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九州旅行
(2013年7月)
7.鹿児島

DAY12

宮崎駅前。やしの木と奇抜なデザインの駅舎

宮崎−都城間

都城駅前

電車から桜島が見える

天文館アーケード街

城山を登る

城山展望台から見た鹿児島の街と桜島

西郷隆盛終焉の地。碑には、彼の号である「南州翁」の文字

西郷洞窟

俗っぽい西郷像

城山をバックにライトアップされた正規の西郷隆盛像

にぎやかな鹿児島の繁華街

東郷平八郎誕生地 ⇔ 普通の街なかにある

西郷隆盛と大久保利通 ⇔ 篤姫コーナー (維新ふるさと館)

市電が走る

フェリーに乗り込む ⇔ 桜島に停泊するフェリー

くわ焼き定食

桜島オールナイトコンサート記念モニュメント
⇔ゴツゴツした溶岩がところどころでむき出しになっている

湯之平展望所から桜島を望む
⇔湯之平展望所から錦江湾を挟んで鹿児島市街地を望む

城山展望台からの鹿児島の夜景と闇に沈む桜島
⇔ 鹿児島の夜景アップ

石仏十三体

豚とろラーメン高菜飯セット。美味い。

7月27日(土) 宮崎県内、鹿児島 曇りのち晴れ時々曇り


今日は延岡から最終目的県の鹿児島に向かう。朝5時起床、6:03延岡発日豊本線普通列車。
延岡を出発してすぐ、電車は土々呂駅に到着。鉄っちゃんにはきっと「トトロ」で話題だろう。隣のトトロとなんか関係あるのかしら。

朝っぱらの電車に、どんどん乗客が乗ってくる。佐土原駅で高校生がたくさん降りる。今日は土曜だし夏休みだしなぜこんなに高校生がいるのか。また、日向住吉でも高校生が結構降りる。高校生は夏休みでも朝から活動している。

7:46宮崎着。駅の外でタバコを吸う。朝方は延岡では曇っていたが、宮崎では晴れている。今日は再び暑い。宮崎駅前にはヤシの木が立っていて、「南国・宮崎」のムードを演出している。
8:47宮崎発の日豊本線で都城へ。宮崎を離れると、電車は海沿いから内陸に進む。
9:57都城着。都城もなかなか大きな駅だが、駅前ロータリーから見渡す街並みは薄い。高いビルがほとんどない。ここにも駅前にはヤシの木が並んでいる。空にはまた雲が広がっている。
10:24都城発日豊本線に乗り換え、いよいよ鹿児島中央へ。
都城を出、鹿児島県に入る。とてつもない山の中に突入する。ケータイの電波が入らなくなる。
山を抜けると街となり、人がどんどん乗り込んでくる。みんな鹿児島に遊びに行くのだろうか。土曜日の午前。
電車は海沿いに出て、鹿児島市が近づいてくる。湾の向こう側に、頭に雲をかぶった桜島が見えてきて、混雑した電車の中、心の中で歓声を上げる。うぉお、これがあの桜島かい。電車は桜島を左手に見ながら、海沿いを南下する。
ついに、11:53、鹿児島中央駅着。延岡から6時間弱。余談だが鹿児島中央駅の手前には鹿児島駅があり、どうやら鹿児島の中心は鹿児島ではなく鹿児島中央駅のようである。鹿児島駅というのはどんな位置づけなのか?昔の街の中心はこちらにあったのだろうか?

ついに鹿児島までやって来た。延岡から宮崎、都城から鹿児島。西郷隆盛と薩軍がかつて辿った道のような感じで(進行方向は違うが)、ついに西郷が自刃した鹿児島まで僕もやって来た。
鹿児島も灼熱に包まれている。これでもかというばかりに日光が降り注いでいる。

まずは市電に乗って予約したホテルへ向かう。高見馬場で下車し、交差点にあった惣菜選択型定食屋「高見馬場食堂」へ入り、昼飯。ここは「○×食堂」というその土地の名前をつけた、チェーン展開している食堂だ。様々な主菜、副菜がずらりと並んでいる中から選び、ご飯、味噌汁をつけて定食にできる。カレーやラーメンもある。僕の地元千葉市には「都町食堂」なる同様の店があり、愛用している。
腹が減っていたので、がっつり食べる。酢豚、アジフライ、ほうれん草のおひたしにご飯、味噌汁。だがこれでも730円。安いのもこの食堂の特徴なのだ。
腹を満たした後、予約してあるビジネスホテルに行き、荷物を預ける。フロントでネットカフェの場所を聞く。

鹿児島の繁華街は、天文館といい、25代薩摩藩主の島津重豪が天体観測のために建てた「明時館」があったことに由来している。市電が行き交う大通りの両側にアーケード街が走っている。なかなかでかい。
教えられた場所に、果たしてネットカフェがあった。調べ物と馬券購入がネットカフェの目的だ。
3時間パックで1000円。受付のネーちゃんは、眼鏡をかけた小太り風ふくよかな大学生バイト風情だった。始めあてがわれたブースで、テレビをつけてみると、衛星が見れない。受付にいたネーちゃんに苦情を言うと、ブースまで来て何やら確認して、「ここは衛星回線がつながっていません」というので、別のブースに移動する。彼女といろいろ会話するうち、僕は「あれ、この口調、どっかで聞いたことがあるぞ」と思っていたら、そう、これは鹿児島弁なのだ。そして、前の会社で設計をしていた鹿児島出身N君と、寸分たがわぬ方言なのである。いや、生き写しというか、声写しと言ってもいいくらいにそっくりな話し方だ。
(なんと、あの鹿児島弁は本当だったのか!!)
ようやく鹿児島まで来て、N君の話す言葉が鹿児島弁であることを確認でき、僕はとてもすがすがしい気持ちになった(笑)。

N君は、入社4、5年目の若手で、188cmの長身に、体重110kgという巨体ながら、他の標準的な体格の人と同じサイズの机に座り、体を縮こまらせて仕事をしていた。その体躯に似合わず性格は温厚で、いかにも家に引きこもってゲームをやっていそうなオタク気質である。彼が持ち前の小さな声でボソボソと話す言葉が鹿児島弁であり、彼は郡山でも地元にいるかのように鹿児島弁しかしゃべらない。お客さんとの打ち合わせでも、鹿児島弁である。さすが、薩摩人は自己主張するかいと、性格には自己主張があまり感じられないN君を見ていたのだが、彼の話す鹿児島弁が本当に鹿児島弁であるのか、僕には知る由がなかったのだ。前述の通り、僕は両親、親戚が皆九州出身であり、博多弁とか熊本弁には親しみがあったので、鹿児島弁も似たような言葉じゃないかという先入観があった。しかしN君の言葉はまるっきり違う。歴史ものドラマでよく見る、明治維新前後の薩摩藩士や薩摩藩出身の人間の言葉とも全然違う。さすがに今では「〜でごわす」とか「じゃっどん、おいはそうは思いもはん」とかは言わないと思うけれど、それにしてもN君の言葉が本当に鹿児島弁なのかという疑問を持ち続けてきた。それが今日氷解したのである。だが、ここで言ってしまうが、この後鹿児島の旅において、このネットカフェのネーちゃん以外には、N君とそっくりの話し方の人はいなかった。逆に言えば、このネーちゃんは、N君の妹かと思うくらいに言葉がN君と同じだった。よく見ると風貌や体型もどことなく似ている。彼の言葉が鹿児島の一地方の方言だということもあり得るが、ま、鹿児島で話されていることは間違いないことが分かっただけでも収穫大だ。

さて、ネットカフェでは3時間過ごし、午後4時過ぎに出る。鹿児島の象徴、城山へ。
城山のふもとには、西郷隆盛の巨大な銅像が建っている。近くに鹿児島観光案内所があり、ここで鹿児島の地図をもらい、城山の散策道と、知覧観光について聞いてみる。知覧については、指宿を拠点にしたら良かろうとのアドバイス。だが僕は車がないので、ここ鹿児島を拠点にして知覧や指宿に行こうとしていた。この案内所のオバさんはとても明るい人で、時折冗談を交えながら親身になって相談に乗ってくれた。

城山を登る。途中、島津家藩主の像が立っている。幕末、薩摩藩の藩主・後見役でありながら、明治維新後の士族の特権はく奪により政治の表舞台からの退場を余儀なくされた、島津忠義、島津久光の親子。
久光公の像の下で、子供が虫取り網とかごを持って虫を追いかけている。僕が久光さんの写真を撮っていると、子供は僕に自慢げにかごの中身を見せ付けてきた。
「ほら、セミとトカゲ」
「ほぉ、すごいな」
と僕は一応褒めておいたが、彼が捕らえた小動物がもう長くない命であることを思うと、若干残念な気持ちになる。そうでなくてもセミは成虫になってからの命が短い。「それ、どうするの?」と聞きたかったがやめておいた。僕がどうのこうの言う話じゃない。子供は小さな命を蔑ろにすることで、命の大切さを学んでいくのだと僕は思う。

のちに皇帝となり日露戦争を引き起こした愚帝、ロシア皇太子ニコライ二世の来鹿記念碑。

城山は鬱蒼とした林に包まれた、こんもりとした山である。山頂までの道を歩く。ひどく蒸し暑い。汗が体からダラダラと流れ落ちる。真昼だったらさらにひどい状況だろうとゾッとする。
蝶がヒラヒラと飛んでいる。城山には貴重な動植物も生息しているらしい。そして、猫が多い。
城山公園入口から20分で展望台に到着。鹿児島の街と桜島が一望できる。残念ながら電車で見たのと同じく、桜島には雲がかかっている。
城山。西郷隆盛が西南戦争最後に立てこもり、自刃した場所。この景色を西郷どんも見ただろう。
城山を降り、薩摩義士の慰霊碑を見た後、西郷隆盛関連の地を歩いて巡る。西郷隆盛終焉の地、西郷隆盛が最後に潜んだ洞窟。

1877年(明治10年)9月24日午前4時、西南戦争最後、政府軍の城山総攻撃が始まる。政府軍の砲撃を避けるため、5日間岩崎谷の洞窟に潜んでいた西郷と数人の側近は、政府軍の攻撃の中出て行き、300m歩いたところで西郷に二発の流れ弾が当たり、死を決した彼は、皇居のある東を拝みながら、別府晋介の介錯を受けて自刃。49歳の生涯を閉じる。そして村田新八、桐野利秋、別府晋介、辺見十郎太ら薩軍の諸将は、相次いでその生を閉じる。
薩軍の総司令官西郷の死により、7ヶ月に及んだ日本最後の内戦、西南戦争は幕を降ろすことになる。

洞窟は、とても小さい二つの穴にしか見えない。こんなところに5日間も潜んでいたのか。当時のこの洞窟がどのような姿だったのかは分からないが、維新の英雄、西郷隆盛が、死を待つ5日間を、こんなちっぽけな洞穴で過ごす間の心境というのはいかばかりだったか。

西南戦争は、明治政府による士族特権のはく奪を遠因とし、政府の薩摩に対する横暴(政府弾薬庫引き上げや西郷暗殺計画のための警官派遣)を近因として、それに激高した不平士族の暴発に端を発し、それを西郷が止めずに兵を挙げたことで始まった。
戊辰終結後8年で起こった内戦。西郷は、これが最後の内戦になると見抜いていたのだろうか。薩摩軍に勝つ見込みがあると思っていたのだろうか?西郷ほどの人物であれば、私利私欲では動かないだろうから、維新後の元武士たちの不平不満をすべて自分で飲み込んで、薩摩が戦に敗れれば、もはや政府軍に対抗できる勢力は日本にない、つまりあとは平和裏にことが進むであろうことを悟っていたのだろうか。

思うに、西郷隆盛ほどのカリスマは、日本の歴史上他にいない気がする。彼が日本国にもたらした偉大な功績とともに、城山での悲劇的な最期が、彼を唯一無二のカリスマへと昇華させた。
織田信長といい坂本龍馬といい、非業の死をとげた偉人は、その死に方により英雄度がさらに増幅される。

西郷洞窟の近くにはお土産屋と長寿泉という天然温泉がある。「西郷銅像撮影所」とデカデカと表示があるお土産屋の横に、つやつやした茶色の、巨大な西郷像が建っている。気品が感じられない、俗っぽい西郷さんだ。
時刻はもう午後7時。辺りはまだまだ明るいが、土産店はすでに閉まっていた。頬がこけた痩せ子猫がじゃれついてくる。城山周辺には猫が多い。店の横には小さな通路のような洞窟があり、洞窟内には「目で見る西南戦争始末記 三十六景展示場」なる展示があるようだが、すでに電気が消えていて、一応洞窟をくぐってみたが暗くてほとんど何も見えなかった。猫は洞窟内まで僕についてきた。

征韓論の政争に敗れ、鹿児島に戻った西郷が始めた私学校跡。西南戦争の銃弾跡。鶴丸城跡に戻った頃にはもうとっぷりと日が暮れていた。堀には大きなハスが密生し、石垣がライトアップされている。鶴丸城は天守を持たない独特の城で、「城をもって守りと成さず、人をもって城と成す」という薩摩藩の思想を反映したものであるという。
西郷隆盛像は城山をバックにライトアップされている。

天文館のアーケード街は土曜ということもあるだろう、なかなかの人出だ。夕食は鹿児島ラーメンを食べようと思うが、なかなかいい場所がなく、結局天下一品ラーメンでラーメン、ライスに鶏肉野菜炒めセット。味は上々で美味かった。これが鹿児島ラーメンなのかはよく分からない(笑)。
広いアーケード街から、細い通りが次々に伸び、スナック街とか飲み屋街とか、それぞれの通りのネオンが賑やかだ。鹿児島の週末、侮れない。

ホテルに戻ってチェックイン。1:15AM就寝。


DAY13
7月28日(日) 鹿児島 曇り


今日は鹿児島観光。朝から曇っている。当分、最悪の暑さは免れそうだ。

ホテルを出て、加治屋町を歩く。加治屋町には、鹿児島が生んだ偉人達の生家が集中している。山本権兵衛、東郷平八郎、大山巌、西郷隆盛・従道、大久保利通。生家跡には、現代の街並みの中に碑が建っている。伊地知正治誕生地の碑は、マンションのような建物の前、自販機に挟まれた狭い場所に窮屈そうに建っている。
それにしてもこんな狭い街が、日本を動かした重要人物を集中して輩出したことを考えると、鹿児島、薩摩のすごさを思い知らされる。もっとも、明治維新後は薩長出身者が国政の中枢を牛耳り、他藩出身者を排除するような藩閥政治という馬鹿なことをやったので、そうなってもおかしくないといえばおかしくないのだが。

維新ふるさと館。明治維新を題材とした歴史博物館である。なかなかよろしい。通常の歴史遺物や説明パネルの展示の他に、劇場のような小ホールがあり、ここでは「薩摩スチューデント、西へ」という映像作品と、「維新への道」という映像とロボット技術を用いた劇のような作品が上映・上演される。
前者は、薩英戦争の後、西洋の技術に圧倒された薩摩藩がヨーロッパに送った留学生の様子を描いた作品。後者は、西郷や大久保、坂本龍馬、勝海舟のロボットが登場する維新歴史劇で、そのロボットの精巧さ、動きに感心する。
館内には明治維新、西南戦争の展示の他に、薩摩出身の篤姫コーナーも充実している。

当然のことながら、鹿児島が生んだ2大ヒーローとして、西郷と大久保が大きく取り上げられている。西郷の軍服、大久保のフロックコートを試着して写真を撮れるコーナーがある。二人はともに相当な長身だったようで、身長はいずれも178cm。当時の成年男子の平均身長が156cmとのことで、いまでいえば二人の身長は192cmに相当するという。
そういえば、昨日天文館のアーケードを歩いて感じたのは、鹿児島人は男女とも大柄な人が多い、ということだ。身長が高い。女性なんか、170〜175cmくらいはあろうかという人がゾロゾロと歩いている。ヒールのせいもあろうが、僕とほとんど変わらない身長の人が多い。先述した前の会社の同僚、N君もとてつもないガタイである。さすが薩摩。きっと鹿児島県の平均身長は、全国でもトップクラスだろう。

維新ふるさと館の展示を見るにつけ、鹿児島は「西郷の国」なのだということを実感させられる。鹿児島のヒーローといえば、大久保利通でも大山巌でも東郷平八郎でもなく、西郷隆盛である。いや、西郷は鹿児島のみならず日本のヒーローと言えるだろう。その名を知らないものはいない。
維新ふるさと館を出たのは14:20。面白かったので2時間も滞在してしまった。充実した展示で入館料300円は良心的と言えるだろう。

次は桜島へ向かう。フェリー乗り場まで市電。
櫻島まではフェリーで15分。桜島には今日も上のほうに雲がかかっている。フェリーは料金150円。なかなか豪華だ。

桜島は、鹿児島市街からわずか4kmのところに浮かぶ活火山島であり、鹿児島のシンボル的存在だ。北岳、中岳、南岳によって形成される複合火山。一番高い北岳の標高は1117m。もともとは島だったが、大正3年(1914年)の噴火により溶岩が流出し、大隈半島と陸続きになった。今でも噴火を繰り返し、火山灰が降る映像がニュースで流れる。
一周36km、車で1時間、自転車で4時間、徒歩で9時間で回れる大きさの島である。人口5000人。

フェリーが桜島に到着したのは15:25。
腹ペコだ。まだ昼飯を食ってない。フェリー乗り場の観光案内所で、バスでの桜島周遊について尋ねる。どうもこの時間だともうバスが少なく、島の反対側まで行って黒神埋没鳥居を見るか、周遊バスで近場の展望所を巡るか、どちらかを選ぶしかなさそうだ。とりあえず定番スポットが見れる後者にする。これは、「サクラジマ アイランドビュー」という、桜島港と湯之平展望所を巡るバスだ。
そして食堂の場所を聞く。だが近くにはあまりないらしい。通りをしばらく行ったところにある道の駅を紹介される。「サクラジマ アイランドビュー」のバス時間まで1時間くらいあるので、どこかで飯を食うには十分だ。だが16:35発のバスが最終なので、これを逃すわけにはいかない。

フェリー乗り場を出て通りに出たら、山側の高台に「桜島レストハウス」という大きな建物が建っているではないか。食事も出来そうだ。坂道を上って桜島レストハウスに行く。だが外から見ると、廃墟のようで、とても営業してるようには見えない。自動ドアの中も暗くてよく見えないので、もうきっとつぶれてしまったんだなと思って近づくと、突如自動ドアが開いた。なんと、営業しているではないか。
広々とした店内は、がらんとして人気がない。お土産売り場とテーブルと椅子が並んだ食堂部分がある。よく見ると食券売り場におばさんが一人、そして100席はあろうかという広々とした食堂には、カップルが一組だけいた。僕が席に座ると、別のおばさんが近づいてきた。
「食事ですか?」
「あ、はい」
「だったらくわ焼き定食がお勧めですよ。」
「くわ焼き?」
「くわみたいな形した鉄板で、肉と野菜を焼いてもらうんです」
「へぇ」
「そこの食券売り場にメニューありますから」
僕は食券売り場に行き、どうせならここでしか食べれないものということでお勧めのくわ焼き定食を求める。

しばらくしてくわ型をした柄のついた鉄板と、膳が運ばれてきた。鉄板の上には肉と野菜が乗っている。固形燃料に火をつけて焼く。膳の方にはカツオのたたき、そば、ご飯にお吸い物。これで1000円ならまぁ、まずまずだろう。

桜島ビジターセンターへ。桜島を解説した小さな博物館となっている。ここから「サクラジマアイランドビュー」バスに乗る。途中バスはいくつかの展望所に立ち寄り、しばらく停車している間に乗客はバスを降りてそこからの展望を楽しむ、という寸法だ。
バスは烏島展望所、赤水展望広場に停まって展望を楽しむ。赤水展望広場では、かつてここで開催された「桜島オールナイトコンサート」を記念したモニュメントがある。桜島は大部分が緑に覆われているが、ところどころにゴツゴツした溶岩がむき出しになっている場所がある。いざというときに溶岩流を流すためのコンクリートで固めた通路も設けられている。

その後バスは桜島の斜面を登っていく。湯之平展望所は、桜島の4合目、373mにある。活火山である桜島の火口に一番近くまで寄れる場所であり、ここからの桜島は、目の前に迫っている。岩むき出しの荒々しい山肌を見せている。
この湯之平展望所には15分間停まる。レストハウスがあり、お土産屋と展望台がある。錦江湾を挟んで、鹿児島市街も見える。

お土産屋で桜島の石を100円で買う。ここは国立公園なので、石とか砂とか植物を持ち出すことは出来ない。が、土産として火山岩の小石が丸く加工されて売っている。売るのはいいんか?と売り子のオバちゃんに冗談ながらも突っ込む。オバちゃんらは、笑顔で「そうやねぇ」と軽く受け流した。

バスは港まで山道を降りていく。途中、バスの運ちゃんが、車窓に流れゆく風景や桜島のことを色々解説してくれる。
・桜島出身の著名人は、サッカー日本代表のガンバ大阪遠藤保仁選手がいる。彼の母校の小学校前を通り過ぎる。
・桜島の建物には雨どいがない。火山灰が詰まってしまうため。
・桜島の墓やプールには屋根がある。火山灰が降るため。
・桜島には所々に避難壕がある。噴火時の噴石から身を守るため。
・桜島名産は、小みかん。そして桜島大根。
噴火を繰り返す火山を目の前にして生活するのは、並大抵の苦労ではないだろう。まさに生活の知恵。

港に戻ったのが17:35。桜島滞在時間は残念ながらか〜な〜り〜短かった。もっと自転車で一周するとか、反対側にある黒神埋没神社が見たいとかやりたいことはあったが、時間切れなら仕方ない。

港には、薩英戦争のときの砲台跡がある。薩英戦争では、錦江湾に進入したイギリスの艦船を、薩摩は鹿児島側と桜島側から砲撃した。

18:05発のフェリーで鹿児島に戻る。鹿児島港はなんか知らないけれど、隙間のないほど人がごった返し、列を成して船を待っていた。何か、夕方に納涼クルーズ船のようなものが出るらしい。人波の中を外に脱出する。

日が傾いている。今日はどうしてももう一度城山に登り、鹿児島の夜景を見たかった。歩いて城山へ。
城山に着いた頃にはいい具合に日没加減になっていた。それにしても城山は蒸し暑い。登っていると日は暮れたのに汗がダラダラと流れる。鬱蒼とした林の中を登る。夜登る人がいないはずはないと思うのだが、展望台までの道には灯りがほとんどない。暗がりの中を登る。
展望台に着いたのが19:40。もう日はすっかり暮れた。街の灯が輝き始めている。鹿児島の夜景は普通だ。灯りの量は多くない。この旅の始めに見た長崎の夜景とは比べようがないが、それでも夜景というのはワクワクするものだ。桜島は、まだかろうじて青さの残る背景空にぼんやりと沈んでいる。
夜の展望台にはカップルが多い。当然か。彼らはほとんどが車で来ているらしい。展望台の裏側に駐車場がある。
さらにカップルよりも多い蚊が僕を悩ます。次々に刺される。こいつはたまらん。
そして猫は昼間と変わらずそこらじゅうをウロウロしている。

城山を駐車場側から反対に降りてみると、相当に歩かなくてはならなくなり、失敗した。おかげで行くつもりのなかった石仏十三体を見る。夜、暗がりに石仏が並んでいるのは、壮観というよりも若干気味が悪い。みんな傘と赤頭巾をかぶっているのが、不気味さを倍増させている。昨日の昼間行った、西郷洞窟の前を通り、城山をぐるりと回って鶴丸城跡に出る。

天文館のアーケードに戻る。
夕食は鹿児島ラーメンの有名店、豚とろへ。ここの豚とろラーメンは、濃厚でとろける豚とろ(豚の首周りの肉)チャーシューが自慢。この豚とろラーメン高菜飯セットを頼む。美味い。さすが人気店の一品。満足。

夜10時前、ホテルに戻る。今日も長い一日だった。

鹿児島 写真集
桜島 写真集

(続く)


九州旅行 −7−

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