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アフリカ旅行記(2006年末〜2007年)
5.カンパラは黒い人波
ダルエスサラームの空港でナイロビ行きの飛行機を待っていると、一人のアジア人が声をかけてきた。
「ニーハオ、○×△・・・?」
いきなりの中国語である。
(こいつ、俺が中国人だと勘違いしてやがる)
僕は英語で
「今何て言ったんだ?」
と返す。すると男はまだ分からないらしく、あくまでも中国語を続ける。さらに僕が「俺は中国語は分からねぇんだよ!」と英語で言うと、奴は片言の英語で
「No, no, English.」
などとほざきやがる。つまり全く英語を解さないらしい。
「私は、中国人じゃ、ありません。」
と英語でゆっくり言うが、奴はまだ事態が飲み込めないようで苦笑いを顔に張りつけたまま黙って僕を見つめる。しばらくして奴は苦笑いのまま近くの椅子に腰を下ろし、なんとなく呆然とたたずんでいたが、やがて立ち上がって去って行った。やっと状況を理解したようである。どうやら奴はこれからナイロビに行くのだが英語が分からなくて不安いっぱいらしい。きっと僕を見て、
(あー中国人同胞がいた、何しろ俺たちゃ13億人だからね、こんなアフリカの僻地でも同胞がいて助かるなぁ、何しろ僕って英語からきしダメなんだから、いやよかったよかった)的安堵感から話しかけてきたのだろうが、今や再び大いなる不安の只中に舞い戻っていった。
そんなことがあった後、現金が少ない今、少しでもデッドマネーを出さないようにするため、残ったタンザニアシリングを有効に使おうと思い立った。だが、必要なものってほとんどなく、結局残っている1240Tsh(約1ドル)のうち1200Tshでペットボトルの水(小)を買った。これって街で買えばたったの250Tshだよ。いつもながら空港の暴利には腹が立つ。その店で、レジの若者が僕を見て何やらわけの分からない言葉で話しかけてきた。
「○×△・・・?!!」
「何言ってんか、わかんねーよ!」
奴は、カンフーのポーズを取り、
「ジャッキー・チェン?ブルース・リー?」
と言ってきた。僕のことを中国人だと思って中国語のまねをして話しかけたらしい。
(俺ってそんなに中国人に見えるのだろうか?こいつ(タンザニア人)にそう見えるのはいいとしても、本物の中国人にもそう見えるとは・・・。)
エクアドルでさんざん中国人と言われたことを思い出す。
ウガンダ地図
ケニア航空のダルエスサラーム発ナイロビ行きが45分遅れ。機内は黒人多く白人観光客も多い。黄色人は僕と例の中国人のみ。PM8:30発、ナイロビに着いたのがPM9:30。飛行機を降りて空港ビルまで外を歩くと、思った通り涼しい。より赤道に近づいたが、ここは標高が高いのだ。ナイロビ発エンテベ行きも同じケニアエアーなので、遅れに合わせて出発が遅れた。PM10:30、エンテベに向け離陸。機内は黒人と白人が同じくらいいる。つまりウガンダという国は白人観光客に人気の国だということが分かる。黄色人は僕だけ。あの中国人は危ないナイロビに一人きりでこんな夜遅くに着いて大丈夫だろうか、と要らぬ心配をする。
ウガンダの首都カンパラから車で1時間くらいのところにエンテベ国際空港がある。エンテベ到着はPM11:30。空港のタクシードライバーは若者が多く、押しが弱い。遠慮がちに僕に「タクシー?」と聞いてくる。ベトナム人みたいな感じ。カンパラまで25ドルという高額。何人かのドライバーに交渉する。20ドルまでは下がった。まぁ、遠いから仕方がないが、僕はこれからどうするか考えた。閑散とした夜中の空港の奥に、一つだけ開いているカフェ、しかも何と24時間営業、があったので、そこでコーヒーを頼んで『歩き方』を開く。路線バスで行けば3ドルくらいでいける。僕には現金が少ない。少しでも切り詰めねばならない。また別のタクシー運転手がカフェまでわざわざやって来た。彼は若くなくオヤジで、『アフリカ人の指名手配犯人の顔を想像せよ』と言われたらきっとこんな顔だろうという凶悪犯罪者的人相の悪さだった。彼はさらに僕と値段交渉したいらしく、僕が「15ドルでどうだ?」と言うと、「17ドルならいいぞ」と言ってきた。僕は考えた。
(こいつ、人相悪すぎ。夜中のタクシーに乗って1時間の道のり。どっか連れてかれて身包み剥されたらそれで一巻の終わりだぞ。ここはこのカフェで夜を明かして明日の朝早く安く行くか。そうすればホテル代1泊分も浮く。)
ということでちょっと一方的な思い込みではあったがこの怪しさ抜群凶悪人相オヤジの申し出を断り、ここで寝ることにした。客は他に誰もいないが、幸い夜勤の店員の若者がいい奴で、しかも彼も客がいないのをいいことに、店のテーブルに突っ伏して寝ている。僕もその格好になってウトウトした。しばらくすると白人の屈強なオヤジがカフェにやって来て、何か空港係員と話している。もう空港の銀行や観光案内所や旅行会社はすべて閉まっている。何しろもう夜中2時である。白人のオヤジは何かの手違いで飛行機に乗れなかったかしたらしい。そして彼はアメリカ人で軍人らしい。話し声をバックに僕は再び眠りに落ちる。朝4時半ごろ、白人のアーミー男がいきなり声をかけてきて僕を起こした。
「おい、ナイロビ行きの飛行機が出るみたいだぞ。乗らないのか?」
彼は僕が飛行機を待って夜を明かしていると勘違いしたらしい。
「いや、僕は朝になったらカンパラに向かうんです。ここには着いたばかりで。」
「そうか。」
「親切にありがとうございます。」
アメリカ白人の年配者というのは基本的に親切だ。日本人なら「他人のことなど知ったこっちゃない」というところだろう。このカフェには僕と彼と店員の若者(寝ている)しかおらず、テーブルで眠るバックパッカー風情の僕の動向が気になっていたのかもしれない。いや、あまりにもみすぼらしく、哀れに見えたからかもしれない(笑)。
エンテベ国際空港の24時間カフェ、今夜のねぐら
空港のカフェで働くリチャード
僕らが乗ったバイクタクシーのニーちゃん
エンテベ空港近くの村
カンパラの大雑踏
カンパラの巨大なタクシーパーク
身動き取れないほど乗り合いタクシーが詰まっている
カンパラ市街、黒い人波
カンパラ庶民の足、バイクタクシー。ニーちゃん、陽気や
キブリ・モスク
キブリモスクの子供たち
朝6時過ぎ。ようやく外の闇が白けてきた。カフェにはすぐ外に出れるドアがあり、そこから外に出てタバコを吸う。涼しい。タンザニアの酷暑が嘘のようである。トレーナーにウィンドブレーカーでちょうどいい。
朝7時。朝日が昇ってきた。空港のトイレで朝のお通じを済まし、顔を洗う。空港で働く人々が徐々に出勤してきて、仮死状態だった小さな空港が少しずつざわめき始める。店員の若者もようやく起きて、カウンターに入って準備をし始めた。彼にもう1杯コーヒーを頼む。
「ここからカンパラまで路線バスで行きたいんだけど。乗り場はどこかな?」
「タクシーがあるじゃないか。」
「タクシー高いんだよ。金がねぇんだ。」
「そうか、お前頭いいな。だけどまずは乗り合いバス乗り場まで、ここを上がったところからバイクタクシーに乗る必要があるな。」
「え?バス乗り場ってそんなに遠いの?」
「心配するな、俺が一緒に行ってやる。俺の仕事はもうすぐ終わるから、ちょっと待ってろ。」
奴の名はリチャード。年恰好は20代中盤〜後半だろうか。顔は若そうだが物腰は落ち着いている。どうもアフリカ人の年齢は見た目では分かりにくい。
8時前に彼の仕事は終わり、日勤の店員に引き継ぐ。僕とリチャードは空港前の坂道を上がって幹線道路に出てバイクタクシーを待つ。すぐに1台やってきた。ここウガンダでは、バイクタクシーが庶民の足。ベトナムやカンボジアのようである。
「3人乗りできるの?」
「もちろんさ。」
バイクは小型だが座席は長く、3人でまたがる。少し朝もやがかかっているが澄んで張り詰めた朝の空気を切り裂いてバイクは走る。天気は曇りだが、昨日までいたタンザニアとはうって変わって空気が冷え冷えとして冴えている。タンザニアでは空気はまったりと澱んで滞留していた。
しばらくするとビクトリア湖が見えてきた。後部座席で興奮して前に座るリチャードに向かって叫ぶ。
「ビクトリア湖だ!」
「そうさ、ウガンダには偉大なビクトリア湖がある!」
巨大な湖は、薄いくすんだ青色をして、山裾に果てしなく広がっている。そして、緑も多い。ここウガンダは、植民地支配していた英国の首相だったチャーチルが「アフリカの真珠」と称えた、水と緑が豊富な大地である。
10分くらい走って小さな村に着き、ここからしばらくリチャードと歩く。道は舗装されているが、赤茶けた土が覆っている。これまたカンボジアを思い出す。あそこは郊外の風景を赤土の色が満たし、支配していた。
村の中心に小さな操車場があり、そこにはワゴンタイプの乗り合いタクシー(タンザニアで言うダラダラ、いわゆる小型バスだがウガンダでは”タクシー”と呼ぶ)が何台か停まっていた。カンパラまで1500Ush。バイクタクシーが1500Ushだったので、合わせて空港からわずか3000Ush(約1.8ドル)。ここの乗り合いバスは、席が埋まり次第出発する。運転手合わせて16人ほど乗れるワゴンである。リチャードと乗り込んで待っているとほどなくカンパラ方面へ向かう客が集まり、車は走り出した。リチャードは10分くらい行った別の村で降りた。奴には名前と連絡先を書いてもらい、写真を送ることを約束。奴のおかげで安く上がった。感謝。
カンパラまでは1時間くらいかかった。街に入るとすごい人ごみだ。今日は12月29日金曜日。街なかが閑散としていたダルエスサラームと正反対に、人があふれている。密度が違う。黒人の人たちが往来をくまなく埋め尽くしている。
僕はバスを降りてまずはホテルを探して歩き始めた。人が多くてビビる。黒人たちの人ごみの中に入るとまだ気後れが出てくる。『歩き方』でチェックしたジャグア・ゲストハウスをいう安宿を探すが、道に迷う。坂道が多く、タクシーパークと呼ばれる巨大なバス乗り場も二つあって、ストリート名の表示もあまりなく、道の配置も規則正しくなく、しかも人が多いので地図が読みにくい。道行く何人かに聞くが、みんな違う答えをしてくる。エクアドルのようだ。昼近くなりだいぶ気温が上がってきたとはいえタンザニアよりはだいぶ涼しいのでまだ助かるが、あまり寝てないので歩いているとすぐに疲れてくる。で1時間後くらいにようやくジャグアを見つけた。それも偶然。人であふれかえっている、舗装されていない坂道を上がってきて、ヘトヘトになって道端で駄菓子を売っている露天でタバコを1本買う。でそこの少年と若い女性に尋ねると、まさにここがジャグアだというではないか。見たところそれらしい建物はない。
「ここが裏口なんだよ。」
といって小さな扉を開けて中で仕事をしていた従業員を呼んでくれた。
しばらく部屋で休む。2時間くらい寝て、カンパラの雑踏へ再び歩き出した。とにかく人が多い。押し寄せる黒波のように人々が隙間なしに歩いている。
(これがアフリカのエネルギーか!)
タクシーパーク近くの繁華街には安宿や庶民系の店・露店が集まっているのだが、すごい人出である。この辺りには黄色人も白人もまったく歩いていない。いるのは黒人のみ。黒パワー。これが黒人のダイナミズム。躍動感。白人や黄色人がたくさんいるのとわけが違う。それはただ黒人に慣れていないからなのかもしれないが、僕は遠くからやって来ていきなり紛れ込んだ、放り込まれたこの黒い人波の中で、正直こっちが息苦しくなってくるような人々の圧迫感というものを感じた。きっとしばらく住んだら慣れるんだろうけど。
一方でタクシーパークから坂道を上がると街の雰囲気は若干変わり、大使館、大銀行、航空会社のオフィスなどが集まる官公庁・ビジネス街となり人口密度が下がる。
この大都市には、ダルエスサラームとザンジバルでまったく嗅ぎ取れなかった貧困の匂いが、あちこちに漂っている。大勢の人間が行き交う歩道上に裸足で座り込む母子の乞食。その姿がいたるところに見られる。おかあさんと、こどもたち。こどもたちには人を騙して金をふんだくろうという元気すらなく、汚れた顔に焦点を結ばない目をして呆然と人々に手を差し出すのみ。座り込み、立ち上がりもしない。東南アジアの物売りの子供たちからも数段低い場所に住んでいる彼らの悲惨。インドのプロっぽい物乞い連中とは、その陽気さと陰惨さが好対照である。インドでは”物乞い”がまるで一つの職業として存在している感すらあり、その数もおびただしく、悲惨が薄まっている。だがここの物乞いは、陰惨さを否応なしに発散している。歩道のところどころに真っ暗な深淵がぽっかりと開いているといったら、言い過ぎか。これは多分に僕が今までアフリカの貧困を見たり聞いたりしてきたから過剰反応しているだけかもしれない。だが、お母さんも子供たちも、生気はなく、朦朧としていた。
夕方、キブリモスクに行こうとバイクタクシー野郎と交渉するが、場所を知らないくせにいい加減なこと言って吹っかけやがるからムカついて交渉決裂。しばらく奴は後から名残惜しそうについてきたが完全無視して歩き続ける。結局タクシーパークから乗り合いタクシーに乗ってすぐに着いた。タクシーの中は当然のごとく16人中僕以外は黒人。今だにまだビビる。
タクシーを降りて坂道を上がると、小さいモスクが丘の上に建っている。ウガンダは内陸国なので大陸東岸のタンザニアやケニアよりはアラブの影響が小さいようだが、やはりイスラム教はここにも浸透している。カンパラ市内のダイナミズムや喧騒から、車でたった10分足らずのところに別世界の静寂があった。モスクの前庭に吹きぬける爽やかなそよ風は、街中にいるときはまったく感じなかったものだ。
まずこのモスクの司祭みたいな人に頼んで、ミナレット(尖塔)に上らせてもらおうと頼む。靴を脱いでモスクに入った後、彼は言った。
「ミナレットに上がるなら2000Ushの寄付金が必要だ」
「え、2000?」
『歩き方』には1000Ush程度の寄付が必要、と書いてあったが、2000?現金がないのもあり、僕は断った。別にただ景色を見るだけのために2000Ush払うのはもったいない。驚くほど高い尖塔でもあるまいし、庭から見ればいいことだ。
僕はそれなら上がらない、と断って外に出ようとした。すると司祭は後をついて来て言う。
「1000Ushでどうだ?」
「いや、いいよ。」
司祭のこの言葉を聞いて僕は内心がっかりした。結局宗教も金か。口では大層なことをのたまう割りに、街中にいるボッタクリ悪徳商人みたいに始め2000で吹っかけてダメとわかると値下げかよ?お前は商人か?宗教人として恥ずかしくないのかね?外国人から尖塔に登るだけの金をふんだくってやっとこのモスクは運営されてるんだろうか。そうであればさっさとこんなモスクは閉鎖したほうがいい。
前庭から一望できるカンパラの街を眺めていると、一人の少女が声をかけてきた。5歳くらいか。汚くみすぼらしい服装をしている。孤児だろうか。だが彼女は明るく無邪気に他愛のないことを話し始めた。僕に対する警戒心は微塵もなく、汚れた顔だが眼は輝いている。彼女としばらく話した後、さらに多くの子供たちが僕のところに集まってきた。僕は子供に好かれるたちなのだ(笑)。子供たちは、見た目はまったくのアフリカ系黒人だが、イスラム教徒であった。彼らといろいろなことについて話す。7,8人いる彼らの年齢は、下は日本でいう小学生から上は中学生まで様々。みんなきれいな英語を話すことに驚く。また、しつけがなってる。礼儀正しい。そして、全世界の子供たちと共通して、純粋だ。彼らと、ウガンダの話、日本の話をする。
「僕らも日本にいけるかな?」
「まっ、金がねぇと無理だな。」
「どのくらい?」
「1000ドルはかかるぞ。」
「へーーー!!」
(アメリカドルっていうのはここでもみんなにその価値が浸透してるんだな)
「ウガンダで一番人気のあるスポーツは何?」
「クリケット!」
(さすが大英帝国・・・)
「サッカーは?」
「サッカーも人気あるよ。」
「ウガンダ代表は強いかい?あまり聞かないけど。」
「ウガンダはだめだよ。アフリカで強いのは、ナイジェリア、エジプト、カメルーン、チュニジア・・・」
「ウガンダで強いスポーツは何だい?」
「陸上!こないだコモンウェルズ大会(イギリス連邦を形成する国々のスポーツ大会)の陸上でウガンダ選手が優勝したんだ。」
「へぇ。陸上はアフリカ人強いもんな。特に中長距離。」
「日本のことを話してよ!」
「そうだなぁ、日本は人が多いぞ。首都はトキオだ。カンパラも人が多いけどな、トキオはそれ以上だ。日本人は働き者で、宗教は信じてなくて、金は結構持ってるな。何しろ物価が高いから。(と日本の物価のバカ高についてのいつもの説明をする。ホテル代、昼飯代、等々)
「日本にモスクはある?」
「うーん、ほとんどないな。ちょっとだけ。キリスト教会も少ない。」
日本の千円札を持っていたので見せたら大歓声。子供というのは好奇心の塊だ。だが街で座り込んで物乞いをしている子供たちにはその心の動きもない・・・。
社会、宗教、いろんなことを話した。話しているうちに日が傾いてきた。午後5時。眼下に広がるカンパラの街では、灯がチカチカし始めている。年長の男の子が言った。
「そろそろ家に帰らなきゃ。」
「そうか、じゃ俺もカンパラに戻るとすっか。」
モスクからの下り坂を、子供たちと一緒に歩く。彼らが「日本語を教えてくれ」というから、「ありがとう」、「おはよう」、「こんにちは」、「開ける」、「閉める」など子供たちに聞かれるままに教え、復唱させる。みんなが声を張り上げて復唱し、その語感の面白さに大笑いする。
坂を降りきったところでちょうど乗り合いタクシーが来た。運転手は、僕がカンパラに戻ると思ったんだろう、止まって僕を待っててくれてる。
「お、あれに乗るぞ。じゃぁな!」
「じゃあねー!また来てよ!」
子供たちに手を振って車に乗り込む。夕暮れ、喧騒のカンパラへ戻る。午後6時。
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