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アフリカ旅行記(2006年末〜2007年)
3.小さな独立国・ザンジバルの迷路(1)
船に乗り込む
船からダルエスサラームの街を望む
船の風景、イスラム系の人々多い
ザンジバルの港、なぜか殺気立って船を待つ人々
ダルエスサラーム湾のボート乗り場には、白人観光客と地元黒人が一体となった長蛇の列ができていた。午後3時過ぎだが、熱射は容赦なく頭の上から降り注いでくる。1時間ほど高温多湿のビニールハウスの中の野菜になった気分で、列を作って船の出発を待つ。暑い、ジトい。僕の近くで列に並ぶ白人は、イギリス人の家族らしい。また、イスラム系の民族衣装姿の人々も目立つ。
ようやくのことで船に乗り込み、午後4時に船着場を出発。船は1階と2階に合わせて100人くらいは乗れる中型船だ。ゆっくりと離れてゆくダルエスサラームの街では、陽光に照らされた教会が威容を誇っている。ダルエスサラームには(キリスト)教会とモスクが共存している。タンザニアの宗教事情が垣間見える。
さて。僕がこれから渡ろうとしているザンジバルは、ダルエスサラームから高速船で1時間半のところにある小島である。この島が、タンザニア連合共和国の一つの構成要素であるザンジバル共和国。1499年ポルトガル人のバスコ・ダ・ガマが訪れ、それ以来ポルトガルが侵略者としてこの島を含めた東アフリカ一帯の覇権を握った。しかしその後ポルトガル人はアラブ人に追い立てられ、オマーンのスルタン(王)がザンジバルに宮廷を移しこの島を支配する。ここでオマーン人は、この島を拠点に奴隷貿易を始めることになる。以来、この小さな島では黒人の悲劇が何世紀にも渡って展開された。この島にある奴隷市場で、手足に鎖をつけられた黒人達はアラブ人によって家畜のように売られていったのだ。現代ではこの負の遺産を背負った世界遺産として、欧米から観光客を集めている。今でもアラブの文化がこの島をどっぷりと浸している、いわばイスラムの島である。中東から海を渡ってやって来たイスラム教は、貿易の拠点となったここザンジバルを手始めとして、東アフリカに浸透していったのである。そして、ザンジバルの独自性・独立性は、島であるという環境とその特異な歴史に依拠するのだ。
インド洋を渡り、ザンジバル島の波止場に船が到着したのは、出発から2時間以上経った午後6時過ぎであった。ここはザンジバル島の西端、島の中心地ストーンタウンである。激しかった暑熱はもうやわらぎ、闇が降りつつある船着場に上陸する。しばらく歩くとイミグレーションがある。つまりザンジバル共和国への入国である。同じタンザニアから来たのに、である。こんなところにザンジバルに住む人々の独立心を感じる。あくまでザンジバルはザンジバルなのだ、という。
パスポートに”入国”スタンプを押してもらって街のほうに歩き出すと、すぐに若者が声をかけてきた。
「ザンジバルへようこそ。今日はどこに泊まるか決まってるかい?」
「(うざったかったので)あぁ、決まってるよ。」
だが奴はお構いなしに僕の後を付いて来る。
「どこのホテル?」
「なぁ、クリーク・ロードはこっちでいいか?」
「あぁ、こっちだ。」
奴は僕の前に立って歩き始めた。僕は内心(またか)と思いつつも、もう日はとっぷりと暮れ、夜のとばりが降りてきているあたりを見回し、(まぁ、とりあえずはこいつに案内させよう。ストーンタウンは迷路らしいから迷うかもしれないし。)と考え、奴に案内させることにした。
「僕の名前はジャクソン。君の名前は?」
「(ジャクソンって、お前何人だよ?と内心思いつつ)ヨシダだ。」
「どこから来たの?」
「日本。」
「ありがとう(と知ってる日本語を繰り出すジャクソン)」
「ハハハ・・・・(冷めた笑い)」
「明日の予定は決まっているかい?ツアー色々あるぞ、ビーチ、スパイスツアー・・・。」
「(ますますうざってぇなと思いつつ)明日はストーンタウンの街歩きだ!」
夜の中央マーケットに人が蟻のように蠢いている。これが市場のエネルギー。だが暗くなった市場は、一番やばい場所だ。淡い、暗い白橙色の街灯の下、黒い人々がざわざわと揺らめいている。歩く人、道に座り込んで何かを売る人、静と動が暗がりの中を交錯する。
ジャクソンが薦めるのはジャンボ・ゲストハウス。これも僕が候補にしていたホテルの一つだ。ここかリバーマンにしようと思っていた。ジャクソンの案内でまずリバーマンに行き、部屋を見せてもらう。部屋はまずまずの広さと清潔さだが共同トイレは汚い。トイレ、シャワー共同で1泊10ドル(ザンジバルでは、ホテル料金はUSドル表示が多いようだ。もちろんタンザニアシリングでも支払える)。安い。一方ジャンボの方は、1泊20ドルとのことだったが、あいにく満室とのこと。宿のオーナーと知り合いらしいジャクソンは、残念がった。リバーマンに戻る途中、ジャクソンはしきりに言い訳をする。ジャンボもついこないだまでは1泊10ドルだった、だけど政府の税金上乗せかなんかで値上げせざるを得なかった、うんぬんかんぬん。だけど20ドルと10ドルではもう勝敗は決している。確かにジャンボの方がきれいそうだったけど。きれいかどうかとか快適かどうかよりも安いかどうかだけで選んでしまう、染み付いた貧乏人根性の悲しい性(さが)。
リバーマンに戻り、チェックイン。ボスらしきオヤジは、腹がどっぷりと突き出、目がギョロッとした丸顔で、大柄で一見すると怖そうだが豪快で威勢がいい。部屋に荷物を置き、再びフロントに降りる。オヤジに聞いてみる。
「このあたりでタンザニア料理を食えるレストランはある?」
(実はこういうものの、タンザニア料理がどんなものかよく分かっていないのだが・・・)
「(しばらく考えて)ここから5分だな。」
「どうやって行けばいい?地図でも書いてよ。」
「(近くにいたボーイを指差して)いや、奴が連れて行くよ。」
翌日街を歩いてみて分かったが、このストーンタウンは路地が迷路のように入り組んでいるので、とても着いたばかりの旅行者に、しかも夜に道が分かるはずがないのだ。加えて、あまりに複雑すぎてオヤジも地図など書けないんだろう。
「だけど帰りはどうすりゃいい?」
「(ホテルの名刺を僕に渡しながら)タクシーの運ちゃんにこれを見せろ。そうしたらたったの2000Tsh(1.7ドル)でここまで戻って来れる。」
「うーん。じゃぁ、近くに何でもいいからレストランある?」
「チキン&チップスならすぐそこにあるぞ。」
聞けば、どうやらチキンとフライドポテトのファーストフード店らしい。
「じゃぁとりあえずクリークロードのほうへ行ってみるわ。」
夜の屋台
”オロージョ”
夜のストーンタウン。リバーマンから幹線道路であるクリークロードにはすぐ出れるので、迷路を歩かなくて済む。オヤジが言ってた屋台チックなフィッシュ&チップスの横をとおり、道路に出ると、歩道の小さな屋台が目に付いた。近くでたくさんの人が食べている。人が多い店はうまい店という格言通り、僕はそこで食べることにした。がいったい何の屋台なのかさっぱり分からない。近くで食べている人は、椀に入ったスープ状のものをすすっている。中には具もたくさん入っているようだ。屋台のニーちゃんに聞く。
「これ、何?」
彼は英語がそれほどできないらしく、始めよく通じなかったが、やがて片言のキャッチボールでやり取りが成立してくる。
「それは肉?羊?牛?そっちは?あぁ、キャッサバか。」
どうやら肉野菜ブッコミ型ごった煮スープのようである。僕はありったけのもの入れてちょーだい、と頼んだ。出来上がった椀を持ってニーちゃんが聞いてくる。
「チリ(唐辛子)は?」
「入れていいよ」
「(キャベツの千切りを差しながら)サラダ入れるか?」
「入れてくれ!」
プラスティックの椀に入って出てきたスープは美味だった。唐辛子のせいでガツンと辛くて、なんかを煮込んだややトロっとしたスープに、肉が2種類(焼いた肉と揚げた肉のようだ)、ジャガイモ、キャッサバ、その他野菜のごった煮の上にキャベツの千切りが載っている。フラッシュで写真は撮った(右)が、食べている最中は周りが暗くて椀の中身はよく見えず、まさに闇鍋状態だったが美味かった。まさに混沌の調和!
食べ終え、ニーちゃんに
「美味かったぜ!」
というとニーちゃんもうれしそうだ。この食べ物の名前は、”オロージョ”ということだ。屋台ではたいてい失敗はないし、土地の人が食べているものが確実に食べれる。
宿に戻るとオヤジが「結局何食ったんだ?」って聞くからオロージョをやっつけたことを告げると、呆れたような、こりゃ一本取られたというような笑顔を僕に返した。
「おやすみ。」
鍵を受け取って2階の部屋へ。部屋の前まで来て僕の心臓は凍りついた。部屋の中から物音が聞こえるのだ。息を潜めてドアの外から部屋の中の様子を伺う。何かカシャカシャと物を扱っている音と話し声が聞こえる。複数の人間が中にいる。
「マジかよ!!ドロボーか?俺の荷物をひっくり返してんのか????!!」
僕は踏み込むか迷った。これは一旦フロントであのオヤジに相談したほうがいいのじゃなかろうか。「俺の部屋にドロボーがいる!」と。
だが僕はひょっとしたらドア以外にどこからか侵入できるルートがあるのだとすれば、事は一刻の猶予もないと思い直した。何しろ金を持って逃げられたらアウトである。
鍵穴に鍵を差し込む。僕の心拍数は過去最高に達する。中にいる奴らが襲ってきたらどうするか。アフリカ人の犯罪者というのは、刑務所に入れられたらアウトだから、犯罪を見つかったら死に物狂いで人を殺してまで逃げるという。そんな奴らに僕はいったいどうやって立ち向かえばいいのか。だが僕には考えているヒマはなかった。体中の血が逆流して内部からジンジンするような恐怖心を感じながらも、金を盗まれたらこの旅はわずか2日で終わることになる、という何かに追い立てられているような切迫感に後押しされた焦燥感が勝った。ほとんど思考が停止しかけていたといってもいいかもしれない。
勢いをつけて鍵を回し、大きな音を立てて部屋に踏み込んだ!!
「×××○○!!!!!」
声にならない声を上げて威嚇しようとしたが声が出ない。緊張で血走った視線が、部屋の中でフラフラと泳ぐ・・・。
「あれ???」
部屋の中には誰もいなかった。バックパックも、ベッドも、何もかも僕が出てきた時のままである。何一つ物が動いた気配はない。僕は呆然として立ちすくんだ。
しばらくして我に返って耳を澄ましてみる。まだ複数の人間の話し声とガサガサと物をいじっている音は続いている。開いたドアの横でどこからこの音がしているのか探る。すると、向かいの部屋の、壁の上部にあるガラス窓から音がもれ聞こえてきているのがようやく識別できた。
「何だよービビらせんなよーーー!向かいの夫婦の話し声じゃねぇか!!」
だが、本当にさっきは部屋の中から音がするように感じた。今でもドアを閉めて部屋の外にいると、自分の部屋から彼らの声が聞こえてくる錯覚に陥る。音のマジックというか、向かい合った部屋の壁の上部同士が開いていることから、音が天井を伝って僕の部屋に入り込み、それが部屋の中からの音のように聞こえたということか。いや、それしか考えられない。
僕は部屋に入って鍵を閉めると、急激な脱力感に襲われ、ヘナヘナとベッドに座り込んだ。
(まぁ、何事もなくてよかった・・・。)
朝食のテーブル、なぜか一つだけ
朝食、スクランブルエッグが白い
翌朝。朝食でダルエスサラームから来たというタンザニア人の父子と一緒になった。アラブ系が入っていると見える親父に、純粋な黒人に見える息子。アンバランスが目に付く。二人は朝食のオムレツを手で食べていた。ここタンザニアでは、インドやネパールのように食事を手で食べる人が多い。彼らは食べ終わるとテーブルの横にある洗面所で手を洗ってティッシュで手を拭いて去っていった。タンザニアの食堂では、手を洗う洗面所と手を拭くティッシュが常に備え付けられているのだ。
昨日のダルエスサラームのホテルの朝食よりも大分いい。卵、フランスパン、フルーツ(バナナ、パイナップル、メロン)、それにアラビアコーヒー。ここザンジバルではコーヒーだ。インスタントだったけど。だが今回も卵にほとんど味がついていない。タンザニア薄味論が現実味を帯びてくる。加えてスクランブルエッグが白い。ほとんど黄身を使っていないんじゃないかって感じだ。
朝食を終え外に出る。昨日までは3日連続で大雨だったらしいが、今日の空は高く晴れ渡っている。ストーンタウンの迷路に歩き出した。BGMはもちろん、ビリー・ジョエルの『ザンジバル』。
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