は鉄っちゃんではないが、残る線路が寂しげだ。鉄道が廃止となっても線路は残る。

高千穂に近づくにつれ雨が激しくなってくる。山あいの斜面に家々が点在し、棚田が雨で煙っている。そしてバスは高千穂の街中に踏み込む。10:15、高千穂バスセンターに到着。

高千穂は、天孫降臨の地といわれ、日本建国の神々が降り立ったとされる街である。僕は全く見当違いの思い込みをしていた。高千穂というのは神話の里であり、高千穂峡がある場所であるからして、とてつもない山の中にある小さな村のようなものだと思っていたのだ。全く違った。立派な街である。確かに、山の中へ一直線に進んできたわけだが、高千穂は大きな街だった。

まずは何をおいても高千穂神社へ行かねばなるまい。雨は今は小降りとなっている。まずはバスセンターのはす向かいにあった高千穂観光案内所で高千穂の観光地図をもらう。高千穂神社までの行き方を聞くと、係の女性は丁寧に教えてくれた。歩いて10分程度らしい。

高千穂の街を歩き始める。高千穂神社までの真っ直ぐな道の向こうに、山々が煙っている。
神社までの道には、ところどころに「高千穂 神話の里」という灯籠ガ立っている。さらに、毎夜高千穂神社で舞われるという神楽の登場人物の像が立っていて、観光気分を盛り上げる。

ほどなく巨大な鳥居が見えてくる。これが高千穂神社らしい。『続日本紀』にも記された小社で、創建は今から1900年前といわれる。日向三代の神々と神武天皇の御兄・三毛入野命(みけぬのみこと)一族を祀ってあるとの由。高千穂18郷88社の総社として特に農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集めている。

鳥居をくぐって砂利道の参道を歩いていると、急に雨が強くなってくる。階段の下にうまい具合にの屋根のある場所があったのでここで雨宿りする。傘を持っていないのは痛恨だ。
目の前にある階段を上がれば、神社本殿があるのだろう。
参拝者は少ない。傘を持っている人は階段を上がっていく。上から降りてきた中年の男女は、僕と同じ場所で雨宿りを始める。

だが、待っても待っても雨は弱まらない。どころか、ますます激しくなっていく。雷が鳴り始める。通り雨かと思ったが、空は見渡す限り厚い雲が覆い尽くしている。
30分くらい待ったが埒が明かないので、雨の中、階段を走って上がる。目の前に高千穂神社の本殿。その軒下に逃げ込む。お参りを済ませ、今度は延々と軒下で雨を見上げることになる。
なるほど、高千穂神社は雰囲気のある社で、鬱蒼とした杉の巨木に覆われ、深窓という雰囲気がある。今日のこの天気もその風情を加速させる。

本殿には夜神楽の会場だろうか、椅子が並んだ広間がある。夜神楽は毎晩20時からやっているそうで、僕はとても見たかったのだが、残念ながら高千穂に泊まらずに延岡に宿を取ったので、今晩はバスで延岡に戻らねばならない。
両側に伸びた通路には、国指定重要文化財の「鉄造狛犬一体」が鎮座している。
境内には「夫婦杉」という二本の寄り添う杉のほか、杉の巨木が数多くそびえている。梢の上から大粒の雨が降り続く。
さすがに参拝者は次々に訪れる。大学生くらいの若者グループの中には、靴を脱いで裸足で歩いている人もいる。何しろ本殿の前は水溜りを通り越して水が川のように流れている。

気がつくと高千穂神社に来てからもう1時間半も経っている。つまり、1時間半も雨宿りしたということだ。まずい、このままだと満足に観光できなくなる。全く、昨日までの天気からは想像できないような土砂降りだ。
13時ちょっと前、小降りになったのを見計らって、僕は本殿の軒下から飛び出し、階段を駆け下りた。階段には滝のように水が流れ落ちている。いきなり靴がびしょ濡れになる。

次は高千穂峡だ。雨は少し落ち着いた。ワインディング坂道を下る。車がどんどん追い越していく。再び雨が強くなる。僕は走る。車を誘導している人に道を聞く。
15分で高千穂峡入口にたどり着く。道沿いの壁に「玉垂の滝」と呼ばれるすだれ状の水流が何筋も落ちている。いいねぇ、この滝は。

食堂や土産物屋が集まっている一画。ここが高千穂峡の玄関のようだ。小さな公園には、若山牧水や北原白秋の歌碑がある。俳人が歌を詠みたくなるほどの名勝だということか。
もう13時過ぎなので、腹ペコ。どこかで食べることにする。このような観光地の観光客向け食堂は案の定どこも高い。だがここで食べるしかないので、おばさんがやたらとなれなれしくて威勢のいい1軒に入る。高千穂峡では流しそうめんが名物らしく、店内に長く渡された竹で、何人かがそうめんを食べている。そのほか、ヤマメもお勧めらしい。ヤマメも捨てがたかったが、宮崎といえばチキン南蛮、ということでチキン南蛮定食を頼む。1000円と高いが、ボリュームはかなりのものだった。味は普通。

チキン南蛮を食い終わってからタバコを一服して時間をつぶすも、雨は上がらない。肌寒い。昨日までは暑くて死にそうだったのに。町ではなく山の雨なので涼しいを通り越して寒い。昨日までの状況からはあり得ない事態だ。
店のおばさんは「ゆっくりしてっていいよー。雨だから」と言ってくれる。ありがたい。客も雨宿りなのか、結構多い。家族連れとカップルが主だ。流しそうめんやヤマメの塩焼きが次々に注文される。

店で45分くらい粘ったが、いつまでもここにいてもこれまた埒が明かないので、意を決して雨の下に飛び出す。14:10。高千穂峡遊歩道を歩く。いきなり高千穂峡きっての名勝、真名井の滝が視界に入る。この雨でも、みんな傘を差して整備された遊歩道を歩いている。

高千穂峡は、天孫降臨の際、天上界から移した水によって形成された言われる渓谷。実際には、阿蘇山から噴出した火砕流が五ヶ瀬川に沿って流れ出し、数十万年に渡って侵食されて出来た深いV字渓谷である。なるほど地図を見ると、ここ高千穂は阿蘇に近い。僕は阿蘇まで一旦来ておきながら再び熊本に戻って、佐賀、小倉、中津、別府、延岡経由でここ高千穂に大回りでやって来た。

茶色の濁流

柱状節理の不思議な岩

天安川原の手前、遊歩道が濁流で冠水。
ここを水に浸かりながら突破。沢登り状態

なんということだ。五ヶ瀬川の流れは、茶色に濁流となって渦巻いている。ガイドブックの写真で見る深く澄んだ緑色の川ではない。
遊歩道に沿って茶色の濁流が、ゴルジュ状になった狭い両崖の間を狂ったように走っている。崖は柱状節理となり、人工的な柱のように不思議な凹凸が彫られている。溶岩流が急冷されたために出来たらしい。断崖は高いところで100m、平均80mで、東西7kmに渡り続いている。

途中、鬼八の力石、槍飛、甌穴(ポットホール)などを見ながら、遊歩道を歩く。終点は「あららぎの茶屋」というこれまた食堂と土産物屋があるのだが、こちらには誰も客がおらず、閑古鳥が鳴いている。さっきの一画とは明らかな格差がある。

再び食堂まで遊歩道を歩く。「おのろこ池」という池には、なぜかチョウザメが泳いでいる。鯉かと思って甘く見ていた親子連れが、よくよく見て声を上げる。「うわぁーっ、サメがいる!」いきなりだと確かに出し抜かれるわ。

残念ながら高千穂峡からバスセンター方面に戻るバスはないようだ。仕方なく、クネクネの坂道を上って街に戻る。道路沿いに赤い沢蟹が歩いている。
再び高千穂神社の前を通り、25分くらいかかってバスセンターまで戻る。傘も雨具もないから、服はかなり濡れてしまった。

バスセンターで岩戸方面のバスを待つ。宮崎交通はタクシーもやっているようで、手持ち無沙汰のタクシーの運ちゃんたちが話しかけてくる。
「どこ行くの?」
「天岩戸神社です」
「タクシーで行けばいいさ」
「いや、お金ないんで」
タクシーの運ちゃんたちも、この大雨に閉口している。雨はますます激しくなってくる。稲妻が光り、雷鳴がとどろく。一体どうしたことだ。昨日まで日照りのような炎暑だったのに。自然の一変は想像を超える。

15:45、岩戸行きのバスに乗り、天岩戸神社へ。豪雨で外が煙る。「タカチホカメラ」という店がある。聞いたことあるぞ、まさにタカチホはここじゃないか。バスの運ちゃんも大変だ、視界がない中、バスを走らせる。
20分弱でバスは岩戸に着いた。滝のような大雨。バスの運ちゃんがいい人で、傘を持ってない僕を見て、バスに積んであったビニール傘を僕に貸してくれた。ありがたい。
バスを降りて、天岩戸神社の入口の店の軒先で雨が小降りになるのを待つ。何しろ土砂降りなので、いくら傘があってもこれではすぐにずぶ濡れだ。こんな雨の中を歩きたくない。寒さも募ってくる。雷鳴がとどろき、木を切り裂くような音をさせて近くに雷が落ちる。かなり近い。よほどやばい。傘差して歩いていたら雷の標的になってしまうではないか。

観光バスがやって来る。天岩戸神社の観光だろうが、この大雨で、まずガイドさんだけが降りてくるがすぐにバスに戻る。20分くらいバスは停車していたが、やがて諦めて去っていった。

雨宿りしながら観光バスの一部始終を見ていたが、やっぱり埒が明かないので、何となく雨が少しだけ弱くなった気がするので、気のせいかもしれないが、雨の中を傘を差して天岩戸神社の鳥居をくぐる。ここは、天照大神が隠れた天岩屋戸を御神体として祀る神社で、まさに日本建国の神話を地で行く神社である。土砂降りの中お参りする。若い宮司の人が傘を差してお参りしている。僕に声をかける。
「雷、気をつけてくださいね」
「あっ、はい」

奥の参道を抜けて歩いて10分ほどで天安川原だ。ここは、天照大神が岩戸に隠れた際、八百万の神々が集まり、神議したと伝わる場所である。天岩戸神社からの川沿いの道は雨で危険らしく、一旦普通の舗装道路に上がり、そこから遊歩道に下りる。
もう5時近い。遊歩道には誰もいない。遊歩道沿いを流れる岩戸川は荒れ狂っている。太鼓橋を渡る。川は増水し、悪意剥き出しのような茶色の流れは、すべてを飲み込む勢いだ。ここに至り、こりゃあ通行止めにすべきだなぁと思うが、そうなると天安川原に行けないので、ラッキーという気にもなってくる。だが、ここでもしこの濁流に飲み込まれたら、まず死ぬだろう。誰にも気づかれずに人知れず死んでいくことになる。この流れだと、きっと何キロ、何十キロも下流で水死体が浮かぶのだろう。この自然の猛威に、死の危険を感じる。

天安川原が目の前というところで、遊歩道が、川の水に浸かってしまっている。普通なら身の危険を感じてここで引き返すところだが、僕は果敢に、というか無謀に膝くらいまでの水の中に入って、川原にたどり着いた。まさかここで川に入るとは。沢登り状態。だがこのまま増水し続けたらこの天安川原に孤立してしまう。すぐに脱出せねばなるまい。
天安川原は、洞窟になっていて、鳥居が立つ。その奥には社がある。僕は誰もいない、夜のように暗い天安川原で、川原に立つ鳥居と、賽の河原のように足の踏み場もないほど積み上げられた石と、洞窟の奥に目を凝らす。全くこの天気とこの風景は、地獄じゃないが三途の川と賽の河原そのものじゃないか。もっと水が増え続けたらこの天安川原も水に飲まれてしまうんじゃないかという気がしてくる。

10分ほど川原に滞在し、再び冠水した遊歩道に足を突っ込む。もうびしょ濡れなので靴が濡れようが大した違いはない。

僕は今日、深い緑の水をたたえた風光明媚な高千穂峡ではなく、濁流渦巻く五ヶ瀬川と天安川原危機一髪、という、通常では見ることの出来ない、荒れ狂う高千穂を見ることになった。図らずも。

遊歩道から車道に上がる。一息つく。岩戸のバス停まで戻り、バスを待つ。もう濡れねずみ。そして寒い。
バスの運ちゃんは行きと同じ人だった。僕はバスセンターを過ぎ、高千穂駅跡で降りる。降りるときに運ちゃんに依頼する。
「この傘、もうしばらく借りていていいですか?」
「いいよ、やるよ」
「いや、後でバスセンターに返しておきます。」
「そうかい」
傘はありがたい。

高千穂鉄道が廃止されてから5年、高千穂駅の駅舎はさすがに塗装が剥がれ落ちかけていたりして廃墟感が出てきているが、ホームはまだ現役のように見えるほど普通である。いま電車が入線してきても全く違和感がないくらいに見える。
乗客で賑わっていた頃のことを想像し、翻ってこの雨の中廃墟のように佇む駅舎は、どうしようもない寂寥感を隠し切れない。

ようやく雨が小降りとなってくる。この近くに官軍墓地があるというので探すが、いくら探しても見付からない。道を聞くにも人が歩いていないので、近くの高田屋という民宿に入るが、いくら呼んでも誰も出てこない。さらに近くを歩き回る。道を大学生くらいの若者が歩いていたので道を聞くが、彼も4月にここに越してきたばかりで知らない、という。本当に分からない。大通りに一つだけ矢印看板があるのだが、その先の道が分からないのだ。観光地図には細かい道まで載っていない。しょうがないのでもう一度高田屋に入って声を張り上げる。
「ごめんくださーーい」
しばらくすると、初老のおばさんが出てきてくれた。官軍墓地の場所を聞くと、地図を描いて教えてくれた。ありがとうございます。

ついに雨は上がった。夕方なのに空が明るくなってくる。田んぼと山と家々がようやく穏やかな風景となる。

やっとのことで官軍墓地の看板を見つけ、小径の急坂をあがったところ、鬱蒼とした雑木林の中に官軍墓地はあった。朽ちかけたような墓石が並んでいる。日が暮れかかる。
ここ高千穂にも西南戦争の際薩軍が現れた。西郷隆盛と薩軍は、延岡北の和田越の戦いに敗れ、完全に政府軍(官軍)に包囲されたが、西郷と幕将、残存兵はその網をかいくぐって可愛岳を攀じ登り、三田井(現在の高千穂町)に脱出する。明治10年8月21日に三田井(高千穂)に入った。
この官軍墓地は、可愛岳の戦いや三田井病院で亡くなった官軍の陸軍兵士39名、軍夫7名が扶養されている。
思えば図らずも、今回の九州の旅は、西南戦争の薩軍を辿っているかのようだ。熊本城とその周辺での戦いの後、敗勢の濃くなった西郷薩軍は、人吉、都城、宮崎、延岡、可愛岳、三田井(高千穂周辺)、そして日向の山岳を南下して小林から鹿児島へと敗走するわけで、西郷と薩軍が最後を迎える鹿児島・城山に僕はこれから向かうことになる。

とんでもない大雨に見舞われた今日の高千穂観光はこれにて打ち止めだ。もう7時を過ぎている。だが先ほどの大雨と暗さとは打って変わり、辺りは明るい。夜になって逆に明るくなるとは、大雨もそうだが、自然は驚異と試練と安穏を与えてくれることを改めて感じる。

バスセンターに戻ったのは19:30。バスセンターの事務所はもう閉まっていたので、タクシーの運ちゃんに事情を話し、バスの運ちゃんから借りた傘を託す。
今日は雨宿りに告ぐ雨宿りの連続で、時間がことのほか過ぎてしまい、結局延岡に戻るバスは最終バスになってしまった。19:45、バスは延岡に向けて発車。
僕の他に何人かの高校生を乗せて、夜の山道をバスは下ってゆく。途中の小さな町で乗客は一人、また一人とみんな降りてしまい、僕は一人となる。延岡バスセンター着は21:15。

高千穂 写真集

夕食どころを探して延岡の街を歩く。路面が濡れているのでこちらでも雨が降ったようだ。居酒屋がポツンポツンと並ぶ一画を歩いていると、うまい具合に夜も定食をやっている店を見つけた。実は外の看板に定食メニューが書いてあるのだが、見た目はいかにも居酒屋だったので、夜も定食をやっているのかよく分からずに外で躊躇していると、店のおばさんが帰ってきて、「どうぞ」というから勢いで入った。だが、夜も普通に定食を食べられるとのことで、よかった。
メニューに「めひかり定食」というのを見つけ、僕は聞く。
「めひかりって何ですか?」
初老のおばさんが答える。
「魚よ。水の中で目が光るように見えるからめひかり(目光)って言うのさ」
「へぇぇ。この辺りでよく獲れるんですか?」
「そうねぇ、ここではよく食べるね」
「じゃぁ、めひかり定食ください」
「めひかりね」
魚もいいじゃないか。しかもこの辺りの名産らしい。延岡は地図で見ると海沿いの街なので、きっと近くに港があるのだろう。めひかりって名前は聞いたことあった気がするが、まぁ何物なのか全然知らなかった。だから当然食べたこともないと思う。

めひかり定食は美味かった。めひかりはわかさぎ大の割と小さな魚で、頭を落としてから揚げにされている。くせのない味だ。満足。

それにしても今日はとんでもない一日だった。イースター島の大雨を思い出した。
夜12時就寝。


(続く)


九州旅行 −6−

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